
ガツェレ級
常備排水量2,659t、主砲10.5cm×10門、45.0cm魚雷発射管×4門
燃料石炭、主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管×1基+同両面缶×4基、主機4気筒3段膨張レシプロ機関×2基2軸、出力8,000指示馬力、速力21.5ノット
1895~96年度計画で2隻、1897年度計画で5隻、1900年度計画で3隻、計10隻が建造された。その年に建造された艦で船体寸法と排水量に僅かな差がある。
1900年度計画で建造された艦は艦橋と司令塔の形状が異なり、後部探照灯プラットフォームが後甲板の専用台座ではなく、後檣中に移っている。
従来の四等巡洋艦に相当する級だが、計画途中から通報艦・巡洋艦型コルヴェット・小型防護巡洋艦を統合した。新設の「小型巡洋艦」の最初クラスとなった。
船体は1893年度計画で1隻のみ建造された通報艦「ヘラ」の幅を増大し、船首楼型から船首尾楼型として航洋性を向上させた。
舷側装甲は施されておらず、防御甲板といえば傾斜部の最大厚50mmだった。
外観的特徴として、水線長を稼ぐための鋤形艦首、船首楼甲板のタートル・バック、優美な舷側のシア・ライン、僅かに傾斜した前後檣と二本の煙突等がある。
主砲は艦首と艦尾に2門ずつ並置し、両舷に3門ずつ装備していた。
第一次大戦開戦時には二線級の戦力となっていた。
バルト海に4隻、ヤーデ湾とエルベ河口にそれぞれ2隻、エムス河口に1隻と、各方面で沿岸防備に従事していた。
一番艦:ガツェレ
主缶ニクロース缶。
二番艦:ニオベ
主缶ソーニクロフト缶。
三番艦:ニンフェ
クルップ社。主缶は本艦以降シュルツ・ソーニクロフト缶。
第一次大戦開戦時はエルベ河口方面の沿岸防備に従事し、その後キールで宿泊兼練習艦となった。
ヴァイマル共和国海軍にも引き継がれ、1931年に売却、翌1932年に解体された。
四番艦:テーティス
主缶シュルツ・ソーニクロフト缶。主機は本艦以降3気筒3段膨張レシプロ機関×2基2軸。
五番艦:アリアドネ
ヴェーザー社。主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管×9基。
第一次大戦開戦時はヤーデ湾方面の沿岸防備に従事していた。
1914年8月28日のヘリゴラント・バイト海戦に参加、英軽快部隊と交戦中に英巡洋戦艦部隊に遭遇。大口径弾を受け沈没した。
六番艦:
七番艦:
八番艦:フラウエンロープ
ガツェレ級で唯一公海艦隊第3偵察隊に所属。
九番艦:
十番艦:ウンディーネ
クルップ社。常備排水量2,706t
バルト海方面の沿岸防備任務に就いていたが、1915年11月7日にリューゲン島北方で英潜水艦E19の雷撃され、沈没。
ブレーメン級
常備排水量3,278t、主砲10.5cm×10門、45.0cm魚雷発射管×2門
燃料石炭、主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管×10基、主機3気筒3段膨張レシプロ機関×2基2軸、出力10,000指示馬力、速力22ノット
1902年度計画で3隻、1903年度計画と1904年度計画で2隻ずつの、計7隻が建造された。前級(ガツェレ級)の拡大改良版。
船体は前級(後期型2隻)より水線長を6.2m、幅を0.9m増大した。
船体を増大させた分、前級では艦橋直後までだった船首楼を第三煙突後方まで延長したり、艦内容積を拡大した。
1904年度計画の艦は設計を一部改めていて、艦橋構造物を前方に拡大し、前檣を司令塔・航海艦橋・羅針艦橋の後方に移して艦橋構造物と一体化した。
前後檣の傾斜を5度から2度に、煙突を5度から3度に緩和した。
主缶を1基を増載し、総力量を約2割増大させ、主機出力を2,000指示馬力増強し、速力を2ノット向上させた。
缶室は3室となり、主缶は第一・第二缶室に4基ずつ、第三缶室に2基を配した。
煙突は缶室ごとの3本煙突で、第一・第二煙突は円形断面、第三煙突は縦長の小判型断面。
防御と主兵装は前級とほぼ同じ。防御甲板は傾斜部最大厚が80mmに強化された。
一番艦:ブレーメン
ヴェーザー社。
就役後に遣外任務に就き、大型巡洋艦に随伴して北米・中南米各地を訪問した。
1914年初頭に「ドレスデン」と交代して帰国。艦首尾の10.5cm砲4門を15cm砲2門に換装する等の改装を受けた。
1915年3月に現役復帰し、7月に公海艦隊第4戦隊に編入された。
12月17日にバルト海方面で行動中、リガ湾西方沖で駆逐艦V191とともに露が敷設した機雷に触雷し、沈没した。
二番艦:ハンブルク
ダンツィヒ工廠。
第一次大戦開戦時は潜水艦隊の総旗艦を務めていた。
ユトランド海戦では公海艦隊第4偵察隊5番艦としてシェーア本隊の左翼後方の警戒に当たり、夜戦で英第2型巡洋艦戦隊より中口径弾4発を喫した。
1917年にヴィルヘルムスハーフェンで潜水艦戦隊司令部の宿泊艦となった。ヴァイマル共和国海軍に引き継がれ、練習艦となった。
1931年に除籍され、キールで潜水艦乗員の宿泊用廃船となった。1944年に移動先のハンブルクで英機の爆撃により沈没。
1949年に浮揚され、1956年に解体された。
三番艦:
四番艦:リューベック
ヴルカーン社。主機パーソンズ並列複式タービン×2基4軸、出力11,500軸馬力、速力22.5ノット
コルヴェト「メルクール」の代艦名目で建造された。
独巡洋艦以上で初めて主機をタービンとして、翼軸に高圧タービン、内軸に低圧タービンを直結。巡航高圧タービン(右舷)と巡航中圧タービン(左舷)は低圧タービンと串型に配置された。
主機重量はレシプロ機関の僚艦よりも52t軽減された。
当初は推進軸1本に対して直径1.1mの小型推進器を2基ずつタンデムに配していたが、試験の結果1.6m(翼軸)または1.75m(内軸)1基ずつに換装された。
レシプロ機関の僚艦の推進器直径は3.9mで、計画速力での回転数が本艦の660rpmに対して135rpm前後だった。
就役後は水雷術統監艦や地中海方面の遣外任務を経て、1912年に予備艦となった。第一次大戦開戦時よりバルト海方面の沿岸防備に従事。
1916年1月にリバウからキールへの航行中に触雷し、修理時に艦首をクリッパー・バウに改め、艦首尾の10.5cm砲4門を15cm砲2門へ、水中発射管を50.0cm2門に換装する等の改装を受けた。
1917年に潜水艦戦隊の標的艦になり、1919年に除籍。翌1920年に賠償として英に引き渡され、解体された。
五番艦:ミュンヒェン
ヴェーザー社。
就役後に水雷試験艦や無電試験艦に用いられた。
第一次大戦開戦時は公海艦隊第3偵察隊の旗艦として、北海・バルト海方面で行動した。
ユトランド海戦では公海艦隊第4偵察隊2番艦としてシェーア本隊の右翼前方の警戒に当たり、夜戦で英第2巡洋艦戦隊旗艦「サウサンプトン」と激しい砲火の応酬をした。
これにより相手に大きな被害を与えた一方で、自身も中口径弾5発を喫した。
1918年にズント海峡の監視艦となり、翌1919年に除籍。1920年に賠償として英に引き渡され、解体された。
六番艦:ライプツィヒ
ヴェーザー社。
就役後にハンブルク汽船で外遊するヴィルヘルム2世の随伴船となった。
1907年から東洋艦隊所属となり、1907年11月の神戸沖大演習観艦式に参列した。
その他にも、1914年にかけてしばしば訪日し、長崎・厳島・宇和島・四日市・清水・横浜・函館・敦賀・宮津等に寄港している。
第一次大戦開戦時は北米西岸にあり、1914年10月にイースター島でシュペー本隊と合流し、コロネル沖海戦に参加した。
フォークランド沖海戦では英巡洋艦「コーンウォール」「グラスゴー」に追撃され、四時間の絶望的な戦闘の末、全艦火炎に包まれ沈没した。
七番艦:ダンツィヒ
ケーニヒスベルク級
常備排水量3,390t、主砲10.5cm×10門、45.0cm魚雷発射管×2門
燃料石炭、主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管×11基、主機3気筒3段膨張レシプロ機関×2基2軸、出力12,000指示馬力、速力23ノット
1903~04年度予算で1隻、1904~05年度予算で3隻の、計4隻が計画された。前級(ブレーメン級)の拡大強化版。
船体は前級よりも水線長を4.2m増大し、艦首形状はブラウ・バウをやめフレアを大きくして凌波性を改善した。
主缶を1基増やし、総力量を約二割増大。主機出力を2,000指示馬力増強した。主缶は第一・第二缶室に4基ずつ、第三缶室に3基配した。煙突は缶室ごとの3本煙突。
二番艦以降の3隻は航続力増大のため、一番艦よりも水線長を2m延ばし、石炭搭載量を60t増大した。
缶室は3つから5つとなり、第一から第四缶室に2缶ずつ、第五缶室に3缶を収めた。第二・第三缶室間の水中発射管室の前後に横断炭庫を設けるために煙突は不等間隔になった。
帝政独海軍が小型巡洋艦に期待した任務は平時における海外勤務の他、戦時の通商破壊、艦隊戦での偵察・敵軽快部隊撃退・水雷戦隊指揮・戦闘海面への機雷敷設などの多岐にわたるもので、万能性を追求した結果、中途半端な艦を量産することとなった。
一番艦:ケーニヒスベルク
キール工廠。通報艦「メーテオル」の代艦名目で建造された。
1914年4月にスエズ運河経由でアフリカ東岸に派遣され、6月からダル・エス・サラームを根拠地とした。9月には英巡洋艦「ペガサス」を撃沈している。
その後ルフィージ河の三角州に潜んでいたが、翌1915年7月11日に英河用モニター「マージー」「セヴァーン」の間接射撃により大破、着底。
二番艦:ニュルンベルク
キール工廠。通報艦「ブリッツ」の代艦名目で建造された。常備排水量3,469t
当初は公開艦隊偵察隊に所属していたが、1910年に東洋艦隊に転属。翌1911年から1913年まで毎年訪日し、長崎・厳島・神戸・四日市・清水・横浜・函館・敦賀・宮津に寄港している。
第一次大戦開戦直前にハワイを発ちシュペー本隊と合同。コロネル沖海戦で英巡洋艦「モンマス」に止めを刺した。
フォークランド沖海戦でモンマスの同型艦「ケント」に沈められた。
艦長:ションベルク
三番艦:シュトゥットガルト
ダンツィヒ工廠。
就役後1909年に砲術統監艦となり、翌1910年にトップマストを増高して上部に見張所のケージを設け、探照灯も増載した。
増載された探照灯は前檣前面に並列で2基、後檣前後に直列で2基装備された。
1912年に公海艦隊偵察隊所属となり、第一次大戦開戦時は公海艦隊第3偵察隊に所属して、北海・バルト海方面で行動した。
ユトランド海戦では公海艦隊第4偵察隊3番艦としてシェーア本隊の後方警戒にあたった。
1916年末に予備艦となり、1918年には後檣と第一煙突の間に格納庫と揚収用デリックを設けて、水上機3機を搭載する水上機母艦に改装された。
1919年に除籍。翌1920年には賠償として英に引き渡され、解体された。
四番艦:
ドレスデン級
常備排水量3,664t、主砲10.5cm×10門、45.0cm魚雷発射管×2門
燃料石炭、主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管缶×12基、主機パーソンズ並列複式タービン×2基4軸、出力15,000軸馬力、速力24ノット
1905~06年予算で2隻が建造された。前級(ケーニヒスベルク級)の拡大改良版。
船体を前級の後期型三隻より水線長を1.1m延ばし、主缶を1つ増載したことで主機出力を1,500馬力増強した。
缶室は4つ。第一・第二缶室に2缶ずつ、第二・第三缶室に4缶ずつ収めた。煙突は缶室の横隔壁をまたいだ3本煙突だった。
防御・兵装ともに前級と同じだったが、艦首飾を廃して艦首両舷にゆかりの市章を付けた。
一番艦:ドレスデン
ブローム・ウント・フォス社。アヴィソ「コメット」の代艦名目で建造された。
1909年9月に大型巡洋艦「ヴィクトリア・ルイーゼ」「ヘルタ」、小型巡洋艦「ブレーメン」とともに訪米し、ハドソン河通航300年祭に参加している。
第一次大戦開戦時は南米東岸に在り、ホーン岬を回ってイースター島でシュペー本隊と合流。コロネル沖海戦に参加した。
フォークランド沖海戦にも参加し、英巡洋艦の追撃を逃れたが、その後1915年3月14日にチリ沖ファン・フェルナンデス諸島で「ケント」「グラスゴー」に見つかり自沈した。
二番艦:エムデン
ダンツィヒ工廠。主機3気筒3段膨張レシプロ機関×2基2軸、出力13,500指示馬力、速力23.5ノット
通報艦「プァイル」の代艦名目で建造された。紳士的海賊行為をはたらく血塗れの白鳥。
1910年4月に東洋艦隊所属となり、12月に長崎を訪れた。翌1911年より毎年訪日し、門司・厳島・神戸・清水・横浜・函館・敦賀・宮津などに寄港した。
ほっそりとした優雅な艦容を持つことから極東の独海軍兵には東洋の白鳥として知られた。
南京地区で反乱軍から攻撃を受けた際、応戦したことにより最も名声を博した外国船として血にまみれた姿で上海に帰還した。
日独が開戦する直前の1914年8月6日に青島を発ち、シュペー本隊とパガン島で合同。後に単独でインド洋に分派され通商破壊を行った。
相手が商船だとしても、極東で最初に敵と対戦した帝国海軍艦であり、世界でも最初に実戦に加わった独艦ということになる。
この通商破壊では英商船16隻・約70,000tを撃沈もしくは捕獲した。
この間、9月23日にマドラスを砲撃し石油タンクを炎上させたり、10月28日には偽煙突を作り英巡洋艦ウェイマス級に変装してペナンに接近、露巡洋艦「ジェムチューク」を撃沈したりしている。
11月9日の明け方、海底電線中断所襲撃のためにココス諸島沖に出現したが、ANZAC船団を護衛し、付近を航行中だった英巡洋艦「シドニー」と砲撃戦となり大破、座礁した。
艦長:フォラートゥン→フォン・レシュトルフ→フォン・ミューラー少佐
コルベルク級
常備排水量4,362t、主砲10.5cm×12門、45.0cm魚雷発射管×2門
燃料石炭、主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管缶×15基、主機AEGカーチス式タービン×2基2軸、出力20,200軸馬力、速力26ノット
1906~07年度予算で4隻が計画された。前級(ドレスデン級)の拡大強化版。
船体は前級より水線長を12.1m、幅を0.5m増大させている。主缶を3基増やし、4,000軸馬力以上増強。速力を2ノット向上させた。
缶室は4つ。第一から第三缶室に4缶ずつ、第四缶室に3缶を収め、煙突は前級と同じ3本。
主砲の口径を40から45に強化するとともに、舷側に2門増載している。防御甲板も、水平部の最大厚を30mmから40mmに増強。
一番艦:コルベルク
二番艦:マインツ
ヴルカーン社。通報艦「ヤークト」の代艦名目で建造された。
第一次大戦開戦時は公開艦隊第2偵察隊に所属。北海方面の沿岸防備に従事した。
エムス河口からヘリゴラント・バイト海戦にも参加している。グッデナフ隊と交戦し炎上。退却中に突入してきた英巡洋戦艦部隊によってとどめを刺された。
三番艦:ケルン
クルップ社。主機ゲルマニア並列複式タービン×2基4軸、出力19,000軸馬力、速力25.5ノット
巡洋艦「シュヴァルベ」の代艦名目で建造された。主機は建造所が瑞のエッシャー・ヴィス社からライセンスを導入したツェリー式衝動タービンの一種。
第一次大戦開戦時は公開艦隊第2偵察隊旗艦を務め、マース少将が座乗していた。
ヤーデ湾口からヘリゴラント・バイト海戦に参加し、英巡洋艦「アリシューザ」の他英駆逐艦と交戦。途中で突入してきた英巡洋戦艦部隊より大口径弾を喫して沈没した。
このヘリゴラント・バイト海戦では独主力艦が干潮により出航が遅れ、救援が間に合わず、英艦隊の優位を許したため本級2隻とガツェレ級五番艦「アリアドネ」を失った。
四番艦:
マグデブルク級
常備排水量4,570t、主砲10.5cm×12門、50.0cm魚雷発射管×2門
燃料石炭・重油、主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管缶×16基、主機AEGヴルカーン式タービン×3基3軸、出力25,000軸馬力、速力27ノット
1908~09年予算で4隻が計画された。独小型巡洋艦の発達史上、画期的な級。
船体は従来の船首尾楼型から船首楼型となり、水線長を8.2m増大。幅を0.6m減少させ、艦首の形状をクリッパー・バウとした。
主缶は石炭を常用し、戦闘時など、必要な際には火床上に重油を噴霧して混焼させる炭油混焼だった。
缶室は5つで、第一・第五缶室に2缶ずつと第二から第四缶室に4缶ずつ収めた。煙突は缶室の横隔壁をまたいだ4本煙突。外筒は重量軽減のために上半分が省略された。
防御に関しては、独小型巡洋艦で初めて水線装甲帯を装備。従来の防護巡洋艦のカテゴリーから軽装甲巡洋艦と呼べるものになった。
主砲は前級(コルベルク級)と同じだが、雷装は強化されていた。
艦橋構造物と司令塔は分離構造となり、艦橋の位置はやや後退した。
一番艦:マグデブルク
ヴェーザー社。主機ベルクマン式タービン。
ベルクマン式タービンは1基1胴構成で、翼車は艦首寄りから高圧衝動段落・低圧反動段落・後進段落を有していた。
高圧衝動段落は建造所がライセンスを導入した仏起源のラトー式。
二番艦:ブレスラウ
ヴルカーン社。四等巡洋艦「ファルケ」の代艦名目で建造された。
1912年11月に巡洋艦「ゲーベン」とともに地中海方面に派遣され、第一次大戦開戦時も「ゲーベン」に従って行動した。土が同盟側で参戦する引き金となっている。
「ゲーベン」とともに土海軍に軍籍を移し、「ミディリ」と改名。
10月29日の対露宣戦布告に伴って黒海北岸のケルチ沖に機雷を敷設。ノヴォロシスクを砲撃した。
1918年1月20日にガリポリ半島西方のイムロズ島東岸で英モニター艦「ラグラン」及び「M28」を撃沈しての帰投中に機雷4つに立て続けに触れて沈没。
三番艦:シュトラスブルク
四等巡洋艦「コンドル」の代艦名目で建造された。
第一次大戦開戦時は公海艦隊第2偵察隊に所属。1918年にはフィンランド赤化防止作戦に参加している。
1919年に除籍。1921年に賠償として伊に引き渡され「タラント」と改名され、第二次大戦中の1943年9月にラ・スペチアで自沈した。
その後独軍が浮揚し、閉塞船として使用した。1943年10月と翌1944年9月に米機に爆撃され着底。1947年に解体された。
四番艦:シュトラルズント
ヴェーザー社。主機ベルクマン式タービン。四等巡洋艦「コルモラン」の代艦名目で建造された。
第一次大戦開戦時は公開艦隊第2偵察隊に所属。ヘリゴラント・バイト海戦、ドッガー・バンク海戦に参加している。ユトランド海戦には改装中であったため参加していない。
1916年2月から6月に主砲を15.0cm単装砲×7門に換装し、発射管を水中から水上へ移設。艦橋と測距儀を増高、前後檣の探照灯プラットフォームを上下2段にする改装を受けている。
1918年のフィンランド赤化防止作戦に参加。翌1919年に除籍され、1920年に賠償として仏へ引き渡された。
引き渡された後は「ミュールーズ」と改名され、運用された。1935年に解体。
カルルスルーエ級
常備排水量4,900t、主砲10.5cm×12門、50.0cm魚雷発射管×2門
燃料石炭・重油、主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管缶×12基+同重油専焼缶×2基、主機改良パーソンズ式タービン×2基2軸、出力26,000軸馬力、速力27ノット
1910年予算で2隻計画された。前級(マグデブルク級)の拡大改良版。
船体は水線長を3m、幅を0.3m増やし、艦橋より前方の艦内容積を拡大した。
主機は高圧タービン初段のみ衝動式のカーチス車、他は反動式のパーソンズ車で構成されていて、独では海軍式と呼んでいた。
缶室は5つ。第五缶室に重油専焼両面缶を2基、第一・第四缶室に石炭専焼片面缶を2基ずつ、第二・第三缶室に4基ずつ収めた。
第一から第三煙突は石炭専焼缶4基ずつ、第四煙突は重油専焼缶2基に対応させた。
一番艦:カルルスルーエ
クルップ社。
二番艦:ロストック
ホーヴァルト社。四等巡洋艦「ゼーアドラー」の代艦名目で建造された。
第一次大戦開戦時は公海艦隊第2偵察隊に所属していたが、艦隊戦では水雷戦隊の旗艦に指名された。
ドッガー・バンク海戦に第8水雷戦隊を率いて参加し、ユトランド海戦にはミヒェルゼン代将が座乗した。
ユトランド海戦の北上戦序盤で英第13水雷戦隊の英駆逐艦「ネスター」「ノーマッド」を撃沈したが、夜戦で英第4水雷戦隊より魚雷1本を喫し、缶室などに約900tの浸水を招いた。
駆逐艦S54に曳航されての帰航中、英巡洋艦接近のため、味方魚雷2本により処分された。
グラウデンツ級
常備排水量4,912t、主砲10.5cm×12門、50.0cm魚雷発射管×2門
燃料石炭・重油、主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管缶×10基+同重油専焼缶×2基、主機改良パーソンズ式タービン×2基2軸、出力26,000軸馬力、速力27ノット
1911年予算で2隻計画された。マグデブルク級の改良版。
船体は前級(カルルスルーエ級)とほぼ同じだが、主缶は石炭専焼缶2基を減らし、第一缶室に2基、第二・第三缶室に4基ずつ収めた。
第一・第二煙突は小判型断面で石炭専焼缶4基ずつに、第三煙突は円形断面で石炭専焼缶2基・重油専焼缶2基に対応させた。
兵装と防御は前級と同じ。
一番艦:グラウデンツ
二番艦:レーゲンスブルク
ヴェーザー社。巡洋艦型コルヴェット「イレーネ」の代艦名目で建造された。
水雷戦隊副旗艦としてユトランド海戦に参加。ハインリヒ代将が座乗し、第1偵察隊に随伴し、南下戦終盤では英第13水雷戦隊と砲雷戦を繰り広げた。
1917年3月から7月に主砲を15.0cm単装砲×7門と換装し、発射管を水上4門として、前後檣の探照灯プラットフォームを上下2段とする改装を受けた。
1920年に除籍され、賠償として仏に引き渡された。その後は「ストラスブール」と改名され運用された。
1934年に退役し、1944年に解体された。
ピラウ級
常備排水量4,390t、主砲15.0cm×8門、50.0cm魚雷発射管×2門
燃料石炭・重油、主缶ヤーロー式水管缶×6基+同重油専焼缶×4基、主機改良パーソンズ式タービン×2基2軸、出力30,000軸馬力、速力27.5ノット
露海軍が1913年にシッヒャウ社に発注した2隻を第一次大戦開戦時に独海軍が接収した。
船体はマグデブルク級とほぼ同じで、水線装甲は無く、主砲は露海軍仕様の13.0cm単装砲×8門だったが、独海軍制式砲に換装して竣工した。
主缶は第一・第二缶室に重油専焼両面缶を2基ずつ、第三から第五缶室に石炭専焼片面缶を2基ずつ収めた。
煙突は第一・第二缶室に第一・第二煙突を、第三から第五缶室に第三煙突を対応させた。
当時の独艦は前部艦橋寄りに重油専焼缶を配していたが、本級は逆であった。発射管は当初から水上で、中央部両舷に1門ずつ配した。
一番艦:ピラウ
シッヒャウ社。
ユトランド海戦には公海艦隊第2偵察隊2番艦として参加。
北上戦終盤では英軽巡洋艦「チェスター」を破っているが、その直後に英第3巡洋戦艦部隊より大口径弾1発を喫し、前部4缶が使用不能となり減速、艦橋も大破した。
第二次ヘリゴラント・バイト海戦にも参加している。
1919年に退役し、賠償として伊に引き渡され、「バリ」と改名された。1943年にリヴォルノで米機の爆撃により沈没した。
二番艦:エルビング
シッヒャウ社。
ヴィースバーデン級
常備排水量5,180t、主砲15.0cm×8門、50.0cm魚雷発射管×4門
燃料石炭・重油、主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管缶×10基+同重油専焼缶×2基、主機改良パーソンズ式タービン×2基2軸、出力31,000軸馬力、速力27.5ノット
1912年予算で2隻が計画された。前級(グラウデンツ級)の拡大強化版。
船体は水線長を2.7m延ばし、主砲は建造時から15cm単装砲×8門、水上・水中発射管各2門となっていた。
缶室の配置と煙突の対応は前級と同じ。煙路導設が一番艦と二番艦とで異なっている。
探照灯は同一プラットフォームに梯形配置され、前檣が左舷前位、後檣が右舷前位となっていた。
一番艦:ヴィースバーデン
ヴルカーン社。巡洋艦型コルヴェット「ゲフィオン」の代艦名目で建造された。
主機は1軸をフェッテインガー式流体変速機付きとして後進タービンを省略。他の1軸は推進器軸と直結の主タービンに小型の歯車減速装置を介して巡航タービンに結合し、パーシャル・ギアード・タービンとした。
ユトランド海戦には公海艦隊第2偵察隊4番艦として参加し、殿艦を務めた。
英巡洋艦「チェスター」を撃破直後に英第3巡洋戦艦部隊旗艦「インヴィンシブル」から大口径弾2発を喫した。
これにより主蒸気管が破裂して行動力を失い、航過する英戦艦隊より更なる命中弾多数を受け、6月1日未明に浸水多量のために沈没した。
二番艦:フランクフルト
キール工廠。通報艦「ヘラ」の代艦名目で建造された。
第一煙突は第一缶室の2基と第二缶室の後部2基に、第二煙突は第二缶室の前部2基と第三缶室の4基に、第三煙突が第四缶室の重油専焼缶2基に対応していた。
煙突の断面は第二煙突だけが円形で、他の第一・第三煙突が小判形。配列が前後対称になっている。
ユトランド海戦には公海艦隊第2偵察隊旗艦として参加し、ベーディッカー少将が座乗した。
「ピラウ」と共同して英巡洋艦「チェスター」を撃破しているが、夜戦で中口径弾2発と小口径弾6発を喫した。第二次ヘリゴラント・バイト海戦にも参加している。
1919年の一斉自沈に加わった後浮揚され賠償として米に引き渡された。その後1921年7月28日に爆撃標的として処分された。
ケーニヒスベルク級(2代目)
常備排水量5,440t、主砲15.0cm×8門、50.0cm魚雷発射管×4門
燃料石炭・重油、主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管缶×10基+同重油専焼缶×2基、主機改良パーソンズ式タービン×2基2軸、出力31,000軸馬力、速力27.5ノット
1913年予算で4隻が計画された。前級(ヴィースバーデン級)の拡大改良版。
命名は第一次大戦序盤で戦没した「カルルスルーエ」「エムデン」「ニュルンベルク」を襲名した。
船体は水線長を4.1m、幅を0.4m延長した。缶室と煙突の対応はグラウデンツ級と同じ。探照灯の配置は当初から上下2段。
一番艦:ケーニヒスベルク
ヴェーザー社。小型巡洋艦「ガツェレ」の代艦名目で建造された。
就役後に公海艦隊第2偵察隊旗艦となり、ロイター少将が座乗した。
第二次ヘリゴラント・バイト海戦にも参加しており、英巡洋戦艦「リパルス」より大口径弾1発を炭庫に受け火災を起こしている。
1918年11月13日、降伏独艦隊のスカパ・フロー回航に先立ってモイラー少将座乗の下、単艦渡英。その後、1919年に退役した後も海軍郵便船として英独間を往復した。
1920年に賠償として仏に引き渡され「メス」と改名。1934年に退役した後1936年に解体された。
二番艦:
三番艦:
四番艦:
ケルン級(2代目)
常備排水量5,620t、主砲15.0cm×8門、60.0cm魚雷発射管×4門
燃料石炭・重油、主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管缶×8基+同重油専焼缶×6基、主機改良パーソンズ式タービン×2基2軸、出力31,000軸馬力、速力27.5ノット
1914年予算で10隻が計画された。前級(ヴィースバーデン級)の拡大強化版。
命名は第一次大戦で戦没した小型巡洋艦の名を襲名している。
8隻はそれぞれ「ヴィースバーデン」「マグデブルク」「ロストック」「ライプツィヒ」「フラウエンロープ」「ケルン」「エムデン」「カルルスルーエ」の代艦名目で建造されている。
うち6隻が進水したが、いずれも未成に終わった。
船体は水線長を4m延ばし、雷装も50cmから60cmに強化。発射管は水上の両舷に2門ずつとなった。
缶室は5つ。第一・第三・第五缶室に重油専焼缶を2基ずつ、第二・第四缶室に石炭専焼缶を4基ずつ収めた。
重油専焼缶は各煙突に2基ずつ、石炭専焼缶は第一・第三煙突に2基ずつと第二煙突に4基を対応させた。断面形状はヴィースバーデン級と同じ。
一番艦:ケルン
ブローム・ウント・フォス社。小型巡洋艦「アリアドネ」の代艦名目で建造された。
就役後に公海艦隊第2偵察隊所属となり、ドイツ湾の機雷敷設支援に従事した。
1919年の一斉自沈に加わった。
二番艦:
三番艦:ドレスデン
ホーヴァルト社。先代「ドレスデン」の代艦名目で建造された。
就役後に公海艦隊第2偵察隊に所属したが、機雷敷設以外に活躍の場がほとんどなかった。
第一次大戦終結後のスカパ・フローの後発隊で、戦艦「バーデン」と駆逐艦「V129」とともに回航した。
四番艦:
五番艦:
六番艦:
七番艦:
八番艦:
九番艦:
十番艦: