
36B臨戦型(Z35級)
基準排水量2567t、12.7cm単装砲×5門、37mm連装機銃×4門、20mm単装機銃×3門+20mm四連装機銃×12門、53.3cm四連装魚雷発射管×8門、機雷×76発
主機関ワグナー缶×6基、ワグナー・デシマーク式ギアードタービン×2軸、出力70,000馬力、速力36ノット
船体寸法は36A型と同じで、外洋行動力に富んだ艦となった。対空防御力の強化は新造時から取り入れられていた。
主砲口径を15.0cmへ引き上げたことにより多くの問題が露呈したことで、34型や36型で実績のある12.7cm砲へ設計変更をされた。
強化された、艦橋後端の信号甲板上に円形銃座を設置して20mm四連装機銃×2基以外の兵装は概ね36型と同様だった。
竣工時に中部銃座の20mm単装機銃を連装機銃に変更した以外に改正点はほとんど見られない。
対空兵装総合強化策による対空火器構成は、バウ・チェイサーに20mm連装機銃×1基、艦橋前方に37mm連装機銃×2基、艦橋上の20mm四連装機銃を37mm単装機銃×2基に換装、中部に37mm連装機銃×2基+37mm単装機銃×2基、三番砲を撤去し37mm連装機銃×3基を設置、20mm四連装機銃×1基、8.6cmRAG×4基だった。
生存艦が無いため、この兵装計画がどこまで実施されたのかは定かではないが、完全に実施されたということはまず無いと思われる。
1941年2月17日に発注実施され、同型艦はZ34、Z35、Z43~45。当初の予定ではZ47まで続くはずだったが、「Z46」と「Z47」は後に36C型に計画変更された。
第6駆逐群はバルト海での作戦を一手に引き受けていた駆逐群であり、所属していた艦は1944年中は芬指揮下のフィンランド湾入口での行動や、リガ湾の陸軍支援が主だった。
それらの任務は1944年7月に実質上停止している。
・Z35
デシマーク社。1944年11月末にゴーテンハーフェンで対空兵装強化を実施している。
1943年の秋に第6駆逐群に編入された。1944年12月に「Z36」「Z43」「T23」「T28」とともにレヴァル沖フィンランド湾口に機雷敷設を命じられた。
その際の荒天により、隊内序列に混乱をきたし、航路設定が不十分となり、敷設位置が遥か北方となり、過去に自軍が敷設した機雷原に踏み入り沈没した。
艦長:バトゲ少佐
・Z36
デシマーク社。1944年11月末にゴーテンハーフェンで対空兵装強化を実施している。
1944年3月までに第6駆逐群に編入された。1944年12月に「Z35」「Z43」「T23」「T28」とともにレヴァル沖フィンランド湾口に機雷敷設を命じられた。
その際の荒天により、隊内序列に混乱をきたし、航路設定が不十分となり、敷設位置が遥か北方となり、過去に自軍が敷設した機雷原に踏み入り、「Z35」同様沈没した。
艦長:ハウゼン少佐
・Z43
デシマーク社。
1944年3月までに第6駆逐群に編入された。ただし10月頃まで完全な実働状態には入っていなかった。
1944年12月に「Z35」「Z36」「T23」「T28」とともにレヴァル沖フィンランド湾口に機雷敷設を命じられた。
その後1945年1月中から2月中旬にかけてリバウを出入港する輸送船団の護衛にあたった。同時期に第2任務部隊に編入され、陸軍支援のために東プロイセン沖で沿岸砲撃に参加。
月末までに撤退船団作戦へ復帰し、3月に入ると再び沿岸砲撃に参加し、ポケット戦艦を護衛してコルベルク沖へ出撃している。
3月中から4月にかけて任務に参加していたが、4月10日にダンツィヒ湾で沈置機雷に触れ、大破。行動不能となりロストックを目指して曳航された。
5月2日にキールへ到達し、フレンスブルク運河に移動したが、結局その翌日にゲルティンガー湾で自沈処分となった。
艦長:ウェンニンガァ少佐→ランペ少佐
・Z44
デシマーク社。
1944年7月29日のブレーメンへの空襲で被弾し沈没。
・Z45
デシマーク社。未成のまま放置された。