
1941.5.18~5.24 ライン演習作戦
アイスランド沖~北大西洋での水上砲撃戦。
ギュンター・リュッチェンス大将指揮下の戦艦「ビスマルク」、重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」
とランスロット・ホラント中将指揮下の駆逐艦四隻、巡洋戦艦「フッド」、戦艦「プリンス・オブ・
ウェールズ」が交戦。ビスマルクを補足するために重巡洋艦「ノーフォーク」「サフォーク」も
参加している。
ビスマルクとプリンツ・オイゲン護衛のために駆逐艦六隻が行動を共にしていたが、グリムス
タフィヨルドを抜錨した際に航続距離の違いより離脱している。
フッド、駆逐艦「マショーナ」が沈没。プリンス・オブ・ウェールズが中破。ビスマルク、プリン
ツ・オイゲンが小破した。
戦闘時間約16分。
5.24~5.27 ビスマルク追撃戦
北大西洋~ブレスト沖での水上砲撃戦。
ギュンター・リュッチェンス大将指揮下の戦艦「ビスマルク」、重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」
とサー・ジョン・トーヴィ大将指揮下の本国艦隊(戦艦「キング・ジョージ5世」「プリンス・オブ・
ウェールズ」、航空母艦「ヴィクトリアス」、重巡洋艦「ノーフォーク」「サフォーク」、軽巡洋艦
「バーミンガム」「マンチェスター」「アリュシーザ」「ハーマイアニ」「オーロラ」「ケニヤ」「ネプ
チューン」「ガラテア」、駆逐艦「アクティブ」「アンテロープ」「アケイテズ」「アンソニー」「エレ
クトラ」「エコー」「パンジャビ」「イカラス」「ネスター」「イングルフィールド」「イントレピット」)、
H部隊(戦艦「レナウン」、航空母艦「アーク・ロイヤル」、軽巡洋艦「シェフィルード」、駆逐艦
「ランス」「リジョン」「アシンボイン」「ウィンザー」「マシオーナ」他1隻)、戦艦「ラミリーズ」「ロド
ネー」、重巡洋艦「ロンドン」「エディンバラ」「ドーセットシャー」、駆逐艦「マオリ」「ズールー」
「コサック」「ピオルン」「シーク」他三隻が交戦。
フッドとの交戦により損傷を受けていたビスマルクとプリンツ・オイゲンは5/24から別行動を
とっていた。
ビスマルクが沈没。離別したプリンツ・オイゲンは6/1に無事ブレストに入港。
1942.2.11~2.13 ツェルベルス作戦
ドーヴァー海峡での昼間水上戦。
オットー・チリアクス中将指揮下の巡洋戦艦「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」、重巡洋艦
「プリンツ・オイゲン」、駆逐艦「リヒャルト・バイツェン」「パウル・ヤコビ」「フリードリヒ・イーン」
「ヘルマン・シェーマン」「Z25」「Z29」水雷艇「T2」「T4」「T5」「T11」「T12」「T13」「T14」「T15」
「T16」「T17」「コンドル」「ファルケ」「ゼーアドラー」「イルティス」「ヤグアー」と英駆逐艦六
隻、英魚雷艇九隻、英戦闘機三八機、英爆撃機二七七機、英雷撃機六機が交戦。独艦隊
上空には擁護のメッサーシュミット、フォッケウルフが就いていた。
シャルンホルストが二度、グナイゼナウが一度の触雷に見舞われ小破した。
その後シャルンホルストはヴィルヘルムスハーフェン、グナイゼナウはプリンツ・オイゲンと共
にブルンスビュッテルに無事帰港。
ドーヴァー海峡に英国の敵国が艦隊を侵入させるのは1588年のスペインの無敵艦隊以来
だった。
7.1~7.8 PQ17船団壊滅
北氷洋での船団攻撃。
シュニエヴィンド海軍大将指揮下のUボート三隻、航空機二〇二機、トロンヘイム部隊(戦艦
「ティルピッツ」、重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」、駆逐艦「フリードリヒ・イーン」「リヒャルト・バイ
ツェン」「カール・ガルスター」「テオドール・リーデル」「ハンス・ロディ」)、ナルヴィク部隊(ポケ
ット戦艦「リュッツォウ」「アドミラル・シェーア」、駆逐艦「Z24」「Z27」「Z28」「Z29」「Z30」)とL・
H・K・ハミルトン少将指揮下の巡洋艦戦隊(重巡洋艦「ロンドン」「ノーフォーク」「タスカロー
ザ」「ウィチタ」、駆逐艦四隻)、商船三三隻、トーヴィ提督指揮下の本国艦隊(航空母艦「ヴィ
クトリアス」、戦艦「デューク・オブ・ヨーク」「ワシントン」、重巡洋艦「カンバーランド」、軽巡洋艦
「マンチェスター」「ナイジェリア」、駆逐艦四隻)、直接護衛隊指揮のブルーム中佐が交戦。
商船二二隻が沈没。積み荷の損失は車輌3,350、戦車430、航空機210、その他99,316tとさ
れている。これにより次のPQ18の出発は9月まで見合わせとなった。
独海軍は7月5日の夜に、ビスマルクの二の舞となることを恐れて艦隊を引き返させている。そ
れと同時に英の本国艦隊も独艦隊との距離が遠すぎたために引き返していた。
12.31 バレンツ海海戦
バレンツ海北岬沖での船団攻撃。
オスカー・クメッツ中将指揮下のポケット戦艦「リュッツォウ」、重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」、駆
逐艦「フリードリヒ・エックオルト」「リヒャルト・バイツェン」「テオドール・リーデル」「Z29」「Z30」
「Z31」と船団直衛隊指揮官ロバート・シャーブルック大将指揮下のJW51B船団(駆逐艦「オンス
ロウ」「オリービ」「オビーディアント」「オーウェル」「オブディレイト」「アケイティーズ」、コルベット
「ロードデンドラン」「ハイデラバッド」、掃海艇「ブランブル」、トローラー船「ヴィルザマ」「オーシャ
ン・ジェム」、商船一四隻)、援護部隊司令官ロバート・バーネット少将指揮下の援護部隊(軽巡
洋艦「シェフィールド」「ジャマイカ」)が交戦。
シェフィールド、ジャマイカをリュッツォウとヒッパーに誤認して近付いたエックオルトが至近弾を
受けた。
ヒッパーからの命中弾を受けたアケイティーズは大破しながらもヒッパーと船団の間に煙幕を展
張し続けた。
エックオルト、ブランブルが沈没。アケイティーズは大破から約二時間後に沈没。オブディレイト
が大破。
1943.12.26 北岬沖海戦
北氷洋での昼間砲撃戦。英独海軍最後の大型艦同士の海戦。
エーリヒ・ベイ少将指揮下の巡洋戦艦「シャルンホルスト」、駆逐艦五隻とR・L・バーネット中将指
揮下の本国艦隊(戦艦「デューク・オブ・ヨーク」、軽巡洋艦「ジャマイカ」、駆逐艦四隻)、巡洋艦
戦隊(重巡洋艦「ノーフォーク」、軽巡洋艦「ベルファスト」「シェフィールド」)が交戦。独駆逐艦隊
はシャルンホルストから船団捜索のために前方へ散開するように、との命で別行動をとってい
た。
後に提督は厳しい航海を不憫に思い、先に駆逐艦隊はアルテンフィヨルドへ帰投するようにと
命じており、正しく孤立無援だった。英艦隊に追われ、速度を奪われたシャルンホルストは前の
ビスマルクよろしく英艦隊に包囲され攻撃を受けた。
シャルンホルストが沈没。ノーフォークが中破。デューク・オブ・ヨークが小破。