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エムデン


 基準排水量5,600t、15cm砲×8基、8.8cm高角×3基、20mm機銃×4基、53.3cm連装魚雷発射管×2基

 出力45,900hp、速力29.4ノット
 第一次大戦後、ドイツにおいて初めて建造された大型艦として知られている。ヴェルサイユ条約で定められた6,000tという排水量制限に従った開発が進められた。三代目。
 主砲として15cm単装砲を収めた砲塔8基を前後部と側面に分散して配置。
 トップヘビーによる復元性の低下を抑えるために艦橋等の上部構造のサイズが抑えられた。背の高い煙突と測距塔が独特の艦形を生むこととなった。
 1921年に建造が開始され、1925年に竣工したエムデンは練習艦として用いられ、各国を表敬訪問したこともある。

 ヴィルヘルムスハーフェンのシリッヒ錨地に英軍機が襲来した際、重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」が撃ち落としたブレニム機が艦首に落ち、水兵12名が道連れになった。

 1936年には改装され、後部マストを第二煙突の直後に移動させ、後部甲板室を広げ、後橋が大型化されるなどした。武装は変わらなかった。
 1940年のオスロ攻撃に参加。本格的な通商破壊には非力な武装故、用いられなかった。ノルウェー方面やバルト海方面での機雷敷設作業や練習艦として使用され、華々しい戦績は残していない。
 大戦末期には東プロイセン戦線からの撤退援護に参加。1945年4月にキール軍港が英空軍に爆撃された際、大破。浸水が止まらず沈没に至った。
 艦名は都市の名から。

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