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カイゼリン・アウグスタ
 

 巡洋艦型コルヴェット。常備排水量6,056t、主砲15cm×4門、補助砲10.5cm×8門
 燃料石炭、主管円缶×8基、主機3気筒3段膨張レシプロ機関×3基3軸、出力12,000指示馬力、速力21ノット
 独海軍初の防護巡洋艦イレーネ級の拡大強化版として1887~89年度計画で建造された。ゲルマニア造船所
 船体は船首楼型。舷側装甲は無く、重要部を最大厚70mmの防御甲板で覆っていた。
 遣外用として速力・航続力・居住性を重視している。また前級よりも速力を3ノット、航続力を約50%増大した。
 独大型艦で初めて主機を3基とした。前部機械室に両舷機を、後部機械室に中央機を配した。
 主機1基を小型化し、防御甲板の高さを抑えることで巡航時に中央機のみを運転して燃費を改善し、航続力を増大できることより、以後の独主力艦に踏襲された。
 主缶は両面焚円缶を第一、第二缶室に3基ずつ配し、第三缶室に2基を配して、缶室ごとに煙突を対応させていた。
 主砲は30口径。1898年に副砲ともども15cm35口径砲に換装されている。
 1893年に二等巡洋艦、1899年に大型巡洋艦へ類別変更。1900年には義和団事件に介入している。1902年に帰国、艦橋増設工事を受けた。
 第一次大戦開戦時の短期間にはバルト海の沿岸防備に従事。標的艦・砲術練習艦を経て、1919年に除籍、翌1920年に解体された。

ヴィクトリア・ルイーゼ級


 防護巡洋艦。常備排水量5,660t、主砲21cm×2門、副砲15cm×8門
 燃料石炭、主缶ニクロース式水管缶×12基、主機4気筒3段膨張レシプロ機関×3基3軸、出力10,000指示馬力、速力19ノット
 1893~95年度計画で5隻が建造された。海軍の予算不足のため、遣外用と艦隊用の折衷的な仕様になっている。
 戦艦のカイザー・フリードリヒ3世級よりも一回り小さい21cm40口径を主砲に採用。副砲は同等の15cm40口径で、上甲板と主甲板に4門ずつ装備。
 船体は船首楼型。船首楼甲板は両縁をタートル・バック、艦首は水線下がラム・バウ、水線上がクリッパー・バウ、艦尾はクルーザー・スターン。
 主缶の配置は三缶室に等配され、缶室ごとに煙突に対応させていた。
 日露戦争の戦訓より1905~11年に上構を縮小、前檣をミリタリー・マストから棒檣にし、主甲板の副砲2門を撤廃、8.8cm砲6門を艦中央部の上甲板に移設した。

 

 一番艦:ヴィクトリア・ルイーゼ
  主缶は独起源のデュール缶。ニクロース缶の管寄せを複列ではなく一体としたもの。水管は同様に内外二重の還流式。
  デュール缶はプリンツ・ハインリヒ~ローン級までの大型巡洋艦に制式採用されている。

 

 二番艦:ヘルタ
  主缶は仏起源のベルヴィール缶。独軍艦では本艦と四番艦「ヴィネータ」だけが搭載。

 

 三番艦:フライア
  ダンツィヒ工廠。コルヴェット「フライア」の代艦名目で建造された。同一艦名踏襲という珍しい例。
  1905~11年での改装を一番最初に受けたため主缶を換装せず、煙突が当初のまま三本だった。
  改装後は候補生練習艦として1907年に地中海方面、翌1908年に米国・カリブ海方面、1909年にはノルウェー・大西洋・地中海方面を航海。
  1911~13年に主缶を換装して他の4隻同様二本煙突となった。
  第一次大戦開戦時はバルト海の沿岸防備に従事。1915年にフレンスブルクで海軍兵学校練習艦になり、1920年に除籍、1921年に解体された。
  ニクロース缶は他に小型巡洋艦「ガツェレ」のみが搭載。

 

 四番艦:ヴィネータ
  主缶は独起源のデュール缶。

 

 五番艦:ハンザ
  ヴルカーン社。主缶は仏起源のベルヴィール缶。
  常備排水量5,885t、主缶ベルヴィール式水管缶×18基。
  就役と共に遣外任務に就いた。1903年4月の神戸沖大演習観艦式に参列している。
  1907~09年の改装で上構を縮小、前檣を棒檣に、主缶をシュルツ・ソーニクロフト缶8基に換装、煙突が二本となった。
  改装後は候補生練習艦となり、第一次大戦開戦時は公海艦隊第5偵察隊旗艦としてヤスパー少将が座乗した。
  1915年にキール工廠の宿泊艦になり、1919年に除籍、翌1920年に解体された。

ヴィクトリア・ルイーゼ級

フュルスト・ビスマルク
 

 常備排水量10,690t、主砲24cm×4門、副砲15cm×12門
 装甲200mm、燃料石炭、主缶ソーニクロフト式水管缶×4基+円缶×8基、主機4気筒3段膨張レシプロ機関×3基3軸、出力13,500馬力、速力18ノット
 独海軍初の装甲巡洋艦。コルヴェット「ライプツィヒ」の代艦名目で、1893~95年度計画で建造された。キール工廠。
 遣外用として高速と航続力を備え、装甲によって戦闘力を維持する元来の装甲巡洋艦よりも軽防御の高速戦艦の性格が強い。
 戦艦のカイザー・フリードリヒ3世級と同等の主砲力、6門少ない副砲は最上甲板に2門、上甲板に6門、主甲板に4門を装備した。
 船体は長船首楼型。艦首飾に宰相ビスマルクの横顔がレリーフであしらわれている。
 主缶は第一、第二缶室に円缶を4基ずつ配し、第三缶室に水管缶を4基配した。第一煙突は小判型断面で第一缶室に、第二煙突は円形断面で第二、第三缶室と対応していた。
 義和団事件対応のため優先的に建造され、就役後は直ちに東洋へ派遣された。1909年まで東洋艦隊に所属した。
 帰国後、1910~14年に改装され沿岸防備艦や水雷術練習艦となり、1915年には武装解除の後、潜水艦用標的艦、機関術練習艦となった。
 1919年6月17日に売却され除籍になるまで海軍のオフィス船として運用され、1920年に解体された。

フュルスト・ビスマルク

プリンツ・ハインリヒ
 

 常備排水量8,887t、主砲24cm×2門、副砲15cm×10門
 装甲100mm、燃料石炭、主缶デュール式水管缶×14基、主機4気筒3段膨張レシプロ機関×3基3軸、出力15,000指示馬力、速力20ノット
 1896~97年度計画で建造された装甲巡洋艦。フュルスト・ビスマルクの軽・高速版。キール工廠。
 船体は幅と喫水を減らし、装甲は水線部の最大厚を半減し、装着範囲を広げた。
 主砲塔は連装から単装になり、副砲は中央砲郭に集約。上甲板4門(砲塔装備)、主甲板6門(砲郭装備)となった。
 この配置は翌年度に計画の戦艦ヴィッテルスバッハ級にも応用された。
 主缶は水管缶のみとなり、使用圧増大により主機の出力増強をはかった。缶室は二室で、中央縦隔壁を有していて、6缶が第一煙突に、8缶が第二煙突に対応していた。
 就役後に本国艦隊第1戦隊付属偵察艦、1908年に砲術練習艦、1912年に予備艦となった。
 第一次大戦開戦時は公海艦隊第4偵察隊に所属。1915年5月にリバウ砲撃を行い、翌1916年にはキールで司令部専用艦となった。
 1918年に潜水艦戦隊付属艦になり、1920年に除籍、解体された。

プリンツ・ハインリヒ

プリンツ・アダルベルト級


 常備排水量9,087t、主砲21cm×4門、副砲15cm×10門
 装甲100mm、燃料石炭、主缶デュール式水管缶×14基、主機3気筒3段膨張レシプロ機関×3基3軸、出力16,200指示馬力、速力20ノット
 1899~1900年度計画で2隻が建造された。前級(プリンツ・ハインリヒ)の改良版。
 船体は前級とほぼ同じ長船首楼型。戦艦ブラウンジュヴァイク級や戦艦ドイッチュラント級と近似していた。
 主砲は発射速度を増大した21cm40口径4門にし、前後の連装砲塔に装備。副砲は前級と同じで、中央部に密集していた。
 主缶は第一、第二缶室に4基ずつ、第三缶室に6基を配し、煙突は缶室ごとの三本煙突、外筒を下半分のみとした。
 主機は戦艦ヴィッテルスバッハ級と同じ3気筒3段膨張とされた。前後檣は前級の棒檣から再度ミリタリー・マストとなった。

 

 一番艦:プリンツ・アダルベルト
  キール工廠。就役とともに砲術練習艦となり、1905~07年には練習艦隊の旗艦を務めた。
  第一次大戦開戦時は公海艦隊第4偵察隊に所属。1915年5月にリバウ砲撃を行っている。
  1915年7月に英潜水艦E9の雷撃を受けたがキールで修理し9月には再就役。
  1915年10月23日にリバウ沖で再び英潜水艦のE8から雷撃され火薬庫が誘爆し轟沈。

 

 二番艦:フリードリヒ・カール
  ブローム・ウント・フォス社。出力17,000指示馬力、速力20.5ノット。
  主缶主機ともに一番艦と同一ながら缶使用圧を上げて機関出力を増大したため速力を0.5ノット高めていた。
  装甲艦「ケーニヒ・ヴィルヘルム」の代艦名目で建造され、起工は一番艦より一年あまり遅かったが、竣工は一番艦より一ヶ月早かった。
  1904年に本国艦隊偵察隊旗艦となり、1909年には水雷術練習艦となった。
  第一次大戦開戦時には海防艦戦隊の旗艦として、バルト海方面の沿岸防備に従事した。
  1914年11月14日、メーメル沖で露の敷設した機雷に触れて沈没。

プリンツ・アダルベルト級

ローン級


 常備排水量9,533t、主砲21cm×4門、副砲15cm×10門
 装甲100mm、燃料石炭、主缶デュール式水管缶×16基、主機3気筒3段膨張レシプロ機関×3基3軸、出力19,000指示馬力、速力21ノット
 1901年度計画で2隻が建造された。前級(プリンツ・アダルベルト級)の改良版。
 船体は僅かに大きく、主砲と副砲は同一。装甲は前部司令塔を50mm、防御甲板を20~30mm減厚し、主缶を2基増やし機関出力を高め、速力を上げた。
 主缶配置は4缶室に4基ずつ。煙突を缶室ごとに設けたため、独巡洋艦で初の四本煙突となった。
 プリンツ・ハインリヒ以降、ローン級までの独装甲巡洋艦は遣外・艦隊両用として計画されたが、実態はほとんど艦隊任務だった。

 

 一番艦:ローン
  キール工廠。就役後に本国艦隊偵察隊に所属。1907年には米国ハンプトン・ローズで開催された植民300年祭に参列。
  1911年に予備隊となり、第一次大戦開戦時には公開艦隊第4偵察隊旗艦としてパシュヴィッツ少将が座乗した。
  機雷敷設支援を経て、乗員を潜水艦戦隊へ転出。1916年にキールで監視兼宿泊艦となった。
  1917~18年にかけて水上機母艦への改造が計画されたが実現はせず、1920年に除籍、翌1921年に解体された。

 

 二番艦:ヨルク
  ブローム・ウント・フォス社。装甲フリゲート「ドイッチュラント」の代艦名目で建造された。
  就役後に本国艦隊偵察隊に所属。一時期は旗艦も務めた。1913年3月には駆逐艦S178と衝突し、沈没させた。
  第一次大戦開戦時には公開艦隊第4偵察隊に所属。公開艦隊第4偵察隊は1914年8月25日に公開艦隊第3偵察隊と隊名を交換している。
  1914年11月4日、ヤーデ湾口で航路を誤り、味方の機雷二発に触れ沈没。

ローン級
シャルンホルスト級

シャルンホルスト級


 常備排水量11,616t、主砲21cm×8門、副砲15cm×6門、8.8cm単装砲×18門、45.0cm水中発射管×4基
 装甲150mm、燃料石炭、主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管×18基、主機3気筒3段膨張レシプロ機関×3基3軸、出力26,000指示馬力、速力22.5ノット
 1903~04年度予算で2隻が建造された。前級(ローン級)の拡大強化版。船体は水線長を6.45m、幅を1.4m増大した。
 装甲厚は水線部最厚・副砲砲郭150mm、砲塔前盾170mm、前部司令塔200mmとなった。
 主砲は前級よりも4門多く、上甲板装備の15cm単装砲塔4基を21cm単装砲塔4基に置き換え、片舷に6門を指向可能とした。
 副砲は主甲板の砲郭装備の6門のみとなった。
 主缶は前級より増載した2基を最前部の第五缶室に収め、第一から第三缶室は小判型断面の第一煙突から第三煙突に対応させ、第四、第五缶室は円形断面の第四煙突に対応させた。

 

 一番艦:シャルンホルスト
  ブローム・ウント・フォス社。
  公開艦隊偵察隊に所属していたが、1909年に東洋艦隊強化のために青島へ派遣され東洋艦隊旗艦となった。
  1910年より毎年訪日し、長崎・厳島・神戸・四日市・横浜・函館・敦賀・宮津等に寄港している。
  第一次大戦開戦時は司令長官シュペー中将が座乗し、東洋艦隊を率いて南太平洋を横断した。
  1914年11月1日、南米チリ沖のコロネル沖海戦ではクラドック少将の指揮する英巡洋艦「グッド・ホープ」「マンマス」を撃沈した。
  が、翌12月8日のフォークランド沖のフォークランド沖海戦でスターディー中将の指揮する英巡洋艦「インヴィンシブル」「インフレキシブル」に撃沈された。
  生存者無し。
  艦長:シュッツ

 

 二番艦:グナイゼナウ
  ヴェーザー社。一番艦よりも先に計画されていた。
  一番艦同様、当初は公開艦隊偵察隊に所属していた。皇帝ヴィルヘルム2世の訪芬時には供奉艦を務めた。
  1910年に東洋艦隊に転属、翌1911年より毎年訪日し、長崎・門司・別府・厳島・神戸・清水・横浜・函館・敦賀・宮津等に寄港している。
  第一次大戦時では旗艦であり一番艦である「シャルンホルスト」に従い、コロネル沖海戦とフォークランド沖海戦に参加した。
  旗艦「シャルンホルスト」が沈没した後も英艦隊相手に勇戦したが、艦首砲塔をはじめとして第四煙突、主蒸気管に相次いで命中弾を受け沈没した。
  艦長:メーカー

ブリュッヒャー
 

 常備排水量15,842t、主砲21cm×12門、副砲15cm×8門
 装甲150mm、燃料石炭、主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管×18基、主機4気筒3段膨張レシプロ機関×3基3軸、出力34,000指示馬力、速力24.75ノット
 1906年度予算で建造された。前級(シャルンホルスト級)の拡大改良版。キール工廠。
 計画当初は主砲口径21~24cm、砲塔数4~6基の多種の素案が検討され、1907年7月に21cm連装6砲塔亀甲形配置に落ち着いた。
 主砲は45口径(最大射程19,100m)で最大仰角30度。舷側砲塔は副砲と同じシタデル内に位置していて、B・F砲塔には艦内通路で給弾した。
 船体は船首楼型。水線長を増大する一方、幅の増大を抑えたことで速力を向上させた。
 本国艦隊偵察隊に所属し、ローン級二番艦「ヨルク」から旗艦を引き継いだ。
 1913年に砲術練習艦になった間に前檣を三脚檣にし、トップに射撃指揮所を設けた。前檣を三脚檣にしたのは独艦初。
 第一次大戦開戦時は公海艦隊第1偵察隊に所属。1914年12月のヨークシャー沿岸砲撃に参加している。
 翌1915年1月24日のドッガー・バンク海戦には公海艦隊第1偵察隊4番艦(殿艦)として参加。
 英巡洋戦艦「プリンセス・ロイヤル」の大口径弾を給弾通路や第三缶室の蒸気管に喫し火災を起こした。これにより艦隊より落伍したところに英艦隊より集中砲雷撃を受け沈没。

ブリュッヒャー
フォン・デア・タン

フォン・デア・タン
 

 常備排水量19,370t、主砲28cm×8門、副砲15cm×10門、8.8cm単装砲×16門、45.0cm水中発射管×4基
 装甲250mm、燃料石炭、主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管×18基、主機パーソンズ並列複式タービン×2基4軸、出力42,000指示馬力、速力24.75ノット
 1907年度予算で建造された。独海軍初の巡洋戦艦。ナッサウ級戦艦に対応する巡洋戦艦。ブローム・ウント・フォス社。
 当初はレシプロ機関×3基3軸、速力23ノットで計画されていたが、途中から主機をタービンにし、24ノット以上の速力を狙った。
 船体は前級(ブリュッヒャー)と同じ船首楼型。主缶、煙突の配置も前級同様、第一、第二缶室を第一煙突に、第三から第五缶室を第二煙突に対応させていた。
 しかし各缶室には中央縦隔壁が設けられていた。舷側に防雷網を装着。
 兵装も計画当初から変更がある。当初は、首尾線上に連装砲塔×2基+舷側に単装砲塔×4基の亀甲配置案や連装砲塔×4基を菱形に配置する案等が検討されていた。
 結局片舷投射量を最大化するために中央砲塔2基を前後にズラした梯形配置となった。
 主砲はナッサウ級と同じ。主砲砲架はナッサウ級三番艦「ラインラント」、四番艦「ポーゼン」の首尾砲塔と同じ。艦尾砲塔以外の火薬庫は弾庫の上とされた。
 独巡洋戦艦は、主砲の投射量では同時期の英巡洋艦に劣ったが、防御重量は常備排水量の30%に達する等、同時期の英戦艦にも匹敵していた。
 第一次大戦開戦時には公海艦隊第1偵察隊に所属し、ヨークシャー沿岸砲撃に参加した。ドッガー・バンク海戦には修理中だったため参加していない。
 ユトランド海戦では公海艦隊第1偵察隊5番艦(殿艦)を務め、南下戦序盤では英巡洋戦艦「インディファティガブル」を沈めているが、大口径弾4発を喫している。
 1918年11月、本艦以降の独巡洋戦艦五隻はスカパ・フローに抑留され、翌1919年6月21日に一斉自沈。
 1930年に浮揚され、1931~34年にロサイスで解体された。

モルトケ級

モルトケ級


 常備排水量22,979t、主砲28cm×10門、副砲15cm×12門、8.8cm単装砲×12門、50.0cm水中発射管×4基
 装甲270mm、燃料石炭、主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管×24基、主機パーソンズ並列複式タービン×2基4軸、出力52,000指示馬力、速力25.5ノット
 1908年度予算で建造された。前級(フォン・デア・タン)の拡大強化版。
 長船首楼型。後部砲塔を背負式にして片舷投射量を25%増強した。
 船体幅を広げることで、缶室区画長を短縮するとともに、各缶室は縦隔壁で左右中3列に仕切り、主缶は各缶室に6基ずつ収められ、両煙突に2缶ずつ対応していた。
 第二煙突が前部艦橋と接近しているため外筒が施され、前部探照灯プラットフォームが前部艦橋から第二煙突周りに移されている。
 主砲は前級の45口径から50口径に強化され、最大仰角13.5度、最大射程18,100mだった。旋回は電動式、復座は空圧式、俯仰は水圧シリンダー式。
 舵は速力を上げるために前級で採用されていた並列二枚のツイン・ラダーから主副二枚を直列に並べたタンデム・ラダーになった。
 乾舷が低く、予備浮力の少なさを窺える艦容だが、一方では艦の長さが強調されていて、独巡洋戦艦の中でも特に端正な艦だとも。

 

 一番艦:モルトケ
  ブローム・ウント・フォス社。
  第一次大戦開戦時は公海艦隊第1偵察隊に所属。ヨークシャー沿岸砲撃やドッガー・バンク海戦に参加した。
  ユトランド海戦には公海艦隊第1偵察隊4番艦として参加し、大口径弾5発を喫した。
  リガ湾封鎖作戦では総旗艦を務め、シュミット中将が座乗。公海艦隊第3・第4戦隊や公海艦隊第2・第4偵察隊などの総指揮にあたり、自らも露の沿岸砲台を砲撃した。
  1919年に一斉自沈。1927年に浮揚、解体された。

 

 二番艦:ゲーベン
  ブローム・ウント・フォス社。
  一番艦「モルトケ」とは違い、第一煙突の外筒は省略された。
  1912年にショウ・ザ・フラグのために小型巡洋艦「ブレスラウ」とともに地中海に派遣された。
  英艦隊の追撃を振り切るために友好国土に入港し、土海軍に軍籍を移した。
  「ヤウズ・スルタン・セリム」と名を変えた後、第一大戦後にはさらに「ヤウズ・セリム」と改名し土海軍で引き続き運用された。
  1915年5月10日に露黒海艦隊と交戦し、旗艦「エフスタフィ」を撃破。自身も被害を被っている。
  1918年1月にはイムロズ海戦で機雷3つに触れ大破。
  第二次大戦後の1948年に係留艦となり、1960年に退役。1963年に西独で解体された。

ザイドリッツ
 

 常備排水量24,988t、主砲28cm×10門、副砲15cm×12門、8.8cm単装砲×12門、50.0cm水中発射管×4基
 装甲300mm、燃料石炭、主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管×27基、主機パーソンズ並列複式タービン×2基4軸、出力63,000指示馬力、速力26.5ノット(公試では29.12ノットを記録)
 1910年度予算で建造された。前級(モルトケ級)の改良版。第一次大戦時の独主力艦で最速を誇った。
 基本計画が他の艦同様転々とし、30.5cm連装砲×4基を梯形に配置する案や28cm連装砲×5基を前後背負式にする案などが検討された。
 結局1910年1月に前級と同じ28cm連装砲×5基を梯形に配置する案に落ち着く。主砲砲架も前級と大差無い。
 長船首楼型の船体にさらに船首楼を上積みしている。防御は水線装甲を増高。ヴァイタル・パート全長に30~50mm厚の水雷防御隔壁を設けるなどして強化を図っている。
 缶室配置は前級に第五缶室を追加。第一煙突は12缶に、第二煙突は15缶に対応していた。舵は前級同様タンデム・ラダー。
 前部上構は前級より拡大されている。前檣と第二煙突がやや離れたため、前部探照灯プラットフォームの一部は両者の中間に設けられた。
 後部上構は前級より縮小され、機械室換気塔や後檣基部、後部探照灯プラットフォームは一体化され、後部羅針儀台座は第一煙突の外筒同様省略された。
 第一次大戦開戦時は公海艦隊第1偵察隊旗艦としてヒッパー少将が座乗。ドッガー・バンク海戦では英巡洋戦艦隊旗艦「ライオン」を落伍させている。
 が、一方では第四砲塔のバーベットを撃ち抜かれ、隣接していた第三砲塔にも延焼。一発で二基の砲塔を沈黙させられてしまった。独海軍はこの戦訓により砲塔の防炎対策を徹底した。
 1916年3月に旗艦を「リュッツォウ」に譲り、ユトランド海戦には公海艦隊第1偵察隊3番艦として参加。英巡洋戦艦「クィーン・メリー」を爆沈させた。
 その一方で大口径弾22発と魚雷1発を喫し、約5,300tの浸水により艦首喫水が約14mに達しながらも辛うじて帰還を果たした。
 1919年に一斉自沈。1929年に浮揚され、翌1930年に解体された。

ザイドリッツ

デアフリンガー級


 常備排水量26,600t、主砲30.5cm×8門、副砲15cm×12門、8.8cm単装砲×12門、50.0cm水中発射管×4基
 装甲300mm、燃料石炭、主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管×14基+同重油専焼両面缶4基、主機パーソンズ並列複式タービン×2基4軸、出力63,000指示馬力、速力26.5ノット
 1911年度予算で建造された。ケーニヒ級戦艦に対応する巡洋戦艦。
 独艦の例に漏れず、防御重量が9,839tで常備排水量の約37%を占め、堅牢な艦。機関部は4,152tで常備排水量の約16%、兵装は2,791tで常備排水量の約11%だった。
 同時期の英巡洋戦艦「ライオン」がそれぞれ約24%、約20%、約13%であるのと比べると防御重量の占める割合の高さが窺える。
 一方、常備状態での乾舷は艦首が7.3m、艦尾4.6mで、第一砲塔から順に8.2m、10.8m、9.3m、6.3mと、英巡洋戦艦「タイガー」の10.0m、13.0m、9.7m、7.0mよりも著しく低かった。
 海水の飛沫によってしばしば砲側照準が妨げられた。満載状態では舷側装甲の最厚部は水面下に沈んでいる。乾舷が低いことはすなわち予備浮力の少なさを示し、命取りとなった。
 長船首楼型と計画されていた船体は独巡洋戦艦初の平甲板型となった。
 主砲は30.5cm45口径(最大射程16,200m、最大仰角13.5度)の連装砲×4基を首尾線上に配置。艦尾砲塔以外の火薬庫は弾庫の下となった。
 副砲は上甲板(上構内)装備で、副砲砲郭は従来の中央部のみのシタデルから第二・第三砲塔にまたがる長大なものとして、水雷艇撃退砲もすべて上構内とし、舷側の大きな開口部をなくしている。
 前上がり傾斜の推進軸によって弾薬庫床面の上昇を避けるために後部機械室(内輸用低圧タービン収容)を第三砲塔弾薬庫の後方に置いていた。
 前部機械室(翼輸用高圧タービン収容)は第三砲塔弾薬庫の左右に分かれていた。
 主缶は第一・第五・第六缶室に2基ずつと、第二から第四缶室に4基ずつを収めた。第五・第六缶室は重油専焼両面缶、他の4缶室は石炭専焼片面缶とし、3缶室ずつ両煙突に対応させていた。

 

 一番艦:デアフリンガー
  ブローム・ウント・フォス社。
  就役とともに公海艦隊第1偵察隊に所属し、ヨークシャー沿岸砲撃やドッガー・バンク海戦に参加。
  ユトランド海戦では公海艦隊第1偵察隊2番艦として参加し、英巡洋戦艦「クィーン・メリー」「インヴィンシブル」の撃沈に主要な働きを示した。
  一方では大口径弾21発を喫し、後部砲塔2基を沈黙させられるなどして、甚大な被害を受けている。
  ユトランド海戦での損傷個所を修理するとともに前檣を支柱間隔が大きく開いた独特な三脚檣に改装した。
  上構中央部にアンチ・ローリング・タンクを搭載したため、副砲が12門となっている。前檣トップには射撃指揮所と主砲用測距儀が設けられた。
  改装後は目立った活躍も無く、1918年にスカパ・フローに回航され、翌1919年6月21日の一斉自沈に加わっている。
  最も深い場所に沈み、1923年に水没したまま売却され、1939年に浮揚が試みられたが失敗。
  第二次大戦後の1946年にようやく浮ドックに載せられてスコットランド西部のファスレーンに曳航され、解体された。

 

 二番艦:リュッツォウ
  シッヒャウ社。常備排水量26,741t、副砲15cm×14門。
  巡洋艦型コルヴェット「カイゼリン・アウグスタ」の代艦名目で、1912年度予算で建造された。
  一番艦「デアフリンガー」とは、副砲が方舷7門であることや当初から後檣トップに見張所を設けたこと、両煙突がやや高く、第二煙突が頂部まで外筒に覆われている等の外観上の違いがある。
  訓練終了後に公海艦隊第1偵察隊旗艦を「ザイドリッツ」から譲り受けた。
  が、独水上部隊は活動停滞期に入っていたため、初陣は1916年4月の英東海岸ヤーマス、ローズトフト砲撃であった。
  ユトランド海戦では南下戦序盤で英艦隊旗艦「ライオン」を爆沈寸前まで追い詰め、北上戦終盤では英巡洋艦「ディフェンス」を撃沈した。
  が、大口径弾24発を喫し、特に「インヴィンシブル」より喫した2発は艦首水線下に命中し、短時間に2,000t以上の浸水を招く致命傷となった。
  その翌日未明にやむを得なく自沈し、ユトランド海戦で失われた唯一の独ド級戦艦となった。

デアフリンガー級

ヒンデンブルク
 

 常備排水量26,947t、主砲30.5cm×8門、副砲15cm×12門、8.8cm単装砲×12門、50.0cm水中発射管×4基
 装甲300mm、燃料石炭・重油、主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管×14基+同重油専焼両面缶4基、主機並列複式タービン×2基4軸、出力72,000指示馬力、速力27ノット
 前級(デアフリンガー級)の改良版。大型巡洋艦「ヘルタ」の代艦名目で、1913年度予算で建造された。ヴィルヘルムスハーフェン工廠。
 前級よりも船体を延長し、機関出力を約14%増強して速力を向上させた。
 缶室は前級と同じく6室だが、主缶は第一・第三・第六缶室に2基ずつ、他の3缶室に4基ずつとなっていて、第三・第六缶室に重油専焼両面缶、他の4缶室に石炭専焼片面缶を収めた。
 両煙突は外筒に頂部近くまで覆われていた。前檣は当初から三脚檣で、トップには射撃指揮所と主砲用測距儀が設けられていた。
 主砲は最大射程20,400mで最大仰角が16度。旋回は電動式、俯仰は水圧式、復座は空圧式だった。
 弾庫は火薬庫の下だったが、第二・第三砲塔には補助給弾室が設けられ、揚弾を円滑にしている。
 防御重量は9,809tで常備排水量の約37%を占めた。その一方で機関部重量は3,472t、兵装重量は2,730tと、それぞれ約13%と約10%にすぎなかった。
 1917年2月から無制限潜水艦作戦に移行した後に公海艦隊第1偵察隊に所属したため、活躍の場がほとんど無かった。
 1918年にスカパ・フローへ回航され、1919年6月21日に一斉自沈。
 比較的浅い場所に沈座したため第二砲塔より上を海面上に晒していた。1924年に水没したまま売却され、1930年に浮揚。ロサイスで解体された。

ヒンデンブルク

マッケンゼン級


 常備排水量31,000t、主砲35.6cm×8門、副砲15cm×14門、8.8cm単装砲×8門、50.0cm水中発射管×5基
 装甲300mm、燃料石炭・重油、主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管×32基、主機並列複式タービン×2基4軸、出力90,000指示馬力、速力27.5ノット
 1913年計画で4隻が起工されたが、完成前に第一次大戦が終戦を迎えてしまった。
 進水まで至ったのは2隻のみ。結局進水までこぎつけた2隻も含め、1921年以降4隻とも解体された。

 

 一番艦:マッケンゼン
  1917年4月21日に進水。

 

 二番艦:グラーフ・シュペー
  1917年9月15日に進水。

 

 三番艦:プリンツ・アイテル・フリードリヒ

 

 四番艦:フュルスト・ビスマルク
  1915年11月3日起工。

マッケンゼン級

ヨルク代艦級


 常備排水量33,500t、主砲38.0cm×8門、副砲15cm×12門、8.8cm単装砲×12門、50.0cm水中発射管×4基
 装甲300mm、燃料石炭・重油、主缶シュルツ・ソーニクロフト式水管×32基、主機並列複式タービン×2基4軸、出力90,000指示馬力、速力27.25ノット
 1915年計画で3隻が起工された。前級(マッケンゼン級)の兵装強化版。
 前級やデアフリンガー級では二本だった煙突を一本にまとめたものになるはずだった。
 1916年7月に一番艦が起工されたが翌1917年初めには建造中止となった。二番艦と三番艦に至っては起工すらしていなかった。

 

 一番艦:ヨルク
  1916年7月に起工。

 

 二番艦:シャルンホルスト

 

 三番艦:グナイゼナウ

ヨルク代艦級
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