
36A型(Z23級)
基準排水量2645~3128t、15cm単装砲×3門+15cm連装砲2門、37mm連装機銃×4門、20mm単装機銃×5門、53.3cm四連装魚雷発射管×8門、機雷×60発
主機関ワグナー缶×6基、ワグナー・デシマーク式ギアードタービン×2軸、出力70,000馬力、速力36~38.5ノット
前級(36型-Z17級)の改正版。
不成立に終わっているが、37型に関する企画検討の中で駆逐艦用連装砲塔が真剣に考慮されるようになり、今回のデザインにおいても軽量連装砲塔1基を前部に搭載することが決定的された。
単装砲2基とこれを背負式にするために必要なシェルターデッキの重量を合わせたものよりも軽くしあがる見込みだったものの、船体寸法が前級からほとんど拡大されていなかったので、何らかの問題に直面することは明らかだった。
実際に1941年3月の時点で実動状態に入っていた3隻が重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」のノルウェー進出を護衛したが、荒天に見舞われ、連装砲塔未搭載時でさえ、凌波性に難があることを露呈させている。
また、1938年秋には開発遅延が現実化し、砲塔の実用化は艦の完成後となった。運用開始早々には防水不備が見つかり、漏水で電気系がすぐにショートしてしまうことが判明。更にファインに仕上げた船首楼の形状が重くなった砲塔自体荷重と折り合わなくなり、著しくがぶる艦となってしまった。なお、連装砲塔見受領の際はオープンシールドの15cm単装砲×1基を当該箇所に装備していた。
他の兵装は前級と同じだが、中部機銃甲板が拡張され、37mm連装砲直後への20mm単装機銃×2基の設置を可能とした。
中部ハーフデッキ側面の格納筐に予備魚雷4本を収納した点は独駆逐艦全艦に共通している。
主機関と蒸気系は概ね前級と同じだが、減速機構にOKMからの強い主張に基づいた改正を加えたことで、かえって非効率的はものとなってしまった。燃料搭載量が増加され、理論上良好な航続距離を得ることができ、搭載要領も改正され、復元性確保に寄与している。
各艦、レーダーや三脚檣、消磁電路を装備して竣工したため、竣工時期が遅延している。
竣工時は全艦15cm砲×4門の暫定武装だった。連装砲塔は各艦随時装備していった。
対空兵装の増強については、1942年頃に前部給弾室上及び二・三番砲間の後部給弾室上に20mm四連装機銃を装備。その際、後檣位置を変更した。1944年、現有艦に対する対空兵装総合強化策が検討され、本級もかなりの改善が図られた。計画された内容は、37mm連装機銃×6基+37mm単装機銃×2基、20mm四連装機銃×1基+20mm連装機銃×3基、8.6cmRAG×6基。
37mm連装機銃を艦橋前方・中部機銃甲板・二番砲との換装し、37mm単装機銃を中部甲板、20mm連装機銃をバウ・チェイサー1基と艦橋ウイングに、20mm四連装機銃を従来の後部位置に、それぞれ装備する予定だった。
レーダーについては、当初装備していたFuMO21レーダーを1943年夏以降生存していた艦に、より大型のFuMO25型と換装している。1944年夏からはホーエントヴィール×1基を第二煙突の直後に設置。逆探も装備されている。
7隻すべてが1938年4月23日付でデシマーク社へ一括発注されている。
番号艦名のみが付与されたが、これは独水雷艇としては伝統的慣例に則ったもので、34型や前級(36型)のように固有名(人名)まで付されたものの方が例外的だった。
本級で構成された第8駆逐群は1940年4月に戦没した艦を讃えて付けられた「ナルヴィク」の異名を持つ部隊として知られる。また、前の海戦で失われた艦の名称が、非公式ではあるが継承されていた。
・Z23
デシマーク社。1942年2月末に連装砲塔を受領。
1941年6月に「Z24」とともに仏行きを命じられ、第6駆逐群と行動をともにした。10月には本国の原隊に復帰し、年末にかけて「Z27」までの他4隻とノルウェー北極圏での作戦に参加し、キルケネスを基点としてムルマンスク沿岸を数度遊弋したが、戦果はほとんど上がらず、1942年1月末に本国へ後退した。1942年9月には「Z25」他3隻とともにバレンツ海へ機雷敷設作戦に出動。
1944年8月12日にラ・パリスへの爆撃で損傷し、20日付で解役された。ライン演習作戦の際に第六駆逐戦隊でビスマルクとプリンツ・オイゲンをエスコートしている。
艦長:ベーメ少佐→ウイテッグ少佐→マンテイ少佐
・Z24
デシマーク社。「ゲオルク・ティーレ」の名を継承していた。1942年末に連装砲塔を受領。1944年6月にブレストで中部に20mm四連装機銃を装備している。
1941年6月に「Z23」ともに仏行きを命じられ、第6駆逐群と行動をともにした。10月には本国の原隊へ復帰している。年末にかけては「Z23」をはじめとした「Z27」までの他4隻とともにノルウェー北極圏で作戦に従事した。
1942年1月に本国へ後退した後は「Z25」「Z26」とともに「極洋駆逐艦グループ」を編成し、北極圏へ取って返した。PQ13船団攻撃に赴いた。4月に「Z25」とZ1級七番艦「ヘルマン・シェーマン」とともに英軽巡洋艦「エディンバラ」と交戦し、沈めている。1942年中頃にはナルヴィクに配備されていた。
1943年3月に西仏へ進出し、ビスケー湾で封鎖突破艦やUボートの護衛等の任務に従事。
1944年6月、連合軍大陸侵攻部隊の警戒区域へ進入を試みた際に英加波混成駆逐艦群(駆逐艦「ターター」「アシャンティ」「ヒューロン」「ハイダ」「ブリスカヴィッツァ」「エスキモー」「ピオルン」「ジャヴェリン」)に補足され大破。その後は8月24日のジロンドで英軍機の攻撃を受け沈没。
艦長:マルティン・ザルツヴェーデル少佐→ハインツ・ビルンバッハー少佐
・Z25
デシマーク社。1942年後半に連装砲塔を受領。
対空兵装総合強化策では37mm連装機銃×4基+37mm単装機銃×2基、20mm四連装機銃×2基+20mm連装機銃×6基となっていた。
1941年末ではノルウェー北極圏での作戦に参加。1942年1月末に本国へ後退し、2月のツェルベルス作戦にも参加した。その後は「Z24」「Z26」とともに「極洋駆逐艦グループ」を編成し、北極圏へ取って返した。4月に「Z24」「ヘルマン・シェーマン」とともに英軽巡洋艦「エディンバラ」と交戦し、これを沈めている。
1942年9月には「Z23」をはじめとした5隻でバレンツ海へ機雷敷設作戦に出動している。翌1943年3月に「Z24」とともに西仏へ進出し、ビスケー湾で封鎖突破艦やUボートの護衛といった任務に従事した。
終戦まで生き延び、戦後は仏に引き渡され「オシュ」と改名。1958年まで在役した。
艦長:ゲルラッハ少佐→ハインツ・ペータース少佐→ビルンバッハー少佐
・Z26
デシマーク社。連装砲塔受領前に戦没。
1941年末にかけてノルウェー北極圏での作戦に参加。1942年3月に「Z24」「Z25」とともに「極洋駆逐艦グループ」を編成し、北極圏で行動した。
「極洋駆逐艦グループ」がPQ13船団攻撃のために出撃した際に英軽巡洋艦「トリニダード」と遭遇し、戦闘。機関室に直撃弾を受け、主砲数基も使用不可となり沈没した。乗員は艦が沈む前に僚艦に96名が救助されている。
この時「Z26」にとどめを刺そうとしていた「トリニダード」は発射した魚雷が自分に命中し、戦闘の打ち切りを強いられていた。
艦長:ゲオルク・リッター・フォン・ベルガー少佐
・Z27
デシマーク社。「エーリヒ・ギーゼ」の名を継承していた。連装砲塔は受領前に戦没したため、未受領。
1941年末にかけてノルウェー北極圏での作戦に参加している。1942年中頃にはナルヴィクに配備され、9月にはバレンツ海へ機雷敷設作戦に出動している。
1943年11月に西仏へ進出し、「Z24」「Z25」のビスケー湾で封鎖突破艦やUボートの護衛といった任務に加わった。
任務に加わった翌12月に、仏入港が予定された封鎖突破艦と会合しようとしたところで英軽巡洋艦「グラスゴー」「エンタープライズ」と交戦し、「グラスゴー」より受けた一弾が弾薬庫に命中して沈没。
艦長:シュミット少佐→シュルツ少佐
・Z29
デシマーク社。連装砲塔は1945年初頭に受領。
対空兵装総合強化策は37mm連装機銃×2基+37mm単装機銃3基、20mm四連装機銃+3基×20mm連装機銃×4基
ツェルベルス作戦に参加後、1942年中頃にはナルヴィクに配備され、9月のバレンツ海への機雷敷設作戦や12月のレーゲンボーゲン作戦に出動している。
1944年8月20日以降残存していた「Z30」とともに北極圏での行動を続けた。1943年にはスピッツベルゲンへの攻撃や、巡洋戦艦「シャルンホルスト」の最後の出撃時にも護衛として参加した。
1945年1月に本国へ帰投し、改修に着手し、終戦まで戦線への復帰は無かった。戦後は米に取得され、翌1946年12月にスカゲラックで海没処分された。
艦長:クルト・レヘル中佐→テオドル・フォン・ムティウス中佐
・Z30
デシマーク社。連装砲塔は未受領のまま終戦を迎えた。
対空兵装総合強化策は、当時触雷により大破した船体の修理中であったため、未着手で終わっている。
1942年中頃にはナルヴィクに配備されていた。9月のバレンツ海への機雷敷設作戦、12月のレーゲンボーゲン作戦に参加。
1944年5月からスカゲラックに配備され、その後オスロフォヨルド沖スカゲラック海峡で12月20日に触雷し、大破。終戦時までノルウェーで修理を受けることとなる。
英に取得された後、1948年9月以降に解体された。
艦長:ハインリヒ・カイザー中佐→カルル・ハインリヒ・ラムペ少佐