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36型駆逐艦(Z17級)


 基準排水量2,449t、12.7cm単装砲×5門、37mm連装機銃×4門、20mm単装機銃×7門、53.3cm四連装魚雷発射管 ×8門、機雷×60発
 主機関ワグナー缶×6基、デシマーク式ギアードタービン×2軸、出力70,000hp、速力38ノット
 前級(34/34A型-Z1級)を発展させたデザイン。煙突の短縮と中部上構の減高によってトップウェイトの減少に努めている。艦幅と全長を僅かながら増したこともあって外洋での行動力がかなり向上していた。特に後期三隻ではクリッパー・バウが採用されたため、一段と改善されていた。
 また、水線下の形状が改正され、特に艦尾でデッドウッドを削った結果、旋回圏が減少した。
 内部主機関については前級と概ね同じだったが、よりリファインされたワグナー式高圧缶を継続使用した。前級よりもトラブルは多少減少した。
 その他にも大型ディーゼル発電機を搭載して発電能力が増大。燃料搭載量も増して、航続距離が延びている。
 デシマーク社としては、これまでで最良のデザインと見なすべきもので、1936年1月6日をもって6隻すべてがデシマーク社へ一括発注され、造船所番号W919~924が付与された。
 艦名は第一次大戦時の軍人から。

 

 ・Z17-ディーター・フォン・レーダー
  デシマーク社。
  1939年9月前期の北海における「西の壁」機雷防備作戦に参加。1939年10月17日から翌1940年2月10日にかけての英東海岸沖への攻勢機雷敷設作戦には1回参加している。この作戦は1940年2月に打ち切られている。
  1940年4月のノルウェー侵攻(ヴェーゼル演習)作戦にも参加し、4月10日の第一次ナルヴィク海戦では5発を受けて行動不能の大破。13日の第二次ナルヴィク海戦で英駆逐艦「フォックスハウンド」から捕獲要員が乗艦しようとするまさにその時、自沈した。
  艦長:ホルトルフ少佐

 

 ・Z18-ハンス・リューデマン
  デシマーク社。
  1939年9月前期の北海における「西の壁」機雷防備作戦に参加。1939年10月17日から翌1940年2月10日にかけての英東海岸沖への攻勢機雷敷設作戦には2回参加。
  1940年4月にはノルウェー侵攻(ヴェーゼル演習)作戦のナルヴィク攻撃部隊に編入されたが、4月13日の第二次ナルヴィク海戦にて全魚雷発射後に砲撃を受け、後部に被弾。ロンバクスフィヨルドへ退避し、自ら擱座。それでも未だ浮いていた後部船体は16日に英駆逐艦「ヒーロー」の魚雷で沈められた。
  4月10日の第一次ナルヴィク海戦では弾薬庫浸水と第一砲塔が破壊される等の損傷を被っていた。
  艦長:フレデリクス少佐

 

 ・Z19-ヘルマン・キュンネ
  デシマーク社。
  1939年9月前期の北海における「西の壁」機雷防備作戦に参加。1939年10月17日から翌1940年2月10日にかけての英東海岸沖への攻勢機雷敷設作戦には4回参加している。
  1940年4月のノルウェー侵攻(ヴェーゼル演習)作戦にも参加している。4月13日の第二次ナルヴィク海戦で砲弾、魚雷を撃ち尽くした末にハルヤンスフィヨルドで坐洲。
  魚雷弾頭室で爆雷による自沈を図り、浮かんでいた残骸は英駆逐艦「エスキモー」の魚雷によって粉砕された。
  13日の朝、損傷した前級十三番艦「エーリヒ・ケルナー」を曳航して待ち伏せ位置たるタールスタドへ向かっていたが、結局到達できたのは本艦のみだった。
  艦長:フリードリヒ・コーテ少佐

 

 ・Z20-カルル・ガルスター
  デシマーク社。1940年4月以降、36型(Z17級)で唯一生存していた。三脚前檣と消磁電路を装備。1941~42年には艦橋上にレーダーを搭載し、その操作室を設置するために艦橋構造に変更が加えられた。
  三・四番砲間の給弾室上には後檣に代わってヴィールリンク20mm機銃を配し、後ショウは三番砲のブラストスクリーン上へ移設。1944年までに中部機銃甲板上の20mm単装機銃×2基を37mm単装機銃×2基と換装している。20mm単装機銃を艦橋ウイングと二番砲横の船首楼上に装備。艦首と前後シェルターデッキ上にも20mm単装機銃が追加された。
  1945年1月に「フリードリヒ・イーン」が本艦用に新式37mmM42機銃を運んで来たが、予定されていた改修は受けず終いになった。予定されていた改修の装備内容は37mm連装機銃×6基+37mm単装機銃×2基、20mm四連装機銃×1基+20mm連装機銃×2基+20mm単装機銃×1基、RAG。
  1939年10月17日から1940年2月10日にかけての、英東海岸沿い一帯に機雷を敷設する作戦には3回参加。6月のユーノー作戦に参加した後、7月末には本国へ帰投した。
  北海南西部での機雷敷設作戦に従事した後、9月に西仏へ進出。本国帰還命令が出る12月初めまで同水域に留まった。
  タービンの不調のために1941年6月まで実働できなかったが、復帰後は第6駆逐群旗艦としてノルウェーに赴任。北極圏海域で行動し、11月にキールへ帰投。翌1942年5月までドック入りをして大修理を行った。6月には第8駆逐群旗艦としてノルウェー戦線へ復帰したが、翌7月のQP13船団攻撃作戦中に座礁。本国への帰投を余儀なくされるを修理後は12月までバルト海に留まり、再度ノルウェーへ戻ったが、翌1943年1月にはスカゲラックへ配置転換されることとなった。
  北方に配置され、主力部隊直衛駆逐艦陣の一員としてアルテンフィヨルドで待機し、9月のスピッツベルゲン攻撃に参加。その後11月に本国への帰還を命じられた。帰国後はブレーメンのデシマーク社で改修工事を受け、1944年5月から終戦までホルテンを基地としてスカゲラック方面での任務に従事した。1945年3月頃の東普からの撤退船団の護衛も勤めている。
  戦後は露(ソ連)へ引き渡され、「プロチヌイ」と改名。1960年代前期まで運用され、その後解体された。
  艦長:テオドル・フライヘア・フォン・ベヒトルスハイム少佐→ハームセンシュミット少佐→シュミット中佐

 

 ・Z21-ヴィルヘルム・ハイドカムプ
  デシマーク社。
  9月10日に前級一番艦「レーベレヒト・マース」より駆逐艦戦隊総旗艦任務を引き継ぎ、英東海岸沖への攻勢機雷敷設作戦に4回参加している。
  1940年4月10日のノルウェー侵攻(ヴェーゼル演習)作戦における第一次ナルヴィク海戦で被雷して沈没した。
  艦長:ハンス・エルトメンガー大佐

 

 ・Z22-アントン・シュミット
  デシマーク社。
  1939年10月17日から翌1940年2月10日にかけての英東海岸沖の攻勢機雷敷設作戦に1回参加。
  1940年4月10日のノルウェー侵攻(ヴェーゼル演習)作戦における第一次ナルヴィク海戦で旗艦「ヴィルヘルム・ハイドカムプ」とともに被雷し、沈没。
  艦長:フリッツ・ベーナ少佐

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