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36A臨戦型(Z23級第2グループ)


 基準排水量2645~3128t、15cm単装砲×3門+15cm連装砲2門、37mm連装機銃×4門、20mm単装機銃×5門、53.3cm四連装魚雷発射管×8門、機雷×60発
 主機関ワグナー缶×6基、ワグナー・デシマーク式ギアードタービン×2軸、出力70,000馬力、速力36~38.5ノット
 発電機の装備方法や、より大型で丸みを帯びたファンネル・キャップの装備といった、内装と外見上の細部のディテールに相違点が見られる。
 開戦後の1939年9月19日に発注され、当初は10隻程を予定していたが、Z40からZ42は設計改正が続き、結局建造中止となっている。
 Z31からZ34にはW1001~W1004の造船所ナンバーが、Z37からZ39にはG642~G644の造船所ナンバーが割当てられた。
 艦隊編入が1942年となったため、後部に20mm四連装機銃を搭載しての竣工となった。その後1943年までには艦橋前方の20mm単装機銃を20mm四連装機銃×1基と換装している。
 1944年までに艦橋ウイングへの20mm連装機銃装備が始まったが、Z31だけは同位置に赤外線探知機を装備したため、機銃用のスペースがなくなり、装備されなかった。
 本国水域で活動していた残存艦は機を見て手動式37mm砲を新型全自動式37mm機銃と換装している。
 対空兵装総合強化策をフルに実施したのはZ39だけだった。

 

 ・Z31
  デシマーク社。
  1942年12月にノルウェーへ進出。その直後に実施されたJW51B船団攻撃(レーゲンボーゲン作戦)に参加。
  翌1943年はバレンツ海での機雷敷設作戦に従事した。7月には「Z33」がこれに加わり、9月のスピッツベルゲン砲撃に揃って参加した。その際、戦闘により損傷し死傷者を出している。
  スカゲラック方面へ下がった後、修理のため本国へ1944年1月に帰投している。5月には極洋へ復帰していて、第4駆逐群にて年内いっぱいは北方戦線に留まった。
  1945年1月末に極洋から撤収した後は「Z34」「Z38」とともに一路南下した。1月28日にソグネフィヨルド沖で英軽巡洋艦「ダイアデム」「モーリシャス」に補足され、戦闘に入ったが大破するに留まり沈没には至らなかった。
  応急修理を終えた後は終戦までバルト海戦域に復帰していた。この修理の際に連装砲塔を撤去して、代わりに10.5cm単装砲×1基を搭載した。このため艦橋前方に37mm連装機銃×4基が搭載可能となっていた。これ以外の37mm機銃は中部に連装2基、単装2基だった。二番砲は残置され、後部甲板室もそのままだった。
 戦後は仏に引き渡され「マルソー」と改名。1958年まで在役した。
  艦長:ヘルマン・アルベルツ中佐→パウル少佐

 

 ・Z32
  デシマーク社。1944年6月にブレストでUボート用37mm単装機銃×2基を中部20mm機銃に換装している。
  「Z37」とともに第8駆逐群に所属。1943年3月に西仏へ進出し、沈没時までそこにあった。
  1944年1月30日に「Z37」と衝突し、大破させている。6月9日に連合軍侵攻部隊の橋頭堡へ突入を目指し、英加波駆逐艦群と交戦し、陸岸に擱坐した。
  艦長:ベルガー少佐

 

 ・Z33
  デシマーク社。
  1943年のバレンツ海における機雷敷設作戦に7月から参加。その後9月のスピッツベルゲン砲撃にも参加している。
  1944年12月の巡洋戦艦「シャルンホルスト」出撃時には前衛の一部をなしていた。第4駆逐群として年内いっぱいは北方戦線に留まった。
  第4駆逐群は1945年1月末に極洋から撤収したが、この時本艦はナルヴィクで修理中であった。降伏する5月までの間には戦線に復帰はしている。
  終戦時の兵装は、艦橋前方に37mm連装機銃×2基、中部に37mm連装機銃×2基+37mm単装機銃×2基の、37mm機銃計10門となっていた。
  戦後は露(ソ連)に引き渡され「プロヴォルヌイ」と改名された。「Z34」に移設した二番砲は再搭載された。
  艦長:エーリヒ・ホルトオルフ大佐→メンゲ中佐→ペーター=ペルカム大尉

 

 ・Z34
  デシマーク社。
  対空兵装総合強化策は前部20mm機銃の代わりにボフォース40mm機銃を装備し、中部20mm単装機銃も全自動式37mm単装機銃×2基と換装。1945年にはRAGも装備し、実戦で使用している。
  1943年9月にノルウェーへ北上。1944年12月の巡洋戦艦「シャルンホルスト」出撃時には前衛の一部をなした。第4駆逐群として年内いっぱいは北方戦線に留まった。
  1945年1月末に第4駆逐群が極洋から撤収し、一路南下していた途中、1月28日にソグネフィヨルド沖で英軽巡洋艦「ダイアデム」「モーリシャス」と交戦。1弾を被った。
  その後「Z38」とともにバルト海戦線の最終局面に加わったが、ソ連魚雷艇の雷撃を受け大破した。
  艦長:カルル・ヘッツ少佐

 

 ・Z37
  ゲルマニア社。対空兵装総合強化策はほぼ行われていない。
  「Z32」とともに第8駆逐群に所属。1943年3月に西仏に進出。
  1944年1月30日に「Z32」と衝突。魚雷実用頭部が爆発し、機関室が2軸共使用不可能となった。
  ボルドーまで曳航され、なんとかドック入りとなったが、仏周辺の状況が悪化したため、修理に入ることができず、砲兵装を沿岸防備用に陸揚げし、上船体に火を放ち、処分された。
  艦長:ラングヘルド少佐

 

 ・Z38
  ゲルマニア社。対空兵装総合強化策での目立った改正点は見受けられない。
  1943年8月にノルウェーへ北上。1944年12月の巡洋戦艦「シャルンホルスト」出撃時には前衛の一部をなした。第4駆逐群として年内いっぱいは北方戦線に留まった。
  1945年1月末に極洋から第4駆逐群が撤収。一路南下中の1月28日にソグネフィヨルドで英軽巡洋艦「ダイアデム」「モーリシャス」と交戦した。
  その後「Z34」とともにバルト海戦線最終局面に加わった。戦後は英に引き渡され「ナンサッチ」と改名。1950年に解体された。
  艦長:ゲールフリート・ブルツァー少佐→リンカー少佐

 

 ・Z39
  ゲルマニア社。対空兵装総合強化策をフルに実施した唯一の艦。
  スカゲラックで短期間行動し、1944年初頭に第6駆逐群所属となり東バルト海へ移動した。フィンランド湾口への出撃に参加。
  1944年6月23日、レヴァル錨泊中にソ連爆撃機から攻撃を受け損傷。キールのドイッチェヴェルケ社で修理中の7月24日にもまた爆撃を受けている。
  結局修理の完工と兵装改変を含む諸改正が完了し、再就役を果たしたのは1945年2月16日で、1944年8月初めにシュヴィネミュンデへ曳航されてから年を越していた。
  再就役後は1945年4月まで、先頭への目立った介入は見られない。言わずもがなこの頃の東部戦線はかなり圧迫された状況にあった。
  戦後は米へ引き渡されたが、それから1947年に仏へ引き渡され、部品取りに利用された。
  艦長:レールケ少佐

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