
アドミラル・ヒッパー型
基準排水量14,050t、20.3cm連装砲×4基、10.5cm連装高角砲×6基、37mm連装機銃×6基、20mm機銃×8基、53.3cm三連装魚雷発射管×4基
出力132,000hp、速力32.5ノット
ヴェルサイユ条約を破棄した後、英国との間に結ばれたロンドン海軍協定に則って建造された巡洋艦。各国の重巡洋艦よりも一回り以上大きい。
主砲は他国同様20.3cm砲を採用。但し背負式に前後2基ずつ配置されたため、火力は劣っていた。
比較的小型の艦橋とその後方に続く測距塔、煙突の位置等がシャルンホルスト級に酷似している。
1939年の竣工当時は艦首がほぼ垂直だったが、凌波性に難有りということで前端部を延長、傾斜した艦首に改められた。
排煙が艦橋の周囲に漂い視界を遮るのを防ぐために煙突頂部にキャップが新設された。大戦勃発直後には艦橋頂部にレーダーが設けられた。
一番鑑:アドミラル・ヒッパー
ヴェーゼル演習作戦に参加し、英駆逐艦「グローウォーム」を沈めている。ユーノー作戦では兵員輸送船「オラマ」を「Z20(カルル・ガルスター)」とともに沈めている。
北海と大西洋で通商破壊に従事。大戦末期には東部戦線における撤退作戦にも参加。
1945年4月に英空軍がキール軍港を爆撃した際、大破。そのまま敗戦を迎えることとなった。
第一次大戦時の軍人からの名。
艦長:ヘルムート・ハイエ大佐→ヴィルヘルム・マイゼル大佐→ハンス・ハルトマン大佐
二番鑑:ブリュッヒャー
1939年竣工。翌1940年4月のノルウェー攻略戦でノルウェー軍の砲台から砲撃を受け大破。海岸から発射された魚雷によって沈没した。
犠牲になったのだ…。
艦名はプロイセンの軍人から。
艦長:ハインリヒ・ヴォルダク大佐
三番艦:プリンツ・オイゲン
ゲルマニア造船所。
全長が僅かに延長され、カタパルト等の位置が変更される等の改良が図られた。幸運艦。
ビスマルク級戦艦二隻のどちらともと行動をともにしている。
ライン演習作戦やツェルベルス作戦と言った、英国を煽るような作戦に毎回参加している。コペンハーゲンで英軍に接収された。
艦尾や舵を吹き飛ばされつつ大戦を生き延び、米海軍に引き渡され独海軍唯一のビキニ環礁原爆実験試験艦となった。
二度の原爆実験に耐えたが12月21日クェジェリンに曳航されていたが傾き始め、翌22日に潮と強風のため転覆。クェジェリン環礁エヌブジュ島の海岸近くに放棄された。
オーストリアの貴族軍人の名から。名前のひとがネコだったとか。
艦長:ヘルムート・ブリンクマン大佐
四番艦:ザイドリッツ
1939年に進水。工事の90%が完了していたが、1942年6月にグラーフ・ツェッペリンの工事が再開されることにともなって空母に改装されることとなった。
計画では200mの飛行甲板と2本のカタパルトを装備。ユンカースJu87Dの艦上型10機とメッサーシュミットBf109G型10機を予定、艦名はヴェーザーとなるはずだった。
1943年2月に出された大型艦建造中止命令に従い、上部構造がほぼ撤去された同年6月に工事が中止され、建造が打ち切られた。
そのまま移動先のケーニヒスベルクで放置され、終戦直前に自沈した。
戦後、露(ソ連)は浮揚しポルタワと命名。復旧しようとしたが結局スクラップにされた。
艦名はプロイセンの軍人から。
五番艦:リュッツォウ
1940年8月に露(ソ連)からの輸入の支払いの一部として露(ソ連)へ引き渡された。
引き渡された後はタリンと命名され、更にその後ペトロパブロフスクと改称。しかし結局完成することはなく、戦後にスクラップとなった。