
1916.5.31~6.1 ユトランド海戦
ユトランド海での砲撃戦。以後の戦艦設計の基準となったド級戦艦同士の戦い。
戦艦「ナッサウ」「ヴェストファーレン」「ラインラント」「ポーゼン」「ヘルゴラント」「オストフ
リースラント」「チューリンゲン」「オルデンブルク」「フリードリヒ・デア・グローセ」「カイゼ
リン」「プリンツレゲント・ルイトポルト」「ケーニヒ」「グローサー・クールフュルスト」「マル
クグラーフ」「クローンプリンツ」(後の「クローンプリンツ・ヴィルヘルム」)「ドイッチュラン
ト」「ハノーファー」「ポンメルン」「シュレジェン」「シュレスヴィヒ=ホルシュタイン」「ヘッセ
ン」、巡洋戦艦「フォン・デア・タン」「モルトケ」「ザイドリッツ」「デアフリンガー」「リュッツォ
ウ」、軽巡洋艦一一隻、駆逐艦五一隻と戦艦「ベレロフォン」「シュパーブ」「テメレーア」
「セント・ヴィンセント」「コリンウッド」「ヴァンガード」「ネプチューン」「コロッサス」「ハーキ
ュリーズ」「オライオン」「モナーク」「サンダラー」「コンカラー」「キング・ジョージ5世」「エ
イジャックス」「センチュリオン」「アイアン・デューク」「マールボロ」「ベンボウ」「エジンコ
ート」「エリン」「カナダ」「ウォースパイト」「バーラム」「マラヤ」「ヴァリアント」「ロイヤル・
オーク」「リヴェンジ」、巡洋戦艦「インヴィンシブル」「インドミタブル」「インフレキシブル」
「インディファティガブル」「ニュージーランド」「ライオン」「プリンセス・ロイヤル」「クイー
ン・メリー」「タイガー」、装甲巡洋艦「デフェンス」「ウォーリア」「デューク・オブ・エジンバ
ラ」「ブラック・プリンス」「マイノーター」「シャノン」「ハンプシャー」「コクラン」、軽巡洋艦
二六隻、駆逐艦七九隻が交戦。
両艦隊共に艦船数が多すぎたために集団としての統制された攻撃が儘ならなかった。
独艦隊は戦闘に勝ち、英艦隊は戦略的に勝った戦闘と言える。
インディファティカブル、クイーン・メリー、インヴィンシブル、ポンメルン、英装甲巡洋艦
三隻等の、巡洋戦艦三隻、巡洋艦三隻、駆逐艦三隻が沈没。リュッツオゥ等の、旧型
戦艦一隻、巡洋戦艦一隻、軽巡洋艦四隻、駆逐艦五隻が沈没。それぞれ死傷者数は
6784人と3039人に登った。
1919.6.21 スカパ・フローの一斉自沈
連合国への引き渡しを拒んだ独海軍がスカパ・フローに抑留されていた艦を自沈させた。
抑留されていた艦は、戦艦11隻(284,004t)、巡洋戦艦5隻(120,884t)、小型巡洋艦8隻
(41,510t)、駆逐艦49隻(47,104t)の計73隻(493,502t)。これはユトランド海戦に参加した
99隻(664,650t)の約3/4に当たる兵力であった。
軍艦73隻中50隻が海の底へと沈んだ。スカパ・フローに抑留されている間、独艦は国旗掲
揚を認められず、再び掲げられることもなかった。これは休戦条約に反することであり、ルー
トヴィッヒ・フォン・ロイター少将が強く苦情を申し立てたことは言うまでもない。また、抑留さ
れていた艦の自沈作戦を実行に移した本人でもある。
この一斉自沈の結果、国内に残されていたナッサウ級戦艦4隻をはじめとしたヘルゴラント
級戦艦4隻、小型巡洋艦「シュトラスブルグ」「グラウデンツ」「レーゲンスブルク」「ケーニヒス
ベルク」「ピラウ」などが賠償として連合国に分配されることとなり、独海軍の更なる弱体化を
招くこととなった。