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 自分から誘っておいて、約束の時刻に遅れる――なんて情けないことにはなりたくない。予定よりも遅れてしまった出発時刻に急かされながら、出し得る限りの速度で、鉄紺色の夜空を一機の戦闘機が往く。
 一目見た時から惹かれていると言ってもいい。優美で華やか、栄華を誇った星を故郷に持つ機体には――当然と言えば当然だろう――自分たちには無い魅力がある。また、性格も親しみやすく話しやすいと言えるだろう。けれどその姿には影が見え隠れしていた。当の機体は常に変わらない振る舞いをしているつもりなのだろうが、ふとした瞬間に、影が色濃く表に顔を覗かせる。何時も何事もないように振る舞って見せるその機体の健気さを、優しく受け流すことも、器用に慰めることも、彼はできずにいた。
 山や川を幾つか越えて待ち合わせの場所に着くと、やはりと言うべきか既に相手はそこにいた。
「悪い――待たせちゃったり、」
相手と同じように戦闘機から変形し、窺うように訊く。時計の針は、結局、約束の時刻から五分ほど過ぎた時を示していた。頭上の星空を見上げていた相手は振り返り、親の機嫌を窺う子供のような彼の様子に肩を微かに震わせた。
「いや、私もつい先程着いたばかりだから、待ってはいない」
様々な色合いの光の粒が散らばる夜空を背にした機体は、近しい色を持っている。けれど決して紛れることはなく、鮮やかにその存在を示していた。それは自身の機体では表せないだろう空気感で――うつくしいな、と、純粋にそう思った。そして、そんな相手を今こうして独り占めしているという事実に幸福を感じた。
「同僚にも、上司にも秘密で来たんだぜ、あんたのために」
「そうか。それは嬉しいな」
言葉を投げればちゃんと返ってくる。おどけた言葉にも、同じような軽い調子で返される。それはつまり、たぶん邪険にはされていないということで、そう思うと、自然と口元がゆるりと弧を描いた。
「オレも、あんたが来てくれて嬉しいよ」
件の同僚や上司が見たら、気が抜けているだの締まりがないだのと言われそうな、幸せそうな笑みを浮かべて彼は零した。けれど相手はそんな彼の反応を見ながらも、纏う空気はそのまま、揶揄うような言葉を軽く吐くのだ。
「ひとからの誘いを無下にするわけにはいくまい?」
「あー……そう…………うん……なるほど。あんた、優しいのな」
「フフ。冗談だ。誘われて嬉しかった」
「! あんた……っ! もー!オレをどうしたいんだよ!」
頭を抱えるようにして唸れば、悪かった、拗ねないでくれ、と笑いを含んだ声。
 手のひらの上で転がされているな、と、直感で思った。しかしそれが不快であるかと訊かれれば、そんなことはない。子供扱い――実際、相手の方が年上ではあるのだろうが――されているらしいことは少しばかり不満だが、好意を寄せている相手に甘やかされて悪い気はしない。それだけ気兼ねされていないということでもあるのだから。もちろん、近いうちに自分が甘やかす側になる、と彼は相手の知らないところで意気込んでもいる。
 街の明かりや街灯の明かりも届かない場所では、頭上に浮かぶ星明かりだけが周囲を照らす。その光は何光年と離れた場所で死んだ星の、いつかの叫び声なのだろうが、自分たちには関係のないことだと思った。最期の輝きもここから見れば最高の舞台装置とさして変わらない。精々場を盛り上げてくれればいい。

 彼は仕切りなおすようにひとつ提案をする。
「ちょっと飛ぼうぜ。折角のランデブーなんだ」
頻繁に、大っぴらに会うことは、今の状況では出来ないから、こうして会える機会が殊更大切に思える。約束を交わして、来たる当日まで夜を越えることがもどかしい。
 ふたつの機体が滑るように空を往くのを、静けさだけが遠巻きに見ていた。

​眠れぬ夜を越えて

 その名前を聞いた時、どこか懐かしさを感じた。
 彼がその機体を覗き込んでいると、面白くなさそうな声が背後から聞こえてきた。
「あんま近寄らない方がいいと思うぞ」
「いきなり目を覚まして噛みついてくるとでも?」
振り返ればそこには案の定見慣れた機体がいて――フェイスパーツはなくとも、機嫌は傾きがちだなということは、滲み出ている空気から察することが出来た。出来たが、それでも彼は面白そうに言葉を続けた。
「それとも、妬いたか?」
何に、とは敢えて言わなかったが、小首を傾げて訊かれた方は感情豊かに否定した。
「妬っ――いや、別に……! そもそも、なんで俺が! 妬くことなんて何も……!」
少しだけ声を荒らげてからバツが悪そうに顔を逸らすと、周りを見てくると一言零して、見慣れた故郷の戦闘機は広い宇宙に飛び出していった。そうして再び、機能の停止している機体とふたりきりになる。
 故郷とする母星も詳しい素性も知らない機体は、確かに目的のために利用する手札手駒舞台装置程度の認識だった。以下でも以上でもなく、自分たちの目的を果たすための数ある欠片の一片に過ぎなかった。筈だった。それなのに――自分は今、この機体を気にしている。気が、する。思考回路の中で、ふむ、と彼はひとり頷いた。
「存外――声が好み、だったか……?」
或いは、その名前が持つ音か。煤け、傷付いていることを踏まえても端正だと言える顔の、頬の辺りをするりと指の背で撫ぜる。かの破壊大帝と派手にやりあっていたのだから、しばらくは目を覚ますこともないだろう。連れが随分と世話になったらしい礼を込めて側頭部を軽く小突いてやる。これくらいしても罰は当たらないはずだと思った。
 そんな彼の頸部に手が伸びてきたのは突然のことだった。
 ガッと勢いよく伸びてきた、動かない筈の手が頭部と胴体を繋ぐケーブルを圧迫する。思わず排気が詰まり、くぐもった音が零れた。視界には、起動していることを示す、赤みを帯びたオプティック。目と鼻の先には、言葉通り、先程まで眺めていた顔がある。
「 ――ッ、なんだ、起きていた、のか」
出来るだけ調子を変えず、相手を窺う言葉をかける。起動してすぐにこの速度で動ける機体など出会ったことがない。吹き飛ばされた衝撃によるバグか、一時的な回路の活性か――何にせよ、この状況で相手の意識が明瞭であるとは思えなかった。
「 …………、……、」
掠れ、ノイズに塗れた音声は言葉に成ってはいなかった。何を、と思考を巡らせようとした、その時。
 ガツリと硬い機体同士がぶつかる音がした。頭部前面、いわゆる顔面部の下方――マスクに覆われているところを、相手に噛みつかれていた。音の割に痛みなどは無く、跡も残らない程度の接触。カツ、と硬質なマスクと歯が触れ合い音をたてる。それから、そっとやわらかな唇が名残惜し気に離れていった。その間、呆然と自身に起きていることを追い続けていた彼の視覚器には、ぼんやりと妖しく光を灯す相手のオプティックが映っていた。その双眸は、確かに彼を捉えていた。
 小さな駆動音と圧迫されていた頸部が軽くなるのを感じて我に返る。掴んでいたものを手放し、力の抜けた手は再び昏い宙に浮かび始める。
 口付け――おそらく、口付けられた場所を手で覆って、彼はさてどうしようかと考える。これは事故なのだろうか。故意なのだろうか。今は自己修復に徹し、意識を沈めているこの機体が回復し目覚めた時、どんな態度で接すれば良いのか。そもそもそこまで嫌な気になっていない自分は何なのか――機体の、深部が騒ついた。そして、チラリと横で浮かんでいる機体を見る。無重力に浮かぶ機体が流されて行かないようにと誰かに――自分に言い聞かせるように、先程まで自分の頸部を鷲掴んでいた機体の手を取る。意識の無い機体の手を握った状態で、彼は飛び出していった黒と橙色の戦闘機を待つことにした。
 そんな二機の──特に彼の──姿を、哨戒から帰ってきた機体が視認して言葉を詰まらせるまで、あともう少し。

​これがきっと最後の進化

これがきっと最後の進化

 おや、と器用にも表情のない機体は驚きを表した。こんな人気の無い廊下の角で鉢合わせるとは、なんて言葉が聞こえた。
「驚いたな。てっきり宛がわれた部屋か、外に単機で出ているものかと思っていた」
「ひとのことは言えんだろう。俺とて、お前がこんなところに居るとは思っていなかったわ」
片や飄々と、片や不遜に、言葉を交わす二機の周囲は、当機たち以外には至極居づらい空間になっていた。二機にとっては単なる挨拶程度のものなのだろうが――それは些か周囲のそれとは難易度が違っていた。
 一段落がついて、分かれていた陣営のものが入り乱れてどんちゃん騒ぎしている喧騒が、離れた場所から聞こえてくる。二機の間でしか気軽には出来ないやりとりを交わしたふたりは、そのままの流れで取り留めのない立ち話を始めていた。そしてふと、思い出したように紺藍色の機体が小首を傾げて相手に訊く。

「そういえば――どちらの名で呼んだ方が良いんだ? 破壊大帝殿?」
細められたオプティックが不快感からでないことは微かに上げられた口端から読み取れた。
「どちらでも、好きな方で呼べば良い。貴様のエフェクトボイスは、その名と同じく、聴覚器によく馴染む」
「おや。それは嬉しいことを言ってくれる……褒めても何も出ないぞ?」
「何か出るとも期待しておらん。そもそも褒めてなどいない」
だが、と何時も己が思うままに振る舞ってきた、強大な機体は笑みを深める。
 もちろん、その様子に気付かない相手ではなかった。が、不意の接触に、対応しきれなかった。ごく自然且つ素早く片腕を掴んで引き寄せられ、平坦だった駆動音に波が立つ。機体を捉えた腕に、機体を捉える視線に、相手のすべてに、自分という機体が絡めとられているような、感覚。知らず、意味のない排気をひとつ、短く吐いた。
 ふるりと小さく震えた目の前の機体に喉奥で小さく笑う。その震えが恐れから来るものでないことは、明白だった。
「だが、どちらの名を選んだとしても……その様子では――貴様にとって毒になるのではないか?」
「――ッ、ぁ、」
手持ち無沙汰に、空いていた方の腕を動かして、細い脚部をなぞる。あ、と飲み下しきれない音が揺れながら落ちていった。
「んッ……や、ァ……、なぜ……ッ?」
 何故。何故と問われても明確な理由などなかった。気紛れと言ってもいいだろう。しかしそこには少なからず無視できない興味があった。名前も姿もエフェクトのかかった声も、何処かで見聞きしたことのあるような――随分と慣れ親しんだような、そんな気がしていた。ずっと前から知っていて、ずっと傍に居たような。そんな記憶はどこにも保存されていないというのに。寧ろ、何故かと訊きたいのは、この機体の方だったかもしれない。
 脚部や胴の線を指先やその背でなぞる度に、意味をなさない、切なげな音が零れ落ちていく。自分が与えている刺激から逃れたがって身悶える機体に、笑みが深まる。
「名を――俺の名を呼べ、サウンドウェーブ」
頭部の側面に口を寄せて囁けば機体は可愛らしく跳ねた。相手の名を音にしたことに、不思議と充足感を感じた。
「ぁ、マスタ、ァ…………、メガトロ、ン……ッ」
熱に浮かされたような――実際に機体の熱は上昇しているようだが――声で呼ばれた名の、心地よさ。常よりも弱まったエフェクトで、発せられた声の揺らぎが拾いやすくなっている。空気を震わせた音は、確かに機体を蝕んでいた。
 目の前の機体が譫言のように、メガトロンさま、と小さな声で名前を転がした瞬間、衝動的にその機体の退路を壁と自身の機体で断っていた。
 ここまでしても大した抵抗を見せないのは、相手にも思うところがあるのだろう。押し返しはせずに添えられるだけとなっている、掴まれていない方の手の先が縋るように胸の辺りに置かれている。そしてふと、この手が求め、緩やかに明滅しているバイザーが見ているのは、本当に自分なのだろうかという考えが過った。今目の前に居るこの自分に相違ないのかと。
 相手の顎を、指先で持ち上げる。そうして、破壊大帝は確かめるように、もう一度目の前の機体に己の名を呼ばせた。

​その背中に羽は要らない

その背中に羽は要らない

 金属が軋む、耳障りな音がした。ビシャ、ベチャリ、と何か液体が滴り落ちる音。そういう音が聞こえる度に、支えている機体が、少しだけ軽くなっていく気がした。そうして、駆動音が未だ聞こえていることに安堵する。
 油断していた。簡潔に言えばそれだけのことだった。交戦した敵に思いの外手こずった。結果から言えば勝利を収めたことになるが、ここ最近で最も酷い損傷を負っての辛勝だった。破損や欠損によって変形することの出来なくなったパートナーと、自身も傷付いた足を引きずりながら、彼は手当の出来そうな場所を探す。全体的に彩度の低い、岩石や金属で構成された小さな星だが、地形の隆起はなかなか大きく、しばらく此処で大人しく身を隠すことも可能だろう。ツイているのか、いないのか――判りかねるな、と彼はいつもより回らなくなっている頭でぼんやり笑った。
「もう少し、頑張っててくれ……すぐ、リペア、してやるから、な、」
独り言のように呟いた言葉に相手が反応を示す。俯きがちだった頭部が僅かに上げられ、彼の方を見る。
「いい……も……置いて……私は……だいじょ……ら」
久々に合ったように思える視線に、首を小さく傾げることで答えてやると相手の発声装置からはノイズの混じった途切れ途切れの声が聞こえてきた。いつも素の声を隠しているエフェクトがノイズに置き換わっているようだった。それでも相手が発した言葉を拾い上げると、暗に自分を捨てていけと言っているのだから彼は――そんなものは無いのだが――眉を顰める。
「あのなぁ……仲間は、見捨てない。助ける。それが俺たちの掟だろ。だから、頼まれたって置いてってなんてやらないぞ」
有無を言わせない口調で言い切ってやると、前の戦闘で胴から離れてしまった主の片腕を健気に運んでいた鳥型の小さな機体が、彼に同意を示すように鳴いた。相手の顔が、ふいと再び俯きがちになる。
「大体、その怪我……俺を助けてできちまったやつも、少なくないだろ」
「気にしな……掟に……従っ…… 当然の、こと……した……」
「なら俺がどうするか、わかるだろ……任せとけ。絶対、ふたりとも助かってみせるから」
「――……それは、頼も、し……な、」
そして、小さく笑って、以前抱えた時よりも幾らか軽くなった機体は静かになった。自分にすべてを預けたように、ぱたりと動かなくなった相手に良い予感はしない。試しに、未だ辛うじて機能している聴覚器の感度を出来る限り上げてみれば、いつの間にか駆動音は止まっていた。ちくしょう、と悪態を一つ吐く。
「くそ――間に合えよ……こんなとこで終わるなんて、認めねぇからな……!」
皮肉にも、傷付き破損したことで支えやすくなった機体を、回した腕に力を込めて支えなおす。エネルギーが残り少なくなり、変形も飛行も儘ならなくなった機体では緩慢になった動作の一つ一つがもどかしい。
 そうして忍耐強く地道に歩を進めていた彼の眼前には、武骨な岩石と金属が聳え立つ谷の入り口がようやく現れる。接触した敵は全機破壊したが、仲間が来ないとも限らない。谷に踏み込んだ彼は重たい足を動かして、風に削られて出来たらしい、洞窟とまではいかない窪みに支えていたパートナーの機体共々転がり込んだ。
 機能停止している機体を気遣いながら、崩れ落ちるように冷たい岩肌に背を預ける。発声装置から途切れ途切れに呻き声が漏れた。近くの岩場に主の片腕を下ろした小さな鳥型が気遣うように彼を窺う。大丈夫だ、とその小さな頭部を撫でて、停まってしまっている機体を慎重に横たえる。塗装は剥げ、至る所に大小様々な瑕。今ここですべてを元通りにすることは流石に出来ないが、千切れた腕を応急程度でも繋げて動かせるようには出来るはずだ。否。しなければ。この機体は、こんな姿でいるべきではないのだ、と彼は手を動かし始める。そして、流れ出る蛍光色が視界に入ると、破壊した敵機を改めて粉々に砕いてやりたいという思考が回路を走った。同時にこの状況になることを回避出来なかった自分が恨めしく思えた。それでも、悪態を吐くのは何となく格好良くないな、と思って、代わりに排気を一つ吐き、手元に集中し直す。
 いつの間にか姿を消していたキラーコンドルが、二機が屠った敵機のエネルギータンクを彼と主の元に回収して帰還する。彼が健気なその働きに気付くのは、パートナーのリペアを終え、自分のリペアもある程度済ませて、ようやく一息吐けるようになった頃のことである。

​僕の手の平があるから

僕の手の平があるから
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