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CP要素とか雨要素とか薄いし力尽きてる感ある……_:(´ཀ`」 ∠):_ ...

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 ざぁざぁと雨が降る。母なる星の外へ足が延ばせるほどに技術が進歩し、文明が発達しても、未だにヒトは自然と言う強大な領域には手出しできずにいた。だからこうして雨は何日もの間降り続いたりするし、ジメジメ蒸し蒸しと不快指数は上がるのだ。
 万物が科学で証明できると言う人間は何時の時代もいる。今後いなくなることはないだろう。けれど現状として、科学で解き明かせていないモノというのは、確かに在るのだ。
 かつて極東の島国に、物が長い年月をかけて魂を有するようになるツクモ神という存在があると聞いた。自分たちも似たようなモノなのだろうか、と時々思うのである。たぶんその、昔の見解は間違いだったけれど、存在としては正解であるように思う。物の意識。物の意思。他の存在と交流ができる能力を、彼らは確かに持っていた。
 シリーズが創ら(うま)れてから数百年と経ってはいないけれど、その姿は数百年、もしかすると千年ちょっと前の物のかたちに酷似している。もちろん、中身は最先端のテクノロジーが詰まっている。彼は、古き良きカセットウォークマンを模した、最新型音楽プレイヤーだった。電子化された音楽はもちろん、姿の通りカセットテープも再生できるし、その蓋になっている面は――少し面積は小さめだが――高画質のモニターにもなる。もちろん、タッチパネル機能を起動して、ネット環境があれば他の携帯端末と変わらない、情報端末になるのだ。レトロブームと、しかし最新テクノロジーも捨てがたい、という贅沢な目的で生産された彼のことを、その持ち主はどこへ行くにも持ち歩く程度には気に入っているようだった。
 しかし、当然、自分の所有物である音楽プレイヤーが意思を持っているだなんてことは、まったく知らないのだ。今日も今日とて、窓際のダンボールの上に彼とその周辺機器を揃えて置いて、他の用事を済ませに部屋を出て行く。音が遠ざかり、人間の気配が消える頃、カシャカシャ、と軽やかな音がした。彼――音楽プレイヤーが立ち上がったのである。すると、それを見計らったかのように、窓に少しかかるくらいに茂っている紫陽花が、雨粒のせいではなく、ユサリと揺れた。そうして、鮮やかな青の影から、音楽プレイヤーと同じくらいの大きさの影が現れる。
 交流能力を持つ姿は万物が持っていた。機械も動物も、もちろん、植物も。
 青い紫陽花の影から現れたのは、当然その紫陽花である。けれど何故かその姿は、背に翼を持つ、どことなく航空機を彷彿とさせるものだった。
「おかえりなさい、サウンドウェーブ」
「サンダークラッカー……」
「そこは、ただいまサンダークラッカー、でしょう」
困ったように笑う青い紫陽花を、音楽プレイヤーは理解できないというような眼で見つめ返した。
「だから言ったろ、そんな根暗に構うこたねぇって」
そんな時、面倒そうに吐き捨てる声が聞こえた。声は赤い紫陽花から聞こえた。音楽プレイヤーが声の方へ視線を移すと、赤い紫陽花の葉の上に青い紫陽花とそっくりなものがいた。器用に翼を畳んで、葉の上に寝そべっている。
「スクリーマー、自分が構ってもらえる場所に生えてねぇからってクラッカーの友達作りの邪魔すんのはカッコよくないぜ!」
そして赤い紫陽花を揶揄する声が、紫の紫陽花から飛んでくる。ケタケタと笑う声の源には、やはり赤と青によく似た姿があった。胡坐をかいて座っている紫の紫陽花に、赤い紫陽花は跳ねるように起き上がった。丁寧に指までさして同じ花へ噛みつく。
「うっるせぇ! 俺が生えてる場所と俺の性格は何の関係も無ぇ!」
 音楽プレイヤーが住んでいる――音楽プレイヤーの持ち主が住んでいる――家は古き良き日本家屋の借家である。まだ荷解きが完全には済んでいないから、場所によっては未だダンボールが積まれていたりする。縁側の一部などが良い例である。そして、縁側の外、あまり広くはない庭には、三色の紫陽花も咲いていた。赤をスタースクリーム、青をサンダークラッカー、紫をスカイワープと言う。その姿と名前は、かつてこの家に住んでいた家族の、子供たちが持っていた航空機の玩具が元になっているのだと当人――当花――たちは言っていた。音楽プレイヤーのサウンドウェーブと言う名は、音は空気を震わせる波なのだと得意げに披露した赤の紫陽花の言葉からだった。
 「あーもーうるせーな、お前ら静かに会話できねーのかよ」
ギャン、と吠えた赤い紫陽花に、紫の紫陽花が何か返すより早く、音楽プレイヤーの足元から声がした。
 一緒に置かれていた周辺機器がもぞもぞと動き出す。コンパクトに持ち運べる充電器は組み合わさっていた二つのパーツが分かれてそれぞれ人型に。本体を乗せれば音を綺麗に増幅するスピーカーステレオは四足の獣型に。ワイヤレスイヤホンはそれぞれのパーツが一つに組み合わさり、鳥型になる。
 よっこいせ、と言いながら立ち上がった充電器の一つが、呆れたように腰へ手を遣った。
「なんだとぅ!このチビ助め! だァれがうるさいってんでぃ!」
「現在進行形でお前だろ、騒音ワープ!」
「なー、サウンドウェーブ、別にわざわざ相手しなくて良いんだぜ?」
紫の紫陽花と薄紫の充電器が仲良く言い合っている傍で、黒の充電器が音楽プレイヤーを見上げて肩を竦める。自分を見上げる充電器の言葉に、ム、と声を漏らした音楽プレイヤーに、スピーカーステレオを撫でていた――撫でられている方は心なしか嫌がっているように見える――青の紫陽花が顔を向けた。
「そんな寂しいこと言わねぇでくれよ」
チラと黒の充電器に流し目をして、音楽プレイヤーを真っ直ぐに見つめる。赤いバイザーがあっても、その目は確かに音楽プレイヤーの目を捉えていた。
「俺はあんたと話すの好きなんですから」
「…………」
臆面なく言い放ち、フッと口元を綻ばせる紫陽花に、音楽プレイヤーのからだはピシリと強張る。見つめ合うような格好で停まった二人の姿に赤の紫陽花が、ケッと面白くなさそうな顔をした。
 けれどそのシーンは長くは続かなかった。情けない悲鳴が各紫陽花から上がったのである。紫は充電器との言い合いがヒートアップした――どうやら身内自慢に発展した中で音楽プレイヤーが馬鹿にされたらしい――挙句に殴りかかられ、青はいつまで撫でている気だと言わんばかりにスピーカーステレオにガブリと手を噛まれ、赤は手持ち無沙汰にワイヤレスイヤホンに雨粒をピッピと飛ばしていたらガツンガツンと嘴で突かれる反撃を受けたようだった。
 あっという間に賑やかになった庭先に、音楽プレイヤーはとりあえず青の紫陽花を噛んだスピーカーステレオを宥めることにした。
「ヤメロ、植物ハ噛ンデモ充電デキナイ」
「いや、そうじゃねぇでしょう?!?!」
「……? 噛マレテイタカッタ、ノカ……?」
つい数秒前の初々しく感じられる空気など霧散し、純粋に首を傾げる音楽プレイヤーに、青の紫陽花はシュンと項垂れる。ほんの数秒前の機体温度を上昇させるような空気の消えた青の紫陽花に、やはり音楽プレイヤーはコテリと首を傾げた。
「サウンドウェーブ!こいつ!馬鹿ワープが! 一人じゃ生きて行けねぇ軟弱者だってサウンドウェーブのこと馬鹿にしやがったんだよぉ!!」
「サンダークラッカー!このチビ、俺たちのこと一人じゃどこにも行けねぇ軟弱者だって言いやがったんだ!!」
そんな青二人へ紫二人が少々潤んだように見える目で叫ぶ。体格差から、薄紫の充電器は紫の紫陽花に猫がされるように首根っこを掴まれていた。
「……マァ、俺ハ、オ前タチ周辺機器ガ居ナケレバ、電池切レデ生キテイケナイナ?」
「ワープ、俺たちは本体の株がそもそも動けねぇモンなんだから仕方ないだろ? っていうかお前さんら言ってること似てるな」
本体そのものが移動可能な人型になる人工物と違い、多くの動植物といった自然はそれ自体の意識の表出で具現であるため、本体からあまり離れられないのである。机に置いたはずのリモコンや端末が別の場所で見つかったりするのは、案外この所為であったりする。
 トコトコと遠征してきた小さな充電器を迎え撃った紫陽花は、なんとか捕まえたそれを主機の方へ勢いよく投げて返した。狙ったように主機の腕の届く範囲へ投げられた充電器は無事受け止められる。音楽プレイヤーがポンポンと小さな背中を叩き、青の紫陽花が紫の紫陽花を宥めていると、赤い紫陽花の株からいよいよ情けない声が聞こえてきた。見ると、ワイヤレスイヤホンに赤の紫陽花が足を掴まれ逆さにぶら下げ飛ばれていた。
「やめ、やめろ!!この庭の主たる俺様に何しやがる!!!」
これ捨てる?地面に抛る?良い?と言わんばかりに主機を見つめる周辺機器に、音楽プレイヤーはマスクの内側で小さく息を吐く。命乞いのようなものを、しかし上から目線で叫ぶ赤の紫陽花を見て、どれだけ嫌がらせしたんだよ、と青の紫陽花は困った表情を浮かべた。
「アー……、」
「このっ、みみっちぃ人工物風情がこの俺をどうにかしようなんて……ウワアアア」
そうして、音楽プレイヤーが何かしらの答えを出す前に、赤の紫陽花はベチャリと地面に落ちたのだった。どうやら水に濡れていた分、滑りやすくなっていたようだった。
 ぐえ、と呻く紫陽花を尻目にイヤホンは主機の元へと戻る。音楽プレイヤーの肩に留まったワイヤレスイヤホンは、優雅に羽繕い――のような素振りをした。赤の紫陽花が恨めし気な眼でそれを睨めつける。
「くッ――今に見てろよ……!」
「なに言ってんだお前さんは……」
泥に汚れつつからだを起こす赤に、青が首を傾げた。それなりに他を見下ろせる位置から見上げる位置に移動してしまった赤の紫陽花はその場でポムと姿を消す。次にその姿が現れたのは、その本体である赤い紫陽花の上だった。青や紫の紫陽花と一緒に現れた時のように、からだを再編したことで泥はね一つ無い姿で仁王立ちしていた。そして、音楽プレイヤー――の肩にいるワイヤレスイヤホン――へビシッと人差し指を突き出して口を開いた。
「――なぁにをギャーギャーやっとるんだお前たちは!やかましいぞ!」
開いて、けれど、そこから言葉が吐かれるより早く、別の声が湧いて聞こえた。
 その声は庭の手入れ用具がまとめてある棚の方から聞こえ、その場の視線は一気に棚へ集まった。家と共に代々使われ続け、年季の見える棚の上では、銀色のスコップが立ち上がっていた。
「人間に見つかったらどうするんだ、この愚か者めが!」
そのスコップは、やはり何代か前の住人から使い継がれているもので、紫陽花や音楽プレイヤーにとっては先輩あるいは目付け世話役のようなものだった。自身を庭の主だと豪語する赤の紫陽花は、言うなれば反抗期のようなものだった。
「ジジイ…………いえ、しかしですね……というか、今この家に人間がいるんですか? 仮に居たって愚鈍な人間には見つからんでしょう」
「それを驕りだと言うんだ。根元を掘り返して土を入れ替えればもう少しマシになるか?」
「やめてください!馴染むまでにどれだけかかることか!」
秒単位で態度を切り替える姿は最早ある種の磨き抜かれた芸にも見える。音楽プレイヤーは内心で、贈られて嬉しいとは言い切れない賛辞を赤の紫陽花へ贈った。
「まったく……いいから、少し口を閉じて耳を澄ましてみろ」
そうして、言われた通り室内へ意識を向けてみれば、住人のものだけではない、数人の話し声が聞こえてきた。ほぼいつも持ち歩かれている音楽プレイヤーは、それらの声に聞き覚えがあった。
 ――そういえば前言っていた論文は取り寄せられたのか?
 ――ああ。当然だ。今度こそあいつを唸らせてやる。
 ――あいつって……ゼミの先生となんかあったのか?
 ――何も無い。ただ、あれは超えねばならん壁だと言うことだ。
 ――へえー、こころざしがお高いことで。オレなんか卒業できりゃそれでいいのに。
 今この家を借りているのは近所の大学に通う大学生で、今日は友人を招いているらしい。時折カツンコツンと何か硬い物がぶつかり、ズズズと麺をすするような音が聞こえるから、おそらく蕎麦か素麺でも囲んでいるのだろう。
 ――あ、そうだ。先輩知ってます? その、ホイルジャックって研究者、Qって別名義でも論文書いてるみたいっすよ?
 ――Q?あのQか? 分野が異なっていたからあまり目を通していなかったが……何か得られるかもしれんな。
 ――私の有能な親友に感謝だな? 存分に感謝していいぞ。なにせ私の親友だからな。さすがだ。
 ――あんまり褒めないでくれよ……照れちまう。
 ――…………爆ぜろ、鬱陶しい。
 ――ちょ、ちょっと待て!なんでオレの器に山のようにしょうが絞り出してんだよ!!やめろ!!!
 ――そうそう。そんな先輩殿に教授殿から伝言を預かっているぞ。
 ――……俺とお前は同学年だろう。
 ――っていうかなんでお前あの教授のとこに入り浸ってるんだ?学部から違うだろ??
 ――ねぇちょっとお前らオレの心配もして。
 ――えぇと、そうだ「ありもしない架空の論文をでっちあげて人を試すような真似は時間の無駄だから止めろ」と。あとは「だがシーカー研究所の論文をああして使うのは面白かった。久しぶりに楽しめた」と言っていたな。
 ――……あのさ、センパイ何してんの?
 ――やはりあの程度ではダメか……。既存の論文から引用する際に少し弄り、著者名も少し弄って提出しただけだ。
 ――学外に出ない文書だからって、ンなことよくやりますねー。おれにはとてもできない。
 すべてではないけれど、そんなような会話が聞き取れた。そういえば持ち主は心理学部のはずなのに――よく理学部の棟に出入りしているな、と音楽プレイヤーは思った。その棟の、ある個室で誰か――おそらく相手は件の教授で、そこはたぶん教授の部屋だった――と話していた内容は、宇宙の壊し方だか何だか、だったような気がする。
 それを零すと、紫の紫陽花が目を丸くした。
「すげぇこと考えるんだな、そのキョージュってやつは。宇宙なんて壊してどうするんだ?」
「アクマデ机上論ダト言ッテイタ。論理的ニハ、ホボ実現可能ナ域マデ来テイルガ、イカンセン試シヨウガナイ、ト」
「人間の考えることはわっかんねぇや」
ぱたぱたと翼を動かす紫の紫陽花は、そもそも考えることが苦手なように思われた。対して、銀色のスコップの方は、愉快そうに呵々と笑った。音楽プレイヤーが胸部のモニターに、ネット上に上げられている論文を映す。
「宇宙を壊す、か。大きく出たものだな! 嫌いではないぞ、そのような途方もない想定をする輩は。察するに、ゼミ生の一人は教授を超えたいと目論んでおると……先が楽しみな話だわい」
「……で? そのゼミ生ってヤツは宇宙の壊し方をどう超えるつもりなんですかね?」
「壊シタ後、再生ト調整ノ仕方ニツイテ研究シテイルト小耳ニ挟ンダ」
音楽プレイヤーが赤の紫陽花の疑問に答えると、やはり銀のスコップは大きく出たものだと楽しそうに笑った。それなりに人間を見てきた年長の大らかな反応に、赤の紫陽花はどこか詰まらなさげな顔をした。欲しい反応ではなかったらしい。紫の紫陽花は話に飽きたようで、音楽プレイヤーの周辺機器たちと戯れている。けれど、その中で、ひとり真面目くさった顔をしているものがいた。言わずもがな、青の紫陽花だった。
「それは――……困りますね」
顎に手を遣り、うんうんと頷きながら言う青の紫陽花に、周りは何事かと首を傾げる。
「困る……ってなにがだ?」
「だって困るだろ? 宇宙がなくなるってんなら、俺やサウンドウェーブも消えちまうんだろ? 困るじゃねぇか」
「……いや、あのよ、まだ実現までは遠いって、」
「まだってことは時間の問題で、いつかできちまうんでしょう? これまでの技術がそうだったみたいに」
「ま、まぁ……そうだな、技術は今でも飛躍的に進歩しているから、時間の問題と言えるな……?」
不意に眼を遣られた銀のスコップはストレートな感想を述べてしまう。着地点が見えているならば、その滞空時間は限られているということである。青の紫陽花は音楽プレイヤーの手をごく自然に握った。
「俺とサウンドウェーブが、俺のサウンドウェーブへの想いが、これから大きくあったかくなるだろう俺とサウンドウェーブの想いが無くなるなんて」
「…………テメェ真顔で何言ってんだ。っつーかテメェも何満更でもなさそうなんだよ気色悪ぃ」
赤の紫陽花は濃淡の違う青二人に、ここ数ヶ月で一番渋い顔をした。
「……そんなに他者の幸福をやっかむものではないぞ。うむ。めでたく良いことではないか」
「お言葉ですがね、そういうんじゃないですよ。絶対」
それを宥めようとする銀のスコップにも渋い顔を向ける赤の紫陽花であった。
 「メガトロン様、人間の気配が近付いております」
微妙な空気が流れる場に、ひょこりと顔を出したのは銀のスコップの一段下に置かれている如雨露だった。相手の心の底まで凝視するような単眼のものが、それまで黙していた身を起こし、喧騒から一歩引いていたからこそできた状況把握により掴んだ情報を先達へ伝える。
「む。そうか。報告ご苦労、ありがたい。では聞いたなお前たち!早急に身を隠すのだ!」
凛とした号令に各々が慌ただしく元の場所に戻っていく。音楽プレイヤーはよく人間に持ち歩かれているから、次にこうして会えるまで少し空くだろう。青の紫陽花はその手を取って、僅かな時間引き留めて、その姿かたちを少しでも長く見ていようとする。
「……また、行っちまうんですね」
「……ソレハ、マダ分カラン」
「じゃあ、念のため、いってらっしゃいって言っときます」
「……」
「だから、また、おかえりって言うんで、ただいまって言ってください」

途中で力尽きてる……いつか書き上げたイネ…_:(´ཀ`」 ∠):_ ...

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 むかしむかし、ある山の麓に村がありました。その村の傍には大きく綺麗な川が流れていました。村は川の水を農耕や工芸品に使い、それなりに栄えていました。どの程度栄えていたかと言うと、周囲の村々から贈り物が贈られ、その村々が不作や水不足になると物品を贈ってやれる程度には豊かでした。

 村の人々は、村が豊かでいられるのは豊富な清水を川が与えてくれるからだと分かっていました。そしてまた、その川を敬い、畏れ、穢れないように村の長とその補佐の家が管理してくれているからだと知っていました。

 けれど時に自然は人間に厳しい顔を見せました。

 ここ数十年、小さな日照りや洪水はあっても、それ以上の困ったことは特にありませんでした。

「こんな干ばつは何時ぶりだ」

「これでは作物が育てられない」

「工芸品に使うのも惜しくなる」

「せめて一日でも雨が降ってくれたら」

しかしある年の夏、その村でなくても近年まれに見る干ばつ、日照りに見舞われたのです。朝早くからも眩しく輝く太陽に川の水位は下がりました。村一つならばともかく、下流の村や家のことを考えるとこれまでのように水を使うことはできませんでした。

 村の人々は困りました。まだ夏が始まったばかりだというのに、どうやって夏を乗り切ろうかと大人たちは集まって相談しました。

「やはり川の神様に頼るべきだろうか」

「開拓世代が山奥に社を設けたという水神様」

「そうしよう、水神様に頼ろう」

「ならば早く供物を用意しなければ」

「念のため人柱も捧げよう」

そうして、水神に供物が捧げられることになりました。供物の中には人間も含まれていました。

 さて、この供物となる人間をどう選び出そうかと再び大人たちは相談をしました。言い伝えによると、水神様はとても気紛れなようで、供物をささげたところで願いを叶えてくれるか、そもそも受け取ってもらえるかすらその時になってみないと分からないようでした。ですから、村人たちは少しでも水神様に気に入ってもらえるよう、できるだけ見目も気量も良い者を差し出そうとう言う意見で一致しました。

 人柱に選ばれたのは、代々村の長の補佐をしている家の青年でした。村を治めていかなければいけない長の家から人を出すわけにいかず、しかしだからと言って平凡な農民から人柱を出して失礼にならないだろうか、等と言うことで村の長の補佐をする家の人が選ばれたのでした。

 水神様の社へ行くまでの間、その青年は食事や水浴で身を清めて供物になる準備をしました。供物になることについて青年は嫌な顔をしませんでした。むしろ、村の為になるならば、村の役に立てるならば、と嬉しそうでもありました。

 準備は着々と進められ、野菜や穀物、果物や酒が村の家々から集められました。同時に、青年が纏う衣服も用意されました。青年が水神様の社へ赴く当日には、野菜から肉や魚まで、都に集められる献上品でもなかなか見られないような、豪勢な物品が揃えられました。村人たちはそれらを持って行列を作り、青年を連れて山奥へ入っていきます。

 黙々と供物の献上は進められました。供物を持って来た村人たちは社の中へ静かに並べます。美しい衣装を纏った青年も、他の供物と同じように社の中に入り、座して簡素な神棚を見つめます。社の中は閑散として、神様が居るような空気などは感じられません。けれど村人たちは淡々と作業を進めていきます。

 そうして物品を並べ終えると、簡素な服の村人が多い中で、青年の衣装ほどではないにしろ、それなりに整った服を纏った一人の村人が神棚に一歩近付き、朗々と供物を捧げた意図と願いを述べ上げました。

 パタン、と社の扉が閉じ、人の足音や気配が小さくなり、やがて消えました。社の中にひとり残った青年は、はふ、と息を吐きました。人形のように少しも動かなかった肩や頭が、空気が抜けるようにゆるりと下げられます。二回ほど頭を振る姿は意識を切り替えているようにも見えました。そうしてから、青年は端正な顔に綺麗な笑みを浮かべてそれを神棚へ向けました。

 目の前には、相変わらずシンとした神棚があります。白い陶器の器や青い榊の枝が、小さな社と共に青年を見下ろしていました。

「……、この度は、水神様にその御力をもって村を救っていただきたく、」

青年が頭を下げます。先程村人がしたように、けれど更に心を込めた様子で神様に訴えます。

「――この身を含めた品々はどう扱っていただいても構いません。どうか、どうか村を潤してください」

言っている間はもちろん、言い終わった後も青年はしばらく頭を下げていました。何か変化が起こらないだろうかと待っていたからでした。しかし社の中で何かが変わった気配など無く、やはり神様は存在しないのだろうか、と落胆しながら青年は顔を上げます。

「人柱を寄越したか。相当切羽詰まっているようだな」

神棚を再び捉えた青年の両目が大きく丸くなりました。なぜなら、顔を上げた先、視線を上げた先にある神棚の前には、先程まで確かに居なかったはずの何者かが居たからです。

 そのひとは神棚の前で胡坐をかいて、ふんわりと浮きながら、頬杖をついて青年を面白そうに見下ろしていました。青年の頭は、その姿や伴う空気に、水神様だ、と、直感的に目の前の人物の正体を理解していました。

「んで、どうするんすか? この人間」

「返しますか」

青年が突然現れた水神様に気を取られていると、後ろから声が聞こえました。ひとつはそれなりに近い距離から聞こえ、キシキシと床板が軋む音がすると思えば、ヒョイと人好きのしそうな顔に覗き込まれます。もうひとつの声は静かで動く気配が無かったので、社の出入り口辺りにその主は立っているのかな、と青年は思いました。同時に、ここで返されてしまえば願いは聞き入れられず、村が干上がってしまうと言うことにもなるので、返されるのは嫌だなと思いました。少しだけ、青年の眼に不安の色が浮かびます。けれどそんな青年を余所に、胡坐をかきながら顎に手を遣っていた男は、ふむと何か頷きました。

 そして、ふわりと青年の目の前に降り立ちます。視線が合わせられ、互いの顔が互いの目の中に映ります。真正面から自分を見つめる浅葱色を、何となく逸らしてはいけないような気がして、青年はそのまま受け止めました。

「良いだろう。人柱、お前の願いを叶えよう。その代わりお前には俺の下に就いてもらう」

「――っ、はい。ありがたき、」

喉奥を鳴らし、川の色と同じ色の目を細めながら言われた水神様の言葉に、青年は深く頭を下げました。頭上や背後で、ええぇ、と驚いたような声が上がりました。水神様はそれを流して、青年の顎を掴んで顔を上げさせます。

「仕事は身の回りの世話や補佐。一度踏み入れば人間側へは二度と戻ることは出来ない」

それでも良いのか、と目を細めながら訊いて来る水神様に、青年は微笑み返して言います。

「……貴方はひどい神様だ。そんなこと、私がどちらを選ぶか……選べないことを解っていて訊くなんて」

「優しい神様の間違いだろう?」

 村の願いは水神様に聞き入れられました。翌日、社を覗きに来た村人は、品々を乗せていた三方と青年が羽織っていた羽織りの一枚だけが床板の上に残っているのを見つけました。あぁ良かった、村は救われた、と村の人々は大喜びでした。けれど、そんな中で、青年と幼馴染で仲の良かった長の家の少年だけは浮かない顔をしていました。

 

 

 

 小脇に抱えられたと思えば、風に包まれる。衣服の裾や袖を大きく揺らす風に目蓋を閉じ、風が弱まって来た頃にそっと目蓋を開けば、目の前には、桃の薄皮を通したようにふわふわとした優しい陽光に照らされる世界が広がっていた。

 キョトンと目を丸くする青年を、やはり荷物のように水神は地面へ降ろす。

「ここは……?」

眼前、城下町のように道の両側にズラリと様々な店が並んでいる風景を見て青年が呟いた。通行者の姿も多く、ここは大通りなのだろうか、と思う。

「人間で言うところの門前町だか城下町になるか?」

「そうですね。まあ、寺社も城もありませんが」

思っていると、呟きを拾ったらしい水神とその眷属が口を開いた。

「……神もこういったものを形成するのですね…………それで、何故ここへ?」

居住地というか、住処が無いわけでもあるまいし、そこへ直接行けないこともあるまいに――と若干不躾なことを青年は考えた。考えながら、下手に繕わなくて良いと微かに笑う水神の声が聞こえて、敬語は無くても構わないらしいと把握する。

 そもそもここはどのような場所なのだろう。水神の支配地なのだろうか。通りを行き交うものは人型であったり違ったりしているけれど、何者なのだろう。色々な疑問がぷかりぷかりと浮かんでくる。

「なんでって、そりゃあんたの服とか揃えなきゃだろ? その服すっげー動きにくそうだし」

「買い物に使う店を覚えてもらうついでにな。食料から消耗品まで、余程の品でない限りすべてここで揃うからな」

「つまり仕事の準備をされると」

「道は帰りに憶えろ」

服の裾を摘まんでひらひら振ってみている、背の低い眷属からそっと裾を放させながら青年は分かったと答えた。弄るものを失った眷属の指先は青年の手を新たな手遊びの相手にしたようだった。それを嫌がる様子も気にする風もなく、青年は眷属の好きにさせた。

 自分の方を一瞥することもなく――まるで自分の後ろをついてくる確信があるというように――歩き出した水神の背を追って踏み出す。半歩後ろくらいの位置に並んで通りを往く。

 村に居た時には見なかった品や人々に青年の視線はあちこち移り、きらきらと瑠璃色の瞳が輝いていた。あれは、これは、と弾む問いに眷属たちが答えていく。店や物を憶える気があるならそれに越したことはないと言う判断だろう。

「それにしても、異形と言うか――人ならざる者の姿も多いな。さすがは神の世と言ったところか」

菓子の店や玩具屋や食事処、様々な店の前を歩きながら青年が楽しそうに言う。一点に長く留まることのない眼には、獣人や竜人や、人型をしていない者たちの姿が多く映っている。水神たちには見慣れた風景だが、人界から来たばかりの青年には見慣れぬ風景。けれどそれらを指す声音には恐怖や奇異などなく、ただ純粋に知らない世界を楽しんでいた。

「人ならざる? ここに人はいないぞ」

「――え? いや、だが、」

「化けているだけだ。なかなかどうして人の姿と言うのは楽でな? ほとんどがそうしている」

それまで一瞥も寄越さなかった水神が青年へチラと視線を遣る。そうなのかと眷属ふたりへ眼を向けると、そうだな、そうそう、と双方頷いていた。そして、その眷属たちは気付かなかったようだが――水神が振り返った際、するりと何かが青年の頬から顎を撫でていった。刹那の感触、視界に映ったのは秘色色のやわらかな毛並みと勿忘草の滲む月白の鱗だった。毛並みと鱗を持つそれが何であるのか、聡い青年はすぐに理解したらしい。眷属から手遊びに、むにむにと触れられ、今はごく自然に繋がれている方の手が小さく揺れた。

 どこの店に何があるか、どの道に何の店があるか等、しばらく町を歩いていると、前方から男が歩いて来るのが見えた。

 他のものと同じように擦れ違うのだろうと思っていた青年は、しかし男が自分たちを見とめた途端、真っ直ぐに向かってきたことで、どうやら水神かその眷属の知り合いらしい、と眼前で立ち止まった男を認識した。同時に、目の前の背中からじわりと不機嫌が滲むのを感じて、どうやら仲は良くないらしいことも察する。

「おや。珍しいな、こんなところで会うなんて」

「俺がどこにいようが貴様には関係のないことだろう」

「まぁそれはそうだが――お前が気紛れに山を崩したり村を沈めたりしないよう、見張っておかないとな?」

「たかが農耕神が人間の守護をも請け負うだと? 過ぎた領分ではないのか」

「農耕は人が行い人が形作った行為。ならば私も人が在る故の存在。守らぬと言う方がおかしくはないか?」

「戯言を。一つの種族にかまけて何になる。下らん」

真正面から睨み合い、応酬をする水神と農耕神は、やはり仲が良くないようだった。また始まった、あるいは、やっぱり始まった、と言いたげな顔の眷属たちは慣れた風である。今回は目の前の遣り取りから眼を逸らせられる話し相手――青年がいることで、遠慮なくそちらに逃避していた。主神から離れすぎない程度に、周囲のまだ紹介していなかった店の説明を始めた。

「あれが簪屋で、その隣が櫛屋。いい加減ひとつの店にくっついちまえば良いんだけど、店主たちの反りが合わないみたいでなー」

「その店は茶葉の専門店だ。外つ国のものも扱っている。そちらは反物屋。最近外来の衣服も入れ始めたと聞いた」

「こっちの茶屋は餡蜜が美味い!あっちは串物屋で寒くなって来ると串おでんが出て来るんだぜ!」

「ここはさっきの店よりも野菜が安い。だが生産地が時々不明になっている。あそこは肉屋だ。置いてあるのは生肉だけで加工品は置いていない」

往来の真ん中で剣呑な火花を散らしている主神を余所に呑気なものではないか――と青年は思う。ちらりと水神と農耕神の方へ視線を遣ってみると、農耕神の後ろには眷属らしき男が増えていた。白と淡萌黄を纏う男は、微笑ましく健気に水神を威嚇しているらしい。思わず、ふ、と喉が震えた。

 そのせいだろうか。件の眷属の男が、不意に青年たちの方を見る。

「……あの男は何者だ? あの農耕神とやらの眷属か?」

絡んだ視線に小首を傾げ、青年は水神の眷属たちに訊いた。蜜柑色の眼と紅紫色の眼が通りの方へ向く。

「ん? ああ、そうだな。あいつ農耕神の眷属だよ。オレの方が強いけど」

「そういえば眷属も神なのだろう?何の神なんだ?」

「風だ。俺は暴(あからしま)風。そいつは凩。あれは――花信風だったか」

主神含めた立ち話一行を一瞥した暴風の眷属は、それだけでもう興味を失くしたように店頭に出された品物を物色し始める。人間と変わらない五本の指と手の平が、物を掴んでは放してを繰り返す。

「風の眷属は多そうだな」

「そうでもないぜ。どっちかってったら動物や植物のが多いんじゃねーかな。それに天津風や花風や嵐とか、主神やってるヤツ結構いるし」

そうなのか、そうだぜ、と言い合いながら青年と凩の眷属も店へ視線を戻す。しかし青年は数分と経たずに先程の月白色に絡めとられるのだった。

 不意に視線を感じ、そちらを見返すと見覚えのない顔があった。こちらを見て、その顔は、微かに笑んでいるようだった。新入りだろうか。破壊神一歩手前の気性を持つ水神の眷属たちと共にいるということは、新たに主従関係を成立させた眷属なのだろうが――どうにも、その気配は自分たちとは異なっていた。ほんの数秒、花信風の眷属の動きが停まる。それに水神は目敏く気付いたようだった。

「どうした。あれが気になるか」

ニヤ、と口端を上げた水神に花信風の眷属は、いや、と首を振る。けれど眷属を気にかけたその主神が、先程まで眷属が見ていた方へ視線を向けた。

「あれは……人間?」

向けて、ぽつりと呟いた。驚きと困惑が混じったような声だった。

 しゅるる、と衣擦れの音がして龍の尾が伸びていく。月白色に勿忘草の青が滲む鱗の上で秘色色の柔らかな毛が揺れる。長くしなやかなその尾は青年の腰をするりと捉えた。

「――ぅわ、」

「お前にはさして珍しいものでもあるまい?」

突然引っ張り出され、態勢を崩した青年がなにをするんだと抗議の声を上げる。それをごく自然に流しつつ、水神は鼻を鳴らした。農耕神も、その眷属も、驚いたように目を丸くする。

「お、前――攫った、のか……?攫ってきた、のか……?」

「供物だ。人柱。貴様らも一人や二人、受け取ったことくらいあるだろう」

「人柱!? 受け取ったのか!?お前たちが!?」

「こいつだけじゃないぜ!美味そうな酒とか肉とか他にも色々捧げられたぜ!」

水神と青年を交互に見る農耕神とその眷属に、主神の傍へ戻って来た暴風と凩の両眷属がそれぞれ答える。片やぼやくように吐き捨て、片や自慢するように胸を張る。

「その人間をどうするつもりだ!まさか配下に置くつもりの妖や獣に生きたまま食わせる気じゃないだろうな!?」

「発想がグロい! お前なんでそんな発想するんだよ!?オレたちのことなんだと思ってんだ!?」

「日頃の行いに決まっているだろう!!」

薄萌黄と空色の眷属がギャアギャアと言い合う横で水神のもう一人の眷属は片手で額を抑えるようにしていた。

「……水神様は身の回りの世話や仕事の手伝いをさせると言っていた」

眷属の言葉に主神は笑みを浮かべて肯定を示す。農耕神は苦みの強いものを食べたときのような表情を浮かべた。そしてそのまま何か思考を巡らせたらしい。ほんの少しだけ表情を和らげて、青年へ口を開いた。

「君、それは――……いや、そうだな、私が口を出せることではないな……。だが、辛くなったり逃げだしたくなったりした時は、私のところへ来ると良い。水神から君を守ってみせよう」

穏やかな、誠実な言葉だった。青年が、ごく普通に選ばれた一般的な人柱だったなら、おそらくその場で農耕神の方へ一歩を踏み出していただろう。けれど、青年は真っ直ぐに目の前の神を見詰め返して笑った。胴に巻き付いた水神の尾を邪見にすることなく、むしろ委ねたように身体から力を抜き、笑ってみせたのだ。

「とても魅力的なお誘いなのだろうが、残念ながら――私はこの水神様へ捧げられた身であるので、他所へ行くつもりはない」

青年の答えに、ふは、と水神が噴き出した。

「フラれてしまったようだな?」

「貴様……!」

「構わない。それが当人の意思なら私はそれを尊重するまでだ。しかし、私たちはいつでも人の子の味方だと言うことを、覚えておいてくれ」

嘲笑を隠そうともしない水神に怒気を放つ眷属を宥め、眉尻を下げた農耕神は青年に微笑みかけて去っていった。ゆらりと揺れている水神の尾が青年の衣に擦れる、たすたすと言う軽い音がしていた。

 

 賑わう大通りから少し静かな場所へ行くと三叉路や四叉路が現れる。それぞれ伸びている先に見える風景は隣り合っていても随分と違う雰囲気のものもあり、それが各神々の領地へ続く道だと察せられ、つまり此処は神々の通い路や交差点にあたる場所なのだとも察せられる。ただ、それは道を解りやすく可視化させたもので――実際出入りの仕方は自由なのだと、道端の土から現れるものや空から降って来るものの姿を見て知れる。

 無論、水神の領地にもその道は通っていた。

 甕や水産物、菓子の中でも水と名の付く物を専門にしている店が多く立ち並ぶ場所の路地裏。その一角に水神たちは居た。

 薄暗い路地裏に朱塗りの鳥居が立ち並び、幾つか目からの鳥居は流れ落ちる水壁の中へ飲み込まれている。足元はなだらかに傾き、一定の場所に水が寄せては返ってを小さく繰り返す。水を湛えた一歩先の地面は周囲の色や風景を映していた。少なくはない水量が動いているにもかかわらず、水音は川のせせらぎ程度のものだった。

 一つ目の鳥居の前に水神たちと共に立った青年は鮮やかな朱色を見上げる。水路と化したその足元には牡丹か芍薬のような花が浮かんでいた。路地裏の秘やかで幻想的な風景に青年が小さく感嘆の吐息を零す。それを聞きながら、暴風の眷属が傍に生えている南天の枝を一本手折る。赤い実が成ったままの枝は、葉と自重で枝先を垂らしていた。

 水神が振り返る。その手の上には、睡蓮の花のような、水の塊が浮かんでいた。ぼんやりと光っているそれを、南天の枝を持っている眷属へ手渡す。すると、渡された眷属の袖や髪がふわりと揺れた。南天の枝の先でふわふわと水の花が浮かぶ。それはさながら提灯のように見えた。

「……これは、」

そして当然という顔でその提灯を渡された青年は、こちらも当然ながら首を傾げた。

「水蓮灯、風提灯。お前が此処に慣れるまで、それが道を示し、お前を守る」

「オレらが近くにいる時はいらないけど、お遣いの時とか持ってけよな。あとこれ。なんかあったらすぐ呼べよ。後輩の面倒見てやるのも先輩の仕事だからな!」

凩の眷属からは小さな円筒形の呼子笛が渡される。それが風呼びの笛と言う名を持つと青年が知るのはもう少し経ってからのことである。

 ひたひたと水面に顔を出している飛石を踏む。

 進むにつれて陽光が遠退き、世界が青く翳っていく。水底へ下っていくような感覚。足を置く飛石に傾斜は感じられず、空気が薄まっていくこともない。けれど、一つ石を越える度に、呼吸がし難くなっているような気がした。

GF
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