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 男だった女を見て彼は笑う。ただでさえ非力な己がなお非力になった気分はどうかと。

 男だった女は変わらぬ相手を見て笑う。己にとって性や姿形は何の支障にも成りえぬと。

 乾いた大地が広がる外で捕らわれたまま連れてこられたのだろう、砂埃や細かな怪我で薄汚れた――彼だった――彼女は、しかし毅然としていた。胸のふくらみはあまり目立たない。だが、纏う衣服には幾分かの余裕があるように見える。そのおかげで分かり難いが身体の線は丸みを帯び、それこそ女性らしくなっている。背丈も目に見えて低くなり、満足に食えていない影響が男体だった時よりも分かりやすい。

 その姿を眺めて、彼は成る程とひとり合点する。最近目撃の報告が滅多に無いと思ってはいたが、これならば仕方あるまい。元に戻るまで身を隠すつもりだったのだろうが――無駄骨だ。

 豪奢な椅子から立ち上がった彼は一歩の踏み込みで彼女の間合いに入る。腕を伸ばしきらなくとも触れられる距離。あまりの近さに、一度距離を取ろうとした彼女を、物を肩に担ぐように乗せて隣の部屋へと足を進める。扉の先は、紛うことなく寝室。何をする、と肩の上で暴れていた彼女を、一人で使うには明らかに大きい寝台へ放り投げる。白いシーツに間の抜けた音と共に沈んだ身体は、けれどすぐさま体勢を立て直そうと上体が起こされ足が曲げられた。曲げられる筈だった。

 下半身にかかる重さに、嫌な予感。肩を押され、背中が柔らかい寝台に受け止められる。そうして、服に触れている手に、嫌な予感。

「やめ――ッ!」

静止の声は間に合わず、悲痛な音を伴って呆気なく彼女の服は肌を守る役目を奪われた。うすく、やわらかな素肌が露出する。ツゥ、と身体の中心を指先が触れるか触れないかの近さで撫でていく。高い、引き攣った声が喉から思わずという風に零れた。破れた、服だったものが掛かっている乳房を露わにしてやれば、小ぶりな胸の尖りは立ちあがりかけていた。

「酷くされるのが好みか」

わらいを含んだ声が落ちる。眉を顰め、自分を見下ろしているであろう彼へ、正面から否定の意を示す。

「違う。断じて、違う!」

「口ではどうとでも言えよう」

だが、それも彼の手を止めさせることは出来なかった。スルスルと、身体をズラしながら足の方へと下りていく手は、遂に下半身を覆っている布を剥ぎ取ってしまった。

 抑えつけられている面積が減ったおかげか先程よりも足を自由に動かせる。そう、踏んだ彼女は賭けに出た。

 空が薙がれる、フッという音がして、常人には――およそ常人には止めることのできない蹴りが繰り出される。それは鋭く彼の脇腹に突き刺さる筈だった。

 浮かべられた笑みを、彼女は見ることが出来ない。

 ガスッと肌のぶつかり合う音がする。体勢からして幾分か威力は落ちていても、渾身の蹴りを腕一本で止められたという事実に、彼女は歯噛みする。以前ならばもう少しくらい効果はあっただろうに――。更に、あろうことか受け止めた足が下ろされるより早く、細い足首を武骨な手が掴んだ。

 気付けば彼の身体は彼女の両足の間にあり、片手は彼女の片足首を掴み、片手はもう一方の足の太腿を抑えている。

「――そら、濡れているぞ」

そう、告げられて、ジッと視線を注がれながら言われて、彼女の顔がカッと赤くなった。腹筋を使い、咄嗟に上半身を起こして自由の利く両手を足の間について隠そうとする。片足を掴み上げられ、片足を抑えつけられた状態でそこまでこなしたことは、流石と言うべきだろう。薄く蒼を帯びた灰色の髪がフワリと舞った。

「貴様、ひとを愚弄するのもいい加減に――ッ」

吠える喉元に、足首を掴んでいた手が伸び、勢いよく噛みついてきたその首を掴んだ。

「事実だろう?ん?」

「がッ、あ、ァッ……!」

最後に触れた時よりも細くなった首に当てた手へ力を遣れば、苦しげな喘ぎ声が聞こえた。喉に食い込む指、手を剥がそうと、丸みを帯びた指先が爪を立てている。

 呼吸が出来るギリギリの力加減だったところを、グイと手を押し出すように首を後ろへ倒す。息苦しさに大した抵抗も出来ず、起こした上半身は大人しく仰向けに倒れていく。時々咳き込み、荒い息を吐いて呼吸を整えようとしている彼女に覆い被さり囁いた。

「これなら慣らす必要もあるまい」

ハッと顔を横に向けるも、既にその影はなくなっている。服が脱ぎ捨てられていく衣擦れの音が、やけに大きく聞こえた。

「何を――嫌、嫌だッ、やめろ! 待て、そんな――」

何の遠慮も無く近付く気配に、手を伸ばして極力近寄らせないようにしようとしても、叫んでも、何の効果も無い。わかってはいたが、彼女はそうせずにはいられなかった。

 膝を立たせ、足を開かせ、その二本の脚の間に身体を置き、半身を沈め、やわらかな胎内を拓いていく。己を拒むようなその熱さと狭さに、思わず口角が上がる。しゃくりあげるような声が、眼下で歪んでいる唇から零れていた。嘘だ、と震える呟きが露のように消えていく。

 胎内に侵入してしまえば抵抗は茫然として止む。力の限り突っ張られていた両腕はカクンと折れ、彼の肩に触れるだけとなっていた。

「フ、ハハ――口では嫌だと言っても、やはり抱かれるのが好きなのだろう?」

「ちが、違う、」

「戯言を」

僅かにでも身体を動かせば哀れな悲鳴が漏れ聞こえる。

 肩に触れていた手が、おずおずと線を辿り始め、彼は面白そうに目を細めた。潮が引くように冷えていった指先は、そして彼の首元で止まる。いよいよ面白そうに、彼は唇を歪めた。女の力で――震える指先に力を込めたとして、自分を殺すことなぞ出来はしないだろうに、と。

 首に添えられた彼女の両手を乱暴に掴みシーツに押し付ける。両手を頭部の横に押さえつけられた様は、正しく組み敷かれた女のそれだった。ギシリと発条が軋む音がして、かかる体重の変化で結合がより深まる。そこから、グチり、と耳にしたくない音が、聞こえた。その音を意識してしまえば、嫌でも繋がっているのだという事実が鮮やかに浮き上がってしまう。知らず、当の結合部がヒクリと彼を締め付けた。

 いやらしい水音を立てて楔が柔らかい胎内を穿つ。ズチュ、グチュ、と日の昇っている時間に聞くものではない音が一定の間隔で立てられる。

「あッ、は、ァ……ッ、やめ、ふっ、あアァッ!」

両手も両足も碌に動かせず、せめてもと腰を捩じらせれば身体の中に押し入ってきたものが擦れて堪らない。

「うあっ、いや、嫌だッ、こんな、ぁあっ」

好き勝手に揺さぶられ、溢れた涙が目尻から蟀谷に伝い落ちて行く。素肌が、直に触れ合っている部分が熱く感じられた。特に穿たれている場所――穿っている楔が、熱く感じられて、彼女はハッとする。首筋には獣を彷彿とさせる荒い呼吸がかかっている。痕が付くか付かないかの細やかさだった顎の動きが、ジワジワと強まっていく。達する時の、彼の癖、だった。それを思い出し、彼女は顔色を失くす。

「待っ、待てっ! 抜けッ……駄目だ! ヤッ、出すな!」

「――ハッ……ん? 何を、言っている。好きだろう?」

「誰がっ! あっ、あっ、駄目、ダメ……ッ! うしろっ、後ろならッ、アッ、出して、良いからぁッ!」

やめろ、と悲痛に声を上げる彼女の首筋にブツリと彼の白い歯が食い込んだ。背が、弓のように弧を描いた。

「ア――、」

胎内に熱いものが叩き付けられる。胎内が、熱いものに侵されていく。大きく開かれた目蓋の中で、平生はぼんやりと浮かんでいるだけの、世界を映さぬ双眸が汗ばんだ肩越しに天井を凝視していた。酸素を求める魚のように、彼女の唇が音もなく開閉する。

「ふ、はッ――……」

覆い被さっていた彼が身じろぐと、ズチッと液に空気が入り込んだ音がした。

 身体を、起こしながら細くなった手首を掴んでいた手を放し、歯形の付いた首の後ろと背中を支えるように弛緩した身体と寝台の間に差し込む。胡坐をかき――未だ羽織るように引っかかっていた――服だった布を剥ぎ取り、生まれたままの姿になった彼女を胡坐の上に乗せる。クタリと脱力していた身体が、自重により更に深くまで届くこととなった熱にビクリと跳ねた。彼の身体に凭れ掛かっていた彼女の身体が自立しようと彼から僅かに距離をとる。泣き濡れた顔が、愉快そうな表情を浮かべている顔を精一杯睨め付ける。

「っ、ッ――、も、十分だろう……!」

「何を寝ぼけたことを言っている。まだまだだろう?」

武骨な指が、半身の収まった場所を左右に広げると、透明な液と白濁がトロリと滴り落ちる。溢れた液を指に絡め、背の方へ向けて濡れた指を滑らせていき、入れるための器官ではないそこに、ツプと埋め込む。

「後ろが、寂しいと言っていたな?」

慣れた風に後孔を弄る指が至極恨めしい。グチグチとキツそうな音を立てながら拡げられていく身体に羞恥が募る。

「いっ、つっ……あっ、ふ、ぅっ、言ってないッ」

嫌だと言葉で頭で拒んでも疼く身体には抗えず、目の前の肩に縋りつくかたちになってしまう。背が撓り、厚い胸板と柔らかい乳房が触れ合う。

 ふと、彼が彼女を抱え上げ、寝台の脇に置いてあるテーブルまで手が届く位置に移動する。何の前触れもなく訪れた刺激に漏れた甲高く短い悲鳴が鼓膜を擽った。

 ガタゴトと引き出しを弄る音がして、中から華美な装飾が施された筒のようなものが取り出された。多くの貴金属、宝石を纏うそれは、彼が占領した村から持ってこられた物だった。今となって知る者は居ないが、元は服の袖に隠し持てる小刀だった。その鞘がいつの間にか溶け、刀としては使えなくなり、無用の長物となっていた。

 何が取り出されたのか、見えぬ彼女にはわからない。指を引き抜かれ、ヒクヒクと収縮する後孔に、ひたりと冷たいものが押し当てられる。

 あ、と声を上げるより早く、押し当てられた何かを捻じ込まれる。

 堪らず跳ね上がった彼女の身体は重力に従い下へと戻るが、寝台まで腰を戻せば、半ば無理に捻じ込まれた異物を自ら奥へと遣ることになった。加えて、胎内に収められた彼の半身にも穿たれ、肉の壁越しにデコボコと起伏のある異物と擦れ合い否応なく快感を与えられる。

「ひッ――ィ、アアアァァッ!」

口端から銀糸が溢れ、パタリと鎖骨の辺りに垂れる。身悶えることで再度生まれる快感に喘ぐ彼女を、彼は面白そうに眺めている。

「どうした? 腰が揺れているぞ」

「ぅ、やっ、嫌だッ! 違ァアッ、ふあっ――いやだ、やめ、止めてくれ……ッ!」

言いたいことだけを言い放ち、返ってくる言葉は一笑して受け流す。そうして彼は、ビクビクと陸に上げられた魚のように跳ねる彼女の身体――尻を鷲掴んで、上下に揺さぶってやる。ジュプッ、ジュポッと自分の身体から聞こえてくるはしたない音に、常人のそれよりも数倍よく働く耳を持つ彼女は涙を溢れさせる。ボロボロ零れ落ちていく涙がシーツに小さな染みを作っていく。気紛れに、彼は片手で俯きがちだった顔を上げさせ、嫌だ止めろと譫言のように繰り返す唇に、噛みつくように己のそれを重ねた。

「ン――んぅ、は、ンンッ」

チュク、クチュという水音の合間から、飲み下せなかった、どちらのものともつかない唾液が落ちていく。

「ぷぁっ、ァ、」

離れた唇はテラテラと濡れている。

 紅を引いたような瑞々しさを持った口唇から退いた彼のそれは首筋を辿り彼女の胸に辿り着く。噛み痕と、欝血痕を残しながら上下している身体の揺れに従う乳房に辿り着く。

 やわく歯を立て、舌の先でそのかたちをなぞってやると、戦慄く唇から悦の色を含んだ悲鳴が聞こえた。ゾクゾクと這い上がる快感を遠ざけようと突っ張られる筈だった彼女の両腕は縋るように目の前の肩を掴んでいる。ジワジワと燃え広がる快楽を抑え込もうと再び俯きがちになった顔は耳まで赤くなっている。彼女が彼であった時とはまた違う雰囲気に、嬲るように胸を食んでいた口元が歪んだ。

 彼の薄い唇がツンと立ち上っている乳房の先を捉えた。ピチャ、と音を立たせて、硬くなっている胸の尖りを舐る舌の動きに彼女はグズグズに溶けた泣き声を上げる。空いている方には片手を宛がい、刺激してやる。そうして――それでも、未だに失われていない理性とは反対に、その肉体は快感を律儀に拾い上げているようで、彼の半身を受け入れている蜜壺はキュウキュウと中に収まっているものを締め付けた。身体の素直な反応に、笑みが零れぬ筈がない。

「やぁッ……や、ダメっ、も、出さないでッ! 子供が、出来るッから、やめ、アァッ!」

胎内で熱く脈打つ楔に慄く彼女は彼に――それは懇願にも近く――訴える。

 答えは、耳元で与えられた。胸元から上げられた顔が首筋を辿り、喉元に留まり、歯を立てた。薄く心許無い肌の下で、生々しく喉頭が動く。

「っ、孕めば、良かろう……俺の子を、」

「な――そ、んなッ、ア、嫌、やッ嫌だ、そんなァ……ひ、ァアッ!」

「己が殺したいと願った男の嬰児を、貴様はその身に宿すのだ」

薄皮を食い破って鋭い牙が食い込み引き攣った空気の抜ける音がした。同時に、腹の中を満たす白濁の嵩が増す。声すら上げずに見開かれた彼女の見えぬ目には絶望の暗い色が浮かぶ。そんな彼女の様子をうっそりとした表情で横目に見る彼の目には暗い恍惚の光が灯る。狂った熱に歪んだ時間は、未だ終わりを迎えそうにない。

 彼が目を覚ますと、身体をペタペタと誰かに触られていた。昨夜の熱がほんのりと残る肩や腕、脇腹や胸を辿っていく指先は――昨夜触れてくれたものと同じようでいて、どこか、違和感。

「…………トキ?」

名前を、確かめるように呼んでみる。肢体をなぞる手の持ち主が、フッと彼の顔を見た、ような気がした。肌の上を滑っていた手が止まり、衣擦れの音。そして、やわらかな髪が彼の頬に触れた。ジィッと見詰める視線に晒されて落ち着かない。手を伸ばし、一言も発さない目の前の顔が誰のものかを確かめようとして――無遠慮に右の胸を揉まれ硬直した。

 相手の唐突な行動と、何故か柔らかく揺さぶられている自分の胸に戸惑う彼とは対照的に、目の前の人物は纏う雰囲気の一欠片も変えていなかった。たっぷり数秒の後、彼はようやく抵抗を始める。が、仰向けに横たわっている身体とそれに覆い被さっている身体では、体位の利が違い過ぎた。加えて、揉まれ続けている胸から妙な感覚が背筋を這い上がり――意図せぬ、するはずもない音が、口から漏れた。

「ふゃっ、ふッ――と、トキッ!」

普段よりも幾分か高いような気のする声が助けを求めた。部屋――寝室の外で、バタバタと騒々しい音がする。忙しない足音が扉の前まで来て、バタンと大きな音を立てて出入り口が開かれた。音のした方へ、ふたりの顔が向く。

「トキ?」

「シュウ!」

「トキ!」

室内に飛び込んできた人物へ確認のために声をかけると、存外切羽詰まった声が彼の名を呼び返した。聞き慣れた声に、彼の表情と雰囲気がパアっと花咲くように明るくなる。互いの名を呼び合うふたりの間には花と言うかハートと言うか、そういうものが飛び交っているような幻が見えて――彼の片胸に手を置いたままの人物は小さく舌打ちをした。だが、彼が喚んだ者はその人物をただで返してはくれないだろう。

 ゴッと鈍い音がした。硬く重い拳が脳天に落ちた音だった。

「少し、時間を」

ニッコリ笑って彼に言う。そこから滲み出る威圧感は納得の貫禄である。殴られた箇所を両手で抑えて悶えている不届き者の首根っこを掴んで彼から引っぺがしていく。何やら騒ぎながら連行されていく侵入者と、時折ズルズルと引きずる侵入者に脅しにも似た言葉をぶつけながら退室していくひとの方へ顔を向けながら、彼はシーツを手繰り寄せた。そこで、彼は己の胸が丸い曲線を描いていることに気付く。指先で、喉を辿れば起伏が少ない。腰から脚を辿れば緩やかな弧を感じる。恐る恐る股間に手を伸ばせば、あるべきはずのものが消えていた。眠りに就く前は確かにあった。つまり、どうやら、彼は寝て起きたら彼女になっていた。頭の中がグワンと回った気がする。小さな呻き声を漏らして、彼女は手繰り寄せたシーツに、ミノムシのように包まってしまった。

 部屋に帰ってきたひとは寝台の上でシーツに包まっている彼女を見てホッと安堵の溜め息を漏らす。先程の侵入者に何も危害は加えられていないらしい、と見たからである。彼は苦笑を浮かべながら、すまない、と謝罪を口にしながら寝台に腰掛ける。そっとシーツを退ける手と沈んだ寝台に、困惑の表情を浮かべた彼女が白い繭の中から顔を出す。

「と、トキっ、どうしよう――私、身体が、」

「……? えぇと……失礼」

要領を得ない言葉に、疑問符を浮かべるしかない彼は優しく彼女の身体を覆っている白を剥ぐ。その下から現れたのは、よく親しんだ肉体ではなく――見るからにやわらかそうな女性の裸体だった。ピシッと音を立てて彼の身体が固まる。

「え――あ、っと……え?」

「その、起きたら、こんなことに……」

「えっ? は、はぁ……起きたら……?」

「…………起きたら」

身体を起こして彼と同じように寝台の上に腰掛けた彼女が眉尻を下げている。それを見た彼は、気付けばほぼ無意識で彼女へ手を伸ばし、抱き締めていた。不安から微かに震えている、細く柔らかくなった肢体は、力を込めれば壊れてしまいそうな気すらさせた。ふたつの心臓の音が重なる。

 体温を共有したためか少し時間が経ったためか――受け入れるしかない現実を受け止めたふたりは顔を見合わせる。それから、この後はどうするかと小首を傾げる。彼女を彼に戻したいのは山々だが、心当たりとなる今朝の不審者はしばらく再起不能だろう。話が出来るようになるまでの間、現状で待機することが無難である。外を以前と同じように歩くことも、控えた方が良いだろう。

「不便な生活になると思うが……良いだろうか」

目を伏せる彼の顔に、彼女の手が触れる。てのひらが彼の頬を包み、丸みを帯びた指先が目尻や耳殻を撫でた。

「こちらこそ、突然すまない……迷惑をかける」

子供をあやすようなその指の動きに視線を上げれば目の前には、やさしく微笑んでいる彼女がいた。申し訳なさそうな影を、微かに滲ませる表情は、朝の陽光に照らされてひどく眩しく見えた。

 自分の頬を撫でていた手をとって、きれいな楕円の指先に口付ける。くすぐったさに肩を揺らした彼女の、取ったままだった手を引き寄せて身体を抱き寄せると、急に引っ張られてバランスを崩した彼女が可愛らしい悲鳴を上げて倒れ込んだ。何を、と上げられた顔に己の顔を近付けて、ごく自然な流れで唇を重ねる。最初は驚いていた彼女も、掴まれていた手を彼の背中に回して自ら舌を絡めていく。普段と変わらない、甘やかな空気が――。

 いつものように相手の背中に手を回そうとして、彼は手を止めた。彼の手が肩で止まったまま、重なっていた唇が離れる。このまま続けては、いけない気がした。

 その、彼の機微に気付いたのだろう彼女が、回していた手に力を込めた。まろくやわらかな胸を通して小さな心音が届く。

「――続けて、くれないか。いつもと同じように」

穏やかな声だった。耳をくすぐる声は、彼だった時のものとは違い、鈴を転がすようなものだったが、それは確かに彼女となった彼の声だった。

「しかし、」

「いいんだ。このまま抱いてくれ」

期待と切望と、僅かな恐怖が声音に滲む。フワリと嗅覚を撫ぜた彼女の香りは、ひどく艶めいていたような気がする。

 昨夜の影が端々に残る寝台へふたりして倒れ込む。適当に纏う程度だった服を、彼はさっさと脱ぎ捨てる。衣擦れの音が、どこか忙しない。灯った熱を、すべては洗い流していなかった身体は、慣らさずとも熱を受け入れられるようだった。

「――っ、誘ったのは、あなたの方と言うことを……!」

「ふっ……、ノッたのは、そちらだが、なッ」

ゆっくりと半身を沈めていく彼は薄く眉間に皺を寄せているが、常とは違う状況に燃える熱を隠しきれてはいない。足を開き彼を受け入れる彼女は僅かに苦しげな表情を浮かべているが、埋められていく熱に満たされて嬉しそうな顔もしている。

「ン……ぁっ、ぜんぶ、入っ……た?」

蟀谷に口付けが落とされるのを感じて、彼女が動きを止めた彼に訊く。

「入っ、た……えぇ。あなたの中に、私が」

熱い吐息と共に吐かれた言葉に、彼女は破顔する。下腹部を意識すれば、キュウと彼の収まる胎内が収縮した。収められた熱と、その大きさに彼女は、ハァと改めて息を吐く。幸せそうな彼女の様子に、彼もまた笑みを浮かべる。何度目になるかわからない口付けを交わして、彼は彼女に問う。

「動いても?」

答えは聞かずともわかっていた。それでも問うた彼に、相変わらず微笑を湛えたまま、彼女は口を開き、答えた。

 心地良い律動に、彼の首元へ顔を埋める彼女は幸せそうに笑んでいる。ズッ、ジュク、と硬い熱が胎の最奥を叩く度に花が綻んでいるような甘い声を上げる。その声に煽られて、彼の熱も上がっていく。背中に回された手が、時折爪を立てようとしてそれを止める。ひとを、極力傷付けないようにしようとする癖は相変わらずらしい。絶頂に達する時、耐え切れず彼の背に縋り爪の痕を残した夜が明ければ、痕を残したその指先が申し訳なさげに仄かな熱を持つ傷痕を辿るのが、よくある光景だった。元より大きな傷痕を持つ背である。気にはしないし――愛しいひとから与えられたものは、何であろうと嬉しいものである。だが、それはまだ、相手に言っていない。

「ぁ、あっ、んッ、ふあぁっ、とき、トキ……っ」

「はっ……っ、どうか、して?」

譫言のように己の名を呼ぶ声に、動きは止めずに答えてやると、舌足らずながらも言葉が続いた。

「きもちいい? ちゃんと、気持ち、いい、か?」

不安の色が見え隠れしていた。見えていない分相手の様子が窺い難く不安なのか、彼女は幼い子供のような表情で彼の首に縋っている。身体がカッと熱くなるのを感じた。両手を寝台につき上体を浮かせると、眼下に温もりが遠ざかり心許無げな彼女が見える。目尻に浮かんでいる雫は何の感情からなのか――或いは生理的なものなのか――わからないが、それはとてもきれいだと思えた。

「ふっ――、ぁ……あぁ、とても……とても、気持ち良い」

そう、感じたままを伝えれば眼下の顔は安堵したように和らいだ。よかった、と言葉が零れるより早く、彼はその唇を奪う。再度ふたつの身体が触れ合い、体温が共有される。

「ん、ぅ、ふ、ンンッ――ッア、あ、トキッ、トキ、トキぃッ」

すべてを浚っていくような口付けの後、艶やかに濡れた唇からは己を抱いている者の名ばかりが震えながら溢れ落ちていく。

 熱がふくらみ、彼の息が荒くなる。あ――と、熱に浮かされた頭の、冷静なままでいるところが他人事のように考えた。達する。達してしまう、と。

「……ッ、シュウ、っぁ、ダメだ、出る――から、」

このまま胎内に自身を沈めたまま達してしまえば相手が子を成してしまうのではないか。フッと影を落とした不安に、彼は中では達さぬようにと歯を食いしばる。

「っぁ、はっ、良い、良いからっ、このまま、」

「なん――何を言って……っあ、くッ」

「このまま、中にっ、出して良い、から……!」

「なっ……うっ――ッ!」

「ふあっ、あぁっ、あ、ァ、ぁあア――ッ、」

脚が――彼女の脚が彼の腰を捉え、また珍しくその手が彼の背に赤い線を色濃く残し、乖離を許さなかった。下方の背が弓なりにしなり、上方の背が弧を描いて丸まる。あたたかく潤った肉の中で熱が弾け、ジワリジワリと周囲を侵していく。身体を震わせ、快楽の波を受け止めること、数分の間。そうして、ようやく身体を離して仰向けに寝転がる。荒い息を繰り返して、呼吸を整えながら彼は訊く。

「何故、あんなことを……」

彼女は下腹部を、それこそ母親のように優しくさすりながら答えた。

「私は――男だから、お前に何も遺してやれない……いや、繋ぎ止めておけない、だな」

はにかむ横顔は、人並みの欲や願望を持つ、一個人の顔だった。

「だから、今のこの身体なら子を成せると思ったのだ。お前と私が、こうして通じていた証を、遺せると――」

そこまで零して、唐突に気恥ずかしくなったのだろう――口を止めた彼女は慌てて彼に背を向ける。肩越しに覗く耳は鮮やかな朱に染まっているのが、彼からはしっかりと見えている。

「…………忘れてくれ。世迷言だ」

言葉と共に、自嘲的な笑い声が聞こえた。静かに独白へ耳を傾けていた彼は、彼女の肩をそっと撫でた。ビクリと触れた肩が跳ねる。僅かに強張った肢体を辿りながら、彼の手は肋骨の起伏に揺れながらくびれた腰を通り下腹部で止まる。臍の下、やわらかな場所を、大きく温かい手がゆっくりと行き来する感覚に、僅かにあった身体の緊張が溶けていく。ちいさく息を吐いた彼女の耳元へ、彼は唇を寄せる。

「あなたとの子供なら、きっと優しい子になる。男でも、女でもいい。なんなら、双子や兄妹なんてどうだろう」

ハッと彼女が背後の彼へ顔を向けた。顔にかかった癖のある柔らかい髪を指で退けながら、彼は面映ゆそうな顔を浮かべる。

「しかし、私は子供を育てたことがない。だから――あなたと一緒でなければ、きっとてんで駄目なのだが、」

「……――っ! ッ!」

身体を捩じり、彼と向き直った彼女が両手で顔を覆い、嗚咽を漏らす。しゃくりあげる呼吸の合間からは、ありがとう、ありがとう、と嬉しそうな声が聞こえてきた。彼女が身体を反転させたことで腰へと回った手を引き寄せ、しなやかな裸体を抱き寄せる。

「……それでも、私との子供を作ろうと思ってくれるだろうか」

胸元で頭が必死に上下している。その度にふわふわとした髪が顎を擽る。その旋毛にそっと口付けを落としながら、彼は瞼を閉じる。暗転した世界で、素肌に触れる柔らかな温もりと鼻腔を掠める甘い匂い、身体の内に広がっていく幸せの温かさが、確かなものとして在った。ふたりの或る一日は、そんな始まり方をしていた。

トキシュ
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