いわゆる「宝石の92」のパロ的な。先生が宝石でできてる特殊設定。
ネタはふぉろわさんからお借りしました。ありがとうございます!
モンハン世界の宝石と現実世界の宝石が同一なのかどうかいまいち分からなかったのですが、
英訳されたテキストに「Rath Ruby」「Sapphire star」と言った言い回しがあること、
邦文でも「エメラルドカブトガニ」等が確認できることから現実世界の宝石をそのまま採用しました。
色味等についてはwikiの画像を参考に判断しています。
加工、加工後の質感については現実ではあり得ない描写になっているかと思いますが、
そこはモンハン世界の技術の賜物ということでお願いします。
描写自体は少なめだと思いますがナチュラルにハンソドしてます。
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その男は、なんてことはない、ただの船乗りだった。金ができれば無くなるまで遊び、金が無くなれば働く。その程度の男だった。男にとっては幸いなことに、腕っぷしは強かったから、特に重荷を扱う交易船の類の仕事は比較的楽に得ることができた。そして今回男がありついたのは、彼の有名な「新大陸古龍調査団」の交易船の荷運びだった。
それなりの船旅の後、辿り着いた新大陸で男は船から沢山の荷物を下ろした。これまでこなしてきた仕事の中でも一番の量と重さである。さすがは開拓物資――と思いつつ、他の船員や作業員と共に荷下ろしを済ませる。報告書やサンプルの類を、今度は現大陸へ帰国する船に積み込むのは数日後である。つまり、その出航日まで男たちは新大陸――正確には乗って来た船と、船着場の周辺、調査拠点の一部エリア――で過ごすのだ。
そりゃ面白い、と男は思った。当然だ。現状、誰でも来られるわけではない新大陸を、僅かばかりとは言え見られるのだから。それに、上手くすれば――金の卵でも持ち帰ることができるのではないか、と。そんな考えが顔に出ていたのだろうか、傍を通りかかった船乗りが「妙な下心を出すもんじゃないぞ。ここには奇人か変人か、俺ら程度じゃ全っ然理解の及ばねえ天才しかいねえんだからよ」なんて苦笑しながら男に忠告していった。
だが男はあまり頭のいい人間ではなかった。あの船乗りの忠告を軽く聞き流して、拠点内の探検を始めてしまったのだ。
滝の流れる岩場を中心に組まれた拠点は存外迷路のようだった。一期団が上陸してからの年月と今現在の調査員数を考えればその規模は当然とも言えるが、組み上げられ増設された足場に翳った場所はまるで深い森にでも迷い込んだよう。大地に家々や露店、商店と言ったそれぞれ特徴ある建物が立ち並ぶ風景とはまるで違う。どれも似たような造り、外観の――部屋が並んでいるのだ。そんな場所を、初めて訪れた男が歩いて迷うのはごく自然なことだった。
気付けば男は船着場を出て、居住エリアを抜けて、工房エリアの裏に来てしまっていた。迷い込んだそこは倉庫だと思われる。埃っぽい空気に、男は僅かに顔を顰めた。海に近い拠点下層の船着場や、桟橋に続く足場よりもなお薄暗いそこにも、木箱や麻袋と言った荷物は大量に置かれている。おそらく備品や資材なのだろう。
素人の自分が見てもよく分からん――と男はその場を離れようとする。そこで、隅の方に、木箱に腰を下ろしている人影が目に入った。
思わず息を呑む。物音はもちろん、呼吸音も聞こえなかった。いつの間に、いつから、と男は焦る。否、自分は船乗りとして新大陸に来ているのだから、道に迷ったのだと――実際まったくの嘘というわけでもない――言えば見逃してもらえる……?
だがいつまで経ってもその人影は男に構うことは無かった。動く様子もない。冷や汗を垂らしながら男は恐る恐る人影に近付いた。そして、そこに居た――置かれているのが、一式の防具であることにようやく気付いたのだ。
なんだよ、と男は溜め息を吐く。驚かせやがって、と悪態を吐きながら防具に近付くと、それは薄暗く埃っぽい場所でも美しい光沢を放つ宝石でできているようだった。
およそハンターたちが纏う、モンスターの素材や鉱石で作られる防具と同じには見えなかった。デザイン自体は現大陸のレイア装備であると男は――港や酒場でハンターと話すこともままある――知っていた。だが、今目の前にあるレイア装備は、普通鋼でできていると思われる鈍い銀色の部分は静かに銀の月が如く輝き、部分部分にあしらわれた雌火竜の緑はまるで名前には聞いたことのある翡翠(ネフライト)か緑玉(エメラルド)のよう。
好奇心から頭部をそっと持ち上げて見てみると、羽飾りもまた石の類でできているようだった。男は知らぬ名であったが、フワリと立った白羽は乳白水晶(ミルキークォーツ)が細く薄く裂かれた物の集まりで、編まれ束ねられ垂らされている赤い羽飾りは紅玉髄(カーネリアン)でできていた。
これは高く売れる!と男は思った。この御伽話のような、王侯貴族の道楽のような防具を持ち帰れば、それこそ一生食うに困ることはないだろう。こんな倉庫に置かれていると言うことはもう使われていない――そもそもこんなものが調査や狩猟と言った調査団の活動に使われていたとも考えられないが――のだろうし。
男は手始めに手にした頭部装備を持ち出そうと揚々と踵を返す。ピクリ、と頭部装備を外された装備の指先が微かに動いたことに、男が気付くはずも無かった。
そして、振り返って数歩歩きだした先で、倉庫の出入り口に誰かが立っているのを男は見た。
倉庫の出入り口に立っていたのは言うまでもない。この拠点を生活の中心とする、調査員だった。だが、その装いからして調査団のハンターであることが察せられた。男は反射的に手を背後へ回す。持ち出そうとしていた頭部装備を背に隠したのだ。
男の不審な挙動に、防具の中でハンターが目を細めたようだった。数刻前から居た男とは違い、ハンターの方はまだこの薄暗がりに目が慣れていなかった。しかし上背のある男の、大袈裟とも言える動きはさすがに見て取れる。ここで何をしている、と唸るような声が男を問う。
存外強い敵意を向けられ、男は焦った。べつになにも、とカラカラに乾いた喉で誤魔化そうとする。当然、そんなものが上手くわけもないのだけれど。
背中に隠したものを出せ。ハンターが言う。その威圧感に、知らず「ひっ」と喉が引き攣った。
だが、男とて「男」なのだ。声の感じからして、どうやら年下らしいハンターに大人しく従うと言うのも癪だった。ぐ、と息を呑み、腹に力を籠め――たところで、指にも力が入ってしまい、持っていた物を滑り落してしまった。ガッ、と硬い物が背後に落ちる音。その瞬間、ピシリ、と何かに罅の入る音が、ハンターには聞こえた。
思ってもみなかった失敗に男が怯んでいる隙に、ハンターが男の背後へ回り込む。そして、その足元に転がる特徴的な傷跡を持つレイアヘルムを見た。
膝をつき、丁寧な手つきで拾い上げると、落とされた時にできたのだろう。小さな罅が面頬の部分に走っていた。
おまえ、とハンターが男を睨む。手中にあるのは、およそあの先達の物とは思えない材質で出来たレイアヘルムだが、この特徴的な傷跡を持つレイアヘルムは、あのレイアヘルム以外にあり得ない。それに、直感が「これはあの人の物に間違いない」と訴えていた。はじめて言葉を使う獣のように「これをどうしようとしていた」とハンターは男を壁際に追い詰めていく。倉庫の奥で残されたレイア装備がひとりでに動き、近くに転がっていた棒きれで天井をゴンゴンと突いていることに、張り詰めた緊張感で向かい合う二人はまったく気付いていなかった。
いよいよ背後に空間が無くなり、壁を背にした男は「殺される」と思った。だってそれだけの威圧感――殺気が目の前のハンターから放たれていた。それが、自分があのレイアヘルムを持ち出そうとしたことに対してなのか、あのレイアヘルムを傷付けたことに対してなのか、分からないことも恐怖の一端になっていた。ハンターの手が喉にかかる。
ああきっと自分は絞殺されるのだ。絞め殺されて、証拠が残らないようにバラバラにされて海に捨てられるのだ。船員が盗みを企てた末にそんな末路を辿ったなんて知ったら、きっと船長も調査団もギルドも黙認か黙殺するのだろう。ああ、勝手の違う土地で妙な気など起こすべきではなかったのだ――。男が一瞬にしてこれまでの懺悔を胸中でした時だった。
「先生!?」
と誰かが倉庫に駆けこんで来たのは。
思わずハンターも男も声の方を見た。そこには今現在調査拠点の工房を任されている二期団の若頭がいた。
「せん……っ、あ、すいません! あ、いえなんでもないです! それより何をしているんですかお二人は!」
いつもと違い慌てた様子の若頭に、倉庫の奥の誰かと話しているらしいと気付いた二人は、そして――頭部装備の無いレイア装備が、頭部装備の無いまま若頭に向かって「静かに」のジェスチャーをしている様を、見た。そして、二人が「ひとりでに動く中身のないレイア装備」を見てしまったと理解した若頭は、額に手を遣って大きく溜め息を吐いた。
「トップシークレット、というヤツですよ、先生の正体は」
曰く、そういうものだとしか説明のしようがない存在なのだと言う。宝石の類で構成されたレイア装備である調査団随一のハンターは。
「宝石特有の艶が出て来てしまうので、定期的にメンテナンスを兼ねて艶消しの……まあ、塗装のようなものですね。それを行っているんです」
つまりその待機場所兼作業場であったのだ、この倉庫は。確かに人の出入りはおろか、人の目も少ないここは絶好の場所なのだろう。だが、今回は偶々運悪く男が迷い込んでしまい、覚えのない気配に気付いてしまったハンターが訪れてしまったと。そして何やら不穏な空気と状況になり――やむを得ず「ただの防具のフリ」をしていた先達が若頭、あるいは調査員の誰かを呼ぶために動いたということらしい。
「私も親方から先生のメンテナンスについて教えられた時は驚きました。ああ、その罅は元々小さい物が入っていて、落とされた衝撃で広がってしまったものです。ですからまあ、船乗りさんだけのせい、ではないですよ」
司令エリアでのように、木箱に腰掛けた先達を構っていたハンターが、男を責めるように面頬の罅を指さすと、若頭は苦笑する。するとハンターはどこか不満気にまた先達にくっついてしまった。
「驚かせてしまってすまぬ。が、そなた、防具漁りとは感心せぬな」
自分の腹にぐりぐり頭を押し付けるハンターを適当に撫でてやりながら、件のレイア装備が男を咎める。反論のしようもない男は船上で鍛えられた身体を縮こませた。
「……しかし、土産の一つでもと言うのは、理解もできる」
故にこれを、とレイア装備は男に手のひらに乗る程度の銀色の板を差し出した。それはどうやら、レイア装備の銀色の部分に用いられているものと、同じ素材のようだった。恐る恐る、男はそれに手を伸ばす。ジイ、とこちらを見てくるハンターの視線が怖かった。そしてそれを受け取ると、良いのか、と少し震える声でレイア装備に確認する。
「うむ。此度のことでそなたも頭が冷えただろう? 故に、もう二度と同じような気を起こさぬよう、金に困った時はそれを売るが良し。多少の額にはなろう」
おそらく――というか間違いなく、このレイア装備が男の身辺を知っているはずがない。だと言うのに、このレイア装備は。
男は礼を言った。それはもう、何度も何度も言った。滅多に下げない頭も何度も下げた。目が覚めたようだった。このことを「内密にな」と言われて、更に頭を殴られたようだった。一筆書かせるでもなく、高圧的に「言うな」と上から言うでもなく、少し笑った声で「秘密にしてくれ」と言う、その慎ましさ。惹かれるとはこういうことか、と思った。人――人?に惚れるとはこういうことなのだきっと。もちろん恋愛的な意味ではない。憧憬的な意味でだ。気付けば、せんせい、と男の口から音がこぼれていた。
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履修したので。ふいんきだけ。
先生至上主義な青い星のいるハンソド。相変わらず防具≠人。暴力、負傷描写有り。リハビリ中。散文。
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それは――私たちの「兄」だった。
よく笑い、よく喋り、よく泣く――頼れる「兄」だった。
皆帰っては来なかった。
世界の真実を知り、自分たちが何者なのかを知り、世界や自分たちのためにすべきことを知った。
だから「新大陸」に残った者たちを説得しようと試みた。
何人もの仲間がかつての家である新大陸へ赴いた。
もし万が一、向こうの同胞に攻撃されたとして、無事でいられるようにその身に強化を施して。
けれど――今に至るまで、誰も帰っては来なかったのだ。
サクリと足の裏で細い草が潰れる。
久しぶりに見た新大陸の風景は、懐かしさすら感じた。
あの頃と変わらない丘陵。風。空。
錯覚してしまう。世界は何処も壊れてなんていなくて、全ては夢なのではないかと。
期待してしまう。仲間たちが帰って来ないのも、本当はどこかで遊んでいるだけなのではないかと。
「――ああ。今日はお前たちか」
しかし。そんなのは、結局甘えた夢なのだ。
全てを醒めさせる声がする。全てを断ちきる声がする。
新大陸に降り立った私たちの目の前。広い空と大地を背にして、そいつは立っていた。
「青い、星……」
ウルムメアが震える声でそいつを呼んだ。
畏怖ですらない。純粋な恐怖と警戒から来る声の震え。
その声を、私たちの「兄」はどう聞いていたのだろうか。
否。私たちの声など、奴は聞いていなかった。
フッと。目の前から青い星の姿が消える。
ザアと叫んだ風に。流星のように目の前に現れた青い星に。
一気に肉薄されたのだと遅まきながら思い至る。
「ウルムメア!」
悲鳴のような声が喉から溢れた。咄嗟に弟の前に出る。
だが、何もかも遅かった。
「あ、――? ぇ?」
ウルムメアが不思議そうな声を上げた。私の目の前には誰もいない。
嫌な予感。嫌な予感。嫌な予感!
半ば祈るような気持ちで背後を振り返る。
そうすれば。そこには。
からだを割られ、貫かれ、呆然とした、弟、が――。
「まず一匹」
僅かな感慨もなく「弟」の腹を片手剣で貫いた青い星は、無感情に呟いた。
そして、物にそうするように、弟の腹を蹴り――蹴り飛ばして、剣を引き抜いて、遠い地面に転がした。
「貴ッ――様ァァァ!」
狩り場――戦場に於いて、冷静さを欠くこと無かれ。
兄たちから何度も言われた言葉。弟たちにも、よく聞かせている。
自身も心がけている警句。
だが、それでも。
我慢ならなかった。
同時に理解した。してしまった。それまで目を逸らしていた現実に。
「自分が!何をしたのか!しているのか! 解っているのか!!」
大剣へと変形させた剣斧を振り回し、青い星に吠える。
「お前たちこそ、自分が何をしているのか、解っているのか」
ガキンガキンと鈍い音をさせ、しかし一撃一撃を片手剣の小さな盾で防ぎながら、青い星が言う。
私を見る眼は静かに凪いでいて、無機物のようだった。
「先生への裏切りだぞ。俺たちをずっと守り、導き、愛してくれている先生への、裏切りだ」
その真っ直ぐな物言いに、私は怯んでしまう。
先生こそがすべて。先生こそが理。青い星の声は眼は、そう言っている。
気持ちは、分からなくもない。
私もずっと先生に庇護されていたのだから。
この「世界」のことを知り、己が何をすべきなのか知り、世界をあるべき姿へ戻すためには先生の協力が必要なのだと知り、先生の元を離れるまで、私も先生を慕う「生徒」のひとりだった。
否。今だって先生のことは好きだ。きっとこの先だって先生を憎むことや嫌うことはないだろう。
けれど。
「この世界が正しく廻るようになるには、先生が、先生のお命が、必要なんだ!」
そう、叫んだ瞬間。
ガギンッと一際強い音がした。
それまで防戦に徹していた青い星が剣斧を片手剣で弾いたのだと、一呼吸置いて気付く。
視線が交差する。
「――ッ、」
無機質だった眼に、憤怒の炎が灯っていた。
背筋が凍る。青い星の動きが、やけにゆっくりとして見えた。
剣斧を弾いた片手剣を翻し、柄に両手を添え、こちらへ付き出してくる。
貫かれる、と、そう思った。
思ったけれど――私とて、狩人の端くれである。そう簡単に、生を諦められなかった。
「――!」
弾かれた剣斧を無理やり持ち替え、地面に突き立てるように振り下ろす。
ガキン、だか、バキン、だかの音がした。
手応え。
眼前に、青い星の頭頂部が見えた。
その周囲には青い星が振るっていた片手剣の刃と同じ色の礫が舞っている。
それでようやく私は――青い星の片手剣を砕くことに成功したのだと思い至った。
ハ、と安堵とも引き攣りともつかない息がこぼれる。
だが青い星は、兄弟きっての戦闘狂は、そんなことでは止まらなかった。それを私は、失念していた。
青い星の頭頂部が視界から消えようとして、ほとんど無意識にそれを追う。それが功を奏した。
ヒュッと鋭い音。銀閃。反射的に身体がソレを避ける。遅れて思考が回り出す。
地面に突き立った剣斧を引き行く余裕もなく、私は青い星から距離を取る。
そうして私は、青い星が片手剣の、残された小盾を拳の如く振るったのだと、ようやく思い至った。
冷や汗が、たらりとこめかみを濡らした。
だが青い星は、私の恐怖を一瞥することもなく、盾を腕から外し、それを武器とすることを諦めていた。
互いに無装備になる――と私は思った。
が。
青い星がその場で片足を浮かせ、地面を踏みつける。
すると、地面からボコリと、太刀が姿を現した。
柄を踏まれ、地中からその首をもたげた太刀には見覚えがあった。
それは、ああ、紛れもない。
過去に青い星、ひいては先生の説得のためにこの地へ向かい、そして帰ってこなかった弟が、よく振るっていた得物。
それを、青い星が、拾い上げる。
駆ける、と言うには早すぎた。
太刀を手にした青い星が踏み込み私に迫る。その速度は瞬きの内だった。
片手剣ならまだしも、大型の得物を携えてすら、青い星の足は鈍らない。
思わず舌打ちがこぼれた。
私たちと青い星との間には、どうしたって埋められない差があるのだと。
「――クソッ」
小さく口をついて出た悪態は、私を私たらしめる、蒼炎の炎妃が矜持だっただろうか。
だが――結局私は無防備だ。
一縷の望みに賭け、青い星から逃れようと身体を動かすことしかできない。
ヒュ、と太刀の切先が奔る。
それは容易く「私」を斬り――裂こうとして、しかし不自然に刃先をブレさせた。
おかげで私は命拾いをする。
だが同時に「何故」と疑問符が浮かぶ。
青い星が今更私に対して逡巡などするだろうか。
答えは、当然「否」だった。
「――どうやら間に合ったようですね、よかった」
「話には聞いてたが、本当に同胞狩りしてたのか。恐ろしいな」
声がした。
ひとつは背後から、ひとつは頭上から。
「テンタクル、」
背後を振り返れば暗蒼の仲間が弓を携えて。
「エスカドラ、」
ザッと地面を踏む音は前方――私と距離を取った青い星の間から。
テンタクルとエスカドラ。2人の仲間が、増援に来てくれた。
「ウルムメアさん!」と後ろから聞こえてくるテンタクルの声に、早々に戦闘不能となってしまった弟を想った。
「エンプレスですら優位に立てないか。まったく、敵に回したくないヤツだ」
「お前もそちら側か、エスカドラ」
凪いだ眼の青い星が呟くように言う。
「まあ――どうでもいい」
先ほどはテンタクルの放った矢に反応・対応して私を斬り損ねた青い星は、斬る対象が2、3増えたところでその表情を変えるようなものではなかった。
まるで情と言うものが感じられない雰囲気に、エスカドラが苦笑する。
「世界を敵に回しても何とも思わないんだろうな、お前は」
さすがは俺たちの兄様だ。そう苦笑する声が微かに震えていたことに、当の「兄」は気付いていただろうか。
エスカドラが喉で笑う。青い星の得物を見てのことだ。
「ほう――斃した弟たちの得物を振るうか」
「使えるものを使う。それだけだ」
「狩りびとの鑑だな」
「お前たちが、狩りびとを語るなよ」
淡々とした遣り取りだった。
その、短い遣り取りで、2人は互いに相手を「もはや相容れない」と認識したようだった。
言葉が途切れるや、両者が同時に踏み込む。
轟、と空が震え、裂けた。
そして――直後。ゴギィン、だかバギィン、だかの、衝突音。
濛々と舞った砂埃が一掃される。
その、中心に。青い星の太刀を大剣で受け止めるエスカドラの姿。
質量、重量で言えば、大剣に分がある組み合わせ。
だが、2人の様子はと言えば、拮抗している――さらに言えば、エスカドラが僅かに圧されているように見えた。
「エスカドラ!」
背後から――テンタクルがエスカドラを呼んだ。
ほぼ同時に、目いっぱい引き絞られていた矢が青い星へ向かって駆けて行く。
チラと青い星が横目にこちらを見た。気がした。
フッと青い星が身じろぐ。ちいさな動き。
テンタクルの放った矢は、ギシギシと大剣に食らいついていた太刀へ吸い込まれ――ピシリ、とその刀身に罅を入れた。
地面から掘り起こされた物だ。傷んでいたとしてもおかしくはない。
案の定――青い星の手にしていた太刀は、矢を受けた個所からパキリと砕けて折れる。
拮抗が、崩れる。
既に青い星はエスカドラを圧すことを止めていたようだった。
太刀が砕かれたというのに、その身体は大してつんのめらない。
むしろ身を引き、足を踏ん張り、腰を入れて――エスカドラに蹴りを放った!
続けざまに、握られていた太刀の残骸――柄と、そこに続く刃だったもの――を投擲する。
だけでなく、パラパラと落ちていく分かたれた刀身を手で捉え、手中で軽やかに操り、こちらにも投げつける!
「ぐあッ……!」
「テンタクル!」
エスカドラの呻き声が聞こえた。私はと言えば、咄嗟にテンタクルの前に出ていた。
新たな矢をいつ放とうかと集中していた弟。
「エンプレスさん!」
「クソッ」
肩口と脚部に衝撃と熱。悲鳴のような弟の声。悪態を吐いたもうひとつの弟の声の直後に、ブンと空を切る音。
「大丈夫……大した傷じゃない」
青い星の投げた刃片に噛みつかれたのだと、弟を宥めながら認識する。
もうひとりの弟は大丈夫かと姿を探せば、エスカドラは大剣を片手で持ち、もう片方の手を顔へ遣っていた。
その手元から、淡い青光が漏れている。
「鈍ったか? 嘆かわしい。せっかく先生に生を与えてもらったと言うのに」
エスカドラの片目を奪った青い星は、それでも声音ひとつ変えない。
淡々と、足元から再び武器――今度は重弩――を拾い上げ、ごく自然な流れで構えてこちらに向ける。
だが、そこで。
青い星の表情が僅かに変わった。
何かを聴こうとするように。あるいは見ようとするように、視線を背後へと遣った。
「……――」
そして。
こちらを一瞥して。
手にしていた重弩を投げ捨てて、駆け出した。
ガシャン、と重弩が地面を叩く。
クソ、と悪態を吐いたのはエスカドラだっただろうか。
そして私たちは、風のように遠くなっていく背中を追いかける。
かつては多くの調査員たちで賑わった調査拠点。今や閑散としたその居住区――の中でも奥まった場所に、彼は居た。
「お願いします、先生。どうか――俺たちのために」
深緑の、フード状の防具を纏った人影が、瓦礫に座す“彼”に頭を垂れる。
伺いを立てている。
しかしその実、それは嘆願だ。
できることならば、御自らその生を――。
けれど“彼”は、やはりと言うべきか、少し困ったような声音で答えるのだ。
「すまぬ」
と。
「某にできることならば、某は喜んで“そう”いたそう。だが、そなたたちも解っているだろう? 今、某が“そう”したとて、そなたたちが思う通りにはならぬと」
「先生……」
「“皆”が思わねばならぬ。“皆”が願わねばならぬ。“皆”が望まねばならぬ。某の役目は、そうであるが故――」
すまぬ、と彼は再び言った。
壊れた世界から救われるためには、彼の命が必要だった。
旧世界の遺物である彼は、鍵であり楔であった。
思うものに応える。願うものを救う。望むものに与える。
彼は、そのための存在だった。
その最終活動目標は最後の最後、役者がすべて出揃った後、役者すべてを無に帰し、この新世界すら無に帰し、己と共に世界を閉じること。
それは始まりの刻から永くを経て、人の傲慢により道を違え誤った、生殺の清算だった。
狩られ奪われた命たちはヒトを呪い世を歪めた。空は翳り大地は汚れ海は淀んだ。
ヒトは死に、やがてかつてヒトに狩られたものたちの亡骸からヒトによく似た、けれどヒトではないものたちが生まれた。
それを、業の清算者として置かれた“彼”が、ヒトビトの遺志――贖罪と浄化――の元に庇護し始めたのが、今の世の始まり。
やがて来たる終わりを、“皆”が安らかに受け入れられるように。
だがそこで、ある誤算が生じた。
ひとりのものが、“彼”を慕い“過ぎて”しまったのだ。
彼のために動き、彼のために生き、彼を最優先事項とした。
それは“彼”が5人目に保護したものだった。
「ダメだギルオス。埒が明かない。殺そ――」
泣き出してしまいそうな顔をした深緑――ギルオスに、三角帽に似た帽子を被ったもの――プケプケが言う。
否。言おうとした。
プケプケの頭部が宙を舞った。
ひっ、とギルオスの喉が引き攣る。目の前を、傷んだ片手剣が通り過ぎていった。
傾いていく兄弟の身体。
兄弟の、せめて穏やかな最期を、闖入者は許さないようだった。
風のように場に飛び込んできたソレはプケプケの胸倉を引っ掴み、外――海へ放り投げる。
一拍遅れてごろりと足元に転がった頭部が、ぐしゃりと踏み砕かれ、その中から彼らの動力源たる、淡い緑光が逃げていった。
「ぁ、お、」
瞬きの内に喪われた兄弟に、いよいよギルオスの顔が青ざめる。
いっそ和やかに、彼の“兄”が弟へ眼と――指先を向ける。
「ぃ、嫌だ、しにたくない、」
青い星の手が顔あるいは頸に迫ってくる。けれど、足は手は竦んでしまってロクに動けやしなかった。
だからギルオスは、ほとんど反射的に――子が親に縋るように、この場にいる、唯一もうひとりに救いを求めた。求めるしかなかった。
「せんせい、たすけて、」
と。
“彼”は伸ばされた手を必ず掴んだ。それが“彼”の役割である故に。
「――青き星よ」
“彼”がギルオスの“兄”を呼ぶ。
ただそれだけで、弟を、既に弟とは思っていないらしい魔手はぴたりと止まる。
戸惑うように、困ったように、どこかぎこちなく、青い星は“彼”を見た。
「でも、先生、こいつらは、」
「青き星よ。そなたに問おう。痺賊のものは某に手を上げておったか?上げようとしておったか?」
“彼”にそう問われて、ようやく青い星は項垂れた。
「先生……、申し訳ありません。貴方を、危険に晒した……」
そしてもはやギルオスなど眼中にない様子で、彼の前に膝をつく。
結局座したそのまま居る彼の手を取り、額を押し付けて必要もない懺悔をし始める。
「大事ない。某は無事だ。そなたの方が大事になっておるではないか」
「掠り傷です」
その遣り取りで、ようやくギルオスは青い星の姿を正しく認識できた。
青い星の背中には、背後から射られた――作戦通り、青い星を引き付けておこうとした兄たちのものだろう――矢が、少なくはない数突き立っていた。
「――痺賊の子よ。今日のところは退いてくれぬか。そなたの背後に居るものたちと共に」
青い星の頭部を撫でながら彼が言う。
彼の言葉が終わる、ほぼ同時に、ざり、と背後で砂を踏む音。他の兄たちが、追い付いたらしい。
「先生、」
艶黒のもの――テンタクルに支えられながら立つ、蒼炎のもの――エンプレスが小さく彼を呼んだ。
「先生……なあ、まだダメか? 俺たちは、まだ……、」
呻くように呟いたのはエスカドラだった。
顔面の左側から未だほろほろと青い光をこぼしながら、迷子のように彼に問う。
「すまぬ、煌黒の子よ。某も、そなたたちの願いはできる限り叶えたいと思うておる。だが、これは、こればかりは、皆の意志がひとつにならねば叶えられぬのだ」
彼を殺すこと自体は、造作もないだろう。
「殺させてくれ」と言えば彼は従順にその身を差し出すだろう。
だが、それだけだ。
彼は死に、世界は変わらず回り続ける。終わりを失くして。
「これ以上青き星に、せめて今日だけでも、そなたらを屠らせなんでくれぬか」
彼に握られている青い星の手は、正しくその手綱であるらしかった。
青い星がグルグル、ヴヴヴ、と獣のような唸り声――を上げるだけで済んでいるのは、彼に触れてもらえているからなのだと、その周囲をチカチカと舞う赤い光が弟たちに伝える。
「来るな。二度と顔を見せるな。裏切り者が。お前たちは自分だけ助かろうとする卑怯者だ。いのちを与えてくれた先生を犠牲にして、自分だけ助かろうとしている」
兄が弟たちに呪詛を吐く。
「――先生。やはり壊(ころ)しましょう。奴らに、知らしめねば。先生を裏切るということが、どういうことなのかを。帰還者を絶って、以て教えましょう」
兄に明確な殺意を向けられても、弟たちは何も言わない。
言えないのかも知れなかった。
「……青き星よ。それは、そなたの願いか?望みか?」
だが、彼の言葉に恐怖した。
彼は他者の願いを叶える。望みを叶える。
「待っ――、先生、お待ちください。先生、俺たちはまだ死にたくない。先生だって、俺たちにこんなかたちでは終わって欲しくないですよね、」
ギルオスが咄嗟に乞う。
「そうです先生。我々は、こんなところでは死にたくない。最期を迎えるなら、貴方の手で終わらせてほしい。貴方がその役目を全うする時に」
エンプレスもギルオスの言葉に頷いた。
エンプレスたちとて、自分たちにも終わりがあることを知っている。永劫に近い時を過ごせど、それは永遠ではない。
だから彼に訴える。
終わりは受け入れる。だが、今はそのときではない、と。
つまるところ、平行線なのだ。
殺してしまいたい星と、殺されたくないその弟たち。
願いと望みがぶつかり合い、彼は、その狭間に――。
「――……心得た」
彼が決断を下す。兄も弟も、その場にいるすべてが口を噤んだ。
“彼”はいつだって“先達”だった。
「ならばそなたたち。今しばし眠るが良し」
「落ち着くまで、眠るのだ。地が廻り、空が散り、風が沈み、星が崩れるまで」
「そうして、そのしばらくの後、某はそなたたちを起こそう。その時にまた、話を聞かせてくれ」
言うが早いか、とろりとした眠気が訪れる。
目を擦ろうとしたギルオスが膝をつく。
ウルムメアを背負っていたテンタクルは既にその場に頽れていた。
エンプレスのからだが傾き、壁にもたれかかる。
「ああそうだ。そなたたちは――」
片手で青い星の両目を覆った彼が、エスカドラへ手を伸ばす。
「直しておいてやろうな」
「――せんせ、」
するり、と伸ばされた彼の手が、頬を撫でる動きをした。
それだけで、最後まで睡魔に抗っておうとしていたエスカドラは地面に伏した。もう随分と感じていなかった、温もりと親しみと、安堵を感じた。感じてしまった。
「そら、青き星。狩りびとよ。そなたも眠れ。大丈夫だ。某は此処に居る」
最後まで獣のように唸っていた青い星へ、彼は囁く。やわらかな声音。宥め、落ち着かせるものだ。
やがてその場に静寂が戻る。夜の帳が下りた。
後、その地がかたちを変えてからも、しばらくは夜が明けることはなかった。