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 金属に浮かび上がった錆のような――けれど、滑らかな艶を持つ肢体の龍が飛び去り、ザァザァと降り注いでいた雨が止む。龍が消えていった空を見上げていた男は、ぬかるんだ地面を踏む足音に振り返る。

「エリア移動したようだな……あと壊せる場所がどこか、把握しているか?」

白い刀身と藍色の刃を持つ操虫棍を背負った青年が頭部の装備を小脇に抱えて訊いてきた。

「あぁ……尾は落とせたからな。翼も……あとは角だけだったはずだ」

「そうか。ならばカタはすぐにつくな」

弾を装填し、肩にかけながら答えた男の言葉を聞き、青年は無表情にも近い顔で頷く。湖に近い場所のせいか、平時から浅く水の張った溝が走っている足場は、先程まで鋼龍が降らせていた雨のおかげで何時にも増して水っぽくなっていた。少し足を動かすだけでもグジュリという濡れた音が、防具の擦れ合う音に紛れずに聞こえる。

「そう急がなくとも逃げはしない。武器の切れ味は大丈夫か?」

腰に提げたポーチから回復薬を取り出して傾ける。体力が六割残っていても、相手が相手なだけに、回復出来る時に回復しておきたいと思ったのだ。青年の方も、改めて背負っていた武器を翳して、刃の様子を見ている。陽に照らしたり、或いは傾けて影を作ってみたりして、そして青年は男に抱えていた頭部の装備を投げて寄越した。ポーチから砥石をひとつ取り出して、刃に当てる。ひとよりも頭一つ分程抜けた戦闘センスを持つ、この若い狩人が自分の得物を大切に扱っていることを男は知っていた。何の合図も無くポイと投げられた青年の装備を片手で受け取った男は、青年に気付かれない程度の、微笑を浮かべた。神経質にすら見えてしまう横顔を眺めながら、男もまた減った分の弾を調合して次の戦闘に備える。

 その日、彼らが鋼龍のクエストに赴いたのは、まったくの偶然だった。作りたい武器も防具もこれといって無く、素材を集めたいというわけでもない。ただ持て余した暇を、命の遣り取りをしたいという欲求を抱えていた時に眼に留まったのが、鋼龍の――いわゆる、ギルドクエストだった。生憎とギルドクエストにはあまり手を出していなかった彼らは、しかし誘われるように手を伸ばした。単純な言葉で片付けてしまうのならば単なる気紛れだった。

 青年が再び藍色の刃を陽に翳す。うむ、と小さく声が漏らされた。ヒュ、と美しい曲線を描く藍の刃が空を切り裂く。何度か、その音を聴いて刃の切れ味を確かめるように、手に馴染む武器のかたちを確かめるように、青年は得物を躍らせる。

「――良さそうか?」

「ああ」

一通り扱って満足したらしい青年に訊く。やはり機微の読み難い、整った顔が振り向いて頷く。素材元の色を濃く残す操虫棍はスルリとその背に納まった。預かっていた装備を、受け取った時にされたように、抛り投げて持ち主へと返す。

「では、行くか」

「言われなくとも」

防具のパーツとパーツを繋いでいる金具、或いは部位それぞれの防具が、動く度に小さな音を立てる。パシャリと足元で水が跳ねた。ぬかるむ土は変わりないが、含む水の量は減っているように思えた。さほど時間は経っていないはずだが――雨が降る前の状態に早くも戻りかけている。自然の力を眺めて、男は青年の後を追う。随分と前に受け取ったクエストであるから、どのような地形が広がっているのか、憶えていない。この先には、どんな風景があるのだろう、と呑気にも考えた。

 尾を切り落とされた龍が、雨の中を歩いている。長くしなやかな首を擡げて、胸を張るような姿勢で、悠々と闊歩する。煙る白露の幕に紛れるその姿を、ふたりは確かに捉える。仮令その眼に捉えずとも、雨の降る気配のなかった場所で雨がこれほど降っていれば、瞬時に理解しただろう。そして、狩人と龍が命の奪い合いを再開するまで、数秒。

降りすぎた雨

 

(殉+仁 散るか咲くかの局面は何時だって昂るものだから寧ろこの雨は丁度良かろうなどと思って)

 集会所の食事処で、彼は人を待っていた。頼んだ料理をつまみながら、酔わないように水の入ったジョッキを呷りながら、今日の狩りを受注しに行った親友――と古馴染み――の帰りを待っていた。

 ガタリと隣から音が聞こえ、ようやっと帰って来たのだろうかと、彼は音のした方へ顔を向ける。

「久しぶり、だな。隣、いいだろう? 受け付けはあの賑わいで――まだあなたの待ち人は帰って来られないだろうし」

けれど、そこに居たのは、待ち人ではなく、男四人の兄弟で仲良く狩人をしているところの、次兄だった。久しぶりに見た顔に彼の目が丸くなる。膝の上によじ登って、胸の前にヒョコリと顔を出したオトモが、久しぶりだニャ、と目を輝かせた。ピクピク耳を動かすオトモの喉元を撫でながら、次兄と言えどまだ若い狩人は、元気そうで何より、なんて言っている。不意打ちにも似た再会に声が詰まっている彼は、とりあえず膝の上のオトモを下ろしながら目を瞬かせる。足元では彼のオトモと青年のオトモがニャアニャア話に早くも花を咲かせている。初めて見るオトモだった。改めて相手の姿を見てみれば――最後に顔を合わせてから時間が経っているのだから当然だろうが――装備も新調されている。

「あれから色々狩りに行って……このオトモもそこで。ふふ、あなたと同じ名前だったから、つい雇ってしまった」

照れ臭そうに後頭部を掻く姿は年相応なのだが、受け流すことが難しいことを言われた気がした。

「え――? すまない。今なんと?」

「え? あなたと同じ名前のオトモを雇っ……あ、紹介した方が早いな。最近育てている回復のオトモだ」

にこやかに宣う青年へ、そうじゃないとツッコミを入れたかった彼は、けれど動く青年の腕に釣られて、結局何も言わず足元へ視線を向けてしまう。自分のオトモと話していたオトモが、主人の意図を察して、ピシッと背筋を伸ばした。大きく真ん丸な獣人の双眸に世界が映る。彼を見詰める大きな目が二回ほど瞬きをして、防具に包まれた頭部がペコリと下げられた。よろしくお願いしますニャ、と緊張の窺える挨拶に、思わず口元が綻んだ。こちらこそ、と返して、防具の上から頭を撫でてやると、それでも気持ち良さげに、綺麗な両目が細められた。

 旦那さんズルいニャ、ボクも撫でるニャ、と強請る自分のオトモも撫でてやってから彼は青年に向き直る。装備からして――大老殿へは出入りしているようだった。ならば何故、と思ったところで、賑わう受付の近くに、古馴染たちの他に見覚えのある顔――四兄弟の長兄の姿が見えた。その傍にはふたりの狩人が見える。ひとりは三男で、もうひとりは噂には聞いていた四男なのだろう。緊張した面持ちでクエストの用紙を持っている。おそらく緊急クエストだろうと彼は目星を付ける。

「千剣山へ行くのか」

鎧玉で強化された防具と龍属性を帯びる鎚を見て彼が言い当てた。長兄の背負う龍属性を帯びる大剣もまた判断材料だった。

「そちらは、極圏へ」

青年もまた彼の装備や、受付の辺りに見える件の古馴染の装備――何より、クエストの用紙を持って目を輝かせている若い親友を見て察したのだろう。彼らの目的地を言い当てて見せる。親友がこのクエストを成功すれば、晴れて大老殿へ共に出入り出来るようになる。自分と古馴染が参加するため、失敗する確率の方が低い、とは思うが。

「にしては、浮かない顔の様だが……何か心配事でも?」

「心配事というか……。いや、これも心配事になるか……崩竜を討伐すれば大老殿へ出入りが出来るようになるだろう?」

「…………今よりも、危険な狩りの場に赴くようになること、か。命に関わる危険が増す、と」

青年が言葉を引き継いだ。汲まれた意思に、解ってはいても溜め息が漏れる。大切な親友である。出来るだけカバーはしたい。だが、圧倒的な力を持つモンスターたちを相手にして、どれだけやれるだろうかというのも本音だった。この兄弟も同じなのだと、困ったように下がる眉尻が語る。共に狩りに出られることを喜ぶべきか危惧するべきか――ふと心が迷うのだ。

 

君の顔を渋くさせる

 

(トキ(→)シュ 若いとか関係なく逝く時は容易く逝ってしまうし突然訪れるその瞬間が怖いのだと)

君の顔を渋くさせる

 ボタリボタリと人間のそれよりも色濃い血を流しながら竜は足を引き摺り歩く。両翼脚と翼は無残に切り裂かれ、頭部に映えた片角も圧し折られていた。尾の先も切り取られ、振るって届く範囲は確実に狭くなっている。背後から追ってくる人間たちの様子を窺うように、時折背後を振り返りながら、竜は彼方へ此方へ彷徨うようにフラフラと歩く。それはまるで、帰る家を失った迷子の姿に見えた。そして、ようやく帰路を思い出したように、竜は洞窟の中へ足を引き摺りながら消えた。

 今までに何度も相対してきた白い龍と黒い竜の双方を思い出す。光すら蝕む闇を纏う黒い竜は、闇すら塗り潰す光を纏う白い龍の幼体である。ならばあの姿は何だ。闇の中にも溶けられず光の下にも出られていない、あの姿は。

 やるせない様子で武器を出したまま立っている青年の背を、親友がポンと叩く。情けない顔をしている自覚はあった。

「――ターゲットは眠ったか」

武器を背負――仕舞――った青年が親友に切り出すよりも早く、蒼火竜の槍を装備した男が親友に訊いた。頭部を覆う装備の代わりに千里眼を発動させるピアスを付けている親友は、青年から視線を逸らす。遠くを見詰めるように、鮮やかな紅色の双眸が何処かを捉える。そして、何かを視たらしい親友が、口を開いた。

「あぁ、そうだな…………動きが……もう少し、か」

「そうか。では歩きながら行くぞ。丁度良かろう。さっさと終わらせる」

槍を研いで切れ味を回復させた男が立ち上がり竜が体を休めている洞窟へ侵入しようと歩き始める。青年の肩に置かれていた手が離れた。砂利を踏む音と、防具の擦れ合う音。桜火竜の盾斧を背負う親友の背を、引き止めたいと思った。

「――っ、なぁ! あいつ、今回のターゲット、捕獲とか、出来ないのか……?」

青年が声を、絞り出すように上げると、案の定ふたつの背中は止まった。チラと横目で青年を見た男は、隠すことなく溜め息を吐く。半歩か一歩程前にいる親友は、困ったような表情を浮かべて振り返った。自分は何か、可笑しなことを言っただろうか。けれど、自分の記憶が正しければ、確かこのクエストは狩猟であり、討伐ではなかったはずだ。サブターゲットは達成しているし――一度戻って、持ち物を改めて来れば、と。そう、考えていた青年に、親友が眉尻を下げたまま答えた。

「私たちが生かしたとして、捕獲して、ギルドに引き渡したとしても……アレは結局、長くは生きられない」

「寧ろ今このクエスト内で殺してやった方がヤツのためだ」

「お前が考えた通り、アレは天廻龍に成りきれなかった黒蝕竜だ。禁足地にも帰れず、その身の中で渦巻く強大な力に喘ぎ、耐え、そして食い潰されていく、哀れな迷い子。家の前まで辿り着けても、その中に入ることは叶わず彷徨い歩く」

不機嫌そうに言葉を挟んできた男を、やはり困ったような表情のまま振り返り、親友は続ける。宥めるような視線に、男は鼻を鳴らして視線を逸らした。このふたりは、どれだけこの迷子を狩ってきたのだろうと、青年は思った。

「天を廻り故郷に帰り着くことが出来るのは一匹だけ。黒に蝕まれ消えるそれ以外の中から、輪から外れる個体もいるのだ」

お前は優しい子だな、と二歩にも満たない距離を引き返して、頭を撫でられる。平生ならば子供扱いしないでくれ、等と声を上げただろうが――その時は、小さな声ですまんと漏らすのが、精一杯だった。

 大きな樽爆弾が眠っている竜の頭部付近に設置される。男が時限式の小さな樽爆弾を置いて、少し離れた場所まで退がる。爆発音。眠っていた竜が飛び起きる。自分の両脇を、親友と男が駆け抜けていく。背に負っていた武器を抜き放って――あぁ、殺すのだ、殺されるのだ、なんて考えが、漠然と浮かんだ。解放された火竜の牙が、紅蓮を散らし異形の竜の体を噛み砕いていく。溢れる生命の証の量に、もう助からないのだと知る。あぁ、と青年は己の武器に手をかける。

 崩れ落ちる瞬間、青年は竜の目を見た。虚ろな筈の眼窩に浮かぶ赤い光を見た。痛みや苦しみはあれど、恨みなど欠片も感じられないそれは、己の運命を受け入れているように思えた。一つの身に純白と紫黒を宿すうつくしい亡骸が、横たわる。

 

横たえた亡骸の額縁

 

(義+仁(+将) 生かすのではなく殺すという選択はそれもまた一つの優しさであるのだけど悲しくて)

横たえた亡骸の額縁

 長兄と三男が、それぞれ単独で狩りに出て行った一方で、四男は次兄と共に狩りに出ることになっていた。なっていた、のだが。いつの間にか、参加者が増えていて四男は首を傾げる。知らない人だ、と胸の内で呟くも、親しげな兄の様子からして信用出来る狩人だと言えるだろう。足りない素材を集めるために参加したのだとか。一番上の兄のように、今日は大剣を背負った兄の後ろで彼らの話に耳を傾けていると、ふと双剣を背負った青年と眼が合った。歳は自分と同じか、少し上に見える。ニヤリと整った顔が歪んで、フラリとごく自然に近寄ってきた。

「な、お前、このクエストのターゲット見たことあるか? ないなら、きっと驚くぜ」

悪戯小僧のような表情と言葉に、そうか、なんて塩のような反応しか返せない。それでも楽しそうに相手はよろしくと手を差し出した。やはり自分のものとさほど大きさの変わらない手を握り返す。年長者ふたりが、若い二人の様子に、微笑ましげな表情を浮かべていることには、どちらも気付いていなかった。そうして、四人は食事を済ませて狩猟の場へ向かう。

 送られたベースキャンプは天空にほど近い山のもので、四男は再度首を傾げた。目的地は、天空山ではなかったはずだ、と。しかしその疑問は、今までのクエストでは閉ざされていたベースキャンプの奥側が、今は開かれていることで氷解する。

「このターゲットに罠は通用しない。必然的に討伐になる。畏怖と敬意を忘れるな。そして、呑まれるな」

支給品を受け取りながら兄が言う。素直に首を縦に振った弟の頭を撫でて、兄弟は残りのふたりと共に禁足地に踏み入った。

 空は黒一色で覆われている。どこかで見たことのある黒だった。地上へ視線を戻せば、眩い白が、悠々と闊歩している。ジャリ、と誰かの足音。それで侵入者に気付いたのだろう、白い龍は身を翻して侵入者たる狩人たちを捉えた。不思議な色味の、山吹色に見える龍の眼に見られ、初めて相対した若い狩人は息を呑む。そして、咆哮。

 同行したふたりの狩人は息の合った立ち回りを見せる。段差から離れた場所で龍が立ち止まっても、すかさず双剣の狩人を、鎚を携えた狩人が打ち上げて乗らせる。短く名を呼ぶだけ、それだけで互いの意図を共有する。ブレスを躱し、突進してくる巨体を躱し、細やかながら手にした剣で斬りつけた。自分で受けたクエストなのだが、と兄を窺うも、見ることもまた重要だと微笑が返される。目の前で何度目かの乗り攻撃が決まる。

 ベギリと龍の角が圧し折られた。右の角が短くなる。そこで、龍の纏う空気が変わった。跳躍するように真っ黒な空へ舞い上がり、咆哮を上げる。ブワリと黒い、鱗粉のようなものが飛ぶ。そこで四男は確信を持つ。ただ挙動が似ているだけの近縁種ではない。あの白い龍は、今まで相対してきた黒い竜の辿り着いた姿だ。闇から光へ、生まれ変わったのだ、と。

 誰かが自分の名を呼んだ。気がした。ハッとして周囲を確認すると、鎚を背負った狩人が走ってきている。そして、己の足元が白く光っていた。本能が危険を訴えるが、それに気付くには遅すぎた。足を動かす前に、身体に衝撃が訪れ――走ってきた狩人にふっ飛ばされて地面を転がる。直後、何とも形容し難い、何かが爆ぜる音。自分が立っていた場所からだった。ゴロゴロ何かが転がる音。その正体は見なくともわかっていた。擦れ合う金属音と共に、纏う傷を増やした狩人が立ち上がろうとしている。派手に転がっていた割に平然としているのは防具のおかげに他ならない。まだ心許無い防具を付けている自分だったら、ああはいかないだろうことは、歴然としていた。

 受けたダメージを感じさせない速さで復帰した狩人は、大丈夫かと、まずは庇った相手の身を案じた。礼の言葉と共に無事を知らせると、そうかそうかと嬉し気に目の前の頭が上下する。そしてその手は背に収められた鎚へ伸びる。

「そうか。それは良かった。それでは――一度、あの白い背に乗ってみると良い」

言うが早いか、身体が宙に舞った。白い龍まではまだ距離がある。眼下には何故か大剣を構えて笑顔の兄。わけがわからないまま落ち――二度目の浮遊感。目の前には白い龍。双剣の狩人は任せたと言わんばかりに龍から距離を取って得物を研いでいる。選択肢はない。眼下の龍に剣を振り下ろして体勢を崩させ、その背に乗る。艶やかな白は、ひんやりと冷たかった。

 

敬礼せよ、さよならが来る。

 

(義+仁+トキ+ケン 天を廻りて戻り来るものは闇から光へ姿を変え人に何を思わせるのか)

敬礼せよ、さよならが来る。

 足を引き摺り寝床へ帰ろうと黒い轟竜が歩く。捕獲することが今回の目的であるため、殺してしまわないよう、様子を窺いながら彼らはその後を追う。殺してはいけない等――面倒だと操虫棍を携えた男は思う。殺さない程度に体力を削っている弓――の親友がまだ受けていないクエストを埋めること――に付き合って来てしまったからには、完遂するしかないが。自身を強化するついでに轟竜の爪を虫に壊させながらそんなことを考える。

 そして彼らは忘れていた。狩猟環境が不安定な場において、乱入してくるものが、生易しいものばかりではないことを。

 地面が隆起する。土埃を上げ、地中から漆黒の皮を持つ禍々しい姿の竜が、もう一匹、現れる。留まるところを知らぬ餓えに爛々と目を光らせ、満たされぬことを知らぬ口元から強酸性の唾液を滴らせ、恐暴竜が、現れた。

 響く轟音に誰もが振り返る。疲弊した黒轟竜はズルズルねぐらへ消えていく。ターゲットの達成は間近である。が、そんなことよりも――運悪く背後に恐暴竜が生えて来てしまった弓を、まずはなんとかせねば、と。ターゲットと適切な距離を取って最大のダメージを与える武器種であるのに、当のターゲットとあれほど近ければその威力は満足に発揮されない。グバリと恐暴竜が口を開く。所狭しと顎にまで突き出た牙と、その奥に広がる禍々しい赤。

 乱入してきたモンスターを振り返り、最初に行動を起こしたのは操虫棍を持った狩人だった。

「――シュウ!」

窮地に立った古馴染の名を呼び、あろうことか、手にしていた得物を恐暴竜に向かって投擲する。その身の内に凶暴な灼熱を秘める爆砕の黒曜杵は真っ直ぐに飛び、餓えた獣の顔面に突き刺さった。

「小僧!」

「言われなくとも!」

恐暴竜が仰け反り痛みに悲鳴のような鳴き声を上げる。短時間だが、作られた時間を、それなりに長く狩りをしてきた狩人がみすみす逃すはずもなく、弓を手にしたまま恐暴竜から距離を取る。その姿を確認した男は青年――これが件の古馴染の親友である――へ声を飛ばした。まだ若い狩人は、自分のオトモに声をかける。主人の意図を理解した小さな獣人はテッテッと駆け出し未だ痛みに呻いている恐暴竜の前に陣取った。そして、走ってきた青年は、ネコ踏み台で高々と跳躍する。普通なら滞空、落下と共に武器を抜き、モンスターへ攻撃してその体勢を崩し、乗り攻撃へと移る。だが今回セオリー通りにことが流れることはなかった。青年は背の双剣を抜かず、漆黒の皮に突き立った操虫棍へ手を伸ばす。ズボリと、あまり聞きたくない音を立てて、赤黒く染まった棍が引き抜かれた。

 軽やかな着地を決めた青年がふたりと合流する。取り戻してきた操虫棍は早々に持ち主の手に返され、空を裂きながら付着した恐暴竜の血を飛ばされていた。例の乱入者は、狩人たちの行動に、流石に驚いてエリア移動したらしく姿は見えない。

 互いの無事を確認し合うが――敵を狩り、自分の身を守るための武器を他者のために投げつけるという行動を起こした男に、その古馴染は呆れた表情を浮かべる。昔から予測できないことをしでかすが、こんなことまでしてしまうとは。それを伝えれば、助かったのだから何の問題もないだろう、と返され、妙に返答に困った。

「で、どうする? ついでに狩るか?」

そんなふたりの間の空気を察してか否か、その場で最も若い狩人が声を上げる。

「いや――今回の目的はメインターゲットの捕獲だからな……乱入してきた方に構わずともいいだろう」

「そうだな。もう仕上げるだけの段階になっているし、な。多くない機会を逃すのは賢明ではない」

「りょーかい。ならサクッと終わらせて帰るか」

話はさして時間をかけずに纏まった。思わぬ事態に出くわしたが、引き受けた依頼は完遂できそうだと、笑みを浮かべる。

 

追いつけなかった終焉

 

(将仁+義 想っているから悪魔に出くわした時や何やの時に咄嗟に色々と出てしまう)

追いつけなかった終焉

 尻尾を切り落とし、角を圧し折り、爪を砕いて背を壊す。ねぐらへ戻る前に最後の一撃を浴びせたり――時には足を引き摺らせる前に決着をつける。久しぶりに選び、担いできた操虫棍は相も変わらず手に馴染む。透き通った氷色の刃に曇りは無く、確実に獲物を切り裂いた。無双の狩人という異名を持つ雷狼竜を今回だけで既に四頭を屠った。一頭屠って定められた最低限の剥ぎ取りを済ませ、次を待つ。険しい山を飛ぶように降りてくる青を、刃を研いだり鉱石を採ったりして待つ。師の背中を追って、狩りを始めた頃からは考えられないほど、遠いところまで来たように思う。蔦の這う、前文明の名残を思わせる壁と段差の前に五頭目の雷狼竜が降り立った。攻撃力と機動力の強化作用は未だ続いている。先手を取るは基本とばかりに、氷の操虫棍を抜き放った狩人は、軽やかな足取りで獲物に向かって駆けて行く。

 結局計七頭の雷狼竜を狩った。ポーチの中を雷狼竜の堅殻などで一杯にして、それからクエストを達成した報酬を受け取る。碧く美しい宝玉は、それを生成する竜が纏う蒼光と、古馴染の青い目を思い起こさせた。一度のクエストで複数手にできたことは嬉しい誤算である。今すぐに必要と言うわけではないが――あるに越したことはない。

 彼が生活をしている家は、生家ではなく、他人と共に生活する、大きな建物である。身寄りのない子供や狩人修行のために門を叩いた若者たちを中心に共同生活を送っている。数は多くないが、年の離れた親友や同世代から頭一つ抜けた技量を持つ青年なんかも、同じような場所で暮らしている。だが――物心ついた時から親交のある古馴染のところは、師とふたり暮らしだと言っていたか。自分の所の師は未だ健在でピンピンしているが、彼方はどうだろう、今度久しぶりに挨拶へ伺ってみるか、なんてことを取り留めも無く考えながら、家の門を押し開き帰宅を遂げる。建物の随所にあしらわれている、首と脚の長い優美な鳥の名前を、彼は知らない。原生林に似た鳥が居るのを見たことはある。

 キャッキャと可愛らしく纏わりついてくる年少者をあしらい、労いの言葉を掛けてくれる年長者たちを掻き分けて、師の元へ報告に向かう。報告は自室へ戻ってからでもいいのだが、彼は昔から、狩りから戻ったらまずは報告するようにしていた。駆け出しの頃から変わらない習慣に従い、彼は師の部屋へと歩いていた。

「……お。そっちも帰って来てたか」

その道中で、旧知の間柄になる狩人と出会った。どうやら相手の方も狩り――というよりも採取クエスト――から帰った報告に行く途中らしい。大方年少者や駆け出したちの引率だろう。他所の狩人たちと狩りに出る自分と違い、自分の所の者を指導している姿には感心するばかりである。偶には一緒に狩りに出てみたいものだと思う。

「今回は珍しく一人で行ったんだろう? どうだった?」

「どうもしない。しばらく触っていなかった操虫棍の練習に行ったようなものだからな。お前の方は? どうだったんだ?」

「あー、まぁ、そうだな。こっちも特に変わったことはなかったな。乱入されることも、なかったし」

話し相手の隣というのは、いつも傍に居る狩人たちとは、また違った方向で呼吸のしやすい場所だった。連れて行った三人全員がキラキラ目を輝かせて素材を集めていた、なんて話を聞いて相槌を打っていると目の前に熟れた果実を差し出される。

「ポーチに余裕があったから、土産。傷まないうちに食ってくれると嬉しい。いわゆる、産地直送ってやつだな」

随分と落ち着いた顔で笑うようになったなと考えながら、礼を言って受け取る。手のひらにすっぽり収まってしまう大きさのそれに、行儀悪くもその場で齧りついた。硬い人間の歯に崩された軟らかな果肉から果汁が溢れ、指や顎を伝って滴り落ちる。市場のものより小振りながら、それよりも甘みを持っているのは、流石産地直送というべきだろうか。もぐもぐ果実を咀嚼しながら、彼は少しだけ昔を懐かしむように言葉を紡ぐ。

「――また、お前と狩りに出たいな。今度一緒にどうだ? 久しぶりに、お前の狩り姿が見たい」

「そうだな……偶には良いかもしれないな…………俺も久しぶりにお前が狩りをしてるところを見たいからな」

 

歯の髄までしみ込んで

 

(布+仁 方向は違えど共に規範となる立派な狩人に育っても昔を懐かしまないことはないわけで)

歯の髄までしみ込んで
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