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飯テロリストになりたかったんだ……( ˘ω˘ )

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 硝子のはめられた引き戸に手をかけながら暖簾をくぐる。流行りの、小洒落た店にはない喧騒が客を迎える。けして不快ではない、賑やかな活気。台拭き片手に対応しに来た給仕へ――まだ青年と言っても差し支えない――若い男が二人だと指を立てた。

 昼休みの時間は長くない。労働時間を鑑みると、今の倍の時間があってもバチは当たらないだろう。

 テーブルの壁側に立てられていたメニューをとって開く。ページを捲りながら、青年は午前の仕事の愚痴をこぼす。対面の席に腰を下ろしている男は、そうかそうかと適当な相槌を打っていた。

「今日も遅くなりそうだから、ガッツリ食っておきたいよなぁ」

「そうだな……あとは、終わる時間にもよるが――折角の週末だから一杯やって帰りたい」

「あ、いいなそれ。おれも行きたい。ついてってもいい?」

「もちろん。他にも声をかけてみるか。人数は多い方が楽しいだろう?」

「えっ――あ、うん。そうだな。飲みに行くなら、ひと多い方が楽しいよな、うん」

青年の眉と肩がわずかに下がった。けれど男の方はそれに気付くことなく、給仕のひとりをつかまえて注文をする。お前は、と訊かれた青年は、内心ホロリと涙を流しながら本日の昼食を頼んだ。

 ふたりの昼食が運ばれてくるまでにあまり時間はかからなかった。カタン、コトン、と黒い盆の上に乗せられた定食ふたつがそれぞれの前に出される。温かそうな湯気を薄く立ち昇らせている。漂うにおいも、盛大に食欲をそそる。

 おしぼりで拭いた手を合わせて、食前のあいさつ。

 箸を構えて、椀を持ち上げる。火傷をしないように、口につけた椀をゆっくり傾ける。ズ、と小さな音を立てて、あっさりとした汁物を口に含む。ころころ浮かんでいる豆腐も中まで熱い。喉から腹まで、通ったところを温める。

 白米を一口食べて、青年はメインの皿へ箸を伸ばした。照明を照り返して輝くソースは艶やかだ。このソース単体を、白米にかけて食べてもいいだろう。だが、やはり――。子供のような表情を浮かべながら、青年はソースに覆われた今日のメインへ、箸を刺し入れて倒す。とろみのあるソースがくぷりと小さく鳴いた。箸の狭い面積にかかる圧力で、ソースに覆われていた挽き肉の塊――ハンバーグがふたつに分けられる。ほこりと白い湯気を吐き出して、仄かに赤い断面が現れる。そこから流れ出た透明な肉汁が皿の上に広がっていく。これは美味いやつだ、と腹の虫が言う。ふたつに分けたやつを更にふたつに。これくらいなら――いや、出来立ては熱いから、もう一度切っておこう。そうしてコロリとした一口サイズになったハンバーグに肉汁が混ざったソースを纏わせる。甘酸っぱさの見え隠れする、香ばしいソース。美味くないわけがない。

 ソースが垂れ落ちてしまいそうなハンバーグを、白米の上に一度乗せて、口へ運ぶ。はふ、と間の抜けた音。

「はふ――うん、ふまい」

労働でひび割れた心に輝くソースが沁みていく。荒んだ心が温かく柔らかい肉に包まれる。じゅわ、と広がる、味。

「そうか。美味いか。よかったな」

白米をもりもりかき込む青年の食べっぷりに男が笑う。ハンバーグ定食を食べる青年の、表情や反応や雰囲気を、どれも微笑ましく思っているようだ。皮まで美味しい、鯖の味噌煮定食をつつきながら男が小さく肩を揺らす。しっとりまとまった鯖の身を味噌に浸けて口へ運ぶ。もちろん白米も、忘れない。

「値段の割に、美味い。量もそこそこあるし……思わぬ収穫だ。入ってみて良かったな」

「しばらくは世話になるかもな……午後もキリキリ働くんだぞ?」

「わーッ!容赦ねぇこと言う! もう絶対今日飲みに行く!どんだけ遅くなっても飲みに行くからな!一緒に!」

 

ハンバーグ定食

 

(義(→)仁 僅かな時間を見つけて→一緒に居られるなら→二十四時間頑張れまs)

 声をかけると言っても、顔ぶれはいつもと変わらないだろうと思っていたが――案の定だった。青年の同僚と、後輩。二人に加えて、もう一人。予想できていたことだが、それでも青年は顔をひきつらせる。

「あー……すまん。つかまった」

「俺を差し置いて飲みに行くなぞ片腹痛いぞ!」

何が楽しいのか――仕事終わりにも関わらずフハハと高笑いする上司が、眉尻を下げた男の隣に立っていた。

 まずは会社から近いところにある店に入る。彼らが、個人的にも訪れる、いわゆる馴染みの店だった。

「とりあえず生でいいだろ?」

「空きっ腹にアルコールを入れるな愚か者! まずはサラダだ!」

「はー?! サラダとか、OLみたいなこと言うなよ!」

メニューを開かずに最初の注文を入れようとする青年を、その同僚が止める。出鼻をくじかれた青年は、頼れる先輩であり親友である、男の方を見た。長い付き合いだと言う上司と何やら話していた男だったが、青年の視線に気付いたらしい。ペシリとひとつ上司の手の甲を叩いて向き直ってくれた。仲睦まじい様子に若干の不満を覚えるが――彼の援護射撃ならこの同僚も折れてくれるかもしれない。知らず、表情が明るくなる。

「うむ……やはり、まずは何か軽く腹に入れた方がいいな」

思わず、え、と声が出た。彼の方を凝視する。同僚は、一瞬キョトンとしたが、すぐにどこか勝ち誇ったような顔になる。後輩はお通しを我関せずとつついているし――上司に眼を遣れば、にやにや笑っている顔が見えた。見ない方が良かった。

「空きっ腹で飲んでへべれけに酔った奴らの世話を、誰がすると思っているんだ」

身に覚えのある奴らがフッと視線を明後日の方向へ向ける。

 結局二皿のサラダが運ばれてきた。酒を飲むなら、まずはこれを腹に入れろということらしい。ここまで来て異論を吐く者はおらず、お冷で喉を潤し、大人しく箸を持つ。

 瑞々しいレタスや、薄くスライスされた玉ねぎ。食感をに変化をくわえるクルトン。鮮やかなトレビスは多くの緑に彩りを添える。シーザーサラダの上には、とろりと白い、半熟たまご。ドレッシングを回しかけても、あっさりとその白くてふるふるした楕円を割り開くのは――注文した同僚でも躊躇われるようである。様子を窺うようにレタスや玉ねぎを口に運んでいる。シャクシャク、シャクリ。時々、カリッと。酸味のあるドレッシングだけでも、十分美味しいが。

 もう一皿には、ドーム状に盛り付けられたポテトサラダ。スーパーや食堂のものより、粘り気が強い気がする。むちょ、と一口分をすくい上げて口へ。シャリシャリと爽やかな玉ねぎ。胡椒がピリリと舌の上で爆ぜ、軽く火を通され芳ばしいベーコンが塩気で喉に潤いを求める。あぁ――飲みたい。

 皿の中身はどちらも半分ほどまで減っている。チラチラと青年が彼の様子を窺う。机の下でソッと服の裾を引っ張れば、さすが親友と言うべきか、良い笑顔が向けられた。よくがんばりました、なんて小学校以来の褒め言葉が聞こえた気がする。そこで、タイミングよく一人の店員が彼らのテーブルに注文を受けに来た。青年は小首を傾げ――。

「生5つ」

ごく自然にオーダーを入れた声に固まった。シレっと上司が注文していた。考えてみれば、店員も上司が手振りや目線で呼んでいたのかもしれない。しかし親友の様子を窺っている様子など微塵も無かった。付き合いの長さの賜物とでもいうのか。ぐぬぬ、と青年は上司を睨めつける。それに気付いた上司も上司で、真正面から受け止め、鼻で笑って一蹴する。

 その時、だいたい同じタイミングで、同僚がようやくシーザーサラダの半熟たまごを割っていた。

 

シーザーサラダとポテトサラダ

 

(義(→)仁(たぶん将仁) さっさと酔ってふたりで帰ろうなんて思ってないですし)

サラダ

 よく煮込まれた大根は軟らかい。大根とツナのサラダを食べた時の、シャキシャキとした食感とは正反対と言っても良い。箸だけで切ることのできる大きな大根に、スッと箸を入れて切り分ける。小さくなった大根に黄色が鮮やかな芥子を少し乗せる。二回ほど息を吹きかけて熱を飛ばすも、ほかほかとした湯気は消えない。構わない。熱い食べ物に対する反射のようなものだ。唇に、熱さの引き切らない大根を触れさせないよう、開いた口内へ放り込む。

 はふ。はふはふ、と舌の上で小さなかたまりが躍る。芥子が舌に触れて、ツンと心地良い痛みを脳に伝える。ほろりととろけて、じわりと溶けだす。染みていた出汁が、口の中で広がっていく。仄かに甘い。

「うん――おいしい、」

喉が上下して、嚥下される。細まった双眸が湛える光には温もりが満ちていた。

 更に鎮座している魚の、大きな頭に箸の先を向ける。誰かが、え、と小さな声を漏らしたのが聞こえた。

 まずは皮を剥く。茹でられ水分を吸い、やわらかくなった魚の皮は剥がしやすい。額の辺りを剥いで、下の肉を確認する。骨ばかりではないのだ。露出した、白い頭肉に箸を入れ、ズルリと動かすと、スルリと抜け落ちる。ふるんとやわい肉が揺れた。誰かの息を呑む音が聞こえたが、気にしない。空になった口の中に運ぶ。ふわりと繊維がほどけるように、味の染みた魚の肉はほどけていく。

 誰も手をつけていなかった魚の頭を、平然と――しかも実に美味そうに――味わっていく姿に、思わず声がかけられる。

「おい……お前……?」

「なんだ? あぁ、目はお前にやろうか?」

出汁を滴らせながら魚の眼球を箸でくり抜いている光景は軽くホラーである。透き通ったやわらかそうな目玉は、あまり口に入れたくはない見た目だと思った。思わず、いや、と身体を引いてしまう青年の同僚だった。

「というか、それ、食べれるのか……?」

「食べられないものを店が出すか」

「それもそうか……なぁ、じゃあおれにくれよ!」

上司が飴色の大根をつつきながら言う。青年が興味津々と言うように名乗りを上げた。彼の方も、そうかそうかと頷きながら青年の小皿に目玉を乗せる。明らかに酔っている様子だが、周囲も同じような状態なので誰もその姿に疑問符を浮かべない。淡い色の出汁に濡れ光った煮魚のめだまが、青年を見上げていた。ごく、と喉が、鳴る。

 つまみ上げると、案外しっかりとしている。ぷるぷるとして見えたのだが――薄い軟骨のようなものがあった。食めば想像の通り、ちゅるりとやわらかい。

「丸ごと食べられるぞ。水晶体は……まぁ、無理にとは言わないが」

見た目の割にイケるじゃないかと思っていたところに、彼の声。図ったようなタイミングで、何か硬いものが、歯に当たった。上下の歯で挟んで押してみても、緩くかたちを変えはすれど、砕けたり潰れたりする様子はない。これが水晶体だろう。他の部分は、すでに腹の中に収まっている。無理に、ということは飲み込めないこともないのだろうが――初めて魚のめだまを食べた青年は自分の小皿の上に白く濁った半透明な球体を吐き出した。横から、美味いだろう、とどこか得意げな声。

「ん……あぁ、そうだな。美味かった」

「焼き魚でも美味いぞ」

透明な、おそらく日本酒が注がれた、小振りなコップを片手にへらりと笑う。青年の反応に気を良くしたらしい彼は、残っている魚の頭を解体しにかかる。横から上司が箸を伸ばすが、あえなくペシリと叩き落される。青年のためのようだった。

 

ぶり大根

 

(義(→)仁(たぶん将仁) 少しでも自分を思ってくれたならいいと叩き落とされた手を見て思った)

ぶり大根

 涼しい夜風が頬を掠めていく。火照った身体に心地良い。青年は同僚とあーでもないこーでもないと言い合いをしている。どうせ下らないことだろう。上司と、先輩にあたる男は、付き合いが長いからだろうか、職場以上に気兼ねないやりとりをしている。といっても、明らかに上司が先輩に絡んでいて、それを素っ気なくいなしている状況だが。肩や腰に回る手を叩いたり抓ったりして掃う。何が悲しくて酔っ払いの乳繰り合う様を視界に入れねばならんのかと――自分も酔っていることを棚に上げて――後輩は思った。仕事終わりに店を渡り歩き始めて何軒目か、覚えている者は既にいなかった。

 店の中は同じような酔った社会人でごった返している。運良く奥の角に置かれたテーブルに就けた一行は例の如く酒と食べ物を注文した。注文からさして時間を置かず、食器は運ばれてくる。

「きッさま――! 勝手におれのからあげにレモンをかけるな!」

「どれがお前のだよ! おれは自分で食う予定のにかけたんだよ!」

「黙れ!それはおれが目を付けていたのだ!」

どれも同じだろうと後輩は思った。適当に、皿の端に転がっていたからあげを摘まみ上げて口へ放り込む。さくりと軽快な口当たり。サックサックと衣が砕けて、包まれていた鶏肉が現れる。じわりと溢れる肉汁まで熱い。

「……おい、貴様さっきからパセリばかりこちらに寄せてないか」

「なんのことだ? 仮に私がパセリをお前の方へ寄せていたとして、何か問題があるか?好きだろう?パセリ」

「好きだと言った覚えはないんだが? というか特別好きでもないが?」

「そうかそうか。まぁ細かいことは気にするな。ほら、付け合わせのキャベツをくれてやろう」

言うが早いかキャベツの千切りが一か所に集められていく。その手早さは見事である。酔っているとは思えない。我関せずという風に、一歩引いたところから冷静に周囲を見る後輩だった。見ている分には面白いが絡まれたくはないというのが素直な感想である。酒の席でなくてもそう思っているのは――別の話。

 きつね色にカラリと揚がった衣の中にはつやりと輝く薄肌色の鶏肉。添えられた黄色い果実を絞るか否かはお好みで。

 ふとテーブルの上に頼んだ覚えのない品が並んでいることに気付いた。それはころころとしていて、小さな、からあげに見える。ツイと箸の先を伸ばして摘まめば、やはりそのからあげは小さかった。

「おー? おぉ、遠慮しなくていいぞ?」

同僚と話していた青年が後輩を見て言った。頼んだのは青年らしい。平生よりも赤くなった顔に笑みを浮かべている。

「遠慮など、していない」

からあげを咀嚼しようとして、歯に感じた硬さにおやと目が丸くなった。上司がなんだかんだと食べ進めている、キャベツが一か所に寄せられた皿に乗っている大きなからあげと、中身が違う。コリ、と硬い。鶏肉ではなくて、その、肉がついている骨と骨の間にある、軟らかい骨。

「おいしい……」

思わずそう零していた。食感が変わり、大きさも小さいので食べやすい。特定の人物の前以外では、あまり変化の見られない表情を、珍しく綻ばせて箸を進める後輩を見て、青年がもっと食えとテキトーなことを言う。言われたからではないが、後輩の箸は先程よりも進んでいる。コリコリとした食感が楽しい。時折、鶏肉の端が残っていたり衣だけの部分があったりしてなかなか飽きさせない。青年と後輩が、ほぼふたりで軟骨のからあげを片付けていく。モッシャモッシャとレタスを食む同僚の目は座っていた。話し相手を失って暇をしているようにも見える。その隣に、冷えたグラスが置かれた。水だ、と同僚はそれを手に取り、傾けて――そして予期せぬアルコールに盛大にむせた。グラスを差し出した彼の肩が震えていた。

からあげ

 

(若者組(たぶん将仁) 素朴な素材を生かしまして後からちょいと足すものは個々人のお好みで)

からあげ
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