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 見慣れた後ろ姿を、そういえば朝から見ていないな、と青年は親友を探している。思い当たる場所や人物の元へ赴くも、悉くハズレて首を捻るしかない。また、あの鳳凰に付き合わされているのかとも思ったが、そこにもやはり姿は見えず、何処へ行ったのかと。北斗の兄弟――特に、次兄と四男――の協力も得て、青年は親友の捜索を続けていた。

 人気の無い方向から自分を天才だと称える声が聞こえてきた。あまり良い思い出のない声に、青年は半目になる。あぁけれど――一応親友の姿を見ていないか、訊くだけ訊こうと足を向ける。

「あー。なぁ、ちょっと聞きたいことがあるんだが……っ?!」

期待などは勿論せず、手早く訊いて手早く退散しようという考えで声の主に歩み寄った青年は、その人物が抱き上げているものを目にして固まった。声をかけたことで不満気な表情を浮かべて相手が振り返る。相手が振り返ったことで、その腕に収まっているものの姿がよく見えるように、なる。青年の両目が、丸くなったのは、当然のことだっただろう。

 ふわふわした白練色の髪。額から頬にかけて走る大きな三対の傷。日に焼けた健康的な肌色。それらは間違いなく親友の身体的特徴で――けれど、親友は自分よりも年上だったはず。確かにいつの頃からか身長は逆転して、自分の方が高くなっていたが、それでも、これほど小さかったことなどない。しかし、目の前の人物に抱えられた、幼い子供は、親友とあまりに似すぎていた。試しに親友の名前を呼ぶと、首がコクンと縦に揺れた。気配もまた、慣れ親しんだ親友のものと相違なく。異常過ぎる現実にガツンと頭部を殴られたような感覚。何とか踏ん張った青年は、何故か達成感に満ちた顔をしている――たぶん、おそらく、間違いなく――親友をこんな姿にした犯人の顔面を右ストレートで殴り飛ばした。

 困ったことに記憶がない。北斗にも南斗にも手の負えない人材に成長した気のする自称天才を殴った後、文字通り小さくなってしまった親友を抱えて、青年はとりあえず北斗兄弟の元へ戻ることにした。その道中で話をしていてわかったのだ。自分のことは辛うじて憶えている。だが、周囲のことは皆無と言っていいほど大部分を憶えていない。そして縮む前と違い、見えていないことには不慣れらしく、対象をペタペタと触って形や感触を確認している。そのおかげで失明した直後と同程度か、それ以上の触れ合いが出来たのは僥倖だった――というのは青年だけの秘密である。

 次兄と四男の元へ戻ると、まずは四男の小さな同行者ふたりに頓狂な声を上げられた。当然の反応だと思った。腕の中の親友を目にした兄弟もまた少なからずの動揺を顔に滲ませた。渦中の子供が、長い徒歩移動と会話で疲れ、眠っていてくれて良かったと青年は思った。簡素な寝床に寝かせ、聡い子供たちに親友を任せて兄弟の元へ戻る。

 未だ僅かに動揺の跡が見えるふたりに、自分が知っていること――と言ってもそう多くはない――を話す。

「――そうか。そうか、つまりすべてアレのせいだと」

話したら、兄弟の纏う威圧感が、一気に増した。普段人当たりの好い、物腰のやわらかい次兄の笑顔が、般若の面に見える。四男なんかは何も言わずにバキバキ指を鳴らしている。青年はこころの中で手を合わせた。そして、今頃になって、いつ元に戻るのか、或いはどうしたら元に戻るのかを、聞き出しておけば良かったと思う。また後日、仕方ないので会いに行こうと心に決める青年であった。

 大の男三人が揃いも揃って非常事態に頭を抱えていると、別室から子供たちの楽しげな声が聞こえてきた。眠っていた親友が目を覚ましたらしい。どんな様子かと覗いてみれば、順応早く和気藹々と戯れている。小さくなった親友の手を取って、自らの頬に当てたり髪を弄らせたりして笑い合っていた。記憶のない当人からすれば、歳の近い良い友人という感覚なのだろう。見ていてとても微笑ましい。が、それと同時に親友と自分の間に、少しだけ距離が出来てしまったようで、寂しさを感じる。それは一緒に部屋を覗いているふたりも同じようで――次兄に至っては穏やかな微笑を浮かべつつ、静かに涙を流していた。四男の口から、あの頃の姿に戻れたら、などと聞こえたのは、きっと気のせいだろう。

 

予期しなかったハプニング

 

(義仁(←)トキ+ケン 息子や妹なんかが加わって賑やかになるまであとどのくらい)

「誰」

それは衛星が極星を砕いた瞬間だった。

 平生ならば、声を耳にする前に、気配や足音で人物を特定して振り返る。目が見えずとも、不自由はしていない姿が当たり前だった。当たり前になっていた。それが小さくなったと聞いて、暇潰しを兼ねて冷やかしに行ってやろうと思った嘗ての暴君は、あっさりと撃沈された。悪意のない、子供の、お前は誰だ、という問いかけに沈められたのである。

「解せぬ……何故だ…………どうしてこうなった……」

らしくもなく、情けなく手で顔を覆っている男に、彼が身長と同時に記憶も失っていることを、誰も伝えていなかったようだった。指一本触れることなく――おそらく最も厄介な――相手の撃退に成功したことに、当の本人は気付いていない。

「まぁ別にお前一人だけが忘れられてるワケじゃないんだぞ……?」

「貴様らが忘れられているのはわかる。だが俺は……っ! 俺が忘れられるなど……! ありえん!!」

「なんでお前そんなに自分に対する評価高いんだ?」

親友に倣って極星を――自分の場合は伝承した拳でもって物理的に――砕いてやろうかと思った青年だった。イラッとした。

 その瞬間、間違いなく時は止まっていた。その場にいた誰もがピシリと固まり、一切の動きを停めていた。それは間違いない。時を止めたのが小さくなった彼ならば、時を再び動かしたのも、また彼だった。対立し、命を奪い合った相手に、誰、と問うた彼は次に、初めまして、と自己紹介を始めたのだった。長年積み上げてきたものがすべて無に返された瞬間だった。部屋の扉を盛大に開け放ったそのままの姿で石化した男の姿に、ある者は噴き出し、ある者は憐憫の視線を贈り、ある者は――視線を逸らし、見なかったことにした。

「……なんだ? どうかしたのか……?」

「え? あぁ、いえ。何も。なんでもありませんよ。気にしないでください」

突然の沈黙に首を傾げた彼にいち早く対応したのは実の息子だった。さすがと言うべきか、固まった男を、石像を押して動かす要領で部屋の外に押し出し、パタンと扉を閉めて清々しい笑顔で言い放ったのだ。

 なんだかんだと大勢が集まり、知り合いが一通り彼と顔を合わせた。人間が縮むという非現実にその誰もが少なからず驚きを見せた。だが、記憶がないというオマケに狼狽えた者は少なかった。寧ろコレは好都合とばかりに親交を深め始めた。先程まで青年とその腐れ縁が彼を着せ替え人形にするな黙れと仲良く煩かった。我関せずを貫くかと思われた四男の恋敵も、意外なことに自作の――かわいらしい動物の――人形をそっと手渡していた。

「これは……リス? あなたはとても器用なのだな……!」

「犬だ。柴犬という種類の、犬だ」

手で触れて形を確かめる彼には若干伝わらなかったらしい。リベンジしようと密かに胸の前で拳を作った。

 部屋の外では、やはり大の男たちが額を突き合わせて今後どうすべきかを話し合っていた。というよりも、ほのぼのとした空間の部屋から押し出された男を――この調子が続かれると平生よりも面倒臭いので――あやしていた。

「あー……なんだ、その。一から始めてみたらどうだ? 自己紹介も、してもらえたわけだし」

「でも自己紹介し返してないんだよな……まず第一声で停まってたから」

「自己紹介し返すところからで良いだろう……それくらいのことなら出来るだろう……出来るだろう?」

敵に塩を送っている――送られている――気がするが今は気にしないでおく。そんなことよりも何よりも、今のこの状況は悪い夢だと思いたい。あの小さな身体。まだ触れていないが、やわらかそうな肢体。あれが嘗て殺し合った男なのかと。

 

お前なんか知らない

 

(将→仁 絶対的な自信を持つのは結構だけど空振ったときの反動も覚悟しておくべき)

お前なんか知らない

 何か思うところがあるのか、それとも小さい子供を惹きつける何かがあるのか――北斗の四男の足元には人影がひとつ増えていた。言わずもがなである。少女と、時々少年に手を曳かれ、大きな背中の後を追う。

 弟の友人たる青年が同行するのは、まぁ、自然なことだろう。そして兄である自分が彼らに同行するのも、不自然ではないだろう。何かと理由を付けて同行してしまっている最近を、次兄は誰にともなく言い訳する。聡い少年少女の視線が生温かいのは気のせいではないと思う。兄弟仲が良いのだなと屈託なく笑んでくる彼の人の笑顔が眩し過ぎる。足を動かし、雄牛の如く追ってくる男から逃げながら、そういう、どうでもいいことを考えていた。

 昇っていた太陽が沈み、また昇ってきた数時間後、次兄と四男と青年は散歩に出ていた。足元にはもちろん、小さな影が三つ。微笑ましい遣り取りに耳を傾けていると、背後から面倒臭い気配が迫ってくるのを察した。思わずヒョイと、次兄が少年を、青年が少女を、四男が彼を抱き上げて走り出す。

「……なぁ、なんで走ってんだ?」

背後を眺めながら少年がヒュウと口笛を吹く。随分丸くなったとはいえ、猛然と迫って来る南斗の極星を見て口笛を吹くとは、なかなかこの少年は大物だと次兄は思った。

「……そういう空気で?」

「そういう空気ってあんた……案外この状況楽しんでるだろ」

「いいや? そんなことは?」

「……口元緩んでるぞ」

四男の方はと言えば、走らずに仕留めてしまえばいいのではとチラチラ背後を振り返っている。青年に抱えられている少女はそれに気付き、今は相手をしなくていいから、などと声を上げていた。あちらもかなりの大物だろう。彼も彼で、髪を風に踊らせながら楽し気に笑っているのだから――存外子供という生き物は、強い生き物なのかもしれない。

 殺気にも似た、鬼気迫る様子で追ってくる男に内心溜め息を吐いた。距離を縮めようとすることに必死なのは構わないが、そのおかげで隣を走る親友たちの距離が縮まっているぞ、と、青年は言いたい。走る速度を上げれば上げる程、落とさないように落とされないよう、互いに気を遣う親友たちが隣を走っている。

「……なんでこんなことに……はぁ……」

「あら。ふふ。でも、あなただって楽しそうな顔をしているわ」

緊張感もクソもない状況に溜め息が漏れた。けれどその腕の中の少女は、自分も楽しそうな顔をして言った。指摘されて、青年は自分の口角が微かに上がっていることに気付く。ふと隣を見遣れば、少年を抱えた北斗の次兄もまた堪え切れないというような微笑を浮かべていた。

「――この後は、どうする? ずっと鬼ごっこをするわけにも行かないだろう?」

「まぁ、そうだな……適当なところで休憩するか。不器用な人間を、あまり揶揄うのも、意地が悪いしな」

「この状況を楽しんでおいて今更何を言っているんだ」

「ふ……それはお互い様だろう?」

斯く言う青年たち自身も不器用じゃあないか、とは少年の言である。

 外野からすれば呆れて見送るしかない光景である。まず触らぬ神に何とやらで関わろうとはしないだろう。簡単に言えばそういう光景だった。けれどそんな外野の思いは当人たちには届かず――実に平和な喧騒が近付いてくる。あぁ止めてくれ。頼むからこちらに来てくれるな。そう呟いたのは一体誰だったか。

 

繋がろうとする心

 

(ケンシュ←将 大人げないなぁと平和に笑えているのだからそれはきっと幸せなこと)

繋がろうとする心

 よく見知っている相手――但し記憶は無い――に改めて自己紹介をするのは、妙な気分だった。

 質素な見慣れた衣服を剥ぎ取られ、いつか本で見たような異国の服を着せられた彼を、半ば強引に押し付けられた男は目に見えて狼狽えた。周囲が気を利かせてふたりから距離を取ったことも、おそらく理由だった。小さな身体の傍で身を固くする男の姿に、見守る誰かが噴き出し、誰かに黙らされた。

「目の色は」

「青」

「髪の色は」

「金……光の当たり具合では、銀にも、おそらく」

「触れても?」

そっと、遠慮がちに伸ばされた手は、純真無垢だった。耳を澄まして会話の成り行きを見守っていた観衆の元に、男が転がる速度で舞い戻ってくる。その勢いに誰もがギョッとした。同時に、何をしているのかと。

「おま、お前っ! 何してんだよ!折角みんなが気ぃ使ってやったってのに!」

「ほざけ! 心臓に悪すぎるわ!! なんだあの破壊力は!聞いていないぞ!!!」

「つーかなんて言われたんだよ? そんな変なことを、あの人が言うわけないと思うんだけど……」

もちろん声量は控えて、男と勢いのまま言い合っていた少年が首を傾げる。

「――…………髪に、触れていいかと、」

たっぷり数秒は置いて吐露された原因に少年は半目になる。髪に触れる触れないで大袈裟な。それくらい触らせてやれば良いだろう。だが当人にとっては重大なことのようだった。この面倒臭さは自分一人じゃ手に負えないと、少年が周りに眼を遣ると、男の言葉を聞いたからだろう、青年や兄弟がフラフラと彼の方へ歩いていく後ろ姿が見えた。すぐに追い縋り、ズルズル引き摺られながらも引き留めようと奮闘する。

「あんたら何してんだァァァァァ戻って来いイイイイイイイ」

「戻って来てー! 気持ちは分かるけど!戻って来るのよーっ!!」

「止めてくれるな!! 男には往かねばならぬ時と言うものがある!それが今この時だ!!」

「絶対違う!絶対違うぞ!! 今日は見守るだけって決めただろ?! なぁ!決めただろ?!」

「そうよ落ち着いて! ここでみんなが前に出てしまってはダメになるわ!色々と!」

「ほら早く行けよお前は! スゲェ微笑ましげな眼差しで見られて気恥ずかしいんだよ! いやあのひと見えてないけど!」

半ば少年に怒鳴られ、男は彼の傍に戻っていく。伸ばされた手に、今度こそ応えていたが――膝に乗せるという行動のために少年たちが抑えている者たちがバキリと床を割った。ぎこちなくも親交を深め始める姿に、一応はホッと息を吐く。が。

「私の、目と髪の色はどんなだ? 良ければ、教えてくれ」

「目は……紅色だな。冬に咲く花の色だ。髪は、そうだな――それこそ、冬に積もった雪の色だ。触り心地も、悪くない」

「そうか。そうなのか……ふふ。なぁ、嫌でないなら、触れてくれないか?」

というような遣り取りを経た男が再度狼狽え、少年たちの元に戻って来ることになるのを、まだ知らない。

「あー……ったく。困った大人が多くて困るよな、ほんと」

「そうね……いい歳して不器用なひとが多すぎると思うわ」

この計らいに余計な真似を云々と、当初こそ眉を寄せていた男を思い出して溜め息を吐く年少者たちであった。

 

余計なお世話

 

(将→仁 ここまで面倒臭いことになるとは思っていなかったというか色々と大丈夫か心配にすらなtt)

余計なお世話

 騒動を引き起こした犯人が回復するまで事態は良くも悪くも動かなかった。現在進行形で動いていない。まず最初に青年から右ストレートをキメられた後、北斗の次兄と四男からそれぞれキツい灸を据えられたのである。それだけで済んだことは、ある種、幸いでもあったが。だが、退行させた後どうすれば元に戻るのか、ということは――誰も聞き出せていない。というよりも、縮めた本人にもわかっていないようだった。戻す気がなかったのではと疑ってかかってもいい。

 人の出入りが増えた場所。その、賑やかさの中心から少し離れた場所で、今日も今日とて進展のない作戦会議が開かれていた。何一つ問題は解決しないというのに――考えておくべきことは山積みということが、頭を痛める。

「とにかく、何事もなく解決するのが最善ですよね」

誰もが願う事件の終息を口にしたのは彼の息子だった。尤も、父親が記憶を失っている今は仲の良い兄弟のようだが。身内の記憶喪失に加え、身体も退行するという、ありえない異常事態を、柔軟に理解し受け入れた姿は大人たちの記憶に新しい。四男が近くにいない時は、大抵このしっかり者が彼の手を曳いている。言うまでもなく、この子供は、どんなかたちであれ、父親の役に立てていることが嬉しいようだった。

「色々わからないことだらけだしなぁ……元に戻った時、今の記憶が残るのか、とか」

「戻った方が幸なのか不幸なのか……何とも言えないわね」

「おれだったら無い方がいいな。着せ替え人形にされてたとか、こころが痛すぎる」

「そうかしら。わたしは別にいいけど」

ふとしたところで男女の差が現れている年少組である。

「…………もういっそこのままで、この手で育てていくとか……」

「あぁ……悪くな……それも良いかもしれない……」

「なんでそこ言い直した? なぁ今どうしてそこ言い直したんだ?」

今日もアテにならない大人たちだった。気のせいか眼が本気の色合いを滲ませていることに、少年は見て見ぬフリをした。平和なのはいいことだが、平和ボケし過ぎてやしないかと半目になる。それでも実力は確かなのだからタチが悪い。なんだかんだと拳を交え合う事態になっていないことが幸いだった。

「以前は今を生き延びることで精一杯でしたけど、こうしてみると先のことを考えるのも大変ですね」

照れ臭そうな言葉に、少女がそうねと柔らかく微笑む。

「ええ。だから、さいごまで未来のことを想っていたあのひとは、本当に尊敬できる人だと思うわ。もちろん、あなたも」

「え……いや、わたしは、ただ父上に恥じない息子であろうと努めただけでそんな、」

今度こそ視線が逸らされた。仄かに色付いた頬や耳に、少女は静かに笑い声を漏らした。

 程なくして彼を抱えた四男が戻って来る。青年の妹にされたのだろう、やわらかな癖のある髪は、緩やかに結われていた。少年たちが囲むテーブルの手前で降ろしてもらうと、ごく自然にその手を息子が曳く。数歩の距離でも、少しでも触れていたいというような姿だった。柔らかく丸くなった父親の手を握って、椅子へ戻る。

「これはまた愛らしくなって帰って来たな」

「あなたの、妹さんに。優しいひとで、さすがあなたの家族だ。しかし……男児が髪弄り……」

「似合っている――いや、大丈夫だ。よく似合っているぞ。男も女も関係ない」

まるで年の離れた兄弟の遣り取りだった。結われた髪に触れながら彼が笑う。そんな会話をしていると、席を立っていたしっかり者がお茶とお茶請けを持って戻ってきた。

 

 

大事なのは何だったっけ

 

(親子(+義) 過去に叶わなかったことやしたかったことや勿論いま現在のこと)

大事なのは何だったっけ

「……お前は、変わらんな」

ほぼ無意識に吐かれただろう男の言葉を、よく働く彼の耳が拾ってしまった。

「まるで私を昔から見知っているようなことを言うのだな、あなたは」

一瞬キョトンとしてから、面白そうに笑う彼を前にして、今度は男の方がキョトンとした。それから、バツが悪そうに片手で顔を覆った。面倒事にはなってくれるなと、胸中で溜め息を吐く。

「独り言だ。気にするな」

「そうか」

自分でもあまり期待せずに吐いた二の句は功を奏した。ようやく慣れてきたとはいえ、未だ違和感を覚える状況に溜め息と呆れ――のようなもの――を吐いた男に向けていた顔を逸らす。地面に付かない足を時々揺らしながら、周囲の音に耳を澄ませている。その横顔は過去によく見たものだった。大きく変化したものの中に変わらないものを見つけて、男は目を瞑る。

「…………お前は何か、したいことや欲しいものは無いのか」

「私が、か? いや、特に――私は、皆が笑って日々を過ごせるのであれば、それで」

これも変わりないのだろうと思い、けれど訊いた結果は、案の定だった。私利私欲というものが、薄すぎる。言葉の端々は変わるだろうが、言っていることは変わらないだろう、答え。どこまでも他者を想う姿。

「お前が、したいことはないのか。食いたいものや飲みたいもの、行きたい場所は、無いのか」

個人の願いを訊くと、今度こそ彼は首を傾げて、手を口元へ遣って考え込んだ。考えるようなことかと思った。

「……すまない。これと言って思い付かない。思い付いたら、またその時に言っても良いだろうか」

そして、男の方――声を発する相手――へ向けられたのは、困ったような、申し訳なさげな微笑だった。見た目の年相応の表情に思えた。その様子を見て、責めるでもなく呆れるでもなく、男はクシャリと彼の頭を撫でた。

「構わん。それでいい」

随分久しぶりに触れた癖のある髪は、褪せた記憶のやわらかさそのままだった。

 それから少し。当初こそ北斗の四男や小さなしっかり者が傍にいることの多かった彼だが、最近はあの男の近くで見られるようになっていた。手を繋いでいる姿は皆無と言って良いほどだが、ヒラヒラ靡く男の外套の端を彼が掴んでいる姿や、男の肩にチョコンと収まっている姿が見られる。面倒事が去ったと捉えるべきか、どうしてああなったのかと頭を抱えるべきか、周囲は微妙な表情を浮かべた。思いの外ふたりが仲良くやっているようだから尚更だった。

 他と比べて、従える金属音の少ない足音は、割合簡単にその主を特定させる。背後から声をかけられ振り返ると、男の目の前には北斗の次兄と彼がいた。大方、彼が次兄に男の元まで案内を頼んだのだろう。他意などないのだろうが――よりにもよって何故この人選なのかと男は思った。あくまで優しげな表情が緊張の糸を持ち上げる。

「この前の――……その、考えてきたのだが!」

次兄に背を押され、前に出た彼が思い切ったように口を開いた。その際、ごく自然に膝を折って目線を合わせた男に、次兄の眼が、おや、と丸くなる。眼下では、彼が男の耳元で何やら囁いていた。ふたりで内緒話――と少しだけ寂しさを感じた。

「――お前はまたそんな…………それでいいのか?」

「ああ。良いだろうか……その、頼んでも……?」

「構わん」

ぶっきらぼうな言い方と手付きとは裏腹に、壊れ物を撫ぜるように、男は彼の頭に手を置いた。

 

 

変わってないね

 

(将仁 再びその髪に触れることになるなんて思ってもみなかったし記憶が残っていたのかと思った)

変わってないね

 非日常の訪れは突然だった。それが終わるのも、また同様に突然だった。

 そろそろ良い時分だろうと元凶の元へ赴こうとしていた時だった。不便は多々あるが、浴場として使っている水場から、少年の短い叫び声が聞こえてきた。それは恐怖と言うより、驚嘆のものに聞こえた。何事かと水場へ赴けば、元の姿に戻った彼が居た。何事もなかったかのように脱ぎ置かれた服がまとめて置いてある場所まで歩いて、服が無いなと呑気に首を傾げている。呆然としている者たちの脇を、大きめの布を持ってきた男性が通り抜け、服の代わりに彼へ羽織らせる。男性の名前を呼んで引き留め、耳打ちをしている様子を見ると、記憶も元に戻っているようだった。

「――悪いのだが、服を持ってきてくれないか」

そんな、困ったような声が、他よりも彼の近くにいた少年には聞こえた。

「さて……それで? 皆揃ってどうしたんだ?」

白い布一枚で素肌を隠した彼は、やはり見えているかのように、場を見守っていた外野に向き直り、そう言った。

 ちょっと出掛けてくると結局元凶の元へ足を向けた。ようやっと殴られた腫れが退いてきたという頃に、再び現れた忌々しい姿に自称天才は眼を剝いた。こわいかおが、目の前に、ふたつ。最初にその顔を殴り飛ばしていった青年は、それだけで満足したらしく、傍観に徹している。いやに冷静な表情だった。そして、兄弟は満足していないらしい。救いはなかった。

 ちょっと出掛けて行った者たちが帰ってくると、見慣れた日常に戻っていた。以前の平生と異なる点を挙げるとするなら――妙に男の気がブレているところか。離れた場所にそれぞれ腰を下ろしている男と彼の姿に、見ている方も妙な気分になった。何か、双方が共に互いの距離を掴みかねているような雰囲気だった。

 青年と兄弟の帰還に気付いた彼の息子が、大体の状態を教えてくれた。縮んでいた時の記憶は無いこと。縮む前までの記憶は残っていること。身体に異常は窺えないこと。

「それとなく訊いてみて……わたしが集められた情報はこのくらいです」

「そうか……ありがとう」

こっそり報告してくれた少年の、親とよく似た色、手触りの髪を撫でる。意志の強そうな眼は逸らされないまま、コクンとひとつ頷いて自分の親の元へ戻っていく。それなりの距離があるとは言え、腰を下ろしたのは彼と男の間。ピクリと男の碧眼が親子の方へ向いた。寄越された視線に、親は疑問符を浮かべ、子は得意気な表情を浮かべ、それぞれ応えた。その――子供の顔を見た男は頬を引き攣らせる。ある意味、素直な反応だと次兄は思った。

「まぁなんというか……ゼロに戻ったか?」

「ゼロというか…………おれにはイチくらいに見えるんだが」

「進展しているようなしていないような、よくわからん状況がもどかしい」

「進展……していいのか? アレは」

させねば邪魔は減る。しかし様子を見ていれば動きを起こさせたくなる。混ざりそうで混ざらない感情を持て余す青年たちだった。この数日が夢だったかのような錯覚を覚える。だが、決して夢ではなかったのだと現実が告げる。

 仲睦まじげに親子が会話をしている。その様子を――他に場所が無いからという理由で――男が腰を下ろしている長椅子へ腰を下ろし、眺める。肩が揺れて、彼の手が我が子の頭に乗った。おや、と次兄の口から声が漏れる。

「――、」

男が息を呑んで、何時かのように片手で顔を覆った。髪を撫でる手付きが、あの時の、男のものとよく似ていた。

 穏やかに笑む彼が、ここ数日の記憶を持っていないか否かは、本人のみが知る。

 

ふりだしから始めよう

 

(親子(たぶん将仁) ふりだしから少しだけ進んだような気がするので結果オーライかななんて)

ふりだしから始めよう
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