花を、手折った。
細い茎がぷつりと音をたてて土から引き離される。
その音は悲鳴にも聞こえた。
短くなった茎は風に吹かれて静かに揺れる。
手折った頭部も手の中で風に揺れる姿は未だにふたつが繋がっているようだった。
赤い赤い絨毯の中でその一輪だけが浮いていた。
自分で手折った花を見る。他のものと何ら変わらない。
唯一つ、土から離れているということ以外は。
手折ったのだから当たり前だ。
自らが絶った命は失われると同時に他とは違う命に成った。
ほんの少しの、違い。
命を失い、しかし色を変えることなくそのまま赤い花を口元に運ぶ。
ふわりと微かな花香が鼻腔に広がる。
薄く唇を開き優しくその花弁を食むと植物特有の青臭さ。
そしてそれに付随して苦味の合間合間に滲み出ては掻き消されていく極微弱な甘味。
それは何処か彼を彷彿とさせた。
奥へ奥へと花を口内に押し込んでいく。
苦さ故咀嚼していない花はその質量と形を変えずに口の中を占領する。
ぬらりとした花弁や茎は、しかし水などで潤っていることはなく寧ろ口内の水分を奪っていった。
鼻に抜ける青臭さと嚥下しきれない質量の苦しさに視界が霞む。
自分は何をしているのかと頭の何処かが冷静だった。
喰えば死に至る花を必死に体内の中心に取り込もうとする。
動機は多分、彼がこの花を好いていたからだろう。
ごぼりと、昔テレビで聞いたような音が、自分の身体から聞こえた。音もなく、真っ逆様に落ちたのは、ほんの数秒前のこと。ざぼん、という感覚を残して、周りの空間は少しの間震えて、それから何事もなかったかのように、その波を閉じていく。落ちている――という意識だけが、はっきりとしていた。
白砂青松という言葉のような色の中を――男の意識曰く――落ちていく。ごぼごぼと口から泡が吐き出されて、降ってきた方向へ――男の意識に合わせて表現するのなら――昇っていく。
不思議と、その中で目蓋を開いても、視界がぼやける不自由や眼球が訴える不快感などはなく、色の中へ身を投げ出す前と同じように、周囲を見ることができた。青。透き通る青は、際限なく広がり、揺蕩い、包み、落ちてきた方から注ぐ白い光をキラキラと揺らす。その穏やかな青に冷たさや温さは感じられず、自身をただそこに在らせるだけの優しい無反応に、男は安堵するようにゆっくりと目蓋を閉じて息を吐く。こぽりと生まれた銀色のあぶくだけが、ここが陸上ではないのだということを伝える。そういえば苦しくないな、ということに男が気付いたのも、この時だった。
落ちていくだけの、潮の流れも何もない青の中での時間、男は考えていた。