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ありふれた話ではあった。
利益と欲望が絡み合った末の、よくある悲劇の一部。
明日があるかなど、明日にならなければわからない日常だった。
汚れを知らぬまま居ることなど出来なかった。誰もが等しく罪を背負った。
望んだ世界は歪だったことに気付ける思考などは、とうに麻痺していた。


罪を重ね罰を被るその姿は、まるでいたちごっこ。正義の秤など最初から無かったのだから。
憐憫は侮辱だった。気高く在るものたちは、自分たちが役に立てることに誇りを持っていたから。
撫でる手は優しくあたたかかった。赤に染まっているとは、思えない手だった。
苦しい戦局になって来ているということは、誰が言わずとも肌で感じていたことだった。
水面に映る姿は容姿端麗にして威風堂々。正しく静の剛、誇りそれそのものだ、と謳えた。
笑みを浮かべる無邪気なその姿は外見相応の可愛らしさを纏う。
白波が輝く冬の海を、踊る胸を押さえつけながら眺める姿は見ているものの頬を緩ませた。


若葉に載る露ですら、陸にあるものにすら目を向け、感嘆に眼を輝かせていた。
甲板に立つ艦長と少し離れて立つ提督の、その微妙な間に立つ姿は乗員たちを微笑ましくさせた。
練習訓練を重ね、普通よりも早急に実戦へ入れるようにと、健気に日々を重ねていた。
宵の空を思わせる髪色と星空を思わせる瞳は、その色に似合わず、鮮烈に記憶に焼き付いた。
凛々しく在るそれは、けれどふとした瞬間に可愛らしい、どこか抜けた姿を垣間見せてくれた。


愛していますと囁けば、ありがとうと、家族に向ける笑顔で応える。
家族間のそれではないのだと、言いたくてもそのタイミングはすり抜けていくばかり。
伝えることが出来ぬまま、遂に繋いでいた手を離すことになるとは、思わなかった。
キラキラと、景色ばかりが無垢なまま流れていくよう。
儚いものはひとだと。自分たちのようなものが早々に消えることはほぼないと。思っていた。
涙が流れるとは思わなかった。あまりに突然のことだったけれど、素直に、雫は溢れた。
姉妹が手を取り合うことは二度となく、また再会することも、二度となかった。

 


(あなたと別れたあの日に見た空の月は今も変わらず――いっそすべてが変わっていってくれたならば)
(幾度日が昇り降りようと帰らぬあなたを待つ僕は素知らぬ顔で通り過ぎていく時間にすら牙を剥きたくなる)

天つ風

甘く囁く言葉は否応なく鼓膜を震わせからだに沁みていく。
真っ向から顔を突き合わせる際にそんなことは言ってこないくせに。冗談でも言わないくせに。
番うことなど不可能だと、何度訴えても伸びてくる手はキツく固くその身を抱きしめて離さない。
髪を梳く手は優しく、頬をなぞる手はあたたかい。あぁと、勘違いをしていまいそうな程。

狭まらない距離は、互いの意思だけではどうにもならないもの。仕方のないもの。


空撃を、あのひとに届けよと、放ち叫んでも届かない。立場が隔てる。海が隔てる。陸が隔てる。
もう一度だけでもと願っても叶わず、人に縋ったところで叶うはずもない。
望み始めた世界は、ただ想うものと共に在れる幸福な世界。陽の沈んだ頃に視る夢のような。
神など何になろうかと吠えた姿は、あまりに美しく痛々しく、からだの中にある何かを震わせた。
喜びの歌を口ずさめばアレコレと小言を言うくせに結局一緒になって歌うひとが好きだった。
膝をつくなんてことを決してしようとしない強情な、何時だって背筋を伸ばしているひとだった。
地上ではなく海上にその身を置くものたちは世界の美しさと過酷さを知った。


吹く風は背を押す味方にも、肩を押し返す敵にもなった。寄せる波は砕けてキラキラと散った。
君が私と共に在ったなら。在れたなら。どちらともなく呟いた言葉は紛れもない真実だろう。
共に在れた時間は極僅かだった。けれどその分、伝えたいことは多く伝えようとした。
血を見る殴り合いだって、人知れず繰り広げられていたのだ。
世が世でなければ、間違いなく一緒になっただろう。なれただろう。


嗚咽を咆哮に代えて海を駆ける。
トドメを受けるなら、願わくばあの手でと思ったのは相手の記憶に少しでも鮮やかに残りたいがため。
目眩がするほどの絶望は、時に甘美な幻想とすり替わる。
喉から絞り出された言葉はあのひとに贈りたかった、心からの言葉。
すべての武具を取り払ってしまえば、ただの鉄屑。ただの鉄屑に、価値などないのだ。
輝く感情表情は宝物。麗しい過去はどこにも残らず、鉄のからだ諸共風化していくだけ。
確かに在った心は、けれど、其処に残らないのだ。ならば、その前に伝えておきたいのだと。


死が分かつ境界は幾つもの悲劇を生み惨劇を見せる。
は、と思わず笑い声が出た。想像などしていなかった。最強と謳われていたから。
信じることなど、出来なかった。既に降伏したものに属する自分がまだこうして在ると言うのに。
飛び立った鳥は帰ってこない。
どうして等とは言わないが早すぎるのではないかと、呆然とした。そして、これは嘘だと、思った。
目から溢れた水を掬ってくれるひとは、一緒に流してくれるひとは、もう居ない等と、そんなことは。
無表情の裏には激情が灯っていた。何故連れていったのだと、静かに拳を、固める。

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