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 星の綺麗な夜のこと。零れ落ちた光はふたつ。寒い、寒い日のことだった。

 枯れ木の森の中を進んで行くと現れる、ぽっかりと拓けた場所。劇場の舞台にも見える其処は終着駅のようだと形容しても、差し支えないだろう。古代の帝国に設けられた闘技場のような円形のその舞台を見詰めているのは、不規則に伸びた枯れ木たち。意図無くその先を指す乾いた指先は自身の白さと周囲の白さを纏って光を発しているようにも見える。気紛れな風はこれまでのことを囁きかけて、懐古に浸らせ悠然と去っていく。その行く先は知らない。きらきらと、決してうつくしいだけではないが、確かにしあわせだった頃の――否、今だって十分しあわせなのだが――記憶が胸の内に広がり滲んで跳ね回る。ぽさりと、何処かで何か、やわらかいものが落ちる音がした。

 滑らかな白い頬に朱が差している。白く大きな、けれどその翼に優しい赤を持つ鳥のような。周りの光を照り返す銀糸から覗く耳もまた色付いている。何時か齧った林檎のようで、愛らしく美味しそうだと、目を細める。その言葉を飲み下すように、繋いだ手に力を込める。きゅ、と小さな音。衣擦れの音。手と手が、固く繋がれる音。はふ、と吐かれる吐息は白く、星屑の踊る夜空を背景にして、白い光の中へすぐに溶けていってしまう。はらはらと落ちてくる牡丹の白い花弁は、あの日街の教会で見かけた白い二人へ、投げつけられるように散らされていた祝福の花弁のように優しく、佇むふたりの上に落ち続ける。あの日の教会のように、誰かがふたりに向かって散らしてくれているものではないが、それはどうでもいいことだった。肩に留まり、頭部に留まり、心にもきらきらと、積もっていく。溶けることは、春が訪れ、夏へと廻っても無いだろう。

 そういう時代だった。そういう時代で仕方なかったのだと――言うしかない。身分が違った。生立ちが違った。何もかもが違った。だから許されなかった。ただ、それだけだった。根雪の下で、隠れるように隠されるように芽吹いた命は翼をひとつずつ持つ美しいもの。寄り添うように身体を寄せ合い、薄く氷の張っていた、舞台中央に鎮座する湖面に手を差し入れる。漣が水面の白光を揺らす。揺蕩う湖面に触れた白い花弁はひとつふたつ揺れたかと思うと見えなくなる。映る微笑は、あい故に。覗き込んだ湖の中央は昏く、底が見えない。それこそ、何処か別の世界に繋がっているような気すら起きてしまう程。湖は、漏斗のようなかたちになっている。岸に近い場所は色が薄く、中央に近付くにつれてそれは濃くなっていく。薄らと汗が浮かぶようになる晩春や夏になれば涼を求めて様々ないのちが此処に訪れるのだろう。その頃にはきっと、鮮やかな風景になっている。

 想い合えているという確信があれば、それでよかった。互いが互い以外の誰かと話していても一緒に居ても、結局最後に辿り着く場所は互いなのだと、わかればよかった。此処に辿り着くまでに、何度も何度も繰り返した。深くなっていく雪に、何度も足を止めながら見上げた雪の下。ぽつぽつと綺麗な光の下で、ふたりで交わす言葉遊び。募っていく想いと積もっていく淡雪はよく似ている。心許無く、揺れていた。

 ぽろりと、あたたかい雫が足元の雪を溶かして落ちる。かふ、と白い吐息が静寂に浮かぶ。

「嗚呼――、」

思い出したように、溢れた雫を掬おうと伸ばされた手は、しかし何も掬えずに、ただあたたかい雫に触れただけ、濡れただけだった。ぽろぽろと零れ落ちていく綺麗な雫は宝石のよう。否。零れていく雫だけではない。その宝石を生み落とす藤の双眸も、夜に紛れない髪も、滑らかで白い肌も、すべて美しく、汚れないと言う言葉が、その存在には相応しい。年相応の、泣き虫屋さんだと口元を綻ばせた男は目深に被っていた帽子を少しだけ上げて呟く。

「山紫水明だ」

やはり此処がいいと、すいと視線を周囲に遣って、そしてもぞりもぞりと未だ手を動かしているひとに訊く。眼下できらきらと、星よりも冷たく雪よりもやわらかな光を発している銀糸に目を細める。

 繋いでいない方の手の、掌を空に向ける。其処に落ち着く白い光は冷たさや重さ等感じさせずに、すぐに溶けて消えてしまう。後に残るのは、透明な一粒の雫だけ。落ちては消え、落ちては消えを繰り返し、少しずつ残された雫は大きくなっていく。その繰り返しをじっと見詰めていた男は何を――ただひとつ、しあわせだけを願い、そして無垢な花弁に託していた。温もりと繋がっている方の腕が微かに動いて、男はそちらに目を向ける。上げていた手を下ろした所為で、掌に乗っていた雫は流れ落ちる。静かな夜の綺麗な空の下、寄る辺無い海に浮かんだ舟はちいさなもの。少しでも波が高くなれば、簡単に呑まれてしまうだろう程度のもの。その舟に乗っているふたりは互いの境界を溶かしてしまおうとばかりに身を寄せ合っている。堪らずひしと、抱え込むように抱き締めた小さくやわらかな身体は寒さに震えていた。より近くなった存在。重なった温もり。耳元で慣れもしなければ似合いもしない台詞を吐いてみると、寒さに強張っていた身体が一瞬弛緩して、それからまた震え始める。けれどそれは寒さからではないということが、押し殺しきれなかった可愛らしい笑い声から判った。うつくしい涙を浮かべたまま、融けて消えてしまいそうな、藤が咲き零れる双眸を細めて、儚く。男の言葉に答える声は無かったけれど、そのひとはこくりとひとつ首を縦に振って見せた。ぼろぼろと若草から雫が溢れ落ちていく。纏う服の上に落ちて染みを作っていく。泣いているのかと、震えた、濡れた声が訊く。

 ひい、ふう、みい、と指が伸びていく。ちいさな十の指だけでは足りなくなり、おおきな十の指もそこに加わったけれど、それでもやはり足りない。何を数えているのかと訊く。しあわせを数えているのだと、答えられる。微かに、笑ったような声。開かれた手に手を重ねて包み込む。朱が滲む頬を寄せ合わせると、凍みるような冷たさの後に微睡むような温かさが広がった。ふらふらと伝う雫は、その間に流れ込む。

 ほろろと湖べりで小さな光が咲う。あちらで跳ね、こちらで廻り、無邪気に遊んでいる。

 虚ろに彷徨い始めた藤の宝石に、若草の双眸は細められる。力無く口元を綻ばせて、細い指の先を朱く染めたちいさな手を牽く。軽いその身体を抱き上げて、そっと爪先から湖の中に入って往く。身を引き裂くような水の冷たさに身体が強張る。腕の中、胸の中で凭れ掛かってくれているひとの呼吸は心なしか浅くなっているような気がして――しかしその姿さえ愛おしく見えて、男は眉を下げる。光が、ちらと瞬いた。その度に映し出されるふたつの影は灰蒼を帯びた染みを白の上に落とし、彩りを添え、ひどく澄んだ景色を其処に産み落としていた。動く唇。縦に振られた首が答える。口角を上げた者は、ふたり。

 ぐるりと世界はまわり、見上げた空は揺れている。舞台上に役者はもう居ない。一陣の風が、男が被っていた帽子を攫っていた。残されたその帽子だけが此処に誰かが居たのだという事実を物語っている。きらきらと輝く飛沫がシンと静かな宙を舞っている。やがてその飛沫も溶けるように消えていく。何時の間にか、牡丹の花も散り切っていた。

 円を描いて揺れていた水面は、未だ揺らぎを残しつつも元の静謐さを取り戻していく。浮かび、波に揺られる薄い氷の破片。舞台上に映っている光は踊るように右に左にかたちを変える。ひとつふたつと静けさに身を委ねる舞台の上に泡が浮かび上がってくるのは、きっと今し方此処を発った舟が川を昇っているからなのだろう。昏い昏い川は、しかし、浮かび上がっては消えていく儚い光に照らされて、寂しくはない。何より、ひとりで往く道ではないから。ゆらゆらと音も無く揺れながら優しい船路を辿る。冷たさも寒さも感じない。ただ、共に往く温もりだけが愛おしい。その想いだけが鮮やかに残り、それ以外は曖昧に溶けていく。しあわせだと、思った。そうして若草色の双眸からひとつ雫が零れた。

 何事も無かったかのように舞台は元の姿に戻ろうとしている。鏤められた光はささめき騒めく。わらっているのか、ないているのかは、誰にも判らない。ゆっくりと、ふたりが開いた次の舞台へ繋がる道の入り口を閉ざしていく。それと同時に、再びはらはらと舞い始めた牡丹は其処に居たふたりの影を消していくかのように、何も知らないというような、無垢な表情をして降り積もっていく。

 時間が廻り、時代が流れて世界がその容貌を変えていくのは当然のこと。永遠に溶けることの無い雪の下で寄り添い続ける一対の翼は芽吹くこと無く留まる想いに抱かれて在り続ける。摘み取られたものは剥落した痕。其処に在ったことだけを告げる名残。それは昔々に遺された、うつくしいもの。誰もが想う人と添い遂げることが出来るようになった時代は、そのような時代に生まれることが出来なかった想いたちからすれば、まさしく春なのだろう。生立ち、境遇が違うと言うだけで許されず、ふたりだけで旅立つ選択を選ばざるを得なくなった者たちは、けれど、それでも確かに幸せだった。ふたりを知る者たちは、ふたりのそれを幸せとは呼ばないと言っていたけれど、ふたりは――特に男の方は――ただ笑ってその戯言を聞き流していた。ふたりで居られることが幸せでは無いのなら、一体何を幸せと言うのだろうと、思った。凍てついた氷は融け、流れる雫となる。留まる氷漬けは、流れる水漬きとなる。留まり続ける想いと幸せは同義。羽搏き、飛び立った番。ふたりを別つもの等、もう何も無い。花の匂いを纏った風が、取り残された雪を攫って行く。それは風に舞う花として、何処か遠くで誰かの目に触れるのだろう。嘗て藤色の宝石が戯れていた儚い花弁。少しでも力を込めれば壊れて消えてしまうそれに指を伸ばして、捉えようとしていた。あどけない、微笑ましい光景。ふたりに許された短い時間の中で、三度見ることが出来ただろうかというもの。出逢うには、少しだけ早く生まれすぎた。手を牽く風の歩幅から逸れた花弁は音も無く、静まり返った湖に落ちて小さな波紋を作って沈む。今度こそ、白い花がふたりの上に祝福の意を孕んで落ちようと。贈られた、野山や道端の可憐な花を、花屋で見繕ったものと同じように――それ以上に大切そうに、抱いたように、落ちて溶けた花弁もまたふわりと抱く。こぽりと、俄にその場の空気が騒めく。まるで何かが嬉しそうに囁きあったような。

 思う。何故こんな風に出逢ったのか、わからないけれど、きっと何時何処でどのように出逢ったとしても、辿る道は同じなのだろうと。互いの第一印象は最悪だと言っても差し支えない程度。その後は。その後は、細かな所は違うのだろうけれど、どうせ手順や段階は同じだ。言葉を交わして、並んで歩いて、何処か遠い場所に足を延ばして、手を繋いで、接吻をして、触れ合って、そうして最後は。

「あなたに会えてよかった」

なんて笑って、最期は馬鹿みたいにしあわせに終わるのだろう。

BGM:雫(あさき)

没案

 寒い、寒い日のこと。私は死にました。

 始まりは白い光が次々に地上に降り立つ灰色の日。鈍い錫色の雲が頭上を覆う、決して弾むような天候では無いその日、男は仕事――親に連れられて、どこぞのお偉いさんなのだと言うひとを接待した――帰り道で立ち止まっていた。

 息の詰まるような、愛想笑いと社交辞令が飛び交う食事会から解放されて、気分転換の為に寄越された迎えを態と無下に断り、ふらふら歩いて帰ろうと白光がはらはらと落ちる中、薄く白粉を乗せた道をいつもより速度を落とした歩幅で自宅に向かって進んでいた男は褪せた色彩の中に、一際鮮やかに佇む白亜の建物を見とめた。建物とそれ以外を隔てるようにぐるりと四方を駆ける高い塀と、丁度男の目の前に聳えている威圧的な門。それらに護られるようにして奥の方――成人男性の歩幅を以てしても辿り着くまでには数分程かかるだろう位置――に見えるのは異国の宮殿を思わせる佇まいの白い建物。聞こえてくるのは朗らかな笑い声。声のする方へ眼を凝らしてみれば、未だ性差の現れていない子供たちが無邪気に跳ね回っていた。中には腕や脚を半分以上露出させたまま走り回っている子供もいる。大人の姿は見えない。建物の中なのだろうか。俗世的な周囲の世界から切り取られたような、浮世離れした光景を目の前に、魅入るようにその場に立ち尽くしていた。そんな男に声をかけたのは、空から舞い落ちて来る白い光にも劣らぬ無垢さを感じさせる白銀の髪と神秘的な高貴さをにおわせる菫色の双眸を持つ子供だった。未だ性差さえ顕著になっていない、十に届くか届かないかくらいの幼気ないのち。

 それが始まりだった。

 男が足繁く通うようになったのは何の変哲も無い孤児院。城壁のような塀に四方を囲まれた、宮殿にも見える白亜の建物。すっぱりと背丈の揃えられた建物が並ぶ街の中で頭ひとつふたつ程飛び出た建物の、その中では様々な事情でその身を置く、決して少なくは無い子供たちが生活している。多くの子供が擦り切れた布を纏っている。口に入れるものも最低限の量と質。それでも此処に来る前と比べたら天国のようだと歯を見せる小さないのちは街を往く大人たちよりも遥かに眩く輝いて見える、と同時に今までどのようにして生き延びてきたのかを、想像するに難くない。大小新旧様々な傷を携えている者。やけに鋭い目つきで他人を見る者。どうしてか、等と訊いてみても答えといるような応えが返ってきたことは無く――男自身、此方にそのような眼を向ける者から受け取れるとは思っていなかったから深くまで追うようなことは無かった。兎も角、そういう者たちが此処には多かった。薄汚れた布きれと上等な衣服を纏った者が同じ空間に居ることの非対称さ。嗤いを誘うであろう、舞台劇にも似た滑稽さを持つ。踏み入れた者は、零れ溢れる、どこか歪な幸福のあたたかな海の中から投げつけられる凍みるような敵意の視線に、安堵の念を感じていた。幸せだけを集めて出来た空間等、場所等、在るわけが無いのだから。砂糖を溶かして敷き詰めた甘ったるい場所では無くて良かったと。

 其処に居たのが彼の人。いつも本を読んでいるか外を眺めるかしているという印象だった。あの日門の前に呆然と立ち尽くしていた男に声をかけたひと。鈍い色彩ばかりが闊歩する中で、それらを雪ぎ落とすような色を持ったひと。光を持つ冷たい白銀――それはまるで天から散り落ちてきた無垢な花のような――の髪。風信子の花弁のような紫青――というよりも少しばかり赤みの強い、菫の花弁のような紫色――の瞳。周囲の者たちよりもその肌には瑞々しさが有り、見たところ怪我も汚れも少ない。身に着けている物も周囲と比べれば――どころか街を往く者が着ていても違和感の無い物で。凛と伸ばされた背筋と、閉ざされた唇、撫でつけられた頭髪は他人を寄せ付けない印象を与え、実の歳よりも幾分か上にそのひとを見せていた。何か用があるのかと、白い光が舞う中で声をかけて来たそのひとは口角を上げる素振りすら見せなかった。勿論その時男に用など無かった。偶々見つけてしまったものを呆然と見詰めていただけなのだから。ふたつの瑞々しい紫に見上げられ――捉えられ、何も、と呟くように答えた男を至極詰まらなさそうに一瞥して門を開け中に入っていく。振り返ることは勿論、立ち止まることも無く建物の中へ消えていく。その後姿を見詰める緑の瞳は、僅かも動いていなかった。まるでこの建物の主のようだと――思った。年端のいかない子供だと言うことはわかっていたけれど、纏う雰囲気が、色が、周囲で無邪気に笑い走り回っている者たちとは明らかに違っていた。上に立つ者の眼だと、空気だと。地域の有力者だとか業界の重鎮だとか、そんなレベルではなくて、それらよりももっと上の――遥かな高みに居る者が持っているものだと、直感的に思った。しかし何度も建物に足を運び、交流を重ねていくうちに、やはり人は人以外の何ものでも無いのだと知った。周囲が避けているのか当人が寄らせないようにしているのか定かではないが、大抵いつもひとりで過ごしているひととの距離を縮めていくうちに、知った。ひとりで居ることに苦を感じたことは無いと、こうして本を読んでいる方がずっと有意義に感じられると、平然と言い放たれ時だって、心の何処かでは身近な他人の存在を欲していたのではないかと。

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 それはとても幸せなことだと思っておりますし、事実とても幸せなことなのでしょう。ですから、どうか憐れむようなことをしないでください。どうしてそのような眼に晒されるのか、解りませんし、私からすればそれらは皆嫉妬と羨望の色に見えるのです。私たちを見る、貴方方こそが、憐れなものに見えるのです。この小さく狭い世界で、どれだけ願おうと祈ろうと請おうと、叶うことは勿論、受け入れられることの無かった私たちの意をどうしようかなんて、少し考えてみれば簡単に結論にたどりつくでしょう。えぇ。えぇ――その通りで御座います。つまりそういうことです。私たちが生きていた世界と言うのは、過去から繋がる鎖に固く縛り付けられたものでしたから、非力な私たちには、それこそ死ぬと言う選択をする以外、どうすることも出来ませんでした。貴方に解るでしょうか。幾ら足掻いて縋って見苦しくも手を伸ばしたところで何にもならない絶望の深さが。それはどんな夜の色よりも冷たいものでした。辿り着いた、落ち着いた場所は昏くて寒い処でしたが、其処は今まで居た世界、場所よりかはずっとマシ――どころか極楽だと思えました。どうして。何故。何故と訊きますか。貴方程のひとがそんな問いを投げてくるとは思っていませんでしたが、まぁ此処でこうして出会ったのも何かの縁でしょうし、良いでしょう。話は単純にして明快なものです。一言で言えば、身分の違いです。片や富裕層の家庭に生まれた人間。片や親に捨てられ孤児院で育てられた出生の判らない人間。ふたりが結ばれること等、あるわけが――許される筈がありませんでした。その土地で、そこそこの権力を持つ家の跡取りが見窄らしい――等とあのひとを形容することは、個人的に至極不快極まりないのですが――孤児と契りを交わすなんてことに親が許可を出すわけが無いのです。言いましたでしょう。過去から繋がる鎖に固く縛り付けられている、と。何の意味も成さ無い掟です。何にも成り得ない、くだらない古臭い時代遅れの共通意識です。家の名と世間体だけを気に掛けた能く在る話です。釣り合う者同士が――或いは自分よりも高位に在る者と結ばれることが常であり至福であると。そういう処でした。貴方のように、貴方方のように当人の一存で決められはしなかったのです。臆病だと嗤いますか。無力だと嘲りますか。構いません。事実、私たちが選んだのは逃避にも近い終わり方なのですから。

没案
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