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「…よく、そんなに描けるねぇ……」

「…そうですか…?私は、書くことの方が難しいと、思うのですが」

そうして物書きを一瞥した物描きは、再度、筆を動かし始める。

 

イーゼルに立てかけられた無数のキャンバス。

机や床に零れ落ちている様々な色の絵の具。

鉛筆、ペン、インク、クレヨン、パステル、絵の具、エアブラシ。

棚には収まりきらない数多の画材たち。

 

そんな、足の踏み場などほぼ皆無な部屋には窓が一つ。

時計は無いが乾湿計が壁に掛けてある。

日の傾きからして、正午を回ったくらいだろうか。

特に何をするでもなく、椅子に腰掛けている男は考える。

 

今。この部屋には二人の男がいる。

一人はこの部屋の主。物描きをしている。

一人は主の古い友人。物書きをしている。

血の繋がりはないが、顔立ちがよく似ている。

二人並んで街を歩けば、皆が皆、双子もしくは兄弟と間違える程である。

二人が今日この部屋にいるのは、他でもない。互いに“かく”為であった。

 

端からみれば、不思議な空気に違いないだろう。

交わされる言葉は少なく、互いが互いを注視することも少ない。

しかし気まずさなどはなく、二人の間には、ひたすらに穏やかな空気が流れていた。

 

「ボクはねぇ、うん。できることなら描いてみたいよ?自分の考えた世界をひとを、かたちにしてあげたいんだよ?だけどねぇ…なかなか上手には描けないんだ」

「あなたは、かたちに出来ているではないですか。明確な言葉の表現を以て、十分にいのちを与えているではありませんか。何もないところから、一色で、いのちを。私には、できないこと、で御座います。何故あなたは、そのように美しく言葉を羅列することができるのでしょう」

 

そして物描きは黒い絵の具のチューブを手に取る。

 

「きみは、きみの色は、とても美味しそうだよね」

「あなたの言葉は喉の通りが素晴らしく良いのです」

 

色の混ざり合うパレットに、また新しく色を落とすと、それを筆でかき混ぜキャンバスに重ねていく。

 

キャンバスに物書きの男はいない。

否、物描きの男と相対している物書きの男は画かれていない。

キャンバスの中の男は、確かに物書きの男であるが、明らかに肖像画やデッサンの作品ではなく、“物書きの男”と言うキャラクターが描かれていた。

弟の話

私の弟は、それはよくできた弟でありまして、私なぞよりも広い交流を築いておりました。

 

よくできた、と言うのは、弟はいわゆる天才肌、と言うものでありまして、大抵のことは何であろうとこなすことができました。

しかしそれは年を重ねる毎に周囲と弟を隔てる壁になって行きました。

 

無邪気で純粋だった弟はその空気を敏感に感じ取り、いつしか自分から周囲と距離を置くようになって行きました。

交流も、必要最低限。深く関わることはせず、ただひたすらに笑顔で相手の話しに頷くだけに留めておりました。

逆に、それ以外のことには夢中で打ち込み、その類稀な能力を伸ばして行きました。

誰よりも深く、誰よりも高く、能力を広げて行きました。

 

あぁ、ですが、しかし。

その姿は、まるで、自分の身を守るために針を持った小動物のようでありました。

他の誰が、弟を癒せますでしょうか。

ですが私は、上手な慰め方など知りません。

ですから、簡単に。しかし考え得る最善の対処をするのです。

 

「少し、お休みなさい。あなたはひとりでは、ないのです」

ハロウィン風

「知ってるでしょ。ボクらの意味」

シーツを彩る花弁が零れ落ちるのも構わず、寝台に横たわっている身体を跨ぐように乗り上げる。

薄紅の双眸が、薄暗い室内で鈍く輝くのが見えた。愛の言葉を紡ぐように、言葉が吐かれる。

「ボクらはふたりじゃなきゃダメなんだよ」

嬉しそうに、眼下の兄を嘲笑うように、細められる瞳。薄い蒼の双眸は虚ろに薄紅を見つめ返していた。

「ボクらはふたりでいて初めてひとつの意味を持つんだ」

生者たらざるものの祭りの日。各々が仮装をして街に繰り出すその日は、そういうものたちが紛れ込みやすくなる。

あわよくばそれらと共にフラリと冥府に赴けるのではと突飛なことを考えた兄は、やはりフラフラと人気のない場所へ足を向けていた。

やっぱキミ大馬鹿だと弟はわらった。それならアナタが連れて行ってくれますかと兄は呟いた。

ひとまず兄を自宅へ連れ帰り、寝室に押し込んだ。

寝台には薔薇の花弁が散乱していて――気紛れで購入され、やわらかく砕かれた、花の残骸――それらが放つ噎せ返るような香りは、死と退廃を連想させた。

ボスンと大した抵抗もせずに寝台に倒れ込んだ兄はジッと弟を見詰めていた。どうしてくれるのかと、色味を変えた蒼が訊く。

ある意味で純粋な輝きを持つその蒼を、対となる紅はどこか恨みがましく見詰めていた。

「悪魔なんて居るわけない。死神なんて居るわけない。ボクらに互い以外要るわけないよ」

「だから、なんだと言うのです」

「キミが死ぬのはどうだってイイけどさ、それでボクの意味が失われるのはいただけないんだよ」

片割れが居なくなれば、対の意味は意義は失われる。対として在ることができなければ、それは自分たちではないのだと弟は言った。

自分ひとりを遺して逝くなと、弟は言った。

兄は口元を歪める。

よくできた愚弟だと胸中で吐き捨て、実際不遜にも自分の身体に跨り見下ろしている当人に向かって、この愚弟がと吐いた。

「何時まで経っても甘えたな――」

「それはお互い様じゃなくて?」

 

<死者と葬列>

(死に焦がれるキミに焦がれるボクは救いようのない馬鹿なのだろう)

(生に縋っているアナタに縋っている私は途方もない愚者なのだろう)

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