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嗚呼、アンタってひとは――憧れるにしても、愛するにしても、遠すぎて、諦めさせる。俺とは違う種類の人間なんだって、思わせる。だから、妬んだり、羨んだり、憎んだりってことすらさせてくれない。否、する気にならないんだ。

つまり――言いたいことがわかるか? アンタと俺は、遠すぎるんだよ。

(アルノくんとデズモンドくんで現代パラレルのアルデズ)

 

「なに、聴いてるんだ?」

ヒョイとソファの背もたれに顎を乗せて聞いてきた相手に、青年は読んでいた本から視線を上げる。自分の右側に現われた顔を見詰めているその双眸は平時よりも僅かに大きく丸くなっていて、背後に迫る気配を感じ取っていなかったのだと雄弁に語っていた。イヤホンで耳を塞ぎ本に眼を向け集中していたら――加えて、近付いていたのは名のある暗殺者であるから余計に――気付かないわけである。

「おいおい、あんまりカワイイ顔しないでくれよ」

たっぷり数秒は置いた後、目元をなぞろうと持ち上げられた腕と笑顔のまま吐かれた言葉をサラリと避け、脚の短いテーブルに置いてあった栞を読んでいた本に挟んだ青年はソファに軽く座り直した。

「あ、あぁ。いや、何って言うか……シャッフルだから、色々、だな」

「へー? ……そういえば、お前が前に聴いてたロックバンドが新しいアルバム出したらしいけど、知ってた?」

「前聴いてたロックバンド……あ、あのバンドか。いや、知らなかった」

青年の言葉にニヤリと笑った相手はごく自然にソファを飛び越えて隣に腰を下ろす。纏う深縹のコートがフワリと広がってから、衣擦れの音を立てて静かに落ち着く。どうやら、外に出ていたらしい。通りで姿が見えないわけだ、と思ったが――本を開くまでは声が聞こえていたハズで、いつの間に外出したのだろう、と内心首を傾げた。

「やっぱりな。だと思って、ほら、買ってきた」

ズイ、と眼の前に現れたCDショップの袋に、青年の双眸は再度丸くなる。

「え――なん……良いのか?」

躊躇いがちに袋を受け取った青年は中身を取り出し、表や裏をまじまじと見つめながら嬉しさを押し込めたような声で、それを渡してきた相手に訊く。薄ら紅を差したように色付く頬が愛おしい。

「ああ。もちろん。自分で聴きたかったって言うのも、あるけど――聴きたいだろうなって思ったからさ」

「確かに聴きたかったけど、アンタよくこのバンド覚えてたな……特別語った記憶とかないんだけど」

「だってお前、CMとかで流れると大体見てるだろ。お気に入りなんじゃないかくらいの予想はつく」

「そうか? そうか……うん、それより、ちょっとここで待っててくれないか?」

「? いいぞ?」

CDと先程聴いていた音楽プレーヤーを片手に立ち上がった青年の背中を相手は見送る。大方、自室にCDと音楽プレーヤーを置いて来るのだろうと予想する。そのリビングには、テレビはあってもオーディオの類は無かった。軽やかな足取りで廊下に出ていく姿を見て口元を緩める。本人はあくまで平静を装っているらしいが――至極わかりやすく、可愛らしい。戻ってきたらハグのひとつ、キスのひとつくらいはしてもらえるだろうかと一人幸せな思考に浸る。

 パタパタと足音がして青年が戻ってくる。その手には、音楽プレーヤー。

「お待たせ」

CDは持っていないが――ふにゃりと顔を幸せそうに崩して青年は待たせていた相手の隣にストンと腰を下ろす。

「ほい」

「ん?」

渡されたのはLと記されたイヤホンの片側。見れば、青年の方は右側のイヤホンを既に装着していて、相手に渡した左側のイヤホンがその耳に付けられるのを待っている。特に拒否する理由もないので、素直にイヤホンを装着すると、軽快なギターが印象的なイントロが流れてきた。

「これ――」

その旋律はCDを買った店で流れていたものによく似ていた。思わず声を漏らすと、隣の青年が笑う気配がした。

「そ。パパッと音楽プレーヤー(こっち)に入れてきた。一緒に聴こうと思って」

「一緒に、って……嬉しいこと言ってくれるな」

「? 金出したのはアンタだろ? なら、一番に聴いたって別に変なことじゃない」

「で、自分も早く聴きたいから一緒にってことか。お前ホント優しい子だなあ!」

「子供扱いすんな! イヤホン引っこ抜くぞ!」

肩に手を回し、頬を撫でながら身体を寄せると照れ隠しだろう、手の甲でペシリと顔面を叩かれる。その手を空いている手で取ってその指先に口付ける。軽いリップ音がふたりの笑い声が広がる部屋に溶けて消えた。イヤホンから流れる男の声は愛するひととの日常の幸福を歌っている。あぁ、なんて平和で――素敵な日常だろうと青年とイヤホンを分けあった男は笑う。

 その日の午後は、気温と湿度が共に高くなく、空に浮かぶ雲も少ない、過ごしやすい晴天だった。

イヤホン

(現代に降ってきたアルタイルさんと現代に住んでるデズモンドくんで急展開アルデズ)

 

 落ちるように――正しく、言葉通り空から落ちてきた人影に、青年は硬直した。目の前の落ち葉の山に、誰かが消えた。

 乾いた枯葉が騒々しく擦れ合う音がしたと思えば、散らばっている落ち葉の上に更に落ち葉を散らし重ねながら、ひとりの男が枯葉色の山から姿を現した。その間、無残にも崩れてしまった落ち葉の山を見詰め続けていた青年と、その山から出てきた男の視線がぶつかる。まさかひとが注視しているとは思っていなかったのだろう、頭に枯れ葉を乗せた男は自分を見て固まっている青年の様子を、視線を外さずに窺う。

 警戒されているのだ、と察した青年は、どこか呆れたように両手を上げて――ホールドアップのポーズをとって見せる。

「あのさ……警戒すんのも分かるけど、どっちかって言ったらアンタの方が不審者だからな?」

青年に言われ、む、と唸った男は視線を最小限動かして周囲の様子を確認する。確かに、一通りが少なく人目もあまりないとは言え、街に馴染まない服装の男が平凡な青年を、腰を落とした警戒心剥き出しの体勢で見ていたら不審な眼で見られてもおかしくはない。現に、時折通り過ぎていく人の眼は冷ややか、或いは訝しげなものである。

「……話なら座ってしないか?」

警戒を、表面上は解いた男は、青年の提案に頷いた。

 街の片隅に設置されていたベンチは――それがそこに在ることなど、とうの昔に忘れ去られたかのように――打ち捨てられまでは行かずとも、草臥れていた。

 ここしばらく使われた気配のないベンチに、ふたり並んで腰を下ろす。最初に口を開いたのは、青年の方だった。

「あー……アルタイル、だよな?」

「なぜ、」

「アンタの名前を知ってるかって? そうだな……なんて説明しようか」

少し悩んでから青年は身の上を話し始めた。己の預かり知らぬ過去のどうしようもないこと、今までのこと、今のこと、これからの不確定な未来のこと、得体の知れない立体映像のようなものに言われたよくわからないこと。自分が伝えられることを、男に伝える。その過程で、男は何故青年が自分の名前を知っているのか、何故青年が男でなければ知りえないことを知っているのか、何故青年に親近感を覚えるのか、等の答えを見つけていく。そして、今自分たちが置かれている状況も、単に常軌を逸脱した禁断の代物のおかげなのだという仄かな確信も持った。

「…………大変、だな」

同時に、自分の遠い子孫だと言う青年に対して、親愛――庇護欲、にも似た感情を、無自覚に持ち始めた。普段の男からは想像し難い言葉が、その口から雫が滴るように溢れていく。

「お前も、嫌になるだろう。平穏を手に入れたと思っていたら、わけのわからないまま巻き込まれて」

「え? いや……でも、逃げてたツケとも言えるだろ? 不満とかは、そりゃまあ有るけど……」

予想もしていなかったのだろう、男の言葉に青年は眉尻を下げて頬を掻く。こそばゆそうに、視線が宙を彷徨う。そんな様子を、やわらかく双眸を細めた男は見ている。口元には、薄らと笑みが浮かんでいる。

 男の手が動いたのは、おそらく無意識だろう。ベンチにつかれていた青年の手をとり、子供にするように両の手で包み、撫でた。青年が、再度固まる。

「……あ、の? なに、を……?」

錆びた機械のようなぎこちなさで男に訊く。男の方も、青年に訊かれてようやく己の行動を自覚したらしく、青年の手を撫でていた、そのままのかたちで停まり、青年を見詰め返している。互いに互いを排するような気配がまったくない――と言うより、友好の毛色しかない――ためか、気不味さは無く、寧ろ不思議と小恥ずかしさが積もっていく事態となった。

 数百年単位の差があるふたりの交流が始まったのは、街の片隅――ひっそりとしたベンチのある風景からだった。

落下系ご先祖

アルデズへのお題:君といられる今がしあわせ/(無防備すぎるよ)/ぜんぶオルゴールに閉じ込めて

(アルノくんとデズモンドくんとアルタイルさんで現代パラレルのようなアルデズ)

 

 青年は穏やかな日常の中でふたりの人物とよく顔を合わせる。それはバイトへ向かう道すがらであったり、ゴミを捨てに行った先であったり ―― 偶然で済ませるには首を傾げざるを得ない頻度で、青年は特定の人物とよく顔を合わせる。

 一人は優男風の、深い青のコートが似合う、青年と男性の間を行き来している人物。そのひとは青年を見かけると少年のように顔を綻ばせて手を振り、わざわざ手を伸ばせば届く距離まで近付いてくる。人懐こそうなその顔をもってすれば相手など選り取りみどりだろうに――周囲にいる女性たちではなく青年に笑顔を向ける。自身に向けられている、異性からの好意の眼差しに気付いていないわけでもないだろう。

「――どうして俺なんだ?」

と、以前青年はそのひとに訊いたことがある。何故か、と。訊かれたそのひとは、確かに、と呟いて目を丸くした。

「確かに、どうしてだろうな。どうして、こんなにお前に惹かれるんだろうな? 俺たち前にどっかで会ったってこともないだろうし、この街で顔合わせたのが初めてのはずなのに、どうしてこう、親近感?みたいなものを感じるんだろうな?」

今まで――を振り返るように目を細めて、ひとりごちるように言う。その姿は過ごしてきた日常が夢、或いは、触れられない幻だったことに気付いたようにも見えた。覚めた、という表現が当てはまる反応だった。実際、そういう類のことを、言っていた。

「なんだか不思議な気分だ。お前と居ることが普通だったのに、今ではそれが特別なことに感じるんだ」

けれど、それでも構わないのだと、紡がれる言葉には鮮やかに色が乗っていた。

 その優男にはうつくしい幼馴染がいる。青年はそのひとを好いているのかと訊こうとして、口に出来ずにいた。相手を詮索することはあまり褒められてことではないだろうし、そもそも相手の中で自分はどこに立っているのか青年は知らなかった。加えて――青年は自分の気持ちの名前が分からずにいた。

 陽が西へ赤く沈んでいくように夏の暑さも夜の向こう側へ去っていった頃、ほぼ毎日顔を合わせるひととその幼馴染が談笑しているところに出くわしてしまった。あ――と、ひとり、気まずさを覚えた。

「ああ、ふたりが顔を合わせるのは、珍しいな」

「この子が噂の可愛い坊やね?」

なんでもないように、ふたりは揃って青年に眼を遣る。間近で並んで立っている所を見ると、嫌でもお似合いの二人だと思ってしまう。

「邪魔する気はないぜ? 通りかかっただけだからな」

苦笑して、肩を竦めてみせる。嘘は言っていない。それは相手もわかっていることだった。

「邪魔なんかじゃないさ。丁度お前の話をしてたんだ」

「話? 一方的なノロケの間違いでしょ?」

やめてよね、と彼の幼馴染が面倒臭そうに手を顔の前で軽く振った。相手の話に辟易しているらしい。は、と青年の口が開く。頭上には疑問符が浮かんでいるようだった。何故目の前の人物が自分の話をきれいな幼馴染にしているのだろう、と雄弁に語る表情に、そのきれいなひとは気付いたらしく、肩を震わせて笑んだ。

「あら――気付いてないのね、この子。貴方がまだモーションかけてないなんて、どうしたの?」

やはり女性らしく優雅な歩き方で青年の前まで歩いてくると、優しくその頭を撫でた。

「は、え――? モーション? な、なんのことだ……?」

「なんでもない! こ、これから!これからなんだよ!」

「あー、もう。一緒にいられるだけで幸せって顔しちゃって」

状況がよくわかっていないのは、青年だけらしい。

「じゃあ、このひとのこと、よろしくね?」

流れるように左目の目蓋を閉じて見せて、彼のうつくしい幼馴染は去って行く。残された男ふたりは、正に置いてけぼりの様相である。

 数分経った後、青年が徐に口を開く。

「なあ、あのひとって――」

「幼馴染。ただの幼馴染だよ。頼りになる、な」

「婚約者とかじゃ――」

「どうだろうなあ。もう俺がいなくても上手くやっていけるだろうし――互いに好きな奴がいるからなあ」

疑問を言い終える前に答えてくれた相手は、そうしてチラと青年を見た。

 バイト先で青年はもうひとりの人物と顔を合わせる。そのひとは白い服を着ていない方が珍しい、という程度には毎日似通った服装をしている男性で、大抵その顔には無愛想な表情を浮かべていた。初めて会った時はその威圧感に怯んだものだった。実際、人柄もその姿から想像に難くない、人を寄せ付けないものだったが――何を何処を気に入ったのか、決まって青年の前に現れ、不器用ながらも交流を深めようとしている。最初こそ戸惑い、距離感を掴み兼ねていたが、今では兄弟のように接するところまで進むことができた。

「ああ、やっぱり今日も来たんだな」

「週末だからな。ゆっくりできる」

少し目を細めてみせるだけの微笑に、青年も口元を緩めて応える。

「週末じゃなくともダラダラしてるだろ、お前は此処で」

男の後ろからもうひとり。溜め息を吐きながらその横に並ぶ。度々訪ねてくれるこのひとは、男の親友兼同僚だと、青年は覚えている。人付き合いが苦手らしい男のカバーをしているらしく、酔うと男に対する愚痴が零れるようになる。容易に想像できる苦労に、青年も相槌を打ちやすい。あとは、弟の話題である。素面の時からは予想もできないくらいに表情を緩めて、自分の弟が如何に優秀であるか可愛らしいかを語るのである。時折酔っぱらいを迎えに来るその弟と実に仲が良さそうでほんの少し、羨ましいな、と思ったことがあるのは、青年の秘密だ。

「あ――今日はふたりで来たんですか」

ふたりが珍しく揃って来店した驚きから敬語になる青年だった。

「おう。いつもこいつが世話になってる」

「いやいや。そんなこと……――まあ、そんで、何にしましょうか?」

舞台役者がするように両腕を広げて見せた青年の――やはり芝居がかったような――言葉にふたりは頷く。そうして、和やかに夜は更けていく。

 視線を、流れるように動く手元に落としている青年を見ている男に、その親友は人知れず溜め息を吐いた。これはどうやら重症らしい。

「ご執心のようだな」

己の仕事に集中している青年には聞えない声量で声をかける。

「何故か、はわからない。だが、大切にするべきものだと強く思う」

「この店でだけ顔を合わせる同性を?」

「ああ。今はまだこの店でだけだが、これからがある」

「そりゃまあ、いい子だとは思うけどな……って、お前今なんて?」

思わず聞き返すも、当の本人は青年に視線を遣ってしまっていて聞こえているようには思えない。また、その眼も優しげなもので、こいつがこんな眼をしたのは、と思った。長く付き合ってきた中で、霞のかかった過去に一度か二度、あるかないかのものを、此処で見るとは。素直に驚いて、男は親友と同じように青年に視線を遣る。

 存外長い睫毛が、瞬きの度に震える。その中には時折蕩けるような飴色の光を湛える枯茶の瞳が収まっている。緩く結ばれた口元には、心なしか笑みが浮かんでいるように見えた。そして、照明の絞られた店内で眺める青年の顔に、親友の面影を見た。

 ふと隣で溜め息が聞こえた。だらしなくも頬杖をついた親友が吐いたものだった。

「どうかしたのか」

「あぁ。そうだな……」

訊いてやると、親友は深刻な話題を切り出すような重々しさで口を開いて、そして一拍置いて、言った。

「無防備すぎやしないかと、思うんだが」

「はァ?」

阿呆のように口を開いていたと男は後日その時のことを客観的に思った。だが阿呆のようなことを言った親友にも非はあると思う。当の親友は真顔だったわけだが――こともあろうに、話を続けた。

「俺の前だからだと思っていいのか? それとも俺の前だけでなくともこんなに無防備なのか? 危機感というやつを、持っていないのか?」

真剣に悩み始めた親友に、とりあえず自分の言いたいことを伝えることにする。

「俺も危機感を持つべきだと思うわ」

どちらも――いい年をした男ふたりが――真顔でそんなことを話していた。

 その日青年は顔なじみの客ふたりと店を出た。どうやら最初から青年が店を上がる時間に店を出るつもりだったらしい。ふたりとも一見平時と変わらないが、よくよく見ると酔いが回っていることがわかる。青年を真ん中にして、各々言いたいことを言っている。突然兄がふたりできたようだと青年は思う。いつもは早足で往く街灯の少ない夜道も、今日は普通の歩幅で進む。肌寒いはずの夜の空気も、今日は少し暖かいくらいに感じる。

「あー、うん、おまえ、気をつけろよ。こいつ、あぶないから」

「はいはい。気を付けます、気を付けます」

「ひとのことを、あぶないとは失礼だな。おれはただ、おまえが好きなだけだ」

「はいはい。俺も好きだよ」

両側からの声に青年は適当に相槌を打つ。気にかけられて悪い気はしないし、店に通ってくれるひとに好きと言われて悪い気はしない。

「ちがう、そっちじゃないぞ」

「ちがう。そういう好きじゃない」

完全に酔っていると思ったひとたちは変なところで意識をしっかり持っているようだった。

「あいしているんだ。おれに、おまえを守らせてくれ」

突風が真下から吹き上げるように、顔が熱くなった。

 一人暮らしをしている青年の家は、主人を明るく出迎えることができない。

 帰り道から少し逸れたところにある、決して遠くはない酔っぱらいの家――賃貸のアパート二棟――へ送り届けて青年は自分も家へ帰る。青年もまたアパートに部屋を借りている。薄暗い室内に踏み入っていく、その歩数分、先程までの暖かい空気が冷めていくようだった。ひとりであると、嫌でも自覚してしまう。そして夢を見ているような錯覚に陥る。今自分は夢を見ていて、布団に入って目蓋を閉じればそれがこの夢の終わりになるような気がした。青年は照明を点けずに、月の光と街に残る電気の光で陰影を作る部屋を進んで、テレビの前に置かれたソファに腰掛け、脚の短いテーブルに眼を遣る。そして、その上に置かれていた長方形の箱を手にした。箱を開くと、微かに金具の軋む音がした。次いで、音階と旋律を持った辿々しい金属音が溢れる。それは何処かで聞いたような、懐かしいものだった。ソファに腰掛けた青年は祈るように胸の前で箱を抱いて目蓋を閉じる。

 そうして、世界が静かに暗転した。

アルデズ
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