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「お前は――思えば、なんでもそつなくこなす子だったな」

ふと、昔を懐かしむように零された言葉に、綺麗な金糸を持つ青年は声の主に眼を遣った。声の主は、その当時を思い出しているのだろう、フフと小さな笑い声で空を震わせる。いつの間にか見慣れてしまっていた大きな傷痕が、懐かしく感じられた。

「だが、結果はコレだ」

恋敵に敗れ、その拳で死ぬまいと自ら身を投げ幕を閉じたことを薄く表情に浮かべて言う。

「でも嬉しかったんじゃないか?」

「なぜ」

独り言のつもりだったのか、青年が相槌を打ったことに驚いて数秒の間ピシッと固まった男は、しかし微笑を浮かべて青年に訊いた。僅かにムッとした青年の声は、年相応らしいものだった。

「お前はなんでもそつなくこなす。吞み込みも誰より早かったそうじゃないか」

「……何が言いたい」

「あの頃のお前に、好敵手と呼べる同年代は居なかっただろう?」

そこで初めて男の顔が青年の方に向く。それはひどく穏やかな顔だった。

「だから、同年代の相手と存分に拳を振るい合えて、お前は少なからず嬉しかったんじゃないのか?」

「なっ――」

何事も無いようにサラリと吐かれた言葉に、ガタンッと盛大な音を立てて、思わず腰を浮かせてしまった青年である。なにを、と声を上げようとして、眼下となった男の表情を見てしまう。平生は閉じられている目蓋が薄く開かれ、世界を映さぬ、ぼんやりとした双眸が青年を捉えていた。やさしい――随分と色褪せてしまった優しい温もりを思わせるその表情、眼、微笑み。

「…………」

勢いを削がれた青年はストンと無言のまま再度腰を下ろす。

「しかし……敗北したことは、変わらん」

視線を落としながら零した声は沈んだものだった。その姿は叱られることを怖がる子供のようにも見えた。両肘を机の上につき、重ねた両手の上に顎を乗せた男は変わらぬ表情で青年の方を向いている。

「誰も責めはしない。辿るべき運命とは人それぞれ。変えることも避けることもできはしない」

そんな言葉と共に男は青年の頭に片手を伸ばす。骨ばった手は優しく綺麗な金の髪を撫でた。最後にこんなことをされたのは何時だったか――記憶が曖昧になる程度には長いこと縁遠かった感覚に、思わず胸が締め付けられるような気がした。手のあたたかさが、髪を通して身に届く。

「よく頑張ったな。確かにやり方は誤ったかもしれないが、一途に想う心は紛れもなく殉星のそれだった。流石だ」

「……うるさい。おれはただ自分のために、」

反論しようとした青年は、けれど自分が凄く子供っぽいことをしているような気がして言葉を止める。むぅ、と小さく唸る。そうして、なんだか気恥ずかしくなって、勢いに任せて男の肩に額を押し付けた。こんなに愚かな自分を誇らしげに語った声や、犯した過ちを赦すような言葉、落ち着かせる掌の温かさ、すべてがむず痒い。柄にもなく甘えたくなってしまうからやめてほしい。だが、それらを今すべて自分が独占しているのだと思うと気分が良いことも、また確かだった。

 

「天賦の才」

 

(殉仁 なんでもそつなくこなせるのに自分のこととなると不器用な最年少とオカン)

 好きなものだけを選んで自分の傍に置いておきたい、と少年は言っていた。綺麗なもの、美しいものだけを身の回りに置いておきたがっていた。そして数年の後、彼はその希望を自らの手で叶えたが――長くは続かなかった。追い続けた過去の幻影に切り裂かれて、彼の舞台は幕を下ろした。そこで色々と吹っ切れたのか、随分と落ち着いたように見える。

「――あれは、おれの方舟だった。おれが選んだ、認めたものだけを招き入れた、あの醜い世界で唯一、美を集約した場所だった」

「出来に、満足はしたか?」

青年の答えは、白黒つけないものだったが――言葉の割に、やわらかな表情を浮かべていた。その雰囲気を感じ取っているのだろう、男はフフと笑みを零して青年の言葉に耳を傾ける。

「お前がその目で見て選んだものだ。さぞ美しいものが集まったのだろうな」

「当たり前だろう」

「叶うことならレイやシンも加えたかったか?」

「まさか。おれはレイそのものではなく、かつて見たヤツの拳の美しさを追い求めていただけだ。シンは……見てくれはいいがな。それだけだ」

「そう言ってやるな……いい子だぞ、シンも」

少し困ったように今ここにいない青年のフォローをする男の声に、青年は己の髪を弄りながらクツクツと喉を震わせた。この年長者は、昔から真面目な男だった。それが乱世を経ても変わっていないことが、何故か嬉しく思えた。まだこんな結末を迎えると思っていなかった、何も知らなかった子供だった頃の一端に触れられているような気がして、心の隅の方が落ち着いた。加えて、人の好さそうな表情を浮かべている顔は、不思議とちょっかいをかけたくなる。

「そうだな……貴様なら、加えてやっても良かったな」

威圧的に聞こえる音を微かに含ませて、ニヤリと笑みを浮かべた。相手が見えていないのを良いことに、青年は至極わるい顔をしている。

「……? 何故だ? 私など、」

「あぁ。あぁ――そうだな。その傷を負う前ならまだしも、今の貴様は醜い」

あー、うん、と特に意味の無い声を漏らした男は苦笑を浮かべた。

「まぁ、お前からすれば、そうだろうな」

「だから、傍に置いておけばおれの美しさがより際立つということだ」

「あぁ、なるほど」

お前らしい、と述べる表情は相変わらず柔和だ。予想はしていたが、あまりに張り合いがない。青年は半眼になる。

「――どんな理由に何にせよ、意外だ。お前が私を選ぶなど」

男の面白くない反応に明後日の方向へ視線を飛ばしていた青年は、何気ないその言葉に視線を戻した。選ぶ、なんて言葉をサラリと使う。そして、男が使う、その言葉の甘さにクラリとした。クラリとして――そんな自分に目を剝いた。まさか。自分が。

「ま、まぁすべて過去の話だ。今おれがお前を選んでやるかどうかは――」

「なんだ、選んでくれないのか」

そんな、少し困ったような穏やかな声と表情を正面から見てしまった青年は、胸を掻いてその場に身体を丸めてしまった。

 

「方舟」

 

(妖仁 油断してたらクリティカルもらったけど相手は無意識無自覚だからタチが悪い)

方舟

 窓一つない部屋に足を踏み入れると、それはそれは酷い空気が纏わりついた。ぼんやりとした燭台の灯りに照らされた部屋の空気は、砂利と鉄錆の中に精の臭いが混じり、噎せ返る。己を高潔だとか清純だとかと評することはしないし思うこともないが、それでも汚らわしいと鼻筋に皺を寄せる程度には不快な空気だと言える。男は音を立てて地を踏んだ。

 薄暗い部屋の奥に、横たわる人影がひとつ。打ち捨てられた玩具のように投げ出されている肢体を覆う布は一切なく、血色のいい素肌を惜しげもなく曝している。あぁひどい――けがらわしい、と愉快そうに目を細めた男の足取りは軽い。その足音にピクリとも反応しない人影は、しかし生きていると、微かに上下する肩が物語る。近付けば近付くほど、纏わりつく不快感は濃くなっていく。見下ろせるほど近くまで来た男は足を止めた。視線の先には――両腕を祈るように戒められた男。その身体は無数の傷と放たれた精に汚されていた。太陽の下、民衆の前では暴力や性の臭いなど微塵も感じさせない面をしているくせに、大層似合っているではないか。後者はともかく――前者は、そこに墨でも流し込んでやればその身にこの現実を残してやることができる。朱でも、良いかもしれないな、などと考えながら、皮肉気に唇を歪めた男は片足を上げた。持ち上げた足を下ろし、踏み付けたのは、力なく丸まっていた手の甲。

 ぐしゃりと砂利と肌が擦れ合う音がして、両手を纏めている鎖が騒々しく揺れた。荒い呻き声が嗄れた喉から迸る。腰や脚がビクビクと痙攣し、意味を成さない母音が途切れ途切れに尾を引いた。男が足を退けると、身体を丸めようとしなやかな筋肉が蠕動する。

「随分、楽しんだようだな?」

ジリジリと動く身体を跨ぎ、肩を踏んで仰向けにしてやると顔には幾筋もの涙の跡が、擦過傷や殴打の痕と共に残っていた。掠れた声が紡ぐ己の名が、胸を焼くほどの甘さを持っているように感ぜられた。嫌だ、見るな、と譫言のように繰り返して顔を腕で覆い隠そうとするところを力任せに掴んで止める。この部屋に抛り込むまでの毅然さは失われ――羽を毟られた白鷺は無様に地に跪いていた。殺せ、と鳳凰の翼下に入ることを拒むのは、せめてもの抵抗であり、最後の矜持なのだろう。まだこの男は自分が知る男であると――まだ己の手で壊すことのできる男がいると理解して、彼は双眸を細める。

 この部屋に入らせた部下たちの顔を、男は覚えていない。どうせ末端の末端だ。消えたところで何の支障にもならない使い捨て。コレが終わった今、生かしておく利点も無いだろう。後でまとめて掃除するかと何の感慨もなく考える男であった。

 隠すなよ、と威圧してから掴んでいた手を放すと、引き攣った呼吸音がした。手は、無論動いていない。胸の前で揃えられたまま心許無い様子である。

「何人を銜えた?何人分を受け入れた?」

嘲りを露わに言ってやると、違う、と濡れた吐息が答えた。男は目を細めて、スックと立ち上がる。

「――とんだ淫乱め」

言葉と共に二本の脚の間にしゃがみ、腿の辺りを掴んで勢いよく上げる。と、ドロリと白いものが、本来排泄器官として使われるべきはずの場所から、溢れ出た。吐き出された音には、熱を孕んだ色が、確かに。けがらわしい、みにくい、なぁ、とわらいながら指を突き立てて中のものを乱暴に掻き出してやる。愉悦と、憎悪と、嫉妬が、その青い目に浮かんでは沈んでいった。粗方出し終えた頃、男は己のズボンの前を寛げ、既に緩く勃ち上っていた半身を二度程扱いて、そこへ突き刺した。突然の熱と質量に、濁った音が反った喉から押し出される。

「貴様ひとり、綺麗なままで終わることが出来るなどと思うなよ――」

耳殻に歯が触れる近さで囁かれた言葉に汚れた身体が跳ねた。

 見上げる空は曇り、帰る場所は霞み、羽搏くための翼はかつて結んでいた手によって手折られた。

 

「迎えに来たよ」

 

(将仁 近い場所、傍に置くために迎えに来るどころか引きずり落としていくスタイル)

迎えに来たよ

 青年の黒い髪は美しいものだった。黒曜石、或いは烏の濡れ羽色を思わせる艶やかさを持っていた。以前は女に間違われるのが面倒で適当に切っていたが、世界が荒廃してからは放置していたから、それなりの長さに伸びている。

 久しぶりに顔を合わせた男と抱擁を交わしていた青年は、背中に回された手が伸びた髪を弄っていることに気付いた。背を辿るフリをした指で梳いて、時々クルクルと緩く捩じって遊ぶ。

「おれの髪、そんなに楽しい?」

いたくお気に召したらしい男に肩を小さく震わせながら訊いてみると、ハッとした様子で半歩後ろに下がった。

「すまない――ツイ、」

離れた体温を名残惜し気に視線で追いつつも、ユルユルと弄られていた己の髪を一房摘まんで揺らす。生まれた時から見慣れた、ありふれた髪だと思うのだが。重力に従い、しなやかなアーチを描いた毛先が下を向いている。上下に揺すると薄い金属板のように上下する芯の通った髪の動きは、確かに見ていて面白い。

「それに、結構伸びたのだな、と」

「え、あ――あぁ、まぁ、な」

最後に会った時よりも髪が伸びているのは当然のことだが――改めて指摘されると、その長さを意識する。自覚はし難いが、他者の目からすると一目瞭然というやつだろう。スッと手が伸びてきて、後ろに流している襟足を優しく掬う。

「お前の髪は綺麗だからな……あまり痛んでいないようで、良かった」

クルリと指に髪を巻き付けて、口付けを落とすように唇へその指を寄せた。自分で摘まんでいた一房が、パサリと肩を打つ。ずっと見上げていた視線が、こちらを僅かに見上げる位置にある。緩やかな弧を描く口元に心音が跳ね上がった。

「でも、そっちだって伸びてるじゃないか」

顔の熱さに気付かないフリをして、色素の薄い男の髪に手を伸ばす。自分のものとは違い、ふわりとした触り心地は、かつてよく触れていた、そのままだった。手の甲で掬っては手を傾けて落とす、を数度繰り返す。

「切る機会が、なかなか無くてな」

「おれだって同じようなもんだ」

「お前の黒髪は、切ってしまうのが勿体無い気もするが」

昔から思っていたのだが、と、そのひとは言った。

「艶やかな黒を、よく覚えている。目映い太陽の下で笑うお前の姿と共に」

スルリと指から髪が離れて、その指が青年の肌に触れる。顔の輪郭を確認するように動いた指は、そうして骨の曲線を覆うように端正な顔を包んだ。親指が、懐かしむように目元をなぞる。己の髪をそんな風に思ってくれていたのか、と顔に集まる熱が増したような、気がした。そして、今でこそ元の黒い髪に戻っているが――一時期、男と似た髪色になっていたことを、伝えるべきか否か、青年は迷った。同じだ、と心のどこかで喜んだ自分が、あの時、確かに居た。あぁ、けれど。今ここで態々言わなくとも良いだろう。ずっとこの黒髪を愛してくれていたのだから、それが失われていたことがあったのだ、などと無粋なことを言わずとも――時間は、たっぷりとある。

「じゃあ、ずっと伸ばす。そしたらさ、毎朝シュウに結ってもらうんだ。良いだろ?」

自分の顔を優しく包んでいる手に、己の手を重ね、温もりを逃がさないようにする。

「――うん、それがいい。一緒に暮らそう。これからはずっと一緒にいよう」

空いていた片手で勢いよく抱き寄せられ、耳元で囁かれた言葉に、男は困ったような、しかし嬉しそうな微笑を浮かべた。

 

「黒髪」

 

(義仁 男の子がいつの間にか男になってて吃驚したけど何故か嬉しくもあるからつまりそういうこと)

黒髪

 ぼんやりと意識が浮上する。見慣れた天井が、目の前に広がっていた。特にきっかけがあったわけでもなく、フッと目が覚めた。ぼやける視界で周囲を見ても、日が昇り切っていない時分のため、薄暗い室内は静寂を保ち、何を語ることもない。視線を横に遣ると、穏やかな寝息を立てている、いとしいひと。ちゃんと傍に居るのだと、目で捉え、起こさぬように手で触れて確認する。窓の外にはまだ夜の帳が見え――掛け布団と傍らの温もりを引き寄せて目蓋を閉じた。

 寒さに意識が引き戻された時、窓から射す光はいつもより幾分か眩しく感じられた。閉じられたカーテンの隙間から、白い光が室内に射し込んでいる。そっと身体を動かして窓の方を見遣ると、白い。カーテンの布地を貫いて、白い光が部屋の中を照らしている。あぁ――なんて、思わず声を漏らす。ハ、と吐いた息も、屋内だというのに白く浮かび上がって溶けていく。さむい。冷えるわけだ、とどこか他人事のように考えていると、モゾリと隣で動く気配。呼吸するたびに色濃くなっていくその存在感に、口元を緩める。

 おはよう、と顔にかかった髪を流しながら蟀谷に唇を落とす。薄く開かれた目蓋の下からは、ぼんやりとした双眸が覗いている。おはよう、と掠れた声がフワリと笑った。

 再び閉じられた目蓋の下に、滅多に見ることのできない瞳が隠れる。

「……トキ、雪は――どう看る?」

それを名残惜しく思いつつ見送っていると、不意にそんなことを訊かれた。唐突に訊かれたことに、思わずキョトンと目を丸くするが――あぁ、と思い当たる節があり、寝台の近く、床の上に脱ぎ捨てられていた服を手繰り寄せて纏う。ヒタリと足を下ろした床は、よく冷えていて凍みる。ヒタヒタと静かな足音を連れて、カーテンに覆われた窓の側まで歩くと、そこで立ち止まった。布団の中では、掛け布団に包まったひとが、楽しそうな顔をしてこちらを見ている。まったく、可愛らしいひとである。

 ザッと音を立ててカーテンを開け放ってやると、外は案の定一面の銀世界になっていた。見慣れた風景も、ここまで白一色に覆われてしまえばまた違う風景に見える。予想はしていても、やはり実際に目の当たりにする光景に息を呑む。

「どうだろう――外は、一面の雪景色か?」

「あぁ、確かに……あなたの言う通りだ」

「そうか。良かった」

目が潰れてしまいそうなほど目映い白の世界を眺める背中に、相変わらず楽しそうな声がぶつかった。

 寝台に戻り、腰を下ろすと布団に包まって待っていたひとが手を伸ばしてきた。それに応えるように手を絡めると、少し気になったことを訊いた。

「――そういえば、どうして雪が積もっているとわかったんです?」

「あぁ……まぁ、今日はひどく静かだったから、そうかと思っただけだ」

サラリと答える声に、微かな寂しさを覚えた。

 勢いよく身体を捻りながら布団を剥ぎ取り相手の肩を掴んで仰向けにさせると、その身体を跨ぐように腹上に陣取る。触れ合う肌の部分だけがあたたかい。見上げる顔の横に手をついて、ゆっくり触れ合うだけの口付けを交わす。

「確かに、これだけ静かなら、あなたの声がよく聞こえそうだ」

そう、耳元で囁いた後、その唇はかたちの良い耳をやわく食んでから首筋を辿り、胸、腹、腿へ赤い花弁を散らしていく。昨夜の熱を思い出させるように、肢体を愛撫していく。肌を滑る指や唇から逃げるように踊る身体のいやらしさと幸せそうに微笑を浮かべる顔が、ひどく倒錯的で――室内の温度が上がっていくのに、それ程時間はかからなかった。

 

「冬の夜明けに眠る」

 

(トキシュ ひとりじゃ寂しい静かな冬の朝もふたりなら自然と熱く賑やかになりましょう)

冬の夜明けに眠る
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