捏造木星時代ミシ+ウォル。少年ウォルのお兄ちゃんする青年ミシ。何もかも捏造です。
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それは地球環境で言うところの、冬の時期だった。
目覚めたウォルターは身支度を整えて、建物の外に出た。その日は友人が仕事から戻ってくる予定の日だった。
空は灰色で、ちらほらと白い綿毛のようなものが降っていた。ひゅうひゅうと吹く風に髪や襟を遊ばせながら、ウォルターはひとり人気の無い道を歩いていく。指先や頬が風に当たって赤くなっていた。
友人が戻ってきているだろうガレージへ行くと、やはりそこには大勢の人々が星外から戻ってきていた。
ガヤガヤと騒々しい大人たちの合間を縫って、ウォルターは「友人」の姿を探す。ぴょこぴょこと動き回る子供の姿は目立ったけれど、それぞれの予定に忙しい大人たちはウォルターを一瞥して、それだけだ。
「ウォルター! 貴様そんな格好で……、馬鹿者!」
ウォルターが見つけるより早く、友人がウォルターを見つけた。ACのハンガーの方から、声と足音が近付いてくる。
ああそうか、本人じゃなくて四脚のACを探せば良かったな。向こうは足場の高いところから見付けやすかっただろうな。
ウォルターはそんなことを考えながら友人の方へパタパタ走っていく。
「無事のようで何よりだ、ミシガン」
「貴様に心配されるような仕事ではなかったわ!」
出迎えにしては事務的な言葉と表情で自分を迎えるウォルターを見て、ミシガンは苦い顔をする。当然、その出迎え方にではない。頬や耳や鼻の頭を赤く染めている姿にだ。
服装はいつもと変わらない格好。居住ステーションの気候設定が、寒い冬のものになるこの時期に。姿が見えた時点で脱いでいた上着をかけてやると、不思議そうな顔をされた。
「……?」
「寒いだろう、その格好では。着ておけ」
「さむい」
鸚鵡返しされた言葉に、またかと頭を抱えたくなる。
「そうか。これが「寒い」か。なるほど。指先が赤くなって、動きにくくなる……これがかじかむと言う状態か。そして吐く息が白くなる。確かにアーカイブで読んだ通りだ」
ここに来るまで気候の変動が小さいルビコンⅢと言う星にいたウォルターは、そして基本的に空調の管理された屋外で過ごしていたため「自然現象」の類いに疎かった。少し前には熱中症にかかり、やはり不思議そうな顔をしてベッドと友達になっていた。
「道理で動きにくいと言うか、動く気になれなかったわけだ」
自分には大きすぎるミシガンの上着に袖を通したウォルターは、しかし嬉しそうに言った。学ぶこと、知ることを喜べる人柄は、確かにあの技研都市から来た子供らしい。
ミシガンは溜め息を吐く。
「風邪を引かんうちに帰れ。と言いたいところだが、帰る気は無いんだろう?」
「顔を見るためだけに来るわけないだろう」
当然だろうとでも言いたげなその顔はもう何度も見たものだ。
今回もやはり、ミシガンはウォルターを彼の仮住まいへと帰すことができなかった。
「着いてこい。ウロチョロされては困る」
短く言うと、ウォルターへ背を向けて歩き始める。その足が向かう先はACのハンガーだった。
様々なACが停められている前を通り過ぎ、ミシガンは一機のACの前で立ち止まる。焦げ付きや塗装剥がれの見える四脚タイプ。ミシガンの愛機だ。名前はまだない。納得できるパーツや兵装が揃ってくれば、そんな頃には自分の愛機に相応しい名前が解るだろう。ミシガンには、そんな予感があった。
「そうだな……この辺りに居ろ。良い子にしてるんだぞ」
ミシガンが指差したのは、そのACの足元辺りだった。整備用の機材や踏み台なんかが置かれている、正しく隅の方。技術者や搭乗者の、邪魔にならない場所。
「分かった」
叩き出されないだけ、良くされていることはウォルターにも分かる。子供とは言え、弁えるべき道理はある。
ミシガンの指示に頷いたウォルターは、言われた通りとてとてと隅の方へ歩いていった。ちょこんと踏み台のひとつに腰を下ろした姿を見て、ミシガンも愛機の整備を始めてくれていた技術者たちの方へ向かう。
ウォルターが腰を下ろした場所は、出入り口に比較的近い場所だった。大きな扉があるとは言え、換気と出入りのために半分以上が開かれている。
ひょこ、とウォルターが外を覗き込む。
相変わらず風はひゅうひゅうと吹いていて、空は濃い灰色をしている。そこから落ちてくる白い綿毛は、つまり雪だ。なぜ気付かなかったのだろう。アーカイブでちゃんと読んでいたはずなのに。
抱え込んだ膝に頭を乗せると、世界が傾いて見えた。
ガレージ内では相変わらずたくさんのひとが行き交い、話し合っている。ミシガンもまた技術者と何やら話し込んでいるようだ。
けれど時々ミシガンのその目が、自分がちゃんと指定した場所にいるかどうか、確認するように向けられていることをウォルターは知っている。時々眼が合うからだ。
ひゅうひゅうと風に吹かれる上着の襟が頬を撫でる。上着から仄かに硝煙のにおいがした。
空から降る雪は、地面に落ちるとすぐに溶け、積もりそうにない。
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昔のどっかの戦場跡にて。
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再会は戦場だった。
否。正確には、戦場跡。雌雄の決した後、瓦礫やがらくたの転がる荒地だった。
互いに同じ陣営に就いてはいた。企業と、企業に雇われた傭兵。だが被害と戦果の差はあった。片や企業に所属する者。片や自由に戦場を駆ける傭兵。動き方やその速さに明確な柔軟性の差が出た。裏切られた、とまでは行かないが、出し抜かれたと言っても良いだろう。今回雇われた傭兵に、企業の者たちは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。無理もないことだった。
だが戦火の失せた後、懐かしい姿を見られると言うのは、存外嬉しいことであることも確かだった。
黒焦げた荒地の片隅に停まるACガレージ搭載の大型ヘリ。その傍らに、ハンドラー・ウォルターは立っていた。真っ直ぐに伸ばされて、しかしどこか小さく見える背中に、ミシガンは近付く。
「調教師(ハンドラー)か。なかなか様になっているようだな、ウォルター」
声か、それとも足音にだろうか。ウォルターがミシガンを半歩振り返る。
「そちらこそ、人の上に立つのが性に合っているようだな、ミシガン」
振り返ったウォルターの右手が杖をついていることに、ミシガンはそこで気付いた。
未だに冷めやらぬ戦闘の昂りが、引いていくような気がした。けれど。
「それで、こんなところまでどうした。引き揚げの日は近いだろう?」
ミシガンに向けられたウォルターの目が――目は、かつてと変わらない光を灯しているのを見て、引きかけた熱が息を吹き返すのを感じた。
我ながら現金なことだとは思った。だが本能に抗うことは難しかった。埋まり、時間と共に収まるはずだった火は目の前の男に煽られてしまった。
生きることそれ自体を戦うことだと表すならば、この男はその体現者のようなものだ。詳しいことは知らないが、ウォルターは何か目的のために戦い続けている。似合いもしない戦場にその身を置いている。
そんな男に眼を向けられて、戦場に身を置く男が、煽られないわけがなかった。
どちらからともなくウォルターのヘリに入った。
猟犬たちに対して、奥の部屋へ近付かないようにとメッセージを残す。鍵をかけはするし、これで大丈夫だろう、と判じたのは、普段のふたりからすれば随分性急と言えた。
シャワーを浴び、道具を用意し、その他諸々を黙々と準備する。
来客の想定されていない寝室は狭く、寝台もまた質素なものだった。大の男ふたりが乗り上げれば、当然ギシリと悲鳴が上がる。
会話は無く、睦言など当然あるはずもない。あるいは、言葉すら惜しかったのかもしれない。
荒い息遣いと衣擦れ、ひとの身体の触れ合う音がしばらく部屋を満たした。
濡れた目が互いを映す。欲に塗れた眼がかち合って、それだけで腰が重く疼く。覚えたての子供のようにくちびるを奪い合って、舌先と口唇がヒリついた。
「っ、ァ、」
ミシガンの節くれだった指がウォルターの後孔から引き抜かれる。ちゅぷ、と潤滑剤が糸を引く。指先を名残惜しげに孔の縁(ふち)が追った。
折り畳まれた身体の上、本来ひとに晒すような場所ではないところに、やはり本来ひとに晒すような箇所ではないものが重ねられる。すり、児戯のように擦り付けられる熱に、ひくりと孔がふるえた。
「……」
挿入が、始まらない。
ウォルターは自分を組み敷く男を見上げた。
覗き込んでくるミシガンの目は燃えるようだ。獲物を狙う獅子のようでいて、同時に獲物をいたぶる虎のような。
しかし今にでも喉元を食い千切りそうな眼を向けながら、ミシガンはウォルターをジィと見下ろすに留まっていた。
股座に乗せられた熱がずりずりと動く感覚と、武骨な手が肌の上を滑っていく感覚に息を詰めながら、ウォルターは怪訝に眉をひそめる。
「……どうした、ミシガン。俺は“待て”とは言っていないぞ」
そこで、ミシガンがクツクツと笑った。獰猛な笑みだ。
「――ウォルター、悪い子だ。物欲しそうな顔をしているのは貴様の方だぞ」
「なっ、」
瞬間、ウォルターの頬に赤が差す。まるで花が開くかのように。
はく、と何をか吐こうとした薄いくちびるは、けれど何も言えずにわなないた。
ミシガンの手のひらが、するりと杖を要するようになったウォルターの脚を撫でる。ひどく優しい温度だった。
けれど。
「あれだけ獲物を浚っていきながらまだ欲しがるとは、欲張りめ。だが、何が欲しいか素直に吐けたら、望みのものをくれてやろう」
ギシリと寝台が軋む。耳元へ寄せられたくちびるが掠れた声で歌う。吐息が熱い。押し潰された身体が苦しい。触れ合う場所が燃えて溶けてしまいそうだ。
ウォルターは反射的にミシガンの肩を押し返そうとした。けれど、その手は容易く捕まり、シーツへと縫い付けられてしまう。カリ、カリ、と首筋や鎖骨、肩に歯の立てられる音がする。きっと端から見たら獣が獲物を喰っているように見えるのだろう。
「ぁ、う……! ミシガン……!」
「言え、ウォルター。もう子供ではないだろう」
ガリ、とその時を待ちわびる牙が逸る。カッと灯った熱に、堪らずウォルターが短い悲鳴を上げた。
他と比べて鮮やかに残るその痕を、ざりざりと熱い舌が撫でていく。
「ぐッ……ぅ、うぅッ……、」
後孔に触れている熱に腹の奥が疼く。腰はとうのむかしに灼けて溶けている。あとは熱の楔で打ち砕かれ掻き回されるだけだ。
己の認める雄(おとこ)の中心を、その胎(はら)に収める。
それがいかほどの幸福感をもたらすか、皮肉なことにウォルターは知っていた。
「ぅ、う……、み、ミシガン……、おまえ、が……、欲しい……!」
「あいにく、貴様の猟犬になるつもりはない、な――ッ!」
「――ッお゛、ぁ゛、~~~~~ッッッ!!」
一息に、硬く熱い楔が打ち込まれた。
待ちわびた蹂躙にウォルターの胎は歓喜する。その存在を感じれど触れられなかった肉壁肉襞たちが、のたうち蠢く。
跳ねようとするウォルターの身体は正面から覆い被さるミシガンの身体をもって押さえ付けられ、まだ自由の利く首が限界まで反らされる。声無き悲鳴を叫ぶ口の端からは留められなかった唾液がシーツに染みを作っていることだろう。ミシガンの手を握り返すウォルターの指先が、ガリ、と赤い線を引いた。
「ぐッ……、ふッ、ぅ……!」
受け入れる、と言うにはあまりに熱烈な反応にミシガンは歯を食い縛る。眼下の男が、末恐ろしく感じた。
果たしてこの反応が常なのか否か、ミシガンには分からない。互いの知らない互いができるには十分過ぎる時間が経っていた。
だが身体を重ねるならば、ひとりの男として、この良すぎる反応が“自分だからであれ”と思うのは、自然なことだろう。
目蓋を閉じ、未だ身体をふるわせているウォルターを見下ろしながら、ミシガンは腰を動かし始める。
「ァ、ア――~~~ッ! ひっ、ィ、ま、待て、ミ……、ァ、んァア゛ア゛!゛!゛」
眩しそうに目蓋を開けたウォルターがミシガンを見る。ポロポロとこぼれ落ちていく涙が綺麗だと思った。
「はッ……、良いぞ。好きにイけ。こちらも……っ、好きに、動かせてもらう」
「ァッ! うッ、っ、ち、ちが、ぁあッ!」
割り開かれた脚が身体に縋ってくるのをどこか遠くに感じながら、散らばる言葉に耳を澄ます。
握り返される手や胴を縁(よすが)にしようとする脚が、その言葉を紡ぐに必死な様を知らせる。
「みッ、ミシガ……ッ! おれ゛っ、なん――、変、だ、ァアッ! こんァ゛……、ヒ、ィッ! とま、とまらな゛ッ゛~~~!!」
こわい、と微かに聞こえた声はあまりにいたいけだった。
ウォルターの姿が少年の頃のそれと重なる。
気付けばどろどろになった口へ噛み付いていた。蕩けた舌を掬い、舐り、味わっていた。ぴくぴく震える睫毛に涙の欠片が乗り、薄明かりをきらきらと返す。
下半身からは聞くに耐えない音が鳴っていると言うのに。
絡んでいた舌を解いて離せば、頼りない細糸がふたりを繋いだ。ふつりと切れるそれを惜しむのは無駄な感傷だ。
「――ハッ……! ウォルター、」
胎の中をかき混ぜながら名前を呼んでやると、涙でいつにも増して光を湛えた目がミシガンを映す。きっとその目で獣のような己を見ていることだろう、と冷静な部分の思考が囁いた。
だがそれも些事だ。熱に溶けて塗り潰されていく。
先ほどウォルターが呼ぼうとして音に成りきらなかった己の名が、耳に焼き付いている。
口端が、上がっているのが分かる。
「悪い子だ」
「――!! ~~~~~!!!」
ガクンとウォルターの身体が強張った。胎が目一杯ミシガンを締め付ける。嫌々する肢体を無視してそのまま腰を動かし続ければ、やはり心地よく熱杭が扱かれる。
ミシガンの目が細められた。捕食者がそうするように、くちびるを舌先がなぞる。
息が詰まる。
白い快楽が競り上がり、そして、弾けた。
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エンブレム与太
獣化ミシガン×無変化ウォルター
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グルル。獣の喉が鳴った。
今日は全身獣化してしまっているようだ。獅子とも虎ともつかない五足の獣を見て、ウォルターは他人事のように思った。ウォルター自身は、今日は何の変化も起きていなかった。
「今日は留守番か、ミシガン」
ソファに腰かければ蒼い獣――ミシガンはその横の床に座る。隣に乗り上げたって良かったが、ソファが悲鳴を上げるのは目に見えていたからやめたのだ。獣の身体は、人の身体よりも大きく重い。
ウォルターの言葉にふんすと鳴らされた鼻は不満を訴えているようだ。ゆらりと空を切る尾も欲求不満に見える。
「良い機会じゃないのか? そろそろ後進も育ってきているだろう。お前もなかなか子煩悩らしい」
柔らかい声音がミシガンの耳をくすぐる。反論の唸り声を上げたとて、意に介されずに流されて終わる。
「こればかりは諦めろ。カーラも初めて見る機材らしいんだ、待つしかない」
言いながらウォルターはタブレットを操作する。
こんな時まで仕事をするのかと思えば、画面には古い小説が広げられていた。読書をするらしい。ミシガンは上げかけた腰を静かに下ろす。
けれどウォルターは、ミシガンのその動きを見逃してはくれなかった。
「今日は俺も休みだ。片付けたい案件はあるが……まあ、あいつらに見つかると厄介だからな。大人しく休む」
ウォルターに対して過保護な顔をいくつか浮かべていると、ウォルターの手が頭を撫でる感覚がした。
じろりとミシガンの眼がウォルターに向けられる。
「嫌だったか? 以前触れて、好みの手触りだったものだからつい」
けろりとした眼を返されて、ミシガンは半目になる。この男は、時々子供のような言動を見せる。
扱いが乱雑であったり、ヘタクソであれば良かったのだ、いっそ。
そうでないから困る。
むしろ撫で方や触れ方が上手いから困るのだ。現に今も小首を傾げながら指先で頭頂部を掻くように撫でているが、自然と眼が細まってしまう。尾がゆらゆら揺れていることに、ミシガン本人も気付ていない。
「だがそうか、嫌なら仕方ないな」
ミシガンの頭部からウォルターの手が離れていく。同時に、細められていた目が醒めるように開かれる。
がう、と小さくミシガンが吠えた。
「? 二度と触れるなと言うことか?」
人語を発せないことをミシガンは恨んだ。ついでにこういう時にすっとぼけるウォルターを噛んでやりたくなった。
前肢を上げて、自分の鼻先にあるウォルターの手を捕まえる。手首を曲げて相手の手に引っ掛けて――面倒になって、両の前肢で挟んで引き寄せた。
「うわっ――!?」
ぐいと手を引っ張られて、ウォルターはミシガンの身体の上に飛び込んだ。いつの間にやらソファの前へ来ていた獣の腹に埋もれる。タブレットはソファの上に取り残されていた。
片手を前肢に握られたウォルターは、その胴体を中肢と後肢に抱え込まれた。まるで抱き枕だ。もふもふしたクッションの上で顔を上げ、ウォルターはミシガンを窺う。自分の手を抱え込んだ獣と眼が合って、それが細められるのを、見た。
ごろりと視界が回る。ウォルターが固い床に身体を打ち付けなかったのは、ミシガンの中肢に抱えられていたからだった。咄嗟にミシガンの首に回した両腕も、衝撃を避けるのに一役買っていた。思わず閉じていた目蓋を開く。後頭部と背中に当たる固い感触に力を抜けば、ゴツ、と小さく後頭部を打った。
ミシガンがのそりと起き上がる。離れていく蒼い毛皮を追うように見上げれば、こちらを覗き込む獣の瞳と眼が合った。
喰われるのか、と思った。
けれどミシガンはウォルターの喉元に牙を立てるようなことはせず――代わりにぐいぐいと頭を押し付けてきた。ウォルターの目が細められる。
わしゃわしゃ両手でミシガンの頭や顔を撫でてやる。そうすれば、ゴロゴロと低く大きな音がその喉から聞こえてきた。
「ミシガン。最初からそうやって素直に言ってくれ」
ウォルターの言葉に、ミシガンはゴロゴロと喉を鳴らして答えた。
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カーラ姉貴とウォルターの日記
「脱出」前辺りのカーラ姉貴。的な。
捏造と妄想。殴り書き。
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ウォルターがアーキバスの再教育センターだかへ向かって数日。カーラは精査と整理を進めていたデータの中に、見覚えのない、古いフォルダを見つけた。
最も古いファイルの作成日は半世紀前。データサイズはそれなりだが、半世紀前に作られたものだとすると、少ないと言える。中身は音声データ――いわゆる口述筆記だった。
スキャンにかけ、問題や危険の無いことを確認すると、カーラは一番古いファイルを開く。
「……これから何が…………っき代わりに……残そうと思………………毎日は無…………できるだけ…………」
サリサリとノイズに削られながらも聞こえてきたのは、どこか不安そうに揺れる少年の声だった。
ああ、とカーラは思った。
カーラはこの声を知っている。カーラは声の主を知っている。「彼」が小さな頃から、知っていた。
「俺はまだ上手く………………から、カーラに報告して…………………………カーラがこれを聞くのはいつ…………無駄……いや、何か役に立つことがあるかもし………………」
これは日記だ。それも、カーラに宛てた。
どうしてこのタイミングで見つけてしまうのだろうとカーラは目元に手を遣った。……いや。あの子が帰ってきたら、これを肴に一杯やるのも良いじゃないか。ああそうさ。そのために今見付けたんだ。
「今日ははじめて…………でコーラルを使った……世代の強化人間を…………」
そして、ぽつぽつと「日記」が始まった。
その日あったことや見たこと、感じたことが日記には綴られていた。はじめは淡々として、箇条書きにも似た調子だったけれど、それは少しすれば主観や感情を交えた「日記」となっていった。寂寥を紛らわせるように、孤独を埋めるように、彼は言葉を紡いだ。
記録が無い日もあった。疲れていた。時間が押した。――記録できる状態じゃなかった。理由は周辺の記録から分かることもあれば、分からないまま過ぎていくこともあった。
さして時間は経たずに「声」は変化した。不安よりも後悔や自責が先立ち、悲哀と憐憫に揺れた。声変わりを終え、低く落ち着いた声は心を閉ざすように固くなった。カーラは唇を噛んだ。
「……が死んだ。俺のミスだ。…………なければ……」
故郷(ルビコンⅢ)を遠く離れ、散り散りになり隠れ潜む「友人」たちを訪ね、時に新たな知り合いを増やし、失い、彼は使命を果たさんと進み続けた。それは「少年」の頃から過ごすには過酷過ぎる――ささやかな幸福もあったからこそ――軌跡だった。
そこにはカーラの知らない少年の姿があった。当然だ。自分は最近までコールドスリープし(ねむっ)ていたのだから。再会した時だって、使命を果たすに必要な情報の共有しかしなかった。昔話に花を咲かせるなんて余裕も時間もないのだから。
恩師の跡を継ぐと決めて歩いてきた道のりは、いつだって別れと後悔と悲しみが傍にいたけれど――今この時ほどそれらを感じる瞬間はない。街や星に飽き足らず――当人が選び、望んだこととは言え――稀有な若者一人分の人生も燃やしている。
「……ちが死んだ。……俺のせいだ」
カーラは“今後”役に立ちそうな情報を回収しながら記録を聴いていく。
日付が新しくなるにつれて、当然ながら口述の音声は破損やノイズの無い綺麗なものになっていった。それでも聞き取れない場所があるのは、彼が後から削除したか、聞かせないよう口ごもったか言わなかったかだ。もちろん、カーラはそこを追及する気はない。彼は必要な情報は残してくれる。彼が残さなかったなら、それは自分たちの使命には関係の無い情報だからだ。かわいい弟分をいじめるつもりは、ない。
「惑星封鎖機構の施設を急襲した。……ルビコンへの足掛かりはできた。あいつらのためにも、必ず使命を果たさなければ」
「……」
それからしばらく日付は空いた。
次に日記が綴られたのは、どうやらルビコン入りした後のようだった。仕事の成否と企業の動向、使命の進捗と、猟犬の様子が簡素に残されている。それだけ多忙だったのだろう。無理もない。最終目標が最終目標であるから人員はまともに雇えず、手元にある補助用ロボットは年代物のはずだ。せめて自分が傍に居て、チャティの兄弟機なんかを用意してやれたら――なんて。
そしてカーラは最後のファイルへ指を伸ばして、一瞬手を停めた。モニターを見つめる目が、ぱちりと瞬きする。
それはウォルターがアーキバスの施設へ向かうと告げた日時の、直前のものだった。
「……」
ファイルを開く。日記は、いつもの通り日付と記述者の名乗りから始まっていた。
(内容の削除された跡)
彼はこれまでに集めた全ての情報と、それらから推測される情報を全て残していた。設備も何もかも、最悪の場合はカーラに託すと。
「621だけが戻り、俺が戻らなかったら、待たなくて良い。俺抜きで進めてくれ。お前やお前の周囲に負担をかけるのは本意ではないが、仕方ない。使命を果たすためだ」
戻るつもりはあるのだろう。戻れるとも、思っていないだろうけれど。
「俺は621に暇を出す。そして621がどうするか……正直、俺にも分からない。ルビコンを出ていく可能性も十分ある」
それは、どうだろう。普通の人間なら、そうする者が多いだろう。けれど相手はこの優しい少年に拾われて“しまった”旧世代型強化人間だ。どう転ぶかは、分からない。
カーラはフッと口角を上げる。吸い殻の溜まった灰皿にタバコの灰を落とす。
記録の中で、少年がおずおずと口を開いた。
「だが――だが、621がどんな選択をしても621を恨まないでやってくれ。それは621が自らの意思を示したと言うことで、“俺が”奪ってしまった、普通の人生を取り戻す可能性でもあるから、」
だから、恨んでやってくれるな。
カーラは少年の言葉に笑ってしまった。声をあげて腹を抱えて、モニターの前で大笑いした。
馬鹿だなあ。――馬鹿だなあ! 恨むわけないだろう! 大体“こんなこと”に大真面目に付き合うヤツなんて、「友人たち」はともかく、あんたくらいのものさ!
「……621を頼む。最後まで世話をかけてすまない」
それを最後に日記は閉じられた。カーラは笑いを収めてタバコを灰皿に捩じ込む。立ち上がり、部屋を出ていく。
頼まれたからには仕方ない。果たしてあのビジターがどう動くのか、まだ分からないけれど、せめて|世話《回収》はしてやらないと、ウォルターが身体を張った意味が無くなってしまう。
大丈夫。まだ終わりじゃない。笑っていられる。こう言うときは「すまない」じゃなくて「ありがとう」だろう、と叱ってやらなければならないし。だから合図があったらすぐに迎えに行けるように支度をしておかなければ。
ああ、そうだ。
ナガイ教授。やっぱりあの子は貴方の背を見ていますよ。多忙な貴方がしていた口述記録も、半世紀前に貴方が命を張ってルビコンから逃がしたことも、あの子はしっかり覚えているし実践している。私たちはもっと肩の力を抜いた背中をあの子に見せるべきでしたね。