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別名:ノイ音ちゃんの学パラ設定を並べただけの短文

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 パチ、と硬い音。その数秒後に、パチ、と音。パチパチ。パチン。静かな室内に硬い音が落ちていく。

 先に口を開いたのは平凡な顔立ちの学生だった。

「今日はあのひと来ねぇの?」

「……ん? あぁ、来ないぞ」

片肘をつきながら答えた学生は、言いながら、またパチンと一つ音を立てる。その音の奥で、いくつか溜め息が聞こえたけれど、彼は自分には関わりの無いことだろうと気に留めなかった。

 ふたりの身体の間にある碁盤の上に白と黒の点が広がっていく。

どこか詰まらなさそうに碁石を置いていく彼に、その対局相手は残念そうな顔をした。けれどそれは彼が発した言葉を聞いたからであって、自分の相手をしている彼が浮かべている表情を見たからではない。

「えー、来ねぇの! マジかー……残念。今日はオレが教えてさしあげようと思ってたのにー……」

「なに言ってんだお前」

項垂れた学生が置いた碁石は磨かれた盤面と少し擦れて、カチ、と音を立てた。彼は碁石の置かれた位置を見て、次の手を打ちながら肩を落とした相手の方に眼をやった。

「だってさ、あのひと囲碁は初心者だろ? 前ここに来たとき、そう言ってたじゃん?んで、お前が教えてたじゃん?」

「あぁ――」

さも今思い出しました、と言う風に声を上げた彼は、しかし、その時のことを実際はよく覚えていた。

 そのひとは遠い遠い親戚で、もう他人だと言って良いくらい遠い親戚である。昔は割かし家同士が近かったのでよく一緒に遊んでいた。けれどある時――小学校高学年の仲間入りをする頃、そのひとの家は地元から離れた町へ引っ越していってしまったのである。また会える、手紙を書くから、と別れ際に約束してもらったけれど当時は悲しくて悲しくて、見送った次の日も枕を濡らしてしまった。それから月に数度の手紙をやり取りしながら壁の暦を何枚も破って過ごした。

 そして、中学校から高校に上がる際、彼はそのひとと同じ高校へ行くことに決めたのだった。幸いにも学校の名前はやり取りしていた手紙の中に書いてあったから、受験の準備なんかはあまり手こずらなかった。地元の外の学校を受験したいという旨を家族に伝えれば――誰からどこからその志望理由を聞きつけたのか、父母以外だけでなく、兄や弟など無駄に多い家族からも――さして反対されなかった。

 かくてその旨を手紙でそのひとに報せれば、自分のことのように喜んでくれている手紙が返ってきて、そこには下宿先を決めていないならこちらに住めば良い、とも書かれていたのである。彼は大いに狼狽した。狼狽すると同時に、いつからかそういう眼でそのひとを見ていたのだと自覚した。それは淡く色付いた花弁のようなものだったけれど、だからと言って諦められるほど彼は控えめな性格ではなかった。少しずつ距離を縮めていけばいい。相手も、そういう眼でこちらを見るように、させればいい。彼はそんな風に思った。昔は兄弟のように――実の兄弟よりも仲良く遊んでいたのだ。距離はすぐに縮められるだろう。

 彼が新生活に思いを馳せながら下宿先に着くと、やはり懐かしいひとが出迎えてくれた。玄関の扉を開けて出てきたその姿は、記憶にある姿よりもずっと背が伸びていて、自分と一つしか違わないはずなのに随分大人びているように見えて、綺麗だ、と見惚れてしまった。更に、久しぶりだな、会いたかった、ようこそ、なんて微笑まれながら言われてしまえば、彼がしどろもどろになったことは全然おかしくないことなのである。想像していたよりずっと心臓に悪い再会であったわけだけれど――持って来た荷物を持ってもらいながら中に入ると、家の中はガランとしてひどく静かだった。

 聞けば、そのひとが高校に上がる頃のこと、両親が出かけた先で事故に遭って亡くなったのだとか。偶然家に残っていたから助かった、と。他の親戚は、と訊けば元より疎遠で頼るどころか辿ることの出来た家はすべて途絶えていた、と答えが返って来た。最近のドラマでも採用しない話だと思った。何よりそんなことは手紙に一言も書かれていなくて――どうして頼ってくれなかったのかと泣きたくなった。生活費は、親が遺していった財産を上手くやりくりしているらしい。そこへ時折彼が内職を持ち込むようになり、ふたりで仲良くささやかに生活費の足しを作っていくようになるのは、もう少し先のこと。

 こざっぱりとして生活感が希薄だった家は、住人が増えたことで活気を取り戻していった。

 学校が始まると、彼は囲碁部を選んだ。一年生は皆なにかしらの部活に入らなければならないからである。他にも色々と部活はあったが、実家で親や兄弟たちとよくボードゲームを広げて、囲碁もよく打っていたから他――未経験のもの――よりはマシだろうという選択動機だった。二年生である同居人は何の部にも所属していないようで――彼は諸々の理由で肩を落とした。けれど帰宅部であるから時間に余裕があると、時折部室に遊びに来てくれるようになって、表にはあまり出さずとも彼は大いに喜んだ。

 そうして、慣れた風に非部員が部室に顔を出すようになってしばらく。ふとそのひとが碁を打ってみたいな、とこぼしたのがつい先週のことであった。

 日頃目立つ部活ではないことに加え、美人――身内の贔屓目を抜きにしても、である――の小さな願いとあらば部員たちが色めき立ったのも無理はなかった。自然を装って制服の襟や裾を正し、声がいつでもかけられても良いようにする。が、そのひとが教えてくれないかと声をかけたのはやはり彼であった。

 彼は折碁盤と碁石と適当な相手を用意してそのひとを椅子に座らせた。そして自分はその後ろに立ち、覗き込むような姿勢で指南を始めたのだった。そのときの絵面と雰囲気と言ったらもう間違いなくふたりだけの世界であった――とは周りで見ていた部員たちの言である。昔から聡明な子供だったそのひとは、呑み込みも早く、終盤には彼の助けがなくともそれなりの手を打てるようになっていたけれど、一局終えてからまた機会があれば教わりたいな、と笑ったのである。その笑顔を見て、あぁこれはいけないぞ、と彼は思った。同性だろうとこんな綺麗な笑顔、ここの部員たちが放っておくはずが、と思ったのである。そして実際、またの機会にはぜひ自分が指南を、と考えている部員が多いようなのだから面倒臭い。

 なんてことをあっという間に思い出しながら、彼はまたパチンと碁石を置いた。

「まぁ心配するなよ。俺がちゃんと教えとくから。ほら、お前の番」

「あー、そっかお前下宿先あのひとん家だもんなー……クッソ羨ま――アアッ!?いつの間にこんな!?」

「俺五つくらい前の前世って名のある棋士だったと思うんだよな」

「そんで今はあのひとの騎士ってか。やかましいわ! くそー、負けました!」

相手が投了してその対局は終わる。ジャラジャラ碁石を片付けながら、そういえばもうすぐ夏休みだよなぁ、なんて、とりとめのない話を振ってくる部員に彼は適当な相槌を打つ。部室の時計の針はそろそろ下校時間を指そうとしていた。

 夏休みも間近になってくると、同居人はどこか嬉しそうな空気を滲ませ始める。その理由は普通の学生のように長い休みが訪れるから、というよりも、彼の実家に行けるから、というものの方が強い。再会の折に、盆や正月なんかには家に来いよ、と彼自身が誘ったのだ。同居人が何故か昔から実家の大爺様に懐いていたことを憶えていたこともあった。このひとの喜ぶ顔が見られるなら――と思ったが、自分を置いて大爺様にベッタリになってしまいそうだという懸念が大いに彼を悩ませた。盆や正月に連れて帰っていいかと訊いた手紙の返事が大賛成大歓迎ムードしかなく、撤回するにもできないのである。これはもう腹を括るしかなかった。彼自身は、大爺様は少しだけ――否、だいぶ苦手なのである。

 考査が終われば終業式を迎え夏休みに入る。休み明けの文化祭の準備もあるが、少なくとも盆に呼び出されることは無いだろう。一週間、あのひとに自分よりも優先される存在が現れるのは気に食わないが堪えてみせよう。

 先に帰宅しているはずの家主が用意してくれているだろう夕食を思い浮かべながら彼は鞄を片手に部室を出る。

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