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 しとしと。雨が降る。静かに目を伏せて微笑を浮かべる聖母のような空から。

 

しかし、雲の切れ間からは光が射していて、決して雨が降るような天気ではない。エメットは玄関にある兄の黒い傘を見とめて、窓の外を見て軽く息を吐く。兄はきっと折り畳み傘すら仕事場には持って行っていないだろうし、更衣室のロッカーに置いても無いだろう。時間が経つにつれて次第に勢いを増していく雨粒は街の石畳を街路樹の枝葉を激しく打ちつける。

少し、兄が心配だが、普段突飛なことしているとはいえ、兄も馬鹿ではない。寧ろ、頭は良い部類に入るはずだ。雨が止むか、雨脚が弱くなったら帰って来るはずだ。少なくとも、この雨の中歩いて帰って来るという無茶なことはしないだろう。

 

 美しい青のまま、空が泣いている。

その下は、銀糸のカーテンが視界を覆っていた。人々は皆、家に入り休日の午後を過ごそうとしている為、いつもは賑やかな午後の街道には人影一つ無い。

空を見上げれば、澄んだ青が顔を覗かせているのに、それに気付いている人はどれだけいるのだろう。勿体ない。ただ前を見ていればいいというものじゃない。たまには上にも下にも目を向けてみるべきだ。

窓の外を眺めながら、珍しく思案に耽っていたエメットは、その視界に動く影を捉えて一旦思考を止める。どうにも、その彼だか彼女だかは、傘を差していないようなのだ。ただ、それだけならエメットはその人影を注視することはなかったただろう。その人影は、自分の兄にそっくりなのだ。着ている服は黒いコートのようだし、手には制帽のようなものを持っている。そしてなにより、歩き方が、よく似ていた。まさか、と思いエメットは外に出た。

 

雨が、降っている。別段珍しいことではない。ただ、いつもはどんよりと暗い空が、今日は青いままだった。

そんな空を仰げば、落ちてくる水滴で呼吸がし辛くなるのとあいまって、まるで水中から空を見上げているようだ。

いつもは光の届かない地底で生活をしているのに、やはり陽の暖かさが恋しく愛しくなるのは人だからだろうか。

 

 あぁ――なんて、バカな!

「ちょっと!インゴ! キミ何考えてるの?! ボク、アホなインゴもカワイイ!って思ったことはあったけどバカって思ったことなかったのに!」

走り寄ってみれば、やはり人影は兄だった。案の定、服はびしょ濡れで、綺麗に撫でつけられていた筈の髪は乱れて前に降りてきている。兄の額に頬に伝っては流れていく雫は、何故かうつくしい涙にも見えた。

「風邪ひいたらどうするの! 健康管理しっかりしろって、インゴがいっつもボクに言ってるのに!」

「――…ぁ、えめ、っと、」

ぼんやりと歩いていたらしい兄は、そこでようやくボクを見る。深い、海のような蒼と視線がかち合った。

はぁ、と溜め息を一つ吐いて、言葉を紡ぐ。

「エメット…馬鹿は貴方の方です。なぜ傘も差さずに飛び出してくるのですか……本当に貴方は愚弟ですね…」

いつも通り。兄はボクを罵倒してくる。

けれど、その声は、どこか虚ろで、ひとのあたたかさとか、そんなものが抜け落ちたような声音だった。表情は、他の人からすれば特に変わった様子は無いと思うのだろうけど、ボクから見れば、哀しそうな、顔をしていた。何か大切なものを失ってしまった時のような、大事なことを忘れ去ってしまった時のような、とても悲しそうな顔だった。

「ねぇ、インゴ…何か、あったの?」

ぴくり、と兄の肩が小さく跳ねた。双眸が、細められて、今度こそはっきりと、泣きそうな顔になる。

 

 窓の外は、未だ晴れていなかった。灰色の雲の隙間からは眩しい青空が覗いている。

取りあえず兄と一緒に家の中に戻った。結局二人ともずぶ濡れになったので、そのまま風呂場へ直行して雪崩れ込むように入浴。成人男性兄弟二人が一緒にお風呂なんて、なかなかにシュールな図だったと思うけど、久しぶりに二人で入ったお風呂はなぜかいつもより温かかった。着替えの服なんかは持ってきていなかったので、上がったらタオルを巻いて着替えを取りに家を縦断した。

そして、今。軽くおやつを食べて、リビングでソファに座ってテレビを見ている。ただ、隣の兄は器用にソファの上でクッションを抱え込んで、体育座りをしてその抱え込んだクッションに顔を埋めていた。自分のものとは色違いのカフスが薄い金糸の隙間から覗いている。形の良い耳を飾る無機質は、自分が兄へと買った、贈り物だった。少し無理をして手を出したそれは、しっかりと手入れがされているらしく、ほぼ買った当時の綺麗な色、形そのままだった。大切にされてるなぁ、愛されてるなぁ、と内心ニヤニヤしてしまう。

「……で、何があったの?」

出来るだけ、重たい空気にならないように視線をテレビに向けたまま訊く。すると、もぞ、と隣の塊が僅かに動いたのが視界の端に映った。

「………、別に何もないです。というか、あっても話しませんよ、この愚弟」

「なにそれひどい」

思わず、と言う風に兄の方を見て、ボク傷ついた。と大袈裟に両手で顔を覆えば鼻で笑われた。

この兄は、変なところで変な矜持を発動させるから困ったものだ。二人だけの家族で、誰よりも大切な恋人なのだから弱いところも恥ずかしいところも全部見せてくれたって良いと思うのに。今まで何度、その所為で彼が一人でものを抱え込んで潰れかかったことだろう。しかも懲りないのでまた抱え込んで潰れかかるのだ。それは、見ているこちらが辛くなるから是非とも止めさせたい。そして、幸も不幸も共有したい。

「…なんて、ね、話してよ。ボクに、教えてよ。辛いこと嫌なこと、ぜんぶぜんぶ、一人占めしないで、ボクにも分けてよ」

再度クッションに顔を埋めていた兄の肩に手を回して、耳元でそっと囁く。

「あぁ、だから…仕事では何もないですし――そもそもこれは私個人の話ですし、本当に、貴方には関係ありませんから、」

そしたら、あぁ、いい雰囲気になりかけていたのに。じろ、と睨まれた。お世辞にも良いとは言えない兄の目つきは、正直言って、ときどき怖い。その蒼に見合うような冷たい光が宿っていたら、尚更。けれど、ここで怯むわけにはいかない。

というか、若干潤んだ目で睨まれても怖くない。もしかして、泣いていたのかな。

「関係無くないよ。キミ個人の話なんでしょ…? ボクたち兄弟じゃない…ほら、ね、キミのこと、ぜんぶ教えてよ」

「……プライバシーの侵害ですよ、馬鹿」

ふふ、と力無く笑って、ようやく顔を上げてくれた。そして、少し間を置いてから、ぽつりぽつりと話し始めてくれた。

 

 つけっぱなしのテレビの音がどこか遠くで聞こえる。未だ止む気配のない雨の足音も壁に遮られて幾分か大人しく聞こえる。部屋の電気はついていなくて、明かりは雲の切れ間から覗く青空から射す柔らかな陽の光だけで、ほんのりと薄暗い。

 

「――夢を、見ました」

ただの夢です、と前置きをして語る。

 雨が、降っていました。日本の“キツネノヨメイリ”のような天気で、黄金の柔らかい陽光と白銀の冷たい雨粒が絡み合って地に降り注ぐ光景は、それはそれは美しいものでした。

周囲の風景は、そうですね。一言で言うのなら、白と緑の優しい空間でした。

青い海沿いの土地に白い建物が規則正しく美しく並んで、細い路地や美しい運河などを形成していました。ですが、そこはただ単に建物が建ち並び、自然などが淘汰されたような場所ではありませんでした。いえ、街の周囲は海や山に囲まれていて自然は豊かにありましたが。その街の家々は美しい庭を持っていました。青々と瑞々しい植物を湛え、それに見合う花々を、家主は丁寧に育てているようでした。

白い壁から零れ出て街並みを彩る草花は、その街は、天気と相俟って、とても美しく、そこにありました。

 そんなうつくしい場所に、私は一人でいました。

そう、一人で、です。

いつも貴方が居る場所に、私の隣に、誰も何もいなかったのです。

というか、貴方以前に街には私のほかに人がいないようでした。何と言いますか、街に人気は無く、生活感はあるのですが、皆様まとめてフッと消えてしまったかのように、閑散としているのです。

小鳥一羽、子猫一匹いない街で、私は一人、白くひんやりとした海沿いの道に腰を下ろして、足を投げ出して、どこまでも青い海を見ていました。久しぶりに、吹き抜ける風が冷たいと思いましたね。

 私はその時、貴方がいなかったからでしょうね、ふと、思ったのです。

あぁ、貴方は、この青い空の下で、私ではない他の誰かと、その肩を並べて、歩幅を合わせて歩いているのですね、と。

無理も無いでしょう。きっと、私といるのは、とても辛かったでしょうから。よく、耐えてくれていたものだと思います。小言を罵倒を聞かせられ続けて、本気でしたことは滅多にありませんでしたが、小突かれて足蹴にされて。

今の今まで、ずっと一緒にいてくれたことが不思議だと、それと同時に申し訳ないと思いました。

私は兄と言う都合の良い立場を使い、貴方を無理に繋ぎ止めていたのでしょう。

そしてこれは、その報いだと。

 詰まる所、無意識ながら私は貴方に依存していたのです。貴方ならばずっと私の側にいてくれると、心のどこかで思い上がっていたのです。両親が消えて、ふたりぼっち。互いに互いが居なければ破綻してしまうのだと、思い込んでいたのです。

歪ですね。兄弟とはいえ、個人は個人です。隣が私でなくても何の問題は無いのです。寧ろ、常識的に言えば、貴方の隣にこんなにも依存している私がいてはいけないのです。

私はとんだウツケだと、失笑してしまいました。なんて醜い、なんて悍ましいイキモノだ、と。

 自嘲する私に降り注ぐ雫は、完全な雨の日のそれと違って、温かいものでした。視界が滲んで、建物の輪郭がぼやけていきます。私も、このまま溶けて消えてしまえれば、どれだけ良いでしょう。

この雨に連れられて、貴方から遠く離れて笑えるようになれば、お互いの為にどれほど良いでしょう。

「――そこで、目が覚めました」

 

抱えているクッションを更に引き寄せて、顔を埋める。

兄の、その姿が何だか小動物みたいだなぁ、とか、可愛いなぁ、とか、エメットは場違いにも思っていたが、ハ、とあることに気付いて、笑みを消した。

「……えーと、あの、さ…インゴ、」

「はい、何でしょう」

「それで、帰ってきたの…?」

「……えぇ、皆様、何故か私の顔を見るなり早く帰れ帰れと言いましたので……そんなに酷い顔をしていたのでしょうか…それとも、私は無能な、仕事が出来ない上司だから、邪魔になるから、とっとと退け、ということでしょうか……ともかく、お言葉に甘えさせていただきました」

「…うん、前者はともかく後者は無いから安心してね?」

あぁ、どうやら兄は無自覚らしい。

淡々と言いつつ、若干瞳が潤み始めている兄を宥めて、これは性質が悪い、とエメットは内心苦笑した。

「…そうでしょうか」

「うん。そうだよ。インゴが仕事出来ること、皆知ってる。ただ、いつもやる気無いから勘違いされやすいだけ」

「……」

「…ボクが保証するからそんなに睨まないでよ……」

 

それは、その夢は。

「…っていうかさぁ、インゴぉ、」

深層心理だとするならば。

「キミって、ホント、ツンデレってヤツだよね」

 

 雨の中、帰ってきた兄の姿を思い出す。

この空と同じように泣き出してしまいそうな色素の薄いブルーアシードの双眸は何処か虚ろに、雨の街を映していた。いつも撫でつけられている自分と同じ、既に銀糸ともいえるプラチナブロンドは解れ、その顔を業務時間より幾分か幼いものにしていた。そのままフラフラと出てきてしまったのだろう、黒い制服は雨に濡れてその色を更に深くして、白い肌を引き立てていた。髪の先やカフスが彩る耳などから滴る雨粒。微かに色づいた頬を伝い顎へ流れ落ちていく雫は、なるほど、涙に見えた。その存在が、霧の中の幻のように儚い存在に見えた。

あぁ、けれど、その涙は、あながち間違いではなかったようだ。泣き出してしまいそうな瞳も。消えてしまいそうな姿も。

ぜんぶ、ぜんぶ、その夢の所為だと、言うのならば。

 

「――は、意味が、わかりませ」

反論しようと顔を上げ、開かれた唇は、最後まで言葉を紡ぐことが出来なかった。

ぽかんと、幼子のように見開かれた双眸には、色素の薄いカーマインが映っている。

すべての音が聞こえなくなる。まるで時が止まってしまったかのように。世界は、二人だけになる。

 窓から蒲公英の優しい黄色のような陽光が差し込み、部屋をぼんやりと幻想的に照らす。庭の草花たちは透明な雫に、その鮮やかな色彩を映り込ませて猶、瑞々しい。街道沿いの家々のカーテンがおずおずと開かれて住人達が眩しそうに顔を出す。薄墨色の雲は何処かに去り、青い空が、暖かい陽の光と共に街を包んでいた。

雨は、いつの間にか止んだらしい。

 

 食器棚に並べられた無彩色のマグや、日本の同業者に貰った色違いの箸。椅子にかけられているモノクロの服。それらすべてが、変わらない彼らの日常だった。揺るぐことの無いものだった。二つで一つの意味を成す、彼らのものだった。

それ以外のものは全部捨ててしまった。いらないから、と。

モノとはいえ、自分の使ってきたものたちが、ゴミ袋にまとめられてゴミの収集日までベランダで野晒しになっていたのは少々心が痛んだ。しかし漸く再会できて、一つ屋根の下に暮らせることになったのだ。惜しいことはなかった。

 

その時に。また離れ離れになるかもしれないという恐怖とか、いつか別々に暮らすことになるかもしれないという不安などの感情も棄て去ることが出来ればよかったのに。

 

「…雨、止んだね」

エメットは言ったが、彼の兄は応えなかった。

「ボクら、やっぱり両想いなんだね」

まだ、固まってしまっている。

「しかも、キミ、ボクを夢に見るくらい重症っぽい」

先程の薄暗さとは一転して、室内はぼんやりとした光に満ちている。

「そ、んな、こと、」

ようやく、兄は口を開いた。震える音が零れた。

「ないの? キミは、ボクのこと好きじゃないの?」

そっと、頬を手の甲で撫でると、目を細められた。

「……そんなこと、知っています」

心地よさそうに摺り寄せられた兄の頬はひんやりと冷たくて気持ち良い。

「――ぇ」

そのまま瞼を閉じて、手を重ねられる。

「私が…素直でないこと、天邪鬼なこと、可愛げがないこと、それなのに貴方を好いて、どうしようもないくらいに貴方に依存してしまっていること……ぜんぶ、ぜんぶ解っています」

「……珍しくスナオ」

ふふ、と幸せそうに兄は微笑むのだ。

「偶には良いでしょう? それとも、辛辣な方がお好みで?」

薄く開けられた双眸は、蕩けてしまいそうな蒼。

「んーん。珍しいなって、思っただけ」

営業スマイルでは無い、柔らかい笑顔がエメットの顔に浮かぶ。

「…そうですね。私にしたら、上出来です」

「あは。それ自分で言っちゃうの?」

和やかな雰囲気で互いに微笑み合う。静かに空を震わせるその笑い声は幸せそうな、甘い響きだった。

 ほったらかされているテレビには最近巷で有名になってきているらしい、女優と俳優が熱い抱擁を交わして何やら熱い睦言を贈り合っている。しかし彼らの視界にその場面は映っていない。控えめに漏れ出している音声すら彼らの耳には届いていない。ただ、彼らの視界には互いしか入っていなかった。

 エメットも、同じような雨の夢を見たことがあった。まだ幼い頃のことだった。

今日と同じような、否、今日よりも光が多い天候の中、エメットは一人で草原を駆けていた。まだ短い手足を大きく必死に振って、雨の中広大な草原を泣きながら、しかし笑いながら走っていた。途中から苦しくなって歩いていたけれど、前に進むことを止めることだけはなかった。何かを探しているように。

何を探していたのかは、よくわからなかったけれど、前方に虹が見えていたから、きっと虹の麓に行きたかったのだと思う。

 当時家の中は、酷くつまらなかったから逃げ出したいという欲求が夢に表れたのだろう。否、家庭に不満があったわけではない。友達にもそこそこ恵まれた。親にもよくしてもらえた。しかし、何かが足りないと思ったのだ。どんなに楽しいことをしていても、常に心の片隅にぽっかりと穴が開いたいに満たされることはなかったのだ。そのせいで時折垣間見えるエメットの翳りを、気付いた友人や親は心配してくれた。

だがエメットはその気遣いが嬉しくなかった。優しく声をかけて悩みを聞けば大抵のことは解決するだろうと安易に考えているひとたちが気に入らなかった。だから走って逃げたのだろう。誰も追いつけない場所まで。

『――――!』

そして、その夢の中で誰かに呼ばれた気がした。聞き取れなかったけれど、懐かしい感じの声だと思った。

数年後に兄と再会を果たして、その声を聞いたとき。あの夢を思い出した。そこで聞いた声も。兄の声は、夢の中で聞いた声のそれだった。

 ずっと欠けていたものだった。ずっと求めていたものだった。兄に逢って、言葉を交わして、触れ合って、初めて満たされたような気がした。あの夢で自分が手を伸ばして掴もうとしていたのは兄で、その自分の声が叫びが、走る踵の音が兄に通じたのではないかと。

長い間を経て積もりに積もった憧憬や願望は、そのまま恋慕へと発展した。足を踏み入れたら二度と抜け出すことのできない迷宮に、エメットは迷い込んでいた。そして彷徨う中で、いつからか同じくこの迷宮に兄が迷い込んでいると知った時。兄が自分に好意を向けていると知った時の喜びは計り知れないものだった。

 

なんて! なんて愛おしいのだろう!

 

歓喜した。幸福で満たされた。

いつもと変わらない表情の下で悶々としているであろう兄を見て、その身を掻き抱いてしまいたい衝動と、エメットは人知れず戦った。同性だとか血縁だとか、馬鹿馬鹿しい。そんな些細な世間体を水面下で気にする兄がいじらしい。

いつもは突拍子もない悪戯やらなんやらを平気で仕掛けるくせに!

まるで無垢で気紛れな女王様のようだ。変なところで気を使う可愛らしいボクのお姫様。他の誰にも渡しはしない。

 

「――エメット? どうか、したのですか、」

「へ、」

「ニヤニヤして…気色悪いですよ?」

「ヒドイ! ボクそんなに気持ち悪かった?!」

「えぇ、まぁ」

「……。 いやね、ちょっと昔のこと、思い出してたんだ」

「昔の…?」

「うん。むかぁしね、こんな天気の夢見たなぁって」

そうでしたか、と静かに口を閉じる片割れは、何処か消えてしまいそうに微笑んでいた。

 

その様子にエメットは、す、と目を細める。

「――離さないよ?」

「は、」

答えを聞く前に、その身体を力一杯引き寄せると、完全にリラックスしていたのだろう、片割れは容易くこちらに倒れてきた。すっぽりと収まった温もりに安堵を覚える。もぞり、と腕の中の温もりが動く。本格的に抵抗され始める前に、耳元で再度、離さないから、と囁いて腰に手を回せば、遂にその身体は弛緩しきってエメットにしな垂れかかってきた。

兄の柔らかな金糸が首筋にあたってこそばゆい。と同時に仄かにシャンプーの良い香りが鼻腔をくすぐる。

「(あぁ、これは――)」

ちらちらと白い首が視界に入り込む。

「(心臓に悪い)」

 

「離さないと、言いましたね」

そんな彼の心境を知ってか知らずか、見えない所で彼の兄は薄く艶やかな笑みを浮かべる。

「ならば、離さなければいいでしょう」

私は、貴方の側を離れる気はありませんから、と、いつにも増して熱に浮かされたような声で言われてしまえば、愛おしさに身体が勝手に動いて、やや乱雑に口づけていた。合間合間に意味の無い音が漏れる。

ぼんやりと、霞んでいく頭の片隅で、彼は思った。

 

「(いつの間に、雨、止んでましたっけ)」



 

雨宿りの午後

(そういえばあの雨スコールみたいだったよねー)(壁とでも話していなさい)

​BGM:ニワカアメ(天野月)

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