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 昔か今か――或いは先のことか。人里離れた山の麓、その森の中のあるところに、小さな集落があった。人目を避けるようにできたその集落の住人たちは皆家族ぐるみの付き合いをし、助け合って暮らしていた。必要なものは自給自足で賄い、街に降りていくことは滅多になかった。運悪く森で迷ってしまった商人曰く、フードを目深に被った青年たちに森の出口まで案内してもらったが、礼を言おうと振り返ってみるとそこには誰もいなかった。もしかしたら山に棲まうモノに助けられたのかもしれない。とか。
 青年がガタガタと箪笥を漁っている。その後ろ姿を、呆れた顔をした別の青年が見ている。コレでもないアレでもないと独り言ちながら箪笥を引っ掻き回している青年の足元には色取り取りの衣服が散乱していた。
「おい――何探してるんだ?」
呆れ顔の青年が腰に手を当てて言う。
「んー? お前のフード」
どこか間延びした声で返ってきた答えに、訊いた青年は首を傾げる。
「俺のフード? 別にいらないだろ、そんなん。暗殺しに行くわけでもないんだし」
「そういうワケにもいかない」
青年が頭上にクエスチョンマークを浮かべていると、丸まっていた背中が感極まった声と共に真っ直ぐに伸びるのが見えた。掲げるように伸ばされた手には赤い頭巾があった。それを片手に、青年はクルリと振り向く。
「…………それ、いや、まさか……冗談だよな?」
やや引きつった顔で青年の手中にある赤い頭巾を指差す青年に、答えるのは、いい笑顔。
 あっという間に、大した抵抗を許さず、赤い頭巾が青年の頭を包む。青年からは不本意だという空気が抑えられもせず発せられているが――被せた張本人は、うんうんと頷いて至極満足そうな表情を浮かべている。
「似合ってる……よく似合ってるよ……」
「なんか獣臭いんだけどコレェ?!」
カワイイ! とはしゃいでいる青年の顔面に赤い頭巾が叩きつけられる。
「痛ッ! 何するんだよー似合ってたのにー」
「ふざけんな」
「ふざけてない! あのな、男はみんな狼なんだぜ?」
「じゃあアンタも狼なのか」
「…………」
答えとして返ってきたのは、やはり綺麗な笑顔。もう何を言っても無駄だと思ったのか、溜め息を吐きながら話題を変える。
「つーか、そんなん何時手に入れたんだよ。趣味じゃないだろ?」
「あぁ、コレ? うん、オッサンがどっかの墓から頂戴してきたんだって。なんて言ったっけ……ロマンス?じゃないな……なんだっけ?」
「俺が知るかよ……ってか墓からとか……」
箪笥の上に飾られた写真立てにふたりの視線がいく。その先には、家の住人の他の写真と共に飾られた、髭を生やした壮年の男性の写真。押し返された赤い頭巾を手持ち無沙汰に弄る青年が歳をとったらこうなるのだろうと思わせる程、写真の男性は青年によく似ていた。
「で? そのオッサンは今どこに行ってんだ?」
「墓参りだってさ」
シレっと放たれた言葉に、青年は呆れた顔をした。
 玄関の扉が叩かれて、ふたりは音のした方へ向かう。やさしい木目の木の扉を開けるとそこには白いフードを被った男が籠を持って立っていた。木で編まれた籠には瑞々しい林檎が入れられている。扉を開けた瞬間、視界に飛び込んできた相変わらずの仏頂面に、赤い頭巾を握ったままの青年は噴き出した。それに対して、男の眉間に刻まれたシワが更に深くなる。そんな青年を押し退けるように、結局いつも通りの服装に落ち着いている青年が前に出た。
「今回の差し入れだ。確認してくれ」
月に数度、少し離れた場所に家を持つ遠縁の親戚の家へ差し入れをしに行くのであるが――それがこの青年の役目になっていた。理由は何故か分からないが、この青年以外が行くと必ず留守だった。様子を見に行っても様子が分からなければ意味がない――ということで、どうやら唯一歓迎されているらしい青年に役割が落ち着いた。差し入れるものは主に食糧である。
「マリクたちの農園で採れたものだ。道中で腹が減ったら食ってもいいぞ」
「えっ。いや、何言ってんだよ!」
近年稀に見る赤い珠に目を輝かせる青年に男は言う。言っているが、ソロリと伸ばされたもうひとりの青年の手はペシンと小気味の良い音を響かせて叩き落としている。
「マリクやカダールも、そう言っていた。遠慮することはない」
僅かに口角を上げながら言うと、男はユルリと後ろにさがる。
「あれ? どっか行くんですか?」
「鳩退治の仕事だ」
叩き落された手を――これみよがしに――未だ摩っている青年がヒョコリと顔を覗かせて訊く。それに対しては笑みを引っ込めて、男はサッパリと答える。いつもと同じだなと、ふたりのやりとりを見ていて思った青年は自分もそろそろ出発しようと男の後に続いて玄関から外に出る。ひとり家の中に残されかけた青年は置いていかれまいとごく自然な動きでふたりに続いた。
 籠を持った青年に、これから仕事へ向かうという男が、やわらかく抱擁をする。
「では、安全と平和を」
「そっちも。安全と平和を」
オマケにポンとやさしく頭を撫で、男は腕を解く。
「俺も――」
「行ってくる。しっかり留守番をしておくんだぞ」
「……無視ですか」
腕をユルリと広げた姿のまま固まった青年を余所に男は駆け出していった。ハァ、と演技っぽく溜め息を吐いてみせた青年は男の背中を見つめている青年の方に眼を遣る。
「お前も、気を付けるんだぞ。最近はデカい狼がうろついてるって聞くし」

「うっわ――驚かすなよ」
油断していたであろう青年の肩に腕を回し、ニシシと笑ってみせる。案の定、肩に腕を回された相手は不意を突かれたらしく、肩を上下させた。
「……で? 狼? コナーに聞いたのか?」
「まぁ、そんなとこ。エドワードもチラッと見たって言ってたし」
「へぇ。アイツらがデカいって言うなんてな。まぁ、会わないことを祈るよ」
「あぁ。安全と平和を」
「兄弟の上にも……ッ?!」
言い終わらないうちにキスを仕掛けてきた留守番役に、青年は拳骨を叩き込む。
 集落と森は、もちろん直接繋がっていて、東西南北どの方角からでも集落から森へ、森から集落へ、行き来が出来る。整備された綺麗な道は無いが、大体いつも同じような道筋を通るため、獣道に似た道は出来ていた。
 出発してから数十分を進んだところである。月に数度と言えど、歩き慣れた道で青年は一息吐く。苔生した岩の上に腰と林檎の入った籠を置き、倒れた朽木に足を乗せる。森の冷えた空気を肺一杯に取り込んで、首を軽く回す。そこでふと艶やかな赤が視界に入り、その中に詰まった果汁を想像してしまい、喉が鳴る。食べても良いとは言われたが――そもそもコレはひとに贈るものだ。籠に収まった林檎を見つめて、青年の動きが止まる。余談だが――これがこの青年以外なら、間違いなく林檎の数は減っていただろう。
 パキン、と小枝の折れる音がした。
 軟らかい地面に落ちている小枝が折れると言うことは、それなりの重量を持つ何かであると言うこと。熊か、鹿か――或いは、狼か。今は大人しく留守番をしているであろう青年が言っていたことを思い出す。
 臨戦態勢、というよりも素早く逃げられるように身構えて音のした方――それは丁度、背後――に目を遣る。
「そう身構えるなよ。問答無用で殺そうなんて思っちゃいない」
そこには、薄い色のフードを被り、黒いジャケットを羽織った男が立っていた。男はホールドアップのポーズをとって、笑っていた。薄氷の瞳が、青年を捉えていた。
 話しの出来る相手だと、一先ずは安心して張り詰めていた糸を弛める。
「そりゃ良かった。で? アンタは何の用が俺にあるわけ?」
「用。用って程のモンじゃない。ただ道歩いてたらお前を見かけたから声かけたってだけだ」
何だよソレと怪訝な表情を浮かべる青年をスルーして、男はマイペースに言葉を続けていく。
「――で、お前はこんなところで一人で何してるんだ?」
「届け物――まぁ、お遣いの途中だよ。ホラ、その林檎。それを届けに行くんだ」
「へぇ。オツカイねぇ……」
フイと顔を逸らして指で唇をなぞる男は、何か考えているようだった。そして、さして時間をかけずに青年へ向き直る。
「ならちょっと付いて来い。良い土産が増える」
言うだけ言ってスタスタと歩き始める男に、青年はポカンとして置いて行かれる。数歩進んで、背後で動く気配が無いことに気付いたのか男が振り返った。
「どうした? 来ないのか?」
男の声にハッと我に返る青年は岩の上に置いていた籠を引っ掴んで、慌てて男の背中を追う。
 いつもは通らない道を歩きながら、青年は前を往く背中に問い掛けてみる。
「なぁ、アンタは何でこんなことするんだ? 偶々見かけたヤツに声かけて、親切? お人好しっつーか、物好きだな?」
「…………お前、やっぱり面白いな」
微かに震える背中は、振り返りはしなかったけれど、笑っているのだと雄弁に語る。
 益体のない話をしながら、ふたりは薄暗い森の中を進んで行く。行き先を知らされず――訊いてもノラリクラリと躱されていた青年は少なからず不安を覚え始めていたが、終着点には唐突に着いた。
 此処だ、と男が案内したそこは、深い森の奥にポッカリと拓けた場所だった。陽の光が燦々と降り注ぐ地面は一面白く、それが花の色だと気付くのに数秒を要した。感嘆の息を漏らす青年。
「すげぇ……」
「気に入ったか?」
「え――あぁ、そりゃ」
「そうか」
そして、やはり唐突に背を向けてフラリと歩き出す男を、青年は慌てて呼び止める。
「あ、おい! ちょっと待てよ!」
青年の声に立ち止まり、ノソリと振り向いた男に青年は再度問いを投げる。
「此処の花、摘んで行って良いってこと、なんだよな……?」
「あぁ。誰のものでもないしな」
「そっか……うん、ありがとな」
笑って、青年は籠の中から林檎をひとつ取り出して、男に投げて寄越した。真っ赤な林檎が男の白い手の中に収まる。ポカンとした表情を、今度は男が浮かべた。
「それやるよ。礼として受け取ってくれ」
屈託なく笑う青年に釣られるように男の口元も綻ぶ。
「そうだな……なら、貰っておく」
 何本か白い花を手折って、青年は立ち上がった。あの後、男は振り返らずに森の中へ消えていったけれど――森の中に住んでいるのだろうか。会ったのは今日が初めてだと思うのだが、何故か以前会ったことがあるような、懐かしい感じがした。集落の住人たちと同じようにフードを被っていたから、よく親しんだ誰かと重なって見えただけだろうか。
「また、会うのかな」
手折った花の香りをスンと嗅ぎながら、青年はポツリと独り言ちる。黒い背中に刺繍された赤い翼を、やけに鮮やかに思い出していた。サヤ、と風が一陣、静かに白い花弁を散らしていった。
 今まで知らなかった場所に置き去られたことは予定外だったが――元来た道を戻って行けば、見慣れた道に出られるだろう。さして悲観することもなく、白い花束を土産に加えた青年は花畑を後にする。チィチィと小鳥が囀り、鹿や野兎が草木を踏み分けて歩く音が、周囲の深緑から聞こえてくる。
 ようやっと覚えのある道に出て、そこからは勝手知ったる風に軽い足取りで目的地まで向かう。そうして見えてきたのは小さなログハウス。こじんまりとした佇まいで建っているそれは、童話に出てきそうな、可愛らしい家だ――と、初めて見た時に青年は思った。玄関周りや窓の下、使われているかは分からないが一応設置されているポストの近くなんかに置かれた大小様々な鉢植えには、これも相変わらず綺麗な草花が咲き綻んでいる。途中で寄り道をしていつもより遅い到着になってしまったが、住人が留守でないことを祈る。事情を話せばわかってくれるだろう。
「おーい、クレイー? 入るぞー」
そんなことを考えながら青年は扉を開く。内装も御伽噺のそれを思わせる。木製のテーブルと、その上に置かれた細い花瓶。ひとりが横になるには十分な大きさの寝台。暖炉の上には何時だったか、血縁が集まった時に撮った写真が飾られている。窓には薄いレースと少し厚みのある織物の、二重のカーテン。変わりない家の様子を確認して――あまりの静かさにグルリと視線を回す。
「……?」
家の中を見回して、視界に見慣れない色彩を捉え、あ、と思った瞬間。世界が、ブレた。
 気付けば天井が見えている状況に陥っていた。床板の硬い感触が背中や後頭部に優しくない。回らない頭では状況が飲み込めず、青年は目を白黒させる。床に広がった赤や白を見て、あぁ勿体無い、と冷静に思考を働かせる頭の一部が可笑しい。
「誰も居ない――気配はするけどな」
固まっていると、ヒョコリと最近見た顔が真っ直ぐに見下ろしてきた。凍みるような氷と戸惑う琥珀が絡み合う。
「アンタは――」
どうしてここに、と馬乗りにされたまま青年は問うた。ヒタリと音がして頭の横に男の手が下ろされる。近付く顔の距離に、後ろは無いと分かっていても青年は頭部に力を込める。まるで獣が獲物を品定めするように双眸を覗き込まれ、瞼を閉じてしまいたくなるが、そうした瞬間に牙を立てられてしまうような緊張感があった。
「お前が、来ると思ったからな…………待っていた」
「待っ――?! 用があるならさっき済ましゃ良かっただろ! なんで態々、」
フイと視線が解れ、代わりに亜麻色のフードと木目の薄い天井が視界に入ってくる。耳元に、くすぐったさ。
「初めてが外ってのは、刺激が強すぎるんじゃないかと思ってな」
声音低く囁かれる言葉の、意味が、青年にはよくわからない。
「最初に会った時、お前は一人で岩陰に蹲って泣いていた。泣き声に釣られて足を運んだ俺を見てお前はどうしたと思う?」
褪せていた記憶の色が、息吹を吹き返していく。だが、それと同時に疑問も首を擡げる。
「まず手を伸ばして俺に触れたんだ。今までグズってたのが嘘みたいに泣き止んで」
「って、待て待て! 確かにガキの頃そんなこともあったが! 俺があの時会ったのは狼であってアンタじゃない!」
「……その狼、こんな毛色をしてなかったか?」
言いながら、笑みを浮かべながら、顔を離した男は被っているフードに手をかける。
 青年の目が丸くなる。
「――!」
よく、似ていた。あの時触れた狼の毛の色と、よく似ていた。
「本当はあのまま持ち帰っても良かったんだが、間の悪いことにお前の保護者が登場して退かざるを得なかった。あの時は多勢に無勢の中、無事にお前を連れて行ける自信がなかった」
当時を思い出しているのだろう、はぁ、と溜め息を吐いて男は続けた。
「あれからやけにお前の周りのガードが固くなってな――なかなか、近付けなかった」
過保護な同居人たちや近隣住民の苦労の賜物であるが、もちろん青年はそのことを知らない。
「で、何なんだよ。話が見えないぞ。つまりアンタは俺にどうして欲しいんだ!」
「番になってほしい」
叫ぶように訊いた、その答えはあまりにあっさりと吐かれた。再度青年が固まる。
「は……え……何、言って」
「待ってたって、言っただろ」
「な、なんで、なんで俺? ガキの頃に会ったってだけだろ?」
「お前は――俺を救ってくれたからな」
最後の呟くような台詞が青年に届いたかどうかはわからない。ただ、朱に染まった顔と、何も言えずにハクハクと動く唇が青年の現状を雄弁に語っていた。男の手が青年の頬に添えられる。ヒヤリと冷たい手のひらに、宿った熱が僅かに攫われていく。あ、と思った時には、至極自然に顔が近付いて来ていた。青年は反射的に瞼を閉じる。開かれたまま、しっかりと青年の顔を捉えている氷の瞳は溶けてしまいそうなほど緩んでいる。ふたりの吐息が、届く距離。シンとした空間に、争乱を思わせる音が飛び込んできたのは、今まさに、と言うタイミングであった。
 窓硝子を突き破って室内に転がり込んできたのは手のひらサイズの球。それが、床に触れると同時に、爆発した。殺傷目的で作られていないらしいそれは大きな音と小さな木片を撒き散らしてふたりの間に流れていた雰囲気を文字通り爆散させた。男が咄嗟に庇ったおかげで大きな音に肩を跳ね上げただけで済んだ青年には、放り込まれたそれに覚えがあった。
「いけ好かない臭いがする――あの時と一緒だ」
唸るような愚痴と舌打ちが男から聞こえた。青年から身体を離して、扉を睨みつける。
 扉が蹴破られるように開いたのは、それとほぼ同時だった。
「デズ、大丈夫か?!」
実際扉を蹴破ったのだろう、上げた足で勢いよく踏み込んで来たのは留守番をしているはずの青年。男の背中越しにその姿を見た青年の顔は未だ朱い。それに気付いたからか、男が青年を守るような位置に居るせいか、乗り込んできた青年は蟀谷に青筋を立てている。その腰にはメイスが提げられている。本気だ――、と青年は直感的に思った。
「お、おいアンタ――逃げた方がいい。エツ兄は俺が知ってる中で一番の腕利きだ」
縋るようにその背に言う。だが、当の男は鼻をひとつ鳴らしただけで退く様子を微塵も見せない。
「アンタ、じゃない。アレックスだ」
「なっ、こんな時に何言って……!」
「デズ!!」
「行くな」
手を伸ばして、言外にこちらへ来いと叫ぶ青年の方を見るも、男の声に足を出すことが躊躇われる。どうしたものかと眉を下げる青年だった。痺れを切らした青年が、ナイフを投擲する。急所に向かって真っ直ぐに放たれた銀の刃。大抵の獲物ならばそれだけで仕留めることができる、その威力をよく知っている青年は男の背後で目を瞑った。生温かい赤が、白い肌から溢れる様を脳裏に浮かべながら――だが、その嫌な温かさは訪れず、代わりに鋭い金属音が耳に届いた。カキン、カン、と言う、金属同士がぶつかり合ったような音。
「――……っ?」
恐る恐る瞑っていた目を開くと、男の腕が変化していた。大きな爪を持った、大きな腕。ナイフを投げ、そしてすべて弾き返された青年が、どこか面白そうに舌舐めずりをする。
「正体見せたな、この野郎」
よくない。これは――本格的にヤバいぞ、と青年は焦る。あの表情は、仕事の時に浮かべるそれによく似ている。
「おい止めろってふたりとも! 話し合えば良いだろ!」
このままでは何方かが、最悪双方ともに命を落としかねない。ジリジリと睨み合うふたりを如何にか止めようと青年は声を上げる。だが悲しいかな。両者ともに退くつもりは毛頭ないらしい。
「いーや。コイツは生かしておいちゃいけない気がする。っていうか、現に住人の姿が見えない家ン中で俺のデズと何してたのか――それだけで万死に値するね」
「お前こそ、いい雰囲気のところ乱入して来やがって……空気読めないにも程がある。つーか、番ってるわけでもないくせに気安く俺のとか言ってんじゃねぇよ」
「ハァー? 何言ってんだよお前こそ。あのな、俺とデズは昔ずっと一緒に居るって婚約も同然な約束したんですー!」
「?! いやいや、それホント小さい頃のことだろ!ノーカンだろ!」
「本人がノーカンっつってんじゃねぇか」
「おいおい……照れなくてもいいんだぜ……?」
殺気だけは色濃く、ふざけた口論は続く。
 ピンと緊張の糸が張り詰めていること自体は本当だが――この妙な空間を如何しようかと青年は一人頭を抱える。穏便に、済ませたい。けれど、自分に何ができるのか。片や集落一と謳われる者。片や只者ではない狼。ひとりで同時に如何にかできるとは思えない。悶々としているところに、窓から飛び込んでくる飛来物。それは先程放り込まれた爆弾によく似ていた。
 控えめな爆発音と、広がる白煙。予想外の展開に三者ともついていけていない。世界を覆う白煙に、目を奪われる。各々が独自の視界に切り替えるまでの一瞬に、青年に近付いた影があった。
「こっちだ、早く!」
青年の手が掴まれ、引かれる。抑え気味の声には覚えがあった。集落の住民だ。青いフードが印象的な、青年の姿。牽かれるまま家から転がり出ると、やはり青いフードを被った青年が手を握っていた。
「とりあえず家に戻ろう」
「でもエツ兄がまだ中に――」
「大丈夫だ。殺したって死なないヤツだって、知ってるだろ?」
とうとう金属のぶつかり合う音が聞こえてきた背後を振り返る青年の表情は、至極不安げだった。中で人外の戦いが繰り広げられていることは想像に難くない。
「信じろ」
不安を拭い切れない表情を浮かべる青年に一言そう言って、青いフードの青年は来た道を集落へ向かって戻っていく。結局戦場となってしまった家とその住人へ、走りながら胸の中で手を合わせる。あとは――無事を祈るばかりだ。
「そういえば――アルノもそうだけど、エツ兄はどうしてあのタイミングで家に……?」
道行き、ふと浮かんだ疑問をぶつけてみる。手を牽いてくれている青年は、今日は街の方へ用があると昨晩言っていたはずだ。
「んー? まぁ、虫の知らせ……っていうか、烏の知らせ? みたいな、かな」
返ってきた答えは要領を得ないものだったけれど、話を聞く限り、既に街での用事は済ませてあるらしい。
 無事集落に辿り着いたふたりは仕事から帰ってきていた男に今日の出来事を報告した。男は心なしか苦い顔をして、そうか、と呟いた。それから、お前は俺たちが守るからな、と言って青年の頭に優しく手を置いた。
 その日の夕暮れ時、ようやく親戚の家から青年が帰ってきた。腰に提げられたメイスに赤が付着している。服にも黒く酸化しかけている赤。切り傷や擦り傷を拵えて、それでも自分の足で帰還を果たした青年の表情はあまり晴れやかでない。
「良かった、無事だったんだな!」
「だから言ったろー?」
「仕留めたのか」
「ダメだ。仕留めそこねた……クソ」
汚れた服を脱ぎ、シャワーを浴びた青年はソファにどっかりと陣取って頬を膨らませている。その手当をしようと救急箱を持って来てソファの前に腰を下ろした青年の背中にダラリと凭れると、重たいぞ、と抗議の声をあげられる。救急箱から消毒液とガーゼ、包帯、そしてそれらを留めるテープを引っ張り出した青年は、ふと訊きたかったことを思い出す。
「そういえばあのサクランボ爆弾、アレって爺さんのだろ? 勝手に使っていいのか?」
昼間に視線を遣った箪笥の上。そこに飾られた写真立て。そこに再び視線が向けられる。手当を受けている青年とよく似た壮年の男性の写真の近くに、彼が更に歳を重ねたように見える白髪混じりの髪を持つ男性の写真が立てられていた。
「良いの良いの。爺さんのものは俺のもの。オッサンのものも俺のものだから」
「あのなぁ……」
胡乱気な眼をする青年だった。件の爺さんは、花を摘みに行ってくると言って三日程帰ってきていない。
 ダイニングテーブルの方に腰を下ろしている男ともうひとりの青年はギャアギャア言い合いながら手当を施し施されをするふたりを眺めている。
「で、アルタイル。どうします?」
「あぁ。間違いなく接触を図ってくるだろうな」
渋い顔をする。そこに、会話を拾い聞いたらしい青年が、ガーゼと包帯だらけで振り返る。
「デズには俺が指一本触らせない!」
その叫びとほぼ同時に玄関の扉が開き、屈強そうな青年が帰ってくる。
「ただいま……その怪我、どうしたんだ?」
「おかえりコナー。今日はどうだった?」
「普段通りだ。そういえば、手負いの大きな狼を見たな」
「コナー!」
食いついたのはソファを陣取っている青年。ガバリと身を起こして帰ってきたばかりの青年の名を呼ぶ。
「そいつ! 狩ったか?!」
何故か必死の形相で捲し立てる青年に眉を潜めつつ、問われた側はアッサリと首を横に振った。
「いや。もう十分に狩ったところだったからな。無駄な殺生はしない」
「ヤーマァアアアアア」
悲痛な叫びが響き渡った。
 一通り手当を終え、救急箱を片付けて来た青年はダイニングテーブルの一席に就く。
「つーかさぁ……アンタらなんでそこまで俺を気にかけるんだ?」
ちょっと過保護過ぎないか、と肘を付いてやや呆れ気味に尋ねてみるとキョトンとした顔がふたつ。しかしそれも一瞬で、次の瞬間には朗らかな笑い声が漏れ聞こえてきていた。純粋に笑われたと思った青年はムッと顔を顰める。青年の機嫌が傾いたことを察した先客ふたりは未だ笑いつつも、真摯な眼差しでしっかりと青年を見詰めて言う。
「お前は俺たちの大事な存在だからな」
「自分たちの命と同じくらい、な」
「……そんな、俺、そこまで、」
口篭った青年を捉えるふたつの双眸はどこまでもやわらかい。
「わかるさ――いつか」
「わかる日が来る。ぜんぶ」
 それから数日後。集落の付近、日によっては集落内で大きな狼が目撃されたり、集落一の実力者と激しい戦闘を繰り広げる詳細不明の男の姿が目撃されるようになったとか。

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