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 空が青い。白い染み一つ無い空の下には、やはり青い海が広がっている。

「こんな良い日に態々なァ…ホント、イイ趣味してらっしゃる」

眼下にぽつぽつと見える鉄の要塞に同情を述べる男は、しかしその顔に何処か楽しげな影を浮かべていた。海上の相手には未だ気付かれていないらしい。

 任務は至極単純明快。領海内に侵入した敵国の艦隊を迎撃すること。撃沈させようが大破なり小破なりをさせ自国の海軍に引き渡すかは自由。艦隊を構成しているのは航空母艦一隻とそれを護衛する巡洋戦艦二隻、駆逐艦四隻。潜水艦の有無は未確認。但し艦上機は此方側と同程度か、やや新しい程度の型である為、数で優位に立っていると言っても油断しないこと。

 鈍く輝く機体に描かれた二つの紋章は同盟を表すもの。双方の気高さと荒々しさを体現したようなその塗装が施された機体――しかしこの機体は何時も仕事を共にしている機体では無い為、同型と言っても多少の違和感を感じる――を駆る男は無線を飛ばす。

「準備は良いか。これより行動に移る。油断するなよ」

返ってくる元気の良い返事に微笑なのか苦笑なのかよくわからない笑みを浮かべて合図を出す。次々に海上へ近付いていく機体を見送りながら自身の後方を飛ぶ機体からの通信を受ける。

「戦闘機同士では無いとはいえ…大丈夫なのか?」

「心配ですか?」

「馬鹿を言うな」

「大丈夫ですよ。高角砲が怖くないと言えば、まぁ嘘になりますが――ドッグファイトよりかはマシでしょう。初陣には調度良いんじゃないですかね」

下方で機体たちが飛び立つ前に墜としてしまおうと航空母艦を重点的に叩いているのが見える。立ち昇る水柱。散る火花は赤く鮮やか。対する海上の敵も振り払おうと牙を剥いている。

「主役の座を降ろされたとはいえ――まだまだ花形と言ったところか…」

戦闘機を航空母艦に寄せ付けまいと空を睥睨して吠え立てる巡洋戦艦を眺めて言う。

「――さて、それじゃ私たちも行きましょうか」

軽く、近所を散歩しに行こうかと言うような軽さで、合図を送り、自分たちも眼下の戦場へと舞い降りていく。

 斯くて海上演習もとい実践訓練は、航空母艦一隻を大破、行動不能にし、巡洋戦艦一隻を大破、もう一隻を小破、駆逐艦二隻を沈め海上の友軍に引き渡すと言う、上々の結果を出して無事終了した。幾らか被弾した機があるようだが、一機も墜ちていないのだから無問題だろう。労いの言葉を投げ、帰路に就く。飛行場に着いた後、整備員は忙しくなるだろうことが容易に目に浮かぶ。

 ぽつぽつと灯りが見える。陽が落ち切った、山の向こう側に見える光はひとの灯したもの。頭上に散らばる無数の光は星の慟哭。その海に浮かぶ大きな青白い月は、落ちた陽の光を映したもの。何処に居ても、見上げれば――その光景に多少の差異はあるのだろうが――同じ空が見える。生まれ故郷から離れ、山間にひっそりと佇むこの飛行場に招かれている者は空を仰ぐ。こんなに綺麗な星を見たのは、久しぶりかもしれない。脱いだヘルメットを手に提げながら舗装された、元砂利道を歩いていく。愛機は既に整備庫へ入ってる。調子が良く、特にこれと言った問題が無ければそろそろ出ていてもおかしくない時間である。いつもとは違う機体に乗って熟す仕事は思いの外動き辛く、慣れ親しんだ機体の有難味がじわりと身に染みた。

 ふらふらと宿舎に向かって歩いていく、その途中、機体を整備するための建物の前を通りかかると、そこには男と同じように飛行服を纏ったまま、屋内を見詰めているひとが居た。そのひとは、男が指導と言うか手解きと言うか何と言うかをしている上官、と言う至極ややこしい関係であり、恋仲でもあると言う、そんなひとだった。既に自室に戻っているものとばかり思っていたが――どうかしたのだろうかと、近付く。

「どうか――しましたか?」

その声、言葉に、嗚呼と特に驚いた様子も見せずに視線を寄越ず。

「別にどうもしない。見ていただけだ」

何を見ているのだろうと、すぐ隣に立って、先程まで眼が向けられていた方に顔を向けてみると、奥にはそのひとの愛機が整備を受けていた。描かれた気高い紋章が火花に彩られている。速度よりも防御に重点を置かれた機体は多少無理をさせても大丈夫なように造られている。そしてこの機体を文字通り身を挺して守るのが、速度と攻撃力に重点を置いて造られた男の機体だった。

「不備でも見つかったんですか?」

「いや、不備は無い。ただ、」

「休ませているんですね」

「……そうとも、言う」

何も無い、生まれ落ちた地上では無い空の上で身を委ねられる唯一のものは己の乗る機体だけ。そうなれば自ずと乗り慣れていく機体に愛着のようなものが湧いてくるわけで。意思の無い、量産された金属の塊だとしても、相棒と呼べるようになる。

「俺の機体も今日整備されてたんですよ。もう戻って来てると思いますけど」

「あぁ――だから今日はいつもと違う機体に乗っていたのか」

速度と攻撃力が重視されている男の機体は、他の型と比べて機体数は少ないとは言え、多くの国で採用されている。勿論此処にも数機が配備されていて、今日のような日が在っても滞りなく事を運べる。それに対して、今言葉を交わしているひとが操る機体は速度が防御力に置き換えられている。その為採用されている数は少なく、此処にもまた何時も使われている一機と、予備が一機在るだけだった。ふらりと立ち去ろうとするひとの背中を一拍程遅れて追う。

「何処へ? もう、良いんですか?」

「部屋に戻るだけだ。機体の方は、あと三十分もすれば終わるだろう」

暗闇に溶けきらない銀の隣に並んだ金は、それならと提案する。

「それでしたら、少し付き合ってくださいよ」

その言葉に、僅かに首を傾げた銀は、しかし諾の意を持つ答えを返した。至極嬉しそうな顔をして、宙ぶらりんになっていた手を握る。

 固い長椅子の上に座って、虫の声や鳥の声に耳を傾ける。戦闘機を降りた、飛行服のまま、現実から少し距離のある所に居る。滑走路や管制塔や宿舎なんかの、あらゆる建物が聳えている場所から、数分歩いた先にある、人気の無い森の中。踏み入ってからそんなにしていない筈なのに、そこにひとの空気等無く、シンと静かな空間が心地良い。誰が何の目的で設けたのかは知らないが、ふたりで座ると丁度良い、寂びれた長椅子は男のお気に入りになっていた。空いた時間に此処で昼寝をしたり一服したりしているのだ。言うまでも無く、他のひとに口外などしていない。

 空には綺麗な光が灯っている。何を話すでもなく、ただふたりで空を見上げている。

「……久しぶりかもしれない」

そんな穏やかな空間の中で、ぽつりと銀が呟いた。

「何がですか?」

金が訊く。夜の暗幕に包まれても尚その煌めきを失わない若草色の双眸が瞬いた。銀の、平生よりも幾分か青みが増して桔梗色になった双眸が、やさしい弧を描いている。

「星だ。こんなにゆっくり夜空を見たのは、久しぶりかもしれない」

「あぁ――そうですね。俺も、久しぶりですよ」

「綺麗だ」

「……そうですね」

残念ながら――貴方の方が綺麗ですよ、という類の言葉をその場で吐けるほど気障な精神を持ってはいなかった。持ってはいなかったし、そんな言葉を贈ってみたところで似合わないと笑われるだろう。それでも、笑顔が見られるなら良いかな、なんて思ったりもした。道化のように、慕うひとの為だけに踊ってみようかと、愚かな。

「月が、綺麗ですね」

うっかり恋に堕ちてしまった軍人はぽつりと戯れを微かに乗せて呟く。

「それは――その言葉には、死んでもいいと、答えればいいのか?」

わらう桔梗が若草を撫でる。まさかそんな答えを受け取るとは思っていなかった男は僅かに目を丸くして、それから存分に破顔した。無邪気なその表情は確かに男を幼く――或いは人懐こい犬のように――見せていた。

 蒼白い月と煌めく星が浮かぶ空の下、人の喧騒から離れて手を取り合うふたりは確かに幸せだった。今も何処かで戦火が大地を焦がしているだなんてことを、忘れてしまう程度には。

 心地良い静寂は騒々しい警鐘によって打ち砕かれる。眉を顰めたくなる音が、眩い刺激色と共に飛び交っている。余韻に浸かっている間も持たずに勢いよく立ち上がり、側に置いておいたヘルメットを引っ掴んで揃って飛行場の方へと舞い戻る。すると案の定そこには忙しそうに走り回っている整備員やら誘導員やらが居て、急を要することが鮮やかに見て取れた。

「どうした!何があった!」

適当に、近くに来た――まだ若く見える――作業着を着た男性を掴まえて訊く。

「――ハッ、えっと、敵!敵襲です! 国境まで来ているらしくて、」

「何処からのお客さんだ」

「おそらく、昼間に迎撃した処からかと」

「そうか」

短く答えて、上がった口角を隠そうともせずに声を張る。

「俺の機は何処だ!」

「出撃なさるおつもりで?!」

目を丸くした作業着の男性に男はさも当然だと言わんばかりに頷く。

「直ぐに出られるヤツが出なくてどうする!」

「しかしお一人では…!」

「私も行く。ひとりではない」

言い争う二人の横から声が入って来る。その声は当然銀のもの。金の双眸が丸くなる。幾分か鋭さを潜めた若草色を見とめた桔梗色は怪訝そうに細められる。

「えっ」

「なんだ」

「いや……なんでもないです」

おそらく言っても聞かないだろうと――同時に、やはりひとりでは心許無いと、思った男は差し出された手を牽いた。そうした理由の中に、少しでも一緒に居られたらと言う願望が含まれていたとしたら、それはなんとも浪漫的なことではないだろうかと、男の旧友は後にわらった。

 見慣れた機体が滑走路を滑っていく。機体に描かれた紋章は威風堂々。空を裂く翼は鈍く鋭く。咆哮を上げ地から飛び立った大きな鳥を見送る地上に一瞥も寄越さず、番のように寄り添って駆けていく。未だ警告を促し続ける眩い光と音を背景にランデヴーでもしているかのように飛ぶふたつの影は、しかし腹を空かせて獲物を探す猛禽の姿にもよく似ていた。

「最高の夜空じゃあないですか。ふたり占めですよ」

「安っぽい台詞だな。また何か本でも読んだのか」

空から訪れる厄災から、守るべきものの安寧を護るために翼を広げる。

「相変わらず手厳しい」

しかしそれは、どの空にも言えることで、誰にでも思えることだった。

「報告によると敵機は五機だそうです。援護が寄越されると思いますけど……無理は禁物です」

「それはこちらの台詞だ。間違っても墜ちるなよ」

そんな、出会った当初からは考えられない軽口を叩き合いながら飛ぶこと数分の後、丁度国境の辺りで漸く彼らは相対する。

 やけに古風なペイントが施された機体が五つ、正面からやってくる。男たちが駆る機体よりも一回り程明るい色で塗装されているのは、自信の表れだろうか。幾度も戦火を潜り抜けてきた国を表す機体は、やはり同じように幾度も戦火を潜り抜けてきた猛者に変わりない。相手として不足は無いだろう。夜の空に紛れきらない機体と、紛れる気の無い機体。

「帰ったら何飲みましょうか?」

「帰ったら寝る。一択だ」

「……ツレないですねぇ」

けれど明るい色が乗った声音とそれに答える声は剣呑な空気を持っておらず、共に生還することが当然なのだという思いが垣間見える。そしてそれは、相手側でも交わされていたのだった。このような場に長く立っているという事実から来る慣れ――それは慢心とも――は命取りになると言うのに、何故かと、それは。

 ドッグファイトと、呼ばれている。犬同士が尾を追いかける様から由来して、戦闘機同士が己の火器の射界に相手を捉えようとする空中での戦闘は、空中戦闘機動の中で、そう呼ばれている。

 先に仕掛けたのは、相手側だった。正しく突撃騎兵の如き速度と陣形で突っ込んでくる。一撃離脱を主としているのだろうか、二機を引き離し各個撃破するような攻撃を仕掛けてくる。けれど折角向こうから近付いてきてくれるこの騎兵たちをあっさりと逃す理由など何処にもない。一撃を避け、離脱させまいと――自分の場に引き摺り込もうと喰らいつく。

「なんてまァ、血気盛んな……」

「ひとのことが言えるのか」

「あ、きいてました?」

「態とらしい……」

お世辞にも駿足とは言えない機を駆り、その枷を思わせない見事な機動を見せるひとに感嘆を表しつつ、自身も敵機を一機ずつ刈り墜としていく。

 ぐるぐると風景が回る。空が下になり、大地が上になる。猛禽類のように優雅且つスマートな飛び方ではないだろうということは十分知っている。知っているし、そんな飛び方が自分たちにできないことは解っている。楽しむために飛ぶのではないから。生きる為に、と言う点においては同じだが、生きる為――それも同じように飛ぶ相手を殺す為に飛ぶ自分たち人間に、鳥類のような飛び方はできない。指に少し力を込めれば、その瞬間で生死が分かれる。小さなボタンを押し込む。そうして放たれる、ちっぽけなクセにその身に十分過ぎる破壊力を携えた鈍色は乱舞する。激しく鎌首を擡げる赤。逃げるように尾を引く黒。悶えるように四散していく機体だったもの。ベイルアウトしているパイロットを視界の端に捉え、その行く末を想像して、男は胸中で――敵とは言え――無事を祈る。戦闘機から無事脱出できたとしても、そのまま生きて祖国の地を踏めるとは限らないのだ。一機墜とし、一機墜ちるのを見送り、そうして残っているのは共に二機。

 地平線の縁が心なしか白んできている。援軍は未だ飛来しそうにない。無線が入る。

「状況はどうだ。何とかなりそうか」

凛とした声。

「えぇ。特に問題はありません。そちらは?」

「少し被弾した……まぁ支障にはならないだろう」

並の戦闘機なら致命傷となりかねない被弾も、速度を犠牲にして頑丈に造られたこの機ならば、然したる傷にはならないことが殆どだ。現に今だって平然とその機体は宙に留まっている。

「さて……まだ援軍は到着しそうにありませんが――如何します?」

嬉々とした声。このまますべての機を墜として帰るのだと、覆い切れない色が見え隠れする。命の遣り取りを、楽しんでいるかのようなその色。その色を塗り潰して、帰投するという選択肢を取れば今日――日付は既に変わってしまっていたけれど――は眠れなくなるかもしれない。相手は、遊びを強請る犬の相手をするような気分で戦闘継続の意を示した。ぐるりと、男が駆る機体が空を掴み、蹴る。それは正しく戦いを楽しむ姿だった。けれどおそらく、男自身は自覚していないのだろう。

 また、どこかで聞き慣れた音がする。嗚呼また一機墜ちるのかと、さてどちらの機が墜ちるのだろうと、興味本位で其方を見遣る。

「――、」

そして男は絶句した。良く見知った、自分の機体の次に把握しきっている機体だという自負する機体が、炎を上げている。

「ちょ、だ、大丈夫ですか?!」

予想外の事態に、珍しく声が上擦っている。その声を聴いた相手は平生と変わらない声音――しかしやはりその珍しさに、こんな状況だと言うのに面白そうな色を浮かべて――で答える。

「狼狽えるな。掠っただけだ」

「いやいやいや。掠ったってレベルじゃないでしょう、それは」

「足手まといにはならない」

あぁこれは引かないな、と男は観念する。出来れば此処で引き上げるか――或いは先に帰投してもらいたいところだが、どちらも却下されてしまうのは目に見えている。

「……無理は、くれぐれもしないでくださいよ」

ギリ、と歯が鳴る。打ちかけた舌の音と顰めた眉と込めた力は、何に対しての不満を表したものだろうか。不鮮明な雑音が絡まった声が聞こえる。

「墜ちるなよ」

 そもそも、其々が単独で敵機を撃破していき同数にまで数の差を削り落としたことが感嘆すべきことで――男たちの腕を認めることが出来る最大の事実だろう。実際に男たちの腕は確かだった。またその敵の腕も確かだと言うことを疑う余地は無い。そうでなければ犬死なぞはしていない。

 嫌な音。何度も見てきた光景で、ふ、と短く息を吐く。これであと一機。しかしそれももう時間の問題で、この勝負は貰った、と余裕を持って――。

「なん、」

持って、それはいとも容易く奪われた。墜ちていく影はふたつ。ふたつ、だった。

「ちょ、何して、否、そうじゃなくて、早く脱出を!」

「五月蠅いぞ――あぁ、否。そうだな。脱出は出来そうにない。電気系統がやられたらしい……此処までのようだ」

眼下には小さな灯の群れと、静寂に横たわる山岳。不時着できるような場所は無い。

「何言ってるんですか! 俺は兎も角、貴方は生きて帰らなきゃダメでしょう!」

徐々に高度を下げていく機体を見ていることしか出来ない無力感が男を襲う。叫ぶ男とは対照的な、己の往く道を受け入れているらしい相手の態度に、叫ぶ。

「あんたは! あんたに死なれたら困るんだよ! 俺の立場は!これからは! どうなるって言うんだよ!」

それは、その言葉はきっと。

「なぁおい! だから――頼むから!死ぬんじゃねぇよ!」

愛の言葉にも等しいものなのだろう。

「あんたと、まだ話したいことが、話さなきゃならないことが、山ほどあンだよ!」

不器用な、決して美しいとは言えないその言葉を贈られた者は笑みを零す。勿論それは誰の記憶にも残りはしない。けれど、文字通り死んでもいいと、笑う。幸せだと、思った。自分は、こんなにも想われているのだと、こんな状況だと言うのに、笑い声が堪えきれずに、漏れた。

「頼むから、お願いですから、」

水気を帯びてきた声。

「ふふ、ははは――なぁ、」

「はい」

忠犬よろしく反応を寄越す。この犬の、飼い主であれたならと、幾度思ったことか。けれどおそらく、こうして出会ったからここまで溺れたのだろう。相手に向けられる言葉。それは例の如く、上に立つ者の言葉として男に贈られる。

「忘れるな」

「はい……?」

「私の名を――お前を愛した愚か者の名を、忘れるな」

そうして、まるで御伽噺に登場する凛々しい竜騎士のように愛機を駆って、そのひとは最後に残っていた敵機に突っ込んで行く。案の定、刺し違えた二機は絡み合って墜ちていく。

 色鮮やかに染まり始める空。静けさを取り戻した空は独り残った男とその機体を包む。これが戦いというものだと、頭では理解しているつもりだが、やはり胸の内に残った重苦しい色は拭い切れない。これが戦いか。大切な何かを喪い、自分の為ではない何かの為になるものを得る、これが今まで自分のしてきたことなのかと。遅れて、漸く友軍機が現れる。何らかの妨害を受け、あちらもまた敵機と交戦していたらしい。けれどこちらにはもう必要のないものだった。もう終わってしまった。忘れるなと、憶えていて欲しいと言ったあのひとが描いた理想は、きっと叶わない。それを望んだひとが居なくなってしまったのだから。そしてまた男が留まる理由も無くなってしまった。

「さようなら……悪くない、蜜月でしたよ」

留まる翼は永遠とはならず

(次に羽を休めるのは、何処になるのか)(或いは、おちていく道を選ぶのか)

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