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元ネタ:ARIA -Navigation 38 墓地の島-

スタ音と大帝音波が強め……?

​サンクラくんノイメイくん音波さんは同じ学校で仲が良い。

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 その日は燦々と陽の降り注ぐ、よく晴れた日だった。

 考査期間ということで、半日で終わった学校の帰り道、ひとりの学生がカフェに立ち寄っていた。店内が満員だということでオープンテラスの方に腰を下ろしている。大きなパラソルが影を作っているし、まだ風もあるが――やはり文明の利器で冷やされた店内が良かったなァ、と制服の下に水色のシャツを着た学生ことサンダークラッカーはテーブルに突っ伏した。けれどあとふたり、仲の良い学生が来るのだから待つしかない。学校からほど近く、三人が知っている手頃な合流場所と言えばこのカフェなのだから仕方がない。注文したメロンソーダを飲みながらふたりを待つ。

 日陰と風がもたらす涼やかさに目蓋を閉じていたサンダークラッカーが目を覚ますと、テーブルの空席はひとつ埋まっていた。視界に入った人影に飛び起きると、膝が勢いよくテーブルの裏にあたってガタンと音がした。

「サッ、サウンドウェーブ!いつの間に来たんだよ! って、ぅあ、痛ぇ!!」

「……フフ。サンダークラッカーはいつも元気だな」

ガタンゴトンとひとり騒がしいサンダークラッカーを微笑ましげに眺めながら、彼が気付くまで優雅に読書に勤しんでいた学生――サウンドウェーブは言う。一年の内、半年以上はバイザーとマスクで何故か顔を隠しているのだが、さすがに夏の間はマスクを外していることが多く、今日もまたつくりの良い顔を覗かせている。ゆるりと弧を描く口元とバイザーの奥で細められている双眸に、ひとつしか違わない歳の差――年上の余裕――を見せつけられているようで、サンダークラッカーは頬杖をつきながら唇を尖らせる。

「ノイズメイズは少し遅れる。部活のミーティングが入ったらしい」

そんな後輩の様子に気付くことなく、再び本に視線を落としたサウンドウェーブは最後の一人――ノイズメイズが来るまで少しかかる旨を知らせた。

「部活のミーティングねぇ……顔出してこなくて良かったンすか?」

「ん? あぁ、いや、私は部員ではないからな」

サウンドウェーブは事も無げに言うが、帰宅部なのにひとつの部室に入り浸る彼のことは校内でもそれなりに有名である。

「……別に、いつもベッタリなわけじゃないぞ?」

ジットリとした視線を向けてくるサンダークラッカーに苦笑を返す姿はその意図を察していないようだった。まだ仲の良い後輩としか見られていないらしい。肩を落としながら適当な返事をする。幼馴染だか遠い親戚だか知らないが、このひとと一緒にいられる時間の多いノイズメイズが羨ましい。こんな綺麗で優しいひとと並んで歩けたら――良いなぁ、と思うのだがこんな現状では望み薄である。活字の世界に集中し始めた先輩を眺めながら小さく息を吐く。

 サンダークラッカーの集中力はあまり長く続かない。

「なぁなぁ、センパイ、」

道を行き交うひとびとを眺めることにも早々に飽きてしまった後輩は読書に没頭している先輩に声をかけた。そうすると、ん、と声が返ってきて、紙面から視線が上げられた。読書の邪魔をされたというのに、その顔はごく穏やかである。

「なんだ?」

「折角こう暑いんだし、ひとつ怖い話なんて聞いてみたりしねぇ?」

相手の視線が自分に向いたことで、それだけでサンダークラッカーの気分は良くなった。ああ、と促したサウンドウェーブの声が僅かに強張っていることには気付かずに、語って良いと下された許可に従い、サンダークラッカーはウキウキした様子で口を開く。

「この土地にオレたちの先祖が入って、開発が始まってすぐの頃の話なんだけどな――昔、この辺りでは流行り病で多くの犠牲者が出たらしい。体力の少ない老人や子供だけじゃなくて、俺たちくらいの若いやつらも次々に死んでったって。もちろん死者を埋葬するための墓地や霊園の準備は急ピッチで進められた。けど、掘っても掘っても追いつかない墓穴は、死体の上に土をかぶせてその上に死体を重ねて、ようやく丁度いいってくらいだったらしい。もちろん、長い年月が過ぎることでその墓地や霊園は建物や駐車場なんかに姿を変えていったみたいだけどな」

「…………だが、それだけなら当時よくあった話じゃないのか?」

「そう。こんだけならよくある話なんだけどよ、本編はこっからなんだよ、先輩! そんで、しばらく経って、ようやっと流行り病が落ち着いて来たってところで、ある青年が病に倒れた。医者も村人も、そいつ自身も油断してたんだろうな――その青年はあっという間に亡くなった。そしてそいつはその流行り病で死んだ最後の一人だったらしい。で、問題になったのが遺体の処理だ。それまでの犠牲者でもう一杯になっちゃってたんだな。どこに埋葬しようにも空いてる場所が見つからなかった。だから周囲は――どうしたと思う?」

いつもは愛嬌のある柑子色の目を妖しく細めてサンダークラッカーは笑みを浮かべる。

「周囲は仕方ない、やむを得ないとして、その青年の遺体を川に流すことで弔うことにした。当時はまだ全然人が居なかったしな……海にでも出ちまえば魚や鳥に任せれるって思ったんだろ。でも青年の遺体を流してから数年後には妙なことが起き始めた。この辺で近くの霊園や墓地まで案内してくれ、と人に頼む青年の姿が目撃され始めたんだよ。それも、丁度件の青年の遺体が流されたっていう日暮れから夜の時間帯に! けど、案内を頼まれても親切なんかしちゃいけないし、しない方が良い。何故ならそいつは案内してくれたやつを自分側に引きずり込んでしまうから――夜の世界から帰ってこられなくなる…………ってな。こんな感じの、この辺に伝わってる怪談なんだけど、先輩、どうだった?」

「え……あー……いや、まあ、よく地元に根差している話だと思う。初めて聞いたが、よく出来ているんじゃないか?」

ヘラリと、今度は見慣れた、いつもの愛嬌のある笑顔を見せた後輩に、先輩は頷いて見せる。曰く、暑くなってきたので近所に住んでいる老人に何か面白い話はないかとせがんだところ、教えてもらったらしい。娯楽の増えたこの頃では誰も――特に若者たち――語らなくなっていて、知らなくても無理はないだとか。

「先輩どうせ作り話だとか思ってんだろうけど、どうもホントに出るみたいだぜ? この季節に黒っぽい服着た怪しい男が! サウンドウェーブ美人だから気を付けた方が良いと思うぜー?」

「なにを言って――あ、」

上機嫌に喋るサンダークラッカーの背後に、ヌッと人影が現れる。それに気付いたサウンドウェーブがぽつりと声を上げた。

「へ? なに――って、ぁいだだだだだっ!」

相手の視線が背後に向けられたことで振り向こうとするも、時は既に遅かった。ふたつの拳がサンダークラッカーの頭をゴリゴリと締め付ける。

「なァに、いっちょまえにサウンドウェーブ口説いてんだお前!」

「痛い痛い痛い! 痛ぇよバカッ!放せコラ!」

「ミーティングは終わったのか、ノイズメイズ?」

「ああ。待たせて悪かったな……まー、ミーティングって言うほど大したもんじゃなかったけど」

涙目で机に突っ伏するサンダークラッカーを、そうした張本人にも関わらず、我関せずという素振りでサウンドウェーブに答えたのは言わずもがな、ふたりが待っていたノイズメイズである。

 三人揃ったところで、残っている考査対策のために教材を広げられる場所に移る。

 やいのやいのと言い合いながらペンを走らせページを捲ること数時間。日が暮れ始め、周囲が暗んでくる時間帯になっていた。

 周囲の暗さと時計の針を見て、そろそろ帰った方が良いと誰からともなく言い出して、三人は帰り支度を始めていた。

「そうだ、ノイズメイズ、今日は先に帰っていてくれないか?」

不意にサウンドウェーブから言われた言葉にノイズメイズは首を傾げた。

「良いけど――何か用事でもあるのか?」

「キラーコンドルの見舞いだ」

「あぁ、」

そう言えば彼の愛鳥が風邪だか怪我だかをして、一昨日頃から動物病院に預けていたな、とノイズメイズは思い出した。ならば先に帰って夕食を拵えて、風呂の準備もしておいてやるか――と遠縁とは言え、親戚の家に下宿させてもらっている身の彼は思った。学生一人で過ごすには、あの家は少々広すぎると思うのだ。

「わかった。でももう暗いから気を付けてな」

「わかっている。大丈夫だ」

実に仲睦まじいふたりの様子を見ていたサンダークラッカーが拗ねた子供の様な声を出す。

「あー、サウンドウェーブん家、いいなー。オレも行ってみたいんだよなー」

「来なくていいぞ。むしろ来んな」

「なっ、何言ってんだよ!家主でもないくせに!居候のくせに!」

「居候とか言うな!下宿生って言え! つーか俺たちは家族みたいなモンだから良いんだよ!」

「……夏休みにでも来ればいいだろう? 部屋ならまだ余っているんだし」

キャンキャンと言い合いを始めるふたりを、仲が良いなぁと思いつつ、周囲の視線を集めないようにと早々に宥める。ひゃっほう、とガッツポーズをするサンダークラッカーと、ノイズメイズにはどこか不満げな視線を寄越されたが――結果として言い合いは収まったので、気にしないことにする。それぞれまとめた荷物を手に、帰路に就く。

 最初にサンダークラッカーと別れ、しばらく歩いてノイズメイズと別れる。動物病院で愛鳥の容態を聴けば、明日には退院できるという話だった。いつもより甘えたに感じられる愛鳥を撫でてやってから病院を出る。

 カツンコツンと靴底が石畳を叩く。ポツポツと灯った街灯が人気の無い道を照らす。住み慣れた街の、それなりに歩き慣れた道が、異世界のように思える。こういう時に限って音楽プレイヤーは家なのだからツイていない。早く帰ってしまおうとサウンドウェーブは足を速めて帰路を急ぐ。道中、誰かといる時には気にならなかった、サンダークラッカーに聞いた話が、自分の足音と一緒に後ろを付いて来ているような気がした。

 だから、十字路をぼんやりと照らす街灯の下に人影を見たサウンドウェーブが思わず立ち止まってしまったことも、仕方ないと言えば仕方のないことだった。

 コツ、と音を立てて足を止めてしまったサウンドウェーブに、その人影は気付いたらしい。肩の辺りが動いて、振り返ったようだった。人影がいるのは家に帰るためには通らなければならない道である。避けたい気持ちは山々で、遠回りは、できないこともないが、しかしそうすれば更に遅くなってしまう。ならばさっさと通り過ぎてしまおう。そう覚悟を決めて、なるべく人影の方を見ないように早足で再び歩き始める。

「――おい、貴様」

「っ!?」

けれど、静かで落ち着いた威圧感を感じさせる声に引き留められて、結局その人影を通り過ぎることはできなかった。

「ここから一番近いところで良い。私を墓所へ連れていけ」

その言葉にハッとして半歩ほど通り過ぎかけていた人影の方へ視線を向けてしまう。人影の正体はサウンドウェーブよりも幾つか上くらいの青年だった。キャスケットを目深に被っているから顔全体を窺い知ることはできないが、それでも綺麗な顔をしているのだろうことは察することができる。

「……聞いているのか」

「ぁ、あぁ。きいている」

こんな時間に、こんな場所で、ひとりで何をしているのかと不信感は募る。が、不遜な口調ではあっても会話ができることは、サウンドウェーブに安心感を抱かせた。だから得体のしれない青年に好意的な返事をしてしまったのかもしれない。

「案内するくらいなら、構わないが」

「そうか。ならばさっさといくぞ」

「へ? あ、ま、待て!そっちじゃない!」

あっさり踵を返して歩き出そうとする青年の手を半ば反射的に掴んで引き留める。そこでまたひとつ、実際に触れられる相手であるということに、少なからずサウンドウェーブの恐怖心は薄まった。そういえば昔はこんな風にノイズメイズの手を曳いて歩いたものだ、と過去を振り返る余裕すらできた。

 とはいえ、日が落ちて暗くなった道を特に会話のないまま歩いていれば、自然と昼間の出来事を思い出してしまう。後輩が語って聞かせてくれた話を、思い出してしまう。ただの地域的な怪談だろう。本当にそんなことが、起きるわけがない。この青年だって、他所から親族か何かの墓参りに来て――少し迷ってしまっただけかもしれないじゃないか。それで地元の人間をつかまえて、とりあえず近くの墓所へ行って、事務所辺りに墓の場所の確認でもするのだろう。そんなところに決まっている。黒の多い服だって、墓参りならば――では何故こんな時間帯に外に出ているのか。手を曳いている青年のことを考えないように考えないように、意識をすればするほど、一度は鳴りを潜めた不信感と恐怖心がチラつき始める。

 振り返らず、無言で歩き続けること数分。出発地点の十字路から最も近い位置にある墓所――霊園にふたりは着いた。申し訳程度に街灯の光で照らされた入り口の手前で立ち止まる。

「――ここだ」

くるりとサウンドウェーブが振り返ってみれば、青年は霊園の方をジッと見つめていた。自分の方に意識は向いていないと見て、サウンドウェーブは胸中で安堵の息を吐く。

「じゃあ、私はこれで……」

放すタイミングを逃してずっと掴んだままになってしまっていた手を放して、今度こそ家に帰ろう――サウンドウェーブがそう考えて、掴んでいた青年の手を放そうとした時だった。

 フッと離れた手が、他者の手を掴んでいた手が、今度は誰かの手に掴まれる。

「え、」

「ご苦労」

サウンドウェーブが自分の手を見ると、その手首を青年の手が掴んでいた。

 状況が呑み込めず、困惑の声をあげているサウンドウェーブを余所に、青年は彼の手を掴んだまま霊園の中に入っていく。

「しかし私に触れられるとは興味深い。心ばかりもてなしてやろう」

事務所となっている建物と石畳を抜けて、墓石と墓花の広がる広場へ出る。そうして霊園の奥へと向かうにつれて青年の歩く速さは上がっていき、徒歩が早足に、早足が駆け足になっていった。混乱したままのサウンドウェーブは強く曳かれる手の痛みを少しでも和らげようと、ただそれだけで足を動かしていた。痛い、止まってくれ、と言おうとしても言葉は上手く出てこない。ふたりの足が芝生を踏み分けていく音と風に吹かれる木々や墓花の擦れ合う音が夜の霊園に広がる。

 非現実的な自身の状況と周囲の風景にサウンドウェーブが眼を奪われた、その一瞬の視線の変化に彼の身体の動きはリズムを狂わせた。

「――ッ、」

ガッと何かが擦れるような、ぶつかるような音がしてふたりの進行は止まった。見れば、青年は立ったままで、サウンドウェーブは座り込むように地面に手をついていて――その足元には、誰のものともわからない墓石。

「どうした? 早く立て」

薄く汚れのついたスラックスの中、熱を持ったサウンドウェーブの足を気遣うこともなく、青年は掴んだ腕をぐいと曳く。

「はっ、っぅ……ふっ……ぁ、」

思い出したように上がって来た呼吸とジワジワ広がり始める足の痛みを飲み込みながらサウンドウェーブは急かすように自分の手を引っ張る青年を見上げた。

 見上げて、キャスケットの下から覗く双眸が湛える光の危うさに刹那呼吸を忘れた。

 翳ったバイザー越しに丸くなった目と、金縛りにあったように動きを停めたサウンドウェーブを見て何を思ったのか、青年は親切にもわざわざ膝を折って視線を合わせた。

「安心しろ。私は自分が認めたものに対しては寛大だ」

するりと青年の空いていた手がサウンドウェーブの頬を撫でる。覗き込むように近付けられた顔は、やはり整っていて――だからこそ赤みの濃い紫色の双眸が宿す危うさが際立って見えた。逃げ出すことはおろか、逸らすこともできない空気に、呑まれている、と頭の冷静な部分がわらった。

 互いの両目に互いの姿が見える距離。綺麗に形作られた笑顔が視界一杯に広がる。処理能力を超えている事態に成り行きを追うことしかできなくなっているサウンドウェーブは動けない。あ、と意味のない音が零れる。

 けれど、そこで、青年は何かに気付いたように勢いよくその背後を振り返った。

 目の前にあった青年の身体がズレて、サウンドウェーブにもその背後が見えるようになる。そこには、青年の背後には、壮年くらいの男性が立っていた。

 静かに、凪いだ眼でふたりを見下ろしていた青緑の双眸は、しかしすぐに鋭いものへと変わり、青年を捉えた。自分に向けられているわけではないというのに、視線の鋭さにサウンドウェーブは男の眼から視線を外せなくなる。

「――……チッ」

そして睨まれている本人である青年は男に対して舌打ちをした。

「小細工を弄して引き摺り込もうという魂胆か」

「貴様のように力押しで物事を進めないだけだ」

自分のことを鼻で笑う男に、青年は刺々しい声で反論する。しかし男はその反論に対して気に掛ける素振りを微塵も見せなかった。

「知った口を。俺は機を見定めて動いているだけよ」

青年も不遜だという印象を受けたが、この男もなかなか尊大な人物であった――という感想は今日のことを後日思い出したサウンドウェーブが評したところである。

「さて――それで、どうする? 黙って消えれば目を瞑ってやらんでもないぞ? それとも今すぐにでも消し飛ばされたいか?」

「…………今日のところは分が悪い」

背後をとられていては不利だと判断したらしい。苦々しく吐いた青年はサウンドウェーブから両の手を離して立ち上がる。ジリジリと男から視線を逸らさず、霊園の闇の中に後退っていく。そうして、然して時間をかけずにその姿を闇の中に溶かしてみせた。文字通り、跡形も無く姿を消してみせたのである。

 一体あの青年はなんだったのか――へたり込んだままサウンドウェーブは呆然とする。これはすべて夢なのではないかとすら考え始める。

 青年が消えた場所を、呆けたように見つめ続けていたサウンドウェーブの頬を先ほど青年がしていたように、男が片手で包む。手に力を少し込めてやれば、あっさりとその顔は男の方を向いた。そして、男のもう片方の手がサウンドウェーブのバイザーをするりと外した。露わになったその目元を、男の武骨な指の一本――親指が撫ぜる。

 すると、緊張の糸が切れたのか気力が限界に達したのか、サウンドウェーブの身体から力が抜けて、男の方へ倒れ込んだ。

 中性的な細さの身体を受け止めた男は少しだけ目を細めて、それから見た目とあまり違わない重さの身体を、横抱きに抱き上げて立ち上がる。

 二人分の夕食を作り、風呂の準備も整えたノイズメイズが壁に掛けられた時計を見ると、どうにも家主の帰宅が遅れているようだった。事件か事故にでも巻き込まれてはいやしないかと、ノイズメイズは自身の携帯端末を鞄から引っ張り出した。そして手早く電話帳から家主――サウンドウェーブの番号を呼び出して電話をかける。場所を聞いたら迎えに行くか、とノイズメイズがさも当前のように考えた、その時、聞き覚えのある着信音が二階から聞こえた。ような気がした。

 思わず携帯を耳から遠ざけて耳を澄ましてみる。と、小さな音ながら、確かに着信音が上の階から聞こえてきた。

「――ま、っじかよ……?」

通話状態――相手の着信音を鳴らしたまま、音源を辿って階段を上がり、締められた扉の向こう側に意識を向ける。そうして辿り着いたのはサウンドウェーブの自室だった。

 信じられないまま部屋の扉を開けると、簡素なつくりの部屋に備え付けられたベッドには、部屋の主が横たわっていた。勉強机の上に、まるで抛られたように置かれた鞄から彼の携帯端末が零れ出て、同居人からの着信を伝えている。確かにこの部屋から聞こえていた、と確認したノイズメイズは状況に困惑しつつ通話を切る。いつの間に、とか、どうして、とか、言いたいことは多々あったが、ともかくその無事を安堵した。

 ベッドの縁に腰を下ろして額にかかっている髪をどけてバイザーを外せば、穏やかな寝顔が現れる。

「……ん、」

ひとに触れられたためだろうか、サウンドウェーブが身じろいで彼の目蓋が震える。それからゆっくりと目蓋が開かれ、自分を覗き込んでいるノイズメイズの姿を捉える。

「おはよう、サウンドウェーブ。気分はどうだ? 具合が悪いとかないか?大丈夫か?」

束の間しか見られなかった寝顔を名残惜しく思いながらも、気付かぬうちに帰宅していたサウンドウェーブに訊く。

「ノイズ、メイズ……? なんで……わたし、は……?」

「あー……えーと、大丈夫そう、だな。なら、まあ、考えるより先に、飯食うか?」

事態が飲み込めていないのはお互い様のようだった。

 ひとまず落ち着こうと言うことで、ノイズメイズの提案に頷いたサウンドウェーブがベッドから足を下ろした時、ツキリと痛んだ足首に眉根を寄せた。先に立ち上がっていたノイズメイズはその反応と小さく震えた足を見てごく自然に跪く。

「怪我、してるのか?」

自分の脚の上にサウンドウェーブの足を乗せたノイズメイズはスラックスが微かに汚れていることに気付いた。乾いて白っぽくなった土が、毛羽立ってしまっている生地に付着している。どこか石の角なんかにぶつけたのだろうなと見当をつけながら裾を捲ると、そこには人の肌ではなくて仄かに紫色を含んだ布地があった。

「え、」

思わず声を漏らしてしまう。ノイズメイズの様子に、どうした、とサウンドウェーブが首を傾げる。

「これ、どういう……?」

「うん? なんのこと……え?」

ノイズメイズに促され、そこで初めてスラックスの下を見たらしいサウンドウェーブもまた同じように声を漏らす。

 足首の、傷付いているであろう箇所に巻かれた、手当のような淡い紫の布を見て、ふたりは固まった。

 片足をかばうようなサウンドウェーブの歩き方と、いつもより難しい顔をしている――らしい――ノイズメイズの組み合わせを見かけたサンダークラッカーは昼休みにふたりをつかまえて話を聞いた。

 かくかくしかじか昨夜の出来事を覚えている範囲で話したサウンドウェーブに対してサンダークラッカーがやや青ざめた顔で叫ぶように言う。

「そっ、そいつァ――絶対、間違いなく、怪談の男だぜぃ!」

もっかい薄紫色の布見せてくれよ、と強請るサンダークラッカーに、はい、とサウンドウェーブがガーゼに張り替えられたことでお役御免となった件の布を見せる。ふおあああ、だかのよくわからない声を上げながら、サンダークラッカーは思わずだろう、サウンドウェーブにヒシッと抱き着く。そんな後輩をやはり微笑ましく受け止めたサウンドウェーブはどうにも腑に落ちない様子のノイズメイズに気付いた。

「どうした? 浮かない顔をしているが」

「ん? あー……あぁ、まあ、な……って何してんだお前。離れろよ」

何やら考えていたらしいノイズメイズはサウンドウェーブの声に引き戻されたらしい。そして視界に入ったサンダークラッカーとサウンドウェーブの姿に隠すことなく眉を顰めてベリリとふたりを引き離す。

「ぎゃあ! いきなり何すンだよ!横暴だぞ!」

「うるせぇ。ドサクサに紛れてハグかましやがって。許さんぞ」

「ノイズメイズ、真顔で何を言っているんだ」

ハグするくらい何か減るわけでもなし、と苦笑するサウンドウェーブである。その反応にしょっぱい顔をするノイズメイズだったが、サンダークラッカーの声に熱を持ち始めていた思考を落ち着ける。

「……で? なんだよ。自分で体験してみなきゃ信じないタイプかー?」

そうじゃないが、と一言置いてからノイズメイズは口を開いて語り始めた。

「そういうわけじゃあないが、そもそもの話におかしい点があるんだよ」

「そもそもの話……って言うと、あの怪談のことか?」

「ああ。ちょっと気になったから調べてみたんだけどな――昔この辺りに流行った流行り病でたくさんのひとが死んだって記録はあるが、墓穴が足りなくなったって記録は無いみたいなんだよ。最後に亡くなったひとも若い青年なんかじゃなくて老人だったみたいだし……なにより怪談自体、ここ数百年の間に作られた、比較的新しいものらしい」

話を聞くうちに、こちらも落ち着きを取り戻したサンダークラッカーが、今度は訝しげな顔をして首を傾げた。顎に手を当てて、数学の問題を前にした時よりも難しい表情を浮かべて、唸るように言う。

「でもそれってヘンじゃないか? 記録と食い違ってるってのは、まあ、こういう話によくあることだとしても、最近作られて最近廃れてきてる眉唾話に出てくる黒服の青年は、今回のサウンドウェーブ含め、目撃したって話が結構あるんだぜ? 過去に存在してなかったはずの人間が、どうして現代で実際に目撃されるんだよ」

サンダークラッカーの言葉に、ノイズメイズが溜め息を吐いてムッスリと唇を引き結んだ。

「……だから腑に落ちないんだよ」

「だいたい、後から現れて助けてくれた?っていう男は何者なんだ?」

「わ、私に言われても……」

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