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 とある富豪の邸宅――ビル一軒丸ごと戦場と化した現場で、チェインは証拠品の撮影を行っていた。流通の認められていない植物や動物たちの姿。個人が所有するにはいささか多すぎるその量をどうしようとしていたのか、考えたくもない。下手に触って動かせば、何が起こるか分からない懸念から、薄暗い室内を撮影していく。

 

 時折建物が揺れる。鈍く響く地鳴りや、薄らと聞こえて来る轟音は、他の階で作業をしている仲間たちのものだろう。地下に設けられたプールの壁の中――隠し部屋にいるチェインは小さく溜め息を吐く。壁の中の空間を探し当てた今回の功労者、レオナルドも室内の陳列物に眉を顰めていた。

 

 さて。チェインとレオナルドは目論見通り違反物品取り扱いの証拠を押さえ、あとは戦闘の終了と後処理を待つだけだった。足元を照らす照明と生き物のケージや水槽を照らす照明、空気ポンプの稼働音などの静かな音がする、薄暗い空間に一種の安堵を感じていた二人は唯一の出入り口に背を向けていた。だから、大きな影がそこを塞いでも、数秒の間、気付かなかったのだ。濡れたような嗄れた声が袋のネズミに笑って、弾かれたように振り返った。その巨体をどこに隠していたのか、片腕を銃に改造した異界人が、下卑た笑みを浮かべながら立っていた。

 

 マズい、とチェインは身構える。室内にある植物の中には、大きな音で爆発を起こし、更に誘爆していく異界産の植物があったはずだ。このまま発砲されれば――映像には残してあるけれど――証拠品が吹き飛んでしまう。相手の頭部は逆光でもわかる程度にツルリと丸く、口以外の器官が見受けられない。品無く大口径の銃口が非戦闘員二人へ向けられる。証拠品は諦め、レオナルドと共に離脱するべきかとチェインが考えた、その時だった。

 

 「――時にミスター、鰓呼吸の心得はお有りで?」

 

歌うような声が聞こえた。けれどそれは確かに怒気も含んだ声音だった。シュルル、と異界人の首に糸状のものが絡みつく。そして太い頸部を捉えたその糸は、異界人を背後のプールまで後退らせ、そのまま水中へ引き摺り倒してしまった。天井へ伸びる水柱を貫いて、犀利な三叉槍が水面から生えた異形の腕へと落とされる。波立つ水面にはゴボゴボと上がって来る泡だけが残っていた。

 

 数分足らずで危機を救ってくれたツェッドへ二人は駆け寄り礼を述べる。

 

「ありがとうございますツェッドさん……!」

 

「助かったよ、ありがとう。いいタイミングだったね」

 

「上の階で戦っていた相手の最後一人なんですが、隠し通路を使われてしまって……本当に、間に合って良かったです」

 

すみません、と謝罪の言葉を添える後輩の肩を叩きながら上の様子を聞いてみれば、他もそろそろ片が付くだろうと言うことだった。チェインとレオナルドの通信機は地下に潜ってから接続が悪くなり、使われていなかった。

 

 そうして情報交換をしていると、三人と対角線上の天井にビシリと亀裂が入った。あっという間に瓦礫がプールサイドに積み上がり、濛々と立ち込める煙の中から、聞き慣れた声が飛んで来る。

 

「コラ魚類!俺が様子見に行ってやったってのに持ち場離れてンなとこで油売ってるたァどういう了見だ!!」

 

「貴方こそどういう登場の仕方してるんですか。そこにチェインさんやレオくんが居たらどうするつもりだったんですか」

 

自分の持ち場をさっさと片し、弟弟子と合流しようとして叶わなかったらしい兄弟子が駆けて来る。察するに上の階は一通り見てきたのだろう。そしてザップがここまで自由に動けると言うことは、上のお仕事は既に終わっているも同然だ。一仕事終えているはずにも関わらず、元気にじゃれ合い始めるザップとツェッドを横に、チェインとレオナルドは通信機の具合を確かめ始める。部屋の出入り口辺りでも確かめたいのだが――戦闘員二人に割って入るのが面倒臭いなと思ってしまっていた。

 

 美しい歌声に引き寄せられ、泡になるのは王子様。美しい炎刃に魅せられて、灰になるのは人魚姫。愛で腹は膨れないけれど、多少は呼吸しやすくなりましょう。

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 人類異界人混成の暴徒を相手取る、よくある仕事風景。いつも通りの制圧作業。しかし元々の数に加え、呪術で作られた土人形も湧き出ていて予定よりも手間取ってしまっている。面倒なだけで歯応えの無い仕事にザップは舌打ちをした。その音を、傍で戦っていた弟弟子は耳聡く拾い上げたようだった。非難がましい視線を視界の端に感じる。

 

「ンだよ、なんか文句でもあるのかよ」

 

「……文句があるのは貴方の方では?」

 

まぁ予想は出来ていますけど、と苦笑するツェッドに顔を顰める。解っているならわざわざ言うこともないだろう。さっさと片付けて帰りたい。振り向き様、ズパンと切り上げた人影がボロボロと崩れていった。土塊に戻った人形を踏みつけてザップは駆け出す。とりあえず――土人形を量産しているだろう呪術師がさっさと確保されることを願った。

 

 人類は脆いが異界人は割合頑丈である。異界人は脳筋が多いようだが人類は割合頭を回してくる。しかし妙に連携のとれた動きをしたところで所詮は一般人に毛が生えた程度の暴徒。ザップとツェッドは特に苦も無く暴徒たちを無力化していく。

 

 そんな戦闘の最中、ツェッドは心なしか首周りを狙う拳、攻撃が増えているような気がしていた。偶然――だろうか。正面から飛び掛かってくる異界人二人と人類一人を薙ぎ払いながら、みしりと首元で硬い物が軋む音を、聞いた。呼吸が振れる。

 

 異界人と人類の三人組を軽く往なしたツェッドの背後に、空気から溶け出すように現れた異界人をザップは見た。伸ばされている手は、間違いなく弟弟子の首元を狙っていた。そして、その手は狙った物に届き、掴み――。

 

 ヒュ、と音がした。一瞬ながら引っ張られていた首が軽くなり、ツェッドは背後を振り返る。そこには、いつの間に移動したのだろう、兄弟子の背中と、片腕を落とされ呆然としている異界人の姿があった。一拍遅れて異界人の口から悲鳴が上がる。

 

「テメェ、触ったな?」

 

痛みに悶え転がる異界人の姿に構うことなく、ザップが呻くように吐いた。唐突に跳ね上がったザップの怒気と殺気に、周囲の暴徒たちが窺うように動きを停める。片腕――半魚人の首の機具に触れた手――を切り落とされ異界人は、自分を見下ろす双眸に灯る炎を認めて、ただでさえ浅くなっている呼吸を引き攣らせた。冷血で狡猾な爬虫類から哀れな小動物へ成り下がった異界人を見て、ニタリとザップの口端が吊り上がる。

 

「――ところで兄ちゃん、アンタ鰓呼吸の心得ってあるか?」

 

かたちの良い唇が吐いた言葉の意味を、異界人が理解するより早く、トスリと赤い刃がその胸に穴を開けた。

 

 「ほんと、やってらんないね」

 

すべて自分の獲物だと言わんばかりに暴徒を狩り倒していくザップを街灯の上から眺めながらチェインは溜め息を吐いた。現場からほど近い場所で土人形を作っていた呪術師を確保し、前線の様子はどうかと見に来たのである。地上のレオナルドも同じものを見たのだろう、苦笑する声が通信機から聞こえて来る。

 

 ザップが一人張り切っている理由を、二人は単に弟弟子に格好をつけようとしているからだと思っていた。だから、兄弟子の猛攻を逃げ延びた暴徒を拾い狩っている弟弟子に近付いた際、その生命維持装置の表面に薄く罅が入っているのを見て、事の次第を察したのだった。戦闘の邪魔にならない場所で二人は立ち止まって顔を見合わせる。

 

「まぁ……でも、そんだけツェッドさんが大事ってことなんじゃないっすかね」

 

「むしろ大事にしてなかったら直に心臓マッサージしてやるわよ。クソ猿の心臓に触るとか鳥肌モノだけど」

 

損壊は少なくとも、土塗れになった道路の向こう側からザップがツェッドを呼んだ。足元に転がる赤い簀巻きから首尾は上々なのだろう。律儀に返事をして兄弟子の元へ駆けていく弟弟子の後に二人は付いていく。どうせ一度は集合がかかるのだ。

 

 けれど数十秒後、二人はもう少し間をおいて行けば良かったと明後日の方向を見ることになる。人影少ない前方で、褐色の指先が、似合わない繊細さでもって、想い人の首元にできた罅をなぞる、なんて甘ったるい風景に出くわすからであった。

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