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 墓地は白い。白い花が咲いている。

 それは、とても美しい光景。

 

 目覚めてまず、眩しい、と思った。次に、噎せ返るような、甘い匂いを感じた。

 彼は身体を起こす。ヒヤリと冷たい空気が頬を撫でる。周りを見回せば、地面を覆う白い花と、その合間からまばらに聳える墓石が見えた。

 何故、と。何故自分はこんなところに、と彼は思った。

 「よう、旅人。ようやくの目覚めってわけだ」

 彼の背後から声がした。とても気安げな言葉だった。

 その声は、なんというか、垂れ落ちる薄い色の蜂蜜のようだった。けれど、その蜂蜜は口にしてはならないものだと、直感で理解する。含めば死に至る、甘い毒。それが、彼の肩を叩いた声だった。

 「まぁ、目覚めと言っても此処は狭間だから、実際にお前が目覚めてるわけでもない――いわゆる、意識の覚醒だな」

 聞いてもいないのにそいつは話してくれる。

 一体どんな奴なんだ、と彼はいよいよ振り返ろうとする。

 ザア、と風が吹いて、白い欠片がヒラヒラと舞い上がった。

 彼が振り返ると、背後には墓石があった。そして、その上に、そいつは居た。罰当たりにも、墓石の上に片膝を立てて、座っていた。

 今一度彼を見て――見下ろして、よう旅人、と三日月になった口が吐く。それぞれ色の違う二つの目も、にんまりと弧を描いている。後頭部の、高いところで一つにまとめた髪が、サラサラと流れていた。

 そんな相手の姿を見て、彼はまず声の主が人の形をしていることに安堵した。

 「落ち着くのはまだ早いぞ、旅人。お前はこれから選ばないといけない道があるからな」

 ほう、と彼が吐いた安堵の溜め息を聞いた相手は、スックと墓石の上に立ちあがる。

 コツリと高いヒールが墓石を叩いたかと思うと、その墓石を静かに蹴って、近くに立つ別の墓石に飛び移った。

 「一つは今ここで今すぐに目を閉じること。此処へ来る前の場所に戻る。二つは此処を少し見てから戻る、だな」

 ひとつ、ふたつ、と黒い手袋に包まれた指を立てながらそいつは言う。

 「此処を少し見てからってのは、まぁ、アレだ。新しい力を手に入れてから元の場所に戻るってことだな……新しい力を手に入れる……仕方ないとは言え、陳腐な言葉だな」

 自分で言っておきながら、肩を震わせる。そしてそのまま、彼に訊いて来るのだ。

 「さ、どうする? オススメは言うまでもなく前者だけど」

 少し見て――見るだけで力とやらが手に入るとは、彼だって思っていない。けれど、その程度だ。

 いつの間にか相手は一本の棍棒を手にしていた。スラリと美しい黒塗りの棍で、トントンと肩を叩いている。

 そして彼は答えた。自分がどうするのかを。どちらの道を往くのかを。

 「良いだろう。答えは聞き届けられた。道は選ばれた。ならば進め、旅人よ」

 芝居がかかった口上が述べられる。深められた笑みは、彼の選択に対してか、己が吐いた言葉に対してか。

 空を裂いて、棍が振られる。そこで彼は見る。棍に刃と呼べる部分が現れるところを。それが自分に迫るところを。

 ザア、と風が吹いて、白い花弁が舞い散る。そこに頽れる、からだが、ひとつ。

 昏い。暗い。何も無い。終わりを思わせる、殺風景。

 それはきっと、死とかそういうものだった。

 

 ボタリボタリと赤が落ちていく。

 自分の影に黒ずんだ、灰色の地面が赤という色彩を持つ。

 両膝と両手を地面に突いて肩で息をする。それでも彼は顔を上げて、相手を見つめ返す。

 「此処は君の夢。君が創る世界。僕らの姿は君のイメージによって形作られる」

 黒装束に身を包んだ相手は彼を覗き込む。

 「君が思う死とはこういうモノなのだろう。では君は此処で何を望む?選んだ道で何を得る? 漠然とした生か?痛みをも感じる此処からの覚醒か? 望め、欲せ。君が求めるものを」

 そのすべてを与えよう、と相手は言う。

 けれど同時に、こうも言う。

 「強欲に欲せ。貪欲に求めると良い。けれどそれがどんなものか、君は知っておかなくてはいけない。知った上で、選ぶんだ」

 相手が言い終えるのを待たず、彼は武器を握り直して振り抜く。

 けれど相手は後ろに一歩下がるだけで避ける。

 脚をバネのように、勢いよく彼は相手との距離を詰める。

 相手は彼を避けない。避けずに――片目に、彼の得物を迎え入れた。確かな、手ごたえ。

 直後、彼の視界がブレる。ズダンと背中が地面に叩き付けられる。呼吸が詰まった。次いで、首に感じる、圧迫感。

 「そう。此処は君の世界。しかし正確には、君の領域だ。僕らは君がイメージする姿で君の前に現れるが、君の創り出したモノではない。これは気付いているだろう?」

 パタパタと生温かい液体が彼の頬を濡らす。自分を見下ろす相手の片目から、それは滴り落ちている。

 「だから君は旅人なんだ。そもそも此処は留まる場所でもないけどね」

 ガリガリと彼の指が、自分の頸に掛けられた相手の手を掻く。青白いと言っても良い相手の肌が傷付いていく。

 「君は知っている。君は持っている。此処まで来たのだから」

 キリキリキリと音がする。ゼンマイを巻くような音。相手の背後に、何もないはずの空間から、無数の刃が顔を出す。

 彼は首元にやっていた手を、自分の得物の柄を生やしている相手の片目に突き出す。

 熟れた果実を押し潰した時のような音がした。

 仰け反った相手をそのまま突き飛ばして、彼は立ち上がる。宙に浮く刃の群れを背景に、相手は一つの目で彼を見ていた。

 彼は考える。このままでは、物量に押し潰される。

 彼は思う。あれだけの物量なら、腹も膨れよう、と。

 ぞわりと彼の周りに黒い靄のような物が立ち上り始める。不穏な空気。

 「喰らえ。喰らい尽くせ。そのために此処まで来たんだろう?」

 「――そうだ。喰える。喰えるんだ。喰うんだ。お前も…………ああ、お前、よく見たら、美味そうだ」

 譫言のように彼が呟いて、舌なめずりをした。

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