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現パラきさらぎ駅風ハンソドもといハン→ソド。
暑い夏の日にポチポチしてたから色々ガバってるかもしれない(致命的)​

要素:現代パラレル、きさらぎ駅、夏盆(ほんのり死ネタ)

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 丁寧な話し合いの末、解散した会議場――公民館から一歩出ると、ぶわりと熱気が身体にぶつかってきた。それまでエアコンの効いた屋内に居たのだから、一気に沸き上がる不快感は無理もない。思わずうんざりと空を見上げれば、すっかり日が昇った青空が目を焼いた。壁に遠ざけられていた蝉の声が間近になる。山の緑がざわざわと騒ぐ割りに体感できない風の涼しさが、一層青年の肩を下げさせた。

 タタンタタン、と電車がすっかり日の落ちた線路を走る。人影のない車内では、一人の青年が細長い黒の鞄を抱えて眠り込んでいた。長袖長ズボンに目深に被った帽子と、夏にしては暑苦しい格好の中には事務的にプリントされた「猟友会」の文字が見て取れて、青年が「狩人」なのだと言うことを知らせている。
 そう、青年は「狩人」であった。それも最近では珍しくなった、猟銃の免許まで取っている若年の狩人なのである。
 青年は、まあ、どちらかと言えば都会と言われる町に住んでいる。そこで住宅街に現れる獣を獲ったり、ゴミ捨て場を荒らす鳥への対策を請け負って生計を立てている。しかし夏や冬と言った長期休暇が取れる間は普段の狩場を離れて、いわゆる田舎と言われる地域に赴く。狩猟協会からそういう通達が来るし、募集のメールが来るからだ。何より、報酬が良い。おそらく人手が足りていないからだろう。その分「仕事」も溜まっているのだ。森や山が主な狩り場である「田舎」は昔ながらの狩人も多く、普段ではなかなか構えることのできない猟銃を用いても大袈裟に騒がれることも少ない。だから青年をはじめとした都心部の狩人たちはほぼ毎年、こういったド田舎を各々訪れているのだ。
 とは言え、最低限の文明は流入していて不自由することはあまりない。強いて言うなら、地域で唯一のコンビニが夜10時頃には閉まったり、道に点在する街灯の電球が幾つか切れかかっていたり、年ごとに初めて見る虫が借り家に入り込んでくることくらいだろう。その中でも、今回立て直されていた借り家の虫については今後気にする必要はないだろう。
 今はその借り家に帰っている最中であった。最近人里で目撃されている大きな獲物に対して地域の住人や他の狩人たちと朝から作戦会議をして、昼頃から実際に狩りをしてきたのだ。人の背丈を優に超す巨大な標的を仕留め、狩り自体は成功した。だが、野山を駆け回った青年たちは疲労の色を隠さずにはいられなかった。それに加えて獲物の処理と小会議。報告書の提出は後日だが、作成することを考えると気が重いのは確かだ。同じく都会からやって来た狩人たちと帰路につき、一人また一人と最寄り駅で下車していく疲れた背中を見送っているうちに、座り心地の良い座席と涼やかな空調に青年の目蓋は閉じてしまったのだった。
 タタンタタン、と電車が真っ暗な線路を往く。街灯はおろか民家の灯りも見えない。周囲の闇は山の影が覆い被さったもの。不思議なことに夜空に星は少なく――けれど、煌々と輝く青白い星が昇っていた。
 ガタン、と電車が揺れる。次いで聞こえてきた金属の軋む音と左右に小さく揺れる車体に、電車が停まったことを知った。不意に訪れた変化に、座席で眠り込んでいた青年が目を覚ます。
 青年は未だ眠気の残る頭のまま下車した。駅名を確認して、乗り過ごしたようなら反対の路線へ回って、乗り直さねばと思ったのだ。
 電車の外には闇が広がっていた。人気の無い駅の灯りが周囲の風景をより暗く見せる。ざわざわと枝葉の擦れる音に、周囲が野山であることは容易に察せられた。蝉は声を潜めて、秋時を思わせる鈴虫の類の声が聞こえた。
 駅を見回して見ると、やはり人気は無く、無人駅のようだった。ぽつねんと設けられた座席は色褪せ、落ち葉や枯れ葉が積もっている。自販機はもちろんゴミ箱すらない構内は、更に時計も見当たらなかった。ひとまず時刻表を見つけたかった青年は、それを探す途中で、誰にともなく顔を向けている駅名看板を視界に入れた。そこには「芹恵那」という駅名が記されていた。
 一年の内の数日とは言え、何度か訪れて利用している鉄道の駅名は、ある程度覚えているつもりだった。しかしこの駅名には聞き覚えも見覚えも無い。青年は衣服のポケットから文明の利器――スマートフォンを取り出した。画面に表示されている時間は午前2時を過ぎている。電波は、Wi-Fiこそ無いが2本はアンテナが立っている。外界と全く断絶してしまったわけではないことに安堵しつつ、青年はスマートフォンを操作してインターネットのブラウザを呼び出した。そして、自分が今いる駅の名前――「芹恵那」を検索した。その、結果は。
 似たような名前の地域や、芹や恵那という語を含んだ地名ばかりがヒットして、「芹恵那」という駅名自体は一切検索結果に出て来なかった。試しに鉄道のホームページにアクセスして駅を探してみるも、やはり今いる駅の名前は見つけられなかった。スマートフォンを操作していた青年の指が停まる。降りてきた電車は、青年がスマートフォンを取り出した辺りで発車してしまっていた。
 ゾワリと背筋に冷たい汗が流れて行く。どうやら自分は、異常事態に陥っているらしい。
 線路が敷かれているとは言え、夜の野山を単独で歩くのは危険である。青年はあくまで冷静に、動揺に身を任せてしまわないように思考する。夜が明けるまでここで待って、日が昇ってから線路を辿って戻るべきだ、と。しかし、そうは言っても相反する心をまったく無視することはできなかった。灯りがあるとは言えここが安全であるという確証は?線路を戻ったとして、どこにも情報の無いこの駅から知っている他の駅に辿り着けるのか?等と、そんなこともまた頭に浮かんで来る。狩人とは言え、青年はまだ若年の一人間であった。
 実際どうするべきなのか――情けなくも竦んでしまった足をそのままに、青年が寂びれた無人駅で立ち尽くしていると、どこか遠くない場所で、パキリと枯れ枝が踏み折られる音がした。
 ハッと顔を上げた青年が音のした方へ眼を遣る。ガサガサと茂みが動いていた。獣の息遣いは聞こえない。否、線路との関係上、青年が立っている駅の床は地上からやや離れているから、たとえ獣だったとして――その大きさにもよるが――青年の目の前まで迫るのは、容易ではないだろう。しかし念のためと、青年はいつでも得物を取り出せるように肩にかけていた鞄を身体の前に持って来た。
 ガサリと茂みが揺れる。ジリ、と青年の片足が半歩分後ろに下がる。そうして、寂しい無人駅の灯りに照らされて、物音の主が現れた。
 「そなた、まれびとか?」
 それ――その人?は、まず、青年にそう声をかけてきた。博物館か本でしか見ないような「甲冑姿」に、青年は呆然とする。相手から敵意や殺意と言った類のものを感じなかったことも、青年をその場に――ほんの数分前とは違った意味で――留まらせた理由だろう。
「あるいは、迷いびとであったか……?」
反応を返さない青年に、相手がまた訊いた。その問いに、なんと答えれば良いのか、青年は分からなかった。
 青年は、とりあえず自分がここに居る経緯を話した。相手はおよそ現実とは思えない格好だったが、他に手がかりもアテもない青年は目の前の存在を無視することができなかった。それに、何故だろう、相手からは何故か懐かしさのようなものを感じたのだ。
「なるほど。ならばそなた、迷いびとか」
青年の話を聞いた相手はそう頷いた。相手はこういった状況――ここが何なのか、知っているらしい。けれど未だ状況が掴み切れていない青年は、まずは相手の言葉に出てきた「まれびと」と「迷いびと」の違いは何なのか、訊いてみた。
「まれびとは言葉通りの客人よ。来るべくして此処を訪れる。迷いびともまた言葉通りの迷い人。来るはずのない者が、此処に迷い込んでしまうことだ」
なるほど、と今度は青年が頷いた。確かに自分は「来るつもりなど無かったのに此処に来てしまった」人間だ。
「……気に病むことではない。稀にあるのだ。そなたのように運ばれてきてしまう者が。某はそのような者たちを無事に帰してやりたいと思うておる。……中には取り乱してどこぞへ消えてしまう者も居るが」
そなたはよう肝が据わっておる、と相手が微かに笑った――ような気がした。同時に、裏の無さそうな言葉に、この人は見た目こそ不思議だが、良い人なのだろう、と思った。
 話を聞くうちに緊張が解け、落ち着きも戻って来る。不安がまったく無くなったわけではないけれど、自分を帰してくれるという人が居ることは心強かった。
 不意に相手が空を見上げた。釣られるように青年も空へ眼を向ける。その途中、蛍光灯がチカチカと点滅する無人駅の屋根には家主の見えない蜘蛛の巣が幾つかもかかっていた。ひらひらと灯りに誘われる蝶だか蛾だかの影もチラと見えた。
 夜空には幾つもの光の輪が描かれていた。それはまるで天文雑誌なんかに載っているような、長時間露光の星空写真を見ているような――。
「では、青き星。そろそろ発つか。帰宅は早い方が良いだろう?」
相手の声に青年は眼を地上に戻した。そして、相手の声に首を傾げた。だってこの人は今「青い星」と自分を呼んだ――ように聞こえた。青年はその疑問をそのまま相手に訊く。青い星とは何か、と。自分にはちゃんとした名前が、と言おうとして、相手にやんわりと制される。
「此処は訪れた者を空が映す。だから、名乗らずとも良い。そなたは――空に青き星が出ている。天に在する遍く星の中で、唯一動かざる青き輝星。故に、青き星」
今までには黄金色の月をはじめとして赤い月、青白い月、双子の月、赤い星、緑の星、群れなす星、月あるいは他星を追い続ける星、降り続ける星、昇り続ける星、様々なものを見たとその人は小さく笑いながら言った。
 青年はもう一度空を見上げる。幾重にも重なる星輪。その中央には、煌々と輝く青白い星が留まっていた。

 「帰る」ために青年は相手に促されて線路に降りる。線路を辿って「元の世界」に帰るのだとその人は言った。薄々思ってはいたが、やはりここは青年が普段生活している世界とは異なる場所らしい。
「途中、獣人――二足歩行をする猫のようなものたちに「これを食べないか」等と言われるやもしれぬが、出された物を食べてはならぬぞ。あちらに、戻れなくなる故」
ザクザクと線路を歩きながら聞かされる話に、まるで黄泉の国だ、と青年は思う。隣を歩く人が持つランタンの灯りの影から、茂みや梢からこちらを観ている視線もまた人のそれではなく感じる。潜められているとはいえ、人間へ意識を向けている獣の息遣いに狩人が気付かないわけがない。しかしあえてそれを意に介する素振りを見せず、ふたりは歩き続ける。
 しばらく歩いていると、不意に案内人が足を止めて青年に向き直った。そして青年に訊いた。何か火薬の類を持っているか、と。青年は担いでいた鞄を指して、ここに猟銃がある、と答えた。
「そうか……。青き星よ、その得物、某に一時預けてはくれぬか。必ず返す。そなたはこのランタンを持ってこのまま線路を往くが良し」
すると相手は何故か、やや急いだ様子で青年に持っていたランタンを押し付けてきた。代わりに猟銃の入った青年の鞄のベルトをしっかりと握っている。当然、青年は困惑した。良い人だという印象を持っているとは言え、さすがに初めて会ったばかりの人間に猟具を渡すなど――。
 その時青年は気付いていなかった。リィリィジィジィと草陰に鳴いていた虫たちの声が、いつの間にか消えていたことに。
 チリチリチリ、と小さな鈴が鳴るような音がした。と思えばすっかり気にしなくなっていた夏の夜の熱さとは違った熱気が、ぶわりと頭上から降って来た。そして、グルル、と獣の唸り声、が。見下ろされている、と本能が警鐘を鳴らした。
 「走れ!」
鞄を引っ手繰るように奪われ、突き飛ばされる。押し付けられたランタンを落とさないように片手で胸に抱え、もう片方の手で尻餅をついた身体を支える。鞄を奪った相手が、線路から逸れて藪の中に飛び込んでいくのが見えた。そしてそれを追い、藪の中に消えていく燃えるような赤い毛を持つ、尾のようなものも。
 がさがさと草葉を掻き分ける音が遠ざかっていくと同時に、熱気も遠ざかっていく。茂みの辺りにふよふよと漂う小さな蛍のような赤い粉は、どうやら火の粉らしかった。
 青年は呆然とする。だってあの獣のような何かは確かに「自分を」見ていたように思う。それなのに「あの人を」追って行った。追わないと、と青年はランタンを持ち直して立ち上がる。しかしその直後に猟銃が持って行かれたことを思い出して――果たして丸腰の自分が行ってどうにかできるだろうか、と踏み出しかけていた足が止まった。青年の懸念を補強するように、あの人が走っていった方向の先に針山のような黒い影が星空を背景に急降下していった。
 ジャリ、と足元の砂利が鳴る。自分は此処のことを何も知らない。もし万が一、この線路から逸れて、二度とこの線路に戻ることができなくなったとしたら。あの人と合流できなかったととしたら。仮に合流できたとして、自分に何かできるのだろうか。
 急に恐ろしくなって、青年は足を戻す。話し相手が突然いなくなったこともあっただろう。あの人に言われた通り、静まり返った線路を、踵を返して再び歩き始める。街灯一つ無い路をランタンだけを頼りに歩く心細さは、はじめて単独での狩猟に赴いた時とは比べ物にならなかった。

 息を潜めて青年は線路を歩く。電車の音は無かった。周囲から無数の視線を感じてはいるが、敵意は感じない。青年が自分たちに害を成す存在なのか否かを見極めようとしているように思えた。
 あれからすっかり静まり返ってしまった道で、唐突にガサガサと揺れた草むらに、ぽつねんと立ち尽くしていた青年の肩が跳ねたのは仕方のないことと言えた。そこは丁度、真っ暗なトンネルの入口だった。
「ニャ。お腹空いてないかニャ、旦那さん」
青年の前に出てきたのは、果物のような物が盛られた木の盆を持った、後ろ足二本で立つ猫だった。
「旦那さんずっと歩いてるニャ? これ食べるといいニャ」
ランタンの灯りに照らされた大きな猫の目がきらきらと光る。打算のようなものは感じられないが――青年はあの人の言葉を思い出していた。此処のものを口にしてはいけない、と。だから、青年は猫の好意をやんわりと断る。同時に、あの人のこと――ひいては此処のことを訊けないだろうか、と思った。
「ニャ? 西洋?の甲冑?を着た、古めかしい口調の男の人……? 古めかしい口調の男……?うーん、旦那さんが言ってるのは、先生のことかニャ? 先生は最近見かけるようになった人ニャ。人がここに留まるのは珍しいけど、古い獣たちからボクたちみたいなのを守ってくれるから、先生がここに居てくれてボクたちはたくさん助かってるニャ!」
話すうちに何故か自分のことのように胸を張る猫に相槌を打って、青年はあの人――先生に想いを馳せる。やはりあの人は「人間」だ。それも自分と同じように「此処に来た」類の。ならばあの人は「まれびと」だったのだろうか。自分とは違い、此処に来るべくして来た――?
 青年は考える。あの人のこと、此処のこと。自分が無事に「元の世界」に戻ったとして、再び此処に来ることはあるのだろうか。あの人は今までに多くの人間が此処を訪れているというようなことを言っていた。ずっと他の人を見送るなり、送り返すなりしてきたのだろう。自分もまたそんな人たちの一人になる。そしていつかあの人を忘れていく。
 果たしてそれで良いのだろうか。この二足歩行の猫の話を聞くに、此処は「古い獣」と呼ばれる恐ろしい獣が息づいているらしい。そしてあの人は、一人で此処にいる。獣を狩り、人を守る狩人として、あの人ひとりを置いていくのは――良い気がしなかった。この小さな猫たちには悪いが、しかし自然の摂理たる弱肉強食の緊張の糸が張り直すだけだ。身勝手にもそう思う程度には、青年は「あの人」のことを考えていた。
 そんな時だった。
 ガザザザザ!と勢いよく草木の枝葉を掻き分ける音。二足歩行の猫は全身の毛を逆立てて盆を放り出して逃げ出していた。何事かと青年は音のした方に眼を遣り――自分に向かって飛び出してくる「誰か」の姿を見た。
 身体に衝撃が走る。真っ暗なトンネルの中に身体が転がり、砂利と線路の硬い地面に叩き付けられる、と身構えた青年は、しかし身体が宙に浮くのを感じた。ぶつかってきた「誰か」否「あの人」に押し付けられた鞄を胸に抱えて、遠ざかっていく頭上に、自分に鞄を確かに返却して、のみならず自分を守るように燃え盛る炎と対峙する背中を、見た。
 暗闇でより鮮やかな炎に目を奪われていると、何か黒い影が降って来ることに青年は気付いた。それは鋭い円錐形をしていて、大きな棘のようだった。それが、無防備に落下している青年に向かって降って来る。
 「!」
 青年はハッと目を覚ました。目の前には見慣れた田舎の風景。どうやら借り家から駅に向かう際に使う、最寄りのバス停のベンチに座っているようだった。膝の上には猟銃の入った鞄。服装も、狩りの後電車に乗り込んだその時のまま。貴重品にも変わりはなく、スマートフォンの電波もしっかりと来ている。
 けれど、ほのかに明らむ東の空に立ち上がった時、カラリと何かが青年の膝から転げ落ちた。ベンチの上に転がったそれを、青年は拾い上げる。灯りなんてもう取れそうにない、古びた空のカンテラだった。

 今日も今日とて青い空と鮮やかな緑が眩しい。地域のまとめ役と言える、通称「総司令」の家に青年は来ていた。先日の狩りについての報告書を提出しに来たのだ。そこで、青年はあるものを見た。
 総司令の孫である「班長」とよく呼ばれる青年が、見覚えのある「鎧」を掃除しているのが見えたのだ。それ――と思わず青年は呟く。
「あれ?お前、先生の防具を見るのは初めてだったっけ?」
青年の声を拾った班長が首を傾げた。先生、とここでも同じように呼ばれた「あの人」の呼び名に少なからず驚きながらも、努めて普段通りの顔で頷いて見せた。
「先生はさ、俺に狩りを教えてくれた人なんだ。……狩りを教えたのは俺にだけじゃないけど。でも、今は先生がいないから、道具だけでも綺麗にしておこうってこの家で管理してるんだ」
班長の言葉に、どうして先生は今いないのか、と青年は訊いた。
「先生は……いなくなっちゃったんだ。狩りに出たきり、戻って来なかったんだって。獲物を深追いしたのか道に迷ったのか、滑落したのか……もう分からないけど。先生を探しに山に入ったじいちゃんたちが、川の澱みに留まってたこの防具だけを見つけてきたんだ。俺がまだ小さかった頃の話だよ」
懐かしさと、寂しさと、微かな悲しみを滲ませる班長に、青年は当たり障りのない相槌を打つことしかできなかった。
 タタン、タタン、と電車が線路の上を滑る。結局、あの後は班長と少し世間話をして総司令に報告書を提出して彼らの家を後にした。それとなく総司令にも「先生」のことを訊いてみたが、やはり「先生」はもう随分前に失踪したのだと言われた。また、家に代々伝わる猟具を大切に扱う素晴らしい実力を持つ狩りに生きる愚直な男であった、と。
 青年は夕暮れに差し掛かる空を見上げる。夏至を過ぎて幾許か経た空は早くに暮れがちだ。こちらに滞在する日数ももうない。またあの人に会えないだろうか。会って、話ができないだろうか。だって自分は未だ――礼を言ってない。助けてもらったと言うのに。同じ狩人だと言うのに。
 もう一度、あの時と同じ電車に乗れば、また会えるだろうか。

 タタンタタン、と電車が真っ暗な線路を往く。街灯はおろか民家の灯りも見えない。周囲の闇は山の影が覆い被さったもの。不思議なことに夜空に星は少なく――けれど、煌々と輝く青白い星が昇っている。
 電車内に人影はひとつだけ。目深に被った帽子、長袖長ズボンの暑苦しい服装には「猟友会」のプリント。膝の上に置いた細長い鞄には得物である猟銃が入っている。人影――青年は狩人だった。
 ガタン、と電車が揺れる。次いで聞こえてきた金属の軋む音と左右に小さく揺れる車体に、電車が停まったことを知る。待っていた変化に、座席に深く腰掛けて俯いていた青年が静かに顔を上げた。
 青年は躊躇なく下車する。不気味な無人駅を意に介することも無く、空を見上げて「あの時」と同じ星が昇っていることを確認した。青年を一人置いて電車は去っていく。けれど青年は怯えることも無く、何が潜んでいるとも分からぬ周囲をぐるりと見回した。そして――耳を澄まして、あの人を待つ。たった一度しか会ったことが無く、確証も無いけれど、青年は「あの人」が来てくれると確信のようなものを持っていた。
 「――青き星よ」
 その青年の予感は、当たった。
 サクリと落ち葉や枯れ枝を踏む音がして、日が落ちて影になった草むらからあの人が現れる。前に会った時と変わらない、青年たちが暮らす「現代」では見かけない特徴的な鎧姿。
「何故、此処に」
青年の姿を実際に見止めたその人は、隠しきれない動揺を滲ませて青年に訊く。青年は、貴方に会いに来たのだ、と真っ直ぐに答えた。
 古びたカンテラを差し出して、お返しに参りました、と青年は相手の手を取り、あの時持って行ってしまったカンテラを握らせる。真っ直ぐに自分を見つめてくる青年に――何故か――気圧されながらも、年上ひいては案内役として、相手は苦言を呈する。
「このような――小さな猟具ひとつのために……」
けれど青年は構うことなく、泰然と続けた。だってこれは貴方の物じゃないですか、先生。ぎゅう、と握った武骨な手は――素肌なんて欠片も見えずに材質も頑強で分厚いものだけど――確かに人の温もりを感じられた。
 先生、と青年に呼ばれて、相手は西洋甲冑のような兜の下で目を丸くした。それから、懐かしそうに目を細めたようだった。
「そなた……そうか、そなたもまた、明日寺の狩りびとであったか」
その仕草と言葉に、青年はやはりこの人は「先生」その人なのだと確信する。つまり、自分と同じく、此処に「来た」人間なのだと。
 先生は何故此処にいるのですか。帰らないのですか、と青年は訊く。
「某は――気付いたら此処に居た。元は狩りのために山に入ったが、気付けば此処に迷い込んでいたのだ……だから、そなたや他の者たちのように電車に乗ってやってきたわけではない故、帰り道が分からぬのだ……此処から帰るには来た道を戻らねばならぬようだからな」
先達の言葉に、青年は口を開こうとする。けれど、青年が何をか言う前に当人が、だが、と続けた。
「だが、今となっては過ぎたことよ。某は、この地にて生きると決めたのだ」
それを聞いて、青年は先達の手から手を離した。二人の足元には、いつの間にかあの二足歩行をする猫たちが、各々盆の上に食べ物を持って集まってきていた。
 青年は、猫の持つ盆の上から、名前も知らない果実をひとつ、手にした。
 そうして、それを迷うことなく――口へ運んだ。ごくん、と青年の喉が動く。
 「なん――そなた、なんということを……! 此処の物を食べれば、来た道を辿ったとしても「元の世界」に戻ることはできなくなると言うのに、」
困惑する相手の言葉に、青年はケロリとして言い放った。わかっています、と。更に、のみならず、俺も此処で貴方と共に生きます――等と。
 青年からしたら先達になる男は知らぬことだったが、青年は再度この得体の知れない世界に来るにあたって、すべてを清算して来ていた。住んでいた家を引き払い、家具も収集品も売り払い、猟友会からも抜けていた。青年は帰るところも戻るところも、自ら捨ててきたのだ。此処で、この目の前にいる人と生きていくために。
 短く、複数ある出会いの一つに過ぎない邂逅だったが、青年にとってはこの上ない衝撃的な出会いだった。まるで失っていた幼い頃の記憶が戻って来たかのような、欠けていた何かを綺麗に埋めてくれた存在だったのだ、名も顔も知らぬ「先生」というこの狩人は。
 対する先達は、後輩の振る舞いに驚いてばかりであった。自分は、この、まだ若い狩人をどうするべきなのか、と。
 しかし此処のものを食べてしまった者を元の世界に帰すことはできない。ならば――青年の言い分から、青年がこんな行動をとったのは自分が理由でもあるようだし――責任を取って、この青年の面倒を見るしかない。
 腹を括って、狩人は居住まいを正す。真っ直ぐに、正面から青年を見据えて、その覚悟を確認する。
「青き星――そなた、若き狩りびとよ……、そなたは最早故郷には戻れぬ。それでも良いか? 人智を超えた力を持つ大きな獣に引き裂かれ、喰われる末路を辿るやも知れぬ。それでも此処で、」
「生きます。貴方と」
たとえ貴方が怪異であったとしても、貴方を慕い、敬い、傍に居ります。
 まるで生涯の伴侶を誓うような言い方に、いよいよ狩人は何も言えなくなってしまった。

捕捉(と言う名の詰め込む前に力尽きたところ)
・古い獣(人智を超えた力を持つ大きな獣)→古龍
・炎の獣→テオ
・駅を出た後でテオが襲って来た理由→猟銃(の火薬)に惹かれて
・駅にテオが来ない理由→駅はBC(あいるぅはとおす)
・星が先生と再会したのは初めて会った時から一年後とかそれくらい時間が経ってからのこと

練り練りしてた原案もとい設定(メモ)(供養)
・星→人手不足になった山奥の集落に助っ人として夏の間だけ派遣される猟銃免許持ちの狩人。腕は良い。
・先生→山奥の集落にいた腕利きの狩人。随分前に失踪した。失踪した理由はひょんなことから山奥(人ならざる領域)に迷い込んだため。その際にテオと対峙、乱入して来たネルに突き飛ばされ崖から落ちるなどして死亡。遺体はそれを見つけたカーナ他の獣たちに喰われ残らなかったので装備(先祖代々受け継がれてきた物)だけが現世で発見されることになった。領域の境が曖昧になる夏の間だけ現世に顔を出すことができる。
 

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