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「――うっわ! ちょ、此処で目星失敗とか!」
「その数値で失敗するとかレアだよね……」
「んじゃあ俺は聞き耳しとくかな。振っていいだろ?」
コロコロコロ、とサイコロが卓上を踊る軽やかな音がする。少し離れた場所ではカサリと紙の擦れる音。
「む……クリティカルか。そうだな――」
室内でも変わらず野球帽を被ったユニフォーム姿の青年――バッターが口を開き、サイコロを振った白いパーカーを着た青年――デズモンドがバッターの言葉に注意深く耳を傾ける。
「ほらデルシン、進むぞー。目星失敗したくらいで拗ねんなって」
そう、先程サイコロの出目にショックを受けて卓に伏せっている青年――デルシンに揶揄い混じりの声をかけたのは赤いコートを着た青年――ダンテ。さり気なく先程デルシンの心にサクッと言葉の刃を指していた灰色のパーカーを着た、少年にも見える青年――サイモンは我関せずと言った様子で自分の手元に新しい紙と転がっていた鉛筆を引き寄せていた。
 そうして、サイコロを振り、プレイヤー同士で相談をしたり、淡々と公平に物語を進めていくキーパーを何とか都合のいい方向に言いくるめようとしたりしながら四者が四様に楽しんでいると、部屋と外界とを繋ぎ隔てる扉が音を立てて開かれた。はて誰が来たのだろう、と思い、開いた扉の方へ眼を遣ると、そこには穏やかな表情を浮かべた青年がいた。
 小振りな剣を二振り装備している彼は片手に何やら料理が盛られた大皿を乗せていた。
「あ、やってるようですね、皆さん」
やはり穏やかに破顔して、青年は室内に入ってくる。
「おー、来たかハンター。また一狩りしてきたって感じだな?」
「よっす、超人ハンター。そっちも元気そうで何よりだ」
「あ……こんにちは。お久しぶり――って程じゃあないですかね?」
「その皿は何だ? 湯気が出ているようだが」
ダンテは片手を挙げ親しげに、デルシンは利き手に持った鉛筆を片手の代わりに掲げて見せ、サイモンは年に数回顔を合わせる親戚に対するように少しぎこちなく、バッターは自分も挨拶するのは諄(くど)く煩わしいだろうと踏んだように彼――ハンターの手にあるものを訊き、四人が各々、らしい反応をする。ハンターはその反応にも人の好さそうな表情を変えず、えぇと答える。
「料理長が持たせてくれたんです。大勢で集まって騒ぐなら存分に体力がつくものをって」
言いながら、四人が腰を下ろしている卓――足の短い、いわゆる座卓と呼ばれる机の中央に、広がっている紙を少し脇に寄せて皿を置く。
「乳製品と酒で炒めてたから、食べるとネコの幸運と悪運、それと日替わりスキルのネコの火事場力が発動しますね」
「食事スキルってクエスト外でも作用してくれんの?」
「してくれるんじゃないですか?」
キーパーちょっとタンマ!と勢いよく手を挙げたダンテがハンターの持ってきた皿を覗き込む。
「そういやあのネコちゃんは?いねぇの?」
「あぁ、立って喋るネコ? ……可愛いよね、あの子」
「喋る……ジャッジの同類か……いやしかし立つ……浄化するべきか……」
「亡霊じゃないよ ?! バッター目が怖いよ!!」
「そうなのか」
思わず、といったように目を細めたバッターにサイモンが慌てたように言う。ふたりの物騒なやり取りすら笑って受け流し、ハンターはデルシンの問いに答える。
「筆頭オトモさんですか。オトモさんは今日はおやすみです。また今度一緒に来てもらいますね」
「そーなのかー……頼むなー」
はい、とハンターが答えた直後、その後ろから座卓に就いている人数分の小皿とスプーンとフォークを持ったダンテがヒョイと現れ、バッターやサイモン、デルシンの前に皿と食器を置き、自分は元居た場所に座る。小皿の上には大皿から取り分けられた料理が、各々の好みの量で乗っていく。ハンターは料理長が乳製品と酒を炒めた、と言っていたが、それでどうしてこのような料理ができるのかは、誰にもわからない。けれどいい具合に小腹を空かせていたダンテたちには良いツマミになるだろう。斯くて参加者の揃った卓は再開された。
「あ、隣、いいかな?」
比較的落ち着いてゲームに興じていたサイモンにハンターが声をかけた。
「えっ、あ、はい、大丈夫です」
「あと、双剣ごめんね? 武器は外せなくてさ。一番邪魔にならなさそうなのにしてきたんだけど……」
突然のことに驚いたようだが、知り合い且つそこそこ慣れ親しんだ相手ということもあり、サイモンは少し脚の方に寄ってスペースを空けた。ハンターは少し困ったような顔で礼を良い、空けられたスペースに腰を下ろした。着ているもの――服ではなく防具、がカチャリと衣擦れではない音を立てた。肩越しに覗く二本の柄が穏やかな場に不釣り合いだな、と思った。
「そういや他のヤツらは?一緒じゃないみたいだけど、今日来るんだろ?」
自分の出番ではないらしいデズモンドが小皿に取った料理をつまみながらハンターに訊く。その脇ではダンテがサイコロを振り、出た目を見て引きつる顔でキーパーたるバッターを見ている。
「あぁ、すぐに来ると思うよ?」
のほほんと答えるハンターの傍ら、サイモンはダンテとバッターの反応へ視線を移し、ふたりの様子にあぁファンブル、と冷静に状況を把握していた。
 ドヤドヤと騒ぎながら部屋へ更に訪ねてくる人物たちは、その数分後に現われた。
「パチッて!パチッてまたお前!! 痛いんだけど!」
「仕方ないだろ……そういう体質なんだ」
「ネイト、落ち着け。コールは近寄らないでくれ。仕事道具の繊細な機械たちが壊れてしまう」
「お前なんでそんな精神削ってくるんだ?」
「精神攻撃は基本」
「おい」
「お前らうるさいぞ……デズ、いるか」
賑やかな、四つの声が、同じ数の人影と共に部屋へ入ってくる。雪崩込んでくるように増えた人数にダンテとデズモンド、サイモンの三人は目を丸くする。いつの間にか自分の分の飲み物を用意していたハンターはそのコップを傾けながら、言ったでしょう?というように口角を上げていた。
 いい歳をしている外見の割には落ち着きなく入室してきた四人はそれぞれ差し入れだろう、スーパーや飲食店の袋を提げたり抱えたりしていた。
「なんだ、ハンターも差し入れ持ってきてたのか。どうすっかなコレ」
紙袋を抱えた、指環のネックレスをした短髪の男――ネイトが眉尻を下げる。
「適当に置いとけばいいだろ。どうせこの人数じゃ食い物はすぐになくなるだろうし」
「んなもんか?」
「んなもんだろ」
ネイトの後ろからガサガサとビニール袋の音を立ててさっさと中に入るように促す男――コールが言う。コールの言葉に納得したらしいネイトは軽く頷いてヒョイヒョイと部屋に入っていく。その後ろにコールが続いた。その後ろからは更に二人が続く。
「ん、クトゥルフTRPGか。出目は安定してるか?」
「オカゲサマで二枚目のキャラシは要らなさそうだよ」
ごく自然にデズモンドの隣に座った黒いジャケットの男――アレックスは持ってきたものを自分の傍へ置き、デズモンドの手元の紙を覗いた。若干ではあるが、ゲームの進行を妨げられたキーパーのバッターが不満そうな眼をしてアレックスを見た。座卓から少し離れた場所で持ってきたものをある程度整頓していたネイトとコールに、卓上で交わされている空気から逃げるようにダンテが声をかけた。言わずもがな、ゲームは再度停まる。
「そういやアンタらは何持ってきてくれたんだ?」
「あぁ。俺とアレックスは飲み物だよ。アルコールも混じってるから気を付けてくれ」
「でも良かったよな。飲む物と食う物を買う人数がうまい具合に分かれて」
「え?じゃあエイデンは食い物調達してきてくれたの? 手ぶらに見えるんだけど」
「ピザ屋に電話してたから、そのうち配達されるだろ」
ピザ、という単語を聞いたダンテは目を輝かせる。
「エイデン!アンタ最高!」
とハンターと何やら話していたキャップを被ったコートの男――エイデンにいい笑顔と共にサムズアップする。が、その声は届いていないようだった。デルシンが噴き出す音が小さく聞こえた。
「――……で、どうだ? そんなに難しくはないと思うが」
「うーん……そうですね、練習させてもらえれば、使えるようになると思います」
「ほんとにケータイとか知らないんだ……」
ケータイ――もといスマートフォンを手渡し一通り操作してみせるエイデンと、それを真剣な眼差しで見詰めるハンター。そんな二人の様子を、サイモンがやや丸くなった目で見ていた。以前、隼に似た白い鳥がハンターからの手紙を運んできたことがあったが――あれはネタでも何でもなく、やはり本気だったのだ。それを改めて確認したサイモンは、そっとパーカーのポケットから自分のケータイを取り出して見慣れたその四角形を眺めた。
 座卓を中心としたその部屋の様子は、正に友人たちの集まりという様相を呈していた。
「ハイハイ。で? 今どこまで進んでんだ?」
「まぁ、いわゆる後半戦だな。邪魔が入らなければいい加減終盤戦に入っているところだ」
見かねたコールがバッターに訊く。
「だそうだ。次すぐに遊べるように俺たちはこっちでサイコロ振っとこうぜ。予備あるか?」
「んーと、確かこの辺に……うん、あったあった。ホレ」
「サンキュ、デルシン。ほらアレックス、サイコロ振るからキャラシ持ってこっち来い」
「ほら呼ばれてるぞ。行ってこいよ」
そうして、サイモン、ダンテ、デズモンド、デルシン、バッターの五人と、後から来たアレックス、エイデン、コール、ネイト、ハンターの五人は少し距離をとって各々集まる。
 楽しげな会話が、双方から聞こえてくる。
「待ってキーパー回避の数値低いのになんでオレばっか……ってあああああああああああ待ってちょ――」
「ダンテ集中砲火されてんだけど」
「キーパーが本気で殺しにかかってきてるね。クライマックスだから。たぶん」
「ファンブルよかマシなんじゃねぇの……あ、俺はさっき幸運振って見つけたダイナマイトに火付けて投げとく」
「そうか。ならば投擲で振ってダメージを見るか。ちなみに所持数はふたつで良かったな?」
「ん。わかった。投げたのはひとつな」
「いつの間に入手したんだよ、ンなもん……」
「アッ! そっか探索者って普通の人間だから自然回復とかしねぇか!」
「そっかそういえば普通の人間だから気軽に拘束とかできないのか!」
「……これだから人外は」
「キーパー、プレイヤーサイモンの目から光が失われています」
「精神分析だな」
脱線しながらも仲良さげに和気藹々と進んでいく座卓側とは対照的に、ゲームの準備をしている方は時折苦悶の声が上がっていた。
「ヤバい……今日はヤバい……出目が……出目が……!」
「落ち着けネイト、本番は大丈夫ってことかもしれないだろ」
「ハンター、お前は参加しないのか?」
「えぇ、今回は観戦して進行の流れを一から見てみようかと……このゲーム、最初から見たことはなくて」
「なるほどね……あ、ネイト振り直しはもうしただろ」
「いあ!いあ!」
「もうSAN値ゼロじゃねぇか。しかもリアルの方」
「エイデン、精神分析でなんとかならないか」

「待てやめろ大きく振りかぶるな。優しく精神分析しろ」
「ところでキーパーは誰がするんだ? 今やってる面子は俺たちの卓に参加しないんだろ?」
「あ、じゃあバッターさんたちが皆さんの卓に参加するかどうか訊いてきましょうか」
「あぁ助かる。で……どうする? 立候補者がいないんなら公平にクジ引きってことになるが」
そうして賑やかな話し声と共に十数分の時間が流れた。ノリで騒いでいたものたちも、割かし本気で己のサイコロ運を嘆いたものたちも落ち着くには十分な時間である。バッターたちの卓は――プレイヤーによっては――めでたく幕を下ろし、コールたちも八割から九割方自分のキャラクターを作り上げ、そしてエイデンが頼んでいた宅配ピザも届いた。ピザを受け取ったのは手が空いていたハンターだったが、その様子を見ていたネイトは配達員が着ていた制服にプリントアウトされていた店のキャラクターたちが気味悪く見えたのだが何故それを誰も言わないのだろうと思った。実際、ピザ屋のキャラクターについては口に出さなかっただけで、ネイトと同じ感想を抱いたものは少なくない。
 ハンターがタイミングを見計らってバッターたちに次の卓に参加するか否かを訊くと、全員が揃って不参加と声を揃えた。バッターは参加する、と一度言いかけたが何かを思い出したように首を横に振った。
「……? どうした?なんか問題でもあんの?」
言い淀んだバッターを訝しんで、デルシンが訊く。バッターが言葉を言い直すことは滅多になく、その理由がやはり気になったのだ。もちろん、デルシン以外の面々も、おやと視線をバッターの方へ向ける。
「いつもの――アシュレイでプレイしないの?」
「あぁ。アシュレイは、ヴェイダー・エローハと旅の途中だからな」
何処か嬉しそうにサイモンの言葉に答えたバッターである。
「リア充……」
「嫁か……」
「ちくしょう……」
「一言で死屍累々だな」
バッターの分身――アシュレイは他のセッションで旅をしているらしいので、律儀にもバッターは今回キーパー以外をやらないつもりのようだった。
 座卓に就いていた面々とその周囲で駄弁っていた面々が入れ替わる。ゲームを最初から見学したいというハンターは先程から座っていた場所にそのまま座り直していて、その隣にあたる、サイモンが座っていた場所にはネイトが腰を下ろした。
「なんかお前の近くって、花畑って感じするよな。いいことありそう」
「実際ハンターくんはのんびりマイナスイオンだよなぁ?」
「運の良し悪しですか? うーん……あ、でも今日は天鱗貰えました」
「イケる!!!」
「運って周囲のひとにも影響するものなのか……?」
ネイトの言葉に同意するような言葉をニヤニヤと笑みを浮かべながらピザを片手にダンテが言う。ハンターのズレた反応はよくあることなので置いておくが――それでも三人のやり取りを拾ってしまったデズモンドは呟かずにはいられなかった。同時に、ダンテとサイモンは本当に同い年なのだろうかと思った。
「さて。では始めるとするか」
バッターとは対照的に、被っていたキャップを脱いだエイデンがサイコロを片手に声を挙げた。ちなみにキーパーではない、一プレイヤーである。
「キーパーは――ほう。お前が務めるのか」
「公平な、クジ引きで、決まったからな」
差し入れられた肉を、何故か生のまま咀嚼しているバッターが他よりも幾分か多い紙を手元に置いているアレックスに眼と声を向ける。意外だという色が滲んだその声と視線にアレックスはジットリとした眼と声でもって応えた。不本意である、という心情がヒシヒシと伝わってくる。
「……何人が生還できると思う?」
「……デルシン、これパラノイアでもネクロニカでもないよ?」
「キーパー、普通に進行してくれよ……?」
「あー、なんだっけ、ルールを守って皆さんスマイル?とか言うんだっけか?」
アレックスの様子に口元を引きつらせるデルシンと座卓を直視しないようにしているサイモンである。コールが溜め息と共に言うと、デズモンドが――うろ覚えらしいが――誰かの台詞を言った。我関せずという風にピザを味わっていると思っていたダンテがデズモンドの台詞を拾い、ちょっと違ってて惜しいなぁと笑ったのは、余談である。更に、バッターの何気ない一言でキーパーは纏う不穏を色濃くする。
「そういえば姿を変えられるんだったな。ロールプレイする時に化けてみたらどうだ」
「わぁさすがアヒルちゃん怖いこと言ってるぅ」
「おいバッター、デルシンの目から光が消えたぞ」
鉛筆を握っていない方の手で頭を抱えたコールが言う。デルシンの傍で差し入れをつついているサイモンは座卓から明らかに視線を逸らしていた。
「あぁ、ナイアーラトテップとかいいんじゃないか?」
だがそれに悪乗りしていく輩もいるのである。
「ならクトゥグアとか出来ねーの? 燃えてるヤツ!」
真顔のエイデンと輝く笑顔のダンテが無責任に提案する。運悪く、丁度ペットボトルに口を付けていたデズモンドが咽る咳の音がして、それを思いやるネイトの声が控えめに上がる。好き勝手言われているアレックスの目は完全に死んでいて、口元には歪な笑みが浮かんでいた。
「――ようこそクトゥルフの呼び声へ……まぁゆっくりしていってくれ」
「あ、本気の声じゃないですかこれ」
ツッコミ等で参加できずとも耳で成り行きを追っていたデズモンドは思わず敬語になっていた。そこへハンターの一言が加わり、その場にいたものたちの顔が――一部を除いて――青褪める。
「ってことは、リアルで発狂する可能性があるってことですよね」
そうしてテーブルトーク・ロールプレイングゲームと言うには臨場感のありすぎるセッションの幕が上がった。
 その様子を喩えるならば、劇になるだろう。それも、参加者からすれば真剣勝負となる悲劇にも近い。だが観ている方からすればなかなかに愉快な喜劇であった。形容し難く一般的に冒涜的、倒錯的と形容される姿を――模したものだとしても――実際に見るということは良くも悪くも滅多にできない経験である。悲鳴と、笑いと、時々怒号が飛び交った。
 座卓にはネイトとコールが突っ伏している。エイデンは平然として見えるが肘をついて溜め息を吐いている。件のキーパーことアレックスはやりきったような、実に清々しい表情を浮かべていた。
「なるほど……大体把握できました。次回から参加できそうです」
「ふむ。やはり姿まで変えて演じると臨場感が出るな」
ハンターがキラキラとした目で満足そうに頷き、バッターが予想通りという風に頷く。その周囲には、座卓に突っ伏しているネイトとコールのように、青くなった顔を上げられないでいるデルシンとダンテがいた。
「……デルシンはなんとなく予想できてたけど」
「ダンテが意外だった?」
「結構、繊細……?」
「なのかもなぁ。色々あるみたいだし」
出身が現実離れした世界だからだろうか、ケロリとした顔のサイモンと、あまり卓を見ないようにしていたおかげで比較的平時と変わらずにいられているデズモンドが和やかに飲み物の注がれたコップを傾けている。少し離れたところにはアルコールやジュースの瓶や缶が並べて置いてあり、デズモンドがバーテンダーとしての腕を――ささやかながら――振るったのだとわかる。モゾリと蘇ったゾンビのようにダンテの身体が動く。不意に動いたダンテにサイモンがビクリと肩を揺らす。
「あー……ジン・トニック、くれ」
這うような声が伸びる。
「残念だな、生憎材料が揃ってないんだ。もちろん、道具やグラスもな」
だから、これで勘弁してくれと苦笑してデズモンドは備え付けの小さな冷蔵庫の冷蔵室に放り込まれていた氷を砕いて入れたグラスにウォッカとトマトジュースを注ぎ、袋から出したストローで軽くかき混ぜてダンテの方へ寄越す。もちろんストローは刺さったままで、その横にはレモンの写真がプリントされたラベルの貼られた緑色の瓶が添えられている。
「ストロー使って酒飲むとか初めての体験だわー」
「そういう意味じゃねぇよ。レモンが無いから代わりにこのレモン汁入れて、混ぜるのに使えってことだよ」
「俺も一息つきたいな……デズ、何か作ってくれないか」
「俺も。ひと仕事終えたんだ、一番いいのを頼む」
ダンテとデズモンドのやり取りを聞いていたらしいエイデンとアレックスが手を挙げる。目が、混沌が、と悪夢に魘されるように呟いているネイトとコールの様子をハンターが窺っている。デルシンの様子はバッターが生肉を食みながら見ていた。
「バッター……嫌がらせしてるよね? 俺に」
「していないが」
悪気も悪意もないバッターの言葉である。一方デズモンドは自分よりも年上のふたりが至極真面目な顔をして飲み物を強請る声にうんざりしたのか、ふたりにジンジャーエールを突き出していた。未開封のペットボトルをズイと突きつけられたふたりの眉がショボンと下がったように見えたのは、気のせいではないだろう。
 部屋の外が騒がしくなったのは、丁度そんな時だった。
 何かが転がり落ちてきたような騒々しい音がして、その直後、誰かの呻き声が壁の向こうから聞こえてきた。視線が部屋の扉に集まり、卓上に突っ伏していたネイトたちも何事かと身体を起こす。注目の的となっている部屋の扉が開いたのは、その数分後。腰を摩りながら銃身の長い銃を担いだ男が扉を開いて姿を見せた。ドアノブを握る手にはスーパーの袋が提げられている。男の背後には二段に重ねたダンボールを持っている、焦げ茶の髪をひとつに束ねた女が立っていた。
「おう。楽しくやってるみたいだな」
男――セバスチャンが腰を摩っていた手を軽く挙げて室内を眺め、入室する。その後に続くように入ってきた女――Chellもペコリと軽く会釈した。部屋の面々も誰が来たのかを把握して知らずに張っていた緊張の糸を弛めた。
「……もしかして、また落ちてきたのか」
起き上がり、ガシガシと頭部を掻いたコールがセバスチャンに訊いた。
「好きで落ちてると思わないでくれないか」
「あー……なんだ、その、からだは大事にしろよ」
真顔で答えたセバスチャンへネイトが苦笑して言った。服装を見る限り、また大部分が廃墟と化した世界を走り回っていたらしい。ひとのことを言える立場ではないが、大変そうだとネイトは思った。
 ところどころ服や肌が土や泥、血痕で汚れているセバスチャンとは違いChellに目立った汚れは無い。話を聞くと、どうやら落ちている途中で合流したようだった。どれだけの距離を落下したのかはわからないが――先程の落下音からして――身体を強かに打ち付けたセバスチャンは大丈夫だろうかと誰もが考え、縦横が突然変化しても体勢を整えるChellの平衡感覚に感服したことは想像に難くない。
 セバスチャンがChellからさり気なくダンボール箱を貰い、ゲームやその観戦に興じていた面々に紹介する。
「これ、お嬢さんからの差し入れな。中身は――」
チラと持ってきた張本人の方を振り返ると、ふたりの視線がぶつかった。
「あぁそうだった。上の段のダンボールにケーキで、下のが飲み物……レモネードだったな」
アイコンタクトで相手の言わんとすることを汲み取り、何でもないように言い切ったセバスチャンに、サイモンが短く引きつった声を漏らした。その数秒後にはサイモン以外からも何か嫌なことを思い出したような声が上がった。
「う、嘘だ……! そのケーキは嘘!」
「ちょっとダンボール見せろ」
「確認したところでアパチャーサイエンス社なのは確定事項だろ……」
「アパチャーサイエンス……レモネード……ケーキ……コレは、黒……」
「アンブレラのとジェンテックのと、どれが一番ヤバイのか調べてみたら面白そうじゃね?」
「アブスターゴ忘れてるぞ」
「皆さんの知ってる会社ってロクなの無いんですか?」
外野から上がる声にChellは頬を膨らませて腕を組んでいる。
「おいおい、お前らお嬢さんに失礼だろ。GLaDOSもそんな無粋なことしないさ」
「GLaDOSが用意した!?」
驚きの声に、Chellはコクコクと頷く。ちなみに、その後おやつとして食べた――ダンボールに入れられていた――ケーキとレモネードは確かに安全で美味しいものだった。Chellに続いて一番に口を付けたのはハンターだったことを蛇足としておき、更に後日談をするならば、数日後に携帯情報端末を持っているものたちに件のケーキとレモネードを用意した張本人だというGLaDOSから実にウィットとユーモアに富んだメッセージが届いた。
 座卓の上やその周囲に散らばっていた紙や筆記具、サイコロや冊子をまとめ、代わりに飲食物を広げて一息吐く。座卓に全員が就くことはできなかったので、行儀は悪くとも座卓の周りに楽に駄弁っているものが数人。
「――そういえば、ギャレットは? 今日は来ないの?」
「というか、刑事のセバスチャン居るし、来ない方が良いって思ったんじゃないのか?」
闇、或いは影を己の領分としているマスターシーフ――ギャレットのことを不意にサイモンが口にした。その呟きにコールがセバスチャンへ視線を遣りながら答える。盗賊、盗人を生業とする人物とそれを逮捕、拘束することを仕事としている自分は相容れない人種だから、前者が不在なのではと言われたセバスチャンは苦笑する。
「あのな、俺もそんな無粋じゃねぇよ。大体、他人様の世界に口出しなんてするだけ無駄だろ?」
管轄外だし、と片手をヒラヒラと振って、それに、と言葉を続ける。
「んなこと言ったら、俺は此処にいるヤツらの半数以上を逮捕しなくちゃならない」
器物損壊、建造物等損害、住居侵入、傷害、窃盗――と思い付いたところからだろう、罪名を挙げ始めたセバスチャンに、心当たりの有るものたちは一斉に眼を逸らす。逸らしていないものの方が少ないのが現実である。
「な、なら何か理由とかあっての欠席ってことだよな!誰か聞いてるヤツいねぇの!?」
話題を切ろうとダンテが言った。
「あ、それなら俺が」
手を挙げたのはネイトだった。
「んー、と? あぁそうだコレコレ。此処来る前に遺跡寄ってきたんだけどな? その最奥にこの置き手紙があったんだよ、萎びた林檎の芯と一緒に。内容は、えーと……家賃を払わなければならないので欠席するってとこだな」
「家賃……」
「生活費……」
「相変わらずか……」
おそらくポケットから取り出した、古ぼけた小さな紙を注視しながらギャレットの言いたいことを要約して伝える。家賃を、の辺りから憐憫を含んだ呟きがチラホラと漏れ聞こえてきた。マスターという称号を持ち、その世界では名を馳せているハズの人物が切実な理由で、といったところだろう。ツケまくっている人物もいるというのに、律儀なものである。
 それを見つけたのは荷物の山をゴソゴソと物色していたChellだった。
「あー、それ! そうそう、やろうと思ってたんだ!」
Chellが荷物の山からサルベージし、興味深そうに眺め回しているものを指差してデルシンが至極楽しげに言った。指されているものは、丸みを帯びた直方体の箱のようなものと、カラフルなパッケージの箱。
「今、巷で流行ってるアレだな!」
「あぁ、それなら俺も持ってきたぞ。誰かがやりたいと言い出すと思ってな」
「へー……これがねぇ……」
「でも二人しかできなくないか」
パッと見てそれが何かを理解することができたのはダンテ、エイデン、ネイト、セバスチャンの四人だった。
「なに、それ?」
小首を傾げるサイモンをはじめとした、知らない組に簡単にゲームの概要をする四人。説明を聴き終えた後には、ワクワクとした空気が部屋に横たわった。丁度その部屋にはテレビが大きいものと、その脇に予備として控える中くらいのものの二つがあった。エイデンとデルシンによって早速セッティングがガチャガチャと始められる。
「……世界を塗り替えないか」
「やめて。冗談に聞こえないからやめて」
アレックスとネイトが真顔で漫才をやっている脇で、バッターなど手の空いている面々が何やら話し込んでいた。
「――で、どうする。順番に回すとして……最初に誰がプレイするんだ?」
「ふたりだろ……? んで、やっぱオンライン対戦やりたいよな」
「あ、僕は見学がいいです。加減が分からずうっかり、なんてことはしたくないですし」
「どんだけ力込めるつもりだよアンタ……って、Chellも見てるだけでいいのか? 控えめなんだな」
「いや、寧ろ一度持ったら極めるまで離さないつもりだろう……自重、というヤツだな。俺はパスだ。ガラじゃない」
「それじゃあバッター、ダンテ、デズモンド、サイモンは参加と……あぁ、ネイトとアレックスもだな。おーい、そっちはどうするよ」
セバスチャンがテレビに機器をセッティングしているエイデンとデルシンに声をかけた。
「俺はいい。ハッキングできないからな」
「基準そこなの? あ、もちろん俺はやるぜ!」
「そうか」
「って、セブはやんないの? 楽しいのに」
「理由としちゃあコールと同じだな。それに、ついていける気がしない」
「うわ……年取りたくねぇ……」
参加を名乗り出たのは七人。枠は二つしかないので、クジで最初にプレイする二人を選出することになった。
 幸運にも最初にそのコントローラーを持つに相応しいと女神が微笑んだのはネイトとデズモンドだった。卓を囲んでいた時、出目の悪さを嘆いていたネイトは隠しもせずにガッツポーズをした。ハズレを引き当てたものたちはとても残念そうな表情を浮かべて――しかしプレイヤーふたりが初心者であることを思い出して甲斐甲斐しく操作を教えたり立ち回りのアドバイスを教えたりといったことを始めた。ゲーム機を起動してコントローラーを握ってすぐは覚束なかった操作も、時間が経てば経つほどに安定していった。
 一通り、オフラインで確認と練習をして、さあいよいよとインターネットに接続する。プレイヤーの名前は、持ち主であるデルシンの名前と――エイデンのものは未開封だったので適当に付けたものである。
 オンラインでの対戦相手が揃うのを待っていると、聞いたことのある名前が連なりだした。
「うわぁ……主人公男女で参加とか仲良すぎかよ……」
トウコ、トウヤという名前を見たデルシンが恨めしそうに呟く。
「何故わざわざ廃人がこんな……」
「ふたりが同じチームに固まらないことを祈ろう……」
やり込みには慣れている少年少女を思い出して――現に名前の横に表示される数字は大きい――コールとサイモンが言った。セバスチャンに至っては胸の前で十字を切っている。
「――で? あとは……うわぁ……またこれ集団戦が得意そうな名前が……」
「ブレイズとタリズマンとかなんなの嫌がらせなの……エースって暇なわけ?」
「く、空戦じゃないし、AWACSもいないからワンチャンあるだろ! ……あるよな?」
「……おいダンテ、お前」
画面を注視し、空に名を馳せるエースたちの名前を指差していたところで、アレックスが画面にダンテの名前を見つけて、外野と騒いでいたダンテに知らせた。お、というダンテの声に釣られて周囲も画面に浮かぶDanteという文字へ眼を遣る。言わずもがな、此処にはいないダンテたちのうち、誰かが遊んでいるのだろう。
「……どのダンテだと思う?」
「僕は4のダンテさんだと思います」
「あえての2とか、あるんじゃないか?」
「初代を忘れないでやってください」
「まぁ、見てればそれとなく分かるんじゃないか?」
ナンバリングでは最も若いダンテが周囲に問う。ハンターが無難そうな予想をし、バッターが穴場を挙げると、話題に上らなかったところをデルシンが笑いを堪えながら挙げた。何にせよ、顔が見えない以上このままでは知りようもない、と予想を流したのはコントローラーを握ったデズモンドである。年相応――よりも若々しく騒ぐ周囲を、Chellはニコニコと笑顔で眺めている。そして、最後の欄に入った名前で、全員は噴き出すか、叫ぶか、笑い転げるかの反応をした。
「ちょ、えええええええ」
「おま――お前、家賃良いのかよ!」
「ギャレットお前……」
「と、友達の家でやってるんだよ……友達のものなんだよきっと……」
「友達のものと言う名の私物」
家賃を稼ぎに行ったハズのマスターシーフの名前だった。
 八つの名前が出揃い、四対四の二チームへ振り分けられる。ランダムでの決定だったが――幸いにも懸念されていたようなチーム分けにはならなかった。ネイトとデズモンドは奇しくも同じチームとなり、外野がどちらを応援するか悩む必要は無くなった。味方チームにはトウヤとブレイズがいる。つまり相手チームはトウコ、タリズマン、ダンテ、ギャレットという面子である。
「……ま、まぁ、なんとか……」
「なるといいよな。なんとか」
楽観と悲観が混じり合いながら、戦いの火蓋は切って落とされる。
 プレイしている方も観戦している方も白熱している。
「あれっ? ちょっ、どっから?どっから来た? 今の!」
「あそこだデズモンド! あそこにトウコが!」
「って、もういないぞ……正にスナイパーだな……」
「ビューティホー……」
「コールやめろトウコもうスタンバイしちゃってるからやめろ」
「スタンバーイ……スターンバーイ……」
「やめろォ!」
「――っあ、危ないとこだった……!」
「ブレイズに助けられたな。流石チームプレーは慣れて――アッ」
「さすがマスターシーフさすがの不意打ち」
「……スマン、ブレイズ」
「……仇はとった。ネイトが」
そして、画面の中を縦横無尽に塗り潰して回るダンテを操作する人物を予想したのは、他でもないダンテそのひとだった。
「あ……もしかしてアレ操作してんの、オニーチャン?」
無意識に零されたような言葉。視線が集まるのは仕方のないことだろう。
「オニーチャン、って、バージル?」
「以外にいないだろ」
「あぁ……通りで塗りが丁寧なワケ」
「さすがお兄さん、容赦も無いワケですね」
「お前ら何なのオレに何か恨みでもあんの?」
特にない、と誰もが首を横に振ったが、ダンテは納得のいっていない様子である。
「でもプレイヤー名がDanteってことは――借りてやってるってことだよな?」
「俺たちみたいに集まってやってんじゃないのか?」
「つまり……ハブられてる……」
「サイモン、そういうことは、思っても言わないのが優しさ……」
「あー……Chell、その、暖かく見守るような眼もやめてやれ」
「ん? あぁ、ダンテ、ケータイ鳴ってるぞ」
「噂をすれば何とやらだな……メール寄越してきやがった」
「なんて? ダンテの兄貴なんて?」
「……W主人公って知ってるか、だとよ」
ズイ、と突き出されたケータイの画面に浮かぶ文字列を見て、それを覗き込んだものたちは噴き出した。
 長い三分間を、もちろん交代しながら遊んでいると、誰かが小さな変化に気が付いた。開戦時には四人いたはずの相手チームが、バトル中にひとり欠けるのだ。それも、同じ人物が。バトルに勤しむプレイヤーは兎も角、第三者として全体を俯瞰している周囲はすぐに画面から消える名前を特定する。
「あ――ギャレット、またいなくなってる」
「落ちたんだろうな……」
「だろうなぁ……」
「やっぱ早く家賃払えってことなのかな……」
「世知辛い……」
その場に本人が居ないのを良いことに、思ったことをそのまま口にする面々であった。呟く彼らの中にも年中金欠に喘いでいるものが居り、同じように家賃に追われるマスターシーフに同情していることは、言わずもがなである。
 何度か接続が切れたりメンバーの離脱と復帰――ギャレットは十数回目辺りで諦めたのか仕事へ行ったのかで姿を見せなくなり、代わりにヘラーというファミリーネームが参加するようになった――があったが、特に何もなく平和に時間は過ぎていった。見学を申し出たメンバー以外が、一度はコントローラーを握り、満足したところである。一旦ゲーム機の電源を落として自由に寛いでいる。
「で――この後はどうする?」
飲み物のビンを片手にセバスチャンが部屋を見回す。部屋には、時計が無い。窓はあるが、切り取られた空の色は変わっていないように見えた。だが、それを気にするものはいない。時間がどのように流れていようと、さして気にしないし、誰にとっても重要なことではない。
「僕はそろそろお暇しようかと。作りたい武具もありますし」
苦笑して手を挙げたのはハンター。見れば、Chellも首を縦に降っている。大方GLaDOSに長く留守にするなとでも言われているのだろう。
「俺はこのまま残っても大丈夫。帰ったところで特にやること無いしな」
「あぁ、俺もだ」
「俺はまだ調べたい場所があるし、一旦帰る。サリーも待ってるだろうし」
デルシンとエイデンの言葉と反対に、帰ってやることがあると言ったのはネイトである。
「オレも戻るぜ!あの兄貴とオハナシしなくちゃな!! ――そういやセバスチャンは?どうすんの?」
「俺も一旦戻る予定だ。キッド……は大丈夫だろうが、ジョセフに顔見せとかないとな」
自分以外で集まっていたことを根に持っていたらしいダンテがどこか吐き捨てるように言って、思い出したようにセバスチャンの方を見た。訊いたことを訊き返されて一瞬目を丸くしたセバスチャンだったが、答えは決まっていたらしく、苦笑を浮かべて、さして間を置かずに答えた。
「へぇ、結構戻るんだな」
十二人中五人が戻る旨を明かしたところで、コールが意外そうに呟いた。そうだな、とエイデンが相槌を打つ。
「あー……まぁ、な、うん」
「言ってしまえば、俺たちは物語が完結していて戻る必要が無いからな…………俺は戻る予定だが」
「ハイハイ知ってた分かってた」
「さっさとアシュレイの旅見届けてこい」
残るらしい面子を眺めてダンテが言葉を濁したが――あっさりとバッターが身も蓋もないことを言った。どのような意味で物語が完結しているのかを言わなかったことと、野球帽のツバを引き下げてボソリと呟くように戻る旨を発したのは――おそらく――バッターなりの気遣いだろう。それを汲んだものたちも、暗く重くならないよう敢えて軽く、いつものように応える。
「まぁ、そういうことだから俺たちはこれから何するか予定立ててもいいだろ」
アレックスがジンジャーエールをチビチビと煽りながら言う。
「そうだなぁ……またさっきのゲームやってもいいし――」
「なに? デズモンド、ハマったの?」
「そうじゃない! いや、面白かったけど! ……一応カードゲーム持ってきてたんだけどな?この面子じゃ難しそうだと思ったんだよ!」
デルシンのニヤニヤとした顔に、デズモンドがカバンから取り出したカードケースが当たる。おう、と誰かが零した。
「キャットアンドチョコレート……あぁ、確かに……」
床に落ちて転がったカードケースを開けて中のカードを手にとったサイモンはカードとその場にいる顔を見比べて、そう零した。その後でデルシンに大丈夫かと声をかける。言葉の順序に対してだろう――不満げに答えるデルシンの額は赤みを帯びている。
「じゃあキャトルーなんてどうだ? ルルブとか今は持ってないが……次来るときに持ってきてやれるぞ?」
世界各地を飛び回っているネイトらしい提案が挙げられた。
「あぁ、キャトルーっていうのは、まぁ、その名の通り猫を演じるクトゥルフだな。探索者ならぬ、探索猫」
「カワイイは正義だよな」
猫、という動物の名に場が和む。人が猫に置き換わるということは死亡するのも生還するのも、もちろん発狂するものも猫になるということは、考えていないらしい。
「じゃあ次回持ってくるな。それまでネットで予習でもしといたらどうだ?」
してやったり、という風に笑みを浮かべ、そして、じゃあなと手を振って荷物を片手にネイトが退室する。それから多少の時間差はあれど、先程部屋を出ると言っていた面々が扉から退室していった。その際、持っていける分のゴミは誰からともなく持って出て行ったおかげで、散らかっていた部屋は大分片付いた。
 人口密度が低くなり、心なしか静けさの増した部屋に残ったものたちはさて、と特に意味無く座り直す。
「で、どうする? キャトルーだっけか?それについて、ちょっと調べてみるか?」
「ルールブックないんだし、それでいいんじゃない? 探索するのが猫ってことは、やっぱ人の時とは勝手が違うだろうし」
「いや、ルールブックなら大丈夫だ」
スマートフォンを触っていたエイデンが不意に顔を上げて言った。
「こんなこともあろうかと、ネイトが紹介した直後に頼んでおいた。一、二時間後には届くだろう」
「手が早いな」
届くまでの時間は、インターネットでの予習時間となった。
 ルールブックを届けてくれたのは金髪のツンツン頭をした青年だった。背後には武骨なバイクが群れのリーダーに従う狼のように控えているのが見えた。あ、と声を上げたデルシンとデズモンドを一瞥して、青年はサインと代金を受け取って――まだ配達先が残っているのだろう――足早に去って行く。
 座卓の中央に置かれたルールブックを最初に手にとったのはコールだった。パラパラと軽く目を通して、フムフムと頷いている。
「確かに、人間の時とは違ってるな……目を通しておいた方が良いだろう」
ほら、と座卓に戻して、六人ともが見えるように本を開いてみせる。月への跳躍や、ご飯ちょうだい、など、見たことのない単語が並ぶそれを興味深そうに覗き込む。
「ねぇ、このシナリオさ、少しアレンジしても良いかな?」
あれやこれやと言いながら一通り本に目を通した頃、サイモンがおずおずと言い出した。
「初回は素直にやるのが最良っていうのはわかってるけどさ、この面子だし、そのままやるよりはちょっと手を加えた方が面白くなるんじゃないかって思うんだけど――……ダメ?」
確かに、おどろおどろしい世界に身を置くものが多く――それこそどこかのキーパーの鬼気迫る迫真の演技のように、生存本能を直接殴り付けてくる程度のものでなければ――多少の異形や異常には瞬きの数も増やさない面子である。サイモンの提案に反対するものは、いなかった。
「いいんじゃないか? ちょっとアレンジするくらい」
「大部分は載ってるヤツに沿うんだろ? なら大丈夫だな」
「程々にな。ほどほどに」
「あー……まぁ、うん、なんだ。書いてて、その世界をこっちと混ぜないようにしてくれよ?」
「……気を付けるよ。じゃあ、みんな、できるまで昼寝でもしてたら? 遊びにも休憩は必要でしょ?」
「お前もな。休憩は適度に挟めよ」
「うん、わかってる」
そうしてサイモンは紙と鉛筆、ルールブックを手元に引き寄せて手を動かし始めた。

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