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​モブの暗殺in舞踏会的なアレ。女装とか。細かいこと気にしちゃダメなヤt

……CP要素薄いなんてのは書き手が一番よく解tt…_:(´ཀ`」 ∠):_ ...

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 外から帰って来た二人――その、副官の方が手にしている封筒の封は既に切られていた。渋そうな表情から、言うまでも無く、その中身を見たのだろうことが察せられる。そして、首領の所在を訪ねる声は、やはり重たいものだった。そんな副官の様子に、少なからずの恐れとどんな報せが来たのかと言う好奇心を綯い交ぜにして、青いシャツを纏う青年が口を開く。口を開いて、首領は自室に居る、と言おうとした丁度その時、広間に件の人物が姿を現した。

 そもそも人数が多くないとは言え、不自然に静まり返った広間を頓着することなく歩き、空いていた椅子へ腰を下ろす。そうして、その傍のローテーブルから新聞紙を取り上げ、優雅に広げて目を通し始めた。ジッと睨み付けるような副官の視線を、新聞紙の一面が受け止める。

「……招待状が、届きました」

十数秒の間、新聞紙を睨め付けていた副官が切り出した。青年や、その同僚たちが目を丸くした。何か――事態についての一から十までの説明――訊きたげな部下たちに構うことなく、コツ、と靴音を鳴らしながら首領へ近付き、既に開いている封筒を差し出す。封筒が空を扇いで、新聞紙が揺れる。そこで、ようやく組織の頭は新聞紙を閉じ、右腕に据えている者が差し出す封筒を受け取った。封筒の中には手紙兼招待券が入れられていた。

 特に何の感情も載っていない眼が、封筒の中から取り出された手紙に落ちる。その紙面に躍る文言は、各所から人を招いた盛大なパーティーを開くから是非とも参加を、と言うものだった。差出人の名前には見覚えがあった。いわゆる上流階級の生まれと育ちで、時折メディアに露出している――高位の役人の名であった。けれど首領はその名前を気に留めることなく、手紙を一通り追い、詰まらなさそうに広げたそのまま副官へフイと返した。

「面倒だな」

「欠席なさるおつもりで?」

突き返された手紙を受け取りながら苦い顔で問う右腕に、再び新聞紙を広げながらその頭は答える。

「男女一組が参加条件だ」

新聞紙が揺れる乾いた音を背景に、その場に居た者の、ほぼすべての視線が組織で唯一の女性に向けられる。油断していた紅一点は思いがけず注視され、ぎょっとして組織の面々を見つめ返す。そんな部下たちの遣り取りに関せず、彼女たちの上司は事も無げに続けるのだ。

「大方舞踏会でも催すのだろうが――生憎、俺はそんなことをした経験など持ち合わせていない」

「ちょ、ちょっと待ってよ! あたしだってそんな、ダンスなんてしたことないわよ!」

思わず紅一点が立ち上がって叫ぶ。首領含め、上品な世界とは縁遠い世界で育って来た者たちには、つまりそれは嫌がらせのようなものだった。

 各所から、と言うことは政界や財界と言った煌びやかな世界の住人も招かれているのだろう。そんな場に、そういった教育を受けていない、また習うようなこともしなかったであろう彼らのような人間を招く意図は、どう考えても良いものではない。自分たち以外にもこの招待状は送り付けられているのだろうが――どれだけが応じると言うのか。

 しかし、と副官は考えもする。

「――しかし、これに出席し、上手く立ち回ることが出来れば牽制にもなるのでは、」

「上手く立ち回る、な。お前がパートナーと共に奴らと同程度のダンスを披露できると言うのなら出席すれば良い」

「それ、は……」

提案を軽く往なされ、言葉を詰まらせる副官もまた他の者と同じように下層社会で生まれ育った人種だった。無論、踊るための足捌きやそういった場での振る舞い方など習ったことは無い。次いで、追い打ちのように、成り行きを見守っていた者の一人から揶揄のような声が上がる。

「そうだな。それに――おそらく、見知らぬ参加者とも踊らねばならないぞ」

知った口を、と声の主を追えば、その目は穏やかに愛鳥を撫でている姿を捉えた。

 組織の上二人が話している内容を、鳥類を構う片手間に聞いていたらしい。緩やかに口元を綻ばせている彼へ視線を移し、そういえば彼らは他所から来ていたことを思い出す。

「心得があると言った口振りだな」

「まあ、社交ダンスと社交界での立ち振る舞いくらいは心得ているかな」

 

「久しぶりになるが、覚えているか?」

「お前ほど上手くはないと思うが、見せられる程度には」

一人では踊れないから手伝ってくれ、と手を曳かれた彼の親友は刹那驚いた表情を見せ、けれどすぐにその求めに応じた。椅子やテーブルが置かれていない、広間の中央辺りに向かい合って二人は立つ。首領を含めた、広間に居る者すべての視線が集まる。

「手始めにワルツだな。私が女性役をする」

ちらと客席に視線を遣り、彼は親友と共に踊る体勢に入る。周囲の空気が、シンと凪ぐ。そうして、静かにふたつの身体が動き始める。

 いち、に、さん、と口頭で取られていたリズムは、さして時間をかけずに必要とされなくなった。曲が聞こえているかのような軽やかさで広間を揺蕩う。女性役、と彼は言っていたけれど、その動きは性で分けられたと言うより、互いに互いの動きに合わせた結果、と言う方がしっくりと来た。見つめ合っている視線が、時折ツイと客席へ投げられる。それが帯びる気品は、捉えた刹那、そこが舞台の上であるかのように思わせた。

 二分程して、その小さな舞踏会は終わりを迎えた。スッと二人の足が止まり、客席に向かって綺麗に一礼をする。客席から、ぱらぱらと上がる拍手と感嘆の吐息に、小さく口角が上がる。

「あとはヴェニーズワルツと、念のためにタンゴとジルバくらいは覚えてもらいたいな」

緩やかに微笑んだまま彼がそう言うと、同僚たちはありありと不可の表情を浮かべた。紅一点も同じように始める前から根を上げている――が、ふと何かを思いついたようにその顔が明るくなった。

「あの、思ったんだけど、踊れるならあなたたちが行っちゃえばいいんじゃない?」

紅一点の提案に、その周囲から、おぉ、と声が上がる。けれど、困ったような声音で彼が提案者に訊く。

「それは――組織の頭でも右腕でもない者二人が出席するのは、さすがに拙くはないか?」

「あ……それは、確かにマズいかも…………じゃあ、あなたと……その、どちらか? あなたどっちでも踊れるみたいだし、今から二人に教えるよりは楽じゃないの?」

「…………そんな……私が女装するしかないのでは……」

「ドレスは買わなきゃダメだろうけど、化粧ならあたしが責任を持ってしてあげるわ!」

話すにつれて生き生きとし始めた紅一点であった。その勢いにやや圧されていた彼は彼女から視線を外し、小さく溜め息を吐く。そして、未だに難しそうな眼をしている首領とその副官の方を向いた。倍の練習量を要すると言っても、女性役に回ることなど意地でもしないだろう。

「では、どちらにエスコートしてもらえるのか、訊いても良いか?」

 

 誘うように手を差し伸べる姿を前に、お前が行けと首領が副官へ視線を飛ばす。けれど、視線を受けた副官は、その意図を汲んでいない素振りで、にやりと唇を歪めた。

「……やはりそういう場へは組織のトップが赴くべきだと思うのですが、」

組織や首領の顔を立てるような物言いの中に含まれた他意を察した者は多くはないようだった。それを向けられた当人が察しているかどうか、仕掛けた側には判らなかったけれど――兎角、首領は面倒そうに腰を上げて彼の誘いに応じた。それまでその傍に立っていた親友が心なしか面白くなさそうな顔で客席へ下がる。

 そうして、手を取り合うかたちで広間の拓けた空間へ向かう。先程、親友と共に踊り始めの位置として立った場所に、今度は首領と共に立つ。向かい合う相手の手を腰へ導きながら彼は小さく笑う。一度見ただけで足が運べるとは思えないけれど、パートナーとなる者の程度を知っておくことは必要だろう。

「仮令踊れずとも、部下にとやかく言える資格はあるまい」

「悪趣味だな」

言い合い、くすくすと笑い合いながら体勢が整えられる。それだけで画になる二人の姿に、客席の誰かが息を呑んだ。

 いち、に、さん、と前のように彼がリズムを取る。それと共に踏み出された一歩は、至極軽やかなものだった。

 おや、と彼の目が丸くなる。足は絡まることなく、また身体はごく自然に呼吸を相手に合わせている。握られている手、腰に当てられた――当てさせた――手へ瞬きと共に視線を遣り、それから相手の顔を見遣る。そこにあった、伏せがちになっている双眸は、足元を気にする表れなのだろうけれど、同時に容易くできることに飽いている気怠さのようにも感ぜられた。つまり、二人の姿は、踊っている、と言って良いものだったのである。

 

 最近目に余る行動を繰り返している破落戸を掃除しに行く道中だった。これから訪れる騒乱をまったく感じさせない呑気さで首領が小さく欠伸をした。

「あまり寝ていないのですか?」

頻繁には見かけないそれに、ふと興味を覚えた副官が訊くと、特に隠すことなく、あぁ、と答えられた。

「夜のダンス・レッスンで少し、な」

件のパーティーに出席することになり、そのためにダンスの練習を――昼間はそれぞれ仕事もあるので、主に夜の時間帯で――していることは、もちろん副官も知っていた。けれど、それを言う首領の顔が、にやりと意味ありげに笑んでいたものだから、副官は揶揄われていると思う前に、え、と立ち止まってしまった。そんな右腕を気にすることなく、首領は変わらぬ歩幅で歩いて行く。遠くなっていくその背を、何とも言えない視線が見送る。そこを、他の仕事を終えて合流しようとする、今日も青いシャツの青年が不思議そうな表情を浮かべながら走り抜けて行った。首領に追いつこうとする青年の背を捉えて、ようやく止まっていた足が再度動かされる。

 組織の古参組が破落戸の掃除に赴いている頃、彼は拠点で書類やデータの整理をしていた。それぞれの得意分野に偏りのある組織で、こういった処理は大概副官か彼の仕事だった。既存のものに加え、随時追加される書類はなかなか机の上から姿を消しきらない。似たような、しかし所々異なる文字列を確認しながら彼は書類を選り分けていく。

 紙面から眼を離して、少し身体を伸ばすと骨の鳴る音がした。ぐるぐると身体の中で淀んでいた空気が押し出されるような感覚に、自然と声が漏れる。はふ、と一息吐けば、穏やかな陽射しと相俟って、睡魔が顔を覗かせ始めた。

 扉を叩いて、返事は無かったけれど自分と彼の間柄であるし、届けるべき書類もあるから、とそのまま入室した親友は、腕を枕代わりにして机に上体を預けている姿に出くわした。

「――なぁ、大丈夫か? 寝るなら寝室行った方が良いぞ?」

肩を優しく叩いてやると、存外その身体はスッと起き上がった。目を閉じていただけらしい。問題ないと言う彼に、親友は困ったような渋そうな表情をする。そんな親友を、腕を伸ばしてより近くに呼ぶと、彼はその頬を両手で包む。応えるように、親友も彼の頬を両手で包んだ。そして、そのまま、自然と額同士が合わせられる。

「最近、寝る時間あんま取れてないんだろ」

「あぁ――夜のダンス・レッスンで少し、な」

悪戯っぽく理由を零す彼に、お気に入りを取られた子供のように唇を尖らせる。判りやすく執着を見せてくれる親友に、拗ねないでくれ、と彼はその額に口付けを落とした。

 

 彼は普段から踵の高い靴を履いているけれど、ここのところは、それに加えてその支えが細いものを履いていた。

 履き始めた頃の足取りは心もとなく――立って歩けるだけでも随分マシであるが――、しばらくの内勤を言い渡された。何故そうなったかと言えば、これもパーティーに出席する準備の一環であった。

 おそらく紅一点が最も張り切っている。組織からの出席者が決まった、その翌日には踵が高く細い、爪先も細くなっている靴を買って来たのだ。それを彼に差し出して、本番までに慣れておくのよ、ととてもきれいに笑ったのだ。だから彼はその日も細くて高い靴を履いていた。

 紙面の数字と実際の個数を照らし合わせ、ズレがないことを確認して彼は倉庫を出る。数は合っていたけれど、備品数をもう少し増やしておいても良いだろう、と再度書類に目を通しながら思う。そうして、コツコツと踵を鳴らしながら廊下を歩く彼の前方に、件の紅一点が見えた。その手には愛らしいタンブラーが握られていて、仕事終わりにカフェに寄って来たことが窺われた。相手の方も前方から歩いて来る彼の姿を見とめ、あら、と声を上げた。

「もうだいぶ慣れたようね」

「おかげさまでな」

「ふふ、どういたしまして。それで、ドレスのことなんだけど、オーダーメイドを注文してる余裕なんてないから、既製品で良いわよね?」

「まあ……そう、なるな? そう言ったことはあまり詳しくないから、任せても良いか?」

「そうねー……あたしも初めてだけど、任されてあげるわ。色はやっぱり青系が良い?それとも思い切って赤系にしてみる?」

そんな風に、実に楽しそうに話す紅一点は、街に居るおしゃべり好きな女性たちと変わりなく見えた。年相応と言うか、御伽話を好む、ごく普通の女の子のように。

 わくわくした様子で自身の計画を歌う紅一点を、彼は少し不思議そうに見つめる。その時々で変える装いについて、男性よりも女性の方が詳しいことは解る。けれど、それでもどうしてここまで楽しそうなのだろう、と思った。意識しないうちに小首を傾げていた彼に彼女は気付く。

「女の子って言うのはね、みんな一度は舞踏会に憧れるものなのよ」

「今回は自分が参加するわけではないようだが?」

「帰ってきたら話は聞かせてもらうから良いの。それに、あなたで遊べるなんて楽しすぎるじゃない?」

 

 参加する予定のパーティーに、組織にとって好ましくない人物が出席すると言う情報を掴んで来たのは親友だった。仕事先で町民が噂しているのを拾い聞き、対象の屋敷を偵察して確証を得たと言う。証拠として撮った、同じパーティーへの招待状の写真と共に報告を上げれば、上司たちは案の定良い機会だとパーティーで対象を始末することを決定した。

 

 鏡台の前に座り、普段とは違う自分の姿と対面しながら、彼はこれからの予定を頭の中で繰り返し確認する。その怜悧な横顔はつくりものめいて見えた。

 装飾品含め、衣服全般を任されていた紅一点が選んだドレスはアンクル丈のものだった。紺青色のそれは平時衣服に覆われて日に当たることのない肌をよく引き立てていた。仕事柄と言うべきか、背中などにちらほらと見える傷跡は、出来る限り化粧で隠す他ない。主催者や受付の人間は、出席者がどんな界隈の人間なのか把握しているから良いだろうが、知らない者たちから面倒を吹っ掛けられる可能性は大いにある。チョーカーのように首部分の布地を残して大胆にカットされ、腕部を覆うものがないドレスには、合わせてオペラ・グローブが用意された。喉元は同系統の色を持つファーを巻いて隠すと言う。片耳に品を落とさない程度のイヤーカフを着け、髪も丁寧に梳かれる。

 そこまで――否、現在進行形で彼はすべて紅一点に任せていた。部屋を訪れ、用意されたドレスを身に纏い、練習用ではない靴に履き替える。いつものバイザーは好ましくないと言われ、カラーコンタクトと薄く色の付いた眼鏡に代える。そうやって、見慣れない姿になっていく彼を眺めながら、首領と合流するまでの付き添いを務める――申し出た――親友は、着せ替え人形のようだ、なんてふと思った。そして、髪が整えられて耳にイヤーカフが着けられる前の段階の光景を、その親友は忘れないだろう。

 細い手に触れられる度、太さの違う筆に撫でられる度、変わっていく顔を、鏡越しに見ていた。身内の贔屓目無しに見てもきれいな顔が、女性の美しさを纏っていった、その非日常。気取らぬ美しさ、透き通った青に近いうつくしさだと思った。そうして、最後に、薄く開かれた唇へ、ツ――、と鮮やかな紅が引かれていく場面。

 自分が作り上げた麗人に、その作者は実に満足そうな顔をする。上げていた前髪を下ろし手櫛で整え、イヤーカフで耳を飾ってやる。

「さ、できたわ」

その一言を起動の合図としたように、紅を引かれる時に閉じられた目蓋が、ゆっくり開かれた。

 

 玄関ホールで、こちらも準備を整えた首領と、その手伝いをしていた副官と合流する。部下に手を曳かれ現れた紺青の麗人が誰なのか――知ってはいたけれど、想像以上の出来に刹那目を丸くした。

 立ち直りが早かったのは流石と言うべきか、首領の方だった。

「ほう? 化けるものだな」

「讃えるべきは彼女の腕だ」

綺麗に笑う麗人が格好を整えてくれた紅一点を指す。そうして、向けられた視線と――軽くとも直々の――労いの言葉に紅一点は恐縮した。

「格好はそれで良いだろうが……声はどうするつもりだ」

その変わりようにか、或いはそれに一瞬でも思考を奪われた自身に対してか、解せぬと言いたげな眼をしていた副官が小さな疑問を発する。老若男女問わない声真似を特技としている彼のことであるから、策はあるのだろうが――まさかいつも通り女声をそのまま演ずることはあるまい。懸念を潰したげな問いに、案ずるなと回答がされる。

「さすがに肉声ではリスクが高いからな。ファーの中に変声機を仕込んだ」

言いながら首元を――おそらく付け爪だろう――指先が綺麗な曲線を描く手が撫でる。ふわ、ともふもふした襟巻に手が沈んだ。それから、小さく一つ咳払いをして、これなら問題あるまい、と発せられた声は、少し低めではあったけれど、女声だと言われても違和感のないものだった。

 会場まで二人を送迎する車の運転手は、乗り込んだ二人が初めて手を取り合って踊ったところを見ていたけれど、紺青色のドレスに身を包んだ麗人が誰なのか、気付いていないようだった。組織からの参加者が誰と誰なのか、伝えられているはずなのに――いつの間にどっからそんな女捕まえたんですか、なんて運転席と助手席から声が上がった。

 日頃ほぼそうであるように、賑やかな前席二人に構うことなく首領は窓の外を眺めている。首領と共に乗り込んだ方も曖昧な笑みを浮かべるばかりで答えることはない。動く気配を見せない事態に、痺れを切らして副官が運転手を睨め付けた。余計な詮索は不要だ、と成る丈後部座席の二人に聞こえないよう、口を閉じさせる。そのおかげで確かに前席は静かになり車も動き出した。けれど詮索をするなと言われたおかげで、送迎組は首領の相手の麗人についての想像を膨らませるのだった。信号や歩行者で停まる度、チラチラと後部座席を気にする前席に、件の麗人は微笑ましさを感じた。

 

 大きな邸宅を囲む歩道と高い壁の周囲には車や人が溢れていた。屋敷そのものや庭、外壁までをも照らす照明は煌々としていて、人々の騒めきと相俟って眠りを感じさせない。普段身を置く世界――所謂、裏社会――とはまったく異なる世界の眩さに眼を細め、その近くに車を停める。

 

 迎えの際は連絡を入れると言って帰した送迎組と車を後に、足を踏み入れた会場は既に多くの参加者で賑わっていた。何とはなしに視線を巡らせても新聞やテレビなどで見たことのある顔が視界へ入る。誰もが着飾り、贅沢な飲食に舌鼓を打っている。その中で居心地悪そうに、或いは他者を気にしている様子の者たちは、彼らと同じく裏社会から招かれたのだろう。そんな他所の様子を見て、寧ろこの男のように初めての場所にも関わらず平然としている方が稀なのだ――と、隣へそっと視線を遣った彼は思った。

 一先ずは様子見を、と壁際へ寄り、会場と参加者たちを観察している二人に、一人の男が近付いてきた。人の好さそうな男だと、彼は男の第一印象をそう持った。

「お前も出席しているとは驚きだな……そちらの女性は誰なんだ?」

「人のことは言えまい。それと、まずは自分から名乗るものではないのか?」

首領の言葉に、これは失礼、とやはり礼儀正しく頭を軽く垂れた男は、自分もまた裏社会の人間だと自己紹介をした。

 他の組織の頭を務めているらしい。首領へ向ける視線と自分へ向ける視線に険の差があると感じたことは気のせいではなく、実際にそう言うことなのだろう。人助けや自治を主な活動としているらしい男の組織は、首領を筆頭に思うままを貫く組織とは相容れない、どころか敵対していると言っても過言ではない。それをパーティーの主催者が知っているかどうかは知らないが――これも縁の内なのだろうか、なんて彼は少し笑ってしまった。そして口角を上げたついでに、こちらこそよろしく、と自己紹介を返したのだった。

 彼が実に綺麗な笑顔を見せた時、広間の前方に設けられた舞台上に待機していた楽器隊がそれぞれの得物を鳴らし始める。各々談笑していた参加者たちが近くの異性と手を取り合って踊り始めた。

 周囲へぐるりと視線を遣り、男が眉尻を下げた。察するに、目の前のこの男もダンスの経験など無いのだろう。それでも、女性を前にして、誘わないのも如何なものかと――大方、そんなことを考えているのだろう。

 答えは十数秒の逡巡の後に出された。

「あぁ――貴女さえ良ければ、私と一曲、踊っていただけませんか」

軽く腰を折り、片手を差し出す。その時、チリリと愛らしい音がして、軽く開けられた首元に澄んだ石の首飾りが見えた。チラと見えた石が湛える光に息を呑み、刹那表情を強張らせるも、彼はそれを見事に覆い隠して口を開く。

「とても嬉しいのですが……ごめんなさい、旦那様とお話があるから、踊れないの」

「だッ――え、あ、いや、失礼、その他意は無くて、その……そ、そう、ですか」

困惑と安堵が混じった声音や表情の男は、そしてまた一礼して去って行った。件の旦那様から視線が向けられる。

「旦那様、か。やはり悪趣味だな?」

「あぁ失礼しました……どうぞご容赦の程を、ダンナサマ?」

その視線を微笑して受け止め、臆することなく返したのだった。

 

 会場は主催者の自宅であり、もちろん広間から居住区へ抜けることも出来る。ちらほらと人の輪から外れていく人影が見えるのも、客に解放された部屋へ向かうためだろう。中には連れ立って参加した相手ではない異性と消えていく者もいるのだが――各参加者の相手など彼らが把握しているはずもない。

 標的の姿を捉え、舞踏に加わらずに居た彼らは目配せをする。まずは彼が標的に近付き、世間話なりダンスなりをし、他の参加者と同じように一室へ向かい、首領が二人の後からその部屋へ入り仕留めるという算段だった。部屋へ連れ込んでしまえば気付かれようが気付かれまいが、その首は貰ったようなものである。滅多にない状況ではあるけれど、内容からすれば容易い仕事だと、彼は自然を装って標的へ近付く。

「――もし、旦那さま。一曲お相手願えますか?」

他の参加者と話していたところへスルリと入り込み、会話が途切れたタイミングで、標的の手を掬い上げながら笑顔を見せる。手を握られ、笑顔を向けられた標的は、それが自身を最期へ曳いていく手だとは露程も考えず、上機嫌と言った様子で頷いた。そのまま手を曳かれ、人波を搔き分けて、二人は広間へ躍り出る。

 演奏に身体を委ねながら他愛のない話をする。同時に、相手が自分に興味を持つように――そしてその気になるように、標的を誘う。くるりくるりと回る途中、相手の向こう側へ視線を遣れば、見知らぬ女性と踊っている首領が見えた。愛想笑いの欠片も浮かべていない顔に――解ってはいたが――小さく失笑してしまう。踊っている相手は、その小さな笑みが自分へ向けられたのだと思ったらしい。握られている手と抱かれている腰に仄かな痛みを感じた。

 曲が終わると、狙った通り、二人だけで話をしないかと標的は手を曳いてきた。その誘いに、驚いた表情を浮かべてから嬉しそうな笑顔を作る。えぇよろこんで、と何も知らないふりをして、誘いに乗る。踊っていた女性の話を適当に流している首領へチラと眼で合図を送り、人の群れから抜け出ていく。

 

 階段を上り、人影が疎らな二階の一室へ入り込むと、性急に寝台の上へ突き飛ばされた。周囲も含め、来客用の部屋なのだろうそこは簡素な造りをしていて、素泊まりのために用意されたような物の少なさだった。ぼふりと背中に受けた衝撃で呼吸が一瞬止まる。次いで脚に重みを感じると、太腿に陣取る標的が見えた。

 上体に影がかかる。視界はほぼ下卑た表情を浮かべた標的の顔に埋められる。熱を帯びた指先が顔の輪郭を、首筋を、胸の中心を真っ直ぐに下って腹へと、動いていく。やわらかな場所を無遠慮に触れられて呼吸が小さく引き攣った。その、反応をどう受け取ったのか――標的はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて乱雑に自身の服の前を開けた。そしていよいよ獲物を弄る目付きで舌なめずりをする。その時、男の顔の方を見ていた双眸が、細められた。

 薄い硝子板の奥で緩やかな弧を描く目は自分を見ていない。それに気付いて、まさかと背後を振り返ろうとして、それは叶わなかった。

 首が回らない、何者かに押さえられている――と思った瞬間、ゴキリと視界が回った。

 脱力し、倒れ込んできた身体の下から抜け出し、何事も無かったかのように立っている首領の傍へ向かう。人一人の命を奪った直後とは思えない変わりのなさで、窓の外を見ていた。目的は成され、後は現場から離れるだけである。

「予定通りだな」

「ああ。もうここに用は無い」

「なるほど――やはり招待されたから来ただけ、と言うわけではなかったようだな」

窓を開け、退路を確認している二人の間に、第三者の声が入った。それはつい最近聞いたものだった。二人は声のした方向――扉の方を見る。そこには、案の定広間で出会った、人の好さそうな男が立っていた。

「招待されたから出向いてやったことは事実だ。むしろこちらがついでだな」

部屋を一目見て状況を解したらしい男は非難の眼で対立組織の頭を睨む。対する方は、その視線も言葉も歯牙にかけず、鼻で笑い飛ばす。

「今日お前と遊んでいる時間は無いのでな。失礼させてもらおう」

二人の首領が話している後ろで他の建物へロープを渡していた麗人が自身の首領へ手筈が整った旨を伝える。大通りとは反対側、人気も明かりも少ない道に面している部屋を選び、そこが終点となるように図ったのは流石と言うべきだろう。バルコニーの手摺りに立ち、持っていた銃をロープへ引っ掛けて逃げる算段らしい。

 待て、と叫ぶ男を嘲笑うかのように、振り返りもせず手摺りが蹴られる。思わず手摺りへ駆け寄る男の前へ、紺青色のドレスを纏った麗人が現れる。まるで少女が少年を揶揄う時のように、ドレスの裾をふわりと遊ばせて、とおせんぼうをする。

「――! 退いてくれ!このままみすみす逃がすわけには、」

「今日のところはこれでお開きとしましょう?」

嫣然と歪む紅に誠実そうな眼は奪われる。そして、その一瞬の間に彼は身を翻し、先程自分の首領がしたようにバルコニーの手摺りの上に立つ。

「それでは、また何れ何処かで――首領殿?」

舞台役者のように瀟洒な一礼すらして、今度こそバルコニーから飛び出した。その手にはいつの間にか小さな銃が握られていた。止める者のいなくなった男はその後を追い、手摺りから身を乗り出して二人が消えていった闇を覗き込む。離脱に使われたロープは既にだらりと垂れ下がっていた。追うことを諦め、辛うじて建物や道路、街路樹の影が判る夜の道に目を凝らす。男には、そこで――眼下で何かが動いている、と言うことが判ったけれど、結局それだけだった。

 兎角、この状況を主宰者や警察に――出来るだけ騒ぎにならないよう――知らせねばならない。まんまと殺人なんてことをしてやられた歯痒さと、一緒にいた女性は一体誰なのかと疑問が残る。

 溜め息を吐いて、男は静かに部屋を後にした。

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