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 最近、レジャースポットで新しい顔に会うようになった。まあ旅人は珍しいものではないし、入れ替わりは激しいものであるから、新顔が増えること自体は改めて言うことではない。それなのに何故わざわざこんなことを思っているのかと言えば――他の旅人たちとは一風変わっているからだった。

 新顔は二人。キャンピングカーはそれぞれ、灰と黒に赤がアクセントに入っているものと、紺藍に黄がアクセントに入っているもの。持ち主は、威圧感を発している男と物腰は柔らかな男。前者は裾の擦り切れた外套を纏っている。どちらも顔は整っていた。けれど、その二人はどちらもどこか草臥れたような空気を滲ませているような気がした。旅人の詮索など野暮で、するものではないと、旅人は皆一様に旅人以外の何物でもないと、解ってはいるのだけれど――。

 僕は他の旅人と同じように彼らの頼み事を聞いてお遣いをする。

 例えば魚を釣っていく。スープやムニエルなんかの、少し凝った料理をご馳走になることが時々ある。美味しいですね、と素直な感想を伝えると、しかし求める味とは少し違っている、なんて答えが返ってくる。

 例えば虫を採っていく。蝶の色彩や甲虫の光沢を目を細めて眺める姿を度々見る。綺麗ですよね、とおそらく相手も思っているだろう感想を述べると、しかし見たい色とは少し異なっている、なんて言葉が返ってくる。

 例えば果物を持っていく。そのまま食べたり、ケーキやタルトと言った甘味を振る舞われることが間々ある。ありがとうございます、と軽く頭を下げると、しかしあの味ではなかったな、なんて苦笑が返ってくる。

 例えば、世間話や他愛のない話をする。キャンプ場はどうかとか、どのレジャースポットはどうだとか。そんな話をしていると、10回に3回くらい、誰かの話になっている。名前が出たりはしないけれど、心当たりのある誰かのことを聞く。

 どちらも同じようなことを言うのだ。偶然だろうか、とも思ったけれど、同じような空気を纏ったものが同じような表情を浮かべて同じようなことを言うなんて――偶然ではないのだろう。きっと、たぶん二人は知り合いなのだ。それも、極近しい位置付けの、知り合い、或いはそれ以上の関係だ。では何故それぞれ一人で旅をしているのだろう。

 旅人の詮索は野暮。ただの一キャンプ場の管理人には烏滸がましい行為。旅の動機など十人十色。事情など人それぞれ。

 だから僕は、今日もキャンプ場やレジャースポットを回って、何も言わず、聞かず、個性豊かな旅人たちの手伝いをする。

 昼食を済ませた後、長閑な昼下がりの頃合いに川の流れるエリアで、僕は紺藍色のキャンピングカーに乗る彼と出会った。彼は滝からほど近い場所――けれど僕が車を停めるのに邪魔にならない位置――にキャンピングカーを停め、傍の切り株に腰掛けていた。僕を見とめると、ゆるりと笑みを浮かべて片手を軽く振ってくれた。

 こんにちは、と僕は彼に話しかける。やあ、と彼は僕に返してくれる。そして話を聞くに、どうやら今すぐに必要なものは無いらしい。そこで僕は何とは無しに彼のキャンピングカーを褒めたのだ。加えて、キャンピングカーから離れているところを見たことがない旨を零した。

「そう……か? ふふ。そうか。綺麗で、カッコイイ、か。ふふふ。ありがとう。いや、コレは私の一部と言っても過言ではないから、あまり離れられないのだ」

まるで自身を褒められたかのように照れ臭そうに笑われた。まあ、キャンピングカーは旅人を映す鏡だと言えなくもないだろうから、可笑しな反応ではない。自身の一部が如く大切にする旅人にも会ったことはある。その後の、私がコレの一部か、と言う呟きは少し気になったけれど、つまりそれだけ大事だと言うことなのだろう。

 そうして彼とまた少し話してから、僕は他の旅人たちの様子を見にレジャースポットの見回りに戻った。あの後も何度か彼やもう一人の旅人に会い、お遣いや世間話をした。姿を見なくなった時は寂しさも感じたけれど、出会いと別れが旅の醍醐味でもあると、二人の旅の幸運を祈った。もしかしたら、また何処かで会うこともあるだろう。

 そんなことを思った数年後、僕は二人と再会するのだけれど、そのお似合いっぷりに暫し呆けしまうことをまだ知らない。

 

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キャンピングカーが本体。外に出て管理人や他の旅人と接触してるのはいわゆる義体的な。機体の一部で作った骨格によく出来たガワ被せてる。本体からあまり離れられない。

戦闘での負傷・欠損箇所を修理する技術や部品を探す旅してる大帝音波とか良いと思います。効率を考えて別行動。

キャンプ場には休憩(補給)目的で立ち寄ってると思われ。

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