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こぽこぽ、と透明な気泡が昏い水の底から明るい水面へと登っていく。

苦しくはない。冷たくもない。ただ、其処に意識が在るというだけで、それだけなのだ。

薄い象牙色の髪が漂う。瞳を閉じて、ヒンは以前のことを回想する。

「(あの日、違う選択をしていたらワタクシは今も貴方の隣にいられたのでしょうか)」

幸せな、温かい、兄と過ごした日々が次々と浮かんでは消えていく。

もう一度。その幸福を掴みたい、と手を伸ばすも、皮肉なことに手を伸ばした瞬間その温もりは攪拌されて消えてしまう。まるで、生まれたばかりの命がすぐに絶えてしまうかのように、儚く、淡く。

そんなことを繰り返しているうちにヒンは手を伸ばすことをやめ、それをひたすら傍観するようになった。流れに身を任せ、流されるままに薄花桜の中を漂い続ける。最初に自分は何処にいて、今の自分が何処にいるかなど分からない。

ヒンは思う。

もしも。もしも兄が、自分にすべてを忘れるように言えば、その通りすべて忘れるのに、と。二人で過ごした日々を失くすのは勿体ないが、兄がそれを望むのならば記憶のすべてを粉々に砕いてもいい。そして、それを誰にも見つけられないように風葬してやるのに、と。しかし残念ながら今のヒンには兄にそれを問う声も答えを聞く聴力もない。

ひとつ。またひとつと、気泡が水面で消える。

暗闇を彷徨っていた方舟が光へと消えていくように、いつか自分も消えていくのだろうか。しかし、きっと進み始めた舟の中に以前のモノなど何も無く、その舟は進み始める前の舟とカタチは同じでも本質的な意味では違うものなのだろう。

すべてを持っていくには舟が小さすぎて沈んでしまうから、少しずつ、少しずつ捨てていくのだ。捨ててしまえばもう拾うことなんて出来ないから、ひとはその想いを無意識に封じ込めてそこへは帰れないようにする。それは己で逃げ道を絶つようなもので、己へと与える罰のようでもあった。

その途中で、ヒンは何度も振り返る。別れを惜しむように。自分の意思だけでは捨てきれないというように。

だからヒンは何年も何年も此処にいるのだ。彼は遠くへと霞んでいくそのすべてを未だ覚えている。

あたたかい部屋。あたたかい温もり。しあわせな時間。しあわせな出来事。そのすべてをヒンは覚えている。

全部全部だいじなものだったから。彼はさいごの時までそれを抱きしめる。

 

いつか兄が言っていた。

『もしもボクらが生まれ変わって別人になったとしても、ボクはヒンだけを愛すよ』

それを思い出して、ヒンは兄に再度問うて見たくなった。

 

そうして全てを忘れてもなお、ひとつの愛が永遠だと言うのならば。

 

儚く揺れたウタカタの先

(どうか、生まれ変わっても愛してくださいまし)

​BGM:ウタカタ(天野月子)

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