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チャプター5「脱出」に至るまでのウォルターの動向を追おうとした話。妄想・捏造多々。CP要素は無いです。

暴力・流血描写があります。

総じて妄想と捏造(いつもの)

後ろのはあとがきのようなもの。

 

スネイルくんに悪役してもらってます。ファンの方ゆるして。

 

『Error File』との繋がりは無いです。

 

---

 

 おれのせいだ。

 機体のシャットダウンにより通信が途絶え、レーダーから621の機体反応が消えたとき、からだが芯まで冷えていった。

 俺のせいだ。周囲の警戒を怠った。俺の仕事だったのに。それを怠った。不測の事態を予測しろと、散々言っておきながら俺は。俺のせいで621は――。

 否。まだ終わったわけではない。621は捕まってしまったが、俺はまだ捕まっていない。動ける。時間はあるはずだ。621は強い。おそらく今のルビコンⅢで一番強い。傭兵として、戦力として価値がある。すぐには殺されないはずだ。621を助ける時間はある。

 焦るな。しかし急げ。きっとこの場所も探知されている。移動しなければ。ここまで来て、諦めるわけにはいかないのだから。

 

 

 

 短く息を吐いたウォルターはヘリのコントロールパネルを操作して、速やかにその場を離脱した。

 幸いにも技研都市は彩度の低い廃墟や瓦礫が多い。多少の時間稼ぎにはなるだろう。

 ウォルターはまず「友人」の一人であるカーラに連絡を入れた。自身の状況と考え。これからとるつもりの行動を、カーラに伝えておく。最後の通信――遺言になるかもしれなかった。

 「……あんたの、やりたいことは分かった。だが、ウォルター。こいつは……あんまりにもリスクが大き過ぎると思うんだがね、私は」

 「わかっている」

 「そもそも成功するかすら怪しい。成功したって、あんたは失うものが多過ぎる」

 「それであいつが何かを得られるなら、俺はそれで良い。……それに、そもそも俺は勝つことを諦めていない」

 「随分ビジターに入れ込んでるね」

 「あいつは俺の期待に応えてくれた。今や俺たちにとって最大の戦力だ」

 「人生を賭けた大博打ってわけだ。笑えるね。――仕方ない。付き合ってやろうじゃないか」

 カーラに今まで集めたデータと、特に「賭け」が成功した後のこと――621の世話を託す。

 ウォルターはカーラ含めた友人たちから遺志を継いだ側だ。友人たちはウォルターが最終走者になると思っていただろう。だが今、その最後の灯火守の役は、最も若い友人から別の者へ手渡されようとしていた。

 「――よし」

 カーラへの引き継ぎを終え、ウォルターは通信を切る。次に向かうのは私室だ。コツコツと杖が短い間隔で床を叩く。

 ハンドラー・ウォルターの私室は閑散としている。物はあるのだが、仕事のための機材や資料ばかりで生活感がない。そんな部屋の奥に、ひとつのケースがあった。それを引っ張り出して、ウォルターは部屋の隅に置かれた簡素なベッドに腰かける。膝の上に乗せたケースを開ければ、中には脚部に装着する補装具が納められていた。

 万が一の時のために用意していた「脚」だった。補装具を取り出したウォルターはそれを撫で、脚へ遣った。脚を包むように着けるそれは、接触部位を締め付けたり擦れたりしてあまり着け心地の良いものではない。得てして既製品とはそんなものだ。何にせよ今は構っていられない。

 そしてウォルターは621へのメッセージを残す。相手へ届くかは分からないものを、ふたつ。

 

 ヘリが揺れて、指定した座標に到着し、着陸したことを知る。

 技研都市。ウォルターの生まれ育った場所。そこに居られた時間はけして長くなかったけれど、その頃も目一杯生きていたことは確かだった。

 ガレージの片隅に申し訳程度の武装を持ったMTが置かれている。元は、ヘリを護るために購入したものだ。機体に手を掛ける。足場を動かせば楽だったのだろうが、なるべくヘリの電力を温存しておきたかったし、稼働音が外に漏れるのが怖かった。

 幸い――コアパーツには何とか辿り着けた。ハンドルレバーを操作して装甲や殻を開き、操縦席へ滑り込む。メインシステムを立ち上げて、マニュアルを読みながら操作や挙動を確認する。念のために補助AIを呼び出しておいた。

 下水道はおそらく脱出の要になる道だ。企業も存在は把握しているだろうが、全容までは掴めていまい。ウォルターとてそうだ。だが少なくとも企業よりは、土地勘がある。

 いつも見ているものよりも、小さく狭いレーダーを見ながらヘリを出る。外は蒼い闇が覆っていた。

 出て来る前にプログラムした通り、ウォルターを降ろしたヘリはまた別の場所へと飛び立って行く。

 裂けた地面に口を開けた、大きな下水管の中へ飛び込む。企業識別の機体や無人機の反応は無い。まだ都市の地下まで手は回っていないようだ。

 濁った水を蹴りながら進んで、大きな突き当たりに辿り着く。天井は高く、道幅も多少広い。その分他の突き当たりに比べて残骸が道の邪魔になっていない。水路は柵で隔てられているが、柵の一部が歪んでいる。ひと一人なら通れるだろう。目視できる範囲にも、レーダーに映る範囲にも、水路には先があった。ここがいい、と思った。

 ウォルターは一度水没していない場所へ戻り、そこに背負っていた荷物を下ろす。荷物とは、“ここにあっても違和感の無い”機体の構成パーツだった。621には悪いが、戦闘能力よりも機体の確保が優先だ。

 カーラに、人手を借りたのだ。RaDの技術者たちが、技研都市に破棄されていた物を見繕い、改修してくれた物。技研都市に潜入することもパーツを集めることもそれを改修することも、決して容易なことではなかっただろう。

 けれど彼らはウォルターの助けを求める声に応え、成し遂げてくれた。

 カーラが詳しく紹介してくれることはなかったけれど、たぶん、彼らもウォルターやカーラの「友人たち」なのだろう。

 ……後は、ウォルターが成し遂げるべき仕事だ。

 通常、組み立て用のアームによって組まれる機体を、手作業で組んでいく。失敗や妥協は許されない、重要な作業だった。

 細かな作業するためにウォルターは時折外に出た。両手はサビやオイルに汚れたし、義手には罅が増えた。移動の度に動かす足は、補装具を着けているとは言えズキズキ痛んだ。だがウォルターは、それでも作業の手を止めなかった。

 ――そうして、ようやくできたのは、打ち捨てられてしばらくと言った風体の、ジャンクAC機体だった。

 サビの浮かんだ各パーツ。肩の武装は片側のみ。腕の武器も片方はジャミング弾。乗り手が特異(イレギュラー)でない限り、企業の脅威にはなり得ないだろう。

 ウォルターは組み上げた機体を前に息を吐く。ただ、ひとつの作業が終わったと言う実感だけがあった。

 再度MTに乗り込んで、ウォルターは組んだ機体を抱える。足元に注意を払いながら下水に沈んだ道に飛び降りる。ざばん、と大きく水の跳ねる音が響いた。揺れる水と見えない足元に少しふらついて、なんとか踏ん張る。ガチャガチャとパーツを擦れ合わせながらウォルターは機体を水路を隔てる柵の前に置く。そしてもう一度荷物を広げた場所に戻り、起動前のビーコンを持ってくる。621が、この機体に辿り着くための道標だ。

 下水での作業はそのくらいだった。ウォルターは少なくなった荷物を手早くまとめて下水を後にする。背負った荷物には、まだ使うものがある。

 地上に戻ると、周りは明らみ始めていた。見つかりやすくなる。だが同時に、企業の機体も視認しやすくなるということだ。スキャンを繰り返し、レーダーをまじまじ見つめながらウォルターは傾き崩れかけたビルの陰を渡っていく。

 道路の途切れた道はある程度の広さがあって、ヘリの離着陸に使えそうだった。そこは幸いにも未踏領域から入ってほどなくした位置だった。ウォルターはぐるりと周囲を見回す。傾いたビルが立ち並んでいる。その中で、周囲のビルよりも低いものがあった。

 上昇して、いくつか吟味してみる。ここは壁や瓦礫が残っていてダメだ。あちらは低すぎる。向こうは倒壊の危険性が高い。……ああ、あそこは良さそうだ。

 ウォルターはビルを決めた。

 決めれば後は早かった。その屋上に、発射型のビーコンを設置する。設置中に、レーダーに複数の機影が映った。

 急いでビルの屋上から飛び降りる。吹かしたブースターにビーコンが僅かに傾いたけれど、直している暇などなかった。できるだけビルから離れなければ。もっと言えば、下水道からも意識を逸らさせたい。レーダーで敵機との位置関係を見ながら、ウォルターは崩れた道やビルの陰を走った。

 ビルとビルの間を動く機影を、アーキバス所属のMTの一機が視認した。

 「何か動いた」と誰かのその一言に、かたちだけの警戒をしていたMTたちが各々スキャンをかけ、散会し始める。

 ウォルターの捕捉はすぐにされた。

 ウォルターも、捕捉されたことにはすぐに気付いた。レーダー上でバラバラに動いていた機影が、徐々に一定の方向――ウォルターの機体を目指して収束し始める。孤立無援、四面楚歌。だがそれは、ウォルターの書いた筋書きをなぞるものだ。

 「所属不明機に告ぐ! ただちにその場に停まり、搭乗者は投降せよ!」

 攻撃されなかったのは、幸いだった。ルビコンで圧倒的優位を得た故の余裕だろう。多勢に無勢、武装の差もあっただろう。

 ビルの陰から出て、少し離れた場所でウォルターは機体を停める。ぐるりとアーキバスのMTが周囲を取り囲む。無論、背中にも銃が突き付けられている。

 所属不明MTの各デバイスランプが消える。かくんとやや前傾になり、両腕も垂れる。そしてコアパーツが開いて、搭乗者が現れる。

 ウォルターはコアパーツの上部にしがみついて、機体の上に登ってその身を敵に晒した。両手を頭の横に上げて投降の意を示す。アーキバスのMTたちが通信でどんなやり取りをしているのか、ウォルターには分からない。けれど互いに顔を見合わせるような仕草をしたMTたちに少なからずの動揺を見たのは確かだった。

 程なくして、護送用と思われる装甲車が現れた。一機のMTが手のひらを差し出す。おそるおそるウォルターがそこに乗ると、MTは膝を折って手のひらを地面まで下ろす。地上では、装甲車から降りてきた隊員たちが警戒しつつウォルターを待っていた。

 アーキバスの隊員は、意外にもウォルターがMTの手から降りるのに手を貸してくれた。補装具を着けた足をかばうように、慎重に地面を踏もうとしていたウォルターへ手を伸ばし、着地を支えてくれた。

 「……すまない」

 「ハンドラー・ウォルターですね」

 「そうだ」

 「貴方の身柄を拘束します。ご同行いただきたい」

 言いながら、隊員は既にウォルターの拘束を始めていた。ウォルターへ伸ばし、そしてウォルターの手を掴んだそのまま、もう片方の手を掬い、手錠をかける。その間ウォルターは大人しくしていた。否。装甲車に乗せられる時も乗せられた後も、ウォルターは大人しくアーキバスに従順だった。

 

 アーキバスに投降したウォルターは「再教育センター」と呼ばれる施設に送られた。装甲車から降りて見た景色は朧気だった記憶を甦らせた。そして何より、見上げた「再教育センター」の建物は懐かしい、ウォルターがかつて通っていた「学校」を再利用したものだった。

 背中を押されて、隊員たちと共に建物へ入る。通されたのは、かつて低学年の生徒たちが使っていた教室だった。

 閑散とした教室の中、ちいさな椅子に座らされて幾ばくか。靴を鳴らしながら部屋へ入ってきたのは、V.Ⅱスネイルだった。

 スネイルはウォルターの正面へ椅子を置くと、そこに足を組んで腰かけた。

 「さて――顔を会わせるのは初めてでしたかね? 独立傭兵レイヴン代理人、ハンドラー・ウォルター」

 「そうだな。初めましてヴェスパー第2隊長スネイル閣下。お会いできて光栄だ」

 圧倒的不利な立場にあるウォルターが、声音だけでスネイルを薄ら笑った。スネイルのこめかみが、ピクリと動いた。

 「……。お前たちの目的は何だ? 企業(われわれ)を出し抜けると、本気で思っていたのか?」

 「異なことを言う。俺たちの目的? 決まっている、コーラルだ。企業を出し抜き企業より早く多くのコーラルを手に入れ金に替える。それだけだ。傭兵業は金がかかるからな」

 ウォルターは淡々と企業を嘲りながら語る。

 「幸いなことに――俺の猟犬は腕が立つ。このルビコンで、どのAC乗りよりも強い。ベイラムはお前たちが排除してくれた。解放戦線はそもそもここまで辿り着けまい。つまり後はお前たちアーキバスだけだ――ッ」

 バキ、とウォルターの顔が勢いよく横を向く。スネイルに殴られたからだ。言葉が途切れる。

 「っ、」

 ポタ、とウォルターの口端から血が垂れて床に落ちた。

 「……お前たちアーキバスだけだったんだがな。ご覧の有り様だ」

 一瞬言葉を詰まらせて、しかし顔を上げて、スネイルを正面から見据えてウォルターは言い切った。その姿が妙に気に食わなくて、スネイルは鼻筋に皺が寄るのを感じた。

 「……それで? 大人しく投降した意図は? 一応、命乞いは聞いておいてあげましょう」

 「決まっている。友軍として雇ってもらうためだ。このまま敵対すれば俺たちはお前たち企業に潰されて終わる。だが友軍として雇われれば、当初の想定額よりは減るだろうが、報酬は得られる。どうだ? 俺たちを雇わないか」

 「浅ましい。あれほど吠え立てて牙を剥いておきながら、今になって尻尾を振り媚びるとは。下品にも程がある」

 「状況が状況だからな。やむを得ない。背に腹は代えられないと言うやつだ。それに――そちらとしても戦力は欲しいはずだ。そう言えば俺の猟犬の様子はどうだ? そちらに旧世代型強化人間を扱う調教師(ハンドラー)はいたか?」

 コーラルの集積地で捕らえた独立傭兵レイヴンは、確かにアーキバスの戦力に転用されようとしていた。だがその進捗は芳しくない。意志が薄弱すぎて「教育」が定着しない。あるいは、意志が強すぎて「教育」が撥ね付けられる。つまりどうにも企業の言うことに耳を貸さないのだ、スネイル曰く駄犬は。

 だのにスネイルの目の前の男は「自分ならばその手綱を握れる」と言外に言っている。

 あってはならないことだ。そんなこと、認めるわけにはいかない。最新の技術を持つ企業が、駄犬の一匹御せず、それをたかが代理人が成すなど!

 だが同時に、この男ひとりでアレの制御ができるようになるなら、これ以上アレに労力を割く必要も無くなるではないか、とも思う。

 椅子に座らされたハンドラー・ウォルターを見る。義手は古臭く傷付いて、補装具を着けた足はつまり不自由だ。首輪を着けるなら、こちらの方が楽ではないか?

 「……確かに、アレはどうにも覚えが悪い。ですが我々ですら手こずっているのに、あなたにどうにかできるものですかね?」

 「俺なら言うことを聞かせられる。だが、あいつの様子を見ないことにはどの程度時間を要するかはっきり言えないな」

 「この短期間で顔を忘れられる飼い主ですか。本当に役に立つのやら……」

 「お前たちが余計なことをしていなければ、あいつは俺のことがわかるはずだ」

 実際621が自分のことを覚えているか、そもそもどう認識しているのか、ウォルターにはいまいち分かっていなかった。621は従順であったが、それが当人の意思から来るものなのか、雇い主と傭兵である関係から来る義務的なものなのか、判別しかねていた。

 ルビコンに来た当初よりも、随分と「人」らしくなっているとは思う。だからこそ、自分に対して好意的な感情など無いのではないかと、ウォルターは思うのだ。

 本当は、ウォルターの助けなど必要としていないのかもしれない。淡々と機会を窺っているのかもしれない。それを、ウォルターがぶち壊そうとしているのかもしれない。

 「……まあ、良いでしょう」

 今になって喉が渇いていく。

 椅子に繋げられていた、手錠の鎖が解かれてスネイルに握られる。

 犬を散歩させる飼い主のように、スネイルはウォルターを連れて歩き出す。

 

 その「教室」は意外なことに同じ階だった。廊下の壁や床には真新しい傷が見られて、収容対象が随分暴れたことが目に見える。けれど教室内は一転して綺麗で、収容された対象はそこで抵抗を諦めたらしかった。

 カラリと引き戸を開けて部屋内に入る。そこにはパイロットスーツのまま、椅子に固定された621がいた。

 「近付いても?」

 「どうぞ」

 表情を代えないままウォルターが訊いた。スネイルも、無表情のまま許可を出した。

 他に人影は無かった。偶々そういう時間であるらしかった。

 片足を庇うような動き方で、ウォルターが621へ歩み寄る。目前まで辿り着いたら、その前に膝を折って膝立ちになる。親指まで括られた手では頬を満足に撫でてやることもできない。

 「丁重に扱え。単に押さえ付けて言うことを聞かせるのは調教とは言わん。支配だ」

 621に付けられた轡を不自由な手で、それでも勝手に外しながらウォルターは言う。途端にぐったりとしていた621が目を見開き、目の前にあった手――ウォルターの手に噛みついた。義手では無い方の手を差し出したウォルターの顔が微かに歪む。強化人間の牙は肉を切り裂き穿って、血を滴らせた。ゔゔゔ、と唸り声を上げて、ガタガタ固定された椅子を揺らす様は正しく獣だった。

 「ハッ、自業自得ですよ」

 スネイルが嘲笑った。ウォルターは言葉を返さず、ただスネイルを睨み付けた。それは飼い犬に手を噛まれた飼い主の、せめてもの悪態に見えて、スネイルは少しだけ溜飲が下がった。

 「……621」

 ぎりぎり肉を噛み締める621に、ウォルターが囁く。スネイルに、なるべく話を聞かせたくなかった。

 「621、俺が分かるか」

 621の目を真直ぐに見ながら、ウォルターは穏やかに語りかける。

 「621、仕事の時間だ」

 するとそれまでウォルターの手に噛みついていた621が、何かに気付いたように目見開き口を離した。だらだらと口元から血と唾液が糸を引く。ウォルターは頓着せず、義手の背で621の頬を一撫でした。

 「……今日は休め。仕事の話は明日にする」

 ウォルターはよろめきながらも立ち上がる。

 スネイルは全て聞いていた。強化手術で身体機能を引き上げられた強化人間に、同じ空間で隠し事など易々とできるものではない。確かに、有益なやり取りはなかった。けれど、やはりこの飼い主と駄犬には、利用する隙がある、と思った。

 「ゔぉ゙、る゙……!゙」

 スネイルの元へ戻ってくるウォルターの後ろでレイヴンが吠えた。はじめて、人語らしいものを聞いた。ウォルターは振り返らなかった。

 「明日からは俺が「教育」する。立ち会いは許すが手出しは一切許さない。枷も着けるな。今この時からだ」

 「まったくふてぶてしい……まあ、良いでしょう。貴方がどこまでできるのか、お手並み拝見といきましょう」

 レイヴンは未だ不恰好な声でウォルターを呼んでいた。飼い主の気を引こうとする犬そのもののようだ。だが、やはりウォルターは振り返らない。冷めた表情でスネイルの前まで戻り、もう十分だと言わんばかりの澄まし顔でいた。

 じゃらりとウォルターに繋がれた鎖が鳴る。スネイルだけが621を一瞥して、ふたりは教室から出ていった。

 ウォルターは621への一切の手出しを禁止したし、通達もそのようにされた。だが翌日ウォルターが教室に入ると、621は部屋の中央辺りに力無く倒れていた。

 ウォルターは部屋の隅に立っている立会人を睨み付けた。

 「……俺は一切の手出しを禁じるよう言ったはずだが? アーキバスの人間は人語を解さないのか?」

 「お言葉ですが、不可抗力です。拘束を外そうとした際に暴れました。暴れられては、外せるものも外せません」

 痛む足を見ないふりをしてウォルターは621の側へいく。膝をついて抱え起こすと、真新しい傷が増えていた。621が薄く目蓋を開ける。はく、と唇が小さく動いた。

 621を床に寝かせてウォルターは室内を確認する。そこまで広くはない。使える出入り口はひとつ。立会人はふたり。スタンバトンのようなものを持っている。部屋の外に見張りは居なかった。だがカメラはある。

 「……次は無い」

 「貴方の教育次第かと」

 それから621へ眼を遣り、無闇に暴れないこと、ここでは自分の指示に従うこと、そんなことを言って聞かせた。

 621にとっては穏やかな時間が、しばらく続いた。ハンドラーが何を考えているのかは分からなかったけれど、ここでは自分に従えと指示されたから、その通りにした。待遇も随分良くなった。殴られたり薬を打たれることも無くなった。だからだろうか、ある日621は気付いてしまった。ウォルターが、時折顔をしかめながら部屋に入ってくるのを。

 「……うぉる、」

 その日もウォルターは眉間に皺を寄せて部屋に入ってきた。621はウォルターに駆け寄って、その頬を両手で包んで覗き込んだ。

 「621……何をしている……俺は問題ない、離れろ……」

 ウォルターの目元には隈ができていた。それが、アーキバスの教育によるものだと621が思い至るのは、全てが終わってからだった。

 

 そしてその日はやってきた。

 アーキバスは従順になった独立傭兵と、独立傭兵を従順にさせたその雇い主への警戒を解き始めていた。

 その日もウォルターは621の教育へ向かった。目を庇うように片手で視界を覆い、壁を支えにしながら少し頼りない足取りで教室に入る。621は教室の中央、いつもの位置。顔色は良い。目立った怪我もない。

 ウォルターは621の前に立つ。

 「……621、仕事の時間だ」

 その言葉に――621の顔から穏やかさが消える。殺意も悪意も敵意も無く、ただ無慈悲であるだけの猟犬が、主の前に姿勢を正す。

 「待機せよ」

 ウォルターは621に待つよう伝える。

 そして、立会人の一人の元へと歩いていく。立会人は足をわずかに引きずりながら近付いてくるウォルターを不思議そうに見ていた。何があっても対処できると思っているのだろう。自分がどこに立っていて、それがウォルターに取って何を意味しているのか、考えもしないで。

 ガタガタと、小競り合いは数秒だった。ウォルターに絞め落とされた身体が壁伝いにずるりと崩れ落ちる。

 異変に気付いたもうひとりが駆け寄るも、スタンバトンを抜き取ったウォルターが振り返る。振り向き様、フルスイングされたそれが、駆け寄った立会人の側頭部を殴り付けた。どうと音を立てて立会人が倒れた。

 次にウォルターはその場に腰を下ろして義手を外した。使い込まれた古い義手だ。元からあった罅はルビコンに来てその数を更に増やした。仕掛けも何もないそれは、検分の後返却されていた。手錠で繋がれた義手が踊る。それを足で押さえ付けて、手首と肘先を分離させる。手錠から義手が外れた。ころりと転がった関節部分を慌てて押さえ、両足と片手で再度義手を組み立てる。

 両手が、自由になった。

 自由になった両手でウォルターは立会人の纏う防護服のようなスーツを剥ぎ取って身に纏った。社員証やスタンバトンなんかの品も、そのまま貰っていくことにした。

 「621、行くぞ」

 足を引きずりながらウォルターは指示通り待機していた621の元へ戻る。

 「ここから出るまで、俺から離れるな」

 621は頷いた。

 ふたりは教室を出た。

 ウォルターは621を従えて、堂々とアーキバスの人間たちと擦れ違ったりかけられた声に応じたりしながら、下駄箱への道を歩いた。

 警報が響き渡るのとふたりが建物を出たのはほとんど同時だった。

 621はウォルターを抱き上げて走り出す。随分改善された生活で、体力はある程度戻ってきていた。

 だが本調子ではないし、敵はMTやヘリと言った足を持っていた。

 「621、そこを下りて下水道に入れ」

 ジリジリ狭められるライトに唸る621にウォルターが地面を指さした。ウォルターの指示はここに至るまで、何か確信があるようだった。目指すべき場所を知っているかのような。

 621は迷わずその指示に従った。

 下水道は薄暗く入り組んでいた。いくつか角を曲がっても、どこからか追手の足音や話し声が聞こえて落ち着かない。

 「……621、下ろしてくれ」

 曲がり角の陰から道の先を警戒する621にウォルターが声をかけた。

 「……」

 「大丈夫だ。下ろしてくれ」

 ウォルターを下ろしてからも621はほとんど抱き締めるようにしてウォルターの身体を支えて立っていた。次の指示を待つ。

 ウォルターはスーツの中で何かを思い出すような、あるいは痛みを堪えるような顔で目を細めた。

 「…………こちらだ」

 数秒の後、ウォルターは短く言って歩き出した。

 壁伝いに歩くウォルターの進みは、621からしたら遅々としたものだった。だがその分足音や気配は潜められた。

 水の揺れる音と、ひたひたと言う足音。

 やがて二人は大きな道に出た。これが、いわゆる本流となる下水管なのだろう。621はウォルターを支えながら、その行く先に続く。

 「……」

 ぼんやりと歩いていた621が顔を上げる。それまで遠去かっていた追手の気配が、近付いていた。621の様子に、ウォルターも何となく追手が迫っていることを察した。

 ウォルターは水路の脇に積み上がるスクラップの山の陰にあった扉の中へ621を引きずり込む。

 「621、少し大人しくしていろ。良いな。動く時は、自ずと分かる」

 落ちていたスクラップの破片でぐるりとスーツの首回りを切って、顔を晒したウォルターが621を覗き込んだ。チカリとウォルターの目が瞬いて、ツキリと頭の奥が痛んで意識が遠退く。まるで無理矢理電源を落とされたようだ。

 倒れ込む621の身体を支え、扉の陰に座らせて隠す。頭の痛みはズキズキと増していた。ポタリと鼻から血が垂れた。

 扉から出て、背を預ける。錆びた扉は鍵が開いているけれど、周囲の色と同化していることと小さなこと、何より下水道の薄暗さで、高い目線からでは見にくくなっている。

 ポタポタと鼻血は止まらない。

 「……ハッ、ハッ、ハッ……、ふッ……!」

 それを拭うことなく、ウォルターは自分の右目に指を伸ばす。カタカタと指先が震えた。

 「――ッ!!」

 呼吸を止めて一思いに眼窩へ指を突き入れる。硬い眼球を掴んで、ズルリと引き出す。

 「ッァ――!! ぐ、ぅ、ゔ……ッ゙!゙ っ゙、ァ゙、ぐ……!」

 ぶちぶちと頭の中が神経の千切れる音と熱で埋まる。空になった眼窩から、ボタボタ血と保護液が溢れた。気を抜けば叫び出そうとする喉を締める。ガリガリ義手の指先が地面を掻いた。

 ウォルターが引き抜いた眼球とは、義眼だった。

 情報処理のための、小さなデバイスだった。普段は一時的な記録装置として利用していた。脳に接続しているため、あまり使うと熱で脳が焼けるからだ。

 だがウォルターは今、621をシャットダウンさせるためにそのデバイスを使った。621の視神経を通して、脳深部コーラルデバイスにアクセスし、落とした。当然褒められたことではない。しかしこの先、二人で一緒にいては逃げられない。必要なことだった。

 義眼はデバイスへのアクセスに際して電波なり信号なりを発しただろう。ウォルターは立ち上がり、その広い水路から離れていく。

 大丈夫だ。621のデバイスが再起動すれば、用意した機体の側に置いたビーコンも起動するようになっている。

 621へのメッセージも、送らせてもらった。気付いてもらえるかは、分からないけれど。

 あるいは気付かずに、ルビコンから離れて欲しいとも思っている自分がいた。ここまで――否、これ以上巻き込みたくはなかった。だが自分の仕事を、託すことができるとすれば、後はもう621しかいないと思っていた。

 いくつも角を曲がって、水を掻き分けた先でウォルターは立ち止まる。

 少し息が整ってくると、ウォルターは義眼を地面に転がした。そして、身体を壁で支えながら、足を上げて、勢いよく地面を踏んだ。ぐしゃりと球が潰れ、中から細かな機械が転がりでる。

 これで、追手を大分引き付けられたはずだ。621のシャットダウン時間も大して長くはない。追手が来るまでには再起動して、用意した機体に辿り着いてくれるだろう。ウォルターはざぶざぶ水音を立てながら下水を歩いた。

 どこまで歩いたかは分からない。何度目かも分からない突き当たりに出て、どの柵の隙間に身体を押し込もうか考えている時だった。背後から、強い光が当てられた。ガシャリと大きな銃の音がした。

 

 地上へ引きずり出され、地面に転がされると、そこにはスネイルが立っていた。ツイと爪先で顎を救われる。

 ウォルターは両手をついて立ち上がろうとする。

 けれど――ウォルターが両手を地面につけて力を込めた丁度その時、パンパンパン、と乾いた銃の音がした。

 「――、ッぎ、ィ゙ッ゙、ァ゙ア゙ア゙……ッ゙!゙」

 足が、補装具ごと撃ち抜かれた。

 「がッ、ァ゙、ぐぅ……っ」

 そして痛みに身体を丸めようとしたウォルターの義手を、スネイルの足が踏み砕いた。痛みらしい痛みは無いが、衝撃はあった。

 ざりざりと地面の上でウォルターは身悶える。スネイルはそれを冷めた表情で見下ろして、おもむろにウォルターの足を踏みつけた。

 「ひあ゙、ア゙――、~゙~゙~゙ッ゙!゙ ん゙、ぐ、ぅ゙……ッ゙!゙!゙」

 ぎゅり、と補装具が傷口を躙る。かひゅ、かひゅ、とウォルターは乾いた息を吐く。地面には垂れた唾液で染みができていた。

 呻きはすれど叫びはしないウォルターに焦れたのか、スネイルは銃創を蹴り付けると、これ見よがしに溜め息を吐いた。

 「よくも仕事を増やしてくれましたね」

 ウォルターの頭の側にしゃがみ込み、髪を掴んで顔を上げさせる。瞳の奥に光を宿したままの隻眼と眼が合って、スネイルは嫌になった。まだ諦めていないのか、この男は。

 「二度も企業を出し抜こうなど……ええ、ええ、そうですとも、認めざるを得ない。これは私の失態です。独立傭兵などの口車に乗った私がいけなかった」

 パッと手を離す。ゴツン、と地面に打ち付けられる音がした。そこに、足を乗せる。

 「ゔぅ゙……!」

 ぐりぐり爪先を動かすと、薄らと歯形の残った手が、スネイルの足を掴もうとした。それを心底嫌そうに見下ろしてスネイルは宣告する。

 「代償はきっちり払ってもらいます。その身体で。慈悲も容赦も与えはしません。自分が何をしたのか、骨の髄まで刻み込んで差し上げましょう」

 あの犬はもう要らない。こちらにはV.Ⅰ(フロイト)がいる。手間と時間はこの男に回そう。感情の起伏が人並みに感じられるこちらの方が、再教育の成果は出やすいだろう。

 それに――接収したとある有人機は特定の人間でなければ動かせないよう、ロックがかかっているらしい。それにこの男を試してみよう。ダメだったならば適当な機体に詰めれば良い。幸いと言うべきか、MTは操縦できるらしいから、ACももしかしたら乗れるかもしれない。その他、コーラルを利用した実験に使ってしまえ。

 この男は、企業に対してそれだけのことをしたのだから。

 「ア゙、ア゙……、ッ゙、ォ゙、ァ゙ア゙……、」

 ぎりぎり骨が軋む。地面に擦り付けられたウォルターの顔は酷いことになっているだろう。

 だがスネイルは安心し切れなかった。かりかり足を掻く指先に、呻き声を上げる意思に、おそらく生まれて初めて、鬼気迫るようなと言える気迫を感じていた。

 そして、がしりとウォルターの手がスネイルの足首を掴んだ。随分彷徨い、掴み損ね続けていた手が、ようやく留まった。

 満身創痍の相手は、足を掴んだそれだけで精一杯なはずだった。それなのに、ミシリ、と。

 「っ!」

 スーツだか骨だかが、軋む音を聞いた――気がした。

 思わず足を上げる。

 重しの無くなった頭は、待っていたと言わんばかりにゆっくりと天を仰ぐ。人の首の可動域では、前方をやや見上げる程度が精々だ。だがウォルターにはそれで十分だった。

 浅ましく生にしがみつき、見苦しくそのために足掻いた結果、この上なく醜く汚れきった顔が、それでも気高く上げられる。

 「――、それは、たのしみ、だな……。どくりつ、ようへ、に……、にども、だしぬかれた、きぎょ……が、どこまで、できるの、か、」

 「――、」

 ゾッとするくらい美しい眼で自分を射貫いた男に、スネイルは口を噤んだ。

 そしてその事実が気に食わなくて、手を振り払うついでにウォルターの頭を蹴り飛ばした。血を撒き散らしながら何度か地面を跳ねた身体は、様子を見守っていた隊員たちの足元まで転がって止まった。ピクリとも動かない。

 「……再教育センターへ送りなさい。部屋は個室にしなさい。指示書は後ほど送ります。怪我の処置は最低限で構いません。どうせ、もう必要ありませんから」

 スネイルは隊員たちに指示を出し、踵を返す。仕事はまだ残っているし、言った通り「指示書」を作らなければならない。

 隊員たちにウォルターの身柄を任せたスネイルは知らない。気を失ったウォルターの顔が、酷く穏やかなものだったことを。

2023/12/07 加筆

 

実際どうやったの???

 

追手から攻撃(砲撃)されて爆風で下水と地上に分断されて21→逃げ延びる、ウォル→確保って方が現実的かもしれねェ……って書いてる途中で思ったりしました。

外部から施設をハッキングして21逃亡、逆探知によりウォル捕獲、とか?

ウォルがア社相手に陽動や工作?してる間にRaD技術者たちがACなんかを用意してくれたのかも。

分からない……分からないッス……。

なんなら、

「す、スネイル閣下! 何者かより攻撃を受けて――被害甚大!」

「なんだと……!? 襲撃者はどこの勢力だ!?」

「それが……ひ、一人です! RPGを杖代わりにした初老の男が――うわあああっ」

「閣下! 建物の被害が! 収容者がどんどん逃げて行きます!」

「あっ! 落ちていきます! 何人かの収容者が爆風に吹っ飛ばされて下水に落ちていきます!!」

「馬鹿な……! こんな、こんなことがあって良いわけが……!」

とかコマンドーばりにドンパチしたんですかね? ※この時点で飼い犬の居場所は分かっていません

英語音声のウォルならやってくれそう。

 

実際何をどうやってどんな感じに「脱出」したんですかね。

想像の余白と言えばありがたいですが、公式の想定した物語の全容も知りたいです気になる。

 

でもどんな方法で脱出したとしてもAC用意して何かしらの手引きしてくれてって「どうしてそこまでしてくれるの?」ってなるんですよね。

使命を果たして欲しかったのかもしれないし、ルビコンから逃げて欲しかったのかもしれない。

集積コーラル開始時点でウォルターは621に選ぶ権利を与えている。だから助けたところで621がウォルターの依頼を受けてくれるかなんて分からない。

なのにウォルターは621を助けた。

きっと621が最後の希望になったからでしょうね。

使命を果たす希望。

普通の人生を買い戻してくれ得る存在。

自分が死なせずに済む(もしかしたら最初で)最後の猟犬。

そういうものになっていたんじゃないかと思います。

どこまでも他人のために生きてきたウォルターらしいですね。最後まで自分を省みない。

リードを外しながら呪いをかけていく、そんな飼い主だと思います。……何の話でしたっけ?

 

そう言えばウォルター自身もかつてナガイ教授に木星へ「脱出」させてもらっていましたね。

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