手術直後のスッラと少年ウォルター(と少しモブ)
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意識が朦朧としている。
視界は霞がかかったようで、身体は動かせない。声を出そうにも、そのやり方すら朧気だ。
解るのは、己が呼吸していることくらいだった。
「これは失敗だな」
「またか……破棄しろ」
けれど皮肉なことに音は聞こえた。
いつぞや、同業者から聞いたことがある。人間の五感で最後まで残るのは聴覚なのだと。
笑いたくなった。
怒りなど浮かんでは来なかった。元より成功率の低い手術だった。むしろ、自分がこうして生きている――覚醒していること自体が意外ですらある。
研究者たちが何をもって「失敗」と判じるのかは分からない。だが、ここでは奴らの判断が全てだ。奴らが「不要」だと判断すれば、それは呆気なく「破棄」される。ならば己も――。
「待ってくれ」
その場に不釣り合いな声がした。それまでやり取りしていた研究者たちのものとは違う、少し掠れた柔らかな声。地面を蹴る足の音も、軽い。
霞む視界に、小さな人影が入ってきた。
「もう少しだけ待ってくれ」
研究者たちとスリープ台の間に割って入り、研究者曰く「失敗作」を守ろうとする、子供。
「……坊っちゃん、」
研究者の、呆れたような声。
無理もない。大人の判断に異議を唱える子供など、いつの時代いつの場に於いても煩わしいものだ。
「……頼む。もう少しだけ。バイタルの記録や点滴の用意は俺がやるから」
しかし子供は食い下がる。
なぜ、そこまで。と、思った。
「…………はぁ。仕方ないですね……では、今度はあと2日。待ってみましょう」
「! 感謝する」
子供が余程の顔をしていたのだろう。
研究者が溜め息を吐いて、結局折れた。
つまり、己は首の皮一枚繋がった――繋げられたのだ。この、子供に。命を、救われた。
「我々は別室に移り、今回の手術についてのレポート作成に入ります。坊っちゃんはここに残り、249番の様子を観ながら、ここからこの欄までを埋めていって頂けますか」
「わかった」
研究者からタブレットを受け取りながら子供が頷く。
「何かあれば連絡してください。移動先の部屋はここですが、番号は覚えていますか」
「問題ない。内線の使い方も覚えている」
「さすがです。……それでは、後は頼みました。今回は、上手くいくと良いですね」
「ああ」
そうして、研究者たちはぞろぞろと連れだって部屋を出ていく。
部屋に残ったのは、子供がひとりと、スリープ台に横たえられた強化人間がひとつと、闇に紛れる機器の駆動音。
「……」
大人たちが出ていった扉の方を向いていた子供がスリープ台を振り返る。そこに横たえられた強化人間が、子供の目に映る。
そう言えば、と研究者の言葉を思い出す。
そう言えば、研究者は「今回は」と言っていた。つまりこの子供は己以外の「被験者」にも同じようなことをしているらしい。
そう思うと、また、笑いたくなった。
けれどやはり笑うことは叶わず、規則的な計器の音だけが淡々と部屋の薄闇に溶けていく。
「……スッラ、」
子供の声が聞こえる。己を呼んでいる。まるで祈るような声だった。
それなのに、祈る者がよく見せるような「相手の手を握る」だとか「相手の身体に触れる」だとかの動きは見せない。ただじっと見ているだけに留まっている。自分には、その資格が無いとでも言うかのように。
きっと声が出せたら、間違いなく子供を笑っていただろう。
「……」
子供が俯いた。顔が青白く照らされている。タブレットを見ているのだろう。肩の辺りが動いていることから、言い付けられた通り画面内の「欄」を埋め始めたらしい。
無言で、しかしその姿はあまりに雄弁だ。
ああ。いま、この身が、腕が、指先が、動いたなら――。
何か渇きにも似た感覚を覚えながら、スッラはスリープ台の上から子供を見ていた。