スラウォルがねむるだけ(の話を書きたかった話)
ウォルがチョトやわい。ふいんき練習。薄ら情事におわせ。
---
ウォルターは、時々、夜に目を覚ます。
夢を見ていたのか、見ていなかったのか。そもそも眠っていたのか、いなかったのか。理由は分からない。けれど時々、ウォルターは静かなシーツの中で目を覚ますのだ。
は、とこぼされる吐息は、大概湿っている。堪えていたものが吐き出される、嫌な感じに熱を持って湿ったものだ。そんなものを、ウォルターは目覚めと共に吐き出す。それは悪夢から辛うじて覚めた安堵にも見えた。そうして、さりさりと小さな音を立てて、ウォルターはベッドを出ていくのだ。
ベッドを出た先で、静まり返ったキッチンでウォルターは水を飲む。そこでまた息をひとつ吐いて、ベッドへ戻る。時々てきとうな場所に腰を下ろして茫とすることもあるけれど、最近は、ベッドに戻ることが多い。
ウォルターはシーツの中で朝を待つ。まぶたを、もう一度閉じるかどうかはその時にならないとわからない。
それは誰も知らない、夜の帳の中のことだ。
スッラはウォルターが夜中に時々目を覚ますことを知っている。
嫌な夢を見たのか、単に目が覚めただけなのか、それは分からないけれど、時々よどんだ呼吸を吐き出して暗い部屋を凝視するのを知っている。
スッラは眠りが浅い。だから、ウォルターが目を覚ませばすぐに分かる。意思を持った身動ぎでさえまぶたを閉じたまま動向をさぐる。それを「眠る」と言って良いのか分からないほどだ。けれどスッラが「他人」の前で横になってまぶたを閉じる――あまつさえ、意識を手放そうともする――こと自体が「無いこと」だから、やはりそれはウォルターの前でだけされる「眠り」なのだろう。
だからスッラは、目を覚ましたウォルターを窺って、余程のことがない限り、その好きにさせる。
一緒に眠りにつくようになったばかりのときは、その腕を掴んで引いて、シーツの中に引きずり込んでいたけれど、時を重ねるにつれて、ウォルターを引き止める時は選ばれるようになった。それは倦怠とか飽きとか無関心ではなくて、信頼や気遣いと言った「愛」の表れだった。かつて奪って押し付けて突き付けて、そうして「愛して」いた傭兵は、預かって見守って、穏やかに育む愛し方を覚えていた。
それに、当人たちが気付いているかは分からないけれど、幾分穏やかに過ごすことが増えたと言う実感は、少なからずあるだろう。
だからその夜も、スッラはウォルターがベッドを降りても何も言わなかった。さりさりとウォルターのいた、寝汗に湿ったぬくもりを撫でて、足りなかっただろうかと数刻前の熱を他人事のように振り返っていた。
ウォルターがベッドに戻ってくる確信はあった。
最近は、あまり無かったのだ。
覚醒する力も残さぬほどすべてを溶かして喰らって沈めて、そうでなくとも穏やかな寝息が傍にあった。
唯一気を許した他人の存在に浸りながら、スッラは夜に溶けていた。いい気分だった。
今宵もそうだった。散々甘やかして突き崩して意識を奪うようにねむらせて、それから自分も眠りについた。
だから本当は、ウォルターを追った方が良いとは思う。暴かれて間もない身体を支えてやった方が良いだろう。けれど今回スッラはそうしなかった。
チラと見たウォルターの目が、夜を見ていたからだった。
そういうときは、ウォルターに何を言っても無駄だ。当然だろう。夜を見ているのだから。夜に手を引かれる姿はひどく脆い。だから壊さないように、見ているだけなのだ。
見ているだけ。まどろっこしくて、意味なんて無いように思える時間。しかし「そういうもの」も必要なのだと、スッラは学んでいた。ウォルターを大切にするためには、傭兵であるばかりでは叶わないのだと、いつだったか、知ったのだ。
スッラの覚醒に気付かないウォルターは、そのままキッチンへ向かい、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。素足でフローリングを踏む時の、きしきし言う音は、星の瞬きだった。ぱきゅ、と弾けたキャップの音は、おそらく断末魔。こつり、かつりと石突きが押し潰すのは――なにかを、押し潰していると良かった。
刺すような水が喉を下っていっても、ウォルターは茫としていた。その目は、ただ目の前を写すばかりだった。
夜はいつも手招いていた。
ウォルターは、それをいつも見ていた。
・・・---・・・
ぺたぺたコツコツと足音がする。しっかり歩いているようで、引きずっているような音だった。
スッラはウォルターに背を向けない。ウォルターが背中を向けても、その背中をじぃと見ている。いつでもウォルターを腕の中に迎えられるように。
まぶたを持ち上げて、かちゃりと扉が開くのを見る。スッラはずっとウォルターの気配を追っていた。けれど、やはり気配を追うのと実際に見るのはぜんぜん違うものだ。
ぼんやりと、夜を宿した目のウォルターがぺたぺたコツコツと部屋に入り込む。そしてごそごそとシーツが鳴いた。
ぎ、と沈み込むスプリングは、確かにウォルターの質量だった。
伸ばされたままのスッラの腕には触れず、しかしウォルターはその懐に潜り込む。スッラが起きるか――起きているか――どうかなど、考えていないようだった。
スッラはもう片方の腕を伸ばして、ウォルターの頭の下に枕を押し込んでやる。
しばらくもぞもぞ動いていたウォルターは、やがて落ち着く位置を見つけたのか大人しくなった。ぱち、とまばたきの音が聞こえた気がした。
ふ、とこぼされた吐息が胸元を撫でる。スッラは、ウォルターの丸い頭に手を伸ばした。
頭骨の、丸いかたちを手のひらでたどる。髪の流れに任せて、上から下へ、上から下へ。体温を馴染ませるように。夜を、削ぎ落とすように。
ウォルターの気配がまどろんでいく。まぶたが空を食む間隔がのびていくのを感じていた。
ウォルターは覚めていた。ほんの一瞬のこと。けれど、浮かび上がった意識はすぐ傍のぬくもりに引きずり落とされたのだ。
ベッドから出たことの記憶が無いわけではない。ただ、数時間後の太陽の光に翳してみた時、夢との境界が曖昧になる。
重たくなるまぶたの中にスッラの胸元が写っている。変わらないな、と思う。思うだけだ。
頭を撫でる手。静かな呼吸。触れ合うだけの脚。
青白さの浮かぶ薄暗闇の中は穏やかだった。
もぞ、とウォルターが身動ぐ。スッラの手が熱を失った。代わりに、胸元にひとの温もりが触れる。
腕は回されない。指先もすがらない。丸くなる背や足は拒絶にも見える。しかし押し付けられる熱は子供が甘える――子供に甘えられたことなど、スッラはないのだけれど――ものだ。
スッラは手持ち無沙汰になった手でウォルターを抱え込む。腕一本分の重みがかかったとて、ウォルターは何の反応も返さなかった。それはたぶん、許容だった。
腕にそっと力を込める。ウォルターの身体が、少し近付いた。もぞり、とまた頭が押し付けられる。服越しの、ウォルターの呼吸が心音と重なる。
ああたぶん――また今も眉間に皺を寄せていることだろう。
そしてもう、ここはスッラの領分だ。
だからウォルターをしっかり抱え込んでまぶたを閉じる。身を寄せあって、体温を分けあって。――しあわせの真似事だ。でも、それでも良い。と、今は思える。思えるようになった。
だから、ほら、眠ってしまえ。夢も見ぬほど深く。沈んでしまえ。
傍にいるから。
少し視線を下ろして、すぐそばにあった幼い頭にくちびるを落とす。夜の孤独を想う子供を寝かしつけるように。
やがてスッラもまたウォルターの体温にうつらうつらとまぶたを閉じる。それはとても人間的な眠りへの入り方だ。
ふたつの寝息は仲良く重なる。
そのいのちの間隔は、しかし最近になって聞けるようになったもの。夜の静けさでないと聞けぬもの。
世界の端で手を取り合うにふさわしい灯だ。
・-・・・ ・-- ---・- ・・-・-
そして夜は廻って朝となる。
それはいつかの、その間にあった――今もある、なんてことのない話だ。