技研時代 術後の傭兵と少年
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ぱちん、ぱちん。乾いた音がする。
ぱちん、と弾けるような感覚は、腕の先、指の末端からしていた。
うとうと、泥のような暗闇から意識が浮かび上がる。ぼんやりとした視界にはトラバーチン模様の白い天井が写った。そして聞こえてくる、無機質で規則的な機械音。
ああ、そうだった、とスッラは開けた目蓋を静かに閉じた。
結果から言えば、スッラの強化手術は成功に終わった。被験者が生きている、と言う意味でだ。ガーゼと包帯で梱包された人型は、そうして研究所の病棟に移されて、めでたく経過観察と相なった。
経過観察。必要最低限の世話でもって、被験体の機能が正常に働くか観て、人並みに動けるようになったなら、これまためでたく退院となる。
だからこの行為──爪切りは、観察者たちに言わせれば「不要」な世話だ。だから、こんなところでこんなことをする人間を、スッラはひとりしか思い浮かべられない。
サリ、サリと小さな音のする方へ眼を遣る。
案の定、思い浮かべた通りの少年がそこにいた。最近包帯の取れたスッラの手元を熱心に見つめながら、手を動かしている。切った爪に、やすりを当てているようだった。
そして少年は満足げに顔を上げる。
細い指先が爪の先、そして指の先に触れるのを感じた。スッラは仕事の成果を確かめていた指先を捕まえる。突然動いたスッラの手に、少年は肩を揺らして目を見開いた。
「ぅ、お、起きていたのか……?」
声を出すのが億劫で、スッラは少年の手を掴んだまま顔の前へ手を遣った。爪の先、白い部分が1.5ミリメートルから2ミリメートル。綺麗な弧に整えられていた。
それが、あんまり自分と言う人間の手には似合わなくて、思わず空気だけで笑ってしまった。
「……切っておいた方が、起きた時や、寝ている時も、怪我をする危険性が減る、と、思って、」
気まずそうに目を伏せた少年の手を放す。
「そ、の、他の爪も、整えたいんだが、もし、続けて良い、なら、ベッドを2度、叩いてくれ」
スッラがまだ喋れるまでには回復していないと、少年は思ったらしい。爪を切るにあたって、手の下に敷いていた布を片付けながらスッラに言う。床に置かれたゴミ箱の中へ、切り落とされた爪の欠片が落ちていく。パラパラと乾いた音が聞こえた。
「……好きにしろ」
声と共に、少年を呼ぶようにベッドの反対側でトントンと音が跳ねる。それを聞いた少年の、嬉しそうな目。
それを見たから、と言うわけではないだろうが、スッラはパタパタと道具を持ってベッドを周ってくる少年を眼で追った。
ぱちん、ぱちん。
足元で乾いた音がする。
他人の足など積極的に触れたい場所ではないだろうに、少年は両の手でもって世話をする。
爪先に触れる手の感触と爪の切られる音を聞きながら、スッラは顔と目を伏せて手元に集中しているだろう少年を脳裏に描く。目覚めた時にチラと見た画を思い出していた。
窓から射す光に照らされた頬、くちびる、目蓋、睫毛、指先、手の甲。
あれらが今、自分の足元にある。
その、事実に。何故だろう。形容し難い高揚を、スッラは、ベッドの上で覚えていた。