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【R18】秘色瓶覗、月の白

秘色(秘色色)/瓶覗/月白:ひそく(ひそくいろ)、かめのぞき、げっぱく。どれも青系の薄い色。
全編捏造と妄想な英スラウォル(のつもり)。カントボ英ウォル。初夜ネタ。暴力描写、モブとウォルの絡み等あり。

技研時代、新米時代、生存ifな全編捏造と妄想な英スラウォル。英スラウォル(のつもり)。

ウォルターがカントボーイ。カントボ英ウォルで英スラウォルの初夜が見たかった話。


序盤に術前スッラ描写(目の色が灰色)有り。術前→術後で灰→赤に色変わってると良いな派です。

中盤に名無しのモブ猟犬の死亡描写、暴力描写有り。モブ♀→ウォルのキス描写、モブ♀との会話も有ります。

終盤は生存ifで再会してから少し経ってるくらいの想定です。スッラに対するウォルターの二人称が「お前」になってる。犬(621)についてはスッラはわざわざ話題に上げないだろうしウォルターも話題にされなければ触れないかな、と。なんなら「あいつの未来に俺はいらない」とか思ってる(思ってそう)。ハンカチ噛みながらお留守番中メイビー。

年齢指定は期待しないでください……。


何もかも妄想です。やおいはファンタジーです。

……諸々気を付けてね。


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Old times

 「お前、妙なにおいがするな」

 薄ら笑いの浮かんだ声が降ってきた。

 研究所の中庭で本を読んでいたウォルターは、不意にかけられた声に反射的に顔を上げる。ラボの大人たちの声、特に自分に話しかけてくる声は、大体覚えていた。だが今、ウォルターに対してかけられた声は、知らないものだった。

 顔と共に上げた視線の先には、やはり知らない顔があった。

 そいつは男だった。ラボで最も若い研究員と同じくらいだろうか。声の印象通り、軽薄そうな笑みがウォルターを見下ろしていた。翳ってなお、その灰色の瞳は炯と輝いている。まるで獲物を見定めでもするかのような眼に、ウォルターは眉をひそめる。

 「……お前は誰だ? 俺に、何か用か?」

 声が、少しふるえた。

 弧を描きながらもその内は凪いでいる形ばかりの笑みに本能的な恐怖を感じつつ、ウォルターは訊く。気丈な反応だった。

 男はウォルターの反応に「ほう」と笑みを深める。かくりと首が傾けられた。

 「私はスッラ。第一世代強化人間――になる予定だ。お前こそ“なんだ”? 強化人間とは別口の“何か”か?」

 鎌首をもたげた蛇がそうするように、男――スッラは首をウォルターの方へ伸ばす。ウォルターの耳元で、すん、と鼻の鳴らされる音が聞こえた。

 「俺……、は、ウォルター、だ。俺は別に、何もされていない」

 それだけ言って、ウォルターはベンチからストンと降りる。スピンも挟まずに閉じた本を胸に抱えて、スッラから距離をとる。分かりやすい警戒だ。

 その行動を細めた目で眺めつつ、スッラはウォルターを観る。

 「では生まれつきか」

 「……失礼する」

 スッラは核心を口にしなかったし、ウォルターが「何」であるのかを実際知っているのか、判らなかったけれど――初対面、それも短時間で「自分」を看破されたような気がして、ウォルターは逃げるように中庭を出て行った。

 少年の背中が遠ざかっていく。それを見ながら、スッラは少年の名前を口の中で転がす。ウォルター。技研都市の「ラボ」の少年、ウォルター。不思議なにおいを持つ子供。おもしろい。説明や手続きのためでなく、この施設を訪れる理由を、その日スッラは見つけたのだ。

 かくして傭兵は少年にちょっかいをかけるようになった。

 出会いが出会いであったため、スッラのことをウォルターは警戒した。姿を見かければ踵を返すし、屋内でも屋外でもスッラの来なさそうな場所にいるし、会話できても続かない。頑なとも言える様は人に懐かない獣にも見えた。だがスッラは、ウォルターのそんな反応にこそ興味を煽られていた。

 とは言え、別に追いかけ回しているわけではない。行く先で会ったり、たまたま居合わせた時の話だ。スッラとて暇ではない。どちらかと言えば、ラボの職員に指定された行き先にウォルターが居たり来たりすることが多い。不可抗力の場合がほとんどである。

 「ウォルター、今日は何を読んでいる? 先日の続きか?」

 人気の無い廊下。そこに置かれた長椅子に、ウォルターは座っていた。窓から射し込む日射しの当たる場所だ。少し怖いくらいに静かで、けれど活字を追っていくうちに気にならなくなった静寂。その安寧を引き裂いて、覗き込む声がした。

 弾かれたように顔を上げる。目の前には、やはりスッラが立っていた。ひ、と小さく喉が引きつった。

 「っな、何故、ここに……、」

 んぐ、と呼吸をひとつ呑んで、ウォルターは訊いた。閑散とした空気に、ここなら誰も来ないと思っていたのだろう。

 スッラは自分を見上げてくるウォルター少年を、眉尻を下げて笑った。

 「私はここのやつらに乞われて身体能力検査に協力していただけだ。そこの中庭でな」

 スッラが窓を指差す。ウォルターが、微睡みを覚えるほどに穏やかな陽光を採ってくれている窓の向こうは、確かに軽い運動のできる中庭になっていた。そこに、数人の職員たちがいた。そして、窓のひとつは開いていた。

 「むしろお前が後から来たのだが――気付いていなかったのか?」

 スッラの言葉に、ウォルターに微かに目を丸くした。

 気付いて、いなかった。

 「……そうか。邪魔をしたな」

 本を閉じてそそくさと移動しようとする。いつぞや、あるいはいつもと同じ動きだ。

 「まあ待て。もうすぐ昼だろう? せっかくだ、付き合え」

 だがスッラはウォルターを引き止めた。小さな肩を掴む力は、子供が勝てるそれではなかった。緊張と、微かな痛みに、ウォルターは小さく息を呑んだ。そしてその時、自分の肩を掴む手に、傷のあることに気が付いたのだ。

 スッラから離れようとしていたからだが、向き直る。おずおずと掴まれた手に、スッラは「おや」と様子を窺う。

 「怪我を、したのか」

 「お前を見ていて少しな。このくらい、怪我の内に入らん」

 スッラは冗談めかして言った。自分が近く――目に見える範囲――にいるのに、長椅子に座って本を開いて読み始めたウォルターの姿が珍しくて、視線を外さずにいたら、着地に少し失敗したのだ。

 「……。先に手当てしよう。今日の検査はここで切り上げても良い」

 ウォルターが、眉間に皺を寄せながら言う。自分に責任がある、と考えているようだった。

 スッラは噴き出しそうになった。人が好いにもほどがあるだろう。他人が勝手に怪我をしたのだ、放っておけばいい。ましてや、当人が気にしていないのだ。

 だが――好都合だ。

 「では、お言葉に甘えるとしよう」

 「……わかった」

 小さな頭がこくりと縦に振れた。俯きがちに止まったつむじを見下ろすスッラの顔は満足そうなものだ。それを知らないウォルターは、話してくる、と呟いて開いた窓から中庭へ出ていく。スッラは「ああ」と小さな背中を見送る。ウォルターがそのままどこかへ行く(逃げる)とは思わなかった。祈るように握られ、そして離された手に、子供の体温が残っていた。

 スッラがウォルターに手を引かれ――否、背中を追ってやってきたのは、いわゆる休憩室だった。キッチンやテレビやソファなんかの、憩いのための設備が用意されている。

 テレビの前に置かれたソファにスッラを座らせて、ウォルターは救急箱を取りに行った。そして、棚から持ってきたそれをソファの上に置いて広げる。手を、と促されたスッラは、素直に手を差し出した。

 ウォルターの膝の上に広げられた布の上に、パラパラと砂利が落ちる。清浄綿で傷口を拭い、消毒液を垂らす。気遣うように向けられた視線に笑顔を返し、スッラはウォルターの好きにさせる。傷は浅く、大きくもない。痛んだり沁みたりすることなどなかった。薬の付けられたガーゼを被せ、包帯を巻く。端をテープで留めれば、処置は完了だ。

 膝上に広げていた布に出たゴミを纏めて丸めて、ウォルターは片付けをする。カチャカチャと、瓶やケースの擦れ合う音がしていた。

 スッラはウォルターの手際に、思ったよりも良い手際だったな、なんて思っていた。同じ年頃の他の子供なら、こうはできまい。

 巻かれた包帯を眺めて、スッラは救急箱をしまってきたウォルターに隣へ座るように促す。ウォルターはソファの前で少し身動いでから、諦めたように腰を下ろした。

 「随分きれいに巻いたな。慣れているようだ」

 「……先生や皆には、よくしてもらっているから、少しでも役に立たないと」

 「まったく素晴らしい子供だな、お前は。そんなもの、頼まれたときにすればいいことだ。職員でもないやつが自主的にすることではない」

 「確かに俺は、職員ではない。が、無関係でもない、から……」

 大人ばかりの施設で、自由を許されている姿。曰く「何もされていない」なら、身内が勤めるなりしているのだろう。衣食住には困らないだろうが、成長には悪影響の方が多い環境ではないかと思った。

 スッラは目を伏せたウォルターを鼻で笑って丸い頭をぐしゃぐしゃと撫でる。

 「自分と他人の区別はつけられるようにしろ。お前が背負うべきはお前の責任だけだ」

 何なら自分の責任を他人に押し付ける輩だっているのだ、もっと気楽に生きればいい。だが、この時のスッラはまだウォルターの危うさと頑なさを知らなかった。

 「さて? では次は私に付き合ってもらおうか、ウォルター?」

 その後。ふたりは当初話していた通り昼食を採った。スッラの怪我を口実に検査は終わり、連れ立って施設を出る。そうして、技研都市にあるファストフード店に入った。

 ウォルターは初めてだった。平静を装いつつもそわそわしている姿はスッラを楽しませた。まるで兄弟のように同じテーブルで同じような料理を食べて――その日確かに、ふたりの距離は縮まった。




Old days

 ウォルターが「ハンドラー・ウォルター」となってしばらくした頃、ふたりは組んで仕事をする機会があった。ルビコン星系と木星が近付いた時期のことだった。スッラにとってハンドラー・ウォルターにつくことは「狩り」のしやすい環境になるからであったし、昔のよしみの、易い子守のようなものだったからだ。

 自分の興味のある依頼、自分好みの依頼、自分に都合のいい依頼。それらしい理由をつけてスッラは思う通りにウォルターに依頼を選ばせ、自分に充てさせていた。ウォルターがいて、好みの仕事をして――愉しい日々だった。ウォルターは相変わらず「変わったにおい」を纏っていたけれど、それを抜きにしたって眺めていたい存在だった。

 そんな日々の中で、スッラはウォルターが「故郷」に帰りたがっていることを知った。アイビスの火と呼ばれる大火に呑まれた場所など、帰っても何もないだろうに。

 帰ってどうするのかとスッラは訊いた。その問いに、ウォルターは、自分のなすべきことをなす、と答えた。

 嫌な予感がした。

 ウォルターは皆まで語らなかったけれど、嫌な予感と言うものは往々にして当たるものだ。ましてや、廃墟と化しているであろう場所で何をなそうというのか。

 信頼は、されていたのだと思う。だからウォルターは「故郷(ルビコンⅢ)に帰りたい」とこぼしたのだろう。

 だがスッラは――身体の芯が冷め、夢から醒めるような心地だった。あの場所に戻れば、取り返しのつかないことになると直感した。惑星封鎖されていることも含めて、そう思うだけの因縁が、あそこにはありすぎる。

 ダメだ、と。それには協力しかねる、とスッラはウォルターに伝えた。

 「“お前への依頼”であってもか」

 「当然だ。その依頼を、私は受諾しない。ウォルター、ルビコンには近付くな。もしも言うことを聞けないなら、私はお前の大切な子飼いを殺してその手足を潰し続ける。何度でも」

 「……そうか」

 「ウォルター。良い子だから聞き分けろ。お前は、お前の人生のために生きるべきだ」

 「俺は――自分の意思で、自分の人生を歩んでいる」

 それだけ言って、ウォルターは踵を返した。外行きのためのコートが翻る。どこへ行くかなど、外で何か予定があるなど、聞いていなかった。いちいち尋ねる程、ウォルターを侮ってはいなかったからだ。けれど、その時は、ウォルターから目を離さない方が良いのに、と予定を確認していない後悔が過った。

 契約期間はあと数日だった。その間、スッラとウォルターは滞りなく仕事をした。ふたりの名前はちょっとした話題にもなった。だが当人たちの間の空気は、以前よりも乾いたものになっていた。

 機体のオイルを、コアの血潮を浴びても酔うに足りず、腕利きと言われるパイロットを伸しても満たされず、数で劣る戦いをひっくり返し盤面を蹂躙しても空虚だった。手持ち無沙汰に敵をいたぶる壊し方をしても静かに窘められるばかりで張り合いがない。

 たぶん、スッラを、ウォルターはもう見ていなかった。自分の戦力として、数えていなかった。

 当然だろう。どんな雇い主だって、契約更新ばかりでなく仕事の依頼を拒否した傭兵を「次の仕事」をするための数には入れない。

 それでも互いに礼儀は通した。期日まで、忠実に誠実に働いた。スッラのそれは相手がウォルターだったからと言うのが大きかったけれど、ウォルターは誰が相手でも同じようにしただろう。

 期限の日。日付が変わる頃、ふたりはガレージにいた。スッラが、一人で「仕事」に赴いたウォルターを迎えに行き、共に帰ってきたのだ。ゴウンゴウンとアームや足場の動く音が響いていた。それらに紛れる小さな足音は、たまたまそのヘリに乗っていた猟犬のひとりが、ガレージにやってきていたからだった。

 スッラは通路の端、壁際にウォルターを追い詰める。

 「アレがどういう人間か分かっていて取引に応じたのか? 随分と危険な橋を渡ったなァ、ウォルター。そんなに故郷が恋しいか?」

 「っ……取引は、上手くいった。それが全てだ。俺は、お前の手を借りずとも、ルビコンへ行ける」

 スッラの目を真正面から見つめ返してウォルターは言った。いつかの過去には自分から逃げていた少年が、逃げるどころか正面に立つようになっていることに口角が上がる。

 その時自分が牙を剥いて笑っていたことに、おそらくスッラは気付いていなかった。

 コツ、と足音がした。

 「分かった。では――お前との仕事はここまでだ、ハンドラー・ウォルター」

 言い終えると共に、スッラは懐から銃を取り出し、腕を横に伸ばした。

 ウォルターが、伸ばされた腕の先へ目をやる。そこには、茫洋とした顔の、猟犬のひとり、が。

 「待て!」

 叫びと銃声は同時だった。

 一拍の後、どうと人の身体の崩れ落ちる音がした。

 「ああっ……!」

 スッラを押し退けてウォルターは猟犬に駆け寄る。眉間に、綺麗な銃創が開いていた。既に息はない。最近ようやくACのパーツ以外も見るようになってきた瞳も、暗く濁っている。脳深部の管理デバイスも、きっと破損しただろう。

 「機体の外では何の役にも立たんな、お前の犬は。それとも、まだ調教(トレーニング)前だったか?」

 協働していた時には呼んでいた名前(ナンバー)も、もはや呼ばなかった。コツリコツリと足音を立てながらスッラが近付いてくる。懐に銃を戻す様は慣れた風だ。

 「スッラ……!」

 スッラを見上げるウォルターの目と声には、紛れもない怒りが浮かんでいた。

 「私は言ったはずだ、ウォルター。お前がルビコンに行くと言うなら、お前の手足となる犬を殺す、と」

 わざとらしい苦笑は、しかしウォルターの前まで来て消え失せる。ズイと寄せられた顔は、おそらく初めて見る真顔だった。

 「覚えておけ、ウォルター。これからお前の犬どもは、お前のせいで死んでいく」

 それからスッラは「どけ」と言って殺した猟犬の腕を掴んで歩き出――そうとした。ウォルターが退かず、遺体を抱え込んでいて、引き止められたのだ。

 能面のような顔でスッラが振り返る。

 「……」

 数秒の間、ふたりは見つめ合った。

 スッラはウォルターに退く気がないと理解するや、掴んでいた腕を離し、溜め息を吐いて数歩引き返す。

 そして、ウォルターを蹴り飛ばした。

 強化人間の膂力に曝され、ウォルターは堪らず呻き声を上げる。乾いた、嫌な音が聞こえたから、おそらく骨が折れていた。

 「ぐ、ぅ……ッ!」

 飼い主を、その飼い犬の死骸から引き剥がした張本人は、蹴り飛ばしただけでは飽き足らず、その肩を踏み付けて背中を冷たい床に押し付ける。そこでまた、みしりと骨の軋む音がした。スッラのガラス玉めいた目が、痛みに顰められるウォルターの顔に、ふっと和らいだ。

 「あまり手を煩わせるな、ウォルター。今回はサービスだ。コレは私が処理しておいてやる」

 「スッラ……貴様……ッ!」

 手つきだけは優しく、スッラはウォルターの頭を撫でる。悔しげなウォルターの唸り声など、猫が喉を鳴らすようなものに聞いていただろう。

 言うだけ言って、スッラは手放された遺体を再度掴んで歩き出す。今度は容易く引きずることができた。背後から「待て!」と言う声と、床を這うような音が聞こえたが振り返らない。足場を動かし機体に乗り込む。コアパーツに死骸を放り込み、扉を閉じる。

 そして、スッラはガレージの扉を壊して出て行った。

 他の仕事に出ていた犬がじきに帰って来るはずだ。荒野の片隅にひっそりと停められたヘリはそもそも目立たない。スッラは、自分の去った後、ウォルターの命が脅かされると言う点については心配していなかった。

 果たしてその予想は正しい。スッラはハンドラー・ウォルターのヘリから離れる途中、RaDフレームの機体とすれ違った。

 戦力と設備を失い、ウォルターはルビコン星系入りを見送らざるを得なくなった。手を伸ばせば届くだろうに、伸ばすための手や掴むための指が無い。その口惜しさは如何程だろう。だが――ウォルターの命が長らえたことには変わりなかった。


The interlude of old days

 取引相手は「ウォルター」を所望した。近頃名を馳せ始めた新顔(ルーキー)を、あらゆる意味で「味見」しようとしたのだろう。

 対価を支払うための部屋で、ウォルターの身体を指先で辿りながら「マダム」が目を細める。紅を引いた真っ赤なくちびるが、弧を描く。

 「随分と……勇気があるのね。それとも世間知らずなだけかしら」

 くすくす、と笑うマダムは、しかしその眼も空気も鋭いものだ。ウォルターは無意識に小さく身動ぐ。緊張と、爪先をつつく恐怖を見ないようにしながら、相手を窺う。

 「経験は? からだを使ったことはある?」

 「……無い」

 下手に嘘を吐くのは得策でない、と思った。

 実際ウォルターはあらゆる意味で身体を使ったことがなかった。使えることも知らなかった。今までの取引相手は皆金か現物を求めたし、そんな気配もなかった。おそらく、今までの奴らよりも「質」とか「格」が違うのだろう。そうでもなければ、形も普遍的な価値も無いものを、対価として提示しない。

 「そう。じゃあ、心に決めたひとはいる?」

 「……いない」

 ウォルターはまた素直に答えた。事実そんな相手などいるわけがなかった。できるような環境でもなかった。

 「そう?」

 けれどマダムは、ウォルターの答えにくすくす笑った。まるで子供の吐いた見え透いた嘘をからかっているかのようだ。ウォルターは怪訝な顔をする。それを見て、マダムはまた楽しそうに笑う。

 「……ああ、あなた、無自覚なのね」

 マダムの言葉を、いまいち呑み込めていないウォルターを置いて、マダムはやわらかく目を細めた。ここではないいつかに、想いを馳せる眼差しだった。

 「この世界に不釣り合いで不似合いだわ、ハンドラー・ウォルター。そんな清らかな願いが、叶うと思う?」

 マダムの口ぶりに、取引の破棄が頭を過る。

 微かな焦りを帯びて開かれた薄い唇を、白い指がふわりと押さえた。ムラ無く塗られた爪紅が、てらりと明かりを返す。

 「けれど、そうね。……良いわ。その純粋を夢見た頃が、私にもあるもの」

 ふっと目の前が陰って、くちびるに柔らかいものが当たった。

 「大事になさい、坊や」

 キスをされたのだと、吐息の触れる距離で囁かれた言葉で思い至った。

 ウォルターが呆気に取られていると、音もなく2歩ほど下がったマダムは、それから扉の方を見た。直後、マダムの部下と思しき黒服が部屋に駆け込んでくる。

 「お迎えが来たようね」

 くすりと笑ってウォルターを見る。そしてすぐに表情と空気を引き締めて黒服に鋭い声を向けた。

 「ノックも無しに何かしら。お客様にも失礼でしょう?」

 「もっ――申し訳ございません! しかし緊急の事態でして……! 傭兵が、独立傭兵が単機で……ッ!」

 「そう。分かったわ、挨拶くらいはしておきましょう」

 「誰」が来ているのか、マダムは分かっているようだった。

 「帰り支度を整えてからいらして? 本当はもう少しお話したかったけれど……楽しみを次に取っておくのも悪くないわよね?」

 横目でウォルターに声をかけて、マダムは高らかにヒールを鳴らして部屋を出ていく。歩みは悠然として振る舞いは泰然。殴り込んできた独立傭兵の相手をしに行くにしては、余裕綽々と言った様子だ。

 ウォルターは部屋の扉が閉じて二拍程してから、何枚か剥かれた衣服を整え始める。覚悟していた展開にならなかったことへの安堵は、あった。




After the all done

 ベッドの上でスッラに見下ろされる。度重なる口付けと愛撫に、ウォルターの身体は上気してすっかりやわらかくなっていた。

 「ずっと――お前が漂わせるにおいは何なのだろう、あるいはもしかして、と思っていた。だが今、こうして正体を見れば、少なからずの驚きを覚える」

 穏やかな顔でスッラが言う。一糸纏わぬ姿のウォルターは、膝を立てた状態で広げられた両足を閉じようとした。

 やわく身体を挟んだ脚をスッラは撫でる。目の前のなだらかな下腹部が、ひくりと波打った。

 なだらかな下腹部、である。

 ウォルターのそこに、男性器と呼ばれるものはない。あるのは慎ましやかな“女性器”だけだった。

 そしてスッラの言葉に、ウォルターは唇をキュッと噛む。左右で質感の違う両腕が、顔を隠した。

 初めて声をかけられた時にはもうこの男(スッラ)にはバレていると思っていた。ウォルターが、男とも女とも言えない身体であることを、知った上で何も言わず「普通に」接しているものだと思っていた。けれど実際は、確信には至らない、疑念止まりのものだった。それに気付いた瞬間、身体が芯から冷えていくのが分かった。

 「……やはり気色悪いか」

 「何故」

 腕を退かして、スッラは朱を刷いた目元や頬に口付ける。ウォルターの目の前にある顔は、変わらず穏やかだ。

 「身体がどうなっていようがお前はお前だろう。まあ、私の前にお前を喰ったやつがいることは、あまり良い気がしないが」

 「――……ぁ、」

 それは、どう言う意味だろう。訊くために、ウォルターが口を開く。と、同時に、つぷりと下腹部の割れ目に指が潜り込んだ。

 「ぅあッ! ァ……ッ!」

 あまり濡れていないそこへ、ほとんど不意打ちのように挿れられた指に身体は縮こまる。乾いた刺激と隘路への挿入の痛みに、ウォルターは声を上げた。

 一方のスッラも、ウォルターの反応と指を締め付ける媚肉の強張りに表情を変えていた。

 ……まさか、そんなはずが――あるのか? 今の今まで、一度も? 否。だって、いつだったかこいつは「肉体的な」対価を求めることで有名な女と取引をしていたはずだ。はず、だが、このキツさと狭さと反応は。

 「……ウォルター、お前、」

 「ぃッ……!」

 一度指を抜く。その刺激にすらウォルターの脚は小さく跳ねた。

 スッラはそっと陰裂と小陰唇を割り開く。そこには、やわい桃色の肉と、控えめに開いた穴があった。

 「……初めてか」

 指を退かしてスッラがこぼす。独り言ちたのかウォルターに訊いたのか――どちらとも取れる声だった。けれどウォルターは、自分を真直ぐに見つめてくる眼に気付いて、かち合った視線を逸らして小さく頷いた。

 その無意識なあざとい仕草に、スッラは大きく溜め息を吐く。

 「……。……何故先に言わなかった。否。何故拒まなかった」

 拒んだところでスッラはどこかのタイミングでウォルターをベッドへ放っただろう。けれど、その前に一応、と誘ってみたら乗ってきたのだ。だからスッラは比較的心穏やかにウォルターに触れることができた。できていた。それなのに。

 「…………言って、何か変わるのか? 行為が何度目だとて、やることは変わらないのだろう?」

 この子供は夢も何も無いことを言うのだから――スッラはまた溜め息を吐く。おそらく、今夜ここにいるのも、仕事として、と言う意識なのだろう。ムードも何も無い。無いなら作れば良いのだが。

 「……それに、俺がお前にしてやれるのは、もうこのくらいだ。贖い、とも言えないが。……何より、お前になら、そ、の……、お前は、俺、が、知る中で、俺の猟犬以外で、最も、強い……独立傭兵、で……、“俺”のことを、知っている……、から、」

 「……」

 つまりスッラに対する称賛と、共に過ごした過去への郷愁を、ウォルターは身体を委ねる理由として挙げた。

 してやれるだとか贖いだとか、そんなものはどうでも良い。スッラは好きで独立傭兵をやっているし望んで強化人間になった。それはウォルター含めた何人にも否定はさせない。

 だが――そうか。スッラだから良い、のか。ウォルターは。

 口元がむずむずして、腹の底がふわふわする。おそらく、長らく生きてきて初めての感覚だった。

 愉快な気分のまま、スッラはウォルターにキスをした。他者からの称賛と、他者との過去の共有が、これほど心地良いものだとは知らなかった。

 触れ合うだけの口付けを何度か繰り返して、ウォルターの顔を覗き込む。突然のキスの雨に、置き去りにされた顔はおさなげだ。きらきらと揺れる瞳が、とても綺麗だった。そしてスッラを見上げたウォルターは、自分を写す瞳の明るさに、小さく息を呑んだ。翳ってなお、その紅い瞳は炯と輝いていた。

 「ローションやスキンはあるか?」

 上機嫌な様子でスッラが言った。

 「ローション、はあると思う。スキン?は、おそらく無い」

 答えるウォルターの様子からして、おそらくどちらも無いだろう。保湿用の一般的なローションも、使えないことはないだろうが、初めてには相応しく無かろう。

 スッラは愛しげに苦笑してウォルターの頬を撫でた。

 「ならば買いに行くか。確か、近くに薬局があっただろう」

 「い、今から? 行くのか?」

 すっかりその気になっている身体を服に押し込んで、ふたりは深夜の街へ繰り出す。運の良いことに、宿から歩いて3分程のところに薬局はあった。

 いつもよりもシルエットの分かりにくい――ダボッとした――服は、主に下半身の熱を隠すためなのだろうが、それにしたってどうしてこんなに平然としていられるんだこいつは、とスッラを見ながらウォルターは思う。こちらはベッドルームでの光景や空気から抜け出せずにいると言うのに! そもそもふたりで来る必要はあったのか?

 「ウォルタァ、あまり物欲しそうな眼で見ないでくれ。加減できなくなる」

 ローションを選んでいたスッラが視線も寄越さずに言う。ウォルターの喉がヒュ、と鳴った。

 「ちが、俺は、そんな……。……俺まで来る必要はあったか?」

 ボトルを手に取っては戻すのを繰り返し、スッラが棚から取ったのは思いの外シンプルなデザインのボトルだった。

 その後に、ようやくウォルターへ視線を向ける。愉しそうな顔をしていた。

 「あるとも。大いにな」

 スッラはそしてウォルターの手を引いて移動する。向かう先はスキンの並べられた棚だ。

 そこでようやくウォルターは「スキン」が何なのかを知った。あるいは「ゴム」と言われていれば気付いていただろうか。――どちらにせよ、実物を見るのは初めてだった。

 「こうして一緒に買えば、“次はお前一人でも”準備できるだろう?」

 スッラの言葉に、ウォルターは目を見開いた。あっという間に顔が赤くなる。

 「つッ!? な、ッ、きさまっ、……! ……!!」

 「まさか一夜で済むと? 心外だな。……ああ、お前から次を欲しがるようにしてやるのも一興か」

 クツクツ笑うスッラの眼が、ギラリと鈍く光った。捕食者の眼だ。あらゆる意味でマズい、と思――うと同時に、向けられるドロドロとした熱や欲に腰や背骨がジリと焦げたことも事実だった。ああ。良くない流れだ。

 「ウォルター」

 名前を呼ばれる。スッラの声がウォルターを呼ぶ。それでウォルターは我に返った。目の前には、もうスッラの顔があった。

 くちびるに、軽く触れられる感覚。

 レジにローションとスキンを出して精算する。眠たげな店員が小計を読み上げてスッラが支払う。

 その間ウォルターは居心地悪そうに、あるいは落ち着かないと言うようにそわそわとしていた。いつもは堂々としている鉄の男が、相手から眼を逸らして、そしてあちこちに視線を彷徨わせている。髪も軽くしか整えていないこともあって、平時よりも幼く見える姿と振る舞いにスッラが真顔になっていたことを、おそらく夜勤の店員と店の監視カメラだけが知っている。

 改めてベッドに上がり、ローションのボトルを開ける。脱いで脱がされた服は放られてそのままだ。スッラの手の上へとろとろと落ちていく液体をウォルターは見守る。スキンの箱――あろうことか箱で買ったのだ! この男は! ……それとも、箱で買うのが普通なのだろうか――はベッドサイドのチェストの上。中から取り出された一袋は傍に置かれている。それらの小道具に、情事に臨んでいるのだと現実を突きつけられて、ウォルターは居た堪れなくなっていた。

 すりすりと秘豆を擦っていたローション塗れの指が、つぷりと再度幼い蜜壷へ挿し入れられる。きゅ、とシーツを握り込んだ指先に、スッラは身を乗り出してくちびるを重ねた。同時にもう片方の手を胸へ遣り、ぷくりとふくらんでいた実をいじってやる。

 「は、ぁ……ふ、ぁ、はふ、っん、ふぅッ……!」

 股と胸からの刺激に呼吸が儘ならなくなる。

 スッラは酸素を求めて開かれるくちびるをこれ幸いと塞ぎ舌を入れる。挿入した指は、ゆっくりと動かして、誰も知らない隘路にそのかたちを覚えさせようとしていた。

 「はふ、っ、は……ッ! ん、ん、ぅぅ……!」

 くち、くちゅり、と少しずつ指の動きを大きくしていく。少しずつ、縁をほぐしていく。

 「ふぁ、」

 口付けをやめると、ウォルターは熱に湿った吐息で喘いだ。胸が上下する。そしてスッラの眼から逃げるように顔を逸らしたから、スッラは目の前に晒された首筋にくちびるを寄せた。熱い血潮の流れが分かりやすいところを、やわく噛んで舐って吸う。

 首筋、肩の近く、鎖骨、構われていなかった方の胸。スッラのくちびるが、ウォルターを辿る。歯を立てられるけれど、肌を吸われるけれど、痛みよりも甘い痺れが勝って身体の奥が身を竦める。

 「痛みはあるか」

 ローションを継ぎ足しながらスッラが訊く。くぷ、くちゅり、と立つ水音に耳を塞ぎたくなりつつも、ウォルターは何とか首を横に振る。正直なところ、痛いか痛くないか分からなかった。分からないから、たぶん痛みはないのだろう。

 「そうか。指を増やす。痛みがあれば言え」

 「ん……!」

 言葉と共に縁を広げられる感覚がした。

 一本目の指を慣らしていたおかげか、二本目は比較的すんなりと受け入れられた。そのままそっと動かして、ほたりと火照った内壁を触れたり擦ったりしてやる。

 「ッあ、ぁ……! っふ……! ん、く……ッ!」

 スッラの指が下腹部の内側、入り口の近い場所を押す。他と比べてザラザラとした部位を、ローションを纏った指で触れられ、ウォルターの脚がぴくぴく跳ねる。くぐもった声は、指を噛んでいるからだった。

 「ふ……ぅ、ふッ……、んぅ、……っァ、」

 戦場での苛烈さからは想像し難い、穏やかで丁寧な愛撫が続いた。ウォルターの身体は、どこも赤く色付いていた。

 決定打の与えられないもどかしさと、結合に至らない疑問に、ウォルターは混乱しかけていた。

 「……っ、す、すっら……? もう……、まだ、かかるのか……?」

 見たところ、スッラの熱は既に起ち上がっている。それなのに、まだ指なのだろうか。分からない。ウォルターには訊くことしかできなかった。

 「……」

 スッラが視線を上げる。真剣な眼をしていた。ウォルターの顔を見て、それはふっと和らいだけれど、直に見ることはあまりないその眼差しに頬が紅潮するのがわかった。

 「私としては――もう少し慣らした方が良いと思うのだが」

 「い、いい。もう、いい。どうせ、もう閉じているのだし、そんな気を遣わなくていい。優しく、しなくても……いい」

 “もう閉じている”。

 ウォルターのその言葉に、ああ、と思った。スッラにとってウォルターは何時まで経っても「少年」だけれど、その身体は確かに歳を重ねているのだ。聞けば、月のものが来なくなって数年は経っていると言う。通りで濡れにくくキツいわけだ、と思った。だからと言って、乱雑に扱う理由にはならないが。

 「あまり煽るな。それとも痛い方が好みか?」

 「――……痛くても、いい。むしろ俺は、俺には、痛い方が、」

 「そうか。だが何でも思い通りになると思うなよ、ウォルター」

 呆れたようにスッラは笑った。

 数刻前、ウォルターはこの行為を贖いだと言った。スッラの放り捨てた部分が、ウォルターにとっては行為の核なのだ。頑固で難儀だ。

 スッラはウォルターの腹から指を抜き、ベッドの上で放置されていたスキンの袋を手に取り開封する。とろりと垂れる潤滑剤に手早く装着を済ませて腰を引き寄せた。ひた、と幾分拡げられた入り口に狙いを定める。

 「べ、べつに、こッ、すきん、だって、なくてもおれは、」

 「それはもう少し後のお楽しみだ、ウォルター」

 駄々っ子のような自罰をさらりと流して、熱をわななく穴に押し付ける。にゅぷぷ、と音をさせながら、硬く育った熱が蜜壷を満たしていく。

 「っあ、あぅ、ッァ――~~~!」

 「ッは……!」

 腰が灼けたのは、双方だった。

 熱が、間違いなく自分に向けられた欲望が、今まで誰も許してこなかった場所を埋めている。その熱さと硬さと大きさに、呼吸が儘ならなくなる。はく、と酸素を求めて開いた口の端から、唾液が垂れ落ちる。

 キュウキュウと半身が締め付けられる。慣らしたとは言え初物だ。初物。自分が、初めて侵して満たした場所。よくもまあ、今まで守り抜いたものだ。その場所の、キツい程の狭さと固さが、らしくて愛しい。

 「あつ、ひッ、ぐ、あつ、ぃ……、ぉ、きぃ、」

 「っ、く、ふ……! 煽るな、ウォルター」

 思わず笑みがこぼれる。クク、と肩を揺らすだけでウォルターが喘ぐ。きゅむきゅむと腹がうごめく。心地好くて、腰が動きかける。ああ。けれど。未だ“処女”が呼吸を整えている途中だ。

 「っは、は、ぁ……!」

 ひぐひぐとしゃくり上げる声をあやすように目元や首筋にくちびるを落とす。髪を撫で頬を撫で、ウォルターの輪郭を辿る。見下ろす眼は、愛情と欲望の綯交ぜになったものだった。

 くぷ、くぷ、と気泡のつぶれる音がする。ふたり分の呼吸音が、部屋に溶けていく。

 「ぅ……、」

 ウォルターが、薄らと目蓋を開いた。

 「す、ら、」

 「ん?」

 「い……から、うご、け、」

 まだ完全には落ち着けていないだろうに、首まで赤く染めたウォルターは促した。当然、腕を伸ばしたり足を絡めたりなんかはしていない。

 「……まったく、お前と言うやつは」

 これでは自分がウォルターを「使う」ようではないか。スッラはこの日何度目とも知れない苦笑を浮かべた。だが、まあ、もう動けなくもないだろう、とゆっくり腰を動かし始める。

 ずりゅ、にぢゅ、と潤滑剤やローションに濡れたスキンと内壁が擦れ合う。とちゅ、とちゅ、と腹の内側を小突く熱に、ウォルターはくしゃりと前髪を両手で掴んだ。何もかも、知らない感覚だった。

 「はあっ、ッァ――、ふッ、ぅ……、ぁあ……っ!」

 「っは――……、気持ち好いか?」

 「わかっ、っ、わがらな、ィッ……!」

 「そうだな。初めてだものな」

 「ぅゔ……! だ、からっ……、おれ、のこと、は気にせず……っ、すきに、うごけ……!」

 悔しげに歪んだくちびるはスッラとの口付けで赤く濡れていた。重ねた年月と子供らしさと妖艶さが同時に差し出される。差し出された甘露に、スッラは迷わず口を付けた。

 たぶん、スッラが「好きに動い」たら、ウォルターは快感よりも痛みを感じるだろうし、秘所は傷付くだろう。それはスッラの望むところではない。だが、だからと言ってこのまま緩やかな運動を続けても埒が開かないこともほぼ確実だ。中断も、ウォルターは嫌がるだろう。

 まったくこの少年ときたら!

 何とも絶妙な我が儘を披露するウォルターを、それでも愛しく思うのはもう仕方のないことだ。伊達に半世紀以上も存在を気にかけていない。

 「んぐ、ぷぁ……っは、ぁ、……っらぁ、」

 味わっていたウォルターの舌から舌をほどき、小さな溜め息を吐く。

 「……では、少しだけ」

 スッラがウォルターの耳元で囁いた。

 ズッ――と音がして、次にずちゅん、と音がした。腹の中がさみしくなって、けれどすぐに熱いものが戻ってくる。硬い熱が、腹の内側を轢いていく。

 ずちゅ、ずゅぷ。じゅぷ、ぐゅぷ。ずぢゅ、じゅぼ。

 「ッ――かは、ァ、ぐッ……、ひゅッ、ァ、ああ……!」

 それは本気とは程遠い、準備運動の前のストレッチくらいのものだったけれど、ウォルターは目を見開いた。片手は顔の半分を隠して、もう片方の手はシーツを握り締めていた。

 「ぉ゙うッ、ァはッ、んぐッ、ゔ! ひゅッ、ひぃ、ア、あ! あぅ! ぁ、んん……ッ!」

 熱い、苦しい、腹がいっぱい!

 「ァ、っ、ァ――……ッ! かふっ、ぁ、ア、……ッ!? ひッ!?」

 ふっと視界が明るくなって、下腹部からの刺激に甘い痺れが加わる。

 不意に目の前から消えたスッラの姿を追えば、上体を起こして腰を揺らしながら、ウォルターの秘豆へ手を伸ばしていた。

 くちくちとスッラの指先が淡い色の幼豆をあやす。性感帯を刺激され、ウォルターの中に快楽が走る。

 「あ、ああッ! ゃ、待っ、ひぎッ、ィ゙ッ……! それッ……、まっァ、ぁ、あああ!」

 処女だろうがなかろうが、器官として備わっていれば――特に病等無ければ――確実に性感を生む場所。そこをいじられてウォルターは咽ぶ。違和感の勝っていた行為に「快」が咲いて育っていく。

 それは、ウォルターにとっては望むところではなかった。

 「やだ――ぃやだ、スッラ……! それ、は、ッ……! ひッ、ゃめ、や――ァぁあああッ」

 両腕が、ふらふらとスッラの手を止めようとする。けれど大した力など入らず、その腕や自分の下腹部に添えるだけに留まってしまう。

 くちくち。くにゅくにゅ。

 主に潤滑剤やローションで滑りが良い。敏感なところを撫でる指の動きは滑らかだ。止まれと言っても止まらない「他人の指」に、呆気なく導かれてしまう。

 「スッ――、すっ、ら、ぁ゙……! ぁぐ! ふッ、ふ、ぅ゙……!」

 「良いぞ。イけ。我慢するな」

 「ちが……! ぁ゙、おれ、ぉれ、は……! ゃだ、ぃぎたく、な、ァアアアア!」

 ガクン、とウォルターの身体が跳ねた。顎が天井を向く。脚が強張り爪先が白くなる。指先が、スッラの手やウォルター自身の腹に、やわく立てられていた。

 「っ――……はは、」

 かたかたとふるえる身体。その腰を掴んで、スッラは腰の動きを僅かに速める。キツく狭い胎が更に縮こまり、心地好く半身を扱いていた。

 そしてその動きは当然、ウォルターにも感じられるところであった。

 「んぎ!? ぅぐ、っ、ぐぅッ! あ゙、ぇ、っな、……っ、待っ――~~~~~!」

 嫌々ばかりこぼすくちびるをくちびるで塞ぐ。少しだけ、熱がより奥へ潜り込んだ。同時に、キスの甘さにだろう、また、ウォルターの胎はきゅんきゅんと悦んだ。

 「――……っ、ふ、」

 スッラもまた薄いゴムの中に精液を吐き出していた。奥まで腰を進めて、塗り込むように擦り付けようとしなかったのは強い理性の賜物だ。とろとろにふやけたウォルターの舌を食んだり吸ったりしながら、余韻を味わう。

 「……」

 とろ、り、と、舌をほどいて、スッラは改めてウォルターの顔を見る。とろけて、赤くなった、愛らしい顔。その、いっとう綺麗な瞳が、一度まばたきしたと思えば、ゆらゆらと沈みだした。

 きらきら光る雫を、あふれる前に眦から吸い取ってやりながら、スッラは訊く。

 「後悔したか?」

 ウォルターは両腕で顔を隠して答える。

 「……なぜ、俺を達させた」

 「セックスだからに決まっている。双方が快楽を得るものだろう」

 スッラはゆっくりウォルターの中から半身を抜いて、着けていたスキンを外してその口を縛る。ゴミはゴミ箱へ。小さくベッドを軋ませて戻ってきたスッラは自分とウォルターにシーツをかけながら横になる。ウォルターの腕の隙間から、結局涙の落ちていくのが見えた。

 「何故厭がる。何故使われたがった」

 「……」

 「ウォルタァ。教えてくれ。どんな理由であっても責めはしない。な?」

 スッラは腕を伸ばしてウォルターの肩を抱き寄せる。存外、素直にころりと転がった身体は――顔を見せてくれることはなかったけれど――スッラの胸元に収まった。

 「俺……が、お前、に、抱かれ、て……、気持ち良く、なったら……、お前、や、お前、に、ころされた、俺、の、猟犬、たち、に、合わせるかお、が、」

 その、言い分に。

 スッラは溜め息を吐いて、たぶん、それで強ばった身体を抱え込んだ。

 「私は気にしないしむしろ感じ入ってくれた方が甲斐があるのだが――……無理に抱かれた、仕方なく抱かれた、とでも思っておけ。お前は悪くない」

 「ちがう。おまえ、は、そんな、……ちがう」

 スッラが、同意がなくとも自身を抱こうとしていたことを知らないウォルターはスッラを悪役にしたがらなかった。結果としてスッラは悪漢にならなかっただけなのだが――あれだけの別離と敵対を経た割に随分信頼してくれているものだと心配になる。

 「お、おれのせい、で、みんな……、っ、おまえも、傷ついたのに……、おれだけ、よく、なんて、なれない」

 恨まれて、憎まれていると思っているのだろう。事実ウォルターを恨み、憎んでいる人間はいるだろう。ハンドラー・ウォルターは確かにこの世界で名を馳せていた。

 だがウォルターに近い者で、嫌悪や憎悪からウォルターに恨み言を言う者は、おそらくいない。ウォルター自身は否定するけれど、人柄だ。

 スッラはウォルターの頭を撫でる。半世紀を経て少し乾いた気のする、しかしやわらかな髪。まるい頭にくちびるを落として、浅く早くなりかけている呼吸を宥めようとする。

 「大丈夫。大丈夫だ、ウォルター。誰も責めはしない。もしも責められたら私に言え。お前を責めるやつは皆殺してやる。な?」

 クスクス、と実に軽い調子で言うけれど、スッラの言葉に冗談は無かった。スッラはウォルターを脅かすものを、いつだって何度だって屠ってきた。

 そしてウォルターはそれを知っていた。知ってしまった。

 「しなくて、いい……!」

 「そうか? それは残念!」

 軽い頭突きと共に、慌てた様子で返ってきた言葉にスッラは朗々と笑う。ならばやめよう、とは言わなかったことに、ウォルターは気付いただろうか。

 「……眠れ、ウォルター。疲れただろう。少し休め」

 一転、穏やかな声がウォルターの鼓膜を揺らす。スッラには見えていないはずだけれど、ウォルターの目蓋はとろりと落ちかけていた。情事が終わったことで緊張が解け、情事自体での疲労が顕れ始めたのだ。

 けれどやっぱり「このくらいで寝てしまうのは」なんてウォルターは思って、むずがった。

 「大丈夫だ。誰も見ていない」

 穏やかな声と穏やかな体温が眠りに誘う。睡魔はやがて抗いがたい強さとなり――。

 「ぅ、ぅ……、」

 ウォルターの身体から、すべての意識と力を奪っていった。

 くてりと脱力した身体を見届けて、スッラはつむじにそっとキスをする。ふわりと甘いウォルターのにおいがした。

 今はもう、せめて幸せな夢を見ていると良い。


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