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【ACⅥ】頽廃。いとおしき、夢の跡【Bbパロ】

血族なスラウォルでブラボパロ。暴力・流血・死亡描写有り。捏造と妄想もたくさん。足し算じゃなくて掛け算のスラウォルだょ……!

スラウォル血族(ブラボ)パロ

外見イメージとしては若スッラ×少年ウォルター。

暴力・流血・死亡描写があります。

ナガイ教授や第1助手(推定ウォルター父)のキャラクターを捏造しています。カーラ姉貴ほとんど登場させられなかったごめん。

モブが喋ります。

ブラボの世界観について独自解釈やご都合解釈があります。

狩人の夢への往き来、使者ちゃんの視認については獣狩りの夜限定のものとして描写していません。別名サボり。

各エリアの地理や地形なんかも捏造してたりします。

総じて特に深く考えずに読んでもらえると助かります。たすけて。

内臓攻撃でスッラに腹の中まさぐられるウォルターなスラウォルも良いと思います。血族じゃないブラボパロ。

……足し算のような気もするけどスラウォルです(鋼の意思)

気を付けてね。

---

 男は行き倒れていた。

 ヘムウィックの墓地街の端、それ自体が城塞と化した小島へ続く橋の傍に倒れ込んでいた。

 呼吸はある。だが時間の問題だろう。呼吸と共に動く腹部の動きは小さく、またその姿もボロ切れのようで酷いものだった。血と泥に塗れている。このまま居れば、衰弱死、もしくは墓地街の犬に食い殺されて惨めな死体を路端に晒すだろう。

 そこに、一台の馬車が通りかかる。

 馬車は倒れている男に気付いたようだった。速度を緩め、男を少し通り過ぎたところで停まる。そして、車体から人影がひとつ、降りて来た。降りて来たのは、地味ではあるが、質の良い服を着ている男だった。

 「――君、大丈夫か」

 男は行き倒れの肩を叩きながら声をかける。身体を揺すってやると呻き声が返って来て、男はこの行き倒れがまだ生きていることを確信する。

 ヤーナムと言う地域は、排他的な場所だ。特に異邦者を拒み、例え彼らが自身の家の前で「獣」に襲われていようと門戸と口を閉ざし、明朝以降の肴にする。そんな地域だった。

 だが何事にも例外や異端と言うものはあった。異邦者を拒まない連盟。異端と目されるオト。そして異邦の武器を自らのものとした血族。

 馬車から降り立った男は、言うまでもない。「血族」の関係者だった。

 男は御者に言い、その手を借りて行き倒れを馬車へ運び込む。東洋の顔立ちを持つ男は、やはり東洋からの異邦者であった。

 道連れをひとり増やした馬車は再び走り出す。かこかこ、がろがろ、がたがた。石畳を蹄鉄が叩き、足音を車輪が掻き消していく。橋の向こうには、荘厳な城が馬車を見下ろすように聳えていた。

 市街の中心から離れているとは言え、さすが医療の街と言うべきか、城に運び込まれた男は一命を取り留めた。

 簡素なベッドの上、やはり簡素な衣服に替えられた男の傍らで、行き倒れていた男を拾った東洋風の男は切り出した。

 「気が付いたようだね。良かった」

 「……ここは、」

 ぼんやりと天井を見ていた目が、傍らの人影を写す。ランプの灯火が揺れて、壁に映る影を揺らしていた。

 「ここはカインハースト。君は墓地街から城へ続く橋の近くに倒れていたけれど……覚えているかい?」

 「ああ……、」

 ほとんど空気を吐き出しながら男は答えた。

 だがその内心ではにんまりと笑みを浮かべていた。

 カインハースト。謎多き血族の根城。男が、わざわざ野垂れ死にかけた理由。

 どうやら無事に潜り込めたらしい。酒場で盛大に喧嘩を売り、大立ち回りをしたその足で墓地街まで移動した甲斐があった。一晩寝て、特に何もなければ橋を渡って城門を叩こうかと思っていたが――やはり自分はツイている。懐に潜り込んだ後は「教会」への土産となる情報を漁るだけだ。

 「そうか。良かった。では、悪い事は言わない。回復したら、すぐにここを離れなさい」

 だが、傍らの男はその思考に水を差した。

 「は?」とあまり品の良くない声が漏れる。一気に意識が現実へ引き戻される。丸くなった目を真っ直ぐに見つめ返して男は言う。

 「カインハースト、つまり血族は医療教会に仇なす存在だ。長居すれば市街の雑多なにおいは薄れ、城の閉鎖的なにおいが纏わり付くようになるだろう。そうなれば街へ戻った時が厄介だ。……悪い事は言わない。身体が治ったら、街へ帰りなさい」

 およそ血族――ヤーナムの人間とは思えない言葉だった。真剣そのものと言った様子で、男は他人を心配していた。

 だが残念なことに、その相手はカインハーストを探りに来た不届き者だった。

 「……残念ながら帰る場所が無くてな。有り金も酒場で巻き上げられてしまった」

 嘘と真実を混ぜながら、すべて本当だと言う自信を見せつつ釣糸を垂らす。やり取りは短時間だが、この男は食い付いてくれる、と確信めいたものはあった。

 「……数日の滞在ならともかく、ここを帰る家にしたいと言うなら、契約をすることになる」

 それでも良いのか、と男は探るような眼を向けた。

 多大な憐憫と僅かな疑念を帯びた視線を正面から見返して「ああ」と笑う。

 数秒、ふたりは目を合わせていた。探り合いだった。

 「……はぁ。許可が下りるかどうかは分からないが、掛け合ってみよう」

 「助かる」

 「……。私はナガイ。君は?」

 「スッラ」

 「そうか。よろしく、スッラくん」

 そうして、男――ナガイはスッラの脈や怪我の具合を見て、水差しや呼び鈴の位置を教えて部屋を出ていった。

 石造りの、寒々とした小部屋だ。暖炉もラグも小ぶりで、棚や机と言った家具も最低限かつ褪せて見える。部外者を、一先ず置いておくための部屋、なのだろう。

 とかく、第一段階はクリアした。後は城内を自由に動き回るだけだ。スッラは緩む口許を隠そうともせずにベッドの上で目蓋を閉じる。硬めではあるが地面よりかは遥かに寝心地のいいマットレス。スッラの意識はさして経たずに闇の中へ溶けていった。

 翌日にはもう怪我は治っていた。おそらく輸血液の恩恵だろう。薄らと残る負傷の痕もじきに消える。一晩を挟んだのは橋の傍に寝ていたおかげで体力が減っていたせいか。

 ベッドから起き上がり、スッラが四肢の具合を確認していると、扉の叩かれるコンコンと言う音がした。短く返事をして、自身が既に起きていることを知らせる。

 蝶番の軋む音をさせて扉が開く。顔を出したのは、見知らぬ男だった。

 「スッラくん、だね? ナガイ先生から聞いているよ。早速だが契約の儀を始めよう。来てくれ」

 笑顔、を浮かべてはいたが、怪しさと危うさのある男だった。だがそれが「男だから」なのか「血族だから」なのか、スッラには判らなかった。

 だからスッラは男の後を追って部屋を出た。

 やはり石造りの廊下を往く。長く薄暗い道だった。

 辿り着いた部屋は、聖堂にも思える造りをしていた。

 「我らが女王は多忙でね。すまないが、僕が契約の儀を執り行わさせてもらうよ」

 ニコニコ――あるいはヘラヘラと笑いながら男は言う。燭台の火が揺れて、男の表情もまた揺れたように見えた。

 男が台の上に置かれていた杯を取る。鈍い銀色のゴブレット。さすが「貴族」だ。酒でも酌み交わすのだろうか。

 スッラは差し出されたゴブレットを受け取り、そっと覗き込む。光を通さない器の中には、濃い色の液体が揺れていた。葡萄酒、だろうか――と、反射的に思った。けれど、その水面の揺れ方と立ち上るにおいに、それが酒ではないと知る。

 甘い。だが、隠し切れないにおいがもうひとつ。

 鉄錆。それは間違いなく「血」だった。

 ゴブレットへ落としていた視線を上げると、男がやはりニコニコと笑みを浮かべていた。なるほど血族が「血を嗜む」とは確からしい。

 スッラは片眉と口端を上げる。ゴブレットの縁へ口を付け一息に呷る。甘く錆びたにおいが鼻腔いっぱいに広がった。ぬるい血が唇に触れる直前。外界を覗いた液体の色が、“青ざめて”見えた。ぞろりと誰か、あるいは何かの血が喉を撫でていく。胃の腑へ、微かにとろみのある液体が落ちていく。さして多い量ではなかった。

 「――!」

 ちょうど、スッラが口を付けたままゴブレットを逆さに掲げた時だ。バタンと扉が開いて出入り口にナガイらしき人影が見えたのと、視界が急激に眩んで立っていられなくなったのは。

 その場に崩れ落ちる。ゴブレットが床に転がった。

 バタバタと足音が聞こえる。言い争うような声。先程の語はこの男の名前だったのか。

 呑気なことを考えながら、閉じていく視界に意識を手放した。

 スッラは夢を見ていた。

 スッラはどこかのベッドに横になっていて、首だけを動かせる。しとり、しとり、と何かの滴る音がした。そちらへ眼を遣れば、黒々とした水溜まりがあった。眼が、吸われるように固定された。ややあって、その水溜まりが盛り上がって、粘度を感じさせる音を立てながら、赤黒い液体に塗れた「獣」が現れる。

 獣は、獣にしてはやけに落ち着いた様子でベッドへ近付いてきた。動かせる部分が首だけのスッラは逃げられない。けれど不思議なことに恐怖や焦りは感じていなかった。声のひとつも上げずに獣を見ていた。近付きながら、獣はスッラへ手を差し伸べていた。誘うように、問うように。だが――その手が届く前に獣は火に包まれる。それは獣自身から立ち上ったように見えた。

 獣はそれまでの静かさが嘘のように暴れた。手を振り回し、あちらこちらへよろめいて、炎を振り払おうとする。しかしそれは叶わなかった。獣は這い出てきた水溜りの上に戻り、そこでくずおれて動かなくなる。炎もやがて小さくなり、室内には薄暗闇と静寂が戻る。

 見るものの無くなった視線を戻そうとした、時。腕や脇腹から、這い上がってくる青白く細い腕が見えた。ひたり、ぺたり、と四肢に触れ、掴み、青白い何かが這い上がってくる。それは不揃いな小人だった。人の形をしているけれど、形が人であるだけの、人智を越えた「何か」。それが身体を這い上がり、陣取り、覗き込んでくる。ぐらぐらと視界が揺れる。小人たちは顔を見合わせたり身体を揺らしたりして、何か話しているようだった。

 そして――再度の暗転。

 意識が暗んでいる中、ぴちゃりと小さな水音が聞こえた。次いで額に冷たいものが乗せられる。濡れタオルだろうか。つまり、誰かがスッラの世話をしていた。

 薄く目蓋を開ける。ぼんやりとした視界に、丸い後頭部が写る。ナガイは濃い色の髪をしていたから違う。何より背丈が小さい。子供だ。大人の手伝いがしたい年頃なのだろう。要らぬ世話だ。スッラは呆れたように目蓋を閉じる。まばたきのつもりだった。

 次にスッラが目を覚ましたとき、あの子供の姿は無く、代わりにナガイがベッド脇のチェスト上に置かれた桶の中でタオルを絞っているのが見えた。

 ナガイが振り返る。眼が合った。

 「すまない。本当にすまない。……あれは私の弟子のようなものでね。探究心があるのは良いが、あり過ぎるあまり他を些事にし過ぎるのが良くない」

 ベッドに手をつき身体を起こす。ヘッドにもたれてスッラは自分の両手や身体を見下ろした。人の形をしていた。

 「……契約の儀とやらは」

 まだ自分が人の形をしていることと、身体を自分の意思で動かせることを確認したスッラは、それからナガイの方を見た。

 スッラが起き上がったことで、乗せる場所を失った濡れタオルを持って、ナガイは佇んでいた。

 「終わっているよ。だが、血族契約以外の儀も、同時に済んでしまった。女王の血に、また別の特別な血を混ぜて君に飲ませたようだ。本当にすまない」

 「私は生きている。ならば問題ない。何か不都合があるのか?」

 「君は死ねなくなった、と言えば良いだろうか。君は生き延び、そしてヤーナムに囚われた。いつか来る獣狩りの夜を越え夜明けを迎えるか、心折れぬ限り、君は死なず、幾度も凄惨な狩りと死を繰り返す」

 痛みや苦しみに引き裂かれようと、全てが夢だったかのように目覚める。何度も、何度も。

 ナガイはそんなことを憐憫の籠った眼でスッラを見ながら語った。

 だが当のスッラはナガイの言葉すべてを笑い飛ばした。ははは、と寝起きで少し掠れた笑い声が部屋にこだました。

 「つまり死なないのだろう? 好都合だ。獣でも人間でも、何度でも狩り殺せるこの上ない恩恵じゃあないか」

 スッラの笑い声に面食らった様子のナガイは、そしてその言葉に眉をひそめて見せた。

 「……どうやら君は、根っからの「狩人」らしいな。実に頼もしいよ」

 そうしてスッラは「血族」となった。

 大きな城の小さな一室を与えられ、衣食住を保証される代わりに獣の「処理」を請け負った。採寸され、誂えられた装束と武器で、大小姿形の様々な獣を処理した。

 城での生活は、それまでのものを思えば随分と恵まれたものだった。装束が汚れたり破れれば代わりを与えられ、食うに困らぬことは言うまでもなく、私室も市街にいた頃とは比べるべくもない。欠点があるとすれば――懐古主義的で大袈裟なことだろう。

 獣の「処理」には美と名誉が求められた。名誉はまあ良い。獣狩人が英雄足り得た時代もあるし、結局狩人は今もそれに似た役割を負っている。だが美とは芸術性とは、獣狩りと言う命のやり取りにおいて不必要なものだ。そもそも獣狩りにおける美とは何だ。仕留め方か? 仕留めた後の死体の損壊具合の軽微さか? あるいはその逆に、グロテスクを追求することか? 獣を殺した後に一礼してみたとて、観客のいないことも間々ある。獣を殺す。それで良いだろう。あるいは、見たい動きや聞きたい音があるなら先に要望を言え。

 お貴族様の考えていることは、よく分からない。

 庭園に設けられた噴水の縁に腰掛け、存外重苦しく澱んでいた腹の底の空気を吐き出す。大袈裟なお仕着せを着ていない分、肩も身体も軽く感じる。

 さくり、と小さな足音がした。

 スッラは何とはなしに足音の方へ眼を遣った。反射のようなものだ。

 そこにはひとりの少年と、近衛騎士がいた。

 「……生きていたのか」

 スッラを見た少年は微かに眼を見開いてそんなことを呟いた。悪気は無いのだろう。だがスッラの片眉は上がった。

 「悪いな。お前たちの用意する獣共は私を殺せんらしい」

 「ああいや、そうでは……すまない。言い方が悪かった」

 案の定少年は動揺したようだった。気まずそうに視線が逸らされる。少年の背後に控えていた近衛騎士が音もなく腰に佩いた武器へ手を掛ける。少年は、それに気付いていないようだった。

 何食わぬ顔――実際どんな顔なのか兜で見えないが――をした近衛騎士を連れて、遠慮がちに近寄ってくる。近衛騎士から向けられる圧に、小さく息を呑む。

 「俺はただ……お前が生きていてくれて良かった、と」

 スッラの目の前で、丸い頭がうつむいた。

 その色と形に、ふと夢現に見た薄暗い部屋を思い出す。遊ぶような水の音。額に乗せられた濡れタオル。丸い後頭部は、こんな色をしていた気がする。

 パチリとパズルのピースが嵌まったような心地だった。

 「……父が、すまなかった」

 スッラは顔をしかめて呻き声にも似た溜め息を吐く。仰いだ空は今日も薄曇りだった。

 「……。いい。気にするな。お前は何もしていないだろう」

 居心地悪そうにスッラは言った。自分が少年をいじめたような気分だった。

 しかしスッラの内心を知ってか知らずか、少年はあろうことか言葉を続ける。

 「248人」

 「お前の父親が殺した人数か?」

 「そうとも言える。しばらくは生きていたけれど、城の外へ行ったまま“帰って来なかった”り、処理されたりして、皆もう居ない。お前は249人目の生存者だ」

 だからどうか、健やかにあってくれとスッラに少年は言った。

 「……248人試して、248人がそうなったのか」

 スッラの問いに、少年は首を横に振った。

 夥しい屍の上に自分は立っているらしい。自分が築いた屍山血河ならまだしも、誰かが用意したそれの上に知らぬ間に載せられるなど良い気はしない。

 まあ、心優しいらしい少年が気にするわけだ、と片手で目元を覆う。

 これ以上話を続ければ自分にも相手にも良くないと判断してスッラは話題を変えることにした。

 「そう言えばお前は誰だ? 血族か?」

 近衛騎士がカチャリと武器を鳴らした。主に無礼を働くな、とでも言いたげな反応だ。

 剣にしては細身なその武器の名前を、スッラはまだ知らない。

 少年は慌てたように近衛騎士を止めに入る。

 「待てセル。騎士とて身内だ。……俺はウォルター。血族の傍系の、末端だ」

 要するに血族と言うことか。浮世離れして見えたわけだと内心納得する。

 そしてやはり「騎士」とはさしてよろしい身分ではないのだと再確認する。まあ、「貴族」が部外者に与えられる席などそんなものだろう。

 スッラはチラと「セル」を見た。それからウォルターを見て立ち上がる。

 「これは失礼。私(わたくし)、近衛ではありませんがここで騎士をさせていただいております、スッラ、と申します」

 やをら膝を折りウォルターの前に跪く。拝謁の体勢だ。

 やけに芝居のかかった仕草、物言いだったが、ウォルターは慌てた様子で「やめてくれ」と言った。

 「やめてくれ。そんな、畏まらないでくれ。血族とは言え末席だ。そんな畏まわれるような人間じゃない。……特に、お前たちのようなひとには」

 「では私が“貴方”の名を呼び捨てても、その御身に断り無しに触れても、お咎めにはならない?」

 「……ああ」

 言質。スッラの口端が吊り上がる。

 チラリと視線を動かしウォルターが目の前にいることを確認する。市街ではあまり見かけない、白く上等なシャツとチャコールグレイのスラックス。手を伸ばせば届く位置にいる。

 スッラは素早くウォルターへ手を伸ばし、その細くしなやかな身体を両腕で抱え上げて立ち上がった。スッラの動きに、間髪入れずに「セル」が剣を抜き放つ。

 「私を切るか? この子供ごと」

 「やめろ、セル。大丈夫だ。大丈夫だから、千景を下ろしてくれ」

 「……」

 騎士と近衛騎士が、子供を挟んで睨み合う。

 薄く反った刀身には複雑な波紋が刻まれていた。そしてどうやら、片刃らしい。市街でも工房でも見たことのない武器だった。

 「……」

 小さな金属音を立てて、千景の切っ先が退く。

 刃を鞘に納めながら、しかし「セル」の頭は動かない。じぃとスッラの方を向き続けていた。

 それを鼻で笑って、スッラはウォルターへ向き直る。

「ウォルター。お前はどうやらこの城でまだマトモな話ができる人間らしい。お前に良心や贖罪の心があると言うなら、しばらく私に付き合ってもらおう」

 そう、言った時に。スッラには、確かにウォルターからより多くの血族の情報を引き出そうと言う魂胆があった。

 妙に物分かりが良さそうで背負い込みそうな子供と、息抜きにも似た交流をする心算など無かったのだ。

 だと言うのに――。

 「お前のレイテルパラッシュには装飾があるんだな。工房に注文したのか?」

 「私はしていない。職人が勝手に手を加えたものだ。……レイテルパラッシュ・エンタングルとか言っていたな」

 「命名までされているのか。確かに……随分と凝ったようだ」

 「……指を挟むぞ。あまり触れるな」

 「す、すまない」

 だと言うのに、顔を合わせて話すことと言えば益体も無いことばかりだ。

 「……一応訊くが、何をしている」

 「か、髪を結っている……」

 「ひとつ括ってもらえればそれで良いのだが?」

 「あ、う、す、すまない」

 「……三つ編みか」

 「フィッシュボーン」

 「何故」

 スッラが獣を「処理」する日も、しない日も。

 「見ろ、スッラ。火吹き血舐めの試作模型だ」

 「素晴らしく冒涜的だな」

 「カーラの新作だ。許可が出れば防衛装置として城の各所に組み込むと」

 「お前は許可が出ると思うか?」

 「…………敵の意表を突けそうじゃないか?」

 狩りの話。武器の話。装束の話。日常の話。

 血族の話や身の上話など、訊かなかったし話題にしなかった。おかげでスッラは血族についてよりもウォルターについて知っていることの方が多くなっていた。

 何をしているんだ、と自問自答する。最近ではスッラの部屋へ来るに、護衛の近衛騎士を付けずに来るようになっている。警戒心とか危機感とか、持っていないのかと考えて――それらを育てるような対応をしていなかったと思い直して頭を抱える。身から出た錆か。

 スッラは物心ついた時にはひとりだった。戦火と病が隣人であるこの世界では珍しいことでもない。人を騙し、人を殺し、時には人に恩を売って生きてきた。それがどんなに非人道的で残酷残虐な手段であれ内容であれ、成し遂げてきた。スッラには「生きる」と言う才能があった。

 ヤーナムに来たのも、その延長だった。排他的でありながら外へ名を響かせる「医療の街」を調べてこい、と今や名前すら思い出せない依頼主からの依頼を受けた――とかろうじて記憶している。結局風の便りにその依頼主が組織諸共死んだと聞いてからはそのままヤーナムに住み着いた。生活が性に合っていた。殺して、殺して、殺して、嗤う。ヤーナムの人間は多くが異邦者を避ける。「獣」を殺せば教会や工房から報酬が与えられる。酒場には酒と血のにおいが満ちていた。なかなかに充実した生活だった。

 それが、どうして――今さら真人間のようなことをしているんだ。

 スッラは腰掛けたベッドの上で顔を両手で覆った。ウォルターと接していると、自分は歴とした人間である、と思い知らされるようだった。お世辞にも褒められるような道など歩んでいないにも関わらず。

 マズい、とは思う。

 思いつつ、では何かできるのか? 抗ったところで、メリットがあるか? と打算が囁く。

 結局、現状流れに身を任せるのが最良ではあるのだ。何れ訪れるだろう「その時」が来るまでは。

 コンコン、と扉の叩かれる音がする。その音が控えめで、低い位置から聞こえたから、スッラは立ち上がって自ら扉を開けに行った。

 「ゎ、」

 スッラが扉を開けると、その身体には大きなケースを抱えたウォルターが立っていた。

 ケースへ手を伸ばせばおずおずと渡される。ケースの中身はメンテナンスに出していたレイテルパラッシュだ。気遣わしげにこちらを見上げるウォルターの頭をぐしゃりと撫でて踵を返す。ウォルターはその背中を追って部屋に入り、開けられたままの扉を静かに閉じた。

 ベッドにケースを置いたスッラは中身を確かめ始める。

 ぱちりぱちりと留め具が外され、蓋が開く。中に横たえられた武器は鈍く光を照り返していた。騎士剣にしては大きく、複雑な機構を持ったそれは、騎士剣と銃の合の子だった。カシャン、チャキン、と変形機構を確認し、水銀弾の入っていないことを確認して引き金を引く。手応え。次いで刃の具合を見る。欠けはない。構え、数度振れば、ヒュ、ヒュ、と鋭く空を貫く音がした。重さや重心も、狂いはない。

 くるりと手首を返して刃先を床へ向けると、スッラはベッドへ戻りケースの横に腰掛けた。ケースを挟んで隣に座るウォルターが、ぽつりと口を開く。

 「……スッラは、怖くないのか?」

 ケースから水銀弾を取り出し、レイテルパラッシュに込めていきながらスッラは息だけで笑う。

 「獣がか? それとも「処理」のことか?」

 「……どちらも、だ」

 「生憎――「狩人」は天職のようでな。高揚することはあっても恐怖を覚えることはない」

 スッラはそこで口をつぐんだウォルターを見る。

 「なんだ。心配しているのか?」

 クツクツと喉で笑うスッラに、ウォルターは何か言おうとして――躊躇うように開いた口を閉じた。小さく肩が下がって、ゆるやかにこくんと頭が縦に振れる。

 「……だって、痛いのは嫌だろう?」

 痛いのは嫌。それはそうだ。痛みとは危険信号、危険を避けるための合図なのだから。好む者は少ないだろう。

 だが「痛いのは嫌」か。あまりにも愛らしい言い方だ。

 ふは、とスッラは噴き出した。

 「はは、は。そうか。そうだな」

 腕を伸ばしてぐしゃぐしゃとウォルターの髪をかき混ぜてやる。抗議の声が聞こえたが、構わず撫で回した。

 スッラはまだ“死んだことがない”。少なくとも、カインハーストへ来てから命に関わるような大怪我もしたことがない。

 他人に心配されるようなことなど何もなかった。けれど、この少年に「心配されている」と――言外ではあるが――言われて、悪い気はしなかった。

 金糸の刺繍を施された貴族的な衣装に腕を通す。腰元の短剣が刃こぼれしていないかまで確認して、襟を正す。レイテルパラッシュの機嫌もエヴェリンの機嫌も悪くない。輸血液、水銀弾、骨髄の灰。その他持ち物を確認して、今日の仕事へ赴く。

 スッラの部屋の扉が慌ただしく叩かれたのは、丁度スッラが扉を開こうとドアノブに手を伸ばした時だった。

 力強いノック音に眉をひそめて「誰だ」と問う。

 「私だ、ナガイだ! すまないが火急の用がある! 話を聞いてくれ!」

 スッラがウォルターに灰を込めたエヴェリンを持たせているところを見ても「気を付けるんだよ」と苦笑して済ませていたナガイ――その後通りかかったナガイの弟子だと言う女には叱られた――が声を荒げている。それだけで非常事態だと考えられた。

 「どうした」

 すぐに扉を開けて用件を訊く。扉の向こうには、随分焦った様子のナガイがウォルターを連れて立っていた。

 嫌な予感がした。

 「っ、教会の、処刑隊が、直にやって来る。その前に、この子を連れて逃げてくれ……!」

 教会の処刑隊。名前からして血腥い。

 そもそも「血族」「カインハースト」の起こりとは教会の前身たる学舎から「裏切り者」が「血」を持ち出したことだとされている。以降、教会はカインハーストの人間を「穢れた」血族として忌避、敵視している。とか。

 どこからどこまでが真実かは分からない。だが教会が血族を敵視していることは確かだった。スッラが「情報を売れば高く買うだろう」と踏む程度には。

 それが、とうとう実力行使に出たらしい。

 「市街へ行った際に、数時間後には隊がこちらへ向かって発つと、市民たちが話していた。実際、大聖堂に聖布を垂らした装束の人間たちが集まっていた。だから早く、この子を連れて逃げてくれ!」

 「他の奴らは」

 「近衛騎士たちは女王の護衛へ回った。女性たちも護身用の短剣を持って城の奥へ避難を始めている。私たち男も戦う準備を進めている」

 「……待て。何故こいつだけなんだ。他に子供は居ないのか」

 スッラの問いに、ナガイは寂しそうに微笑んだ。

 「今はこの子だけなんだ。それに、ここは陸の孤島。ぞろぞろと橋を渡れば、それこそ族滅の危機だ。……この子の未来まで奪わせはしない」

 ナガイの声は固かった。

 スッラは溜め息を吐いた。水銀弾を緊急補充して減った血の分輸血液を足す。そして華美な上着を脱ぎ、ベッドへ放る。レイテルパラッシュを片手に、エヴェリンを腰に提げて、上着から抜き取った短剣をウォルターに持たせた。

 「ど、どうして上を脱いだ? 防御は少しでも厚い方が良いだろう……?」

 ウォルターが尤もな疑問を口にした。

 廊下へ出て、踵を鳴らしながらスッラは答える。

 「逃げるには派手すぎる。狙ってくれと言っているようなものだ」

 「なるほど……」

 ほとんど無意識にウォルターの手を掴みながら、次いでナガイへ眼を向ける。

 「逃げる手段は? 当然用意しているとは思うが」

 「馬を用意した。馬車では動きにくいだろう?」

 三人は逃走経路や橋を渡った後、ヤーナムを離れた後のことを確認し合いながら足早に厩舎へ向かう。旅の共は鞄ひとつだった。

 スッラとウォルターは厩舎から曳かれて出てきた一頭の馬に跨がる。城内では数少ない、乗馬用の馬だった。

 「先生!」

 馬上からウォルターが泣きそうな顔をしてナガイを呼んだ。聡い少年は、これが恩師との今生の別れになると理解しているのだろう。

 「……ウォルター。君は……。血族としてでなくても良い。ただ生き延びておくれ。生きて、“普通”の人生をどうか」

 「そんな、俺は……!」

 「スッラくん、頼む。君もどうか「獣狩りの夜」を生き延び、朝に目覚め、できることならウォルターと共に生きてやってくれ」

 スッラはナガイの言葉に顔をしかめて答えなかった。言われるまでもない、とも、勝手に生き方を決めるな、とも、あるいはできない約束はしない、とも取れた。

 だがナガイは好意的に解釈したようだった。ふ、とやわらかな微笑を浮かべた。

 そしてそれは一瞬で厳しい表情へと変わる。険しい目がスッラを写す。

 「行け! 早く! できるだけ遠くへ!」

 「先生!!」

 今まで聞いたことのない鋭い声だった。

 同時にスッラが馬の腹を圧した。蹄鉄が地面を蹴る。

 馬は軽快な足音を響かせて城内を駆けた。人影は無かった。だがいくつかの視線が自分たちの背を見送っていることに、スッラは気付いていた。

 橋を渡っていると、前方から奇妙な形をした人の群れがやって来るのが見えた。処刑隊が、遂にやって来たのだ。

 彼らは金色をした三角形の被り物をして、厚手の白装束を着込んでいた。腕甲に見えるのは、リベットだろうか。得物は車輪――車輪? 武器なのか、それは。

 「掴まっていろ……!」

 ギリ、と奥歯を噛み締めながらスッラはウォルターに言った。返事は無かったけれど、小さな手が鞍のグリップを握り締めて白んでいるのが視界の端に見えた。

 馬の速度が上がる。そして――処刑隊の目の前で、美しい馬体が、空を駆けた。

 黄金三角が空を仰ぎ、自分たちを飛び越えていく「血族」を見送る。その瞬間は、時が止まっているかのようだった。

 スッラとウォルターを乗せた馬は処刑隊の後方へ着地して振り返らずに墓地街へと消えていく。追え! 逃すな! と、隊の中から怒鳴り声がした。

 馬は墓地街を逸れてカインハーストを臨む湖縁を走っていた。墓地街を抜けたところでその先は聖堂街。教会の膝下だ。迂回することになるが聖堂街を避け、先ずは谷あいの市街を目指すのが良いだろう。あそこは道や建物が入り組んでいて薄暗く、身を隠すなら聖堂街や「上の」市街よりもマシなはずだ。

 計画や予想とは、立てることは簡単だ。最悪を想定して立てられることも、あるだろう。だが――時に最悪とは想定のそれを上回るものとなって現れることがある。

 背後、距離のあるところから銃声が聞こえた。

 馬体が揺れ、馬が悲鳴を上げながら転がった。スッラは咄嗟にウォルターを抱え込みながら地面を転がる。複数の蹄の音が近付いて来ていた。転げた時に首の骨でも折れたのだろう、泡を吹いて死んでしまった馬の影にスッラはウォルターを手早く押し込める。そして左手にエヴェリンを、右手にレイテルパラッシュを持って、地面を踏み締め前方を見据えた。「処刑隊」がやって来る。

 スッラはエヴェリンに灰を込めて引き金を引く。群れの先頭を走っていた馬が足を撃ち抜かれ、盛大に転倒した。後続は巻き込まれ、次々に転げて崩れて積み重なる。何人何頭かは使い物にならなくなってくれただろう。

 人と馬の団子から数名が這い出て来る。どうやら想像より追手の数は少ないらしい。

 スッラは地を蹴り処刑隊に肉薄する。磨き抜かれたレイテルパラッシュの切っ先を突き出し、相手の胸元へ押し込む。硬い。だが「血族」お抱えの職人が、繊細緻密であれど柔な物を作るわけがない。ズブズブと銀色が白装束に穴を開け、赤黒く染め上げる。

 勢いよく刃を引き抜けば真っ赤な血が吹き出す。その噴水を避けるようにスッラは次の獲物へ眼を移す。

 車輪が振りかぶられていた。見るからに「重打」の武器だ。本当に武器だったとは。当たれば多大な衝撃を受けるだろう。

 振り下ろされると同時へ横に抜ける。金色の被り物の、隙間が見えた。被り物と首の間にエヴェリンを捩じ込む。発砲。

 往生際悪くよたよた彷徨う身体に手を掛け引き倒す。と同時にその勢いで更に前へ出る。次の獲物は車輪を回していた。

 およそ人に対して振るう物ではないな、と思った。いっそ笑えてくる。

 滑るように地面の低いところを駆け、足払いをかける。脚絆にもリベットが打たれていた。鈍重な処刑隊は呆気なくひっくり返り、自らの車輪を取り落としてそれに腹を轢かれた。

 切って、貫いて、撃って、蹴って、殴った。

 後から後から湧いてくる追手をスッラは殺して殺して殺し続けた。凄惨にして凄絶だった。

 だが何事にも終わりは訪れる。

 幾度目かの銃声がして、スッラはそれを避けようとする。だが別の方向から、また銃声がした。脚部に熱が広がった。即座にレイテルパラッシュとエヴェリンの引き金を引く。短い悲鳴がふたつ。

 鈍くなった動きはそのまま隙となった。もはや近寄るのは得策でないと学んでいた処刑隊たちは水銀弾の雨を降らせた。

 どしゃり、と真っ赤に濡れた身体がくずれおちる。

 処刑隊たちがトドメを刺そうとスッラに近寄る――よりも早く、その前に飛び出した影があった。

 スッラを庇うように処刑隊の前に躍り出たウォルターは、短剣を片手に処刑隊を睨み付ける。手探るようにスッラへもう片方の手を伸ばして、シャツの襟を探り当てる。どうしたものかと困惑している処刑隊から眼を逸らさず、短剣を口に咥えたウォルターは、そして両手でシャツの襟を掴んで、脱力した大人の身体を引き摺りその場から離れようとした。スッラの口許が人知れず微かに弧を描く。ごぽごぽ、と血が溢れた。

 顔を見合わせていた処刑隊たちは、その困惑した様子のまま、ひとりがおもむろに銃をウォルターへ向けた。銃口のふたつある、連装銃と呼ばれる銃だった。

 乾いた銃声がひとつ。

 「ぁあああああ――ッ!!」

 少年の高い声が湖縁に響く。ウォルターは撃ち抜かれた脚を両手で押さえてその場に蹲った。呆気なく、短剣が地面に落ちる。

 「ひっ、ァ、ぐ、ぅぅ……っ、ゔぅ゙……!」

 だがウォルターは地面を這いずりながらも「騎士」の傍を離れようとしなかった。むしろ必死にその身体に覆い被さって、処刑隊から守ろうとした。

 儚い抵抗だった。ウォルターは首をむんずと掴まれて宙ぶらりんにされる。だらりと垂れた脚を、甘く香る血が流れ落ちていく。

 ウォルターが自分の首を掴む処刑隊の腕甲を引っ掻く傍らで、新たにやって来た処刑隊が、ウォルターを掴み上げている処刑隊に何か耳打ちした。耳打ちされた処刑隊は頷いて、ウォルターを地面へ下ろして両腕を背中で括って肩に担いだ。

 ぞろぞろとスッラの周りに処刑隊が集まる。皆手に車輪を持っていた。

 「――やめろ、」

 ウォルターが絶望的な声と表情で言った。

 「やめろ! やめてくれ!! スッラ! 嫌だ!! やめろ!!」

 「動くな喚くな大人しくしろッ!!」

 「嫌だ! やめろ! スッラ! スッラ!!」

 リベットの鈍く輝く脚絆の間から、処刑隊の肩の上で身を捩り叫ぶウォルターの姿を見る。あんまり必死な様子に、思わず笑みがこぼれた。

 ぐしゃり。

 車輪がひとつ振り下ろされたのを合図に、次々に車輪が振り下ろされ始める。濡れた音と赤い血肉が跳ね回る。悲鳴は聞こえなかった。上げるための喉も口も真っ先に頭ごと潰されていた。

 ウォルターはそれを、自分を守った「騎士」が引き潰されていく様を、処刑隊に背中を踏みつけられながら見ていた。音もなく溢れた涙が頬を濡らしていた。

 スッラを残して処刑隊は去っていく。後には血と轍と静けさだけが残る。城の方も、静まり返っていた。

 何もかも野晒しのまま時が過ぎる。

 「――……」

 ふと目蓋を開く。眠り、あるいは夢から覚めたかのように意識が浮かび上がる。

 手を顔の前に翳す。赤地に金糸の刺繍が貴族的な手袋に包まれた指が五本。思った通りに動く。

 手のひらを地面について、身体を起こす。砂や砂利以外、傷や血と言った汚れは見られない。痛みも無い。ふむ、とひとつ頷いた。

 なるほど確かに、これは“便利だ”。

 そして、“スッラは血溜まりから立ち上がる”。乾ききった血は土と大差無くなっていた。軽く衣服を払い、近くに落ちていたレイテルパラッシュへ眼を遣る。ふたつに折れていた。それを拾い上げてスッラは歩き出す。髪を括っていたリボンを放り、赤と金の手袋を脱ぎ捨てる。固く冷たくなった馬の遺骸、その傍らに転がっていた鞄から銭袋を抜き取り、その場から離れていく。その行く先は、地面に残った黒い無数の足跡の向かう方向と同じだった。

 湖縁を辿り、墓地街へ抜ける。

 途中、城へ続く橋の近くを通りかかった。それは崩れ落ちていて、もう城へは何人も立ち入れないし、城から何人も出られないことを示していた。

 墓地街から聖堂街へ続く林で、狩人をひとり襲う。木陰から近付き、頸を折った。手早くズボンと上着と帽子と武器を頂戴する。自分が着ていたものは、その狩人に押し付けた。武器――ノコギリ槍の具合を確かめて、スッラは聖堂街へ足を進める。

 墓地街と聖堂街の繋がりを隠すかのような道を抜けると、大聖堂は目と鼻の先だ。

 スッラは石段を登り、門の前に立っている黒装束に声をかける。スッラに声をかけられ訝しげな顔をした黒装束は、しかしスッラが「血族の武器を拾った」と言えば、少し待てと言い置いて門の中へ入っていった。

 少しして、黒装束は白装束と共に戻ってきた。

 「血族の武器を拾ったとか」

 「これだ。湖の方へ足を伸ばしたら、湖縁に落ちていた。溶かすなり機構の検分に使うなりできるだろう。買い取ってくれないか」

 「……清々しく図々しいな。だが、まあ良いだろう」

 差し出された手に折れたレイテルパラッシュを渡す。折れた刃の部分は拾ってこなかったが、機構や銃身は辛うじて残っているのだから良いだろう。

 白装束は受け取った血族の武器を確かめると「確かに」と頷いて黒装束に目で合図を送った。白装束の後ろに控えていた黒装束が一歩前に出る。その両手の上には膨らんだ銭袋があった。

 「……協力感謝する」

 スッラに報酬を渡した黒装束が元の位置に戻ると、白装束が簡潔に言った。事務的な声音と表情だった。

 「こちらこそ。教会の狩人様に、血の加護がありますように」

 もう話すことはない、と態度で示す白黒の装束に、スッラはわざとらしく一礼する。黒装束がフンと鼻を鳴らした。

 スッラは振り返ること無く聖堂の階段を下りていく。幸か不幸か、スッラのような目や髪の色は、「医療」を求めて様々な異邦から人の訪れるヤーナムでは、さして目立つものではなかった。道端の狩人から頂戴した衣服も功を奏して、スッラの姿はあっという間に市井に紛れて消えていく。

 カインハーストに赴く前はヤーナムで生活をしていたのだ。言ってしまえば、元の生活に戻ったに過ぎない。

 新しい装束を買い、ノコギリ槍と短銃を工房へ持ち込む。それから安い部屋を借りて部屋の確認もそこそこに酒場へ繰り出した。

 以前よく使っていた酒場を訪れると、店も客も顔ぶれは知らないものになっていた。

 酒が入っているせいか、少なくとも客たちは比較的まともに口を利いてくれた。最近ヤーナムを訪れた異邦者のふりをして話を聞けば、どうやら前の獣狩りで随分被害が出たらしい。そういえば以前店だったはずの建物がただの民家や空き家になっていたな、と街の姿を振り返る。

 前の獣狩り。カインハーストへ行ってから、そんなに経っていたのか。そういえば自分はどれだけ<ruby>眠って<rt>・・・</rt></ruby>いたのだろう。血は黒く錆び付き、焦げた橋や崩れた城には一筋の煙も立っていなかった。数週間は経っているのだろうか。

 「……処刑隊、と言うのは、」

 話好きらしい客に呼び水を向ける。噂好きのヤーナム民らしく、その客は上機嫌に話し出す。

 「処刑隊ってのはアレだよ、教会の狩人様で、教会の仇の、血族を粛清してくだすった方々だ。隊を率いたローゲリウス翁は血族の卑劣な罠に命を落としちまったらしいが、ともかく粛清は成功したんだと。知り合いの狩人が言ってたんだがな、聖堂街の外れにあるヘムウィックの墓地街、そっから血族の根城に続く橋が落とされてるって話だ。ザマァないぜ、人々を救う教会を裏切るからいけねぇんだ」

 「今も隊はあるのか?」

 「いんや? 粛清終了と共に解散したらしい。ほとんどが黒装束になったとか。今居るのは皆「元」隊員じゃねぇか? けどまあ、血族嫌いが消えた訳じゃねぇから「血族」って気軽に口に出さねえ方が良いぜ……っつってもアンタにゃ分かんねぇか血族だの何だの!」

 悪気は無いのだろう。声を上げて笑った客は、勢いよくジョッキを煽った。

 「教会と言や、上位会派のお歴々が何ぞスゲェこと?を成し遂げたとか聞いたが、知ってる奴いるか?」

 「なんだそれ、初耳だ」

 「上位会派っつっても幾つかあるんだろ? ナントカ派と、ナントカ隊って」

 「聖歌隊だろーが! 時々聖堂街歩いてらっしゃるだろ!」

 「で、どっちが何をしたって?」

 酒を煽った客の向こうで別の客が顎を擦った。それを皮切りに、酒場のあちこちから声が飛んでくる。ほとんど全てが雑音だ。

 「そういや教会上層部は血の研究をしてるって聞いたことがあるな。あの粛清も、そのためだとか――」

 だが、その中にも、例え根も葉もない与太話であっても、気になる語と言うのは紛れていた。

 ヤーナムにおいて、噂話とはぶちまけた油に火を放つが如く静かに、そしてあっという間に広がるものだった。酒場で聞いた「処刑隊の進攻は血の研究のためだったのでは?」と言う話が、今や市街のあちこちで囁かれている。中には「教会上層部は人体実験をしている」なんて言う市民もいた。真実はどこにも見当たらなかった。

 スッラにはウォルターが生きているという確信は無かった。あのまま教会へ連れていかれたとして、今も生かされていると言う保証もない。ロクでもない噂の立つ組織だ。ウォルターがひとのかたちを保っているかすら分からない。それでもまだスッラがヤーナムに留まっているのは、一縷の望みを捨てきれないからに違いなかった。

 ――とは言え、ウォルターの足取りを追う術は無く、細々とした狩りをこなし、「血族」から得た手持ちをやり繰りして日々を過ごす。以前と変わらぬ、しかしあまりに平穏で味気無い生活だった。

 次に「獣狩りの夜」が訪れたら「夜明け」を迎え、街を出るべきだろうか。

 実に遺憾なことだが、潮時、と言うものを感じ始めていた。

 そんな時だった。

 聖堂街と市街を繋ぐ橋の前に、見慣れない教会系の装束が2種類屯っていたのは。

 ひとつは黒いフードとシャルトルーズグリーンを基調にしたコート、モスグリーンのインバネス・ケープが印象的な装束。

もうひとつは道化のような目隠し帽と、やわらかそうな白い装束は――聖歌隊ガウン、と言うものだろうか。

 前者がふたりと後者がひとり。聖堂街と橋の境で、何やら話していた。スッラは足音を忍ばせて三人に近付き、橋脚の影に身を潜めて耳をそばだてる。

 「――では、617を頼む、ミシガン」

 「ああ。お前も無理はするなよ、ウォルター」

 「……そうだな」

 ミシガンと呼ばれた黒フードが「ウォルター」と言うらしい目隠し帽と軽いハグを交わし、橋を渡っていく。617と呼ばれた黒フードは何度も「ウォルター」を振り返っていた。それもあってだろう、「ウォルター」は、ふたりの姿が見えなくなるまでそこに立っていた。

 やがて、コツ、と固い音がして「ウォルター」が踵を返す。狩人も使う仕込み杖、おそらくそれと同じ杖をついていた。多くの狩人が浮かせて持ち歩く石突きが、その役割通りカツコツと石畳を叩く。

 スッラは「ウォルター」が近付いてくるのを黙して待っていた。

 そして――白いガウンが目の前を翻る、その時に、「ウォルター」を影へ引き込んだ。

 腕中の身体が抗議しようと顔を上げる。だがスッラの顔を見て、そのくちびるが、呆けたように小さく開かれた。目隠し帽の下で、両の目が見開かれていることが手に取るように分かる。

 「ウォルター」

 スッラはその名前を呼んだ。久しぶりのことだった。

 顔は見えない。しかし声を聞いた瞬間にはもう確信していた。

 「スッラ……?」

 万感を押し込めて、ふるえる声で紡がれる自分の名前に、得も言われぬ歓びを感じた。

 目隠し帽に隠されていない頬を指先で撫でる。記憶の中と違わぬ柔らかくすべらかな肌に、狩装束でなくて良かったと思った。

 「どうして……、ここに……?」

 突然の再会にウォルターは困惑しているようだった。反応も言葉も辿々しい。

 「迎えに来た」

 スッラのその言葉に、ウォルターのくちびるが泣きそうに歪む。

 「……そうか、夢を、見た……見られたのか……だから……。だが、ダメだスッラ……。俺は、俺の罪を、清算しなければならない。ここから、離れるわけには、いかないんだ」

 ウォルターの言う「ここ」が、何もヤーナムとか聖堂街と言った、地理的な意味だけであることでないことは察せられた。立場、周囲。しがらみや足枷だ。

 そして同時にスッラはウォルターの右腕が“硬い”ことに気付く。作り物の硬さだ。そっと袖を捲ってみれば、そこには人肌でない腕があった。杖をついている辺り、あの時に撃ち抜かれた脚は上手く治らなかったのだろう。「医療の街」の「医療教会」が聞いて呆れる。

 「……」

 「お、俺、の血や、肉が、ひとを救うって、でも、実際は、実際は、あんな……! だから、俺は、俺の、血の、清算をしなければ、」

 ウォルターは小さくふるえながら、喘ぐように訴えた。

 家を襲われ、そこからひとり逃がされ、足を撃ち抜かれ、目の前で助けようとした人間が潰されるのを見て、それから「教会」の中で片腕を奪われ、そして何を見たのだろう。これ以上傷付かぬよう、逃げ出したとて誰がこの子供を責めるだろうか。

 だが、スッラはウォルターが頑固であることを知っていた。仮令「お前を利用した教会が悪いのであってお前は悪くない」と言っても譲らないのだろう。使われたのが「自分の血」であるが故に。

 スッラにすがりながら、同時にスッラを拒んでいた。

 「清算と言うのは――獣を一掃する、と言うことか?」

 溜め息をどうにか飲み下して、確認するように訊く。ウォルターの話は、いまいち内容が見えない。ウォルターを取り巻く状況が、それだけ異常なのだろう。

 「そう、だが、ダメだ、危険すぎる。メンシス学派が、秘匿を破ろうとしているんだ。きっと、被害が大きなものになる。その前に、街を、焼かなければ」

 人と獣は表裏だ。ヤーナムで狩人をし、カインハーストで獣を「処理」していたスッラはそれをよく知っていた。人を脅かす獣を生みたくないのなら元を断つ。筋は通る。特に最も恐ろしい獣となりがちな聖職者の類いは、そちらの方が良いだろう。

 つまりウォルターは、自分の血が獣化の元になっているから、自分の血を「拝領」してしまった人々がせめて人として死ねるようにしてやりたいのだろう。

 「俺は、人を、獣にも蛞蝓にも、したくはない」

 ……人が蛞蝓になると言うのは初耳だが。

 「スッラ、お前は――どうか、夜明けを迎えて、そのまま外の、普通の世界へ行って、そこで“普通の人生を”」

 スッラを想うからこそ、ウォルターはその手を拒む。取ってしまえば巻き込んでしまうから。

 けれどその配慮は逆効果だった。スッラと言う男の、天才的な異常性を、ウォルターは理解できていなかった。

 スッラの目が細められ、不満を雄弁に語る。ウォルターの首元を隠す襟を緩め、中のスカーフを掻き分け、首筋に顔を寄せた。スッラの名前を、戸惑いの乗ったウォルターの声が呼ぶ。それを合図にした。

 「スッラ……? い゙ッ!? スッラ、何を……!」

 ガリ、と首筋に牙を突き立て、赤く滲んだ血を舐める。においも味も甘かった。渇いていた喉が、満たされるようだった。

 じゅ、と音を立てて噛み痕を吸えば、小さく肩が跳ねる。

 「ウォルター……意に沿わん願いなど、やめておけ」

 スッラの言葉に、ひゅ、と喉の鳴る音が聞こえた。

 「何もかも殺してやろう。夜が明けたら迎えに行く。待っていろ」

 「――、だ、ダメだ、スッラ、そんな、これはお前の仕事じゃない、俺が成すべき、」

 おそらく、この時点で、スッラは自分が人の範疇から外れていることを“正しく”理解していた。そして自分の力がウォルターのために使えることも、ウォルターを助け得ることも、理解していた。

 「生憎、お前の親代わりから「お前と生きろ」と仰せ付かっているのでな。お前がここにいる限り、私も“外”に行けんのだ」

 いっそ清々しい笑みが浮かべられる。獰猛にして狡猾な表情は、しかし固い意志と、ウォルターへの感情が、確かにそこに存在していた。

 そして獣狩りの夜が来る。

 それは過去に類を見ない凄惨な夜となった。月が赤く染まるほどに血が流れ、獣は止めどなく――事態を重く見た医療教会が旧い区画の市街の焼くと判断した程に。

 死者行方不明者の数と仔細は、定かではない。

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