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【ACⅥ】円環食ム蛇ノ毒【特殊設定】

ハイガクラ風パラレル。ハウウォル兼スラウォル。捏造妄想諸々過多。暴力・流血・負傷描写有り。書きたいところだけ。

ハイガクラ風パラレル。ハウウォル兼スラウォル。捏造妄想諸々過多。暴力・流血・負傷描写有り。書きたいところだけ。

全編ご都合設定です。捏造妄想諸々いっぱい。暴力・流血・負傷描写有り。

細かいことはあの……棚の上とかにヨイショってしといてください。ふいんきで!ふいんきで! お願いします!

元ネタ、参考(敬称略):ハイガクラごんたさんぽ

ハイガクラ→中国神話モチーフファンタジーpkmnバトル風マンガ

斎→モンス◯ーボール

踏々歌→捕獲率を上げるためのトレーナーの行動

師父→公式での読みはシーフー。意味合いとしてはご主人とかマスターで良いはず。ハンドラーも似たような意味で使われてるし良いかなって……。

こんな感じの認識で大丈夫だと思います。

猟犬たちの姿はヒト型だったりいぬ型だったりご都合変化します。

世界観に近付けようとした結果、名前と読みが特殊になっています。ご注意ください。

617→一七(ヒナ)

618→一八(ヒワ)

619→一九(ヒキ)

620→廿(ハツ)(「ハツカ」の読み方から)

621→廿一(カイ)(「ハツカ」の読み方の末語から)

書きたいとこだけ書いたはずなのに難産もとい牛歩でした。

ハイガクラ、2024年アニメ化決定!興味を持ったらぜひ読んでみてください!(宣伝)

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 あるいはそこは、箱庭だった。

 貴賤貧富はあれど人々は健やかに穏やかにあり、小競り合いはあれど戦はない。

 理想郷。桃源郷。おそらくそれらの言葉は、夢現に“そこ”を見た人々が言い出したのだろう。

 そんな場所に彼はいた。

 彼は、元を辿れば箱庭の生まれではなかった。外つ国。死の大地。そんな世界の、更に死場で拾われたのだ。拾ったのは、やはり外つ国から箱庭へやってきた女だった。大きな戦に呑まれた哀れな村の隅に転がっていた赤子。それが彼だった。

 女に拾われた彼は箱庭で育てられ、無事少年となった。女とその仲間に読み書き算術、唱歌に舞法を叩き込まれた少年は、今や箱庭の一員であった。

 道の両側に屋台の犇めく繁華街を、小さな背丈が小走りに往く。それはひとつの屋台の前で止まると、ひょこりと売り子に顔を覗かせた。

 「やあ、ウォルター! カーラはまた研究室籠りかい?」

 「仕方ない。論文の締め切りが近いと言っていた。肉包(ロウバオ)をひとつと……菜包(ツァイバオ)をふたつ、芝麻包(ジーマーバオ)をひとつ頼む」

 売り子は顔を見せた少年がウォルターだと分かると、ニコニコと笑顔を浮かべた。それまでの多忙さなど吹き飛んだかのようだ。

 「はいよ! 肉包(ロウバオ)ひとつに菜包(ツァイバオ)ふたつに芝麻包(ジーマーバオ)をひとつね。……あんた自分の分は要らないのかい? これカーラとナガイ先生の分だろう?」

 ひょいひょいひょい、とウォルターが注文した分を袋に詰めた売り子は少し困ったような顔でウォルターに訊いた。

 「良いんだ、俺はちゃんと食べてるから」

 自分を気遣う売り子にありがたさを感じながらウォルターは代金を支払う。先生――ナガイに持たせてもらった経費だ。紙幣で全額持たされたので、お釣りを貰う。念のため領収書も貰うと、初めてでもないのに「律儀だねえ」と売り子に感心された。

 「感謝する。また来る」

 「ああ!いつでもおいで!」

 湯気の立つ袋を抱えて、小走りに人混みの中に消えていくウォルターを売り子がニコニコ見送る。

 その背中が向かう先にあるのは大きな崖だけれど、そこがウォルターの帰る場所なのだから妙なことではない。そこにあるのは、箱庭にある学術機関の中でも最高峰の学術施設。多くの文官や仙が研究室を置く中に、ウォルターが属する部屋もあった。

 カーラ――正確にはナガイの研究室は、ウォルターの家のようなものだ。

 外つ国からの拾われ子であるウォルターに生家はなく、また住居を借りられるだけの収入源もなく、またその年齢にも達していないため、自宅と言える住居はない。だから、ウォルターを拾ったカーラの家がウォルターの家と言うことになる。

 のだが、カーラが自宅に帰ることは滅多にない。生活のほとんどを、師であるナガイの研究室で、ナガイと共に研究に費やして過ごしているのだ。自然、ウォルターもそこにいる時間は増える。以前はもうひとり、ナガイの片腕と言える男がいたそうだが、外つ国へ行ったまま帰ってきていないと言う。いつか会ってみたいとウォルターがこぼした言葉に、カーラは珍しく難しい顔をしていた。

 「よぉウォルター、おつかい偉いな」

 「お帰りなさい、坊っちゃん」

 「んあー、いい匂い! 俺もそろそろ飯行くかぁ」

 「今度ぼくらの部屋のお使いも頼まれてくれないかなぁ」

 「新商品」

 崖の内部、部屋へ向かって外界に面した通路を往くウォルターに声がかけられる。幼いながらもそこに出入りし、また才覚の芽を覗かせるウォルターは少なからず機関の人間たちに受け入れられていた。

 年上の友人たちとすれ違いながら、ウォルターは目的の部屋へ辿り着く。

 扉の前。ノックを2回。中から、覇気の無い返事が聞こえた。

 「ただいま戻りました」

 言いながら扉を押し開けると、出掛けた時と変わらない、雑多に書類や道具が広がった室内が広がった。

 「ウォルター、よく帰った……悪いねぇ走らせちまって」

 書類の山からヌッと現れたカーラの目の下には隈ができている。服も髪も草臥れ気味だ。

 抱えていた袋を渡しながらウォルターは室内に居るはずの、もうひとりを眼で探す。

 「ナガイ先生は?」

 「仮眠中」

 カーラが背凭れ付きの長椅子を指差す。白衣と腕が覗いていた。ああ、とウォルターは頷いた。

 「熱っ……ふあ……沁みるねぇ……!」

 ガサゴソ袋を漁って、カーラが肉包(ロウバオ)を頬張る。ほこほこ湯気を立てる肉包(ロウバオ)にかじりつくその表情は弛みに弛んでいる。

 「カーラも仮眠を取るべきじゃないのか。睡眠不足は特に作業効率が落ちる」

 お茶を用意しながらウォルターが言う。簡易的な台所には計量用の秤や調合に使う摺鉢の類いが積み上がっていた。そこから茶器を引っ張り出し、淹れる準備を進めていく。

 「もうちょっと……もうちょっとなんだよ……あと少しでこう、良い感じの何かが見えるはずなんだ……」

 もす、もす、と肉包(ロウバオ)を食べながら呟くカーラの目は、しかしどこか遠いところを見始めていた。

 ウォルターは溜め息を吐く。まあ、腹に物が入れば眠くなってくれるだろう。カーラが凭れかかっている机の上に茶を淹れた湯呑みを置いて、ウォルターは側に茶の入った湯呑みがあることをカーラに伝える。

 あとは――。

 「一七(ヒナ)と一八(ヒワ)はこのまま置いていく。門限までには帰る予定だが――何かあったら廿(ハツ)を寄越す」

 ウォルターの従神にあたる狗たちの今日の所在だ。

 ウォルターと共に拾われた五柱の狗は、正確には神なのかどうか定かでない。だがただの獣と言うわけでもなく、ウォルターから離れようとしないこともあって従“神”という位置に収まっていた。

 ウォルターの声に、ナガイが占拠している椅子の方から「師父……」と小さな声が上がる。ナガイに、枕にされている一七(ヒナ)の声だ。

 「師父……私は……お側に……」

 ナガイを起こしてしまわないようにだろう。しかしどこか死にそうな声で一七(ヒナ)がウォルターを呼ぶ。一八(ヒワ)はナガイの腹に陣取りスヤスヤと眠っていた。

 「一七(ヒナ)、ナガイ先生の護衛を頼む。お前の今日の仕事だ。俺は……一九(ヒキ)と廿一(カイ)を調整しなければならない」

 「師父……」

 一七(ヒナ)の頭部を撫でながらウォルターは言う。主人であるウォルターに指示を出され、かつ頭を撫でると言う特別報酬を前払いされてしまえば、ウォルターの忠実な狗の筆頭である一七(ヒナ)は従わざるを得ない。キューンと鼻が鳴ると同時に、パサリと尾が動いてしまう。

 「調整? 今さら必要かい?」

 ウォルターの言葉にカーラが疑問符を浮かべる。五柱の狗たちは、元より皆ウォルターの意図や意向に忠実で、そもそも調教の類いを必要としていないはずだが。

 「最近落ち着かない様子でな……特に廿一(カイ)の方なんだが、見てやった方が良いだろう」

 「ふぅん……?」

 杞憂だと思う、と言う言葉は飲み込んでおいた。大方、主人が好き過ぎて堪らないとかそんなんだろうが――本人の好きにさせるべきだろう。そちらの方が、納得もするし面白い。報告を楽しみにしておこう。

 「なら、今日はあんた調教師たちのとこに居るんだね」

 「その予定だ」

 「ん。分かった。気を付けて行っといで」

 「カーラも、ちゃんと寝るんだぞ。夕飯は帰りに残りの経費で買ってくる。……一七(ヒナ)、頼んだ」

 「なまいき!」

 カラカラ笑いながらカーラがウォルターの背を叩く。

 「う゛っ゛…………では、行ってくる」

 軽く咳き込んだウォルターは、部屋の隅に置かれていた籠を抱えてまた研究室の扉に手をかける。籠の中身は件の一九(ヒキ)と廿一(カイ)だ。どちらも丸くなって眠っている。ナガイかカーラにこき使われでもしたのだろう。首元に、襟巻きのように巻き付いている廿(ハツ)が、少しだけ身動いだ。

 それは少年が青年となり、ひとりで外つ国へ赴けるようになった時分だった。

 調教師の技能はもちろん、歌士官としての技能も修めたウォルター青年は、他の歌士官たちと遜色無い働きができるようになっていた。

 外つ国の、とある東南国の村。そこがウォルターの任務地だった。

 なんでも、村を襲う大蛇がいるらしい。

 「大蛇」の伝承自体は、その村に元よりあった。湿度のある亜熱帯地方には珍しくもない。雨と川と水の寓話。数多ある御伽噺の中には、時折「本物」が紛れている。それを、確かめに来たと言うわけだ。外れなら外れでも良い。外つ国で動くと言う経験を積むことこそが大切なのだと、先輩にあたる歌士官やカーラたちは言っていた。

 「宿はここですね。荷解きの後、情報収集で良いでしょうか」

 外つ国の人間たちに怪しまれないよう、ただの犬の姿でウォルターの側に控える一七(ヒナ)が訊く。いつも通う繁華街よりもずっと雑多で、様々なモノの気配が混ざった道。そこに並ぶ建物のひとつに入り、宿泊の手続きをしながら、ウォルターは頷いた。

 通された部屋――今回何泊かするための部屋――で、ウォルターは狗たちを顕現する。元より顕現していた一七(ヒナ)はウォルターの横に控え、その他の四柱はウォルターの前に並ぶ。

 「よし……。今回の任務の目標は「大蛇」だ。雨夜に時折この村を襲う……作物や家畜、人間を喰らうらしい。大蛇と言うことは、おそらく水神の類いだろう。伝承自体はよく見る系統の内容だ」

 ツラツラと、現時点で得ている情報と、そこから考えられる可能性を狗たちに共有していく。

 「この地方には、俺たちにとっても「伝説」に類する神の存在も伝わっているが今回の目標は……どうだろうな。その神自体である可能性は持っておいても良いが……眷属か傘下の末席である可能性の方が高いだろう。派遣されたのが俺であるし」

 歌士官としてはまだ新人と言っても良いウォルターは、当然“大物狩り”へ赴くにはまだまだ経験が足りていない。それは自他共に共通の認識だ。何事にも、段階がある。

 「伝承や伝説があると言うことは、それを祀るための祠や遺跡や神殿があるはずだ。加えて、“襲われている”と言う証言があると言うことは、「大蛇」の目撃情報などもあるはずだ。お前たちには、これらの情報を集めてきて貰いたい」

 ウォルターが狗たちを見る。どの狗も姿勢を正して、今すぐにでも出撃できる体勢だ。

 「……その姿での聞き耳も良いが、聞き込みをして詳しく情報を集めることも重要だ。良いか? では、散会し情報を収集せよ。集合は日暮れ、この部屋だ。散会!」

 ウォルターが言い終えるが早いか、人の目には残らぬ速度で狗たちは村内へ散っていった。

 「? どうした、一七(ヒナ)。調子でも悪かったか?」

 唯一自分の傍に残った狗にウォルターが首を傾げる。

 残った狗――一七(ヒナ)は、するりと人の形となって微笑んだ。

 「私は師父のお側におります」

 「そうか? まあ、好きにしろ」

 荷物の中から狗がヒトの姿になった時のための衣服を取り出し、渡しながらウォルターは言う。しかし同時に――一人と一匹が入っていった部屋から二人が出てきたら怪しまれるだろうか、と考えた。

 ぐるりと部屋を見回す。通りの見える大窓。狗の姿ならば通用するだろう。だが、人が出入りするには目立ち過ぎる。では、反対側。室内奥には――こちらにも窓があった。面しているのは、幸いにも細く人気の無い裏通り側だ。使うなら、こちらだろう。

 「伝えておきますか?」

 窓から路地裏を覗き込んでいたウォルターの横に、着替えを終えた一七(ヒナ)が音もなく並ぶ。

 ウォルターは一七(ヒナ)の行動に特に驚くこともなく、そうだな、と頷いた。ついでに、人化はこの部屋ですること。衣服がどの荷物に収納されているか、といったことも伝えるように言い加えておいた。

 日暮れ。太陽が地平線を赤く焼き払い、夜の帳が降り始めた時分。

 ウォルターの部屋には、四つの人影と二つの狗の影があった。ひとまず、全員が無事に部屋へ戻ってきている。集めた情報を、共有する時間だった。

 「まずは私から。私は師父について回っていたので、師父の分も兼ねて報告させてもらいます。良いでしょうか、師父」

 「ああ」

 ウォルターの了承を得て、一七(ヒナ)が報告を始めようとする――前に、他の狗が不満の声を上げた。

 「ズルいぞ一七(ヒナ)、抜け駆けだ」

 「そんな……師父……なぜ私を……連れていってくださらなかったのですか……!」

 「師父、言ってくだされば俺も残りました」

 廿一(カイ)に至っては、床にひっくり返った上で牙を剥いて唸っている。器用なことだ。

 よっつの威嚇に曝されて、しかし一七(ヒナ)は怯まない。

 「飛び出して行ったのはお前たちだろう……だが、だからこそ師父は期待しておられる。まさか半端な成果を持ち帰ったとは言うまいな?」

 挑発的な眼で一七(ヒナ)は同胞を見渡した。廿一(カイ)がのっそりと起き上がり、座り直す。

 仕切り直し。

 報告は全部で五つとなる。

 ひとつ。件の「大蛇」は深夜、数ヶ月に一度程度の頻度で現れ、家畜や人を襲う。襲われた人間は老若男女問わず、死体も残らない。残らないが、確かに村からは消えているので「大蛇」に襲われたのだろうと人々は認識しているのだ。

 ひとつ。この村に川はない。だが村外れに大きな湖があり、そこは同時に村の守り神たる水神の領域とされている。ずっと昔からそう伝えられている。苔むした石積みは、緑に呑まれた神殿の一部だと言う。

 ひとつ。前回「大蛇」が出たのは二週間程前。被害は牛と鶏が合わせて20匹前後。観光客もひとりいなくなったらしい。目撃者曰く「月のように白い蛇」だったそうだ。

 ひとつ。だが、前々回に目撃された「大蛇」は「血のように赤い蛇」だったという。被害は「白い蛇」の時と変わらず、ただ人的被害は幸い出なかったらしい。

 ひとつ。ふたつ目の報告の補足のようなものになるが――水神の領域とされている湖は、しかし過去に水が腐ったことがあるのだと言う。それを浄化し、村やこの辺りの生き物たちを救ったのが、祀られている水神なのだ、と。これも半ば風化しかけた伝承ではあるが、この一点において今回の村は他の村とは異なっている。この村は、ただの水神信仰の村ではないのだ。

 そんな狗たちからの報告を聞いてウォルターは、ふむと頷いて顎へ手を遣った。

 随分と――具体的だ。大蛇。水場。水神。伝承。要素も揃っている。これは間違いなく「当たり」だろう。人智を越えた何かしらが、確実に居る。

 だが気になることもある。毒、と言う要素だ。水と毒。この組み合わせは、ウォルターたちの「伝説」に語られる存在を彷彿とさせる。

 「師父、いかがしますか」

 一七(ヒナ)が黙り込んでしまったウォルターを覗き込む。一七(ヒナ)の声に思考を遮られたウォルターが、ぱちりと瞬きをひとつした。

 「あ……ああ。そうだな。一度、その湖を調査してみよう。だが、これは……もしかすると、当たりどころか大当たりかもしれない」

 大当たり。つまり、自分たちの手に余る相手が現れるかも知れない。 主人の緊張を嗅ぎ取って、狗たちにも自然と緊張の糸が張る。

 「……っ、は、はは。師父、望むところですよ。伝説だろうが邪神だろうが、食い破ってみせます」

 一九(ヒキ)が笑った。その声は、少しふるえていた。そんな健気な狗に、ウォルターは「ああ」と微かに笑って見せる。

 「……よし。明日の夜、湖周辺の調査を行う。だが、おそらく何かしらとの戦闘が予想される。そのために結界を張っておく必要があるだろう……村人たちと、お前たちのために。よって、日のあるうちに仕込みをしに行く」

 結界を張ってから、あまり時間を開けたくないのだ。事故にせよ故意にせよ、壊される懸念がある。だからウォルターは結界をしかけた当日に「調査」をしたいのだ。

 つまり明日は一日活動するということになる。

 「今日の仕事はここまでだ。夕飯の時間にする。お前たち、ヒトの姿でこの店に集合しろ。ただし、一斉には来るな。いいな」

 ウォルターが紙切れを差し出した。一七(ヒナ)以外の狗が覗き込む。そこには簡易な地図と、店の名前らしき文字列が書かれていた。ここが、今日の晩餐会場らしい。

 「俺は先行して場を整えておく。では、解散」

 そう言い残し、ウォルターは部屋を後にする。残された狗たちは各々伸びをしたり人化して服を着たりと夕飯に向けての支度をする。

 字面にすれば事務的で機械的な物言いだが、その声音が少し弾んでいたことに、狗たちは当然気付いていた。そしてまた狗たちも、異国の地でウォルターと囲む食事を楽しみにしていた。

 ウォルターの指定した店は宿から離れた場所にある大衆食堂だった。そこに、ひとり、さんにん、ひとり、と他人を装って狗たちは辿り着く。ツレが先に来ているのだが、と案内しに来た店員に言い、ウォルターの座る卓へ通してもらう。

 卓上には既に多くの料理が載せられていて、合流したものたちから食べ始めていた。見たことのない色、かたち。嗅いだことのない匂い。触れたことのない舌触り。目を輝かせながら狗たちは皿の上の料理を平らげていく。それをウォルターは穏やかな眼で見守っていた。

 翌日。

 ウォルターが目を覚ましたときには既に日は昇りきり、寝台の上は狗たちに占拠されていた。道理でぽかぽか温かかったわけである。のっそりと起き上がったウォルターの身体の上で、まだ眠っている一八(ヒワ)がゴロリと転がった。

 腹拵えを終え、予定通りウォルターたちは湖へと赴く。とは言え、狗たちはその姿を周囲からは隠しているため、ウォルターひとりで歩いているように見える。その姿は、傍目にはごく普通の観光客(ビジター)に見えたことだろう。

 村の傍にある鬱蒼とした密林。そこに分け行っていくと、やがて拓けた場所に辿り着く。

 周囲を木々と石積に囲まれた、青く透き通る湖。そこに至るまでには鳥や獣や虫たちの声がいくつもあったのに、その空間に一歩踏み入れれば、場は静寂が支配していた。神域。人々がそう呼びたくなっても、おかしくはない。

 外つ国と比べて清浄な場や聖域が遥かに身近な箱庭に身を置くウォルターでも、湖を前にして息を呑んでいた。

 がさ、と踏まれた落ち葉が擦れる音。

 「――……、すごい、ですね……これは」

 廿(ハツ)が絞り出すような声で呟く。風土や趣の違いもあるが、箱庭でも滅多に見ない色彩と景色だった。

 五つの人影が、半ば呆けたように立ちすくむ。

 「……準備?」

 そんな中でマイペースに小首を傾げられる廿一(カイ)の存在はありがたかった。廿一(カイ)の声に引き戻されたウォルターは「そうだな」と頷く。

 まずは周囲の散策である。湖縁にそって、ぐるりと歩いて回る。積み重なった落ち葉や枯れ枝の下には石材が覗く。件の神殿とやらはそれなりに広いものだったらしい。密林の奥部へ向かう方向に立つ祠のようなものを視認しつつ、ウォルターは観察を続ける。

 屋根を持つ建築物の類は見当たらず、その名残である柱の残骸や基礎、崩れ落ちたのだろう屋根だった瓦礫ばかりが眠りに就いていた。この様子では「神殿の中に何かしらがある、いる」ことは無いだろう。他の人工物は見当たらない。大きなものも、小さなものも。ゴミのひとつくらい落ちていてもおかしくはあるまいに、まるで大水に押し流されたかのようだ。

 そう言えば観光客の姿を見ていない。村人たちは、村にとって大切な場所であるため気軽に近寄らないのだろう、と理由を探すことができる。だが村人でない、外部の人間たちがここを見逃すなど、あるだろうか。外部の人間と言うものは概ね勝手なものである。自分が良いと思ったものを他者に知らせたがる。それやそこが望もうと拒もうと。特にこう言った場所は格好の的だ。それなのに。

 人の気配が無い――。

 石材の途絶えた場所でウォルターが立ち止まる。湖が木々の奥に見える程度には離れていた。やはり在りし日の神殿は立派なものだったのだろう。ざ、と落ち葉を擦らせながら石材と地面の境を確認したウォルターは懐から装飾付きの簪を取り出し、地面へ差し込んだ。

 それとほぼ同時に、ウォルターと同じように石材の外周を辿っていた一七(ヒナ)、一九(ヒキ)、廿(ハツ)が同じものを地面に差し込む。主人の行動の意図など、狗たちには手に取るように分かる。そして――。

 「一八(ヒワ)より師父ウォルターへ報告。敷地内にて階段を発見。地下へ続いているようです」

 一八(ヒワ)が、ウォルターたちが歩かなかった神殿の床に見つけた、新たな発見を報せた。

 一八(ヒワ)の案内でその階段とやらへ向かう。他の狗たちも三方から速やかに集まってくる。そして、その階段の入り口があると思われる場所に、ぽつねんと廿一(カイ)が立っていた。一八(ヒワ)に目印として立たされたらしい。

 「ここか」

 ウォルターが膝を折り、ぽっかりと床に口を開けた階段を見る。

 覗き込んだ出入り口は、木の根が組み合い絡み合ってその路を塞いでいるように見えた。ひゅうひゅうと風の流れる音も細い。

 「木の、根が……張っているな。家畜を大量に食らう程の「大蛇」が、出入りしているとは考えにくいか……?」

 手すりのような支えもなく、携行灯火の類いも持ってきていなかったウォルターは、内部の探索を断念する。

 「だが、この下には空間があると言うことが分かったのは良かった。よくやった」

 立ち上がったウォルターが一八(ヒワ)と廿一(カイ)を見ながら言う。それだけでふたりの表情は和らぐ。

 「お前たちもよくやった。何か気になったことはあったか?」

 一七(ヒナ)たちへも労いの言葉をかけ、周囲の様子を訊く。一七(ヒナ)たちは顔を見合せ、そして廿(ハツ)が口を開いた。

 「不審な物は見かけませんでした。しかし……やはりここは静かすぎると思います。鳥獣や草木の音が、遠い。まるでここを避けているかのようです」

 廿(ハツ)の言葉に他の狗たちも頷く。ウォルターも、廿(ハツ)の言葉に頷いた。

 「そうか……。念のため、本国に連絡しておくか」

 あっという間に陽は暮れた。

 本国への連絡と、調査――戦支度を整えたウォルターたちは再度湖縁を訪れていた。昼間とは違い、夜の影に呑まれつつある密林はウォルターたち部外者を拒んでいるように見える。例えば昼夜に一度ずつここに迷い混んだとして、何も知らなければここが同じ場所だとは気付かないだろう。

 異変はすぐに現れた。視界の端を、何かが通った。

 弾かれるようにそれを追う。影となった木々の間、藪の中へ、何かがズルリと消えていくのを、辛うじて捉える。音は聞こえなかった。

 いる。

 ウォルターは確信する。

 そして、自分たちを品定めするような眼があることも、感じた。敵意や害意は感じられない。だが、その圧は、圧倒的だ。

 もはや接触は避けられまい。

 シャラリと斎が鳴る。ウォルターは深呼吸をひとつした。

 「――解式」

 タン、と一歩を踏む。

 狗たちの姿が、各々変わる。ヒトに近い狗の姿。狗に近いヒトの姿。狗、あるいはヒトそのものの姿。それぞれがそれぞれの力や能力を行使しやすい姿形をとる。

 「深追いはするな」

 「了解」

 「狩りの時間だ」

 散。空を切って狗たちが駆け出す。

 音が無いと言え、相手が動いている以上空気は揺れる。相手が存在している以上、においは残る。加えて、人間の目にも留まる巨躯。

 「――いた」

 人間たちよりも遥かに優れた感覚を持つ狗たちが、捉えられないわけがない。

 一七(ヒナ)が白い鱗を纏う尾を捉えた。一九(ヒキ)と廿(ハツ)へ眼と手で合図を送る。一八(ヒワ)は一九(ヒキ)の側へ。廿一(カイ)は自分の傍に。

 一九(ヒキ)が仕掛ける。白鱗の巨躯を辿り、大蛇の頭部へ飛びかかる。それに一八(ヒワ)が続く。

 大蛇の頭部へ食らいつく直前、血臭がした。牛や鶏のものに混じって、人のものもある。やはりこいつは、人喰い(あくじき)なのだ。

 ならば――遠慮することも無い。狗は笑った。

 ぶつり、と滑らかな鱗が砕かれ、肉が切り裂かれる音。

 大蛇が周囲の木々を揺らすような悲鳴をあげた。

 だがそれも束の間。さすがと言うべきか、大蛇は即座に敵を縦に裂けたその目に捉え食らいかかって来た。

 「――っせ、と!」

 一九(ヒキ)たちとは反対側。大蛇の死角となった側から廿(ハツ)が大蛇の躰をぶん殴る。堪らず、大蛇の躰が浮き上がり、無防備に地面に叩き付けられて弾む。そこを、一七(ヒナ)と廿一(カイ)が叩――

 「! 避けろ廿一(カイ)!」

 ――こうとして、ひょうと背後から飛んできた大蛇の尾に阻まれる。いち早く気付いた一七(ヒナ)の声に襲撃体勢から回避体勢へ切り替えた廿一(カイ)が空中で身体を捻り、地面に着地する。一七(ヒナ)もまた大蛇への追撃を取りやめ、しなる尾を避けて地面に立っていた。

 シュルシュルと怒気を発しながら威嚇する白い大蛇が、狗たちと向かい合う。五対一。勝機はある。どの狗もそう思っていた。

 「――お前たち! 後ろだ!」

 主人の声が響く。同時に、落ち葉を掻き分けるような音が、滑るように近付いて来る。一七(ヒナ)と廿一(カイ)がその場から飛びのいた。その直後。一七(ヒナ)と廿一(カイ)が立っていた場所に、赤く大きな蛇の頭部と、赤く艶やかな蛇の腹部が突っ込んできた。落ち葉や枯れ枝を宙に舞わせ、二匹目の大蛇が姿を現す。

 目撃証言は、見間違いなどではなかった、ということだ。大蛇は確かに、白と赤の二匹が存在している。

 どうする。ウォルターは思考を巡らせる。頭数としてこちらが優勢。しかし相手は大きく素早く、周囲の環境に慣れている。何より――それぞれの大蛇が、どのような能力を有しているのか、何も分かっていない。

 撤退。その二文字が過る。狗たちと、自分の命を優先すべきだ。本国へ連絡は入れてある。対処するのは増援が来てからでも良い。今は生き延びることを第一に、とウォルターが狗たちに伝えようとした、とき。

 「歌士官? ということは、あの箱庭はまだ健在ということか」

 背後から声がした。

 「師父!」

 一八(ヒワ)がウォルターの元へ駆け出す。文字通り、一足飛びの動きだ。

 ウォルターの方も身を翻し、音も気配もなく背後を取った「何者か」から距離を取り、向き直る。それとほぼ同時に、ウォルターと「何者か」の間に一八(ヒワ)が滑り込む。

 そうして、ウォルターは“そいつ”の姿をはっきりと見る。昇った月の下、煌々と青白い光を浴びて自分たちを見下ろす、異形の姿を。

 顔を含めた上半身は人の身体。腰から下は蛇の姿。ぬらりと月明かりを返すのは、傷ひとつ見えない漆黒の鱗。頭部には非対称の角を持っている。ひらりと翻る面布の下で、ふたつの目が、愉しそうに細められていた。

 「犬? いや、狗か。ふむ……だがお前たち、神獣ではないな? ただの獣でもないようだが……。そこの歌士官。お前、なんだ?」

 そいつがウォルターにするりと近付く。滑るような、一瞬のことだった。

 鋭い爪を携えた手が、首に伸びる。

 「貴様ッ!」

 一八(ヒワ)がその手を捕らえ、関節とは逆の方向へ曲げようとする。クツクツと、面布の奥から愉しげな声がした。

 ヒュッと空を薙ぐ音がして、一八(ヒワ)の姿が消える。残ったのは、ユラリと揺れる黒鱗の尾。

 「一八(ヒワ)!」

 思わずウォルターが叫ぶ。黒蛇の尾に殴り飛ばされた一八(ヒワ)の姿を眼で追うと、他の狗たちと大蛇たちもまた戦闘になっていた。

 白い蛇を一七(ヒナ)と一九(ヒキ)が相手取り、赤い蛇を廿(ハツ)と廿一(カイ)が相手取っていた。

 「相変わらず――お前たちは我が身可愛さに苦痛を他者へ押し付けているらしい」

 「っ!」

 再現のように伸ばされる腕を、今度はウォルター自身で撥ね付ける。爪先に触れた枯れ枝を蹴りあげ、棍として振るう。

 カンッコンッと小気味の良い音をさせて木の棒が相手を叩く。が、どうにもそれは弟子が師と型の練習をするような画にしか見えない。易々と、受け止め往なされているのだ。ウォルターとて、決して武術の能力が劣っているわけではない。単純明快な、力の差だった。

 だがそれはウォルターひとりを見たときの話だ。

 「師父! 伏せてください!」

 吹っ飛ばされたはずの一八(ヒワ)の声が、血臭と共に帰ってくる。主人に忠実な狗は、何度引き離されようと、己が主の元に戻ってくるのだ。

 ウォルターが棒で相手の腕を強かに打つ。倒れ込むような勢いだ。それでもダメージになるかは分からない。だが、打った衝撃で、相手がやや前傾姿勢になってくれれば良い。

 果たしてウォルターの思惑はその通りとなった。

 カクンと相手が僅かにつんのめる。

 「――ふッ!!」

 そこに、一八(ヒワ)が渾身の拳を叩き込んだ。

 手応え。

 だが。

 「悪くないな」

 「ぅ――ぐ、あああああ!」

 「一八(ヒワ)!!」

 じわりと赤い染みの滲む面布を気にすることもなく、そいつは一八(ヒワ)の拳に手のひらを重ね、そして、ぐしゃり、と。

 「ぐっ……、うぅ゛ッ゛……!」

 手の骨が砕かれた痛みに呻きながらも一八(ヒワ)が身体を捻る。勢いをつけて、今度は蹴りをその側頭部に叩き込もうとして。

 パシリ、と一八(ヒワ)の手を放したその手に止められた。サァ、とウォルターの顔が青ざめる。

 やめろ、と言う声は間に合わなかった。

 宙に放り投げられる身体。それを受け止めるのは、揃えられ、天に向けられた槍のような爪を持つ五指。

 鮮血が降った。

 「そら。お前のせいで、また狗が死ぬぞ」

 ずるり。がさり。白い蛇と赤い蛇がウォルターの背後を取る。白い蛇の口には一九(ヒキ)が咥えられ、その尾は一七(ヒナ)を締め上げていた。赤い蛇は廿(ハツ)を咥え――廿一(カイ)はどこだ、とウォルターの目が細まった。

 その時。月が翳った。

 「……、」

 ふたり同時に上を見上げ、そして、黒い蛇に急襲を仕掛ける“烏”を見た。

 「っ!」

 蛇が辛うじて顔を逸らし急襲を避ける。バキリと角の片方が折れた。だが烏は止まらない。そのまま地を蹴り、二撃目を狙う。

 「し、ね」

 拙い声が聞こえた。

 ふは、と蛇が、思わずといった風に笑う。

 演劇の役者が如く、両腕を広げる。どしゃりと一八(ヒワ)が地面に落ちた。

 ザァと波の寄る音がして、蛇の背後に水の刃が並んでいく。美しいとすら思える、水場に祀られるに相応しい能力だ。蛇は地面ギリギリを滑るように翔る烏へ狙いを定める。

 フッ、と、蛇が手を振る。それを合図に、蛇の周囲に浮かんでいた水刃が烏へ降り注ぐ。

 マズい。

 ウォルターの目が焦りを帯びる。背後の蛇たちが動かないのは、今廿一(カイ)と戦っている蛇が最も強いか、本体であるからだろう。“動く必要がないから動かない”のだ。

 だがパキパキ、ミシリと嫌な音をさせ、捕らえた狗たちを確実に壊しにかかっているのは、個々の意思によるところもあるだろう。廿一(カイ)にしても蛇に捕まった狗たちにしても、時間の問題だ。

 「ぐっ、」

 廿一(カイ)の呻き声。翼がボロボロになっている。

 それでも飛び交う水刃の間を縫い、蛇に肉薄しその鱗を啄み蹴り飛ばす。だが決定打まで至れない。

 増援は、すぐには来ない。

 ならば自力で乗り切るしかない。応援が来ないわけではないのだ。耐えられれば良い。

 ギリ、とウォルターは拳を握り締め、蛇を見据えた。

 「――スッラ!」

 蛇の名を呼ぶ。

 確信はない。

 けれど、試す価値はあると思った。

 「――、」

 蛇の纏う空気が変わる。ウォルターを眺めていた眼が変わった。

 当たりだ。

 「水と毒を司る三位一体の蛇神(カガチ)、スッラ……!」

 神の名を呼び、その圧を受けながらも、ウォルターは一歩を踏む。タン、と石の床を高らかに踏む音が響いた。

 「……私を、知っていたか」

 スイと伸ばされた蛇――スッラの腕をウォルターは踏々歌の舞をもって避ける。タン、タン、シャラリ、と手本のような舞いを披露する。歌唱を始めるには、まだ少しこころが決められなかった。

 ウォルターの舞いをスッラはどこか懐かしそうな眼で見ている。満身創痍となった廿一(カイ)を尾に巻いて、スッラはジリジリとウォルターを追い詰めていく。

 そしてウォルターは、近付いてくるスッラの尾に、廿一(カイ)が巻かれているのを見てしまった。

 ヒュ、と息を呑んだ。

 その隙を、蛇神は見逃さない。

 一瞬。歩を躊躇った。

 その足を、スッラは捕らえる。ウォルターが後ろへ倒れ込む。

 「ぅあ゛ッ……!」

 「私が私だと知っていて挑んだのか? 浅慮にも程があるぞ、歌士官」

 バキリと捕まれた足から嫌な音がした。だけでなく、捕まれた場所がひどく熱く濡れている。

 スッラの手がウォルターの足を砕き、その鋭い爪が衣服諸共血肉を引き裂いて鮮血を溢れさせていた。

 「い゛ッ゛……、ヒッ、ぐ……、ぅ、ああ゛あ゛っ゛」

 ぐにぐにと手中の足を弄ぶ度、ウォルターの呼吸が引き攣る。

 ぐるぐると身体の中を巡る熱に吐き気を覚えるのは、蛇神の毒が入り込んでいるからだろう。視界が霞み始める。

 「見てみろ歌士官。お前のせいで五匹の狗が死ぬぞ」

 ボタ、ドサ、ガサ、と意識を失った狗たちがウォルターの前に放り投げられた。その上を、太い蛇の胴が這い、ミシリミシリと骨を軋ませる。

 やめろ、とウォルターが叫んだ。

 「勝てもしない相手と戦わされるとは、哀れな狗たちだ。飼い主が違えばもっと長生きできたろうに」

 確かに――この惨状はウォルターの責任だ。敵の数と正体を見誤った。撤退するタイミングの判断を、誤った。すべて、ウォルターの責任だ。

 噛み締めた唇がプツリと切れる。

 だが、だからこそ、このまま終わりたくないと思った。

 ウォルターの、ふるえる唇が「はる」と動いたように見えた。

 「――!」

 轟、とウォルターを赤い光が包む。スッラの顔から笑みが消えた。

 燃え上がる火柱のような光に、思わずウォルターの足から手が離れる。

 光を纏い、ウォルターが立ち上がった。立ち上がれるはずがない。足元へ眼をやれば、赤い結晶がぐちゃぐちゃになった足を固めていた。

 怪我はおろか、毒など無かったかのようにまっすぐ、しっかりとした足取りで迫るウォルターに、はは、とスッラは乾いた笑い声をこぼす。赤い光がウォルターの瞳に映り込み、その瞳は紅眼となっていた。

 その光を、熱を、スッラは知っている。

 「そうか、お前、あいつの――子供か!」

 脳裡に過るのはひとつの背中。自分に“赤い毒”を与え、ただの大蛇を水と毒の神に“した”男。

 ああそうだ。確かに、そうだ。なぜ気付かなかったのだろう。

 “こんなにも奴に似ているのに!”

 腹の底から沸き上がる感情は、永い刻の中で久しく感じていなかったもの。高揚と、好奇と、憐憫その他が綯交ぜになって笑顔となる。

 ウォルターがスッラに手を伸ばす。赤光を負うその姿はまるで魂を掴もうとしているかのように見えた。

 だがスッラは伸ばされたウォルターの手を自ら掴みに行った。自ずから手を伸ばし、掴み、引き寄せた。面布が風に捲られ、蛇の眼と炎の瞳がかち合う。

 そして、その足元で。ズルルル、と影が巻き付くように、ウォルターの崩れきった足に黒い影が巻き付いていた。

 スッラが“契約”の完了を感じ取ると同時にウォルターは気を失った。赤い光も熱も消え失せ、その場には行動不能となった六つの身体と静寂が降りる。

 さてどうしたものかと掴んだままの腕を持ち上げウォルターを窺う。目蓋は閉じられたまま、眉間に皺を寄せて「うぅ、」と呻き声をスッラに聞かせた。

 とりあえず起こしてみるか? と考えた時だった。

 「解式――ライガーテイル!!」

 燃え盛る雷が落ちてきたのは。

 轟音と共に蜘蛛の頭に獅子の鬣を持ち、身体に虎の縞を持つ五足の青い神獣が現れる。そして一拍の後、その隣にひとりの男が着地する。威圧感。ライガーテイルと呼ばれた神獣の師父に違いないようだった。

 「貴様……その歌士を離せ……さもなくば消し炭にしてやろう」

 唸るように男が言う。傍らのライガーテイルも姿勢を低くして、いつでもスッラの喉元に食らいつける体勢を整えている。

 無造作に転がされた狗たち。玩具のように腕を掴まれたその主。なるほど確かに敗北した歌士官がトドメを刺される直前の現場だ。

 まあそれにしても、随分な挨拶に思えるが。

 スッラはウォルターを抱え直して男へ向き直る。

 「お前は、師父の仲間の歌士官か? ちょうど良い。人の身の扱いはよく分からなくてな……どうしたものかと考えていたところだった」

 言いながら近寄って行けば、男は警戒からか片足を半歩退いた。ライガーテイルは毛を逆立てていた。

 だが、その見てくれと従えている神獣は伊達でないことを男は示す。スッラの言葉に、しかと反応して見せた。

 「師父……だと? 貴様今、そいつを師父と言ったか……?」

 スッラは面布の奥で口角を上げる。

 「ああ。先程のことだが、これは私の師父になった」

 男が顔をしかめた。無理もない。そんな風には見えない状況なのだから。

 スッラは男へウォルターを見せる。呼吸していることを、これで分かってくれるだろう。

 男はスッラの腕の中のウォルターを覗き込み、一先ずの無事に安堵の息をこぼした。だが依然として治療と安静が必要な状態であることに変わりはない。特に骨が砕けていると思われる足。

 ――黒い縄が巻き付いているような刺青など、ウォルターの足にあっただろうか?

 視界に入った疑問は確かにある。だがそれはとりあえず置いておく。男の専門ではないからだ。 スリ、とウォルターの頬を指の背で撫ぜる。すると、ウォルターが身動いで目蓋を薄く開けた。その眼はどこか熱に浮かされたように茫洋としている。

 「ミシガン……? すまない……、世話を、かける……」

 「気にするな。……少し休んでおけ、ばかもの」

 今度は指ではなく、男――ミシガンの手のひらがウォルターの頬をなでた。その温もりにだろうか、ウォルターは安堵したように意識を手放す。

 随分――生温い声をかけあうのだな、とふたりのやり取りを見ていたスッラは思った。

 「師父ウォルター、今日は検診の日だろう?」

 遅れるぞ、と揶揄するスッラにウォルターを気遣う様子は見られない。寝台から起き上がったウォルターは、耳元でクスクス聞こえる笑い声に溜め息をひとつ吐いた。

 右腕があった場所に義手をはめ込み、自由の利かなくなった右足を引き摺りながら支度を進める。当然のように狗たちに手伝いを申し出られたが、当の狗たちが身支度を終えていなかったのでそちらを優先するように指示した。

 スッラがウォルターの従神となってから、しばらくが経った。

 今のウォルターは、年齢、実力、収入に見合った住居を借りて、そこを生活の拠点としている。研究室は今も研究員共々健在で、ウォルターも仕事の合間に足を運び、手伝いをしている。

 スッラとの“契約”により右足を傷めたウォルターは調教師を生計の軸に据えていた。舞い、歌うことができないわけではないが、身体への負担を考えると、気軽にすべきでないと自他共に判断したためだ。幸い調教師としての腕は良い方であったし、学者としての才もあったため、現状生活に困るようなことにはなっていない。

 そして今日は数ヵ月に一度の、検診の日だ。この日は丸一日仕事のない日だが、医療施設や研究施設に籠ることとなるため、休日かと言われると微妙なところである。

 目的は義手の具合を見ることと、スッラとの“契約”による身体への影響の観察。

 それは禁術だった。通常「潔斎」と呼ばれる主従の契約は、斎に従神の名を刻む。だがスッラはウォルターの身体に直接己が存在を刻んだ。ウォルターの、自由を失った足に巻き付く黒い蛇。踏々歌と斎による潔斎が生まれるよりもずっと前。古い、古い術による契約の術だ。

 当然、国の上役たちは格好の観察実験体だと色めき立った。拉致監禁されたとておかしくなかっただろう。

 だがそうはならなかった。ミシガンと共に帰国したウォルターを誰よりも早く迎えたナガイとカーラの尽力だった。

 ミシガンから「足を這う謎の刺青」について聞いていたふたりは、自分たちが研究者であることを大いに利用した。経過観察や必要に応じた実験は自分たちがする、自分たちならばウォルターも喜んで協力してくれるだろう、等と。

 酷い大人だ、とふたりや研究室を詰り、謗る声はあった。けれど結果として観察実験対象としてのウォルターの身柄はナガイの研究室の預かりとなり、ウォルターは以前と変わらぬ自由の下、生活していた。

 「一七(ヒナ)、廿(ハツ)、留守を頼んだ」

 支度を終えたウォルターが狗たちに留守を任せて家を出る。一七(ヒナ)と廿(ハツ)は主人に付き添えない無念さと直々に留守を任された誇らしさが入り交じった顔をしていた。

 家を出たウォルターはナガイの研究室へ向かう。検診の会場だ。

 その道中、出国待ちの人集りができている水門の近くに、ウォルターは見知った顔と眼があった。どちらからともなく、互いに歩み寄る。

 「いつ以来だ、ウォルター。足の付け替えはまだ必要ないみたいだな」

 「そちらはまた長期任務か、ミシガン。忙しいことだ」

 軽い抱擁を交わし、少々の言葉を交わす。

 少し立ち話をしていると、背景の人混みを掻き分けて、ミシガンに近付いてくる人影がふたつ見えた。

 「てめぇ! いっつも人にフラフラすんなとか言っときながらてめぇが勝手にどっか行くとかふざけんじゃねえ! ヴォルタてめぇも何か言ってやれ!」

 「ハッ、合流できたんだから良いだろ、ンなこと。熱くなるなよイグアス……あ? なんだ? こいつ」

 ここの人間にしてはガラが悪い。狗たちが牙を剥いて威嚇し始める。

 「ああ? 狗っころがヒト様になに威嚇してんだ?」

 「待て。こいつら何か気配がおかしいぜ。本当に神獣か……?」

 「――貴様らこそどれだけ出国の手続きで油を売っていた! 学舎で配られた遠足のしおりは読んでいなかったのか!」

 ピャッと一八(ヒワ)が鳴いた。ミシガンの大きな声に驚いたためだった。一九(ヒキ)と廿一(カイ)も目を丸くしている。ふたり組――ヴォルタとイグアスも肩を跳ねさせたが、すぐに「うるせぇ」だの何だのと元気に口答えを始める。

 「弟子を取ったのか」

 「外つ国での任務中に少しな」

 「これでお前も子持ちと言うわけだ」

 「いつぞやの意趣返しのつもりか?」

 「さて? いつの何のことやら……」

 「まったく、減らず口を利くようになった」

 弟子と狗たちが背後で睨み合い吠え合っているのを他所にミシガンとウォルターはクスクスと笑い合う。

 それを見た――見てしまった――廿一(カイ)が群れの中からするりと抜け出して、ウォルターの袖をひいた。

 師父、時間が、と無言の訴え。

 「? ……ああ、そうだったな。すまないミシガン、そろそろ行かねば」

 「む。……ああ。こちらも引き留めた。悪かったな」

 当初の予定に会話を切り上げるウォルターを、ミシガンは引き留めない。互いにやるべきことのある身だ。それにもう、子供ではない。

 再会した時と同じように交わされる軽い抱擁は、しかし今度は少し尾を引いた。

 「……死ぬなよ」

 「お前もな。身体を大切にしろ」

 ウォルターの右手を見ながらミシガンが言う。

 以前に一度。退っ引きならない状況に陥りスッラの解式を行った時に、その代償となった部位。右足は既に持っていかれているようなものだ。これ以上、欠け身になることなかれと親しい相手に案じられるのは当然とも言えた。

 最後まで弟子たち――と言うよりもほとんどイグアスと――威嚇しあっていた狗たちを連れて、ウォルターは再び研究室への道を往く。

 「あのミシガンとか言う歌士官……親しいのだな? 頻繁に会っているわけではないようだが」

 「歌士の師のようなものだ。国外での長期任務に指名されることが多いから、国内で顔を会わせるのが稀と言うだけだ。……気になるのか」

 「いいや? まだ生きていたのかと思ってな」

 スッラの物言いに不穏なものを感じつつ、ウォルターはそこで口を噤んだ。大人しくしてくれるなら、それでいい。

 やがて人々の姿は民から学者がその数を増やし、ウォルターたちは学術機関の管轄する敷地に入る。

 おそらく住居のある居住区よりも見慣れた風景の中を歩き、やはり今の私室のそれよりも見慣れた扉の前に立つ。

 ノックを二回。その後、扉に手を掛け、押し開ける。

 「おかえり、ウォルター」

 部屋の中から、恩師の柔らかい声が聞こえた。


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