
くちなは-くちはな
スラウォルを見せ付けられるモブの話。生存if。R15くらいの気持ち。
書きかけだったのでちまちまっと回収。
スラウォル前提モブ→ウォル。
ハンドラー・ウォルターは悪いやつだから惚れてもろくなことにならないぜ、的な話。
過去捏造等有り。
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ハンドラー・ウォルターは悪人だ。
人を殺すこと、他人を騙すこと、何かを盗むこと。程度の差こそあれ、悪事と呼ばれる行為をする、したことがあるのなら、その人間は悪人と呼ばれるだろう。
だからウォルター――ハンドラー・ウォルターも悪人だ。
だが時に、それらの悪事は、誰かを傷付ける一方で、誰かを救うことも、極々稀にある。
その因果が巡って、たとえば、こんな風に当の悪人を困惑させたりする。
ハンドラー・ウォルター、もといウォルターは困惑していた。
目の前には見知らぬ男。青年と言ってもいいくらいの年頃だ。パイロットスーツの上に羽織っているジャケットには、今日、ルビコン入りした星外企業のロゴが入っている。
そんな青年が、つい先ほど、何と言ったのだったか。
ウォルターは手を握られたまま過去を振り返る。目の前の現実から眼を反らすように。
「好きです、僕に貴方の残りの人生を下さい!」
ああうんそうだ。そんなことを言われた。気がする。
状況を確認しよう。
件の星外企業の入港に際してウォルターは星内の戦力を指揮して船隊の護衛をした。
その仕事自体は、問題なく終わった。今日のルビコンⅢ周辺は実に穏やかだった。AC乗りたちが無線で雑談し始めても仕方ないとは思えるくらいに。
そして現在、場所は宇宙港。挨拶のためにと降り立った双方が目的である顔合わせを終えた後だ。
ひとりの青年がパタパタとやってきて――言ったのだ。
愛の告白とか言うやつを。
顔が赤かったのが、走ってきたからなのか「愛」のせいなのか、ウォルターには分からない。
振り返ってみても、よくわからない。なんだこの状況。人違いではないのか。ウォルターは困惑する。
しかし目の前の青年は相変わらずまっすぐにウォルターを見つめているし、手もそのまま握っている。人違いではないらしい。本当に。信じられない。
だってウォルターにはこの青年に想いを寄せられる――どころか青年自体に心当たりがない。誰だ、この青年は。
挨拶は終えているから、他の社員たちはどんどん掃けていく。チラチラと向けられる視線を追えば、クスクスと肩を揺らす人々の姿。時々、青年の肩を叩いて行く者すらいる。
ウォルターは溜め息を吐いた。
一先ず、状況を動かさないことには。
「……とても言いにくいのだが、そもそもおま……君は誰だ」
「! そうでした、そうですよね! 僕っ、僕は! 昔貴方に命を救ってもらった男です!」
声を上擦らせながら青年が出身だと言った惑星の名前に、心当たりはあった。昔、仕事で赴いた場所だ。
けれど件の仕事場は住民の居なくなった区画で――と、そこまで振り返っていたウォルターは目を微かに丸くした。瞬きを、2回ほど。
そうだ。いた。当時の猟犬のひとりが瓦礫を気にして、けれど仕事中だったから一先ず離れさせて、それから、仕事を終えてから、確認しに行った。
そして、そこには、子供が一人、いた。
瓦礫の影で身体を丸めて、煤と埃に塗れた子供を、ウォルターは、孤児院に届けた。
実際孤児だったのかは分からない。けれど、瓦礫の影に埋もれるよりはマシだろうと思った。
ようやく、あの子供と目の前の青年が重なる。
その惑星で、心当たりはこの一件だけだが、まさか、こんなことがあるだろうか。
「……あの、孤児院に届けた、彼なのか……君は」
ウォルターが掠れた声で訊いた。
青年は、朝日のように表情を明るくして、大きく頷いた。
「っはい! 瓦礫の山で貴方に保護されて、孤児院に届けてもらった、あの子供です!」
ワン! とロビーに響く声は、それはそれは嬉しそうなものだった。
あれから子供は無事家に帰りつき、そして今日まで命の恩人を想い続けていたと言う。
「貴方にあうために、その一心でパイロットになって就職して、エース……とまではいきませんが、それなりの実績も残しています。だから……だから!」
握られたままの手はぽかぽか温かい。青年の声や眼差しと同じだ。
だが、だからこそ、ウォルターは首を横に振った。
青年の顔がくしゃりと歪む。しかしこれ以上青年を傷付けたくはないのだ。
「あ、貴方が! たくさん、その、……色々してきたことは知っています。でも! 僕だって人を殺しています。言ってしまえば、貴方に会いたい、それだけのために。だから貴方が悪い人かどうかなんて関係ありません! 世界が貴方を悪人だと言っても、僕には命の恩人ですから!」
青年の訴えに、ウォルターは微かに怯む。
けれど、それだけの問題ではないのだ。
ウォルターは悪人で、それなりに名前を知られていて、きっとロクな死に方をしない。
それに他人を巻き込みたくはないし、そもそも歳が離れすぎている。ウォルターは不老手術とか延命手術とか、そう言った類いの技術を享受するつもりはない。
俺なんかに、時間を使うことはないのだ。幼少期の憧憬が幻想になっているだけだ。企業のAC乗りと独立傭兵では奪う命の重みや責任が違う。
違う。
違う。
違う。
そうではない。
何もかも違う。
住む世界も進む未来も、何もかも違うのだ。
何より――。
「何をしているウォルター。デブリーフィングが終わるぞ」
カツン、とわざとらしく鳴らされた踵が、隣で立ち止まる。するりと腰に回る腕は蛇のよう。
「スッラ、」
ウォルターはその名前を呼ぶ。音と、声と、腕を辿れば、その先にはやはり、それらの持ち主がいた。
独立傭兵スッラ。それがウォルターの傍らに立った男の名だ。
突然増えた人影に青年は目を丸くする。誰かに割って入られるなど、予想していなかった。
それもまた若さなのだろうが。
「な……んですか、貴方は。僕は今ウォルターさんと大切な話を、」
怯みつつもスッラ相手に青年は口を開く。
クク、と蛇の喉が鳴って、灼けた空に似た色の目が細められる。
「大切な話? それは――仕事の話よりも大切な話か?」
圧。
ごく自然な声音に、スッラは並の人間には過ぎる圧を乗せた。ぐう、と唸った青年はよく堪えたものだ。
だがそれもスッラには関係の無いこと。
青年が立ち去らないと見るや、煩わしそうに溜め息を吐く。
「す、すぐに終わります! さあ、ウォルターさん! 僕と一緒になりましょう!」
青年は勝負に出た。スッラの圧から、早く逃げ出したいと言う気持ちもあっただろう。性懲りもなく、再度、ウォルターにその残りの人生を求めた。
しかしそれは「穏便に」ことを済ませようとしていたスッラに対する布告でもあった。
この半世紀の間にルビコン、あるいはハンドラー・ウォルターを調べたことがある者なら知っていることだ。
果たして青年はウォルターについて調べたことがあった。命を救われた後に。感謝と憧憬で眩んだ眼のまま。自分が求める情報だけを、青年は覚えた。そして輝かしい夢を見たまま、今日まで来た。
このルビコンⅢで、ハンドラー・ウォルターの身に何があったか、知らぬまま。
「く、ふ、ふは! ははは! ウォルター! お前と言うやつは!」
スッラが肩を揺らす。その姿は嘲笑ともとれた。
実際そうだったのだろう。
滅多に上げない「笑い声」は朗々と響いた。
周囲がシンとウォルターたちに意識を向ける。
唐突に集まった注目に、しかしスッラは取り合わない。
一通り笑って、はあ、と息を吐いて、前髪の間から青年をジィと見る。口許は弧を描いていたが、その眼は笑っていなかった。
「っ」
ウォルターの肩が小さく跳ねたのは、腰元の手が腰を撫でたからだ。
「ウォルター」
名前を呼ばれる。
そこには有無を言わせないものがあった。
「また犬を増やすつもりか?」
「ちがう! 彼はそういう人間では……!」
「犬だって何だって、僕は貴方と一緒にいられるなら何でもいい!」
青年はなおも食い下がる。その姿勢は評価していいものだろう。一途で、情熱的だ。
しかし相手が悪すぎた。
犬でもいい、と言う部分が、特に相手の神経を逆撫でした。
「そうかそうか。ならば飼い主のために――」
「やめろ! 彼は違うと言っているだろう!」
「違いません! 僕は構わない! こんな独立傭兵になんて負けやしません! 貴方のためなら僕は――」
「やめろ! もうやめてくれ!」
とうとうウォルターが叫んだ。青年はハッとしてウォルターを見る。隣の男の腕を掴んで、物理的に止めようとしていた。当の男は、動く気など無さそうだが。
だが「やめろ」と言う叫びは、隣に立つスッラではなく確かに青年に向けられたものだ。
くつくつと喉を鳴らす独立傭兵の顔は、隠すこともなく青年を嘲笑っていた。
「やめてくれ……。俺は、君に……お前に応えることはできない。俺には果たすべき仕事がある。そしてそれは俺の仕事でありお前の仕事ではない。お前には関係のないことだ。だからもう、俺のことは忘れてくれ」
ウォルターの声はふるえていた。顔も、痛みを堪えるような表情だ。けれど眼は。
青年をまっすぐ見つめる瞳だけは、揺るぎない、確固とした光を宿していた。
その意志が、並大抵のものでないと、見れば判るほどの。
青年は、ウォルターから突き付けられた拒絶に、半歩後退った。
「ぼ、ぼくは、でも、あなたの、ちからに、」
だってその独立傭兵は貴方の隣に立っているじゃあないか。
ならば自分だって、自分にだって貴方の隣に立つチャンスはあるのではないか……?
縺れた舌の裏側で、青年はそんなことを並べる。
だが、当然、ウォルターに伝わるわけがない。
何よりウォルターはもう視線を逸らしていた。
「満足か?」
ククク、とスッラが笑う。
「不憫なことだ。そうだろう? ウォルター。だからこう言う時は事実を言えば良いと言うんだ」
「――べ、つに、おま……貴様とは、」
見せ付けるようにスッラがウォルターの耳元に唇を寄せる。唇で耳を撫でるような、辿るような動きは、ああ、甘やかに見えた。ふらついた視線が潤み、目元が色付いているようにすら――。
「そう言うことだ。分かったらさっさと行け」
優越を宿す視線が寄越される。
木、あるいは獲物に巻き付く蛇を幻視した。
「そもそも――ウォルターは私の伴侶だ」
「スッラ――っ! ん、ぁ、ふ、ぅっ!」
そして蛇が噛み付いたのはウォルターのくちびるだった。
ちゅく、くちゅり、ぢゅる。
あふ、あふ、とこぼれる吐息は抵抗の意思を見せている。しかしすべて喰われ、呑まれ、霧散していた。
相手の身体を押し返そうとする手も、反対の手で杖をついているせいか――否、相手の力の使い方が上手いからだろう、大した成果を出せていない。特に腰に回された手が、しっかりその身体をとらえている。
そして徐々にウォルターの身体から力が抜けていく。踏ん張ろうとする足が、身体を支える杖の先が、ふるえるのが見えた。
「っ、ん、ふ……、ぅ、」
ぱちりと眼が合った。
潤んでいる。
溺れるような眼だ。
ぬれてとろけて、あつい。
けれどその熱は自分のものではないことを、青年はわかっていた。
だからその眼が「見ないでくれ」と、先ほどとは違う温度で訴えていることも、わかってしまった。
「っは……!」
混じり合う水音が、一際大きく聞こえた。
瞬間、ウォルターの肩だか腰だかが跳ねるのを、見た。見てしまった。
しかし重なった影は離れない。
ちむ、ちむ。ちゅ。
触れ合うだけの口づけが数度。そしてまた、控えめながらも、絡み合う水音。
光宿す瞳は鉄が水底へ沈むように暗がりへ消えた。
これは、こんなのは。
「僕」の入り込む場所など、役など、無いではないか。
「僕」は彼の立つ舞台に、上がれない。上がったところで、立つ場所は無い。
青年は終に踵を返して駆け出した。
後には宇宙港で熱い抱擁と口付けを交わすふたりだけが残される。まるで映画のような、ドラマティックな画。何も知らない通行人たちが、無責任に囃し立てる。
知らぬままの方がいいことはある。諦めの悪いことが、必ずしも報われるわけではない。
焦がれなければいいものは確かにある。胸を焦がし身を焦がし、そして最後には燃やし尽くされる。
青年はそれを身をもって知った。
あの時救われなければ。
あの時出会わなければ。
あの時――……。
その方が良かったのかもしれない。
けれどもう遅いのだ。
青年はウォルターを知ってしまった。ウォルターが誰かのものになっていることを知ってしまった。その「誰か」に対して、勝ち目の無いことを知ってしまった。
ひどいひとだ、と身勝手にも思った。
こちらを傷付けまいとして、結果大きな傷跡を残す。
なんてひとだろう。
ひどいひとだ。
ハンドラー・ウォルターは、悪(ひど)いひとだ。