皆に構われる末っ子の一日ダイジェスト。生存ifで身体だけ半世紀前になったウォルとお兄ちゃんお姉ちゃんたち。愛されウォル。
CPとしては21→ウォルとスラウォルと薄ーくミシ(→)ウォル。
突貫工事ッッッ!
いい兄さんの日……と言うより皆に構われる末っ子の一日ダイジェストになった話
生存ifで身体だけ半世紀前になったウォルとお兄ちゃんお姉ちゃんたち。愛されウォル。
相変わらず捏造とかたくさん。
全体的に皆さん丸い。
キャラエミュムズいです。誰おまゴメン。
元第二世代は第二世代なので少年と面識があるHC
21→ウォルとスラウォル以外の意図は無いです。
アッでも薄くミシ(→)ウォルの気配はしてる。
そんな感じ。
気を付けてね。
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ウォルターの身体がちいさくなってから、数日が過ぎた。コーラルの爆発に巻き込まれ、半世紀ほど前に巻き戻った姿は、戻る気配がない。
知った顔ばかりの会議を終えてウォルターは廊下を往く。身体が半世紀前に戻ったと言っても、失われた部位や機能まではもちろん戻らず、ウォルターは杖をついて歩いていた。
会議室を出る際に、送って行こうかとありがたい申し出をしてくれる声はあった。けれど彼らにも予定があるのだし、この程度で世話をかけたくはなかった。
代わりに持たされた飴やらチョコレートやらをポケットに感じながら、人気のない廊下を歩く。
相変わらず、子供の体躯に優しくない縮尺だ。
つま先立ちでカードキーを認証機に当てると軽い電子音がしてドアが開く。
大きなデスクの上には紙の束が山積みになっている。
なかなか減らないそれから眼を逸らしつつ、ウォルターは簡易キッチンへ向かった。
電気ケトルで湯を沸かしながらインスタント飲料を漁る。この数日で、いくらか種類が増えていた。
少し迷って、カフェラテのスティックを取る。
マグカップの底に積もるのを「砂時計のよう」と思いながら、小さなスプーンを放り込む。無情にも崩れたカフェラテの粉末を、ウォルターは見てすらいなかった。
ややあって、電気ケトルがぽこんと鳴って沸騰を知らせる。
トポポポポ、と湯を注ぎスプーンで中をかき混ぜる。チョコレートにも似た色が渦を巻いた。
湯気を立てるマグを片手にウォルターはデスクへ向かう。部屋の中心に置かれたテーブルは来客、応接用だ。
何とか確保された作業スペースにマグを置いてから子供にはいささか大きいチェアに腰かける。足が地面から浮いたけれど、ウォルターはもう気にしていない。
ポケットの中身をデスクに乗せて、ちびりとカフェラテに口をつけながら、書類の山へ手を伸ばした。
報告書の類いは、大体が眼を通すだけでいい。一通り眼を滑らせて、気になるものは避けて後で再度読む。
署名の類いが必要なものも、一度は眼を通す。ウォルター一人の判断で決着のつくものはつけて、つかないものは避けて後日カーラたちと吟味する。
通知書や招待状、依頼文なんかも仕分けて――端末のメールボックスや連絡板を確認するのもこれらの一部だ。
種類は違うと言うのに内容は似たり寄ったりな書類と格闘するうち、マグは冷えていった。
デスクに築かれた山々の高さが、少し均されただろうかと言う頃合いで、ウォルターは溜め息を吐いて眉間を揉む。手放されたペンが、音もなく転がっていた。
「うぉるたー!」
不意にドアが開いて、どこか辿々しい声が飛び込んできたのはそんな時だった。
「うぉるたー、大丈夫? 無理、してない? 休憩、しよう? これ飲んで?」
621が何かを片手に部屋へ入ってくるのをウォルターは見る。
立ち上がろうとする前に621はチェアの前へ辿り着き、恭しく片ひざをついて手にしていたそれ――たっぷりの生クリームが盛られた、コーヒー入りのペーパーカップを差し出した。
どこか期待するような眼差しに、反射的に受け取ってしまう。と、621はいよいよ口許を綻ばせてウォルターの膝に頭を預けてうっとりし始めた。
「……621、仕事はどうした? と言うか、どうやってロックを解除したんだ?」
ひとまずカップをデスクに置き、ウォルターは問いかける。621は今日も復興や哨戒など、ルビコン各地で仕事があるはずだ。
「鍵はね、エアが開けてくれた。仕事はね、ちゃんとしてる」
目を細めながら621が答える。細く薄くなった飼い主の手が、おそらく無意識に、自分の頭を撫でているのに胸がふわふわ暖かくなる。
仕事の合間を縫って、621はウォルターの元を訪れたのだ。ウォルターの対応は、何よりの労いだった。
対するウォルターは、あっさりと告げられたハッキングに肩を落としていた。おそらく、“このレベル”の施設の防備など、無いも等しいものだろう。
「あのねうぉるたー、おれちゃんと仕事するからね、見ててね、ずっと」
621は遂にウォルターの腰を抱え込む。腹に押し付けられて、声がくぐもった。
ウォルターは、おそらく最後だろう、己の猟犬の言葉に「そうだな」と頷く。平坦にも聞こえる声だった。
けれど621はくふくふ小さく肩を揺らして、薄く柔らかい腹に額や鼻先をぐりぐり押し付ける。
「おれはウォルターの犬だから、ぜんぶウォルターのためだからね、おれがどこに行ってどんな仕事してもウォルターのためだから、帰ってくるから、信じて待っててね。ウォルターの犬はウォルターのだからね」
嬉しそうにそんなことを言う621に、ウォルターは手を停めた。
それからウォルターは手ずから菓子を食べさせてやって――食べさせないとしまいこんでダメにしてしまうのだ――ルビコンの英雄を仕事に送り出した。
何度もこちらを振り返る621を見送ったウォルターはチェアに座り直す。マグの中身は薄く底が見えていて、重たいペーパーカップはまだ熱さを保っていた。
次の来客は数分の後だった。
カップを両手で包んだまま、バベルの塔じみた生クリームを見つめていたウォルターの耳に、またドアの開く音が入ってくる。
「やあ少年。ちゃんと息抜きしてるかい?」
軽い調子で片手を上げているのはカーラだった。
「もう少し複雑なキーにした方が良さそうだね。いっそ生体認証にするか」
「そもそも勝手に開けるな」
「何言ってんだい、れっきとした防犯テストだよ」
カーラは不定期的に施設のシステムアップデートをしている。そのためのデータ収集の一環だろう。せめて事前に一言欲しいと思った。
まあ、今回は「名目」的なものなのだろうが。
621同様、またウォルターの手が回せなくなった分も仕事があるはずのカーラは、しかし足取り軽くデスクへやってきた。
広げられた書類の上に、でんと紙袋が乗せられる。
「なんだこれは」
「差し入れ。……うん? これ最近できたカフェチェーンのじゃないか、いつの間に?」
デスクの上に置かれたままの生クリーム乗せコーヒー――ウィンナ・コーヒーと言う認識でいいのだろうか――を見てカーラが言う。少なくとも今日、外に出るウォルターを見ていないから、当然の反応と言える。
「621が持ってきてくれた。だが、そうか、完成したんだな」
他星系にも展開しているカフェチェーンがこのルビコンⅢにも進出するのは、書面では把握していた。
だがそれが何時の話なのかはもう覚えていなかった。
進出が決まったとて成就に至るまでは長く、また成就できるかすら分からない。企業の進出交渉と同じくらい、撤退報告を受け取っている。
ウォルターにとって企業とは数あるもの、特別なものではなかった。
しかしこうしてルビコンⅢで営業を始めた――始められた事実を見れば、少なからず感慨と言うものを感じる。その企業に対して。何より、ルビコンⅢに対して。
ルビコンⅢにも、621にも、いずれウォルターは必要なくなる。
その事実が見えた。
「復興の兆しだ」
カーラが目を細める。眩しいものを見つめる眼だった。
ウォルターも頷きながら――しかし眼は逸らして――紙袋へ手を伸ばす。
少年の手が紙袋の中へ入り、かさりと乾いた音が立つ。
袋の中でウォルターの指が何かに触れた。
ウォルターはそれを引っ張り出す。ウォルターには、持つ資格のない感傷は、その中身と入れ替えるように押し込める。
袋から出てきたのはクッキーだった。
シンプルな、きつね色の焼き菓子がタッパーに詰められている。
ホームメイドらしいそれを見て、ウォルターが「ほう」とこぼした。
「ハンドラー見習いと猟犬筆頭とね。まあ、これも「普通」の人生のためのリハビリさ」
ルビコン入りする前、某独立傭兵に手酷くやられたある猟犬は、あろうことかウォルターの元へ戻ってきてからその下でハンドラーを志した。
パイロット生命が絶たれたとは言え、何故戦場に戻るような選択をするのかとウォルターは当然愕然とした。だが、ウォルターに他人の選択を否定する権利なんて無いから――本当にこれでいいのかと悩みながらも「見習い」として度々仕事に同行させたりしている。
現猟犬の中で最小番号である猟犬筆頭もまたルビコン入り前に瀕死の重傷を負って――猟犬たちが助かったのはウォルターのエゴだ。だって死んで欲しくなかった。僅かにでも可能性があるなら、それに賭けたかった――そのまま前線を退くものと思っていた。退いて欲しいとすら思っていたけれど、筆頭含めた猟犬たちは、飼い主顔負けの粘り強さで、飼い主の元へと戻ってきたのだ。
猟犬たちが戻ってきた時のウォルターは、実に「人間らしい」反応を見せた。少し前の話だ。
「そうか。礼を言う、カーラ。……あいつらも、早いところ引退してくれると良いんだがな」
「普通の人間になっても会いに来ていい、とか言ってやればいいんじゃないか?」
「一般人が「ハンドラー」と顔を会わせるのはマズい。普通の人生を手に入れたら、俺なんかとは会わない方が良いんだ。俺のことは忘れて生きてもらわなければ」
「はは、そりゃ全力で嫌がりそうだ」
「何故だろうな。はぁ……前途多難か……」
軽い調子で笑うカーラとは対照的に、ウォルターは真面目に考え込んでいた。
うんうん唸りながらもせっかくだからとクッキーを摘まむ。
うまい、とこぼれた声に、カーラはまた笑った。
621と同じく、仕事の合間に来てくれたらしいカーラはそれからすぐに自分の仕事に戻っていった。
今日はもう事務仕事ばかりであるウォルターは、実のところ終業時刻も休憩のタイミングも好きにできる。
手を止めていた時間は分からないけれど、そろそろ再開するか、とペーパーカップとタッパーを作業スペースの脇へ寄せた時だった。
来客を知らせるブザーが鳴った。
チェアから降りたウォルターはとことことドアへ向かう。スモークガラスの向こうに、濃い影が見えた。
パネルの開ボタンを押してドアを開ければ、ラスティが立っていた。
「ちゃんとモニターを確認したか? それと、キーはもう少し複雑なものにした方が良い」
ラスティの隣、ドアロック兼インターホンの前に立っていたのはオキーフだ。堂々とハッキング用の端末が上着のポケットにしまわれた。
「ハンドラー・ウォルター、少し時間をもらえないだろうか」
半目になってオキーフを見上げる少年に、ラスティは微苦笑しながら訊いた。
ラスティがウォルターを訪ねてくることはほとんどない。専ら通信でやり取りをしている。接触としては、どちらかと言えば、ミドル・フラットウェルとの方が多かった。
「構わない。入ってくれ」
数日後に控えた星外企業との交渉についてだろうか、なんてあたりをつけながらウォルターはふたりを招き入れた。
来客用のテーブルへ誘導すると、ふたりは並んでソファに腰を下ろした。
そして間をおかずに、ラスティは最近見た憶えのあるロゴマークがプリントされた紙袋を、オキーフはアーキバスコーポレーションの社章が入った瓶をテーブルに出した。
「差し入れだ。受け取って欲しい」
「……ああ、最近完成したあのチェーン店のものか」
「知っていたのか」
「621がコーヒーを持ってきてくれた」
「そうだったのか。だったらぜひ茶請けにしてくれ。……そうか、戦友はちゃんと買えたんだな」
「621のアシストをしてくれたのか。礼を言う」
「そんな大層なことはしていないさ」
一方、ふたりの会話を聞いていたオキーフは浮かしかけていた腰を下ろした。
その不審にも思える動きに、ウォルターは首を傾げる。
「どうかしたのか」
「……いや、これは淹れなくていいようだからな」
「そう言えばそれは何だ? いや、コーヒーなのは分かるが……アーキバスは食品も扱っているのか?」
オキーフが持ってきた瓶は、つまりコーヒーだ。
それを訊かれて、オキーフはどこか得意気な表情を浮かべる。
「いいや? これは社員限定販売の品だ」
「フィーカ好きが高じて、オキーフが企画と監修をしたらしい」
「そうか。それはきっと美味いのだろうな」
「オキーフの淹れるコーヒーは……あれは、美味いのか?」
「美味くないのか」
「いや、コーヒーと一口に言っても淹れ方や飲み方は色々あるだろう? だから……うーん……私としては、そうだなあ……」
「あれがいいんだ」
要領を得ないラスティにオキーフが断言する。強い意思を隠そうともしない声は、あまり聞かないものだ。拘りがあるらしい。
「……だそうだ」
ラスティは肩を竦めて見せた。
「普通に淹れても美味いから適当に飲んで感想を聞かせてくれ。次に活かす」
コーヒーに対するレビューを求めるオキーフは何を目指しているのだろう。独立してカフェでも開くのだろうか。
少年はぱちくり瞬きをした。
「……それで、本題は? 聞かせてくれ」
一向に仕事の話をしないふたりにとうとうウォルターは訊く。
するとふたりは目を丸くしてウォルターを見た。
「な、なんだ?」
同じような表情だ――と思いつつ、ウォルターは思わず怯む。
ふたりは、それから顔を見合わせた。
「いや……本題も何も無いが」
「え?」
「強いて言えば、坊に差し入れを持ってくること、だな」
本当にそのためだけに訪ねてきたらしく、それぞれが「次」もあることを仄めかして帰っていった。
どちらも、組織や企業について、一言も触れなかった。
ラスティが持ってきたのは砂糖代わりにも使えるマシュマロだった。
タッパーから直接クッキーを摘まみながら書類を捌く。生クリームはコーヒーと共にだいぶ嵩を減らした。
ちいさな身体は大きな仕事をしにくいけれど、書類を捲っているばかりでも「仕方ない」と思えるのは、ウォルターにとって良いことだった。
ふ、と息を吐いて集中が途切れる。
端末を手繰り寄せて時間を確認すれば、そろそろ夜に差し掛かる時分になっていた。
腕をまっすぐ天井へ向けて背筋を伸ばすと、空気の弾けるような音がした。
ウォルターはデスクを片付け荷物をまとめると部屋を出た。
ひとつにまとめた紙袋が身体の横でかさりと揺れる。
今日は随分と来客が重なった。嫌ではないが、意外ではある。
ウォルターは夕飯をとっていこうと食堂へ足を向けることにする。自炊はできるが、ちいさくなってからは主に身長の関係でキッチンに長居していなかった。
施設の各所へ繋がる廊下のひとつからエントランスへ出る――直前だった。
「!」
薄い肩に乗った大きな手が、人気のない廊下へウォルターを引き戻した。
「なんっ……!」
壁に背中を押し付けられ、更に口を塞がれる。見開いた目を覗き込んできたのは、見覚えのない男だった。
「テメェ、なんだァ? ここの奴のガキかァ? ンならちょうどいい……くひひ、テメェにゃア金になってもらうぜェ……」
男は目の前の子供がウォルターだと知らないようだった。
しかし、面倒なことになった。
一般のルビコニアンにも開放されているエリアまで、様子見がてら足を伸ばしたらこんなことになるとは。
取り落とした杖が遠い。ウォルターの指先が、男の手を引っ掻いた。
下卑た男の笑みを、せめてもと睨み付ける。
男はそれを面白がって嘲笑を深め――奇妙な声を出しながら横に吹っ飛んだ。
つま先立ちになっていた身体がくずおれて、楽になった呼吸を整えようと胸元を押さえる。足音がひとつ、目の前で立ち止まって影を落とした。
床に転がっていた杖が脚の側に置かれる。温かくて大きな手のひらが、背中を擦った。
のろのろ顔を上げると、そこには精悍な顔があった。
「ん。平気か?」
「G4、ヴォルタか」
「おう」
「礼を言う。面倒をかけてしまった」
人懐こそうに口許を緩めた青年に礼を言って、壁と杖を支えにウォルターは立ち上がる。
紙袋も持たせてもらい、ウォルターはそう言えばと男が吹っ飛んでいった方へ顔を向けた。
そこには、青年が男に馬乗りになって何度も腕を振り上げては勢いよく振り下ろしている姿があった。
「ま、待て、やめろ、やりすぎはよくない」
青年の尻の下に投げ出された足がビクンビクン跳ねているのを見てウォルターは慌てた様子で言う。
すると青年は腕を止めて振り返った。そして意外なことに「よっこらせ」と平坦な声と共に立ち上がってウォルターに向き直った。
「良いのかよ、ガキ拉致って金せびろうとするクズだぞ」
呆れたように言うのは、やはりG5のイグアスだった。
「ルビコンの現状を考えれば、その男の行動の方が普通だ。警備に連絡してくれ」
「甘っちょろェ」
壁の内線で連絡すれば、ものの数分でスタッフがやってきて男は回収されていった。
それを見送ると、ウォルターはふたりに向き直る。
「世話をかけてしまった。礼を言う」
「気にすんな、たまたま見かけただけだからよ。治安維持の一環だ」
今のレッドガンはルビコンⅢのインフラ整備ついでに治安維持活動の一端も担っていた。ウォルターたち「中央」の人間だけでは拾いきれない、小さなトラブルや揉め事を――時には文字通り――潰してくれている。
「野良犬に獲物横取りされた憂さも晴らせたし、なんてこたァねぇ」
「仕事帰りだったのか? なおさら悪いことをした」
「だから! こんくらい何ともねえって! 言ってンだよ!!」
ギャン! と吠えるイグアスを流して、ウォルターは「では」と当初の目的地への旅を再開しようとする。
その姿に、キャンキャン吠え続ける相方を余所に、ヴォルタが首をかしげた。
「どこ行くんだ? せっかくだ、連れてくぜ」
「そこまで世話になるのはさすがにな……ミシガンに何を言われるのか分かったものではないし」
「なッッッんで今その名前が出てくんだよっ!?」
「別組織の頭で、お前たちの上司だからだろう……」
「はは。で、目的地は? またこんなことがあったら、それこそ面倒なんじゃねぇか?」
「ぐ……そ、それは……、……はぁ。だが本当にすぐそこなんだ。あそこの食堂」
ウォルターが指さしたのは、言葉通り現在地からでも見える店構えだ。
ルビコン外のメニューも出しているその食堂には、企業ロゴ入りのブルゾンやらパイロットスーツやらを着た人影も出入りしている。
確かに、目と鼻の先だ。
他の店や他所のエリアへ向かう人の波を挟んで。
イグアスとヴォルタには、互いの視線だけで十分だった。
ウォルターがついていないのは、食堂に辿り着いてからもだった。
ふたりの屈強な青年に手を引かれて食堂につき、そのまま食事をすることとなったウォルターは、そこに見知った先客を見つけて、両手で顔を覆った。
「ふたりには……世話になった……礼を言う……」
「テメーなんでこんなとこにいやがんだよ」
「今日のスコア、イグアスがあいつに次いで2番目だったぜ」
「いーんだよ今日のスコアとか! いちいち報せなくても!」
「そうか。災難だったなウォルター。イグアスはよくやった」
終業後だからか酒が入っているからか、日頃若人たちをドヤす声は穏やかなものだった。
G1、ミシガンは安っぽいビール缶を傾けながら青年ふたりと少年ひとりの話に耳を傾ける。
食堂が出すビール缶は、最近ようやくルビコン内に流通し始めた輸入品で、やはり高いものではない。飲み方によってはすぐにアルコールが回るが――ミシガンに酔いの気配はなかった。
「……ここは俺が払うから、ふたりは好きなものを頼め」
「マジか! 悪ぃなあ」
「おっしゃ、何頼んでも文句言うんじゃねーぞ」
なんて言いながらもイグアスとヴォルタはどれにする、あれも食べたいこれも食べたい等と言い合いながらメニューを眺め始める。
ウォルターは特に迷いもせず日替わり定食に心を決めていた。
「戻る気配は」
若者ふたりを横にミシガンがこぼす。
ウォルターはゆるりと視線をあげて首を横に振った。
「ない……というか、分からん。そもそもコーラル自体に分からないことが多すぎる。それが人体に作用するとなると、余計にな」
「そうか。まあ、良い機会だと思ってゆっくりすれば良いんじゃないか?」
何故だか常より柔らかい空気、声音で言われてウォルターはムッとする。
そしてミシガンの顔を見たウォルターは――その表情に言葉を失った。
「――よし。じゃ、頼んで来るからな。……そういやミシガンのオヤジも何か頼むか?」
「欲しけりゃ勝手に頼むだろ。行こうぜ、腹減った」
「ああ、構うな。さっさと行け」
空腹だからだろうか、青年たちは年寄りたちの顔などろくに見もせずに注文カウンターへ行ってしまう。
「……部下には見せられない顔してるぞ」
「見せんから安心しろ。見るのはお前だけだ」
苦し紛れの言葉は鼻で笑い飛ばされた。
レッドガンの3人は次の日も仕事があること、宿舎が遠いこと、何よりウォルターが固辞したことにより先に食堂から出ていった。
彼らに遅れることしばらく。しっかり食事を終えたウォルターも食堂を後にして、私室へ戻る途中の廊下で一休みしていた。
静かな廊下のベンチに腰かけてくちた腹を擦る。
目蓋が、うつらうつらと重たい。
視界がゆっくりと暗くなっていく。
意識が、灯りの無い廊下の先に吸い込まれていくようだ。
…………。
……。
……あたたかい。
揺れている。
……さらさら、つるつる?
あと、何か、なつかしいような、におい?
たしかめるため、頭を押し付ける。
くすぐったい。
……揺れた。
こえ。
声、が、する。
笑っている、気がする。
……なにを笑っているんだ。
というか、おまえはだれだ。
……だめだ、ねむくて舌が回らない。
「ふふ。……いい。そのまま寝ていろ」
声。知っている。
……ああ、俺は、この声を知っている。
なら、このままでいい、のか?
「シャワーなんかは起きてからだな。まあ入れてやってもいいが……どちらがいい」
このままでいい、なら、このままでいい。
このままでいいんだろう?
おれは、もう、とてもねむいんだ。
「……わかった。そうだな」
ああ。だめだ。意識が。
せめて一言。
せめて一目。
たしかめ、なければ。
「おやすみ、ウォルター」