お菓子作ってウォルに食べさせるニキが見たかった話。ゆるい。WD風なのはついでです。生存ifでお付き合い始める前のスラウォルもといスラ→ウォル。
レシピ:『世界のおやつ:おうちで作れるレシピ100』鈴木文 2021年9月第3刷 パイ インターナショナル
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サラサラと白い粉がボウルの中に積もっていく。ふるいにかけられてきめの細かくなった粉は手触りが良さそうだ。
アーモンドパウダー50g。薄力粉45g。片栗粉5g。塩0.5g。日頃料理をしているからか、それとも同じように菓子作りをしているからか、目当ての材料は概ねキッチンに置かれていた。粉糖は見当たらなかったので、グラニュー糖をコーヒーミルで挽かせてもらった。用意したのは30g。無塩バターは残っていた分を量ったら必要な量である50gちょうどだった。クーベルチュール・チョコレートは見当たらなかったので、これだけは街区へ買いに行った。必要な量は50g。残った450gは置いておく。カカオは60%。あの店はあまり品揃えが良くなかった。
粉類をふるい入れたら1cm角に切って冷やしておいた無塩バターを加える。ボウルの中身を合わせるためのドレッジカードは、あるとは思っていなかったから、見つけたときには「探してみるものだ」なんて自画自賛してしまった。
刻むように合わせていく。白い粉の波打つ音と、カードがボウルに当たる音が小さくする。単調な音と動きだ。
やがてボウルの中身は細かくサラサラとした粉状になる。そうしたらひとつにまとめる。これもまた遠慮なく取り出したラップで包んで冷蔵庫へ。待っている間、いちいち時計を見るのも面倒なのでタイマーをセットする。セットしたのは60分だが、多少遅れても問題はない。
ボウルやふるいやカードの片付けにかかる。……否。ボウルはまた後で使うから置いておいても良いか。ふるい、カードを洗って干す。量りも片して良いだろう。多少粉の散った台も拭いておく。
時間はまだある。
少し考えて――タブレットでカタログの確認をすることにした。
パーツの方は特に代わり映えがない。もとい、琴線に触れる物が無い。まあ、比較的小康状態にある今、おいそれと増えるような要因も無い。汎用性や纏まりの良い性能のパーツが既出ならばなおさらだ。次代の闘争に期待するか。
武器の方は更新がかかってページが増えていた。こちらは各企業や勢力が試作とか面白半分に何かしら増やしがちだ。良さそうな商品はあるだろうかと眼を落とす。
今のアセンブルに不満や不便は感じていないが、気分転換がしたくなる日も、時にはある。
ピピピピピ。軽い電子音が鳴って、タイマーが60分の経過を知らせる。カタログはあと数ページで見終わるところだった。
タイマーが鳴って10分程経ってからカタログを閉じる。酒と肴をいくつか注文したから、届くのが楽しみだ。
冷蔵庫から取り出した生地を、大体6gずつ、約30等分にしていく。生地に触れる前にしっかりと手を洗ったのは、これを食べさせる者に対する「愛」に他ならない。
愛。愛とはな。だが半世紀も前に絆されてしまったのだから仕方ない。あとは相手をオトすだけだ。たぶん、その時は近い。それとなく詰めてきた距離が、そろそろ効いても良い頃だ。「狩り」の成就は10割でなくては。
球体状に丸めた生地をクッキングシートを敷いた天板に間隔を空けて並べていく。ころころと丸い球が、行儀良く整列する。
オーブンは160℃に予熱していた。生地を並べた天板を入れ、約15分焼成する。焼き上がりを待つ間、手持ち無沙汰にタブレットで受信メッセージの確認をする。新規の指名依頼は無し。依頼の支払完了を知らせるものが数件。それからこれは――記憶に新しい、私的なやり取りだ。
焼き上がった生地はケーキクーラーで冷ます。おそらく、このケーキクーラーは日頃の菓子作りでも使われているのだろう。パウンドケーキやクッキーなど、一緒に作りたいだの食べたいだのと、ねだられていそうではないか。
さて。生地を冷ましている間、チョコレートを溶かしにかかる。
ボウルにクーベルチュール・チョコレートを入れ、約55℃の湯煎にかけて溶かしていく。手間だが美味い菓子を作るためだ、仕方ない。手間ついでに水冷法でテンパリングもしてしまう。
チョコレートができれば大詰めだ。
クッキー生地は2つ1組で使う。片方の底面――平らな面にチョコレートを乗せて、もう片方をかぶせる。平らな面に挟まれて、チョコレートが艶やかな境界を描く。
皿に並べれば、さあ完成だ。
ダイニングルームの扉が開き、家主がその帰宅を知らせたのは、片付けも全て終わり、ちょうどコーヒーを淹れるための湯が沸いた時だった。
「帰ったか、ハンドラー・ウォルター」
「スッラ……!? なぜ貴様がここに……!?」
「手は洗ったか? 席につけ。ティータイムだ」
家主――ハンドラー・ウォルターことウォルターが驚愕と警戒を隠しもせずに身構える。無理もない。旧知とは言え、長らく敵対していた――とウォルターは思っている――男がごく自然な様子でキッチンから顔を出したのだから。護衛として共に外出していた猟犬を「帰宅したのだからもう護衛は無くて大丈夫だ」と下がらせていて良かった。この来訪者と猟犬たちは、いまだに和解の気配を見せないでいる。
破綻への猶予と、未来への希望が見出だされた今、男――スッラはウォルターの前に立ちはだかることをしていない。まるで肩の荷を、ひとまずは下ろしたウォルターに寄り添うように接触してくる。半世紀前の、まだ罪も使命も知らなかった頃のように。
その分かりやすい例がこの「ティータイム」だった。どこかしらから菓子だのを調達してきて振る舞う。そのどれもがウォルター好みのものであるのは半世紀以上に渡る観察と分析による理解度の高さ故だろう。
今のところ、害の無いスッラの気まぐれだと認識している「ティータイム」にウォルターは応じる。断る理由が特に無いこと。人も物も無下にできない性質であること。そして何より、スッラの用意する甘味が楽しみになってしまっていること。
「砂糖は入れるか?」
スッラがウォルターの前にマグを置きながら訊く。マグの中身はカフェラテだった。
「……必要ない」
「そうか」
少しだけ拗ねた声にだろう、小さく笑いながらスッラはキッチンへ引っ込む。技研都市が健在だった頃ならいざ知らず、今やウォルターはブラックコーヒーを飲めるようになっているのに! 僅かに大人げなくなった口元を隠すようにマグを傾ければ、程よい苦味と牛乳(ラッテ)の甘さが実にちょうど良かった。
スッラはすぐに戻ってきた。自分の分のコーヒーを入れたと思しきマグと、何かコロコロとした菓子の載った皿を手にしている。
そして、コトリとテーブルに皿が置かれる。ウォルターの目が、どこにでもいる子供のように輝いた。
「良いぞ。好きなだけ食べろ」
クク、と喉で笑ってスッラが言う。
「……では、いただき、ます」
おずおずとウォルターが皿へ手を伸ばす。声音と瞳に期待を乗せて。イタダキマス、と言う食前の挨拶も少年の頃のままだ。
スッラがウォルターを眺めて目を細めているのとは対照的に、さくりと皿の上の菓子を食んだウォルターは微かに目を丸くしていた。
「美味い」
思わず、といった風に言葉がこぼれる。
「美味しいな」
キラキラした目がスッラを写す。あれだけの運命を歩んでなお失われないその純粋に、スッラは堪らなくなって肩を揺らす。この少年が生きている限り、きっと自分は「人」でいられる。
「ふっ、ふふ、っはははは! そうか、美味いか。それは良かった」
滅多に見ない聞かないスッラの大笑に、ウォルターは先程とは違う意味で目を丸くする。
スッラは皿からひとつ菓子を取り口に運ぶ。うまくできている。コーヒーも、まあ悪くない。釣られるようにウォルターも菓子をひとつ摘まむ。そのタイミングで。
「貴婦人のキス」
スッラは口を開く。
「ふあっ?」
「その菓子はな、貴婦人のキス、と言う名前だ」
婦人とのキスはどうだ? と訊いてやれば、目に見えてウォルターの頬が赤くなる。そんな少年に見せつけるように、わざとらしく、もうひとつ菓子――「貴婦人のキス」を口に運ぶ。口付けるように。
「そ、そうなのか。ずいぶん洒落た名前だな」
顔の赤みを隠すようにマグが傾けられる。そして、咳払いをひとつ。顔はまだ熱を帯びているけれど、跳ねた胸の鼓動は何とか押さえられた。と思っていると、
「まあ、私はお前とのキスの方が好きだが」
なんて言葉が飛んできた。
何も言えないウォルターの唇が、薄く息を吐いた。
スッラはマグを傾けながらそれを見ていた。満足そうに愉しそうに、口元は弧を描いていた。
「さて。では私はこれで失礼しよう。先月貰った分は返せただろうしな」
言いながらスッラは席を立つ。
カタンと椅子の動く音から一拍遅れて、ようやくウォルターの喉から声が出た。
「先月……? そのために、わざわざ? いや、返してもらうとか、そんなつもりは無かったのだが」
先月、依頼に協力してくれた礼に、スッラへウォルターはちょっとした菓子の詰め合わせを贈った。あまり甘味を口にするイメージはないが、独立傭兵にも糖分補給は大切だと思ったからだ。……少し作りすぎて、余っていたし。
心当たりがあるとしたらこれだけだ。そしてこれは当たっているらしい。
「そうか。美味かったぞ」
「え? あ、ああ……そう、か。口に合ったなら、よかった」
ウォルターは安堵の表情を浮かべる。世辞を言ってもらえる程度にはマシな出来だったこと。おそらく、ちゃんと食べてもらえたこと。褒められたり、感謝されることを期待して渡したわけではないけれど、何かしらのリアクションが返ってくるのは嬉しいものだ。何よりこの男(スッラ)は、自分(ウォルター)よりも遥かに――滅多にその場面に出会さないのだけれど――器用だし舌も肥えているから。
ザアザアと水音がする。スッラがマグを洗っているようだった。
食器ひとつの洗い物などすぐに終わる。ややあって止まった水音の後、足音もなくキッチンからスッラが出てくる。椅子に座る気配はない。もう出ていくつもりのようだ。
「ぁ……スッラ、馳走になった。この菓子は、とても美味しい。……カフェラテも」
横を通り抜けようとするスッラに声をかける。すると頭上から柔い視線が降ってきた。
「全てお前のものだ。好きなように食べろ」
ぽん、と頭に手が置かれて、意外なくらい優しい手付きで髪を撫でられる。それは、ああ、昔髪を撫でてくれたものと、変わらない動きだ。
「ああ。とても美味いから、猟犬たちと食べる」
「それは犬のエサじゃあない」
「ええ……」
好きにしろと言っておきながら、ウォルターの言葉に分かりやすく不機嫌な声が返ってくる。頭に乗せられた手に力が込められて、相手の顔が見れない。けれど、視線もまた不満を訴えていることは何となく分かった。何なんだ一体。
「で、は、ひとりで楽しませてもらう……」
「そうしろ」
だが猟犬たちに何かあっては良くないと、ウォルターは言葉を訂正する。そうすれば、ずしりと重くのし掛かっていた空気があっさりと上機嫌に軽くなる。
くしゃりとスッラの手が髪を乱して退く。それから、するりと男の武骨な指先が顎をすくった。
「っ!?」
そして、くちびるに柔い感触。目の前に自分を写す瞳があった。呼吸が止まる。
ではな、と離れていく声と影は、しかし数歩分の距離で何かを思い出したように止まった。
「ああそうだ。無塩バターが無くなったぞ。それと、余りのチョコレートはお前の好きにしろ」
それだけ言って、スッラは今度こそ部屋を出ていこうとする。ウォルターはその言葉にまさかと皿とその背中を交互に見た。
「まさか、これは、貴様が……!?」
返ってきたのは、ひらひらと振られる手の甲だけ。カタンと椅子を押して浮いた腰は、しかしスッラの背に追い付けないことを知っているから、崩れるように椅子の上に戻る。パタンと扉の閉じる音と、ほとんど同時だった。
顔に熱が集まってくるのが分かった。
テーブルに肘をつき、組んだ手の甲に額を乗せる。熱を逃がすように大きく息を吐いたけれど、視界に件の菓子が入ってまた熱が上る。
もうどんな顔をして残りを食べれば良いか分からない。
ようやく少年に芽吹き始めた私的で素敵な小さな感情を、貴婦人の微笑みが皿の上から見ていた。
Baci di dama:バーチ・ディ・ダーマ。貴婦人のキスを意味する北伊生まれのお菓子。