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【ACⅥ】蛇眼の犬【SSS】

あるいは邪眼。
21ウォル怪文書。周回記憶有り21×周回記憶無しウォル。前後半が同一√なのか別√なのかは特に決めてないです(えっ)


 強化人間C4-621は目を覚ます。

 見慣れたガレージ。見慣れたハンガー。見慣れた機体。何もかも、“見慣れた”風景だ。

 また、日々が始まる。

 621は、ともすれば無機質な眼で周囲を確認した。手にしていた端末を見れば、傭兵支援システムから通信が入っていた。

 621はルビコンⅢで仕事をこなす。それが定められたルールだからだ。飼い主が企業や解放戦線からの依頼を取り次いでくれる。それを621はこなしていく。信頼と実績を作り、この星で活動しやすくするためだ。

 ――表向きは。

 621は、ずっと考えていた。コンピュータやシステムが演算するように、淡々と思考を巡らせていた。

 自分の飼い主についてだ。

 621の飼い主(ハンドラー)であるウォルターを、621は慕っている。それはもしかしたら、刷り込みとか執着とか信仰のようなものかも知れなかった。真実は分からない。621当人が、漠然とウォルターを「好いている」のだから、621はハンドラー・ウォルターを慕っている、としか言いようがない。今はまだ。

 そして621の目下の悩みはウォルターの命についてだった。

 621には前世の記憶がある。否。前世どころではない。ルビコンⅢに来てからの記憶が、すべて残っている。

 ウォルターの意志を継ぐことを選び、ルビコンⅢを含めた星系を焼き払う記憶。

 人とコーラルの可能性を信じることを選び、ルビコンⅢを解放する記憶。

 脆い肉体を捨て、ACとして永遠の闘争を謳歌することを選ぶ記憶。

 その道中で出会い、そして別れた人々。

 殺し殺されが折り重なり積み重なる記憶の、その中で。

 ウォルターは、いつだって最後に621の傍に居てくれない。ウォルターはいつも621を置いていく。その手を離すのが621にとっての最善だと言うように。

 だから621はウォルターのことで悩んでいる。どうすればずっと一緒に居られるのだろう、と。

 酷い話だが、もう何度も繰り返した依頼は大体が片手間だ。特に“序盤”のものは。

 今日も621はウォルターのことを考えながらACを駆る。

 「仕事は終わりだ、621。帰投しろ」

 この声と、いつまでも共に在りたいのに、と思いながら。

 そして今回も621は「壁」を越えた。かつての僚機を見送って、相変わらず気さくな僚機を伴って。

 もはや「壁越え」に何の感慨も持てない621は、その日も機械的にガレージへ帰投した。

 結局――何が最善なのだろう。

 ウォルターを拐ってしまえば良いことはわかる。

 だが、どのタイミングで?

 ウォルターは友人たちから託された使命を己の存在意義としてしまっている。普通に拐ったのでは駄目だ。きっと逃げられてしまう。ウォルターは強いのだ。悲しいくらいに。

 ならば壊してしまうのはどうだろう。何も思い出せないように、何も考えられないように、幸せな夢に沈めてしまおうか。

 澄まし顔でお高く止まった星外企業が思い浮かぶ。アレと同じことをこの手で?

 もしくはウォルターの「使命を果たす」と言う意志を折れば良いだろうか。下準備も根回しも全てぶち壊して、ウォルター以外の全てを排除して、打てる手は無いのだから諦めろ、と。

 尾を噛み合う3匹の蛇を思い出す。

 ああ。あれは、C1-249は、きっと間違いなく、今のC4-621と同じものだった。

 そんな未来の――否、鏡写しのような存在を“また”殺して621は進む。

 ふと、あれの「何度でも殺してやろう」と言う台詞は、こう言うことでもあるのだろうと思った。

 あれは何度でもウォルターの犬を殺す。違う番号の犬だろうが、同じ犬だろうが。

 621も同じだ。何度でもあれを、ウォルターの障害になるものを、殺す。

 進ませぬために殺す者と進ませるために殺す者。異存同質の執着。

 「その猟犬は、やめておけ……」

 あれが最期にウォルターへ言い遺した言葉を思い出す。

 良い兆候だと思った。

 僚機を伴わずに発せられた今際の言葉。今までにはなかったパターンだ。どうやら分岐点は通過していたらしい。それがどこだったのかは分からないけれど。

 621の口端は微かに上がっていた。

 そしてまたベリウス北西のベイエリアは消失する。歯車が、大きく回り出した。

 621は手始めに、頭の中の友人に自分の目的と事情を話す。“彼女”は善い隣人だ。きっと協力してくれる。そんな確信をもって。

 実際――彼女は621の話にいたく興味を引かれたようだった。刷り込みのようなものだろう。621の語るウォルターの話に、彼女ことエアは聞き入っていた。

 そうして621はエアを引き入れる。どう転ぶか分からない未開の道へ。その暗闇の先に見える薄ぼんやりとしたウォルターの背中を捕まえるために、621は人間の最も度し難い部分をエアに見せた。

 とは言え――621はエアに対しても好意を持っていた。だから共犯者にした。

 自分とエアとウォルターと。いい加減、3人で穏やかに暮らしたいのだ、621は。

 “物語”は滞りなく進んでいた。はじめはアーカイブでも追うかのように傍観のきらいを見せていたエアも、ひとつふたつと621の“言った通り”に事が運ぶのを見れば、621の言葉を信じるようになった。

 「レイヴン。この先はどうしますか? やはりV.Ⅱスネイルを叩きますか」

 G3五花海とV.Ⅵメーテルリンクを屠った後の道でエアが囁く。621は当然頷く。機体を旋回させると、通常では進むことのできなかった道が、何食わぬ顔をして拓けていた。

 差違や齟齬は随所にあった。その結果が、今こうして顕れている。

 エアにノイズを作り出してもらう。通信回線の不調を装い、ウォルターとの通信を一時切断する。一時とは言え、嫌な感覚だ。

 とかく、行動をしなければどうにもならない。621は下水道へ飛び込み、身を潜めているであろうV.Ⅱスネイルの元へ向かう。“どの”ルートでもメーテルリンクはスネイルを呼ぶ。今回も呼んでいた。ならばスネイルは居る。そこが奴の定位置なのだ。

 思考も行動も理にかなっている。素晴らしい敵。あるいは味方に引き込めたなら、ウォルターの良い同僚となってくれることもあるだろう。だがそうはならない。奴は――「調整」を受けすぎている。奴がウォルターを同僚に“する”ことはあっても、奴がウォルターの同僚に“なる”ことはない。

 残念だ、等と小指の先程度に考えながらオープンフェイスをスクラップにする。急いで地上へ戻らなければ。

 ウォルターは困惑していた。

 コーラル集積地でアイビスシリーズCEL240を撃破した後、バスキュラープラントの傍で621と合流した時のことだ。ACから降りてきた621が「燃やさなくても良い」とウォルターの両手を握ったのは。

 「大丈夫。燃やさなくても良い。増えたなら、減らせば良いだけだから。丸ごと燃やすなんて、しなくて良い。人とコーラルは、共存を目指せる」

 「何故そのことをお前が……? いや……しかし……、どうやって……? 621、お前には、何か考えがあるのか……?」

 「友人ができたんだ。その友人に協力してもらう。大丈夫。彼女はコーラルのことをよく知っているし、ウォルターのことも知っているから」

 IB-07:SOL644が621のACの横に降り立ったのは、621の言葉が一区切りついた、その時だった。

 突風と轟音と共に、人間が乗れるはずのない機体が、飛来した。そしてその機体を操るものは四肢五体にまだ慣れていないのか、少しふらつきながら着地して、地面に膝をつく。唖然として自分を見上げるウォルターと、目線を合わせようとしたのだ。

 「はじめ、まして。私は、ルビコニアンのエア。レイヴンからあなたの話は聞いています、ハンドラー・ウォルター」

 普段AC内の621と遣り取りをしているデバイスから、女性の声が聞こえてくる。目の前の人物を見る。621だ。確かにウォルターの両手をその手で握っている。

 「ウォルター、突然こんなことを言われても戸惑うと思います。しかし、信じてください。レイヴンは確かに未来のことを知っています。そしてあなたを何度も失っている。けれど今回は、まだ分からない。可能性がある。“私たちが”、手を取り合える可能性……いいえ、あなたの手を握って離しませんよ。私とレイヴンは」

 そんなことを熱弁された。

 ウォルターの不自由な足が、半歩後ずさる。気圧され、逃げたように見えた。

 実際それに近い。無人機を操作するルビコニアン。目の前の狂的な視線を向けてくる621。理解も整理も追い付かない。

 「ウォルター」

 621がウォルターを呼ぶ。平坦な声だ。

 ぐい、と引き寄せた力は強かった。621の腕の中に、ウォルターが収まる。背中に回された腕が、ごそりと動く気配がした。

 621の手に人用スタンバトンが現れる。利便性のために腕を自ら切り落とし、替えた義手に仕込んでいたのだ。

 バチン、と痺れる音がした。

 無表情と言うには穏やかな顔の621。そして621を呼ぶ焦ったようなエアの声。それがウォルターの、最後の記憶だった。

 「さあ、エア。仕事を始めよう。未来のための大仕事だ」

 夢を見ていた。幸福な夢だ。

 喪った者はいなくて、失った物はなくて、流れる血も少なくて、溢れる嘆きも僅かなもの。

 そんな夢を見ていた。

 夢なのだ。

 ウォルターが目覚めたのは、見知らぬ部屋だった。窓から星空が見えた。

 今どき珍しいベッドに横たえられていた。真っ白なシーツに程よい固さの枕とマットレス。

 ウォルターは身体を起こした。

 そして自分がシャツですらない、簡素な病衣を纏っていることに気付く。けれど手首や足首に識別のためのリストバンドや点滴の類いは見当たらない。

 床に足を下ろす。ベッドの近くに履き物の類いは見当たらなかった。ぺたりと裸の足裏が床に触れる。冷たかった。

 ひたり、ぺたり、と床の冷たさを踏みしめながら、明かりの無い部屋で光源となっている窓に近付く。

 窓を覗くと、無数の星光。そして、眼下に惑星が浮かんでいた。灰と黒の、まるで焼き尽くされたような無彩色な惑星だった。衛星軌道上の居住ステーションの一室、なのだろうか。

 ここは、どこなのだろう、とウォルターは思う。どこの星系で、どこの星の衛星軌道なのだろう。

 胸騒ぎがした。

 何か。何か、大切なことを――自分は忘れている。

 そんな気がした。

 それを確かめるためにも、この部屋から出よう。

 壁伝いに不自由な足を引きずりながらウォルターは部屋の扉を目指す。室内にはウォルターの足音と呼吸音と衣擦れの音。窓の外は当然無音。壁の向こうも――何も音がしない。静かだ。もしかしたら壁は随分厚いか、防音素材なのかもしれないけれど。

 とかく濃藍の静寂を漕いで、ウォルターは扉へ歩みを進めた。

 もう一歩。あと一歩。

 そうしてウォルターは、ようやく扉に辿り着く。

 どうやって開ければ良いのだろう、とウォルターが扉の観察を始めた丁度その時。

 パシュウ、と空気の抜けるような音がして、目の前の扉が開いた。

 「ウォルター?」

 人口灯に照らされた明るい廊下を背に、621が立っていた。

 「目が覚めたんですね」

 感情の起伏の無い、平坦な声。記憶にあるものと変わらない。目の前の621だって、そうだ。記憶の中にあるものと変わらない、621の姿。

 けれど、なんだろうか。この、違和感と言うか、重圧は。

 「無理はしないでください。一旦ベッドに戻りましょう」

 621が一歩踏み出す。ウォルターは一歩後ずさった。

 そこで、ぐらりとウォルターがバランスを崩す。支えの無い、不自由な足が縺れていた。

 あ、と双眸を幼くしながら後ろへ倒れ込むウォルターを、621の両腕がとらえる。伸ばされた手を取り、引き寄せて、背中を支える。

 そしてそのまま、ヒョイと横抱きに抱き上げられて――ベッドへ戻される。

 あれほど苦労した距離が、一瞬でなかったことになる。

 ウォルターをベッドへ下ろした621は、その顔を覗き込む。ウォルターの瞳に、無機質な顔の621が写り込んだ。

 「621……」

 目の前の存在に、何か空恐ろしいものを感じてウォルターはそれを呼ぶ。自分の知る「C4-621」であってくれ、と言う願いだった。

 「ウォルター」

 静かな声がウォルターを呼ぶ。

 「“私”のウォルター。貴方はずっと、ここに居ればいい」

 貴方を脅かす犬も烏も何もかも、私がみんな殺すから。

 C4-621はそう言って、上手に綺麗に笑ってみせた。

三千世界の鴉を殺し、僕は貴方に口付ける

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