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【ACⅥ】死ねない理由、また一つ

姫始めを企んだいぬの話。21ウォル。謎時空仲良し犬陣営。義体エアちゃん有り。

21ウォル。謎時空。仲良し犬陣営。

義体エアちゃん有り。


さらっとしれっと捏造とか妄想とか。

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 「姫始め、をしたい?」

 621の要望を、ウォルターは復唱して確認した。

 まず前提として、621の飼い主であるハンドラー・ウォルターは「ニホン文化」とやらをよく知っている。買い取られたばかりの621に出してくれた「オカユ」や、湯船に湯を溜めて浸かることなんかも「ニホン文化」の一端らしい。サシミ、ショウユ、ナベ、ウドン。ウォルターとの生活には、ニホンの影が見え隠れしている。

 だから621が「ニホン」に興味を持ったのも当然のことだと言えた。飼い主の行動の基礎となっているらしい文化なら、知っておいた方が共に生活していく上で良いだろう、と。

 その結果がこれである。

 「ニホン文化」を調べていく中で621は辿り着いてしまったのだ。姫始めなる行事(イベント)に。そして更に手に入れた情報が「姫始めとは寒い時期に行うもの」だったため、621はこれ幸いとウォルターに提案したのである。

 ――調べた情報と言うか、調べ方に偏りがあったことは否めない。でなければ、姫始めなんて語には辿り着かなかっただろう。

 一方のウォルターは、621の提案した内容を、実のところよく理解していなかった。ウォルターの中の日本文化の知識は、かつての恩師から教わったものと、それらへの理解を深めるために自主的に調べたプラスアルファのものくらいだった。日常生活の基本的なところと、季節の行事の有名所。そのくらいだ。

 つまり――姫始めなんて言葉を、ウォルターは初めて聞いたのだ。

 「ふむ。分かった。お前がしたいのなら、してみるか」

 だが621はそれを知らない。ウォルターは当然「ヒメハジメ」を知っていると思っている。

 「準備もあるだろうから、明日……いや、明後日でも良いか?」

 はてそんなに大仰な準備が要っただろうか。言ってしまえば、寒い時期にするセックスだろう。621は内心首をかしげた。けれど、ウォルターのことだ。自分の知らない「ヒメハジメ」についての情報を持っていて、それに基づいて「ヒメハジメ」をさせてくれるのだろう。手順とか、準備とか。なにより、ウォルターにとっては突然の提案なのだ。数日待つくらいはしてみせなければ。

 そんなこんなで、621はウォルターからの「待て」に頷いた。

 そして、約束の日の朝。

 621は鼻をくすぐる朝食のにおいで目を覚ました。ゴソゴソと寝床から這い出して、身支度を軽く整えてダイニングスペースへ向かう。

 キッチンは、設けられている。だが、滅多にそれが使われているところを621は見ない。しかし今日は、コンロもシンクもその役目をしっかりと果たしているようだった。

 トントントン。ジュー。何かを切ったり焼いたりする音が聞こえてくる。

 加えて、何やら楽しげな話し声。

 621は扉を開けた。

 「レイヴン! おはようございます。もうすぐできますから、席に就いて待っていてください」

 義体に入ったエアが快活に言う。同時に、コトン、コトン、と両手に持っていた皿をテーブルへ置く。621は一先ず席に就いた。

 621の席の前には、小皿がふたつほど置かれていた。それぞれしんなりした葉物と、何か白い肉のようなものが盛られている。

 葉物の方は緑が濃く、透明な茶色の液体に浸っている。いいにおいだ。

 白い肉の方は――何だろうか、これは。外側には皮のような部位があって、そこは濃い赤色をしている。薄いゴムのような、黒に近い濃い緑色の何かも入っている。においは、少しツンとしていて、酸っぱいと言うのだったか。

 だが食卓に出ている以上、食べ物、であるはずだ。

 「エア、魚が焼けた。運んでくれ」

 「はぁい」

 ガロガロとグリルを仕舞いながらウォルターが言う。エアがとたとた皿を受け取りに行く様は平和そのものだ。気を付けろ。分かってますよ。そんな会話を耳が拾う。

 エアが焼けた「魚」の乗った皿を両手に持ってテーブルへ運ぶ。皿の上の「魚」はブロックのような形をしていた。合成だろうか。ほとんど同じサイズのそれが乗った皿を621の前とその正面の席に置く。

 そしてすぐにウォルターのいる方へ踵を返して行った。

 ふたりはちゃんと顔を合わせて話していた。またエアがウォルターに指示をもらったらしい。底の部分が深くなっている機械の蓋を開けて、中身を手にしたヘラのようなもので混ぜている。そして茶碗を――ああ、あれが米を加工する機械なのか、と621は合点する。いつも食器によそわれた米を見ていたから、知らなかった。621の茶碗にこんもりと米を盛って、エアが運んできてくれる。

 エアが米をよそっている間に、ウォルターが別の椀をテーブルに並べる。それからエアに一声かけて、コンロにかけていた小鍋をテーブルの上の小さな簀の子――鍋敷き、と言うらしい――へ移動させた。みっつ目の茶碗を配膳し終えたエアに、今度はお玉を渡す。エアは任せろと言わんばかりの凛々しい顔でお玉を受け取った。

 シンクで水の流れる音がする。ウォルターの肩や腕が動いていて、洗い物をしていることが察せられる。エアの方は慎重に、小鍋から椀にスープをよそっていた。

 「――できました!」

 高らかな宣言が朝の食卓に響く。

 こぼすことなくスープの配膳を終えたエアがシンクを振り返りウォルターを呼ぶ。エアが振り返った丁度その時、流れていた水の音が止まってウォルターが首だけで621たちを振り返る。

 「了解した」

 柔らかな声と目元だった。

 ウォルターはタオルで手を拭いてから席に就いた。席で待つよう言われていた621と、先に仕事を終えたエアは今か今かとウォルターの着席を待っていた。

 ウォルターが席に就く。

 テーブルの上には、白飯と味噌汁、焼き魚。ほうれん草のお浸しと、ワカメとタコの酢の物が並べられていた。お手本のような「和食」だ。

 「では「姫始め」を開始する」

 「はい!」

 そしてウォルターとエアは「いただきます」と手を合わせて食事に手をつけ始める。621だけが状況についていけていない。621の頭上に大量の疑問符が浮かんでいた。

 「うぉ、うぉるたー……?」

 魚の骨について、エアに注意を促しているウォルターを思わず呼ぶ。小さく震え、掠れた声は困惑の表れだろう。

 「どうした? 食べられないものがあったか?」

 621に呼ばれたウォルターは常と変わらず、落ち着いた声と顔で答えた。その、様子に。平然としているその様を乱(こわ)したい、と621の中の獣が囁いた。

 だが621はハンドラー・ウォルターの善き猟犬だ。その自負と矜持により、621は顔を覗かせた獣性を押し込めて口を開く。

 「ヒメハジメ……コレ……?」

 カタコトになった。

 621は、自覚しているよりもずっと「ヒメハジメ」が楽しみだったのだとそこで気付く。

 「ああ。「姫始め」だ。新年……1月の2日辺りから姫飯を食べ始めると言う日本の季節行事だろう? 調べてみたら姫飯とは、いわゆる普通に炊いた米を指すらしいから普通の朝食になってしまったが……できるだけ丁寧に作ったつもりだ」

 「へぁ?」

 ウォルターの言葉は未知の言語のようだった。621の口から間の抜けた音がこぼれた。おそらく顔も、間の抜けた表情をしていただろう。

 ヒメイイ。フツウニタイタコメ。

 聞いたことも見たことも――……ある言葉だった。姫始めを調べたときに見かけていた。そして確か、621が所望した「姫始め」よりも記述スペースが多かった気がする。常人ならば、記述量の多い方を主として取るだろう。

 621は失敗したのだ。

 油断していた。ハンドラー・ウォルターを甘く見ていた。

 「どうしたんですかレイヴン。せっかくのご飯が冷めてしまいますよ」

 器用に箸を操りながらエアが言う。こちらもきょとりとした表情だ。

 「味はどうだ。しょっぱくないか?」

 「大丈夫ですよ! 検出塩分量も標準的な和食の範囲内です。いい塩梅、と言うやつでしょうか」

 「そうか。良かった」

 「ウォルター、毎日でなくても良いのでまた作ってくれませんか? もちろんサポートはするので……!」

 「そうだな。義体に慣れると言う面でも、料理は良いトレーニングになるだろう」

 621を置いてふたりは次回に想いを馳せていた。健全な会話が眩しい。

 落胆と羞恥を抱えて、621はスープの注がれた椀に口をつける。つゆの茶色は確か、ミソと言う発酵食品だったか。塩味と旨味が丁度良い。ほぅ、と温まった息が漏れた。

 まだ箸に慣れない621のために用意されたスプーンとフォークを使い、副菜や主菜にも手をつける。

 美味い。

 それが実際「美味しい」のかどうか、比較するためのデータを持たない621には分からない。が、少なくとも621は「美味い」と思った。

 「そう言えばウォルター。このタコはどこで手に入れたのですか?」

 「海辺を散歩していたら、漂着物の壷に入っているのを見つけてな。せっかくだから回収した」

 「そ、それは……すごい偶然ですね」

 「おそらくかつて養殖されたり飼育されていた個体が、あの大災害により野生化、繁殖しているのだろう」

 「水棲生物は確かに火災に際する生存率が高そうです。……レイヴン、今度釣りに行きませんか」

 「? Wilco」

 「621、首をかしげながら受諾するな。分からないなら釣りのことを調べてから行くかどうか決めろ」

 「釣りについての資料をまとめておきますね」

 「エア、あまり621を甘やかすな」

 少しだけ上の空な621を置き去りに、食事はつつがなく進んでいく。

 エアとウォルターの会話を聞きながら、621はもすもす口と手を動かす。普段からあまり喋らないせいか、その様子を突っ込まれることはない。

 だが、ふとウォルターと眼が合った。

 「621」

 穏やかな声が621を呼ぶ。自然と手が止まり、すべての神経と意識がウォルターに向く。

 「姫始め、は満足してもらえたか?」

 ハンドラー(飼い主)らしからぬ、伺いをたてるその声に、喉が鳴った。少しだけ上目遣いに見えたのは、おそらく気のせいだ。

 「あ、ああ。……いや、はい。ありがとう、ございます」

 「そうか。良かった」

 621は頷いてしまった。

 否。想定していたものとは違うが、これも良いものだと思っているのは本心だ。何なら毎日作って欲しい――と言うのはウォルターの身体のことを考えて呑み込んだ。自分が毎日用意する方が良いだろう。

 「……これからも、よろしくお願い、します」

 色々な意味を込めて621は言う。姫始めをしていたニホンでは「シンネン」の挨拶にこんなことを言っていたらしい。

 ウォルターが「ああ」と頷いた。

 「こちらこそよろしく頼む」

 「私もよろしくお願いします。レイヴン、ウォルター」

 たぶん、エアもウォルターも621の「よろしくお願いします」に押し込められた諸々には気付いていないだろう。スキャンにもかからない迷彩だ。だが、それで良い。今はまだ。

 いつか「ウォルターを」食べる方の姫始めをする。

 そんな目標をこっそり掲げながら、621はエアとウォルターの用意してくれた朝食を頬張っていた。

 「…………エア」

 「なんですか? ウォルター」

 「……その、621が言っていた「姫始め」についてなんだが、」

 「おそらくこの……「新年に男女が初めて交わること」の方かと。眼球の動きがこちらの項目でよく停まっていましたから」

 「なぜ……」

 「好意を持っているからでは? もしくは、そう言う欲求が芽生えているとか」

 「なぜ……。いや、欲求が芽生えているのは良いことだが」

 「いっそこの「ヒメイイを食べる」と「男女の交わり」を両方用意すると言うのはどうでしょうか」

 「…………女性の手配……」

 「相手が誰でも良いならわざわざ「姫始めをしたい」と「ウォルターに」言わないと思いますが」

 「……」

 「……人間とは面倒くさ……複雑なものなのですね。今回は「ヒメイイを食べる」方にしますか?」

 「……助かる」

 「はぁ……報酬はいただきますからね!」

 「俺に用意できるものなら何でも用意しよう」

 「まずは料理の仕方を教えてもらいます。それからレイヴンとの時間とウォルターの手作りの甘味とACの整備の仕方とあとは……」

 「……新しい義体等でなくて良いのか?」

 「えっ。……え? ……。はぁ……なるほど……。レイヴン、あなたのハンドラーは手強いですね……」

 「?」

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